今年の春
この冬は厳しい寒さが続きました。今年の「啓蟄の日」(3月5日)を過ぎること2週間。ようやく訪れた春めく日にさくら草の芽吹きを眺めていると、うつろな表情のトカゲがふと眼に留まりました。こやつは冬眠からようやく眼が覚めて、地中から出てきたばかりなのでしょう。
地中から這い出たばかりのトカゲ
真夏であれば十分な体温をもってすばしこく動き回るトカゲなのに、眠たげにじっとしたまま。「僕はまだ眠いんだよ、しばらく放っといて」と訴えているようです。ここで、トカゲ君にはいささか失礼とは思いましたが、この寝とぼけた顔をアップで撮影させて戴きました。すると、顔と頭の周辺にはまだ土がついたままです。
眼の前や頭の周りに土がついたまま
このトカゲの眠たげな表情をみていると、長く厳しい冬からの目覚めと立ち直りには、金融取引のような急き立てる時間の流れではなく、ゆったりとした間をつくることこそすべての生き物の理に適った処し方ではないかと感じます。
昨日までの数日間、私は博多に出張していました。福岡空港からの帰路に向かう途中、たまたま時間のゆとりができたため、大宰府天満宮に立ち寄りました。
太宰府天満宮-右端が飛び梅の木
菅原道真は、梅を深く愛でた人であると言われています。彼が詠んだとされる「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」の歌は、太宰府天満宮の「飛び梅」のエピソードをつくりました。
境内の梅-今年は桜と花が重なる
京の都から大宰府に左遷された逆境の中で、咲きこぼれる京の梅の花に想いを寄せ、せめて香りだけでもいいから東風にのせて自分のところに来てほしいとの願いに応えて、主道真を慕った梅の一枝が大宰府に「飛び梅」をもたらしたという逸話です。
「梅枝餅」にも梅の紋が-左は博多名物ゴボ天うどん
この切ないエピソードは、福島第一原発の重大事故によって故郷から遠く離れ避難生活を余儀なくされている方々の苦衷のように思えてなりません。
境内の桜
どうか、東日本大震災と福島原発の被災者が「自分で何とかしなければ」と強迫されることなく、国民全体の力をじっくり結わえることによって、新しい未来への展望をみんなで共有できる春であって欲しいし、そのような今年の春をそれぞれの立場から創造したいと考えます。
コメント
ブログを読んで被災地(被災者)の現状と政治を比較しコメントにしようと思います。被災者の故郷から遠く離れた地での生活・故郷を思う心、これらは望んで起きたことではないですが故郷に対する思い出・愛情が感じられる出来事ではないかと思います。このような言い方をしたら今回の出来事をよく思ってると思われてしまうので正しく述べると、起きてしまったものはしょうがないと言うことです。というのも被災地で多くみられるが、ボランティアの協力の協力・支援もあるが、また誰に言われるでもなく自発的に復興に向けて一歩ずつ歩みを進めていることがある。被災者は今何をすべきかわかっている。何をすべきかわかりみんなで協力してそれを行うということが大事であり今国民はそれを実行しているのである。これはとても素晴らしいことだと思います。しかし日本の政治にはそれがない。お互いに叩き合いほこりを出し合い、何度も首相を交代させて、責任を押し付け合い、今本当にすべきことを後回しにし事が大きくなってまた責任転嫁を行う。今本当にすべきことを行えば、国会議員が協力し政治を行えば私たちはトカゲになれると思います。被災地から学ぶことは損失だけではなく、より良い形で前進できるきっかけを得られるのではないかと思います。また今春は「前進」をかかげ歩んでいきたいと思いました。
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