錦の御旗
埼玉大学は、教育学部を除き、新年度の学年歴において、前期の授業を土曜日にも割り当てることとしました。土曜日に開講することによって前期授業期間を短縮し、猛暑になる7月中旬までに前期授業を終了し、電力需要の抑制という社会的要請に応えることとしたのです。理系の実験を伴う授業の中にはかなりの電力を要するものもあります。そこで、計画停電や大停電を回避しつつ、望ましい環境の下で教育と研究を進める観点からは、学生・事務職員・教員に負担があるとしても、土曜開講は必要で止むを得ない措置であると考えます。
土曜日のキャンパスに大勢の学生が
なぜ急ぐ? 大飯原発の再稼働
現在、電力需給のひっ迫は全国で切実な問題となっています。
それでも、関西電力大飯原子力発電所の再稼働に向けた政府の決定には、多くの報道と有識者から疑問の声があがることとなりました。たとえば、日本科学者会議は反対声明の中で、(1)政府の事故調査・検証委員会による東京電力福島第一原発事故の調査が終わっていない、(2)地震や津波に対する原発の余裕度を調べる「ストレステスト(耐性検査)」が2次評価まで終了していないことなどから、大飯原発の再稼働と現存する全原発の廃止を求めています。
原発再稼働に対する疑問の声は、再稼働のための検討に必要不可欠な新しい安全評価基準が、福島第一原発の重大事故の教訓を踏まえて科学的に明らかにされていないにもかかわらず、再稼働の決定を優先させることに焦点があります。政府の説明から私が理解できるのは、関西電力管内の電力受給について、「一昨年並みの猛暑で原発が再稼働しないと18.4%の供給不足が発生する」から「再稼働が必要だ」という点だけです。
昨日に催された新東名高速道路の開通式で、国土交通相は「東海・東南海・南海の3連動地震がいつ起こるか分からないとき、新東名の開通は国にとっても安心だ」と来賓挨拶の祝辞を述べています。その一方で、政府は、大地震の際の指揮拠点となる免震棟の完成を大飯原発の工程表で2015年とするのを容認し、現時点で「安全性が確保されている」として再稼働を認めるというのですから、政策の間尺はまったく合っていません。
「錦の御旗」の本性
では、どうして「夏場の電力不足を回避する」ことを「錦の御旗」にするのでしょうか? 仮に既存の原発を廃炉期限までは使うとしても、地震・津波大国である日本の「国民の生命と安全を守る」ことを最優先課題に据えて、原発の今後の運びを熟慮するのが当たり前ではないのでしょうか? 東海・東南海・南海の3連動大地震が懸念されているのだから、これまでの安全基準の延長線上で、最悪の事態が再び発生する事態ともなれば、日本中が放射能汚染で廃土になる危険性はないのでしょうか?-「国敗れて、原発あり」と。
原発再稼働を急ごうとする背後には、(1)立地自治体の首長と住民に原発産業の利害関係者が多くいるように、原発は地域経済を左右する産業であること、(2)わが国の原発産業の核心には今後の原発の設置と輸出に巨大な利害をもつ多国籍資本が存在すること、(3)わが国経済が萎縮する向きを強めかねない「もったいない精神」による節電の進展は、経済界のホンネでいえば回避したいこと等が、政策目的の柱に据わっているように思います。
つまり、「錦の御旗」の本性は「経済成長」にあるのです。
経済成長至上主義の再検討-3.11から学ぶべきこと
当面の電力需給を原発の再稼働によって乗り切り、経済の萎縮を回避することによって、中長期的には「原発に依存しない経済にする」などという主張も、二枚舌の相当怪しい言説です。東日本大震災と福島第一原発の重大事故から学ばなければならない私たちの教訓は、「原発を基幹電源とする際限のない電力供給」を至上命題としたこれまでの経済と社会のあり方を、今一度根底から再検討しなければならないことにあると考えます。
「際限なく、湯水のように使える電力の供給」を等閑に付したまま原発から他の電力源に変更しても、わが国では新しい型の自然破壊に行き着くだけかも知れません。
地熱発電を国立公園の中でも可能とするような規制緩和は、どのような派生的問題をもたらすのかが何も明らかではありません。地中における熱エネルギーの循環を人為的に操作することによって出来する問題についての研究は、果たして進んでいるのでしょうか。素人の私が想像するだけでも、地熱を発電のために奪っておいて温泉の熱源は果たして維持できるのか、風光明媚な国立公園の自然環境への悪影響がどのようなものなのか等について、疑問が次々と湧いてきます。
風力発電にしても、風力の強弱に伴う発電量の変動をどのようにクリアするのかという技術的問題だけが課題なのではありません。
日本列島は、野鳥の生息地や渡り鳥のルートの点で、地球全体の中でとくに重要な位置にあります。そこで、わが国で風力発電に有力な風の通り道と期待される地域は、猛禽類の棲息地(ワシタカ類は常に風のある地域だからこそ上空飛翔できる、簡単に言えば「風に乗って生きる」鳥)、渡りのルートと集団渡来地(渡り鳥は風を味方に渡る)と重なることが多くなるのです。そのため、環境保護のアセスメントに抜かりがあっては風力発電の推進はできないのです(日本鳥類保護連盟編『鳥との共存を目指して』、166-169頁、中央法規出版、2011年)。
昨年の今頃、一部のエコノミストの中には、全国各地で「桜祭り」等が中止に追い込まれる事態に対して、「経済を萎縮させるだけだから、このようなときこそ安心して消費を増やすべきだ」と主張する人が結構いましたね。このような経済成長至上主義者は、赤ちゃんの粉ミルクに必要な安全な水がなくて困り果てた大勢の親御さんたちや、農作物・水産物の放射能汚染による被害に人生を打ち砕かれている人たちの痛みを一顧だにしない「ベニスの商人」のようにみえてきます。
「錦の御旗」ではなく「ジレンマ」そのものに眼を向けよう
そして、国民の安全と経済成長という二つの両立し難い課題の狭間にあって、この難局を一身に背負って前進させようとしているのだという苦衷の表情を演出する政治家もいます。それは、ジレンマの渦中に身を置いて頑張る自身の姿を国民へのアピールとするか、さもなければ、自らを正当化する果てに自己陶酔する見苦しい姿に過ぎません。
一般に、集団の中で優位な立場にある者は、優位性の自覚の有無に拘らず、自身にとって両立し難い複数の課題の狭間に身を置くと、誰の目にも正しく映りそうな「錦の御旗」をかかげて、他者に不利な交換条件を強要し、あるいは他者を支配・抑圧しはじめることがあります。しかも、このような支配者は、ジレンマにあえぐ苦境のさなかで頑張ろうとする姿に自らの役を演出するか、酔いしれるのです。
私たちが眼を向けるべき点は、「錦の御旗」にあるのではなく、ジレンマをめぐる複雑な客観的構造の理解と、それにもとづく処方箋の合理性ではないでしょうか。ポピュリストは、ときとして特定の利害から、〈A⇔B〉というように単純化したジレンマの構造を提示します。現実の矛盾はもっと複雑で、通常、民衆に十分な情報が伝えられていないところに合理的な処方箋の鍵があるものです。「税と社会保障の一体改革」を吟味するためにも、この視点が重要であると私は考えています。
コメント
先日、大学の帰りに新宿駅西口で『原発について、賛成か反対か』というアンケートをしていました。先生の仰る通り、184%の電力不足と言われたら、賛成せざるを得ないと思いますし、原発の被曝被害を考えたら反対に傾くとも思いますし、どちらにせよ世論というか、起因するメディア次第なのかな、と思います。つまり、国民の原発賛成反対についての判断基準が自分の価値判断によるものでなければ原発問題も解決しないと思いますし、メディアのおいしい"タネ"になったままなのだと思います。
原発はすべて廃止にすべきだと私は考えます。ほかの講義で福島原発についての話を聞いたときに、福島原発は大きな地震や津波がきても発電所の機能がそこなわれないように十分余裕をもってできていると言われていたことを知りました。しかし、3.11の事故を受けて、そのことは全くの嘘であるということがわかりました。原発の安全性に100%はないことが判明し、これから先、今回のような大地震が日本を襲うことは目に見えています。これらの条件がそろっていて、どうして原発を稼働し続ける必要性があるのでしょうか。確かに日本における原子力発電の占める割合から考慮すれば、原発廃止をためらわざるを得ません。しかし、日本には世界屈指の科学技術があります。今こそ、それを存分に発揮すべきではないのでしょうか。難しいと言われている風力発電、地熱発電だって日本の技術なら原子力発電を補えると思います。脱原発の安心、安全な日本を信じたいです。
私は大飯原発を含めて原発を一部再稼働すべきだと考える。原発は今の日本に必要な電力供給源である。たしかに福島第一原発事故を考えると危険であるし、確実に安全であるとは到底言えない。原発近隣の住民及び日本国民の多くが反対するのも理解できる。しかし今夏の電力不足は大きな問題であり、原発なくしては電力不足を回避することはできない。そうなれば日本国民の暮らしはもちろんのこと、産業界・経済界に多大な影響を与えるであろう。そうならないためにもここは原発は危険であると認識したうえで、一時的に原発の再稼働は認めていくべきではないだろうか。また、原発は比較的に二酸化炭素をあまり排出しないクリーンなエネルギーである。「原発に依存しない経済」を目指すよりは、地球温暖化問題も見据えたうえで「クリーンで安全な原発を使用した経済」を目指すべきだ。問題は数多く山積しているが、日本の技術力によって原発が安全に使用できる日がくることを信じている。
ついに昨日,大飯原発が再稼働した。私は,現時点で原発を再稼働することには反対である。原発が動かない分,今までよりも電力が不足しているのは理解できるが,原発の安全性に疑問を感じるからである。先日の野田首相の会見では,「二度と原発事故を起こさせない」というようなことを言っていたと記憶している。福島の事故の前からあった日本の原発の安全神話というのは,事故によって崩れ去ってしまったのに,一体何を根拠に事故を起こさせないと言ったのだろう。危険なものを危険なものときちんと認識して,万が一のときに備えてしっかり対策をしておくからこそ国民の安心は生まれるのに,危険なものをただ根拠もなく安全と言うだけで,国民が安心し,再稼働に納得するはずがないと思う。
私は福島出身であり、原発に近いところに実家がある。今もなお、故郷に帰れない人々はたくさんいる。それにも関わらず、まるで福島原発事故は終息したかのようにし、大飯原子力発電所をその安全性が確かでないにも関わらず、再稼働させた政府は、目先の電力需要のみに目を向け、その危険性から目を背けたと言えよう。再び福島のような悲惨な事故が起きないように、政府は原子力が必要かどうかということよりも、まず福島の対応を一番に考えるべきであると私は考える。さらに、国民は、昨年の福島原発事故をきっかけに高まったと言える節電意識を、その一時だけにせず、継続的に持ち続けなければならないと私は考える。
おそらく先生が発言したいことは,大飯原発の再稼働についての説明に関して,あらゆる複雑なバックグラウンドを隠し,単純な論理で国民を扇動する行為について疑問に思うという内容だと思ったので,原子力発電所の存続の是非ではなくその点についての述べたいと思います.
この点に関しては私も再稼働は軽率な判断だったと感じます.直面している課題はもちろん国民にとって重大な問題であると思います.しかし,安全面に原発の中でも微妙なラインである大飯原発を再稼働させるという解は,福島と同様のリスクをまた背負うわけで神頼みのような解決策だと考えます.
国民は国民で「原発は嫌だ,でも安定な電力な供給はしろ,そして,値上げもするな」とロジカルでない人も多いが,「ハイリスキーな原発再稼働を選ばないことにより,安定した電力供給ができないので値上がりすることになる」という旨は伝えても国民は理解できるはずである.それを経済面であったり,説明の複雑さにより回避して原発を再稼働させることは早とちりな気がしてならない.
その他,物事の説明についてはメリット,デメリットがあるのでその説明責任は当然あるだろうと思う.錦の御旗を掲げるのみでなく・・・
先生の自然エネルギーによる発電のジレンマ、成る程なと思いました。私は、今日では、原子力発電が一番効率がいい発電方法だと思います。自然エネルギーは確かに再生可能エネルギーと言われ、非常に魅力的なものだと思います。しかし、自然エネルギー発電を推進しているドイツは、フランスから電気を買っているのが現状と聞いています。しかも、フランスの発電のほとんどは原子力発電です。原子力発電を嫌っている国が原子力発電で得られた電気を他国から買っている。私は非常に矛盾しているなと思いました。自国で電力を自給自足するのが理想的ですが、エネルギーの元となる、石油やウランは日本では、産出できないので、輸入に頼らざるを得ません。それなら、少ないエネルギー源からたくさんの電力を発電できる原子力がいいとも思います。
私は、大飯原発の再稼働については反対ではない。この理由は今夏の電力供給に支障があるならやむを得ないと思うからである。しかし、「反対ではない」というあいまいな言い方をしたのにも理由がある。現在日本にある原発は老朽化してきているものが多く、やはり安全性には問題があるというのはその通りであろう。また、政府が原発は安全であることを実証できていないために国民が不信を抱くのは当然である。だからと言って原発を即廃止と騒ぎ立てるのは早計ではないだろうか。世界で見ても石油などの化石燃料は埋蔵量が少なく、火力発電に頼る日本としては原子力発電は欠かせない存在になるのではないだろうか。このようにさまざまな問題を抱える日本のエネルギー問題に国民一人一人が真剣考えなければいけない時期に来ていると思う。
私は、今の日本が原発を使うことに賛成する。たしかに、3・11によってたくさんの被害があったが、今の日本には、原発は必要なものであると考える。日本には、石油などが採れる場所がほとんどなく輸入に頼っているのが現状だ。日本の電力供給を支えているのは火力発電であり、その火力発電は世界情勢、特に中東情勢に大きく影響する。もしも石油を輸入できなくなれば、日本は電気をほとんど使えなくなるだろう。それを防ぐためにも原発は必要だ。しかし、このままずっと原発を使い続けるというわけではなく、新しいエネルギー、たとえば地熱や潮の満ち引きなどを開発しそれを使い始めるまでの間に原発で穴を埋めるという使い方をすれば良いと考える。これからの原発や新エネルギーの話題に関してもっと注意深く見ていこうと思う。
この原発再稼動をするかしないかの問題に対して、自分は、これが今後日本という国が「国民の安全」を優先して政治を行うのか、「経済の発展」を優先して政治を行うのか、どちらを優先していくのかという問題に直結していると考えます。
先生のおっしゃるように、風力発電や地熱発電には様々な問題点、疑問点が含まれていますし、それは太陽光発電や水力発電にも同じことが言えます。仮に原子力発電をなくしたとしたら、そのほとんどを火力発電で補わなければならないのが現状でしょう。さらに、原子力発電の背景に世界規模での様々な利権が働いていて、これを頼りにしている政治家、経済、地元の人達etcは様々で多くの人がいます。
原子力発電がないと困る人はたくさんいるでしょうし、日本事態もこれまでの文明力を維持・発展できるかわかりません。だからこそ、多くの人、特に権力を束ねているような人は原子力発電を推進しているのだと思います。
自分はといえば、原子力発電に反対です。3.11があるまでは、知識不足から、原子力発電に賛成でこれを進めることによってこれからも日本が発展できるのではと思っていました。が、原子力発電は安全性における議論も含め、現時点の科学では放射性廃棄物の処理ができず、ウランを採ることからその作業が如何に危険か、果たして原子力発電が本当にクリーンなのか、お金がかからないのか、知れば知るほど疑問点が湧いてきました。たとえ電力不足に陥ろうとも、国民の安全を第一に考えれば原子力発電はもう辞めるべきなのではと考えます。
原発問題は、今の社会の政治的・経済的・社会的な問題が複合的に絡み合っているからこそ、余計に意思の統一や方針を決めるのが難しいのかなと思います。情報の扱い方、安全への意識、社会問題、様々な事を考えさせられます。
先日東京の代々木公園に反原発派17万人が集まったり、首相官邸前でのデモに鳩山元首相が参加したりと活動が活発になってきている。彼らは「原発反対」を声高らかに叫ぶだけで、逼迫する電力供給の具体的解決策を何一つ提示しない。ゆえに彼らの主張には賛成出来ない。上の記事でも触れられているが、地熱発電や風力発電の規模を大きくすることは難しい。火力発電を増やせばCO2排出量が増え環境問題に繋がるし、排出量取引による出費も激増するだろう。よって、私は将来的に原発依存率を減らす必要はあると思うが、現時点での再稼働に関しては賛成である。賛成派の人も反対派の人も、もっと様々な角度から原発問題を見て、1つ1つ冷静に考えていくべきであると思う。
原子力発電に関しては、様々な意見があるとは思いますが、私は断固として反対です。原発を廃止してしまうと、電力不足が生じてしまうかもしれません。しかし、国民の安全には替えられないし、原発にはあらゆる利権が存在し、不透明な点が多いからです。福島第一原発の事故が起きた際も、政府は「安全かどうか不明な状態」といったあいまいな説明をしたり、実際は地震が発生した時点で故障していたのにも関わらず、「津波によって故障した」というような隠蔽を行ったりと、国民を混乱させるような報道が多く見られました。先日の首相官邸前での反原発デモなどもほとんどのメディアで取り上げられず、政府・東電・メディアが密につながっていることもわかりました。このような不透明な点が多い原発が安全とは決して思えません。
自分は浅はかな知識しかなく、メディアに扇動されて「既存の原発は廃炉期限まで使用してから全原発を廃止にし、徐々に自然エネルギーの発電に占める割合を高めていく」というのが自分の考えだったが、先生のブログを読んで地熱や風力発電の発電規模を拡大するのが難しいことが分かった。でもやはり、地震大国で、悲惨な原発事故にあった日本で原発を再稼働するというのはどうしても自分は認めたくない。再稼働しないためにも、経済至上主義・原発関連で働く人が多いこの経済構造をどう変えていくかに焦点を当てていくべきだと思う。
つまりは、国は節電をしてもらわれては経済への悪影響があるので困るわけですね。だったら対面だけの節電の呼びかけはやめてもらいたいですね。被災者の方々に対する配慮なのかもしれませんが、体面だけ取り繕ったその態度こそが彼らを愚弄していると思います。
原子力発電に関して、自分はどちらかといえば「賛成」です。確かに、原発は危険なものであり、未だに放射線で苦しんでいる人が多数います。しかしながら、ただ闇雲に否定するのではなく、きちんと原発に準ずる代案を示した上で否定するべきだと思います。
また、原発と自動車との比較の話もあり、交通事故で毎年たくさんの方が亡くなっていますが、自動車についての批判が何も出ないのは、リスクよりも利便性のほうが高いからです。原発によるリスクと利便性にも考えさせられるものがあります。
私はこの原発再稼働の問題について反対である。政府はこの18.4パーセントの電力不足のため原発を再稼働しようとする。3.11から原発事故が終息したかのようにまた原発を再稼働させ、またこのような悲惨な事故にあってしまったら先生のいう通り「国敗れて、原発あり」そのものになってしまうだろう。私は原発を再稼働をせず、計画停電を行うべきだと思う。3.11の時のように社会全体の節電をする気持ちが薄れていると感じるからだ。
原発再稼働の問題について私は反対だ。なぜなら3.11の時の電力不足を国民の協力で乗り越えたのだから、今回の電力不足においてもそのような措置をし電力の回復にのぞむべきなのではないか。また国民の節電の心がけが薄れているいま、計画停電は環境の面でも良い方向に向かうのではないか。
この原発問題は日本がこの先何十年も背負うこととなる重要問題であると思う。これは現存する原発を再稼働させるか否か?ではなく、先生がおっしゃった経済成長至上主義につて議論するという点で重要であると考える。原発再稼働は経済成長のために必要だという政府の思惑は確かにある。しかし私はなぜ経済成長しなければいけないのか、と思う。戦後の日本は高度経済成長期を経ていわゆる“豊かさ”を手に入れた。しかしその“豊かさ”の定義は経済的に発展した国々でしか当てはまらないものだ。日本ほど経済成長していない国でも豊かに暮らしている人々は世界中にたくさんいる。政治家の言う“豊かさ”が真の豊かさではないと思う。福島第一原発の事故を機に私たちは環境や自分たちの子孫の生きる未来、そして経済から成る社会について一度深く考えてみるべきだと思う。
震災を通して、原発の恐ろしさを痛感し、政府の決断に疑問を感じた。
結局大飯原発は再稼働してしまっているが、なぜ大飯原発の地層が未だに活断層か否かの判断ができていないのに稼働し続けているのだろうか。これはあえて決断を下していないようにしか見えない。そもそも活断層か否かの判断が出来ていないのであれば即停止するべきだと私は思う。
先生が書かれているように停止できない様々な理由があるとは思うが、まずは国民の安全が大事なのではないか。
私は国民に対する十分な説明がないままに再稼動してしまったことには反対である。しかし、結局原発を廃止することはできないと思っている。
様々な報道やこのブログでも書かれているように、今までの電力を原発なしでまかなうのはほぼ不可能である。だから節電に一生懸命になっていたのだが、今では意識が薄れているように感じる。やはり、一度豊かな生活に慣れてしまうとそれを我慢するのは難しいことなのかもしれない。未だに避難生活を強いられている方々を考えれば、本当はやらなければならないと思うのだが...
だからといって安全性が確認されないで原発が使われるのは大きな間違いである。もっと大きな事故が起きてからでは遅い。新しい政府は経済重視の行動はやめて国民に対して安全性の説明を納得できるようにしてほしいと思う。と同時に私は完全な原発廃止は難しいという現実も受け入れていかなければならないのかもしれないと思っている。
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