児童虐待防止法の実態
児童虐待防止法が施行されて以来、12年近くの歳月が経とうとしています。ご存知のように、児童相談所と市町村の子ども虐待取り扱い件数は増加の一途をたどってきました。要するに、児童虐待防止法は今日まで「虐待防止」の機能を果たさないまま、いささか意地の悪い表現ですが、「児童虐待後追い対処法」に留まる現実が続いています。
(以下の図は、2012/04/25全国児童相談所長研修資料、厚生労働省雇用均等・児童家庭局編による)
厚生労働省が何も手を打ってこなかったわけではありません。川崎二三彦さんが『児童虐待-現場からの提言』(岩波新書、2006年)で指摘されているように、児童相談所体制の拡充や司法関与の強化など、国の施策は他の福祉関係施策の中でも際立った力の入れようではなかったでしょうか。
それでも、一時保護所の保護人員と平均在所日数は、虐待で保護された子どもたちの生活条件がますます劣悪になっている事実を告げています。
1日当たり保護人員及び平均在所日数
このような事態は、子ども虐待の増大に虐待対応がまったく追いついていないことを明らかにすると同時に、子ども虐待の発生そのものの減少に資する防止策がほとんど機能していない現実を示すものといっていいでしょう。
杉山登志郎さんの指摘によれば(杉山登志郎著「児童虐待は、いま」、雑誌『そだちの科学』№2、日本評論社、2004年4月)、日本の児童福祉司の新規受け入れ件数は、イギリスにおける同職種の20倍、ドイツのそれの18倍だということです。この指摘がなされて以降、わが国の児童福祉司が2倍に増員されたとしても、イギリスやドイツの約10倍の負担が未だにあるのではないかと推察できます。仮に、イギリスのワーカーが1月あたり10人の新規児童に対応するとすれば、わが国の児童福祉司は100人の新規児童に対する事態なのですから、たまったものではありません。
児童福祉司の配置にみる地域格差の大きさには溜息が出ますが。全国平均ではおよそ人口5万人あたり1人の児童福祉司となります。これをヨーロッパ並みの体制にするためには、人口5千人あたり1人の配置が必要ということになります。
このような児童虐待にかかわるインフラ整備の立ち遅れは、虐待対応における地域連携にも亀裂をもたらしています。
児童相談所は、限られた人員・一時保護の体制の下で虐待対応を図らざるを得ません。そこで、児童相談所は緊急性の高いケースから優先的に対応することを徹底します。ここでは、程度の重い身体的虐待と性的虐待が優先され、今直ちに重大な事態には至らないとアセスメントされるネグレクトや心理的虐待については、後回しにされるのが実態です。
虐待ケースの児童が小・中学校に在籍する場合を考えてみましょう。緊急性の高いケースは、48時間以内の安全確認のために、場合によっては児童相談所の職員が学校にまで足を運び、子どもの安全確認のための学校の協力義務を求めます。
ところが、学校は子どもの日々の教育に広く責任を負うところです。この立場から見れば、慢性化したネグレクトや心理的虐待の下で、ときおり軽微な身体的虐待の混じるケースも、児童生徒の成長・発達にとって「重大な事態」であると受けとめます。ところが、このような性質の虐待については、どちらかというと児童相談所サイドは「学校の支援でもう少し頑張って欲しい」とする傾きがあり、学校との子どもに対するスタンスの違いはときとして相互の不信感を招いているのです。
このような問題を連携やネットワークの改善課題にしてしまうのは間違っています。児童相談所は限られた条件の下でぎりぎりの対応を余儀なくされており、そのことが相互の不信を招来するのです。このような事態からもっとも悪い芽が出れば、児童相談所は自身に必要なピンポイントの支援を学校に期待し、学校は最低限度の法的責任(早期発見の努力義務、通告の責務、協力義務)の履行にとどめようとするでしょう。実際、私は、小・中学校の先生方からこのような児童相談所と学校のすれ違いを耳にタコができるほど聞いてきたのです。
子ども虐待の実効的な防止策に至っては、もはや虐待対策の守備範囲をはるかに超えたものであることは間違いありません。雇用政策や所得政策など、全国民を対象とする生活基盤にかかわる社会政策の抜本的改善策が必要不可欠です。それでもここでは、百歩譲って、虐待対策の守備範囲の課題を指摘しておくことにしましょう。
子どもの虐待の防止には、「不適切な養育」(maltreatment)の考え方から、虐待のグレーゾーンとなる裾野部分への支援が有効であるとされてきました。
ここでは、「レッド」「イエロー」の虐待防止法によって虐待認定される層については児童相談所が中心となって対応し、グレーゾーン以下のマルトリートメントに対しては一般の子育て支援策や学校教育などが予防的に対応する形で、全体のネットワークが構成されています。この考え方はまことに分かりやすいとしても、実際の虐待防止にほとんど役立つことはないでしょう。
一つは、虐待や不適切な養育がなぜ増大しているのか、このような事態が出来する発生関連要因を明らかにした試しがないからです。子ども虐待については、児童相談所の取り扱った範囲のケースか死亡事例の範囲の分析にとどまり、グレーゾーンを含む不適切な養育の構造的な発生関連諸要因は全く詳らかではありません。これらを明らかにするための実態調査は一度たりとも実施してはいません。つまり、何がグレーソーンにおける有効な支援となるのかが明らかでないのに、予防的支援が機能するわけがないでしょう。
もう一つは、法的に虐待認定される明らかな虐待事象と異なり、グレーゾーン以下の不適切な養育はそれ自体不明瞭ですから、親自身も無自覚で、支援者も発見しにくい性質を持ちます。その上、育児が無縁化した地域社会の中の密室化した親子の下で営まれているのですから、何を手がかりに予防的支援を実施すればいいというのでしょうか。昨年の民法改正は、親権に含まれる懲戒権について子どもの権利を守る見地からより厳格な規定をするようになりましたが、グレーゾーンにおける「不適切な養育」と「しつけ」の区別などいくらでも正当化できる「懲戒権」の曖昧さは残存したままです。懲戒権の規定は廃止するほかないでしょう。
さらに、子ども虐待に関する研究の実態は、虐待防止に資するものよりも、虐待対応に終始するものがあまりにも多いのではないでしょうか。不適切な養育を含め、子ども虐待の発生関連要因に関する実態に迫る研究が必要であると考えます。この点は、高齢者虐待や障害者虐待も同様です。「虐待防止指針」とか「虐待防止マニュアル」なんてネーミングのほとんどは、「虐待ひとまず対処指針」「虐待当面対処マニュアル」になってはいませんか?
この9月中旬に刊行される拙著の『障害者虐待-その理解と防止のために』は、実務的な知見・指針と虐待発生の構造的諸要因に関する理論的知見を一体のものとして提示するように努めました。どうか、ご期待ください。
コメント
虐待の増加に伴い、一時保護所の増設で定員増を図ってきましたが、まったく追いつかず常に不足状態が続いております。虐待予防・防止に資する研究や実践が必要であることを皆痛感していると思います。先生の新刊本を楽しみにしております。
児童虐待相談対応件数が、約10年の間で、4.8倍にも上っているということに驚きました。しかし。これはあくまで相談対応件数であり、実際には誰にも相談できず、また気づいてもらうことができずに苦しんでいるひとは大勢いると思います。児童相談所体制の拡充や司法関与の強化など、国の施策は他の福祉関係施策の中でも際立った力の入れようだったようですが、児童相談所と児童福祉司数は年々右肩上がりだということは、彼ら自身の負担を考えたときに、見過ごせるものではありません。彼らの負担や、それ以上に虐待されている児童への負荷がなぜ減っていないのかということを考えたとき、「虐待や不適切な養育がなぜ増大しているのか、このような事態が出来する発生関連要因を明らかにした試しがないから」という文章になるほどと思いました。グレーゾーンを調べることが容易ではないことは私にも分かりますが、この状態を続けていくとまた10年後もグラフが右上がりのままなのではないでしょうか。虐待や不適切な養育自体を減らしていくための、規定や研究を今まで以上に活発に行っていくことが必要であると考えます。
この記事を読んで、普段何も考えずに見ていた虐待防止という言葉は、虐待をしていることが前提の場合が多いことに気付きました。
もちろん現在進行形で行われている虐待を止めるためのマニュアルも大切だとは思われますが、先生のおっしゃるように、本当に大切なものは、虐待を未然に防ぐためのマニュアルだと思われます。
虐待が起きてからどうするかを考えるのではなく、どうすれば虐待が起こらないかをまず考えていきたいと思います。そのために必要なことは、やはり社会の協力だと思います。
虐待を起こしてしまうほどの心労を母親一人に押し付けないように、近所の人や、知り合いの人たちで母親のサポートをすることが大切だと思います。
また、イギリスやドイツなどのヨーロッパに比べて児童虐待への対応が困難であるということがわかりました。現状の児童福祉士の数に対して、ヨーロッパ並みの体制にするためには、児童福祉士の数を10倍に増やさなければなりません。
ただでさえ少ない児童福祉士の数を今日明日で急激に増やすことは難しいことです。このことからも、やはり児童福祉士などの特定の職業の人だけでなく、社会の協力が必要だと思います。
先日は講義をしていただきありがとうございました。私は児童虐待の報道を見るたびに、親の行動を理解できず、「そんなことをするなら子どもを産まなければよかったのに」と思っていました。虐待をする親=子どもを愛せないひどい親だと思ってしまっていたのです。しかし、宗澤先生や古賀先生の講義を受けて、それは間違った考えであったと知りました。報道で知らされる「事実」だけを鵜呑みにして、その背景や虐待をする側の気持ち、なぜそのような行動をしなければならなかったのかを全く考えていませんでした。早く自分の間違ったとらえ方に気づくことができて良かったです。世間が虐待をした側をただ責め、重い罰を求めるだけでは虐待が減るはずがないと考えるようになりました。また、このブログの記事では、日本のインフラ整備の不足についても実感させられました。ヨーロッパ並の体制にするには、どれくらいかかるのか・・・と思いました。虐待は個人の問題だけではないと思います。虐待を発生させてしまう社会にも大きな問題があります。私たちは日本のインフラ整備不足について知り、なぜ虐待が起こってしまったのかを考える必要があると思いました。
今回の記事を読んで、児童虐待相談対応件数が年々増加しており、平成22年度には、平成11年度の約4.8倍もの件数に達しているという事実を知り、私は、今までの自分の「児童虐待」に対する関心の低さに改めて気付かされました。児童虐待の対策として、虐待の増加に伴って、児童相談所と児童福祉司数を増加させているにもかかわらず、それが全く追い付いていないということから、児童虐待数の増加率の方が大幅に上回っているということが分かります。そこで私は、「児童虐待発生後の対策」よりも、「児童虐待発生を未然に防ぐための対策」を重視するべきであると感じました。とはいっても、児童虐待を未然に防ぐことは容易なことではないため、これから長期にわたって研究や実践を社会全体で取り組んでいく必要があると痛感しました。一方、私の考える「今からでも実践できること」の1つとして、大学の講義で学んだ「児童虐待による死亡事故を防ぐこと」があります。養育者、子ども、生活環境、援助過程のそれぞれの側面から判断し、児童虐待の早期発見により子どもの命を守ることができるのです。このように、一人ひとりが児童虐待について真剣に向き合うことで、「児童虐待を防ぐために今、できること」が出てくると思いました。他人事だと思わずに、関心を持って考え、実行することが大切であると感じました。
先生が冒頭で述べられているように児童虐待防止法が12年の歳月が経っているにもかかわらず虐待防止の機能を果たしていないことが驚きでした。ただ、それと同時にこのような実情があって厚生労働省が手をこまねくわけでなく、実情を踏まえたうえで施設の充実などの対策をとっていたことに安心を覚えました。
しかし、それでも虐待による保護者数・保護施設への在所期間の増加にはなにか重大な原因がいくつか存在するのではと感じました。その一つが、厚生労働省の行った施設の充実度ではまったく充実させきれていないという事実だ。そして、このインフラ整備の遅れが地域の虐待対策の連携を遅らせているとも感じました。これは、児童相談所と小学校・中学校の関係性から見ることができます。具体的に言えば、児童相談所は自身に必要なピンポイントの支援を学校に期待するのに対し、学校は最低限度の法的責任つまり、早期発見の努力義務・通告の義務・協力義務の履行にとどめようとすることだ。二つ目が、虐待の発生関連要因を明らかしていないことだ。
私は、これを明らかにすることによって上記に述べたことを解決するきっかけになるのではないかと感じた。
先日はわざわざ講義をしてくださってありがとうございました。最近、児童虐待についてのニュースをよく耳にしますが、そのニュースを見るたびになぜ自分が産んだかけがえのない子どもなのに虐待という悲惨な行為が起きてしまうのだろうといつも思っていました。親にもさまざまな背景があるとは思います。子育ては思っている以上に大変であるとは思います。しかし、自分の子どもに虐待をしてしまうという行為は絶対にしてはならない行為であると思います。虐待にいたるまでに、親が誰にも相談することのできない環境にあるから、こうした虐待が相次ぎで起こるのではないかと思います。まずは、もっと親が気軽に相談できる環境づくりにつとめていくことが重要なことではないかと私は思います。また、このブログの記事より感じたことは、児童虐待防止法という法律があるにも関わらず、この法律が全くと言ってもいいくらいに機能されていないことに、法律を定めていても効果がもたらせなければそれは何の意味のもならないのではないかと思いました。法律に働きかける政府の力がもっと必要であると思います。また、日本のインフラ整備の不足についても知ることができました。これから、一人一人がもっと今の現状を知って見つめなおしていくことが大切なことであると思います。
先日は、とても為になる講義をしていただき、ありがとうございました。先生の講義を聞いて、私は特に、障害のある子とそのきょうだいと母親と父親の関係の話が特に印象的でした。父が仕事で家庭におらず、母が障害のある子に付きっきりになって、障がいのある子のきょうだいは、不在の父の代わりをさせられて、母のパートナーとして擬制されたり、母の手下として、指示、命令を受け、障がいのある子の面倒をみるようになり、結果として、母からの愛情を受けられなくなるという問題については、その家庭の中だけでなく、外部からサポートしていく地域コミュニティ等の存在が解決のために重要なのではないかと思いました。また、この記事を読んで、我が国の虐待対策の現状は、虐待が起こってしまってから、問題の解決を目指すというのが中心で、深刻な状態になる前の、いわゆるグレーゾーンに位置する状態の虐待に対しての対策や、虐待の発生を未然に防ぐといった段階にはまだ達することができていないということが分かりました。そして、こういった問題を解決していくためには、福祉関係の労働者の労働環境の改善と人員の増加をして、虐待の予防にまで手が回るようにすることが大切だと思いました。
児童虐待相談対応件数が増加していく一方にあるのは、以前より児童虐待が注目されるようになり、発見される確率が高くなっているだけであり、実際のところは児童虐待が増加しているわけではないと考えていました。しかし、この記事を読ませていただいてそれは安易な考えであったと感じました。児童虐待相談件数が増加し続けているのは、児童虐待防止の取り組みが本当の意味での「防止」になりえていないという実態を示しているものであると気づかされました。イギリスやドイツに比べて、日本の児童福祉士の負担がとても大きいことに驚きましたし、負担を軽減するために児童福祉士を増員することも大切だと思いました。しかし、増員するにしても限度がありますし、今のままでは「事後対応」に追われてしまうのではないでしょうか。また、虐待の線引きがはっきりしていないこともあり、虐待をしている本人の自覚もなく周囲にいる人も気づきにくく、虐待を未然に防げずにいることが虐待相談件数が増え続ける一つの原因だと感じました。先生がおっしゃるように、「虐待の発生要因に関する実態に迫る研究」を行うことで、まず虐待が発生する原因を知ることが虐待防止の第一歩であると思いました。児童虐待の実態を知ったうえで、虐待を防止するためにはどうすべきか、子だけでなく親を含め家族全体をどうやって支えていくべきかを考えるべきであると考えます。
児童虐待防止法が施行されてから12年が経とうとしている現在でも、児童虐待相談対応件数が増加し続けているという現実を、この記事を読んで知り、ショックを受けました。このことは、先生もおっしゃっているように、児童虐待防止法が本当の意味での「虐待防止」の役割を果たしておらず、国が力を入れている施策も児童虐待の増大に追いついていないことを表しています。このままでは、虐待相談件数は増加する一方だと思われます。この事態を回避するためには、今までのような後手に回る対応ではなく、虐待を未然に防ぐような対応が求められるでしょう。そのためには、先生がおっしゃるような「虐待や不適切な養育の発生関連要因に関する研究」等の取り組みが必須になると強く感じました。その他にも、児童福祉士の負担の軽減や、不足しているインフラの整備などの課題もありますが、まずは現状を打破するための第一歩として、一人一人が児童虐待の実態を知り、この問題と向き合うことが大切だと思います。
国の施策が全く追いつかないほどに虐待の数が増加している現実に非常に衝撃を受けました。このような現状を打開するために、私は、現在グレーゾーン以下とされている段階の虐待を調査し数字や文字にして実態を明らかにする必要性があると感じます。レッドやイエローに達する前の段階の原因を明らかにすることで緊急性の高い虐待のケースを少しでも減らしていけるのではないかと思います。
私は、この記事を読んで「児童相談所は自身に必要なピンポイントの支援を学校に期待し、学校は最低限度の法的責任の履行にとどめようとしている」という児童虐待支援の現状を初めて知りました。児童相談所は学校に支援を期待し、学校は児童相談所に期待している現状では、絶対に児童虐待は減らないのは明らかです。学校も児童相談所の関係がそのようになってしまう原因は、先生の記事にもありましたが、児童福祉士の不足だと思います。しかし、私は児童との距離が近いのは児童相談所よりも、学校だとも思います。問題なのは、なにをもって虐待とみなすかの一線だといいますが、学校は児童のささいな変化でも、少しでも虐待じゃないかと疑って対応するべきです。学校は親身に児童とかかわる必要があります。そのためにも、学校にも養護教諭だけでなく、児童の心のケアをする先生を増加させる必要があると思います。地域のコミュニティーが希薄化してきたこの時代に、児童の変化に気づけるのは学校だと考えます。
私はこの児童虐待防止法と虐待相談対応件数をポジティブに捉えています。「防止」と名前がついているのが少しやっかいで、たしかに「後追い」の対応になってしまいます。ですが、12年前にやっと国家の関心事としてこの法律ができました。今まで陰で息を潜めていた児童虐待が世の中に露呈するようになっていったと思うのです。
この法律によって児童虐待への関心が高まることで今までは少し気に留めてもすぐに流すようなことでも、これは児童虐待かもしれないと思い、相談する件数が増えたのではないかと思います。たしかに児童虐待の根底には生活状況や労働状況などがあり、保護者と児童の関係の枠だけでは対処できないこともあります。しかし、まずは虐待がこの国でどれだけあるのかを把握することの方が優先されるべきだと思います。把握、対処、予防の3つが揃って初めて「虐待防止」法と呼べるものになるのではないでしょうか。
現状として問題点は山積みですが、これからどう現代の状況に即した行政のやり方がなされるか気になるところです。
私も以前はそうでしたが、児童虐待の実態を知り、それには複雑な背景があることを理解している人は日本には殆どいないと思っています。虐待は専門家の周りではなく、それ以外の大多数の中で起こることです。専門家だけが児童虐待防止に取り組むのではなく、日本全体に児童虐待への正しい理解を促すこと、まずこれが児童虐待防止のための第一歩だと私は考えます。
十年間で児童虐待相談対応件数が十倍くらい上がっているのは驚いました。児童虐待といえば電車のテレビでよく放送する子ども虐待相談というCMを思い出した。自分が生んだ子を虐待する親の気持ちを理解できないが、かなり数が存在するのは事実である。根本的に解決するため、やはり虐待実施者の考え方を変えらなければならない。子どもは社会の将来であり、人々が第三者から見るだけ立場を代わり子供一人一人を見守るようにするという意識を普及するのは必要だと思います。
児童虐待相談対応件数が10年間で約4.8倍になっていること、この1年間での件数の増加が著しいことを知り驚くとともに、今まで児童虐待という事実を知っているのにいかに自分とは関係ないものとして見ていたかを実感しました。また教育学部に属するものとして、特に保育を学んでいるものとして児童虐待の情報に耳を傾けることが必要だと気付かされました。
また児童福祉司の人数が少ないことが学校への負担になっている問題について児童福祉司の人数を増やすことが必要ですが、今不足している人数をいきなり補うことはできません。だから学校に1人2人相談員やカウンセラーを増やすこともひとつの手立てだと思います。そしてもっと社会が児童虐待に関心を向けることが必要だと思います。
どんなに児童相談所や児童福祉司数が増えても、それ自体も積極的に行動していかないと子ども虐待を根本から防ぐことはできないし、相談対応件数が増えているとはいってもまだ知られていない子ども虐待もまだまだあるのではないかと思いました。
また、この記事の児童相談所の虐待対応の実態を知って、現状の難しさを感じました。確かに優先順位をつけざるをえないことは仕方ないことかもしれないし、身体的虐待や性的虐待はアセスメントやネグレクトなどよりも事態は大きいかもしれないです。しかし、子どもの心の部分を考えて、後回しや学校への支援の要求で済ませてはいけないと思います。児童相談所の人からすれば「ネグレクトならまだまあ大丈夫」かもしれませんが、その子どもにとっては自分一人で抱えてきた大きな問題であると思うし、児童相談所に縋るような気持ちで助けを求めているかもしれないと思うのです。人に話すのも勇気のいることだと思います。それなのにそこで、後回しにしてしまったりするのは仕方ないでは済まされないと思います。学校の支援でなんとかなる問題であったら、ここまで児童相談所やそこへの相談件数が多くなるわけないと思います。
児童福祉司の数がまだまだ足りないことは、この記事からもよくわかることでした。だからこそ、学校とよい関係を持ち、協力し合い、子どもたちの心や身体を一番に考えてあげることが大切だと思いました。また、子どもたちと家族の次に近い関係にいられる学校が、虐待へと走ってしまう親側へのケアもできればより良いのではないかと思いました。
日本の児童福祉による子ども虐待への対策が重度の部分(大阪府児童家庭相談援助指針の図でレッドにあたるところ)に集中してしまっているのには、政策を決定する政府に「個人主義・自己責任」の思想が根強く存在しているからではないかと思います。子どもは親が育て、その責任は親にあり、社会、ひいては国家はその責任を負わないし面倒はみない、という理屈につながっているのではないでしょうか。それゆえに、子ども虐待への対策も最も悪化してしまったケースにとどまり、比較的軽いケースへの対応が遅れているのだと思います。
ブログ読ませていただきました。このブログを読んで、虐待防止法は意味がないのではないのかと思います。虐待防止法は、虐待が起こってからの「後追い法」でしかないのです。それでは遅い。なにかあってからでは遅いのです。子どものシグナルを見落としてはいけません。児童虐待を実際に見たり聞いたりしたことはありませんが、このブログを読んで、深刻に考えるようになりました。
児童虐待相談対応件数が10年間で約5倍にもなっているのには驚きを隠せませんでした。児童虐待防止法を制定するなど、国としても対策を打っているのにもかかわらず、なぜこのような傾向にあるのか疑問を抱きました。虐待を受けて育ってきた人間が、自分の子どもにも同じように虐待してしまうケースを考えると、虐待を件数を抑えるというのは非常に困難であると思われます。従来とは違う新たな対策が必要であると考えました。
虐待を防止するには、子どもは自分の“所有物”ではないという認識を持つ必要があると思います。たとえ子どもが幼くても、個人としての権利は保障されるべきだと思います。教育現場では体罰が問題となっていますが、親だからといって手をあげることを容易に許してはいけないのではないでしょうか。そうすればグレーゾーンは生まれないと思います。様々な社会背景の中、親は自らの子どもをよい教育環境に置こうと責任を重く感じがちですが、子どもの成長を周囲に委託する姿勢も必要なのではないでしょうか。そういった姿勢は過度の期待による精神的虐待を防止することにもつながると思います。ネグレクトにつながってしまう可能性を考えると難しいところですが…子どもの成長について個人差があることを子育てが始まる前によく理解しておくことも重要だと思います。
この記事の児童虐待相談対応件数の推移を見て、私は大変驚きました。この約10年間で約4.8倍にまで数が増えているのです。
この結果だけを見ると先生のおっしゃるとおり、児童虐待防止法が「虐待防止」の機能を果たしていないと言わざるを得ません。しかし、国の施策として、この記事の児童相談所と児童福祉司数の推移からも分かるように、児童相談所の拡充や司法関与の強化などを行っているのです。このデータから、児童虐待の急激な増加に対して、虐待への対応が遅れを取ってしまっていることが分かります。
このような状況の中で大切な事は、いかに児童虐待の発生を減少させるかであると私は考えます。またそのためには、学校内での児童虐待の場合では、教員と生徒と親、親子間の児童虐待の場合では、親子とその周辺の人々とのコミュニケーションをもっと強くするべきだと考えます。
私は、児童相談所と学校とのすれちがいという問題に着目したいと思います。児童虐待は行政の努力とは反対に増えていると言っていました。児童相談所はもちろんのこと、学校現場も保護者への対応や子どもに対するケアなど児童相談所では対処してもらえない問題を対処することに大変努力をしているのだと思います。しかし、それでもすれ違ってしまうのは、対処しきれないほどの数が何よりの原因であるのだと思います。私は、それほどまでに数が増えているならば、各学校に一人児童虐待のためのスタッフを設置するくらい過保護に児童虐待の問題に取り組むべきだと思いました。
このブログを読んで、過去から現在に至るまで、虐待取扱い件数が増えているのにかかわらず、虐待の発生に対する防止策が機能していないという現状に驚き、この国の体制の未熟さを実感しました。児童福祉司が需要に対し圧倒的に少ないという問題や、児童相談所と学校のすれ違いなど、やはり、子ども虐待に対する体制が徹底されていないと感じました。
また、私の思うその体制とは、虐待された子、親に対するケア、つまりことが起きてしまった後ではなく、未然に虐待を防止することだと考えてるので、私たちはその原因を考えていく必要があると思います。
私は先生の講義で、「虐待をする親は、親自身も幼少時代虐待を受けていた人が多い」と聞きました。上のグラフのように年々児童虐待が増えていくとなると、今虐待を受けている子供たちが親になったら桁違いの虐待数になってしまうのではないかと感じました。
児童虐待は、地域で子育てを助け合うという近所付き合いがなくなり、親が子育てを一人で抱え込んでしまうことが原因の一つかもしれない。しかし、交通手段や通信手段が発達した現代では、近所付き合いが再生されるようなことはあまり見込めない思う。したがって私は、ヨーロッパを見習い、児童福祉司を増やすことが虐待防止に有効だと考える。まずは児童虐待に対するインフラをきちんと整備することから始めるべきだ。
児童虐待と聞き、母親が赤ん坊を殺めたことを報道するニュースを私は思い出しました。
このような事件を最近私は本当によく見かけます。
最初に思うのが、何故そんな選択を母親がしたのかということです。
自分が当事者になったことがないので勝手な言い分ですが、もし赤ん坊が殺したいほど憎くなったとしましょう、泣き声や自分の思い通りにならないことに苛立ったり、再婚するのに(酷い言い方ですが)邪魔だったりしましょう、それでも殺すより他にやりようがあると私は思います。赤ん坊を殺してしまう母親の、命に対する認識はとても甘いと私は思っています。なまじ女親はその子を産んだだけに、この子は私の物、私が守らないと、という認識も大きければ、この子を殺すも私の自由でしょ、という認識が想像ですが心のどこにあるのだと思います。赤ん坊や小さな子の支えとなるのは親であり、特に子どもは母親に良く懐くと思いますが、命まで母親のものではありません。ここまで母親を責めているように書き連ねましたが、私は赤ちゃんを殺してしまった母親だけが悪いとは全然思っていません。母親を支えきれない社会の仕組みは改善されるべきだし、親として夫としての責任を果たせず、最悪な場合暴力を振るう父親の存在は、罪を犯した母親と同じように罰せられるべきだと私は思います。
国の力をこめた福祉政策をもってしても虐待は防止できず、増えていくいっぽうであることに驚きました。児童虐待は専門家だけで解決できるとは思えないし、数少ない児童相談所だけでなく、学校や周りの保護者といった地域が他人事だと思わずに積極的に取り組む必要があると考えます。
子育ては親だけがするものではなくて、周りの人たちと助け合いながら行っていくものだと思うので、そういった意識を持つべきなのではと思います。
なぜ私たちは子供たちの被害が増大し、世間的に広まるようになるまで虐待に対して関心を寄せない人が多いのだろうか。それは無知ゆえの無関心でもあり、虐待に対する知識を得る機会がもともと社会に組み込まれてないからではないかと考える。こうして今大学で学ぶことができるが、義務教育においても虐待に関して少しでも学べるような環境づくりが社会の関心を高め、虐待予防に対する意識も変わってくるのではないだろうか。
児童虐待相談対応件数がここ10年間で約4.8倍に膨れ上がっているこの数字からも、現在の虐待問題の深刻さが読み取れます。そして、この数字はあくまでも、「虐待が発見され児童相談所において対応された」件数であることは見逃せません。虐待を受けていることが明らかになった子どもたちに対してどのように支援を行っていくべきか、ということはもちろん早急に考えるべき内容であると思います。しかし、一方で、虐待を受けていることを誰にも発見してもらえずに苦しんでいる子どもがいることも忘れてはならない事実であります。そして、先生がおっしゃるように、虐待発生を未然に防ぐ防止策というものは今だに充分に用意されていないということは、非常に大きな課題であると思います。虐待がなぜ発生するのか、どうしたら予防できるのか、ということを考えていたら、何年か前にゼミのなかで出会った母親サークルのあるお母さんの言葉を思い出しました。「あのとき(子どもが生まれて何年か)は私、孤立してました。もしかしたら虐待もしてたかもしれない。頼れる人がいなかった。」と、当時の子育ての悩みや不安を話してくれたそのお母さんは、頼れる仲間ができてから子育ても楽しくなり、なによりお母さん自身の人生を楽しんでいるように私には見えました。地域社会や人間関係が希薄化している現在、「子育ては親がするもの」という考えがとても強いように思います。子育てをその子どもの親だけのものにするのでなく、地域や社会がもっともっと手をかけていくことで、孤立した子育てから解放されることができ、結果として虐待を未然に防ぐことにつながるのでないかと私は考えます。
児童虐待相談件数が10年で約4.8倍になったのは驚きである。県別の内訳を見ると2009年のデータでは1位大阪府7,646件、2位神奈川県7,466件、3位東京都4,450件と大都市を持つ都道府県が上位に来ている。人口が多いため発生件数に関してはある程度は予想の範囲内ではあったが驚いたのは人口10万人あたりのデータである。大阪、神奈川に関してはこのデータにおいても1位、2位であることに変わりはなかったが東京についてはなんと26位にまで下がったのである。この差がうまれたことについてはっきりした理由は分からないが校内暴力発生件数と相関があることから小さい頃からこういった社会環境の影響をうけてしまったんだと考える。児童虐待を減らすためにインフラ整備を進めるとともに社会として意識を変えていく必要がある。
インターネットで児童虐待に関する記事へのコメント欄を見ると、虐待が起きた原因や背景には目を向けず、とにかく親の人格を否定するようなものばかりである。私も1年生の頃はこういった人たちと同じような考えを持っていた。2年生のときに児童虐待について勉強されている先輩がたまたま同じゼミにいらっしゃったので、虐待予防のための社会システムが追いついていないことを知ることができた。
虐待防止のためには、ただ単にそれが進んでいる国の政策を真似るだけでは十分ではない。日本には日本の、虐待防止策を考えなければならない。この記事のグラフで相談件数の上昇ぶりを見ると、現状の政策では不十分で、何か大きな改革をしなければならないことが感じられる。
この記事を読んで、まず虐待防止法が施行されて12年の年月が経っているにもかかわらず、児童虐待相談件数が右肩上がりになっているという事実に驚きました。虐待に対して後追いになって対処するこの法では虐待を根本的になくすのは到底不可能だと感じました。そこで記事にもあるようにグレーゾーン以下の分野への支援、つまり虐待を未然に防ぐ姿勢の強化が必要だと私は思いました。しかし、そのための人員がひどく不足しているのが日本の現状です。虐待問題の根本的に解決に向けて、児童福祉関係の人材の補強を社会全体として目指していくべきだと感じています。
児童虐待相談対応件数を見て、その増加率に驚きました。これでは、いくら児童相談所や児童福祉司を増やしても間に合わないでしょう。先生のおっしゃる通り、児童虐待防止法が事後処理のためのものになってしまっています。また、日本の児童福祉司はイギリスの20倍、ドイツの18倍新規児童に対応しているとのことですが、これは、海外と比べて日本での虐待件数が多いと言う事の現れではないかと思います。
虐待とは、宗澤先生のおっしゃっているように目に見えるようになってから対応するようでは遅いものなのだと思います。レッドゾーンの対応にばかり追われていても、根本であるグレーゾーンへの対処法ができなければ、児童虐待数の増加という現状は悪化するばかりでしょう。他国と比較した際の児童福祉士の圧倒的な不足もですが、保育所や保育士の不足も重要な問題ではないかと考えます。しかし、その一方で今の日本の若者は就職難に追われています。どうして人員が必要とされている傍らで、このように職に就けない人がこんなにも溢れているのでしょうか。今の日本は後期高齢社会となっていますが、それならばなおさら少子化への対応として、虐待の防止や、保育所・保育士の増加などをはかり、子育てがしやすい環境を国が作るべきではないかと考えます。
児童虐待相談対応件数の推移を見て何故右肩上がりが加速しているのかという疑問がわいてきました。これは何かしらの因果関係があるものと推測できると思いますが、自分が考えたのはやはり親の意識の変化だと思います。よく親が変な名前をつけただとか、子供がペットのように見られているという事例を耳にします。つまり虐待だけでなくそのようなところからも親の子育てに関する意識の変化がうかがえると思います。また変な名前ランキングとかを特集する雑誌編集者の気も知れません。他人が面白がってそのようなことを助長するようなことをしては、決して虐待防止に関してもいい方向に向かうとは思えません。
児童虐待防止法が、実際は虐待の防止策として機能していない、という事実に驚きました。しかし、この問題の原因を法自体に求めるのではなく、法の外側にある社会に向けるべきなのだと思います。虐待が起こり得る要因は様々なのだから、その防止策も本来は様々なものになるはずです。虐待を一つの法律だけで減らすことができるとは考えないで、社会全体が虐待の起こらないような環境を作るように努力すべきではないでしょうか。
学校は軽微な身体的虐待でも「重大な事態」であると受けとめ、児童相談所サイドは「学校の支援でもう少し頑張って欲しい」とする、というのは両者の考え方の違いもあるかもしれませんが、児童相談所の人材不足の表れだと思いました。
また、私は先生の講義を受けて初めて虐待というものの実態を知りましたが、小学校・中学校から虐待について学ぶ機会を設けるべきだと考えます。自分が虐待をする側にならないために、もしくはそういった人を助けられる人になるために、早いうちに虐待を知っていれば、そんな人が少しでも増えていくのではないかと思います。
データによれば虐待相談件数が年々増加している傾向にあるが、見方によればそれだけ多くの虐待が社会に露見されてきているということでもある。個人的に、十年前でも現在でも実際に起きている虐待の件数は大して変わらないと考える。それは、かつてはレッドゾーンやイエローゾーンなどあからさまに虐待だとわかるものしか扱えなかったからだと思う。現在も発見されてない虐待はあるだろうから、さらに相談件数は増えていくだろう。これからの課題は、施設と人員の充実とともに、虐待のグレーゾーンに位置する事例に関する対応を明確にしていくことである。ブログでもあるように、「不適切な養育」と「しつけ」の区別を明らかにすることが大きなポイントであると思う。そして、社会的な問題として一人ひとりが虐待に対する意識を高めていくべきだろう。
先日は講義にお越し頂きありがとうございました。なんとなく大学生活を送っているだけでは知ることができない、今の虐待の実情と問題について知ることができました。まず驚かされたのは、児童相談対応の数が年々増え続けていて、平成2年から数えるとその数が約50倍にもなっていることです。しかもこれは氷山の一角にすぎないと先日はおっしゃいました。児童相談の対応数にあわせて児童相談所と福祉司の数も増加し、対応は良くなっているものの防止には至っていない、水面下のグレーゾーンには何も対処できていない現状はあまりにも絶望的ではないかと思ってしまいました。そして、もし虐待かもしれないという微妙な状況を目の当たりにしてしまったとき、自分ならどうするだろうとふだんあら考えておかなければ、萎縮してとても行動には移せなかっただろうと思いました。今はもう大丈夫です。
子どもに対する体罰に関しては、私も先生とほぼ同じ意見ではないかと思います。日本の、しつけと称した体罰文化は滅びてしかるべきです。どこからがしつけで、どこからが体罰かなんて議論の答えが出るはずがありません。
障害者虐待についての内容になると、不謹慎かもしれませんが、どこか納得してしまう箇所がいくつかありました。まず、虐待関係にある親子は互いに依存しているという指摘についてです。故に、まずはその親子を分離保護すべきだという意見には納得させられました。また、障害者の子どもに健全な兄弟がいる場合の状況は少し共感できる部分もありました。同じ状況の親戚が実家のすぐ近くにいるからです。弟のかたに知的障害があるのですが、兄のかたには私が幼い頃からとても可愛がってもらっていて、優しいかたなだけに少し心配になりました。(まだそのご両親は健全です。)
私も、 今の現状を変えるためには、今までの固定観念を捨てていかなければならないと思います。その固定観念とは、先生のおっしゃる通り"障害者なんだから何もできない、説明しても無駄"といったものでしょう。わかりやすいようにすることは当然で、それは差別ではないと思います。虐待を示すピクトグラムは一目で何を表しているかがわかり、私には画期的に思えました。それらピクトグラムは障害のあるなし関係なく見つけにくい虐待の発見にも役に立つでしょう。そうやって、少しでも私たち健全者と障害のある人たちとの差を埋め、平等な権利を共有していかなければならないと思いました。
このようなことを考えるきっかけを下さった宗澤先生、そして古賀先生、ありがとうございました。
先日の北九州市立大での講義を拝聴し、改めて虐待の問題は根深い問題であることを実感致しました。特に、しつけ・虐待と体罰の関係の図はとても分かりやすく、このように理解すればよいのかと大変勉強になりました。
以前からしつけと称して体罰を容認する風潮に対し、体罰と虐待とでは何が異なるのかと疑問に感じておりました。人様々な方法でしつけを行いますが、他人の方法についてあれこれ口を挟むことは難しいと思います。しかし、頬を叩いたり晩御飯を抜いたりといった方法のしつけを、しつけとして認めてもいいものなのか疑問に感じていました。
このような「しつけ」は小説やテレビドラマなど、ありとあらゆる場面でしつけとして描かれています。冷静に考えれば、頬を叩くことは暴力であり、虐待である、晩御飯を食べさせないということは育児放棄でもあり、子どもの人権を踏みにじる行為だと判断できます。けれども、さも当たり前のようにしつけとして紹介されると、「そうか、これはしつけであり体罰なのだ」と認識してしまうのです。ある種の集団心理が働いてしまうのかもしれませんが、私はこのようにしつけ、体罰、虐待を混合して認識してしまいがちでした。
しかし、それはすべて体罰を良しとする前提の上で成り立つ認識だと思います。体罰を行わずともしつけや教育を行うことは可能です。それならば体罰と虐待とをイコールで結び、どちらも悪とみなすことが必要となると思います。そうしてこの考えを一般化させることが必要だと考えます。
いわゆるグレーゾーンにいる人は、私のようにしつけと体罰・虐待との区別がついていないのだと思うからです。自分の行っていることがしつけではなく虐待であると認識すれば、周囲に相談するなり方法を改めるなどの策を取る人が増えると思います。社会的虐待も同様に、自分が虐待をしているという認識が薄い、またはないために生じてしまっているのではないかと思います。
虐待をしている、差別をしている自覚がない場合が1番問題だと私は考えます。体罰は虐待と同じものだという認識が普及すれば、少しは自覚のない人も減り、虐待が表面化してくるのではないかと思いました。
宗澤先生の講義の中で、現在は虐待対応に追われるばかりで、虐待防止には至っていないとありましたが、それが現状だという事に驚きました。児童虐待で、児童相談所が対応するのは、主にレッドゾーン、イエローゾーンに当てはまる緊急を要するケースであり、グレーゾーン以下に対しては、事実上ほとんど何もなされていないという説明を聞き、現在のままで良いのだろうかと考えさせられました。確かに、グレーゾーンに入る不適切な養育が、果たしてどこからどこまでなのかは人によって境界線が違うし、親がやってないと主張した時にレッド・イエローゾーンの時とは違い、それ以上踏み込む事が難しい場合もあると思います。しかし、グレーゾーンの時に少し踏み込みすぎる位の対応をしておかないと、後に、上のゾーンになってしまう危険性があるので、グレーゾーン以下を放置せず、十分な対応をしていくための体制を整えていく事が不可欠だと思いました。
また、意思決定支援についての所で、障がいのある人たちは、今まで対等で平等なコミュニケーションが保障されてこなかったという点がとても印象に残りました。多くの人々が、障がいのある人たちとのコミュニケーションに対し困難なイメージを持ち、コミュニケーションをする以前に、それを避けてきたように思います。しかし、講義を受けて、伝えようとする姿勢を持つ事の重要性に気付かされました。
私は今回初めて、虐待事実確認用ピトグラムについて知ったのですが、このピトグラムが広まっていけば、言葉ではうまく伝えられない障がいのある人たちも、自分で自分の受けた虐待を伝える事ができるので、虐待の早期発見や迅速な対応にもつながると思いました。多くの人々にとって、コミュニケーションは言葉によるものというイメージが強かったため、障がいのある人たちに対して伝えてこようとしなかったし、また、伝えてもらおうともしてこなかったように感じました。ピトグラムのように、言語以外の意思疎通の方法が多くの人々に認識されるようになっていく事は、障がいのある人たちに対する社会のイメージの変化や障がいのある人が二十歳になった時、大人として社会の一員に迎えられる事へとつながって行くと思います。
コメント失礼いたします。このブログを読み感じたことはどれだけ自分が虐待という事実から離れた環境で育ってきたかを実感しました。児童虐待は学校の先生になるうえで必ず抱える大きな問題であると思っています。数値でありましたが、児童虐待相談対応件数が10年間で著しく上がっていることをこのブログを読んでわかりました。もし先生になったとき、生徒が虐待にあっていたらと考えたとき、私は真っ先に生徒の意見、伝えたいことに耳を傾け親身になって対応する必要があると感じました。たしかに、一人ひとりに対応するのはかなりの負担ですが、児童福祉士も少ない今、教師がそういったことに関心を持つことが必要だと感じます
今回の記事である「児童虐待防止法の実態」を読み、私は「児童虐待防止法」の存在は知っていたが、その内容や実態について始めて詳しく学び、知ることができた。私自身、「教育」は大変大切なものであると考えているため、他の福祉関係施策と比べて、虐待に関する対策が力を入れていないように感じるものであったというのは非常に残念であると思った。また、ここではイギリスやドイツというように外国と比較して、児童福祉司の負担が何倍もあるという事実が見えてくることは、比較することが大変重要であるということに気付けるとともに、虐待に対する対策がまだまだ不十分であると明確にすることが出来、大切なことだと思った。さらに児童福祉司の配置にみる地域格差の大きさにも驚いた。様 々な問題があると思うが、児童福祉司の数を増やすことは早急に行うべきことであると思った。その上でもちろん地域格差も無くさなければならないと感じた。今の現状では、限られた人員でかつ「児童虐待防止法」によって虐待認定される事案でないと児童相談所が中心となって対応できないが、児童福祉司が増えることで、今まで扱われなかった事案についても対応できるようになると思う。しかし、最も大切なことは虐待を未然に防ぐことが大事である。そのためにはやはり、法的に虐待と認定されるもの以外の「不適切な養育」と「しつけ」との違いを明確にし、さらに虐待の発生関連要因に関する実態に迫る研究を進めるべきである。そうすることで虐待の数を0に近づけることが出来るのではないかと私 は考える。
児童虐待の相談対応件数がこんなにも増えていることにとても驚きました。この増加は単に情報技術が発達して、明るみに出る事例が増えたというような増え方ではないということがとても恐ろしく思います。この増加の原因は、記事でも述べられているように虐待発生の要因が明らかにされていないからなのでしょう。また、虐待が親から子へ、またさらにその子へと連鎖してしまうということも増加の一因になっているのだと思います。虐待の連鎖を断ち切るには、親以外の大人との関わりが重要になると思います。児童福祉士の人員不足も踏まえると、その役割を主に担うのは教師になると思います。
虐待の原因解明を目指すと同時に、人員の人数・能力においての更なる充実が課題となるでしょう。
虐待相談対応件数が増えたということは、日本国内で虐待問題に敏感になってきたということだと思う。だが、イギリスやドイツに比べると相談員の数は極端に少なく、日本はまだまだ虐待問題を甘くみているのだと思う。最近、広島市の少女たちによる死体遺棄事件があったが、その少女たちの中で虐待やネグレクトを受けていた人が数名いると知った。児童虐待に対してきちんと対応しなければ、将来そのような形で出てきてしまうかもしれないのだ。社会にも悪影響を及ぼすだろう。虐待問題について私たちはもっと真剣に考えるべきだと思う。
厚労省が力を入れ、少子化も進んでいるのにもかかわらず、児童虐待の数が増えているのには疑問を感じます。児童虐待が発生しやすくなっている社会になっているということでしょうか?それならやはり、虐待の対応に力を入れるのではなくて防止に力を入れるべきだと思います。特に、親や教師が無自覚で起こす虐待などは発見も難しく、そうであれば対応することもとても難しいと思います。何が原因でこういったことが起こるのかの研究は非常に重要だと思います。起こってしまったことをどうにかするのも大切ですが、現状人員が圧倒的に不足し、対処が間に合わない状況で、ただむやみに人を増やしたところでどうにかなる問題でもないと思います。やはり早期段階での発見あるいは、虐待の怒らない環境づくりに力を入れたほうが私は良いと思います。
先日は講義をしてくださってありがとうございました。日頃ニュースなどを見ていて虐待に関する報道をよく見たり聞いたりすることが増えたなと思ってたのですが、ここ10年間で児童虐待相談対応件数が4.8倍も増えているということは知らなかったので驚きました。また、今回の先生の講義を聞いて今まで虐待問題について表面的な部分でしか知らなかったのだなということを改めて実感させられました。特に講義の中で本当に大切だと思ったことは、虐待が起きてからの対応だけではなくその虐待の発生関連の要因を解明したうえでの防止策に目を向けなければ本当の意味での虐待防止にはつながらないということでした。しかしながら、児童相談所の人員不足であったり、虐待の早期発見は難しいということから目の前の虐待の対応にしか目を向けざるを得ない現状があるなかで、その地域や機関だけではなくもっと社会全体の問題として考えていかなくてはいけないと思いました。
また、障がい者の虐待問題についてもとても考えさせられました。特に障がいのある人とその養護者・支援者の二者関係が共依存の関係になりやすいことから虐待のケースに発展しやすいということを初めて知りました。こういった関係性の場合、障がいのある人にとって養護者・支援者が生きがいであったり存在理由になるため第三者がそこに介入して支援をするといったことが難しいことから、二者関係の中で適度な距離を保つことがいかに重要であるかということを知りました。法律では、障害者虐待防止法が2006年に制定されましたが、これは障がい者の人権を守るための第一歩にしか過ぎずまだまだ改善しなければならない点が多く残っていることから、虐待防止のための十分な実効的施策を真剣に考えていくべきだと感じました。そしてもっと一人一人が障害者問題について問題意識を持つことでより良い法整備が図られることにつながると思います。これまで虐待問題で障がいのある人に目を向けることがなかったのですが、今回の講義を聴いて障害者虐待の現状を知り、もっと深く考えていかないといけないと思いました。
児童虐待が年々増加してきているにも関わらず、日本は具体的な政策を行っていないという実態に疑問を感じた。また、日本では児童福祉司を増員しているが、他の国と比べたら約10倍もの負担があるということに驚いた。それほど、日本は児童虐待に対して曖昧な対応しか行ってこなかったのだと思った。虐待を予防するためには、虐待や不適切な養育などに当たるグレーゾーンを明らかにしていく必要があると感じた。そこを明確にし、地域と学校がうまく連携していくことで、虐待を見逃さずにすむと思う。そして、虐待にあっている子どもたちを守っていく必要があると感じた。
児童虐待防止法がなされてから児童虐待相談対応件数は次第に増加していて、今回の記事には平成22年度の件数は平成11年度の4.8倍の56384件とあり、22年度の増加数を見てみるとこれからもその数は減少するとは考えられませでした。24年度の件数を調べてみたところ速報では66807件としてあり、やはり件数は一向に落ち着かない。これを見ると改めて防止策は早急に打たなければと思わせられました。しかし児童相談所と児童福祉司の件数も年々増加しています。にもかかわらず、虐待の件数がそれにも増して増大しているためか、保護される子供の生活環境が悪化していることを考えると、やはりさらに力を入れるべきなのは虐待の防止だと感じました。
防止のためにネットワークが必要というのがあり、学校とで連携するというのが今回の記事でありました。しかしその連携がうまく取れていないためか亀裂が生まれようとしている。お互いがお互い勝手に妥協して、やること押し付けているようでは状況が改善することはあり得ません。ですからこのお互いのできることを明確とし、もっと確かな信頼を持てるような決まりごとが必要なのではないのでしょうか。少なくとも児童が苦しんでいる、その一歩前の場でもめているよりずっと劣悪な環境から児童をまもることからできるのではないでしょうか、このようなことを課題にするのは間違っている、私もそう思います。
児童相談所で対応に優先度があることに驚きました。確かに身体的損害虐待を受ける子供たちの保護は早急に行わなければならないとは思いますが、それでも心理的虐待も虐待の一つであるため、早急に解決しなければならないと思います。1番は子供に不快な思いをさせることなく親がちゃんとしつけることだと思いますが、そううまくいきません。親がちゃんとした子供のしつけ方を子供を産んだ時点で学び、児童保護施設の相談件数を減らすことで優先度がなくなり、平等に対応することができるのではないかと思いました。
児童虐待相談対応件数が年々増加しているということは、虐待をするということ自体が増えているということもあると思いますが、今まで虐待だと認識されなかったことが虐待であると認められたり、よそのおうちのことだから見て見ぬふりをしていたことだけど・・・というような場合も出てきたのだろうと思います。だから実際に起こっている児童虐待の件数は報告されていないものも含めてもっと多いんだろうなとおもいました。児童虐待を事前に防止するために児童相談所が中心となって一般の子育て支援策や学校教育などでネットワークが形成されているようですが、グレーゾーンを含む不適切な教育や虐待が発生する詳しい原因などがわかっていないのでそれに対応する予防策が機能しないことはどうにもしようがないと思いました。だから虐待に対して事前に予防することよりも、虐待が起こってからそれにどう対処するかということのほうが多くなってしまうのだろうけど、これではいけないことは明らかなのでもっと多くの人々が社会で協力し合ってい考えていかなければならないことだと思いました。
はじめは児童虐待をする親はある種の特定の親という固定観念が私の中にありました。なぜ自分の子どもを虐待してしまうのか理解できなかったのです。しかし虐待してしまう親がみな鬼のような親なのではなく普通の親であるということ、また虐待の背景に社会問題や家族のかたちの問題があることを講義を経て理解しました。だからこそこの問題は根深く解決が難しいのでしょう。虐待の危険度が高い子どもが優先されるのは当然ですが、危険度が高まるまで対策が待たされてしまう子どものことを考えると非常にもどかしいです。
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