いざ、高知へ―「いごっそう」と「はちきん」
二つの仕事を兼ねて、高知に赴きました。土佐は、美味しいもの、心地しょうえい環境、心温まる人がまけちゅうが(土佐弁です。後段を標準語に直すと「心地よい環境、心温まる人が溢れている」となります)。土佐をぎゅっと凝縮するとこの3点だと実感しました。高知龍馬空港に着くと、とにかく空の青さは眼に滲みます!!
桂浜の坂本龍馬像
土佐の3点セットを体現するのは、社会福祉法人高知小鳩会のあじさい園・第二あじさい園です。これまでに私が視察をさせて戴いた障害者支援施設のなかでもとりわけて、利用者のディーセントな暮らし向きと支援者職員とのアンサンブルは、特筆に値するところでした。いうなら、ウィーン・フィルハーモニー交響楽団かコンセルトヘボウ管弦楽団の音色のようです。交響楽団それぞれの音色にはすばらしい個性があるように、この障害者支援施設はまさに「あじさい園」ならではの響き合いがあります。
完成したばかりのあじさい園新館全景
さまざまな楽器(人)がそれぞれの音色を奏でながらアンサンブルとなって、みんなの暮らしのシンフォニーを創りあげています。障害者支援事業者の中には、職員や保護者をトランペットやトロンボーンの金管系の色だけで固めようとするところや、利用者を弦楽器系にそろえて囲い込むようなところが散見されますが、あじさい園は違います。利用者の多様な人間性は、それぞれのかけがえのなさ(尊厳)として包まれていました。
あじさい園を視察してみると、「障害者施設」を十把一絡げに「特定の生活様式を強制している」だの「管理的で閉鎖的」などと決めつける議論が、いかに軽佻浮薄で無内容なものであるのかがよく分かります。施設に限らず、さまざまな障害福祉サービスのすべてに共通して、事業者による格差はまことに大きいのが現実です。「地域生活支援」のための障害者ケアマネジメントでさえ、下手な支援者による個別支援計画が「特定の生活様式を強制する管理的な暮らし」に彩られていることなど、至る所にありますからね。
「もう施設には帰らない」と主張する人は、その人の暮らした特定の施設・事業者の問題に「怨嗟の念」を募らせているに過ぎません。結婚して家庭をもって離婚し、かつて過ごした特定の異性とのうんざりする暮らしが自身の脳裏から離れない苦しみとなっているために、「もう二度と結婚なんかしない(=もう家庭には帰らない)」と確信している人と何ら変わることはないのです。
近代以降のロマンチック・ラヴにもとづく婚姻と夫婦生活は、歴史的に見れば「特定の生活様式を強制する男女関係」に過ぎないのではないでしょうか。障害者支援施設の努力を顧みることなく「特定の生活様式を強制している」と批判するのであれば、それよりもまず、現代の法的婚姻と夫婦生活にもとづく「近代家父長制家族の親密圏」を「特定の生活様式を強制するもの」として告発すべきでしょう。はっきり言わせていただきますが、大学に務める男性研究者のほとんどは、近代家父長制の上に胡坐をかいて生きてきたのではありませんか? 自らは、意図的か無自覚かを問わず、「女性に特定の生活を強いたことはない」と天地神明に誓って断言できるのでしょうね!
それぞれの人にふさわしい親密圏は、それぞれの人が葛藤を乗りこえて創出しなければ得ることのできないものです。市場において商品・サービスを自由に購入できるように、自分にとっての心地よい親密圏は、決して「自己選択」することによって成立するものではありません。親密圏のあり様は国の委員会から議論できる課題ではなく、現にある親密圏の事実に議論の出発点を置くべきものです。このイロハが分からないようなら、親密圏と公共圏についての基本的知見を丸で持たない「学識経験者」の浅はかさを天下に晒すようなものです。
あじさい園の昼食-お盆はない
あじさい園食堂
あじさい園に到着して、まずは昼食をごちそうになりました。何はさておき、美味しい!
私は日々の料理を作ってきましたし、全国の旨いものを散々食べつくしてきた「食い倒れの大阪人」ですから、その私の押した太鼓判に間違いはありません。食器もすべて陶器を使い、施設にありがちな「お盆」は用いず、利用者それぞれの好きな時間に食べることができるのです。このように、家庭と何ら変わらない食事風景は、自然で実に快適です。
その他、国産杉材の香り溢れる快適な環境や、優しい人たちに囲まれた利用者の暮らしについては、残念ながら、10月に別のサイトで詳細にレポートすることになっています。その掲載時期とサイトは、決まり次第、このブログでもお知らせいたしますので、どうかご期待ください。
あじさいの職員の皆さんと
それでも、ここでぜひともお伝えしたいのは、職員の皆さんが例外なく清々しいことです。表情が実に柔和で、話ぶりは実直で間違いのない気持ちのコンタクトが取れる方ばかりでした。
男性職員は、統括である南守さんを筆頭に、まさに「いごっそう」(土佐の気骨ある快男児)揃いです。もちろん、多彩な「いごっそう」の皆さんです。仕事には頑固だがカミさんの尻には敷かれがちな「立ち上がれ!!(と激励したくなる)いごっそう」、社会的な職責の重圧からいささか誇大妄想気味の自負心を抱く「最後の砦いごっそう」、勉強熱心でトマト栽培に燃え上がる「真っ赤なトマトいごっそう」、一見柔和な表情をたたえつつも機械もののスーパーメンテナンスと経理にかけては「困ったときのKさん」と誰からも慕われる「国立高知高専出身いごっそう」など、実に頼もしい顔ぶれです。
あじさい園の「マギー司郎」
なかでも出色は、「あじさい園のマギー司郎いごっそう」。彼の繰り出すトランプ手品は、いやはや拍手喝采の出来栄えです。このようなキャラクターは、タイトな仕事が継続する支援現場には欠かすことができませんね。
土佐名物の皿鉢料理-手長エビやウツボ唐揚げ等々
田舎寿司
女性職員の皆さんは、南統括の奥さんを筆頭に、これまた「はちきん」(快活で負けん気が強く行動力に溢れる土佐の女性)揃いです。金奴、銀奴はむろんのこと、プラチナ奴にダイヤモンド奴に溢れています♪
ただし、県外者が「はちきん」を相手にお酒を飲むときにはくれぐれもご用心を。華麗な美しさについつい心を許してしまうと、「返杯」(一つの盃でお酒を酌み交わすことをえんえんと続ける土佐の飲酒習慣)の嵐に巻き込まれてしまいます。お酒にさほど強くない私などはすぐに撃沈されてしまいました。私はベロンベロンに酔っぱらっているのに、「はちきん」の皆さんは顔色一つ変えずに涼しいお顔をしています。「だってまだ序の口でしょ。二次会や三次会に行ってるわけじゃないし」(え゛~!)
生シラスのヌタあえ
鰹たたき
それにしても、土佐の食文化はまことに奥が深い。鰹のたたき一つをとっても、ご当地で一口頬張ってみると、眼が点になるほどの格別の旨さ!! 首都圏辺りだと決して味わい得ない美味しさは、私の「鰹たたき観」を一変させるほどのものでした(決して大袈裟ではありません)。
賑わう「ひろめ市場」
日本酒も量り売り
高知市内中心部に位置する「ひろめ市場」は、高知の食材をふんだんに使った御馳走をところ狭しと並べています。活気あふれるこの市場は、観るだけでも圧巻ですね。約60軒がお店を連ね、それぞれ好きなものを、好きなお店で買いこんで、持ち寄ってテーブルで飲んだり食べたりするスタイルです。
土佐赤牛のワイン煮
土佐赤牛のステーキ-皿に添える「はちきん」の手は色っぽい?!
もちろん、観るだけでなく、私は土佐赤牛を堪能させていただきました。ご馳走様!!
コメント
今、はちきんの金奴&銀奴&プラチナ奴&ダイヤモンド奴といごっそうで楽しくブログ見ております。マギー司郎にいたっては別のネタをやれば良かったと反省?しきりです、またの再会を一同楽しみにしています。
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