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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

知的障害のある人と家族-福岡の研修会から

 台風の接近するさなか、福岡県春日市のクローバープラザ(福岡県総合福祉センター)で開催された研修会に講師として参加してきました。

写真1.jpg研修会の様子

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 全国知的障害者家族会連合会福岡県支部と福岡県知的障害者施設保護者連合会の主催する研修会で、テーマは「知的障害者と家族の高齢化の今とこれから」でした。足元の悪い中にも拘らず、大勢の参加者が訪れました。

 このテーマに込められた関係者の苦悩は、知的障害のある「子ども」たちと親の両方が高齢化していく現実にふさわしい制度とサービスになっていないことに起因するものです。
 知的障害のある人とその親御さんたちが、安心して喜寿・米寿・卒寿を迎えられてこそ、「健康で文化的な」人生を保障する国だといえるはずでしょう。

 ところが、大勢のご家族はいつまでも不安の尽きない生活現実に悩み続けておられます。地域で暮らす(制度上の「障害者支援施設」での暮らしを含みます)ために必要十分なサービスと社会資源が、全国の市町村で提供されているとはとても言うことはできません。そこに、この10年ほどの猫の眼のように変わる制度的不安定によって、市町村もサービスを提供する事業所も恰も「シャッフル」されたような混乱を強いられました。

 知的障害には、生活・労働・意思決定にかかわる包括的で継続的な支援を必要とする特性があります。そこには、24時間介護の必要な肢体不自由の人とは事情を異にしますが、支援の必要度という点では同じように、24時間の支えが必要な人も含まれています。この点は、ややもすると一部の「学者」先生や他の障害領域の人からは十分に理解されていないことがまことに残念です。

 ただ、親子がともに高齢化するライフステージだけを取り出してみても、有効な処方箋を描くことができるとは決して思えないのです。議論の出発点は、親子がともに高齢化してもなお、なぜここまで苦しまなければならないのかという問題にあります。

写真2質問に応える

 民法上、未成年の子が成年に達すると、「親」には親権(懲戒権を含む身上監護権と財産管理権)がなくなります。このことについて、自らの子育て経験をくぐりつつ、私は親の「親でなくなる権利」であり、成年に達した子の「親に心配をかけないで済む権利」であると考えます。親子の情緒的な絆は永遠に続くとしても、この未成年時代の親子関係に、成年した時点で終止符を打つことは、親子の権利であると主張したいのです。

 つまり、子どもが成人式を迎えた後も、延々と親が子を心配し続けなければならない事態そのものが根本的に間違っています。知的障害のあるなしにかかわらず、子どもが成年に達したら、私的扶養の枠組を国が責任を負う社会的扶養の枠組にすべて移行し、その中でさまざまな支え合いの組み合わせを最適化する方針を政策に具体化してこなかった点こそが問題なのではないでしょうか。

 講演の後、1時間余りにわたって質疑応答が活発に交わされました。中でも、意思決定支援にかかわって、知的障害のある人の「契約主体としての対等・平等性の確保」についての質問が出ました。このテーマは、月末に神戸で開催される兵庫県知的障害者施設協会主催「福祉の集い」で詳しくお話しますので、そのときに改めてお伝えしたいと思います。

写真3歓待してくれた友人-心なしか目尻が下がる?

 さて、博多といえば「もつ鍋」。台風を心配して講演前夜に急遽博多入りした私に、友人のK氏が美女とともにもつ鍋をご馳走してくれました。場所は、博多天神のもつ鍋専門店「楽天地」。

写真4
もつ鍋の炊きあがり

 ここはもつ鍋一筋30年のご当地人気店で、和牛のもつに野菜はたっぷり、出汁は醤油ベースのみ。もつ鍋といえば、脂っぽさがつきものとの思い込みを払拭するさっぱり加減でありながら、深い上品な味わいを両立させた極上のスープです。もちろん締めは、ラーメン生地でできたうどんのような麺のチャンポンですが、残りのスープにベストマッチでたまりません。ここはおすすめですよ!!(ただし、金・土曜は店の前に軽く30人以上の行列ができる店ですから、予約を入れた方がいいでしょう)


コメント


毎回ブログを楽しみに拝見しております。現在障害をお持ちのお子さんに対する相談支援に従事している者です。
ご相談を受ける中で、親御さんはご自分たち亡き後を心配されます。更にお子さんの兄弟が見なければならないと。
親でなくなる権利、巣立ちの権利ですね。


投稿者: yoko. | 2012年10月04日 08:30

私の親戚には、知的障害を持っている男の人がいる。私よりも年上であるが、いまだに言葉は話せない。原因は、出産の際に医者によって必要以上に頭部を引っ張られたことによるものだと聞いている。彼の家族も、この障害によりとても苦しめられ、両親鬱になってしまったという事実もある。だがしかし、小さい頃から施設やカウンセラーの方々に助けてもらったし、そのような力がなければ、今彼らはここにいるかさえわからない。苦労はあるが、今は幸せに暮らしているし、親戚一同、施設の方々やカウンセラーの方々にはとても感謝している。
 このような苦労や障害者に対する理解がある人は少ないし、同時にそれはとても残念なことだと私も思う。しかし、これらを理解してもらうには、私たちのような身近に障害者がいる人たちが、無知の人たちへ発信していくべきなのだろうと私は考える。そのような機会があったらぜひ参加してみたいと思う。そして、たくさんの人たちに、障害について知ってもらいたいと思う。


投稿者: n_m.SS | 2013年01月02日 20:24

子どもが成年に達したら知的障害のあるなしに関わらず、私的扶養の枠組みを国が責任を負う社会的扶養の枠組みに移行する重要性を感じた。このブログを見て初めて知ることも多く無知な状態に近いが、障害もなく暮らし今年成人を迎える私たちだからこそ、この国の福祉というものを考え、行動を起こし、市町村など小さいところからでも変えていくことが大事なのかなと思う。


投稿者: せっきー | 2013年01月05日 19:01

「子どもが成人式を迎えた後も、延々と親が子を心配し続けなければならない事態そのものが根本的に間違っています」という先生の意見に賛成だ。現在ネット上では「生まれる子供が知的障害者と分かったときに、生むべきか産まないべきか」という議論がある。これは障害者がその生涯にわたり、親族がその人の世話などをしなくてはならない現実があることから生まれる議論であり、このような議論があること自体非常に残念だ。
私も含めた大学生の多くが、今後子供を授かる機会に恵まれるのではないかと思う。誰でも子供が知的障害者になる可能性がある。それどころか自分自身がそうなる可能性もある。大学生のうちに障害者のあり方について考えることは改めて重要だと感じている。


投稿者: ホテルニューあ~わ~じ~ | 2013年01月25日 12:11

障害のある人を支援するための制度が不十分であることは、現状を見れば明らかである。以前、障害のある人と接する機会をいただいたことがあるが、もちろん全員ではないが、中には自立していたいと願う人々もいた。その志は、その日その日に追われて生きるような私のそれよりも明らかにはっきりとした、大きなものだったと思う。そういった強い気持ちがあるにもかかわらず、それを生かすことができないというこの環境は、障害のある人たちにとっても、大変もどかしいものだと思う。彼らがそういった気持ちを持っているということ、それを生かせずにもどかしい思いをしているということ、そういったことを知っている人は少ないだろう。それを知り、何とかしたいと思う人々が多く現れなければ、現状は変わらないのかもしれない。ただその一歩目とした、現場を知る人が情報を発信し続けることが大切だと思う。


投稿者: adrn | 2013年01月25日 13:48

 北九州市立大学で受けた先生の講義をふまえて、コメントさせていただきます。
 まず、私が先生の講義の中で一番心に残ったのは「しつけと虐待は全く異なるものであり、どこまでがしつけでどこからが体罰かという議論は不毛である」ということ、そして障がい者虐待において「障がいをもつ人が40歳を過ぎると、虐待の行為者が息子や兄弟であるケースが多くなる」ということです。特に後者について、障がいをもった人が兄弟にいる場合に、母親の関心は障がいを持った子に集中する上、もう一人の子に対して父親の役割を求めてしまい、子に対して必要な愛情をほとんど注げていない例が約8割であったということに、衝撃を受けました。確かに現在、仕事の忙しさに加え、離婚等で父親・母親のどちらかがいない家庭というのは増えてきており、一般の家庭でも子が親代わりになるケースは多いと思います。その中でも、特に障がいのある子を育てる親が抱える不安というのは、今の日本においてはとても大きいはずで、母親がもう一人の息子に頼ってしまうのは仕方のないことであり、その後息子が虐待をしてまうのは、ただ単にその人のせいとは思えません。確かに、虐待は絶対にしてはいけないし、許してはいけないことだと思います。しかし、その虐待をなくすために虐待をした人をただの悪人として叱ってもう二度とするな!といって突き放すのではなく、一緒に暮らしたいなら、虐待をするに至った原因がなんなのか、どうすれば心落ち着いて暮らせるかなど、加害者側にも積極的に心のケアをしていくことが、特に障がい者虐待をなくすための近道だとよくわかりました。
 将来は市町村で、住民の福祉にかかわる仕事がしたいと思っています。この講義で感じた思いを忘れずに、将来生かしていきたいと強く心に決めました。
 ためになる講義をありがとうございました。


投稿者: 柔道一直線 | 2013年07月16日 18:11

最近の障害者のドキュメンタリーなどを見ると、必ずと言っていいほどその障害者の親が世話をしている映像が流れている。しかしここで言われているようにもう成人したのであるのならば親離れするべきであると思う。しかしハンディキャップを持っている人にとって独りで社会に出されるのはいろいろと不便なことがあるのかもしれない。地域全体でそのような人をしっかりバックアップして、一人の人間として社会に出られるようにするべきだと思う。


投稿者: 福神漬け | 2013年07月24日 08:15

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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