奨学金1万人滞納
このタイトルは、3月17日の朝日新聞朝刊が報じたものです。「1万人」というのは奨学金の返還を3ヶ月以上滞納した人数であり、「個人信用情報機関に登録」されて金融機関や信販会社に情報提供されてしまいます。「一度登録されると、返し終えても5年間残り、クレジットカードや住宅ローンの利用が制限される可能性」があります。「奨学金を受けながら大学や大学院で学んだものの、就職したくてもできない。正規社員になれない。就職難の時代、奨学金返還の負担が大きくなっている」(同新聞より抜粋)のです。私はこの間、大学で学生の授業料免除や奨学金の認定にかかわる委員会にいたため、現在の奨学金制度の矛盾をひしひしと感じてきました。
かつて私も日本育英会(現、日本学生支援機構)の奨学生で、学部と大学院で奨学金を「貸与」され、就職してから何年もかけて返還を完了しました。私の学生時代は、日本がバブルに突入する前段階の「円高不況」で、学生・院生は就職難の時代でした。
当時、奨学金を貸与されてきた院生同士が結婚した場合、大学院博士課程を修了した時点で、夫婦合わせて800万円を超える負債を抱えることになりました。家を買ったわけでもないのに、多額の借金を抱えた夫婦生活をスタートすることは、院生の就職難という見通しの暗さとあいまって、まことに厳しい生活現実を多くの院生に強いていたのです。
たとえば、院生同士で結婚した夫婦について、「結局、助産施設で出産したそうだよ」(助産施設は、児童福祉法に基づく児童福祉施設で、経済的理由により、入院助産を受けることができない妊産婦を入所させて、助産を受けさせることを目的とする施設のこと)という風聞が流れてきたことさえありました。
しかし、当時はまだ、労働者派遣は違法行為であり、学生の就職に非正規雇用などはほとんど全く存在しなかった時代です。そこで、学生時代に奨学金をもらいながら来る日も来る日も「納豆卵かけごはん」ばかり食べていても、「社会人になればもう少しはいい物が食えるようになる」との楽観的展望を人生の雲間から差し込む一筋の光とするような心持がありました。
また、学費負担は現在の大学生より、はるかに少ない時代でした。当時の国立大学の授業料は年額4万円です。学生がアルバイトで稼ぎ出せる収入が1日当たり平均3千円くらいでしたから、学生は夏休みに2週間程度のアルバイトに精を出しさえすれば、授業料年額分を賄うことができたのです。男子学生の中には、夏休み期間中、公共事業の「土方アルバイト」に励む強者もいて、このバイト代は手配師のピンハネを差し引いても1日1万2千円くらいになりましたから、かなりの生活費を稼ぐことができました。
ところが、現在の学生はとてもこのようなわけにはいきません。まず、授業料負担が重過ぎます。たとえば、埼玉大学の授業料年額は、\535、800で約54万円となっています。これを仮に、1日あたり6千円のバイト代で稼ぎ出すとなれば、90日間かかるのです。私学ともなれば、この負担がさらに重くなることは言うまでもありません。体力にいくら自信があるとしても、今や公共事業の「土方アルバイト」なんて皆無ですから、学生時代の経済的困窮を自立的に切り抜ける手立てはほとんどないといっていいでしょう。
そこで、奨学金制度のあり方が問われるのです。が、この点でも現在の学生はかなり割を食わされています。私の学生時代の奨学金は無利子が当たり前で、現在の「第二種奨学金」のように利子付の奨学金は存在しない上に、「特別貸与奨学生」と「返還特別免除」という制度までありました。
「特別貸与」とは、生活困難の高い学生に対して「一般貸与奨学金」に「特別貸与」が加算され、この返還にあたっては、「一般貸与」部分を返還しさえすれば「特別貸与」の加算部分は返還免除となる制度です。つまり、特別貸与による加算部分は事実上「給付」されていたのです。
「返還特別免除」とは、卒業後1年以内に教育職や教育研究職に就職すれば、奨学金の返還が免除される仕組みです。私の院生時代にはすでに、大学院を修了して1年以内に教育研究職に就くというのはレアケースでしたから、この恩恵にあずかったものはごく少数となっていました。この制度はその後、奨学生の返還義務を就職先によって差別化するのは不平等だという理由から廃止されました。私は「返還特別免除」から漏れましたが、この廃止理由は間違っていると考えています。
返還特別免除規定のスピリットは、「公共のために学び、公共のための職に就く者に対しては、教育と研究の公共性に照らして返還を免除する」という点にありました。
この政策理念はその後の時代に、教育を受けることを私化し、教育を受けることによって恩恵を授かるのは当人なのだから「受益者負担を原則」とするのが平等であるという屁理屈に取って代わってしまったのです。このような屁理屈は、その後あらゆる制度領域にはびこるようになっていきます。
大学教育にかかわる授業料や奨学金を「受益者負担の原則」から考えるのは間違いだというのは、次のような経緯からです。
現在の「第二種奨学金」の創設が政府の側から提案されたのは、私の院生時代のことでした。「奨学金に利子をつける」という政策方針は、当時の学生・院生・大学人にとって許し難い「暴挙」と映りました。そこで、全国の大学から日本育英会と文部省(現、文部科学省)・大蔵省(現、財務省)に抗議しようということになり、市ヶ谷の日本育英会本部や文部省・大蔵省に全国から学生・院生・各大学奨学金担当事務職員が大挙して集結したのです。私も所属する大学の院生代表として深夜バスで派遣され、この抗議活動に参加しました。
それは、大勢の事務職員が行動を共にしたように、単なる「学生運動」ではありません。当時の大学にかかわる多くの人たちにとって、「奨学金の有利子化」は、教育と研究の公共性を破壊する危機であるとの共通認識であったことを歴史的証言として明らかにしておきたいと思います。
「奨学金有利子化」の政策方針の狙いは明白でした。一言でいえば、「奨学金制度の構造改革」です。
税金を原資とする無利子の奨学金制度の拡充は、金融資本の利害と相いれるものではなかったのです。そこで、「公的な奨学金制度」の原資を金融市場から調達する資金に変えて「有利子化」することによって、「奨学金制度」そのものが金融市場ベースのもの、つまり金融資本を利する仕組みとすることに真の政策目的がありました。
簡単に言えば、まず、金融市場から調達した原資を有利子で返済するところで金融資本は利益を上げ、次に、奨学金そのものが有利子化されることによって、銀行の「教育ローン」の顧客も増えていくという塩梅です。
その後の奨学金制度は、無利子の「第一種奨学金」の枠を拡充することなく、有利子の「第二種奨学金」だけを大幅に拡充していく経緯を見せることになります。それは、上述したような政策目的に即した「奨学金制度」に変質したからです。
ところが、わが国のバブル経済ははじけ、就職の「氷河期」が周期的に若者を襲うようになり、大卒者の失業と不安定雇用は恒常的なものとなりました。それでも、ある銀行の「教育ローン」の宣伝には「胸躍る未来に必要な資金―○○銀行が応援します」とあります。
大学で勉学にいそしんだとしても就職の「受益」に授かれない若者が大勢出来するようになった事態を前に、私は少なくとも「第一種奨学金」の大幅な拡充と「給付型奨学金」の創設が国の責務であると主張します。そのように主張することは、かつて日本育英会の特別貸与奨学生であった私の最低限度の責務であると考えるからです。私が大学に就職したという「個人的受益」は、たとえ月給がこの4月から下がるとしても、少なくとも公共性をもつものだと考えています。
コメント
私もかつての先生と同じく、日本学生支援機構から無利子で奨学金の貸与を受けている者の1人です。さらには、授業料免除も受けています。
確かに、有利子の奨学金制度などに関しては疑問を呈さざるを得ませんが、奨学金を受けている学生側の有様にも非常に大きな疑問を抱いています。それは、「自由選択(=責任)のできる環境や今までより専門的な学問などといったものから多くを学び考える」という姿勢よりも、「単位を取り卒業しさえすればよい」という姿勢が蔓延しているということです。何も遊んではいけないということではありませんが、保護者の財産や公的な財産を用いてとにかく時間を浪費し、挙句「大学時代一番の思い出は就活」などいうものが大勢いるような状況は明らかによい状態であるとはいえないのではないでしょうか。
このことと関連して、「自由」の意味の取り違えというものがあります。本来、先程()内で示したように、「自由」というのは「責任」が必ず伴うものです。むしろ、「自由」とは「責任」そのものともいえます。しかしながら、実に多くの人が「自由」というものは「束縛」のない「気まま」に何も気にせず「活動」できることだと解しているような場面に多々遭遇します。もし、本当に気ままに活動できるような状況であるならば、それは「責任」というものを他人が代わりに負ってくれているという「土台」の上に、その事実を意識せずに突っ立っているというだけなのです。
大きく脇道にそれてしまいましたが、もう1つ奨学金について主張しておきたいのは、私も「返還特別免除規定」は廃止すべきではなかったということです。私はまだ学生の身ではありますが、人間が他の生物より長く生きている1つの理由として「次世代を育成していく」ということがあるのだと常々感じています。これは、私自身が高校の時に生徒会長として強く意識していたことが関係しています。このことは、政治の問題や化学の進歩などにも関連してきますが、何かを「定着させる」もしくは「変える」ためには一世代の力だけではどうにもならず、次世代が育成されることが前提にあります。そして、「教育」というものは公的な意味合いを持って「次世代を育成していく」ということを行えるものであり、これに従事する者が奨学金の返還を免除されるということは至極当然であると私は思っています。
長文・駄文となってしまいましたが、これにて失礼させていただきます。
私は現在「第二種奨学金」の貸与を受けている。奨学金に利子があるものがあると知ったのは高校3年のときだった。そのとき、「奨学金は営利目的なのか」ととても疑問に思った。先生が述べるとおり「第二種」に比べ「第一種」がかなり少なく、貸与を受けるほとんどのものが有利子である。これは非常におかしいことだ。将来を担う若者が勉強に励むのに必要なのだから、負担を軽減するためにやはり「第一種」の枠を広げるべきだと思う。
奨学金…
これは確かに難しい問題である。奨学金なしで国立大学に通えている私が言うと奨学金を受け取っている人から強い反発を受けると思うが、「第一種」も「第二種」も奨学金という言葉でオブラードに包まれているが、「借金」である。大学を卒業して社会人となってから返すというパターンがほとんどだと思うが、社会人になって早々借金を背負っているとなるとなんとなく新しいスタートを切るという気持ちにはなれない。さらに、奨学金を借りた同士で結婚して今度は住宅ローンとなってしまっては人生のほとんどがお金に追われた生活になってしまう。
しかし奨学金を借りるなとは絶対言えない。むしろ奨学金を借りてまで大学に通い、返済に向けてコツコツバイトしているという人は称賛すべきだと思う。私は最悪でも「第一種」までにとどめてほしいと思う。無償で貸与してくれる制度の増加が一番好ましいが、そう簡単にはいかないのは分かっている。誰かお金を持て余している人がいたら、奨学金に力を貸してくださいと私は強く訴えたい。
自分も「第2種奨学金」を貸与されています。
奨学金制度を利用するのは今回が初めてです。
以前、奨学金というものは返さなくてもよいものだと思っていました。
確かにそういった制度もありますが...
しかし、実際に今自分が利用している奨学金制度は有利子。
また、奨学金というとどうしても学力を連想してしまいます。
自分は、優等生でもないため奨学金なんて...といままであまり気にも留めていませんでした。
しかし、大学は高校などと違い、桁違いの金額がかかるため、仕方なくといった感じです。
利子がつくのならば借りたくないというのが本音です。
社会に出る前から借金をすることと同じではないでしょうか。
これも、自分の将来のため、できるだけ家族の負担を減らすため、と考えることにしていますが。
自分は「第一種・第二種奨学金」は奨学金と呼ぶにふさわしいのか疑問を感じます。
なぜならば、「奨学金」という名称ではありますが、卒業時と同時に返金義務の発生する点からでは名称が異なるだけで実質的には借金と変わりがないと捉えるからです。
実際、自分も「第二種奨学金」を貸与されていますが、将来的に返済が滞りなく行えるのかは不安を覚えます。その点、給与制であればそのような問題点は解決されるでしょう。将来的に、給与制の奨学金が増えてくれるといいのですが
また、現状においては貸与される側である学生の感覚にあくまで借金であることを自覚する必要性もあると思います。そのような感覚に欠ける学生も少なからず居るので…
私も日本学生支援機構から「第二種奨学金」借りながら大学に通っている。しかし有利子であるため、卒業時には文字通りの「借金」を背負うことになる。私の場合、1か月5万円、4年間で240万円の奨学金を貸与されることになる。しかしそこにプラス約60万円の利子がつく。利子がつく時点で奨学金など借りたくないが、この不況の中、家計状況を考えると奨学金を借りなくては生活できない。つまり、どうあがいても約60万円多く支払わなくてはいけない。また、利子で得た利益が何に使われているのかも不透明である。こういったことから、現行の奨学金制度はもはや支援を名乗った詐欺と言わざるをえないのではないだろうか。奨学金制度は改めてもう一度見直されるべきである。
私は現在「第一種奨学金」の貸与をうけています。今日の大学教育を受けるには、多大な額の学費が必要となります。そこで「第二種奨学金」のあり方を考えると、有利子であるのはおかしいのではないかと考えます。これでは、大学教育への手助けと全く考えられないです。奨学金とは名ばかりのものとなっています。したがって今後「第二種奨学金」の存在を考え直すべきだと考えます。
奨学金に利子をつけるということは、今後社会に貢献していこうと勉学に励んでいる学生に借金を負わせているようなものだと思う。大学を卒業しても、安定した職を持ち一定の収入を得ることができるかわからないこの時代で、利子付き奨学金を受給することに不安を持ち、大学をあきらめてしまう人も出てきてしまうと思う。経済的余裕がある人とない人との間に教育を受ける機会の差が出てしまうことは非常に問題である。私は奨学金に利子をつける必要性は全くないと考える。学びたいと思っている人全員が平等に教育を受けることができるように、もう一度奨学金制度を見直していく必要が今すぐあると感じた。
現在の日本は大学に通うのになにかとお金がかかりすぎると思う。国立大学でさえ、かなりのお金がかかる。受験料、入学金、授業料と、何をするにもお金が必要で、これでは大学に行って勉強したいけれどお金がないから諦める、という人が出てきてしまう。そこで奨学金という制度があるのだと思うが、無利子の第一種奨学金はとる人数が少ないし、たくさんのお金が借りられるわけではない。第二種奨学金は有利子であるから第一種よりも返済が大変である。どちらにしろ将来働いて返すにはこの就職難で不景気な世の中では容易なことではない。よって私は、日本は教育制度と奨学金制度の両方を見直したほうがよいと思う。日本は勉強をしたい人にもっと平等な機会を与えるべきである。これからの日本の未来を担っていく人間を育てるためにも、教育にかける費用を節約すべきではないと思う。
奨学金の滞納は、現在も引き続く不況だけではなく、大学という高等教育機関の構造にあると考える。この構造の変革は奨学金滞納問題を根本からなくすものではないかと思う。
例として欧米の大学状況を取ってみたい。欧米の大学は大多数が国立や州立といった公立大学であり、私立大学は少数である。授業料はほぼ全額国民の税金によって支えられている。つまり大学に対して国が多額の税金を投入して、教育を充実させているのである。だから学生が奨学金を貰うということはまずない。
一方日本は欧米の逆で私立大学が大多数を占めている。総大学数においては欧米よりかなり多い。そして各大学に対して補助金を出してはいるが、補助金の額が少ない上に大学数が多いため最終的に配分される金額はかなり少額となる。
つまり公立大学がほとんどを占める欧米は国が主に負担を負っているのに対し、私立大学がほとんどを占める日本は主に家計が負担を負っているのである。だから奨学金の概念が発生し、滞納という問題が起きる。
そこで僕は多少は欧米を見習い数が多すぎる私立大学を統合し、公立大学の拡充、大学に対する予算の増額を行い大学の構造に変化を起こすべきではないかと考えます。そうすることで家計負担の社会から国が負担する社会に変化させることで、奨学金を必要としない社会を生み出し、奨学金の滞納問題は解決するのではないかと考えるのです。
定員が大きく下回っており、閉鎖間近のような大学にさえ公的資金を投入しているので少なからずの統合は必要と考える。
消費税の増税法案が可決してしまったが、本当に増税を行うのであれば大学に対し、予算を増やし家計に対する負担をへらしてほしいものである。それは奨学金滞納問題の解決の第一歩になるものと考える。
奨学金は、私たち学生が大学で学んでいくうえで、大変助かるものであり、これによって生活が困難な家庭の学生も、みな同じように教育を受けられるのだから、とても素晴らしい制度だと思います。給付という形がとられれば、私たちにとってとても嬉しいことだし、勉強のしたい者が勉強できるようになります。しかし、それで本当にいいのでしょうか。逆に勉学がおろそかになりそうな気がしてなりません。私は、貸与という形は私たちへの大人からの投資だと思うのです。だから、それに応えられるように一生懸命に勉強し、仕事をしようとするのではないでしょうか。給付よりも貸与の形を取る方がよい人間が生まれるのではないかと私は思います。そう考えると、有利子にするということは、大人たちが私たちに見返りを求めている感じがするので、未来のことを思って、無利子の奨学金がもっと増えていけばいいと思います。滞納している人は、それが仕方のない人もいれば、返せるのに返さない人もいるはずです。貸す側が滞納を問題視するなら、返してもらうまで責任を負ってもいいのではないかと思います。
今まで奨学金とは自分にとって遠い存在だと思っていました。私は奨学金は受けていません。
でも私の周りにも奨学金を受け取っている人は多い。だから奨学金という言葉を聞くと意外に気軽に借りることのできる身近なものなのかとも大学に入ってから認識していました。でもそんな単純なものでもないようです。
奨学金とはそもそも万人に教育の機会を与えるために設けられたものではないのでしょうか。ところが今の就職氷河期では卒業後の負担となってしまうだけです。これではそもそもの目的に合致していません。
私も朝日新聞の教育欄で奨学金についてこのあいだ拝見したのですが、日本の教育システムは世界的にみてかなり厳しいようです。まず他の先進国に比べ授業料が高い。さらに他のアメリカやイギリスなどは返済不要の奨学金制度があったり無利子の貸与があったり奨学金制度がしっかりしている。そういった国では幅広い層の学生が充実した教育を受けられることが可能であるでしょう。
日本では現在返済が不可能になることを見越して奨学金を受けられず大学進学を諦めてしまうケースもあるようです。このようなことが起きていては奨学金は本来の目的を果たしているとは言えないのではないでしょうか。
私は今年度より自分の出身の市が貸与を行う奨学金を受けている。無利子であり、さらに大学卒業時に地元へ戻り市内に就職をすると返済額が半額で済むという奨学金である。奨学金の論点は主に「利子」の問題が取り上げられているが、私のようなケースでは、若者が流出する地方都市にとっての問題も裏にあるのではないかと思われる。市が人材を地元に引き留めるために返済すらも免除するという行為について、地方都市の人材不足により予算を使わなければいけないという負のスパイラルに陥っているような気がしてならない。一極集中型の都市形態による地方都市の衰退はとどまることがあるのだろうか。
「奨学金は借金だ」と父に聞いたことがあった。奨学金を受けていない自分にはよくわからない言葉だった。
ブログを読んだ今、奨学金制度が学生のことを考えて作られているものだとは、とても信じ難い。なぜ学びたいと思う学生から、金銭的な利益を得ようとするのか。学費を稼ぐためにバイトに勤しんだとしたら、どうして勉学に集中することができるだろうか。今の制度を作り上げた人たちの中には、学生時代、奨学金を受けていた人がいないのだろう。
奨学金制度とは、学生のための制度なのだから、それを純粋に考えた制度にすべきだと感じた。
私は奨学金、授業料免除の双方を利用しているが、現在の利子つきの奨学金にも随分と助けられていると思っていた。それは私にとって今の奨学金制度が当たり前であり、これが国の最大限の譲歩だと考えていたからだ。
だが、以前は国が無利子の奨学金を基本としていたという事を知り、個人的な意見として『国が狭量になった』と感じてしまった。
実際はそうでは無く、国には国の考えがあったのだろう。だが、教育の補助である奨学金に金融を関わらせることが、本当に奨学金の目的に合致しているのだろうか。 奨学金とは金銭的問題を抱えている子供に勉強をさせる為の支援だが、給付ならまだしも貸与は長期的に考えると本当に支援になるのか疑問に思う。
貸与とはいわゆる借金だ。国はつまり「勉強したいなら借金しろよ。いいとこ紹介してやるから」と言っているという事だろう。
確かに財源は無限ではないし、ポンポン金を給付することは国にとって大きな負担になることも理解はできる。だがしかし、以前は無利子でやっていたという事実がある以上、国が教育に入れる力を抜いたと考えてしまうのだ。
就職困難な昨今、朝働いて定時制に通う生徒や、大学に通いつつバイト三昧の日々を送っている生徒などが溢れている。
人々が貧困に喘いでいる今こそ、全ての人々に必要な教育に対する支援にはもう少し力を入れても良いのではないだろうか。
自分も埼玉大学に入学してから「第二種奨学金」を利用しているのですが、高校を卒業したばかりで将来のこともこれからなのに、そのような状態の中で借金を作ってしまうのかと考えると、不安で不安でたまらなくなりました。
自分が若者だから言うのではないけれど、これからの日本を担っていくのはおじさんおばさんではなく、若者であるはずです。その若者の未来を奪うような行動は、日本を破滅させる行為につながると自分は考えます。
現在の奨学金制度によって多くの学生の学びの機会が保証されていることは事実です。しかし、その「ツケ」によって、経済的困窮に追い込まれている人もいることも事実です。奨学金とは何のための制度なのでしょうか?銀行のキャッチフレーズにあるような個人の自己実現を応援するといった性格のものではなく、「社会的資本」としての学生の学びを保証するためのものではないのでしょうか。奨学金の有利子化には、奨学金制度が間違った方向に進んでいると感じてなりません。
私は奨学金制度を利用していないため、詳しい奨学金制度の仕組みはしりませんでした。もちろん、利子が存在することなど全く知りませんでした。
「勉学を奨めるためのお金」であるはずの奨学金が、逆に勉学の妨げになってしまうのは明らかにおかしいと思います。読ませてもらった記事の中から得た知識しかありませんが、これではただの借金と変わりないように感じます。利子の存在から、国は利益を得る目的としか考えられません。本来は、より多くの人を大学で学べるようにし、国を豊かにできる人材を育てることが目的であるべきと考えます。
高校3年生まで、奨学金は学生に給付されるお金と考えていた私にはかなり信じられない制度です。日本の経済状況を考えると厳しいかもしれませんが、奨学金制度の見直しに取り組んでほしいと思います。
私は現在第二種奨学金を利用していますが、利子が付いている事に疑問を持ったことはありませんでした。奨学金を「借金」と考えれば利子は当然と考えていたからです。しかしこうして昔の奨学金制度を知ると、奨学金の有利子化は国の未来より目先の利益を優先した結果に思えます。自分で言うのも少々可笑しい話ではありますがこれからの国を支えていく事になる学生たちを軽視しないで欲しい、しっかり援助して欲しいと切に願うばかりです。
私は大学に入学してから第二種奨学金を利用しています。最初は奨学金についてよく知らず、大学で勉学に励むために国に支援されていると思っていました。しかし奨学金について調べると、利子がついていてただの借金であることを知りました。大学を卒業していきなり多額の借金を抱えることがとても不安です。奨学金という名前に騙された気分です。奨学金という名前を使うのならまず奨学金の無利子化をするべきだと思います。
奨学金の滞納問題は、日本の経済状況、就職氷河期という観点からみても、改善されなければならない問題であると考える。有利子の奨学金制度が、学生を支援するものであるのかというのも疑問である。しかし、本当に問題は奨学金制度のほうだけにあるのだろうか。利用している学生側にも改善するべき点があるのではないのだろうか。
自分のまわりでも多くの人が奨学金を利用している。その上で、週の半分以上もアルバイトをするなど、忙しい生活をしている人もいる。しかし、その人たちは必ずしも学業のためにそのような苦労をしているのではない。中には、毎日のように飲み会をしたり、服や趣味に多くのお金を使ったりと、浪費という言葉があてはまるような例も少なくないだろう。そんな生活をしておきながら奨学金を返すことができないというのは、正しく奨学金を利用している人に対して、あまりに失礼ではないだろうか。
第一種奨学金の枠を広げるなど制度的な改善はもちろん、利用者側の意識を改めるということも考える必要があると感じる。
私は現在第二種の奨学金の貸与を受けている。現代の日本では借金をしてでも大学を卒業して就職へのアドバンテージを作るという風潮があるように思える。しかしながら今の日本では大学全入の時代が到来し、大卒が就職のアドバンテージになっているかも怪しい。また、企業は時代が求める能力を持つ即戦力を希求しており、時代に合致しなくなった能力を持つ社員は切り捨てるという合理化を進めている。これでは大学での学習すら就職のアドバンテージになっていない可能性がある。私を含め奨学金の被貸与者は就職という狭い枠にとらわれずに大学に入り、学習する価値を奨学金という将来への負担を秤にかけながら真摯に考える必要があると考える。
奨学金を返還するのは卒業後のお金を稼げる時期であるので、学生時代にアルバイトなどで無理をして稼いで学業がおろそかになるというような事態を避けることができる。しかしどんな言葉で言っても所詮は借金である。特別な事情があって第一種を受け取ることができる少数の人以外はみな、借りた額よりも多く利子を付けて返し、そうしてせっかく大学を卒業し就職ができても苦しい生活をすることになってしまう。本当に勉強を推奨したいのなら無利子で貸すのは当然ではないかと思う。
自分も現在「第二種奨学金」を貸与されて大学生活を送っています。私は以前までは奨学金の仕組みというものを深く認知しておらず、奨学金というのは大変便利で、借りなくては損ではないかと考えていました。しかし、実際に奨学金制度を利用したり、先生のブログを読むことで、自分の考えが変わりました。大学にいる間には気付かない卒業した後の苦難があり、就職難の現在でこのような仕組みの奨学金制度をとっている政府に憤りを感じずにはいられませんでした。この先、奨学金制度がどのように変化していくか色々な意味で楽しみです。
私も奨学金の有利子の制度については疑問を抱きます。「勉強」するために借りたお金をなぜ利子をつけて返さなければならないのでしょうか。奨学金制度は、学費や授業料のためへの少しでもの援助、学生が学びやすくなるための制度ではないのでしょうか。これでは支援・援助ではなく、逆に大きな負担となってしまっているように私は感じます。私自身も将来の大きな借金に対して並々ならぬ不安を感じています。また、奨学金の一種と二種の区分は高校時の平均評定によってなされるが、これがよい方法だとは思いません。成績での絶対評価で区分することは一見平等に見えますが、家庭の事情等で学力に差が生まれてしまう可能性があることは考慮されていないし、また、高校によっても制度はまちまちです。そんな中で高校時の成績に左右されてしまうことには私自身納得がいきません。最後になりますが、奨学金の滞納が社会問題となっていますが、借りた以上のお金を返さなければならないこの有利子制度が続く限り、滞納者は減少しないだろうし、この問題も解消されないのではないかと思います。奨学生の負担とならないような奨学生に優しい制度への改善が求められると私は思います。
わたしは受験生になるまで奨学金について聞いたことも調べたこともなかったのですが、高校3年のときに奨学金についての説明会があり、その時に初めて奨学金に異なる種類があるのだということを知りました。しかも、大多数の学生は利子のある奨学金を借りるしかなく、無利子の奨学金は条件が非常に厳しいということに大変驚きました。その時はそれでも仕方ないと思っていたのですが、実際に大学生になってみると、徐々に利子が有ることに違和感を覚えていくようになりました。大学では自分が思っていたよりも出費が多く、また時間もあまりなく、簡単には将来の返済のための貯金ができていません。これは自分の努力不足もあるのでしょうが、勉強の時間も減らせないのでなかなか難しいのが現状です。さらに、もしも就職活動に失敗でもしたらより返還が難しくなり、滞納が続けばその後の生活に悪影響が及ぶことは明らかです。この学生を助けるはずの制度に苦しめられるのは絶対におかしな話なので是非改善してほしいと思います。
奨学金を利用している学生は多い。そもそも奨学金を3ヶ月間滞納させてしまっただけで住宅ローンなどに影響が出るといのも悲しいことだと思う。教育の場面において、奨学金有利子化が存在するのは非常におかしな問題だと思う。教育ローンという構造を作り、奨学金を金融資本とする日本社会の考え方が嫌いだ。奨学金の意義は、奨学金を受けた学生が社会で活躍し、次世代のリーダーとなる支援することだと思う。奨学金で利益を求めようとするのはすぐに結果を求めようとする現代人の欠点であると思う。
そして私も学生であるので、学生の身分として、私たちは社会の期待に応えるように努力していかなければならないと思う。奨学金を利用していながら授業を疎かにしていては本末転倒であるし、4年間という自由な時間をどう有効活用させるか考えながら過ごしていくべきだ。授業に出ることはもちろん、+αで社会と関わることも必要だと思う。頭で考え、行動することが学生には必要である。そのような学生こそ、奨学金無利子を受ける資格があるように思う。
私は現在、奨学金の制度を利用して大学生活を送らせてもらっています。したがって卒業後は奨学金を返還していかなければなりません。また私の利用している奨学金は有利子です。返還時は借りた金額よりも多くの金額を返還しなければなりません。私はこのことを大変不安に感じています。大学卒業後に返還義務のある莫大な金額があるからです。大学卒業後にきちんとした職に就くことが出来れば返還していくことが可能となりますが、職に就くことが出来ない場合であれば返還が困難となっていきます。私はこのような奨学金の制度に不安を感じています。本来、大学での学問を修めるためにあるはずの奨学金であるのに本当にその役割を果たしているのかと私は疑問に感じています。また近年、奨学金の返還義務を怠っている人が多いようですが返還能力があるにも関わらず返還していない人がいることだと思いますが中には返還したくても返還する能力がない人もたくさんいるのでは?と私は考えます。真の意味で多くの人の役に立つような制度になっていけば良いと思います。
私も奨学金の貸与を受けて大学に通っています。私は国立大学に進学し、無利子の第一種奨学金を受けているので比較的軽い負担で済んでいるのかもしれません。しかしそれでも200万を超える借金を大学生の時点で抱えていることになります。就職氷河期といわれるこの時代でうまく就職しこの返済義務を果たすことができるのか、考えると大変気が重くなります。奨学金は本来教育の機会を均等にするためのものですが、多くは有利子でありさらに負担を増加させているという現状を考えると、本来の目的からかけ離れてしまっているように感じます。奨学金の滞納者が1万人も出てしまうのは単なる本人の努力不足とは考えられません。社会問題となった今、国の将来を担う若者を真に考えた奨学金の制度を今一度検討し是正していくべきではないでしょうか。
自分は現在無利子で奨学金を貸与していただいていて、一人暮らしをしていくのに大変助かっているので奨学金制度には感謝しています。しかしこのブログを読んで、奨学金制度とは何のためにあるのかということをよく考えたとき、利子をつけるのは適切ではないと思いました。国は学びたい学生を支援し、学生はそれを受けて頑張って勉強に励み、社会に貢献できる人間に成長して国を豊かにする。そのような姿が理想なのではないかと思うのですが、今のように利子つきで返還を迫られては、良くない言い方ですが、私はどうしても恩をお金で返せと言われている気がしてしまいます。また、返還のことを気にかけるあまり、アルバイト中心の生活になってしまったり、海外研修など人生を豊かにする経験となるような機会にも積極的になれなかったりするのは非常にもったいないです。奨学金の意義をよく理解し自分の成長に役立てることができる学生には、無利子で貸与をする制度に変えるべきです。
自分も奨学金を貸与されています。奨学金は経済的にとても役立っているのですが、一方で卒業した後に自分で返していけるかという不安もあります。安心して借りられるお金だとはいえ、学業が仕事である学生のうちから借金するのはすごいシステムだなと思います。
自分が奨学金を貸与される前の自分の中の「奨学金」は、まともに大学にかよえないような学生がもらうというイメージでした。ですが実際にもらっている生徒は多く、様々な理由で貸与をうけているので、イメージとはいい意味で違っていました。
私も現在、「第二種奨学金」の貸与を受けながら大学に通っています。私は有利子の「第二種奨学金」は奨学金ではなく、学生という立場でも借りることが可能な「借金」でしかないと考えています。無利子の「第一種奨学金」は、月に最大五万円までしか借りることができません。親から仕送りをもらえる経済状況でない私は、必然的に月に最大十万円まで借りられる「第二種奨学金」の貸与に頼ることになりました。このように、経済状況が厳しいほど、有利子の奨学金を選択するしかなくなるというのはおかしいのではないでしょうか。奨学金とは、金銭的・経済的理由により修学困難とされる学生に修学を促すことを目的とするはずであるのに、これでは利益をあげることを目的とした民間企業とかわりがないようにさえ思えてしまいます。
借りた分の金額の返済をしぶるつもりは全くありません。しかし私は、決して安くはない利子分に関しては、常に疑問と不満を感じながら返済をしていくと思います。これから大学へ進学していく世代が、私のような思いを抱えることのないよう、一刻も早く「第二種奨学金」を廃止し、「第一種奨学金」のみへと移行していくべきであると考えます。
私は奨学金制度を利用していません。大学入学前、利用することがあたりまえのことだと思い込んでいましたが、両親から「借金することと同じことなのだから、社会人になったときに自分が苦しむことになる。」と言われ、奨学金制度のことを何も知らないまま、両親の言うことを聞き入れました。両親には感謝しています。
そもそも奨学金とは、家の収入が考慮されるもので、それでもなお勉学に励もうという学生を支援するべきものではないのでしょうか。利子をつけることは、理にかなっていないと思います。就職難の時代であり、返還が困難なことも考慮されるべきです。
様々な問題点が浮上していますが、まず第一に、利子なしの奨学金制度が拡張する方向性が生まれればよいと考えます。
この記事を読んで大変共感した。
私自身高校生の頃に日本学生支援機構で奨学金の申し込みをしたところ第二種で大学1年生から奨学金を受け取ることになった。しかし、実際に大学に通うようになり、一人暮らしをし、バイトをしていても生活費や家賃などで金銭面でもなかなか裕福とは思えない状況で卒業後の自分にかかる奨学金のことを考えると負担が多すぎると感じた。そのため私は1年生の10月には奨学金の貸与打ち切り申請を行った。勉学に励みたくても金銭的に余裕のない学生のために存在する、奨学金という制度。実際の所、学生の味方といえるのだろうか。私は第二種という制度について大変不可解に思う。
日本のやる気に満ちた学生のため、公共の力で援助できるところはしてほしいと強く感じる。教育の制度について改めて考えさせられた。
わたしも奨学金の貸与を受けている学生の一人です。
奨学金のおけげで今の私の大学生活が成り立っています。しかし、大学を出た後にこれをきちんと返済できるのかと考えると不安になります。私の場合、無利子の第一種の方ですからまだましな方なのですが…。
これから先、奨学金の第一種・第二種制と、そもそも奨学金の必要性を高めている高額な学費の見直しが行われ、学生が不安なく大学で学べるようになることを願います。
奨学金について批判的な意見が多いように見られるが、私は最低限の役割を果たしていると思う。
なぜなら、仮に卒業後に返済しなければならないとしても、家庭の経済状況により進学を諦める必要がなくなるからであり、現に私もその一人だからである。
また、自分の進学の際に手助けをしてもらっているのだから、就職しお金を稼げるようになってからはその恩返しとして少しづつでも返済することは当然のことだと考えている。
私は現在第一種の奨学金制度を利用しています。奨学金の利用は大学に入ってからでした。なぜなら高校の時に奨学金はなるべく借りないほうがいいと言われたからです。その言葉の本当の意味がこのブログを読んで初めてわかった気がしました。第一種を利用している人は第二種を利用している人に対して返済することに対しての意識は少なからず薄いのではないかと私は思います。何のために借りていて、その借りているお金で自分は何を学ぶ必要があるのか、奨学金の意味を履き違えてはいけない。さらに有利子の必要、高額な学費など奨学金にまつわる問題はさまざまな角度からみる必要があるし、奨学金にかかわる全ての人々が考える必要があると思いました。
奨学金に利子を付けることは、今後社会に貢献する有益な人材を育てる妨げになっているのではないかと私は思う。学生を助けるための奨学金が将来的に学生を苦しめることになるからである。就職難のこの時代では、奨学金を借りるリスクがとても高いため、大学をあきらめる人も出てくるのではないかと思う。
奨学金の話を聞くと勉強する事にもお金が必要ですとつきつけられているようで、格差を生む大きな要因、もしくは格差そのもののように思います。
本当に学生の味方だというなら、なぜ利子という言葉が違うだけの借金を若者に負わせるのかとても違和感を感じます。
国を良くしていくには利潤のある場所を目ざとく探すのではなく、よい人材を増やすことに重視していけばいいと私は思います。
この第二種奨学金は教育は平等ではないとつきつけているようにしか感じません。先生の授業の中で仰っていたように海外の国にある授業料免除の制度がすぐにでもできるといいのにと思います。
奨学金と聞くと聞こえはいいですが、実際の性質は借金と同じです。大学を卒業し、社会に出ていくとともに借金を抱えるというのは、現代の新社会人にとって負担です。奨学金の制度だけでなく、奨学金を借りなければ大学で勉強ができないということ自体よくないと思います。奨学金を利用していない人ももちろん大勢いますが、特に私立の大学は多くの人が奨学金を利用しないと入学できません。お金を持っている人しか勉強ができないような大学の入学金や授業料の額も問題であると思いました。
奨学金はとてもよい制度だと思う。もしこの制度がなかったら、経済的なことを考えて進学を諦めてしまうような学生も多くいるのではないだろうか。私自身、現在は奨学金を受けていないが、来年度の奨学金申請を考えている。しかし申請に対して不安もある。こうして奨学金有利子化の経緯を知ると、この奨学金制度は本当に学生のことを考えてのものなのか、疑問である。利益などを考えるのではなく、学生のことを一番に考えた制度にしてほしいと思う。
奨学金の滞納の問題は確かに先生のおっしゃる通り奨学金制度の在り方の問題(本来の奨学金の意図を無視した有利子化)もあると思われるが、私がもっと問題だと考えるのは奨学金に対する学生側の認識の甘さである。学生側は奨学金は借金の言い換えにすぎないことを注意すべきである。私の通っていた高校では大学進学者は奨学金を受け取るのがさも当たり前であるかのように言われており、生徒も奨学金とは何であるかを特に気にすることもなく予約をしていた。この場合奨学金が無利子であるか有利子であるかはあまり問題ではないだろう。なぜならこの生徒の多くは奨学金の意義とは関係なしにただなんとなく周りに流されての申請であるからだ。財務省の出していた奨学金受給者の推移のグラフの増加傾向から見ても安易な受給者が多くなっているのは確かだろう。
まずこの安易な受給者を減らすためにも、高校でもっとちゃんとした奨学金の説明を行い、生徒が共通の認識を持って申請を行える状況を作るのが第一だと私は考える。それを行うことで、経済的困難を抱えている人などの本当に奨学金を必要としている人たちに利子のある奨学金がどれほどの影響を与えているのかをやっと正確に把握することができるだろう。
現在、私も第二種奨学金制度を利用しており、奨学金という制度自体は学生生活を支援してくれる素晴らしい制度だと思います。しかし、そのほとんどは貸与でさらに利子がつくものもある、このことには疑問を感じます。ただでさえ就職難が叫ばれる時代で就職しても少ない給料で生活しなければならない若者たちにとって奨学金は学生ローンでしかないと思います。
また大学の授業料自体が年々上がっていることにも怒りを感じます。国立大学は授業料が安価なため、経済的に厳しい家庭の子供でも努力を積めば高度な授業を受けることができるというところだと思います。しかし、実際に国立大の授業料の推移を調べたところ数十年で十倍以上に増額しています。どんどん私立大学と授業料の差が埋まってきているのです。これは、本当に由々しき事態だと思われます。
これからの日本を背負うのは若者です。政府には若者がのびのびと学業に勤しめるよう教育改革をしっかり進めていってほしいと思います。
私もかつての学生時代の先生と同じく現在日本学生支援機構の奨学金を借りながら大学に通学しています。何かと海外の事情を取り上げ比較するのは疑問を持ちますが、ついこの間見たとある記事のよると、日本の教育制度、特に大学教育について海外のそれと比較した場合の表のようなものを見たときとても大きな衝撃を受けました。というのも、海外、特に北欧諸国の教育機関において学費無料、さらには返還不要の給付制の奨学金がある、といったケースがほとんどであるということ、また他の国でも学費はかかってもその金額が少なかったり、給付制の奨学金が充実していたりと現状の日本の教育機関と大きな違いがあることに驚き、また言い方は極端になりますが日本の教育に対する意識の低さに失望を覚えました。どうにかならないのかと思案を巡らせることもありますが、現状ではとても難しいようです。日本の教育制度が変わるのをただ待つだけではなく、個人単位でも何かしらの意思表明をしなければこの現状は変わらないと確信しています。
私は現在、日本学生支援機構の奨学生です。高校の頃から奨学金なしでは学校に通えませんでした。私のような困家庭にとって奨学金がなければ学校に通うことができない者にとって、貧困であるだけでも日々憂鬱であるのに、高校、大学を卒業しても奨学金という名の多額の借金をかかえて十数年過ごすことは心身共に大きな負担となります。さらに利子付きである二種を利用している人はより多くの負担となります。私も、一種の採用枠がとても少なく、ほとんどの人が有利子で奨学金の貸与を受けなければならないというのは先生の言う通りおかしいと思います。きっと利子がなくなることはないと思うので、その利子をつかって、一種枠の拡大に努めるべきです。貧困は貧困を生みます。貧困の連鎖を止めるためには今の日本では勉強をして大学を卒業しなければなりません。貧困家庭だけでなく奨学金を利用する人全てが少しでも将来へ希望を持って勉強できる環境を作れるように、奨学金のあり方を見直すべきであると思います。
私も現在、第二種奨学金を受け、大学に通っています。大学を4年で卒業し、無事職に就いたとしても、その時点で既に500万を超える額の借金があるというのは、なかなか厳しい状況であると考えます。しかし、こうした奨学金制度でも存在することで、自分のようなあまり裕福でない学生も大学へ通うことができます。先日、自分自身もアルバイトを始め、お金を稼ぐことの辛さを実感しました。両親は自分の何倍も働いて自分を大学へ通わせてくれているのだと改めて気づきました。この気持ちをいつまでも忘れず、これからの勉学により一層励んで行きたいと思っています。
奨学金制度は大学生とは密接に結びつく制度です。私は奨学金を受給していませんが、友人には奨学金を受給する人、授業料をバイトで稼いで賄っている人など様々です。私は一人暮らしを両親にさせてもらっているので、できる限り負担をかけたくありません。また、最近あるドラマが議論を呼んでいますが、それに関連したニュースによって、児童養護施設で暮らす子供たちの大学進学率が全国平均と比べて著しく低いことを知りました。教育を受ける権利が保障されているからには経済的事情で進学の夢を諦めることのないよう充実した教育政策を期待したいと思います。
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