機能しない刑事司法・報道
姉を殺害したとして起訴されたアスペルガー症候群のある男性の裁判員裁判で、大阪地裁(河原俊也裁判長)は7月30日、検察側の求刑懲役16年を上回る懲役20年を言い渡しました。この判決は、日本の「機能しない刑事司法」の典型であるように思います(2012年7月9日ブログ参照)。
この男性被告は、小学校5年生で不登校となって以来、約30年間自宅に引きこもる生活となり、「自立を促した姉に恨みを募らせた」末に姉を殺害しました。大阪地検の精神鑑定によってアスペルガー症候群のあることが明らかにされていますが、判決は「社会にこの障害に対応できる受け皿が用意されていない現状では、再犯の恐れが強く心配される」ので、家族が同居を断っているならば、「許される限り長期間刑務所に収容し、内省を深めさせる必要がある」として「殺人罪の有期刑の上限で処すべき」であり、「それが社会秩序の維持にも資する」としました(8月1日付読売新聞・毎日新聞の朝刊より)。
8月1日の毎日新聞朝刊の社説は「発達障害者判決-厳罰より社会支援を」と題し、2005年発達障害者支援法の施行以降、全国に発達障害者支援センターが設置され、福祉サービスを活用しながら地域に暮らす発達障害者は大勢いるし、「罪を犯した障害者についても地域生活定着支援センターが全都道府県に設置されて」おり、「国内の刑務所には、発達障害の特性に合った矯正プログラムがほとんどない」のであれば、「地域の施設で立ち直りを図ることが結果的に社会の安全につながる」と主張しています。
また、8月3日には「共生社会を創る愛の基金」は、同判決に対して「アスペルガー症候群についての認識に重大な誤りがあり。発達障害者の矯正に結びつかない」との意見表明を出し、有期刑の上限を相当とした判決内容にも「受け皿を各地で拡充する取り組みは進んでいる」し、「判決は『危険な障害者は閉じ込めておけ』というもので、隔離の論理だけがまかり通っている」と批判しています。
被告男性を、「長期間刑務所に収容する」ことをもって「内省を深めさせ」て、社会秩序を維持するという判決内容は、率直に言って、耳を疑います。独特のこだわりやコミュニケ―ション障害のあるアスペルガー症候群の被告が、刑務所内で「内省する」支援の保障もなく過ごすのですから、20年の刑期を終えて出所しても再犯するリスクは残るでしょう。この判決は、犯罪防止に資する内容をいささかたりとも持っていないと思います。
その上、新聞報道と基金の意見表明に対しても、さまざまな疑問を私は抱きます。触法障害者やアスペルガー症候群のある人に関する「一般的な処遇方針」を主張しているだけで、殺人という重大犯罪を直視して汲み尽くすべき特定の事実にもとづいて、重大犯罪の防止に資する論説が展開されているとはとても受けとめることができないからです。
まず、この重大犯罪がどのようにして発生したのかを明らかにすることが議論の出発点ではないのでしょうか。とりわけ、アスペルガー症候群のある男性の引きこもりに対して、30年もの間、社会的支援が届かずになぜ家族任せになっていたのかを論点に据えなければ、犯罪防止の取り組みに資する議論にはつながらないでしょう。引きこもりが現在の深刻な社会問題であれば、なおのことです。
2005年以降は発達障害者支援センターが設置されているとしても、これらセンターの支援は、30年間も引きこもりをしてきた触法障害者に対して機能するだけの十分な体制にあるとは言い難いし、歴史の浅い地域定着支援センターがアスペルガー症候群のある重大犯罪者の社会復帰支援プログラムをもっているということも考えにくいというのが実態なのではないのでしょうか。
岩波明著『精神障害者をどう裁くか』(2009年、光文社新書)は、「心神喪失」「心神耗弱」を規定した刑法39条と、それに関連する触法精神障害者の処遇の問題について論じた労作です。ここには、「アスペルガー障害において責任能力をどう考えるかについては、意見の一致は未だ得られていない」との指摘があることからすると、報道機関はまず、大阪地裁の精神鑑定の内容について詳細に明らかにする責任があったと考えます。
岩波氏は、「殺人」や「放火」の重大犯罪の加害者において精神障害者等の比率は極めて高く、「心神喪失や心神耗弱が認定されて不起訴となったり、公判で無罪となったりした場合、どこかやりきれない思いが残ることは少なくない。精神科医の視点からみても、裁判所の精神障害者に対する判断は、時に過剰なほど過酷であるとともに、別の場合には『刑が軽すぎる』という印象を抱かせる」と指摘します。
「欧米においては、触法精神障害者の処遇に関して、司法機関と医療施設がお互いに協力しながら解決を図っていく方法がとられてきた」が、わが国においては「現実に即した真剣な議論はほとんど行われてこなかった。精神障害者が重大な犯罪を犯したとき、ジャーナリズムはいっときは大きな問題として扱うが、たいていすぐに忘れられてしまう」。
こうして、一方では、「危険な加害者を野放しにしている」との非難から厳罰化を求める声が高まり、他方では「人権派」の弁護士や精神科医が触法精神障害者に対して特別な規定を設けることは人権無視だと反対を唱えるため、重大犯罪を犯した触法精神障害者の実態にふさわしい司法関与による枠組を持った治療システムの整備が放置されてきた問題点を明らかにします。
重大犯罪を犯した触法精神障害者の治療と社会復帰には、一般の精神医療の改善や充実に解消しきれない課題があるため、「一般の精神医療を充実させることは必要であるが、だからといって触法精神障害者の治療をおろそかにしてはならない。この両者は片方だけがあれば十分というようなものではなく、ともに補い合うものである」とする岩波氏の主張には説得力があると思いました。
冒頭の大阪地裁の判決報道に対するツイッターの「つぶやき」の多くは、障害と犯罪にかかわる無理解や偏見に溢れています。被告人の「育て方に問題があるだろ」や「この判決はナチスだ」など、客観的な根拠をまるで提示しない皮膚感覚的な言説が飛び交っています。それだけに、裁判所の判決も報道機関も、自身のこれまでの過ちに関する「内省」と事実への深い洞察を重ねた上で、犯罪防止に資する論点と知見を提示することが求められていると考えます。
コメント
近年裁判員制度も導入され、以前よりは多少事件そのものや少し掘り下げた部分について個人間で客観的に考えることが増えた。しかし発達障害者や精神障害者について、一般の人々ないしは社会がその実態や本質を理解しているとは言い難い。このブログを読んで印象的なのはやはり日本の福祉面における影の部分、程度の低い理解現状だ。現代は福祉大国が名を連ねる北欧でも、かつては精神障害者や同性愛者を劣性な人間とみなし、本人の意思に関わらない断種手術、牢獄同然の精神病院への入院等の苦い過去を持つ。しかし多くの人が柔軟に多様性を受け入れ、どうすればお互いを認め合い共存できるのかについて真剣に討議がなされた結果として今日の福祉大国がある。日本においても国民自ずから知識を得ようとし、国もその意思に応えねばならない。無知や知ったかぶりの上辺の知識で人が裁かれるような国ではいけない。
昔に比べると随分差別や偏見は減ったように思われる。しかしその分情報は簡単に手に入るようになり“共通する誤解”や“誤った常識”が大手を振るようになった。根強く残る差別の片鱗や無意識に存在する固定観念を消し、各人が深く理解することこそ正しい福祉現場への最短の近道である。
わたしは、以前からアスペルガー症候群に興味を
持っていましたが、この記事を読んで、
改めてアスペルガー症候群の人に対しての
社会の対応について改めて考えさせられました。
姉を殺してしまったこの男性被告に対しての
求刑は、日本の機能しない刑事司法の典型で
あると私も考えます。アスペルガー症候群の
人に対応する社会の受け皿が用意されていない
から、社会に出してしまっては再犯の恐れがある
という判決は間違っているし、障害者に対しての
差別だと思います。しかし、一方で現実問題、
いまの社会は、アスペルガー症候群などの
障害者が住みよい社会とは言えないと思います。
この男性被告も、家族が同居を拒み、30年間
自宅に引きこもっていました。そういった助けが
必要な人に対して社会は気づき、支援することが
できなかったのか、それが大きな問題だと
考えます。そのため、これからの課題としては、
障害者が隔離されないように環境を整え、
罪を犯した障害者に対しての社会復帰の支援を
徹底することです。
これから、精神に疾患を持った人の犯罪と
いうのは増えてくると思います。そのときの
正しい対応がいま社会に求められている
課題だと考えます。
私もこの大阪地裁の判決には大きな問題があると思う。この判決内容では、裁判官も裁判員となった人も発達障害について無知であったうえに、被告人の発達障害の状態を把握してすらいなかったのだろうかと思われても仕方がない。日本国内の刑務所に発達障害の特性に合った矯正プログラムがないのにもかかわらず、長期間刑務所に収容し、内政を深めさせるというのは不可能であるし、被告人が更生し社会に復帰させるということを全く考慮においていない。
判決以上に問題があるのは、日本国内の刑務所に発達障害の特性に合った矯正プログラムがないことであると考える。刑務所は犯罪者を更生し社会復帰させる場である。健常者でも発達障害者でも同じ人間として更生させられるシステムをいち早くつくることこそが求められる。
長期間刑務所に収容することによって、被告に内省を深めさせるということは、私も不可能だと思います。また、そのような人たちへの社会の対応が不備である現状に疑問を感じました。30年間も自宅に引きこもり、社会的支援が届かないということに日本の社会的な問題があると思います。また、刑務所に発達障害の特性に見合った矯正プログラムがほとんどない点も問題であると思う。そのプログラムがないのに、20年間も刑務所に収容されるのは、被告が更生されるわけがないと思う。
私はアスペルガー症候群という障害をこの記事を読んで初めて知りました。この障害に限らず、私たちは障害の表面上だけではなく、細部まで認識する必要があります。
受け皿が少しでも早く拡充してよりよい社会になれば、少しでもそのような犯罪が減るのではと感じました。
アスペルガー症候群でない者がアスペルガー症候群の人のある種常識的でない考え方、行動を理解するのは不可能である。つまり、裁判官が健常者と精神障害者との差異をしっかりと把握したうえで判決を下すのは困難である。しかし、それでも正しいと思われる、もしくは理想的である判決は下され続けなければならない。今回の件はまさに、差異の把握が全くできていない判決と言えるだろう。
今回の判決は「(アスペルガー症候群に対する)受け皿のそれほど多くない社会より、刑務所のほうが内省を促し、再犯を食い止めることができる」といった内容も含んでいる。しかし、私は記事内で宗沢教授がおっしゃるように、このような障害を持つ人が刑務所に長くいたからと言って、再犯するリスクが減るわけではないと思う。むしろ、被告の今後のサポートを考えるのであれば、どんなに小さくても社会の受け皿に触れる機会を増やしたほうが良いのではないだろうか。いずれにしても、司法の中での精神障害者の処遇は今一度見直されるべきだと私は思う。
この判決は、懲役年数の長さについては知識がないので判断のしようがないが、その判決に至った理由に疑問を感じる。「社会にこの障害に対応できる受け皿がないため再犯の恐れがある。」確かに受け皿が十分ではないということは分かるが、それを再犯の可能性につなげるのはおかしいと思う。またこれを理由として、懲役年数を判断し、「長期間刑務所に入れ内省を深めさせる。」ここに少し引っかかるものを感じる。刑務所にいる期間が内省の深さと比例するかと言えばそれはまた違うと思う。発達障害に対する社会の認識であったり知識不足は否めないが、今回の判決内容にもある、「社会秩序の維持にも資する」という言葉には驚きを感じた。この言葉は発達障がい者が社会にとって秩序を乱す悪者であると言っているように聞こえる。発達障がい者の社会的地位の確立、これが容易ではないことは分かる。ただそこに向けて社会全体がサポートし合う取り組みがとても重要であると考える。
社会にアスペルガー症候群に対応できる受け皿がない為に、許される限り被告人を長期間刑務所に収容するという考えは被告人の人権を無視していますし、被告人を刑務所に閉じ込めるということは社会のアスペルガー症候群への対応を遅らせるだけだと私は思います。社会は様々な人の為に多用な受け皿を持つことが大事だと思います。それらを生み出すのは国民の声だから一人一人が客観的根拠のある考えを持ち、声をあげることが大切だと考えました。
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