使用者による虐待と合理的配慮
障害者虐待防止法における「使用者による虐待」対応と障害のある人の権利擁護を考える上で、労働者の「職場秩序遵守義務」と使用者の「職場環境保持義務」(労働契約法第3条・5条等による)を理解しておくことは、とても重要な知見であると考えています。
障害のある人の職場での虐待については、水戸アカス紙器事件、滋賀サングループ事件、東京大久保製壜事件等のように、労働者に保障されるべき法令上の最低基準(労働基準法、労働安全衛生法、最低賃金法等によるもの)を著しく割り込んだ違法な人権侵害行為がたびたび問題となってきました。
これらはどちらかというと「古典的な搾取・虐待」に類する労働問題です。しかし、今年度にさいたま市地域自立支援協議会で検討してきた「使用者による虐待事例」検討会においても、このタイプの虐待の発生事実は確認されてきました。つまり、古典的虐待でありながら現代の事象でもあるところに、障害領域における人権擁護の課題があることは明白です。
そこで、障害者虐待防止法にもとづく日常的な「虐待対応」のはじまりにあたり、このようなタイプの虐待根絶を支援課題の一つとして確認しておくことは、とても重要であると考えます。
しかし、最低基準を遵守しないタイプの「使用者による虐待」は、問題の深刻さはあるとしても、問題の所在と事実確認は基準に照らして明快であり、したがってまた、改善の目標もまた明確であるという意味で、虐待対応の方針は明らかにしやすいといえるでしょう。
これに対して、現代の労働問題と通底する「職場いじめ・パワハラ」型の「使用者による虐待」対応には、何をもって「職場いじめ」「パワーハラスメント」「セクシュアルハラスメント」と事実確認するのかについて、微妙な問題が常に介在します。
たとえば、特別支援学校の高等部を卒業してスーパーマーケットに就職した障害のある人がいるとしましょう。スーパーでの職場実習もくぐり、学校も企業も「働く力のある人」として期待していたのです。ところがいざ就職してみると、職場の現実は、正規従業員・派遣労働従業員・パート契約従業員などが3等分で構成される職場です。人の入れ替わりの激しいパート従業員が大多数を占めるセクションが障害のある人の持ち場であるとすると、現場指示の出し方・対人関係等は「職場実習」をした当時とはすでに大きく異なっています。そこで、障害のある人の苦手な特性への無理解に起因するさまざまな「職場いじめ」は、いつ発生してもおかしくない構造が常態化しているといえるのです。
このように、多様な雇用形態の従業員によって構成される職場環境には常に流動的な状況があるため、臨機応変さや言語的指示に対する的確な理解を苦手とするような特性のある障害の場合には、現代における一般的な職場環境そのものが問題として浮上します。
これは何も障害のある人だけの問題に限られないことは、すでにブログで報じました(2011年9月20日、2012年1月16日ブログ参照)。
一つは、バブル崩壊以降の産業・雇用における構造的激変の中で、多様な雇用形態で構成される職場は、職場の目標や課題認識の共有が難しい一方で、成果主義と能力主義が徹底されるために、些細なことから人間関係のトラブルや「職場いじめ」の発生につながりやすいという問題を抱えています。
ここには、先週ブログで論じたように、学校におけるいじめ問題に代表されるような歴史的に拡大してきた「暴力の連鎖」構造がリンクしていると考えます。
もう一つは、わが国の悪しき企業文化である「CSR・コンプライアンスの二重性」(ホンネとタテマエの恣意的使い分け)の問題です。
金子雅臣さんの『職場いじめ』(平凡社新書、2007年)によると、上記の「職場いじめ」が多発する現象は、会社上層部による企業の不祥事の発生と表裏一体のものであることが指摘されています(同書、76-106頁)。記憶に新しいところでは、某光学機器メーカーのように、巨額な損失隠しを企業幹部が続けてきた一方で、同社社員が社内の内部告発制度を用いた通報をすると徹底した「職場いじめ」を行った(東京地裁判決で告発した社員勝訴の判決が下りているが、この企業は未だに実質的な是正措置を講じていない)事実が、この指摘にピッタリです。
つまり、企業の目先の利益や個々の従業員が目先の成果を追い求めるあまり、企業や職場そのものを窮地に陥れることや、自己保身から他者に犠牲を強いてもやむを得ないとする構造的風潮の広がりです。
そこで、この間の現代的な「職場いじめ」への対策にかかわって、労働契約法等にもとづくさまざまな対応事例と判例が進展してきました。これらの知見は、障害のある人の「使用者による虐待」対応のベースを構成する知見です。
これから虐待対応に携わる支援者の方、とりわけ就労支援機関に携わる支援者・ジョブコーチの方々には、水谷英夫著『職場いじめ・パワハラと法対策(第3版)』(民事法研究会、2010年)の熟読をおすすめします。
この本によると、基本的な重要点は次の二つです(同書、104頁)。
(1)使用者は「労働者に対して、物的に良好な作業環境を形成するとともに、精神的にも良好な状態で就業できるように職場環境を保持する義務(=職場環境保持義務)」を負っており、ここから労働者の就労を妨げるような行為(職場内での暴言、暴行、卑猥な言動、いじめ、「職場八分」等)の発生を防止し、これらの違法行為が発生した場合には直ちに是正措置を講ずるべき義務(=職場いじめ防止義務)を負うこと。
(2)労働者は、企業運営や職場におけるチームワークを乱したり、他の労働者の就労を侵害してはならない義務(=職場秩序遵守義務)を負い、この義務に違反した場合には懲戒処分の対象となるだけでなく、被害を受けた労働者に対し不法行為を行った責任を負うこと。
以上の2点を基本と確認した上で、障害のある人の「使用者による虐待」対応では、使用者の「職場環境保持義務」の中に、障害者の権利条約やさいたま市障害者権利擁護条例にいう「合理的配慮」(障害のある人の不自由・不利益・困難を生じさせない環境の整備・配慮)を含めて対応を進めていく視点が重要です。
さいたま市における「使用者による虐待事例」の検討では、「職場環境保持義務」と「職場秩序遵守義務」の無理解に障害特性に関する無理解が加わる形で、職場における虐待発生が確認されてきました。
そこで、良好な職場環境を保持する使用者の責任に、障害のある人の特性に応じた環境整備責任を含めて考慮するかどうかで、少なくとも「使用者による虐待」対応に関する障害者虐待防止法の存在理由が問われることになるでしょう。
もちろん虐待対応の営みは、法的責任を追及して「誰かを処罰する」ことにあるのではありません。使用者も労働者も、障害のある人に必要不可欠な「合理的配慮」をともに深めていくことのできるような「ディーセント・ワーク(decent work、働きがいのある人間的な仕事)」(http://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/decentwork.html参照)を実現していくための「虐待対応」です。
したがって、「使用者による虐待」対応では、支援者の側に職場・職務の実態と障害の特性に応じた「合理的配慮」の内容を個別具体的に提案できる力量が求められることになるでしょう。
この辺の事例と解説は、いずれ中央法規から出版される障害者虐待に関する書物で詳しく明らかにしたいと思います。
コメント
私の父は埼玉県内の介護付き有料老人ホームで管理職についています。脱サラして6年前に全くの素人から始めた父が懸命に働いているのをすぐ近くで見ていました。素人でも資格のために勉強したり遅くまで働いていたり、そんな父の姿を見ているからこそ、人とのかかわりの深い施設で働く人々はやりがいを感じているのだと思っていましたが、父が今現在管理している職場の人々はけしてそうではないと気付きました。
普通の職場以上に、命を預かる現場であるということを自覚し、常に注意していなければならないことが多いはずなのに、自分の職務ですら全うしない人がいることに驚きと憤りを覚えました。教育現場であれば子供が主体になるように、障碍者・高齢者施設などではそこに暮らしたり、援助を受ける人が優先されねばならないはずなのに、そうではない現実が現場にはあります。援助を受ける人たちを守るための法律や条例が制定されなけらばならないこと自体が問題なのかもしれません。
現代においていじめは子供から大人まで、社会全体に広がる深刻な問題であり、その被害者または加害者には、誰でもなり得ると言えるのではないでしょうか。障害者への虐待もそれらのいじめも自分がいじめられないよう、不利益が及ばないよう、そんな考え方が根本にあるように思います。現代の社会構造や職場環境、それぞれの詳細な原因や経緯を追及し、問題解決すべきだと思いました。
職場実習の時と就職時の職場環境のズレ。この職場の問題は、先生の講義で話された、「障害者の就職率の高さにひそむ離職率の高さ」にありました、世間一般で優良と言われている企業、それが障害を持つ人に対しても優良であるとは限らない。という問題に繋がるように思います。
このような問題が生じる原因として、企業が障害者の雇用という「看板」を利用していること、
加えて世間がこういった「看板」、情報の表層しか注目しないこと。があげられるのではないでしょうか。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。