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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

実像をつかみにくい「使用者による虐待」

 昨年の6月に成立した障害者虐待防止法は、虐待防止法の中ではじめて「使用者による虐待」(職場での虐待)を規定しています。そこで、さいたま市地域自立支援協議会は虐待部会を設け、使用者による虐待についての検討を重ねてきました(2011年9月20日ブログ参照)。

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 私たちの事例検討では、職場における虐待は障害のある人への無理解や意思疎通の欠如をベースに形成された「職場いじめ」(心理的虐待が柱となる)という現象が多く確認されています。ここには、職場の〈上司-部下〉関係に発生するパワーハラスメントだけでなく、障害のある従業員と周囲の多様化した雇用形態で働く従業員との「不均衡なパワー」(パワーの非対称性)の下で発生する「いじめの構造」が存在しています。

 これらの問題構造と対処方法は、「養護者による虐待」(家族内虐待)とは異質の論点があるため、この間ずっと、職場虐待に迫る問題理解と対処方法についての考察を重ねてきました。職場の虐待は、親密圏における虐待ではなく労働問題という性格を持つため、対処方針にも労働法規とそれにかかわる判例等が重要となります。

 現時点で、「使用者による虐待」についての国のマニュアルは出ていないために判断しかねる点も多々ありますが、障害者虐待防止法上、この領域の虐待対応に当たるとされている都道府県労働局だけでは、個別の虐待ケースへのきめ細やかな対応を期待できるかどうかに、率直に言って、一抹の懸念をもたざるを得ません。障害のある人の虐待では、職場の人間関係と環境の調整を含めた対応に高い個別性と専門性が求められるからです。

 そこで、さいたま市地域自立支援協議会における事例検討を踏まえ、虐待防止の観点から通常の就労支援の充実(とりわけジョブコーチによる支援)とパワーハラスメントの予防対策に学んだアプローチが必要ではないかとさまざまに調べてみました。

 ところが、障害者雇用とパワーハラスメントの実像は、なかなかつかみづらいところがあります。

 たとえば、企業のCSR(corporate social responsibility)の取り組みが進んできたことによって、大企業を含む障害者雇用率は近年上がってきたといわれてきました(民間企業の法定雇用率1.8%に対し、2000年1.49%は2010年1.68%へ、労働者数にして約90万人の増加。ただし、重度の身体・知的障害者はダブルカウントされている)。

 この間の雇用率の改善には、短時間労働者がカウントされるようになった経緯があるとしても、一般の雇用形態の多様化が進む中で、障害のある人も企業の貴重な「戦力」として位置づけられるようになってきた点は評価できるでしょう。

 それでも、障害者雇用に「前向きに取り組んでいる」企業として、よくマスコミに取り上げられる会社であるにも拘らず、報道と実態の大きく乖離した企業もしばしば見受けられるのです。統計上は障害のある人の雇用率を高水準で保持してはいますが、雇用の実態でみると、職場定着率は低く、常に障害のある人の回転が激しいだけの企業も散見されます。
 まことに残念なことですが、マスコミが企業イメージ戦略の片棒をかつがされているような疑念を払拭することができません(この企業は巨大な広告主として、マスコミは批判的報道をしづらいか回避するでしょう)。

 しかし、その一方では、私が見学させてもらったある企業では、CSRを自覚した人事と現場の担当者が、その企業にとってはじめての障害者雇用を大切な教訓にしようと、ジョブコーチと真剣に工夫を重ねて取り組んでいました。働く人は、知的障害を伴う自閉症のある青年でした。
 ここで、現場の担当者に話を伺いました。

 「正直に言うと、私のもともとの『障害者』のイメージは働けない人、福祉サービスの対象となる人でした。だから、人事の方から障害者雇用を進めるので現場で受けとめてほしと言われた当初は、かなり戸惑ったのです。はたしてうまくいくのかって。」

 「最初にご本人とジョブコーチの人との打ち合わせからはじまって、ジョブコーチのアドバイスやコミュニケーションの取り方の示唆を受けて、自分も『こうすればいいのか』と分かってきたら、意外とやれるなとなって、これで半年ほどたちましたが、立派な戦力だと感じています」

 「すると休み時間にも、打ち解けて話す場面も増えてきて、今では、確かに特別の配慮が必要な点も多々あるけれども、自分たちと変わらない職場の一員だなと考えています」

 この職場は、ジョブコーチの支援と職場の理解が相乗効果をもたらし、理想的な障害者雇用の確かな定着がはかられたケースでした。

 パワーハラスメントの問題はもっと複雑であるように思います。

 一つは、わが国の企業が年功序列型賃金と終身雇用を解体させて多様な雇用形態を急速に進めてきたことにかかわる問題です。

 一方では、働くことのモチベーションと目標の多様な労働者から職場が構成されるようになって、職場の統一した目標や共通理解を培うことが困難となり、他方では、成果主義と能力主義の徹底によって職場内競争は激化しました。
 こうして、職場の人間関係が疎遠でギスギスしたものとなって、些細なことから職場における「いじめ」が発生しやすい構造が形成されてきたように思えます。そして、この中に障害のある人が巻き込まれるタイプの「いじめ=心理的虐待」がかなり発生しているのではないかと予想されるのです。

 二つ目は、このような職場の人間関係の構造的変化をもたらした1990年代半ば以降は、企業がバブル崩壊後のリストラを断行した時代であるにもかかわらず、CSRやコンプライアンスを声高に叫び始めたという不思議な現象がみられた問題です。
 このCSRやコンプライアンスの起源は、経済活動のグローバリゼーションにあるでしょうから、わが国の企業にとって必ずしも内発的なキーワードではありません。旧態依然とした「ホンネ」と「タテマエ」というご都合主義的な企業運営の実態の下で、恰好をつけるためだけに使われている場合も少なくないでしょう。

 したがって、法定雇用率の数値だけではあらわれない障害者雇用の実態は、CSRが「タテマエ」の企業とそうでない企業で実態を大きく異にするのは必然です。

 ここでは、地域密着型企業のように「顔の見える」関係で経済活動を展開しなければならない企業の方が、CSRの内発的な受け止め方に傾斜しているような印象を私は持ちます。

 このようにみてくると、家族内虐待・DV防止の問題がこれからの親密圏のあり方を根底から問い直す作業であるのと同様に、使用者による虐待は今後の企業文化と労働者文化のあり方を真正面から問う課題であるということができるでしょう。ここでは、問題の考察に虐待問題の特質を見失うことなく、同時に私たちの日常と地続きのテーマであることも看過してはならないのです。


コメント


この記事を読んで、初めて「使用者による虐待」というものを知りました。その中でも障害者が標的となっていることには憤りを感じます。このような外部には分かりにくい陰湿なものをくい止めるには、企業を挙げて努力していく必要があると思います。また、自社のイメージアップのために障害者の雇用していることも残念に感じました。障害を個性として受け止め、気持ちよく働ける環境が増やすべきなのだと思います。


投稿者: mk | 2012年01月16日 17:12

 障害者雇用に関して、障害のある人は働くことができないというのは、間違った考え方であると思います。障害の種類によっては、ある特定の仕事に優れた技術を発揮することがあると聞いたことがあります。障害のない人よりも総合的には劣っているかもしれませんが、個々にみるとさほど差はなかったり、あるいはそれ以上の能力を持っていたりするかもしれません。障害のある人を特別視しすぎて何もできないと決めつけてしまってはいけないと思います。私たちは障害について固定観念をもったまま行動しがちです。障害を知ろうとしていないのです。障害のある人が働きやすいような環境を整えるために大切なことは、同じ職場で働く人たちが、障害のある人を理解しようとすることだと思います。


投稿者: アポロ | 2012年01月16日 21:42

勘違いの優しさというのが障害者への虐待(特に使用者によるもの)を生む一つのケースのだと私は思います。それはつまり、「障害者だから~」ということを念頭において接することにより自然に気を使い始めてしまうことで、変に壁をつくってしまい、それがだんだん鬱陶しく感じ虐待にいたるということです。その発端は障害者だからできない、かわいそう、という固定観念にあるのだと思います。しかし、私自身も障害者は仕事ができないとまでは思っていなかったものの、雇用は困難であるとは思っていました。ただこの記事や授業によって考えは変わりました。私と同じように勘違いしている人も多いのは事実だと思います。だから多くのひとにこれらのことをまず知っていただくことが非常に大切だと思います。


投稿者: mnny | 2012年01月17日 10:20

よく某ファッション企業では障害者雇用に力を入れている、とマスコミから報道されて私は良い印象を持っていましたがいますがこの記事を読んで全ての企業が全体的にいい印象で障害者を雇用しているわけではないと改めて思いました。やはりいくつかの企業ではいい印象を与える戦略のために障害者を雇用するという方法を使っている企業もあるとわかりました。障害者と言われると社会にも関わらず私生活でも避けられがちですがそのことが全体的にも障害者のイメージを印象付けている気がします。ですが障害者と言っても体の一部分が不自由なだけだったりその部分を除けば普通の人間と変わらない気がします。障害者というレッテルが一般の人にマイナスイメージをあたえていると思います。障害者とはなんなのか、基本的に一般の人とはどう違うのかを深く考えることも大切だと思いました。そのような努力をすることで同じ職場で働いている障害者だけでなく、同じ社会で生活している障害者の存在について見直すことができ、障害者の立場について考え直せられると思います。


投稿者: フラステ | 2012年01月17日 13:06

使用者による虐待の中でも、障害のある人が弱者となっているパターンを知っているから、障害者雇用の実像がつかめないという話がよくわかる。その人は軽度の知的障害を持つ青年で、病院の地下の食堂で皿洗いとして働いているが、大量に出る入院患者の残飯処理はすべて彼がやっていて、ほかの職員やバイトは一切手伝っていなかったそうだ。なぜ手伝わなかったかを聞くと、その青年が仕事をとられると思って手伝うのを拒否する、と上司がいっていたそうだが、それも本当かどうかわからないといっていた。この事例が虐待になるのかどうかわからないが、見えにくい実像の一つであることは間違いないだろう。


投稿者: tt | 2012年01月17日 15:59

「障害がある人は雇用できない、パワーハラスメント紛いのことは起きてしまいがちである。」なんてことは絶対にあってはならないことだと思います。障害者の方に対するある程度の気遣いと、上司の機嫌を損ねないようにする気遣い、どちらも重要であるのに前者は心理的虐待の原因になりやすいが後者はなりにくい、なんてことが存在していること自体が不可解です。


投稿者: ekrt | 2012年01月17日 22:18

保育園・小学校・中学校と2人の知的障害の友達がいました。保育園の時はそれほどでもないのですが、小学校の時は毎日のように皆でいじめていました。今思うと、とても恥ずかしく思います。しかし、今では連絡を取り合うくらい仲が良いですが、彼女はもう就職をしているので、最近は仕事の話題が多く、今回の日記の内容のようなことが実際に起こっているというのを聞きます。仕事を辞めればいいじゃないかとアドバイスしたのですが、せっかく雇ってくれたとこだからと辞める気は無いらしいのです。確かに健常者にとって障害者というのは奇異な存在に見え、変な固定概念を抱きがちです。現に私もそうでした。しかし、本人たちは決して障害を持つことを望んで生まれてきたわけではないのです。できればなんの障害も無く生まれてきたかったでしょう。その意識を持つことが一番大事だと思います。ただ障害があるだけ、あとは同じようにできるのです。これからの日本社会は、障害者に理解を深め、働きやすい職場づくりを健常者と障害者がサポートしあってしていければと思います。


投稿者: nocchi | 2012年01月18日 01:38

 私は大学生になって初めてアルバイトを経験したのですが、それは少なからず社会における「被雇用者」としての自覚を持つ良い機会となりました。バイト先の労働環境はなかなか良質であると思いますので、私自身パワーハラスメントは特に受けていないと感じますが、やはり被雇用者の立場は圧倒的に弱く、発言権が少ないということはひしひしと感じられます。上の者には逆らえないといった状況です。ですから大きな企業での職場のことを考えるとなると、「使用者によるいじめ」が起きるのは容易に想像できるのですが、特に障害者雇用が企業のイメージアップのような位置づけにされてしまっていたとしたら、障害のある従業員はその格好の餌食となってしまうのではないかと懸念されます。
 障害者雇用の理想的なケースとしてあげられた例のように、障害者雇用を会社の中の「別枠」のようなものとせずにむしろ「大切な教訓」とするくらい、熱意を持って会社は取り組むべきだと考えました。


投稿者: かんとく | 2012年01月18日 03:51

 私は、多数決の原理が学校等に存在するいじめが生じる理由の根底にあると考える。障害者への使用人による虐待も同様ではないか。人は多数派に流されやすい。あらゆる実験から証明されていることだ。障害者は少数派であろう。だから人はみな、多数に群がり、少数を避け、退けようとする。ならば、障害者について理解を深め、意思疎通できる人で多数派を形成すればいい。
 講義や講演、メディアなどから障害者に対する考え方をもっと多く発信し、人々に考える機会を与えることが何より重要だと考える。少なくとも、先生の講義を受けた人は障害者に対しての良識を得たはずだ。障害者への理解を深め、広めていくには時間がかかるかもしれない。それでも、やらねばならない。私は障害者に対して理解ある者が多数派を占める社会が形成されていくことを願う。


投稿者: TK.10 | 2012年01月19日 00:40

 以前働いていた職場で、元気よく挨拶する時もあれば、ある時はこちらから挨拶をしても返事が返ってこないという方がいた。そのうち、職場内では「変わった人」だよね!という雰囲気になり、何となくみんなが関わりを持たなくなっていき、その方は仕事を辞めた。後から、統合失調症だったと聞いた。
 もしこのことを、はじめから知っていたとしたら、私も含め皆の接し方が違っただろうかと考えてみると、統合失調症に対しての知識が少ないことで、結局、同じ結果になっていただろうと思う。職場など集団の中では、マイナスのレッテル貼りが起きてしまうと、たいがいの人がその雰囲気に流されてしまうように思う。そして自分自身も心理的虐待(いじめ)の加害者になっていたりする。きちんとした知識を身につけること、ありのままの他者(障害の有無に関係なく)を受け入れられるようにすることを心がけたい。


投稿者: くろみあ | 2012年01月19日 02:12

 このブログを読んで、納得できる箇所が何点かありました。まずは「報道と実態の大きく乖離した企業もしばしば見受けられる」という点です。やはり、メディアは何らかの意図をもって報道を行うために偏った表現を用い、私たちの印象を操作してしまうという危険な側面があります。
 障害理解をはじめ、自分が実際に状況を見ていない、理解していないものに対してそのような先入観で捉えることは、差別にもつながりかねないということに注意したいと思いました。
 また、「いじめの構造が存在している」という点ですが、多様な労働者が多様化した雇用形態で働くことはいじめが起こりやすい環境であるというのは、学校やその他の社会集団にも共通点があると思います。
 したがって、そのような問題は自分の身の回りでも容易に起こる可能性があり、(障害のある人に社会がサポートシステムを整備しなければならないのはもちろんですが)障害の有無にかかわらず、日頃から人とのコミュニケーションの在り方を考える必要があると思いました。


投稿者: chocolate | 2012年01月19日 09:36

障害者雇用促進法によって、障害もつ人たちの雇用が増えてきていることは知っていましたが、記事にあるように、職場定着率が低く、回転が激しいという事は初めて知り、とても残念であると思いました。
結局、障害を持つ人だから、と言って、先入観や偏見で仕事ができないなどと思い込んでいる人が未だに多くいるという事なのだと思います。確かに私もはじめはそうだと思っていました。しかし、障害のある人でもやることを理解していれば、とても丁寧に、また、きっちりこなすのだと以前知りました。なので私たちの思い込みで、仕事ができる人たちの可能性をなくしてしまってはいけないと思います。
私たち一人一人が先入観、偏見をなくし、一人の労働者として接すること、また、職場では障害を持つ人たちを含めた労働者が働きやすい環境を作り上げていく必要があるのだと感じました。


投稿者: mon | 2012年01月19日 14:37

使用者の虐待については、私はまだ就職したことがないので身をもって感じたことがないのですが、どんな職場でも少なからず起きているのではないかと思います。どこまでいけば虐待であるか、どのような虐待例があるのか表には出ていないために虐待の受け身側は自分が“虐待”を受けているという意識を持つことはできずにいるのではないかと感じます。特に障害をもっている人は使用者に対して反論しにくい場面は多いので、次々に使用者の態度が大きくなってしまう原因になるでしょう。障害をもっている人の雇用に関しては企業の表面のイメージアップとして乱用されないように、障害がある人の意見が通るような会社作り(障害者理解のための話し合いを取り入れる等)をしていく必要性があると思います。


投稿者: りらく | 2012年01月19日 15:19

やはり、資本主義という社会制度を採っているため、労働をする上での雇用者と被雇用者の間の労働問題は避けられないものであると思います。増してや、身体障害者の問題になると、それはさらに難しくなると思います。しかし、それらの問題から避けることはできないと思います。
 大切なのは、雇用者が被雇用者の理解を深め、労働条件などを話合うために、しっかりと両者の間でコミュニケーションをとるべきだとおもいます。身体障害者の方に対しても同じことです。少なからず皆、彼らに対してのバイアスはあると思います。それらを正しい理解にするためにもしっかりと雇用者と被雇用者間で会話をするべきだと思います。


投稿者: KAN | 2012年01月20日 11:34

この記事を読んで、いじめ、虐待、DVといったものは、個人の意識の問題、あるいは人間関係の問題だけではなく、現代の経済事情も大きく関わってくるということを知りました。成果主義の浸透によって職場の人間関係が悪化してしまうといった例がありましたが、経済の変化が副作用的な形でいじめや虐待に発展してしまう恐れがある事を経営者、従業員ともども理解する必要があるし、また障害が有る無しに関わらず助け合える、協力し合える職場を作る事が大切であり、そうなるためには企業の成長のみを重視するのではなく、ある程度気持ちに余裕がある中で働ける職場である必要があると思いました。


投稿者: NASA☆ | 2012年01月20日 14:08

 障害者雇用にあたって、障害者と健常者の意識や雇用関係の改善も必要だと思いますが、障害者同士の意識や雇用関係についても考えた方が良いと思います。障害者同士と言っても障害には様々な種類があるため、お互いの障害を理解しているとは限りません。そのため健常者が障害者をのけものとしがちになると同様なことが障害者同士でも起こると考えられます。そのため健常者・障害者双方の教育が必要だと思います。


投稿者: kakku | 2012年01月21日 13:01

 使用者からの虐待は、新聞で見るように虐待を受けた被使用者の自殺など結果的に取り返しのつかない形として社会に取り上げられている気がします。この流れの原因として周りの人間も、虐待を行う使用者に対して発言することで自分もまた虐待の対象になると考え、思ったことを言えないのではないかと思います。そういった悪い流れを変えていくことが、これからのCSRなどを含めた課題なのではないかと考えます。


投稿者: KH | 2012年01月21日 23:16

 「使用者による虐待」について、これは誰もがある程度予測できたことなのではないかと感じた。障害に関して正しい認識や知識・理解を持っていない人と言うのは、悲しいことに日本にはまだまだ沢山いる。それは企業も例外ではないと思う。しかしその多くの人は、自分が抱いている知識が正しいものだと思い込んでいる。だからギャップが生じて、虐待へと発展しやすくなる。「これだ!」という完璧な解決方法は存在しないだろうが、解決しようと模索し続ける姿勢が求められるだろう。


投稿者: A38 | 2012年01月22日 00:10

 ここ最近小学生や中学生の間でいじめが多いことはニュースでもよくやっているので知っていました。しかし、職場の間でいじめがあることは知りませんでした。しかも、障害のある人をベースにいじめが発生してるなんて許されざる行為だと思います。
 また、障害者だからといって雇用できないとし、パワーハラスメントに似たことをするということが起きてはいけない。国はすぐさまこういった問題を止めるべく行動をしてほしいです。そして、すべての会社が誰もが快適に過ごせる職場環境になってくれれば、と思います。


投稿者: こいちゃん | 2012年01月22日 02:04

 私が子供の時から大好きだったパン屋は障害のある人が多く働いていました。近くに障害者支援センターがあり、そこで働く意志のある方を採用しているパン屋だったのです。小学生のころの課外活動でそこのパン屋で職業体験をする機会がありました
 。行く前には誰かから聞いたマイナスなイメージがありましたが、いざ職場に行ってみると、そこでは必死にパンをこねている皆さんの姿がありました。そして、おいしいパンを届けるという気持ちはみんな同じなんだとジョブコーチの方がおっしゃっていました。その体験から私は今でも、大事なことはその人の本質、気持ちを理解することなのだと思っています。


投稿者: 松葉 | 2012年01月22日 12:04

 近年、インターネットの発達にともなってマスコミの報道の仕方の問題が取り上げられるようになりつつあるように思います。障害者雇用に関して報道と実態が乖離している企業が存在することは企業、報道に対して残念に思います。
 しかしある企業が前向きに障害者雇用に取り組んでいるという報道が取り上げられるということが、他企業の取り組みを促せるようなことになるということになるかもしれません。マスコミのあり方が変わっていくことも重要ですが、報道がより良い障害者雇用を実現することを願います。


投稿者: ろいちろー | 2012年01月22日 12:47

 障害者のある人に対しての雇用問題は社会全体の理解によっていくらでも改善できることだと思いました。実際に記事の中でも「はじめは戸惑ったが今では立派な戦力、自分たちと変わらない職場の一員」という言葉もあるので、まずは障害のある人に対しての固定概念をなくし、接してみることが大切なのだと痛感させられました。それは、企業も一般の人も関係ないと思います。そうした意識の改善から進めていくことが大切だと思いました。


投稿者: ソネット | 2012年01月22日 15:31

 この記事を読んで、障害者に対する「職場いじめ」が多くなったということで驚きました。確かに、障害者は仕事がうまくできないというイメージがあります。しかし、 障害者も教育を受ければ、仕事ができます。
 私の地元である韓国にいた時、住民登録証を作りに区役所に行ったことがありました。そこで、一人の障害者が働いており、彼女が私の住民登録証を作ってくれました。それを見て、障害者も教育を受ければ、仕事ができることが分かりました。
 障害者はもちろん、一般人より仕事の効率がお落ちるが、障害者が持っているまじめさを発揮すれば、一般人より効率的に働くことができると思い、より良い環境で働くために、障害者は仕事ができないという固定観念を捨て、障害者を理解することが大切だと思います。


投稿者: 海外から来た男 | 2012年01月22日 16:22

 今の自分は「障害者の方々に対して偏見の目が全くないか」という問いに本心からイエスと答えられる自信はない。おそらく仲良くなってしまえば何も問題はないのだろうが、それまでの過程に時間を要すると思う。そのきっかけとしてジョブコーチの支援というのはとても有効であると思う。
 これはこのケースに限ったことではないが、いじめは相手の気持ちを理解することで少なくなると思う。相手を理解しようとせず軽い気持ちで相手を否定・拒否することがよくないのである。仲良くなる過程を全てすっ飛ばしてしまった結果がいじめであると思う。何より私達が直接コミュニケーションを図ることが大切だと思う。


投稿者: ずんのやす | 2012年01月22日 23:08

自分は障害者だから~という考え方が嫌いだ。障害者だからって特別扱いする必要はない。というと非常な人間に思われるかもしれないが。「障害者だから」特別扱いをするのではなく「一人の人間」として当たり前のように気を配り助け合いをするべきなのではないかと思う。ひとりひとりが周りの人間に気を配り助け合いをしっかりすれば社会の障害を少なくできるのではないかと思う。自分が習っていた道場には学習障害の人や耳が聞こえない方もいたがなんの差別もなく一人の人間としてせっしていた。それで苦もなかったし師範も他の子と同じようにしていた。だから相手のことをきちんと理解したうえでお互いに思いやりあって過ごせばいいのではないかと思う。


投稿者: K.I. | 2012年01月23日 10:49

障害者雇用に力を入れている企業には、良い印象を持つと思います。しかし、そういったCSRが「タテマエ」の企業が存在することにショックを隠しきれません。私は、介護等体験で知的障害者の授産施設で5日間働いたことがあります。仕事を覚えたりすることが普通の人よりも少し遅かったりしますが、彼らは真面目に仕事をするし仕事に対してひたむきな姿勢が見られます。障害者に偏見を持っている人たちを、私は許すことができません。


投稿者: まるや | 2012年01月23日 17:05

私には、小学校と中学校が同じだった知的障害者の友達がいます。彼は、同じ学年ではあっても、個別指導学級に所属していました。私は彼とは昔からの友人であり、障害を持ちながらも一生懸命な彼の姿は素晴らしいと思っている。しかし彼のように障害を持つ人には、雇用問題が存在する。世の中には、障害を持つ人に対して偏見を持ち、歩み寄ろうとはしない人々が多くいる。企業にしても、障害のある人は、能力がなく、雇用する意味がないなど、決めつけている企業も少なくないはずです。障害を持つ人が社会で生きていくためには、働かなくてはいけないので、障害者の人々に対する偏見や固定概念をなくし、私たちから手を差しのべていけるような社会が望ましいと思います。


投稿者: KA | 2012年01月23日 21:38

障害者の雇用率が低いことや職場での障害者への虐待があるということは、まだ多くの人が障害者への偏見を持っているという証拠だと思います。おそらくは障害者は一人では何もできない、仕事もうまくこなせない、話すことも困難だ、という偏見です。確かに障害者は、ある点においては障害のない人に比べ劣るところがあります。しかし、普通の人と同じようにできることもたくさんあります。一人一人の障害者に対する意識を変え、このような偏見をなくさなければ雇用率の低さや虐待は改善されないと思いました。


投稿者: jfk | 2012年01月23日 21:38

「虐待」と言えば多くは親など保護者によるものを想像しがちなので、「使用者による虐待」というのは少々ハッとさせられるでした。「障害」という言葉の定義として、「周囲の環境と合わせて」という点についてもっと広く認識されなければと思います。現時点ではまだ個人の性質という認識がまだあり、そういった認識がこういった事例に影響していないとは言い切れないと思います。例え自発的でなくとも行動したのなら何よりまず知ること、知ったのなら理解すること。「タテマエ」だけにならず、しっかりと知り、理解し、意識を持って行動しなければと思いました。


投稿者: 全微分 | 2012年01月23日 23:42

今の自分には、「障害者は、健常者よりも仕事ができない」という先入観がある。そこには、「自分は障害者よりも仕事ができる」という慢心が存在するからであり、こうした考えが自分だけでなく、働いている人にある限り、「職場いじめ」等の問題は解決しないと思う。これから、介護実習等の、障害者と触れ合う機会を利用して、そういった偏見をなくしていきたい。


投稿者: NT | 2012年01月24日 00:53

 障害のある人に対しての雇用に関していじめがいまだに残っているということは、うわさでもよく聞くことである。近年の内部告発などの流れやネットの影響もあるのか、明言はしないもののいじめの存在をほのめかしている文章を数回目撃したことを今回の文章を読んで思い出した。
 本当はいじめをなくしたいと思っている社員もいるなかで、職場での闘争が激しくなったこともあり、うかつには止められないという状況が、学校でのいじめでのいわゆる「傍観者」のスタンスを作り出してしまっているように思える。


投稿者: sgt3 | 2012年01月24日 04:54

このブログで「使用人による虐待」について初めて知りました。自分が、企業について調べたとき必ずCSRの欄に障害者雇用について記述してありました。障害者雇用が増えているというのは、多くの会社に書いてありました。しかし、その中の企業に「タテマエ」の企業があるかもしれないとすると、憤りを感じます。また、マスコミがこのことを報道しづらい状態では、マスコミの本来あるべき姿でないと思います。

企業が障害者についてわかっていない面もあると思います。だから、このブログに書いてある、先生が見学した企業の担当者の方が[正直に言うと、私のもともとの『障害者』のイメージは働けない人、福祉サービスの対象となる人でした。だから、人事の方から障害者雇用を進めるので現場で受けとめてほしと言われた当初は、かなり戸惑ったのです。はたしてうまくいくのかって]とおっしゃっているのだと思います。自分も障害者の人とどう接していけばいいかわかりません。何か気を付けなければいけないところがあるのではと考えてしまいます。そのもやもやが解消されず、障害者の人と使用人の間の溝が広がってしまったときにいじめ、虐待が起きてしまうのではないかと思います。
その溝を埋めていくためには、企業内の勉強会、行政による勉強会など担当する人が不安、不満にならないようにしていく環境の整備が今より必要だと思いました。
自分がいろんな企業を調べた時にCSRの欄には、まるで自慢するかのように、ここ数年で何パーセントとの障害者雇用増やしました!!と数字とグラフだけ書いてあって少し違和感を覚えました。その内容が数字だけのタテマエにならずに、中身の整ったものであればいいと思いました。
日本企業のCSRが「やらなければいけないこと」ではなく、「やっていて当たり前」のことになればより多くの障害者のひとにも雇用が生まれるのだと思いました。


投稿者: rannma→ | 2012年01月24日 11:06

このブログを読んで初めて使用者による虐待というものを考えました。積極的に障害者雇用枠を増やしていく企業がある中、それとともに使用者による虐待という問題がでてきてしまうのは、とても大きな問題であるのだと思いました。また、それとともにイメージアップのために障害者雇用を利用しているというのは許せないと思いました。このような問題を防ぐためにも、記事にもあるジョブコーチというものの義務化するとかの対策を考えていかないといけないのだと思いました。


投稿者: abc48 | 2012年01月24日 11:44

障害者雇用を大企業でも進めているという話を度々聞いていて、昔に比べて障害者の立場は改善しているのだろうと思っていました。確かに、以前と比べれば障害者が働く場は増えているのだろうけれども、障害者の働く環境は依然として改善の余地があることが残念に思いました。職場のいじめは一般人の間でも大きな問題であるはずです。それが障害者を対象にした問題であるならば、より難しい問題であるのは確実で、より相互の努力が必要であり、一人一人が互いを理解しようとする気持ちが必要なのだと思いました。


投稿者: あまおう | 2012年01月24日 16:25

ここ何年間かの間身体障がい者の雇用状況が見直され、障がいを持っていたとしても会社からの雇用を受けれるように会社側が変わっているというニュースをたびたび見ます。しかし、雇用されるだけで問題は解決するものではないものであることをこの記事を見て初めて知りました。労働環境が変わるには雇用を受ける側、雇用する側双方の理解が必要であると感じます。


投稿者: supreme | 2012年01月24日 19:59

自分は障害者だから~という考え方が嫌いだ。障害者だからって特別扱いする必要はない。というと非常な人間に思われるかもしれないが。「障害者だから」特別扱いをするのではなく「一人の人間」として当たり前のように気を配り助け合いをするべきなのではないかと思う。ひとりひとりが周りの人間に気を配り助け合いをしっかりすれば社会の障害を少なくできるのではないかと思う。自分が習っていた道場には学習障害の人や耳が聞こえない方もいたがなんの差別もなく一人の人間としてせっしていた。それで苦もなかったし師範も他の子と同じようにしていた。だから相手のことをきちんと理解したうえでお互いに思いやりあって過ごせばいいのではないかと思う。


投稿者: karetoki | 2012年01月24日 20:45

今回のこの記事を読んで初めて「使用者による虐待」について考えました。
そして宗澤さんが見学した企業の話を聞いて障がい者に対するイメージはちゃんと変えることができるんだと実感しました。私の持つ障がい者へのイメージは何から何まで他人の助けがないと働けない人というものでした。企業の人にもそれに近いイメージがあるのではないかと思います。そういったイメージをまずなくさない限り、より多くの人が、障害を持っていようときちんとした戦力になるんだということを理解しない限り障がい者に対する企業内のいじめというのはなかなかなくすことは困難だと思います。障がい者に対する誤った私たちのイメージを払拭するためにもメディア等でもっと取り上げることが必要ではないかと思います。


投稿者: らっしゃー | 2012年01月24日 23:56

「統計上では障害のある人の雇用率が高水準」 とあることを読み、数字に騙されてしまってはダメだと感じた。働くヒト、一人一人に焦点を当てず、固まりとして考えているから現場が把握出来ないでいるのであろう。それは働く人をモノ扱いに考えていることとおなじであると思う。障がいのある人を差別するのではなく、仕事内容で区別することは必要であるが、それはヒトとして扱わなくて良いのではない。何かが違うから違和感を感じることはあるだろうが、それを不快感と捉えることからいじめが始まると思う。


投稿者: ちかもん | 2012年01月25日 00:03

障害者雇用に積極的に取り組んでいる企業があることをテレビなどのメディアを通して知って良いイメージを持っていたが、「使用者による虐待」があるということを知り、とても残念に思いました。実際に障害者が戦力として活躍できている場合もあるので虐待が起きている企業はそのような企業を見習って障害者のための労働環境を見直すべきだと思います。


投稿者: ざき | 2012年01月25日 02:03

障害者の雇用を率先している企業には良いイメージを持っていましたが、その内実に障害者に対するいじめが隠されていたとは知りませんでした。
小学校の頃に障害者学級があり、軽度な知的障害を持った子達と一緒に遊ぶ機会が多かったのですが、その子達も的確な指示があればしっかりとした働きができるし、周囲とのコミュニケーションも図れていました。しかし、実践力として扱うこともせずに企業のイメージアップのために採用しされ、いじめられている人々がいるのだと思うと理不尽でなりません。ジョブコーチがもっと普及して、会社で一人前に認めてもらえる人が増えれば良いなと思いました。


投稿者: レトルト | 2012年01月25日 04:10

この記事を読んで初めて「使用者による虐待」というものを考えました。昨今の企業、特に大企業では障害者を一定数雇用する枠を設けるなど、障害者の社会進出に少しずつ積極的になってきている中での、このような問題はとても残念に思います。職場でのいじめは一般人同士の間でも深刻な問題になっていることは周知なことで、一般人と障害者の間というのは一方的で残虐性に満ちたより性質の悪い問題だと思います。僕たち一般人はこういった人災からむしろ守るべき立場であると再認識しなければならない。


投稿者: ニロー | 2012年01月25日 04:28

虐待の意味合いが難しいところだと感じました。いじめや差別はもちろん含まれると思いますが、では、いじめや差別というのはどの程度のことまでなのだろうと考えてしまいます。
いくら差別はいけない、虐待になるんだ、といっても、彼らは健常者とまるっきり同じことはできないため、どうしてもそこで区別が生まれてしまいます。その区別をどう判断するかは重要です。確かに彼らは他の人よりもできないことが多いかもしれない。でもそれを顕にして、あなたは耳が聞こえないから何々はできない、と決めつけるのは区別ではなく差別になってしまいます。そうすると、そこには「虐待」が生じます。
でも、区別しないわけにはいかないのが今の世の中だと思います。今の制度では、分けないとその会社の利益全体を考えた時にマイナスになってしまうことの方が考えられます。この世の中のシステムが差別を生み、虐待を生んでいるのだと思います。
私たちがこれからするべきことは社会のシステムを変えていくことです。次々と新しい世代が行動を起こしてかなければ、この問題はずっとなくならない問題だと思います。


投稿者: すずのき | 2012年01月25日 06:34

障害者雇用というものが上手くいっていないということが分かった。障害者は働けないというのは、間違っていると思う。障害者は、いろいろな障害を抱えているが、その障害に関係ないものなら問題なくこなせるし、障害者じゃない人でも最初は何もできないところから始まる。ただ周りの評価のために障害者雇用を促進しているように見せている企業があると言うことに驚き、残念に思った。障害者にとっては、たまったもんじゃないと思う。


投稿者: lambo | 2012年01月25日 07:16

この記事を読んで、固定観念というものの恐ろしさを感じた。
「障害者だから仕事ができない」「障害者だからコミュニケーションが取りづらい」
こういった間違った固定観念に執着した結果がこのような使用者による虐待につながってしまうのだと思う。
企業、政府が障害者が安心して働けるような体制を作るのももちろん大切だが、まずは私達一人ひとりが障害者に対しての理解を改める必要があると感じた。


投稿者: GZ-5 | 2012年01月25日 09:48

「障害者雇用促進法」があることは知っていたが、実際にはうまくいっていないことに驚いた。常に障害のある人の回転が激しい、職場でのいじめがある、ということは、やはり「障害者=社会的弱者、劣っている人」という意識が根底にあるのだろう。だが、障害者の方でもほかの人に比べて優れている部分もあると思う。だから、企業も「障害者」というようにレッテルをはってしまうのではなく、そのような良い面を見つけ、雇用を積極的に行うべきではないだろうか。また、障害者の方自身も働くことに消極的にならず、行動を起こすべきだと思う。


投稿者: kemp | 2012年01月25日 11:06

 以前、障害者雇用を推進している企業の取り組みについてテレビで特集されているのを見て、私の中のその企業へのイメージは確かに上がりました。しかし、中には使用者による障害者への虐待が行われているかもしれないということを知り、とても落胆しました。障害者のある方は、仕事を覚えるまでは少し大変で健常者よりも時間がかかりますが、覚えてしまえば作業をするのには何の問題もないというふうに聞きました。むしろ、障害者のある方は単純作業を黙々とこなすことができ、手も抜かないので、清掃やライン製造などの分野において非常に良い働き手となる可能性を持っているそうです。障害のある人にも同じように仕事ができるのだということがもっと普及していけば、差別の目も今よりは少なくなると思います。そして、使用者による虐待などという非道な事態が一刻も早くなくなることを願っています。


投稿者: mst | 2012年01月25日 11:18

障害者という言葉でくくっている時点で差別は確かなものであると思います。事実、障害者で仕事をしている人達はほぼ軽作業などの単純労働をしている。しかし、こういった軽作業にもこなすまでに他者からさまざまなサポートを受けていて、正常者であれば簡単にこなせる事もかなりの時間もかかり、コストもかかる。そういった中で周りの評価だけを気にしている企業ないで差別や虐待が起こっている事実を知った。


投稿者: kokoko | 2012年01月25日 13:02

「職場いじめ」(心理的虐待が柱となる)という現状が多く確認されていること初めて知りました。また、障害者雇用に「前向きに取り組んでいる」企業として、よくマスコミに取り上げられる会社であるにも拘らず、報道と実態の大きく乖離した企業があることに憤りを感じました。
確かに障害者は一般からみたら、できないことが多くて冷たい目で見られることが多いと思います。
障害は持ちたくて生まれ持ったものでは決してありません。
最近では「障害」の字を「障がい」と書き記すことが多くなったそうです。障がい者の障がいも個性として認めようという動きであるように私には少なからず感じられます。このような気持ちを少しでも持てる人が増えてくれれば、障がい者が抱える一般社会の中に立ちふさがる「障害」はなくなると私は考えます。


投稿者: frbk | 2012年01月25日 13:22

私の父は、企業の障害者雇用率を調べ、水準を上回るようにする仕事をしている。
父が言うには、企業が障害者を雇うより、障害者を雇わないペナルティを払う方が安くすむため、雇わない企業が多いということだった。つまり、障害者を雇っている企業にしても、“雇ってやっている”という考えがあるのではないだろうか。そのような考えであるならば、パワーハラスメントが少なからずおこってしまうのも理解できる。
また、障害者とひとくくりに言っているが、実際はその生涯によって、異なった問題が発生してくる。
例えば、耳が聞こえない人は、ただ聞こえないだけで、他は健常者といっしょ、という考えの人が多いと思う。しかしその実は大きく異なる。もちろん健常者と同様の人もいるが、耳の聞こえない人の多くは、日本語の読み書きが不自由な人が多いのである。手話に助詞がないから、語順が異なる(英語と同じような語順)からだと考えられる。このように、障害は見える所にのみ生じているのではない、ということを知らなければならない。
また、障害を障害と思って、劣った人たちだと思う人が多い今の日本では、障害者に対する差別、逆差別は決してなくならないと思う。


投稿者: こむぎこ | 2012年01月25日 13:32

 私は、企業における障害者雇用制度を他の授業でも少し触れました。そのなかで障害者を雇用しない企業は一定の金額を支払わなければならないということも知りました。また、「レインツリーの国」という小説で、企業に勤める障害者の女性がいじめにあっているということも読んだことがありました。しかし、実際の企業において、「使用者による虐待」が起こっていることをこの記事を読んで改めて感じました。それが企業の年古序列型や終身雇用から成果主義と能力主義への移行も関係していることは初めて知りました。私は企業における成果主義や能力主義に賛成でしたが、この記事を読んでこのような現実を知って、この移行がすべて正しいと感じることはなくなりました。「あの人は障害者だから○○だ」というような差別的な固定観念は捨てなければなりません。障害者の人が健常者に比べて、必ずしも仕事ができないとは限らないからです。だから虐待はもちろん、差別することは決してあってはならないと思いました。


投稿者: ysk | 2012年01月25日 13:46

虐待と聞くと私は親から子に対する虐待ばかり想像しますが、今回改めて障碍者への使用者からの虐待もあるのだと考えさせられました。虐待とは防ぐことがとても難しいです。だからこそ、私たち周りの人が気付く、虐待への認識を強めることが大切なのだと思います。


投稿者: YG | 2012年01月25日 13:58


この記事を読み、はじめて使用者による虐待という言葉を、しりました。
障害者をいじめの標的とするのは、最もやってはならない行為であり、それがなかなか取り締まることができないということに、なんともやりきれない思いでいっぱいです。
パワハラをはじめ、そのような障害者のいじめは、とてもじゃないが、すぐに解決することはできないと思いますが、みんな一度、真剣に考えるべき問題だと思います。


投稿者: たつや | 2012年01月25日 14:19

障害者雇用を採用している企業はテレビや就活サイトなどで見ますがそういった企業の中に使用者による虐待があることを知り、とても悲しく思います。
この記事を読んで使用者による虐待ということを知りましたが、こういった問題は企業全体で取り組まなければならないことだと思います。将来自分もどこかの企業に勤めるわけなので障害者いじめについて真剣に考えなければならないと思いました。


投稿者: 秀納言 | 2012年02月12日 16:59

障害者の方々に仕事がないのは仕方がない、と思う部分もあります。それはなかなか内定が決まらない今の就職状況とも同じで、みんなが自分のやりたいことを望まれてやっているわけではありません。だから、障害者を雇っているから良くて、雇わないから悪い、と一概には言えません。しかし、どの企業も、どの人も、個人が活躍できる場を用意する努力はするべきであると思います。そのために、障害者も含めて私たちはアピールをし、それを認めてくれる人がいて初めて社会という集団に自分たちの場所ができます。
悪なのは、「雇わない」ことではなく、「居場所を作らない」または「なくす」ことだと思います。そのためにも、自分自身を含めてすべての人間をフラットな状態でみることが大事だと思います。


投稿者: tama | 2012年06月26日 15:19

上司によるパワハラは聞いたことがありましたが、「使用者による虐待」は聞いたことがありませんでした。障がい者を採用するからには、企業内でその人を一従業員として受け入れる必要があると思います。企業の上層部が「障がい者雇用を促進します!」と言っても、周りの従業員が意識を持たなければ意味がありません。企業として障がい者雇用を促進する場合、全従業員が障がい者と一緒に仕事ができる意識づくり・環境づくりから始める必要があると思います。


投稿者: ますまにあ | 2012年07月04日 15:33

この記事を読んで初めて使用者のいじめということばを聞きました。これは非常に悲しいことだと思います。障がい者を雇用することに多少の努力は必要かもしれませんが、記事にもあるように良い環境を作ることによって立派な戦力となるので、障害があるからといっていじめを受けるのは非常に理不尽だとおもいます。
この記事で取り上げられている企業のように誰もが働きやすいような環境が増えていってほしいと思います。


投稿者: 2z2z | 2012年07月05日 17:28

障害者を雇用することが純粋な意図だけではないだろうとは知っていましたが、企業が良いイメージを作るために障碍者を雇用することにはさすがに嫌悪を感じます。しかし、最初の意図が悪かったとしても、それが定着して良い方向に向かう場合もあると思います。ただ、使用者による虐待に関しては解決策を探すべきです。障碍者たちへの理解、配慮が求められると思います。


投稿者: kittystar131 | 2012年07月11日 12:23

 虐待といえば、家庭内暴力や夫婦・カップル間における暴力がすぐに思い浮かぶ。しかし、今回のこのブログを読んで、「使用者による虐待」の存在と深刻さを初めて知った。親密圏にいる人からの暴力は生活のすぐそばにあるから、非常につらいのは分かるが、障害者が差別を受けたときのあの苦しみは、今の私には想像しかできないことだが、計り知れないほど深い悲しみであろう。障害をもっているだけで、仕事がなかなか見つからないのに、さらに職場で虐待されるとなると、はたして障害者の居場所はどこにあるのだろうか。
 障害者を雇用するというのは、容易なことではないし、様々な工夫と努力が必要となる。それを不十分な状態で障害者を雇うのは、間違っているはずだ。


投稿者: fmk | 2012年07月17日 13:36

この記事を読んで職場における虐待というものを初めて知りました。同じ職場で働くものとして障害者を理解できていないということはとても悲しいことだし、恥ずべきことだと思いました。そもそも、相手が障害者だからという理由だけで自分の立場を優位に考えることは間違ったことだと思います。障害者だからできないとよく言うけれど、自分は完璧なのでしょうか。人それぞれ得手不得手は必ずあるのだから、障害はその人の不得手のひとつと考えれば良いと思います。障害者だからという固定観念を捨てて一人の人として接していくことが大切だと思いました。


投稿者: buzz | 2012年07月18日 10:01

この記事を読んで、まず「虐待」という言葉は、家庭内での暴力だけでなく、職場における暴力のこともさしているということを初めて知りました。
これまで自分は、障がい者の雇用について、ある種のボランティア的な側面を持っているのではないか、と半信半疑でした。しかし、この記事にも「意外とやれるなとなって、これで半年ほどたちましたが、立派な戦力だと感じています」、「特別の配慮が必要な点も多々あるけれども、自分たちと変わらない職場の一員だなと考えています」などとあるように、障害を持っていることは、ハンディキャップではなく、むしろ一つ物事に対する凄まじい集中力を発揮する人もいるということも知りました。
「障害はハンディキャップである」という偏見や先入観をなくさなければ、このしいウ社による虐待はなくならないと思いました。


投稿者: きりん | 2012年07月23日 22:50

 障害者雇用における社会問題は難しいものだと思っています。それは障害者というだけで、軽度な障害であっても、人と違っているという印象を持たれやすいからです。職場において社員の競争が激しくなりギスギスしているからといって、フラストレーションを他人をいじめることで発散すること自体よくないし、ましてや障害者だからいじめの対象になるのというのもおかしいと思います。企業はいじめ撲滅になにをすべきかもっと考えるべきだし、社員同士のコミュニケーションも促進されるべきです。難しい問題ではありますが、解決できないことはないと思っています。


投稿者: ガンジスの流れ | 2012年07月24日 20:51

「使用者による虐待」について障害を持つ当事者として、私はよくあることだと思っています。
障害を持つか否かで、人の価値が決まるわけではないとは思いますが、現在のぎすぎすした職場環境では、そのはけ口を求め、自分の欲求のままに弱い立場の人間をいじめる・・・というのはよくあることではないでしょうか?
障害者雇用に関して、実績がある会社とは言っても、その中身は「雇用している」だけであり、中身のないものだと思います。
私自身は職場で上司も含め、実現不可能な課題を与えられ、それをこなさなくては許してもらえないということがよくありました。
無給で「リハビリ」と称して、時間外になってから、保険の募集文書を数百部単位で折り込みさせたりなど、1年間以上、職場での虐待を受けました。会社は改善などしてくれなかったし、「あなたの障害内容を周りがしらないだけ」と本社の人事からは虐待の理由ともとれない説明を受けただけで解決には至りませんでした。
職場では「電話できるのがおかしい」等、なんら自分の障害内容とはあわないことを叱責されることが続きました。今振り返ってみても「できないのがおかましい」と言われるならわかりますが、「できるのがおかしい」となると、私はその都度、どう答えたらよいかわからなくなり、現在もこの職場環境が原因でうつ病等の精神疾病を発症するに至りました。
この程度の話はよくある話で、暴力等、手をあげられなかっただけ、ましだと私自身も思っています。・・・中小の企業ならいざ知らず、大手の企業であってもこの程度の虐待はよくあることですが。。。


投稿者: ぞう | 2012年08月01日 00:00

私はこの文章を読んで「使用者による虐待」(職場での虐待)がなかなか把握しづらい現状はなんとしても解決するべき問題だと感じました。特に企業のCSRの取り組みが進んできたことにより、近年大企業を含む障害者の雇用率が上がっているそんな中で本文にもあるように障害者雇用に前向きに取り組んでいるとマスコミによく取り上げられる企業が実態が報道と異なり職場定着率が低いにも関わらずこのような真実を報道していない。逆に障害者雇用を大切な教訓にしようとジョブコーチと真剣に工夫を重ねて取り組んだ結果、ジョブコーチの支援と職場の理解が相乗効果をもたらし、理想的な障害者雇用の確かな定着がはかられた企業がある。このような取り組みがほとんど報道されていない現状はとても矛盾したことであり、障害者雇用について理解を深めていくことにはつながらないことだと感じました。この文章を読んで、使用者の虐待に関する問題について考えるための第一歩としてまずはこのことについて正確な情報をマスコミが報道し、問題提起していくことが必要だと自分はかんがえました。


投稿者: むかいり | 2012年11月29日 21:18

この記事を読んで虐待にも様々な種類があることを学びました。私の虐待に対するイメージは家庭内での虐待が強いです。しかし、職場における虐待というものを初めて知りました。同じ職場で働くものとして障害者を理解できていないということはとても悲しいことだし、恥ずべきことだと思いました。相手が障害者だからという理由だけで自分の立場を優位に考えることは間違ったことだと思います。障害者だからできないとよく言うけれど、自分は完璧なのでしょうか。人それぞれ得手不得手は必ずあるのだから、障害はその人の不得手のひとつと考えれば良いと思います。障害者だからという固定観念を捨てて一人の人として接していくことが大切だと思いました。


投稿者: tetsu92 | 2012年11月30日 06:21

 先日の宗澤先生の講演の中で、虐待はテレビ等で取り上げられているものだけではなく、実は見えないところでたくさん起きているというお話がありましたが、職場や施設での虐待がまさにそうだと思いました。障害を持っている人は、その障害ゆえに臨機応変さに欠けたり空気が読めないとして、健常者よりも虐待や嫌がらせを受けやすいのではないかと思います。表向きには障害者雇用率が高くて企業イメージが良くても、雇った人を虐待して使いまわしている所があるのだと知ってとても悲しくなりました。何のために障害者雇用制度があるのかを、雇用主にはきちんと考えて欲しいです。障害があっても、それを活かしたりその人にあった作業をしたりすれば、むしろ活躍できることもあると思います。それは企業にとっても良いことであるし、何よりその人の自信を生み、生き生きとした人生を送ることにつながるのではないでしょうか。本当に障害者のことを考えた企業でなければならないと思います。
 また、虐待を受けた人への支援と、それだけでなく水面下で起きている虐待の早期発見と、虐待を防止するための取り組みを強化していく必要があると強く感じました。


投稿者: yoshi5 | 2012年12月09日 23:29

先日は講義をしていただき、ありがとうございました。私は今回初めて職場で障害者に対するいじめがあることを知りました。そして、職場で起こっている“虐待”が殴る・蹴るというものではなく、心理的ダメージを与える「いじめ」「しかと」であり、その内容や構造が最近話題になっている小学生・中学生内でのいじめとおなじようなことだと知り、非常に驚きました。障害者雇用促進法の雇用率を達成するために社会的責任として障害者を雇う企業があることも、障害者を雇ったとしても回転が早すぎて雇用がうまくいっているとは言えない状況の企業もあることも初めて知ったことでした。この状況を解決するためには、制度の整備などしなければならないことは山積みではあると思いますが、やはり、このような職場の状況があることをひとりでも多くの人が知り、自分が心理的虐待、いじめをする立場にならぬようにすることが大切だと思いました。今回このような現状があることを知ることができたことは、私にとって大きな衝撃であり、大きな学びになりました。ありがとうございました。


投稿者: mmyy | 2012年12月10日 20:47

使用者による虐待というのは、障害者に対する無知によるものだと思います。この問題は、使用者が障害者を理解しようとする心がけによって解決されるものだと思います。ゆえに、人格形成の行われる子どもの時期に障害者に対する気遣いなど学校教育で教えるべきだと思います。確かに、障害者といっても、それぞれ違います。それは、ジョブコーチのような専門の人から意見を聞けばいいものです。まず、障害者に対する根本的な意識を変える必要があると思います。


投稿者: ms | 2012年12月14日 00:47

障害者の雇用率が上がってきたことは喜ばしいことですが、障害者雇用が実は表面的なもので単なる企業のイメージアップ戦略として利用されているという実態は非常に残念に思いました。障害者は確かに健常者に比べてできる仕事が限られてくることは否定できない事実かもしれません。しかし「障害者」とひとくちに言ってもその程度や状態は様々であり、健常者も人それぞれ得手不得手があるように完璧な人間はいないという点では同じで、適材適所の人事配置は可能だと思います。それなのに初めから「障害者は仕事ができない」というレッテルを貼って、期待せず活躍の機会を与えないということは間違っていると思います。使用者は、障害あるなしに関わらず、思いやりと理解をもって雇用するよう努力するべきではないでしょうか。


投稿者: かかし | 2013年01月07日 00:31

私は中学校の時の職場体験で障害者の人が働く施設で一週間働きました。そこでは自分が初めに思っていたイメージとは違い障害者だからといって特別なことはなく私も日にちが経つにつれ障害者の方になにも偏見などはなくなっていきました。しかしこの前の先生の講義で一般の企業が障害者を雇用する場合は単にイメージをよくするだけで実際の仕事での待遇などはひどい場合があると知りとても驚きました。私が中学生の時感じたのは障害者の施設だったこそであり、一般の企業などではまだ偏見などがあるのだと思い、これからこのようなことを変えていくには障害者の人ともっと関わり、障害者への考えを変えなくてはいけないと思います。


投稿者: うす | 2013年01月07日 21:52

今回の記事を読むまで自分は、障害のある方の雇用について知らずにいました。イメージアップのために障害のある方を雇用して、「使用者による障害」などがおこなわれていることには驚きです。このような障害を防ぐにはやはり、障害のある方への理解を深めて、健常者が障害のある方のサポートをしていくようなことが重要だと思います。


投稿者: N-T-T-W | 2013年01月12日 21:28

この記事を読み、私は悲しくなりました。「障害者雇用に前向きに取り組んでいる」と銘打っているのにもかかわらず、実は障害のある人の回転が激しいだけというのは実に悲しいことだと思います。表向きは、あたかも良い企業であるように見せつけて、実際のところは劣悪な雇用を行っているのです。このようなことをするのであれば、障害者雇用をやめた方がいいと思います。障害者に対して偽りの場所を作ったところで、何の意味もありません。SNSが普及し、対人のコミュニケーションが希薄化している世の中ですが、今こそ、対人で障害者とコミュニケーションを取り、手を取り合って共に仕事をしていくことが大切なのではないでしょうか。


投稿者: 四暗刻 | 2013年01月15日 18:25

自分たちにとって身近で、表面上では障害のある人の雇用率を高い水準で保っている企業であるにもかかわらず、実際は職場定着率が低く、障害を持つ人たちが働きやすい環境にはなっていない現状であるという話を聞き、その企業が戦略のために障害者を雇用しているという意識が少なからずもあるのならば変えるべきであると思います。授業を受けて障害者への理解を深めた私たち一人一人が障害者雇用についてもう一度考え直し、社会に広まっている根拠のない固定概念や先入観を改めて、障害を持つ人たちが働きやすい環境を作り上げていく必要があるのだと感じました。


投稿者: はりー | 2013年01月19日 15:54

企業は障害のある人を雇用しているということを私は知っていましたが、その背後で使用者による虐待が起こっていることを知り悲しくなりました。それを改善するために企業では障害を持っている人々ともっとコミュニケーションを取り、その人たちと打ち解けていこうとする努力が必要だと思いました。現にそれを実践して障害のある人と従業員との上下関係をなくせている企業もあるので、もっと広まっていって欲しいと思いました。


投稿者: SAS | 2013年01月20日 11:58

私はこの記事を読んで、障害者雇用に「前向きに取り組んでいる」企業の実態がマスコミで報道されている内容と大きく異なる企業があると知り、とても驚きました。そのような企業はイメージアップのために障害のある人を雇用し、障害のある人が仕事をこなせると考えておらず、障害のある人にとっていい環境ではないように感じます。企業だけでなく国も進んで障害のある人の雇用を改善するべきだと思います。


投稿者: HK | 2013年01月22日 21:47

暴力は日常生活では絶対に起こってはいけないことだと思う。企業には障害者を一定数以上雇わないと、納付金を払わないといけないという決まりがあるけれども、それで雇った障害者に対して暴力をふるうことはいけない。それを改善するためには、企業に対して障害者を雇用することだけでなく、そこでの労働環境に関することにも決まりをつくるべきである。そして、その障害者に合った環境を企業が作っていくことで、暴力のない働きやすい環境が作られる。


投稿者: ちょるる1 | 2013年01月23日 13:19

職場でのパワーハラスメントの問題が取り上げられていたが、この問題は非常に根深いものであるように思われた。
普通の人間であっても、特殊な肩書きを与えられるとその役割に合わせて行動してしまうということが証明された実験がある。職場でも、雇用主や管理職、面倒を観る立場などの肩書きを与えられると、それがその人の心理に与えてしまう影響があるのではないだろうか。職場という狭い人間関係と空間の中で、それが暴走してしまい、「いじめ」「虐待」につながるということも考えられる。
それを改善するためには、非正規雇用などの雇用形態の改善が重要であると思われる。パワーバランスに開きがある今の現状を変えるため、正規労働者の雇用促進が有効であるように思われる。そういった面でも、障がいを持つ方の正規雇用が今後増えていくことを期待したい。


投稿者: wsrt | 2013年01月24日 23:22

障害者雇用は表面的には良く取り組んでいるように見えても実態はその逆であることが多い。この記事で取り上げられているように障害者雇用率はたしかに増加している。これは障害者雇用に関するコンプライアンスを定めたりCRSに積極的に取り組んだりする企業が増加してきたためであるが、それは企業イメージの改善という、売上につなげるためのあくまで資本主義的な考えが及んでしまっている。そのために障害者を雇いはするものの使い捨てるようなことが起こる。自分たちのメリットばかりを考えずに社会共有の問題として考える姿勢が大切である。


投稿者: サティス | 2013年01月25日 12:17

結婚生活名ばかり44年月日の経つ成人三人の子育
終え亭主も老齢の身。当時は障害問題は表に出て居無い時代、義理で顔たて断れずにの人生そして
情報源から学んだこの言葉を元に頑張るだけの。
その間色々口惜しさ有りました。思い返せば夫婦とは?亭主の働きで妻子養う、当然ですよね?
、、、其れなのに妻は食べる分自分で、子は育てるの夫の協力無し、と言う身内の経営者義理の亡姉の仕打ち‼ で過ごして来た日々でした。 その当人はと言えば自閉症的な性質、読み書き出来無い、平仮名鏡文字を書く、独身から妻帯者子持の環境下に成り会話すら理解が難しくなり頭混乱苛立つ日々に成り、、、、、今日になりました。
公に相談するにも面倒な話には何れも弁護士にと「逃げられる」様な結論に達しておわっている⁈
何とも不甲斐無い面持ちで過ごして居ます。
過去に寝泊まりの日々に亡義姉に「店の風呂入るな洗濯機使うな」と云われたと言う亭主の言葉は、正に障害者に対する虐待扱いと振り返ると思い当たる節がでてきます。其れと所帯持ちにさせて於いて扱われた仕打ちは許せる問題ではない、と痛感してます。亡人の事を言ってはいけ無い?
でもその扱いが実身の「奴」から継続された扱いをするという虐待的な扱いは許せる問題ではないと思うからです。 裁判ではない!弁護士では無い! 正当性を裁いて欲しいと願っているんです。 身内とは亡父の実弟の店、子無しの後妻に実妹養子、実兄養子の夫婦間に人格不足性質の本人が預けられ店で下働き一筋、と言う日々でしたが
何とか成るにも老い先短い日々
口惜しさのみ眺めて終わりますかね〜⁈


投稿者: 山口 節子 | 2013年06月29日 09:48

私は親の同僚に障害を抱えた人がいて、その人についての話を以前聞いたことがあります。そのときに特に強調していたことは、ほかの人とほとんど変わりはなく、とても真面目に真摯に仕事に打ち込んでいるということでした。当時、自分は恥ずかしながら、障害を持っている人はほかの人に比べ仕事が全然できないものだと考えていましたが、親のその話と、話しているときの真剣さから、障害を抱えていたとしても、しっかり仕事のできて、ほかの人となんらかわりはないのだと感じました。前回の講義で、畜産関係の仕事に障害を持った人が働いていて、一般社員よりも真摯に仕事に打ち込んでいるということを聞いて、親の言っていたことはやっぱり本当だったのだと思いました。


投稿者: AAA777 | 2013年07月08日 14:45

障害者虐待防止法の成立はこれからの日本の雇用形態に大きな変化をもたらすのではないかと思います。企業とは利益搾取のための集団であり、その点でみると障害者の雇用は一見不利益にみえるのだと思います。しかし障害者の方々であっても周りがしっかりとコミュニケーションを取れれば健常者と同じように社会の一員として労使できるのだと思います。そういったコミュニケーションの充実を計る意味においても障害者虐待防止法の成立は良い契機になってくれると思います。


投稿者: time | 2013年07月16日 21:31

 障がい者の虐待について職場でのいじめについて考えたことはありませんでした。しかしこれから障がい者雇用は年々積極的にされるようになり、この問題は深刻になっていくと思います。障がい者雇用が増えることは喜ばしいことではありますが障がい者の職場でのあり方がこれからは重要になってくると思います。ブログでも述べられていたとうり障がい者の方は「覚えが悪い」、「特別な配慮、手間がかかる」といったイメージがどうしてもついてしまいがちです。そうなると広告目当てでの雇用などもどうしても増えてしまうと思います。またそのようなイメージのせいでパワハラの対象のなってしまうことも確かに考えられます。しかし競争社会の厳しい会社が多い中障がい者の職員が一人の戦力として育てることは決して無駄なことではないと思います。障がい者を教育するということは時間がかかることもあると思います。しかし教育者が大変であると同時にその障がい者の方もそれ以上に負担のかかることではないでしょうか。そのがんばりの分、その教育や配慮が必要な分障がい者の方も期待に答えてくれると思います。また障がい者にかかわらず会社でのパワハラの被害は多くでており問題となっております。会社の利益のための競争力も大切ではありますが今の会社に必要なのは周囲の人を思いやる気遣いの心だと思います。どんなに実力主義の会社でも結局は集団で会社を運営しています。チームワークの悪い会社が利益を生めるとは思いません。ましてや「障がいがあるから」などの理由で切り捨てる会社の経営がうまくいくのでしょうか。それで会社がなりたっていてもそのうちボロがでてくると思います。これらのことをふまえ私は障がい者雇用を積極的に増やしていってほしいと思います。


投稿者: rkrk | 2013年07月18日 23:44

 講義での、「体罰によってしつけと虐待の境目がわからなくなる」ということは本当にその通りだと感じた。虐待は絶対的にあってはならないものだが、体罰はしつけを行う以上、ときに必要になることもある。しかし、体罰と虐待の境目があいまいであるがゆえに、自身で自覚がないうちに、子どもに虐待をしてしまうという親も少なくないのではないだろうか。今後の虐待防止を進めていくにあたって、体罰に関する人々の認識が大きな壁になってくるのではないかと感じた。
 また、今回の講義でピクトグラムについて初めて考えさせられた。普段何気なく目にしているピクトグラムだが、その中にたくさんの意味が含まれていることがわかった。ピクトグラムの特徴として、抽象的で簡潔に描かれており、一目で何を意味しているか理解できることや、言語の壁も超えることが挙げられる。よく考えてみればその通りで、私たちの生活にあるピクトグラムでその意味を理解できないものはない。私たちにとっては何気ないものでも、障害者にとっては生活の助けとなっていることに気付かされた。
 また、この記事を読んで、障害者に対する虐待も深く考えさせられた。講義でも障害者への虐待が取り上げられていたが、この問題はひどく陰湿なものだと感じる。本来障害者を支援するはずの人が、虐待を行ってしまう背景にはたくさんの問題が潜んでおり、その問題を企業全体で解消していく必要がある。現在は、健常者が障害者を異質なもののような目で見てしまうことが多々ある。このようなことがなくなり、健常者と障害者がお互いに支え合える日がくればと感じた。


投稿者: AJ | 2013年07月19日 09:22

私の育った小学校・中学校には特別支援学級があり、そこの学級の生徒と共に授業をうける機会があった。同じ授業を受けているときは彼らは私たちと同じスピードでは理解できない。だが、何度も繰り返すことで問題のないレベルまでは理解することができるようだった。座学の授業で苦労している場面はよく見ていたが、美術や音楽等の場面ではむしろ他の生徒よりも意欲的に取り組んでいるように見えた。
障害者雇用ということで「障害者だから」と採用を決める企業では押し付けや決めつけが多くあると思う。そのような環境では十分に能力を発揮できないし、またそのことによって理解のない周りの健常者にはいら立ちや反感を生み出すこととなると思う。そこから障害者への暴力などにつながることも多いとも考えられる。それよりも、障害者それぞれのもつ性質を見極めて、持っている能力を十分に発揮できるような環境に配属することができれば社内環境でも良い結果を生み出すと思う。また、障害によっては健常者よりも仕事に適している能力を持っている人もいるので、見極めができれば、決して「障害者だから」不利益な存在とはならないのではないのだろうか。
ただ、障害者にとって活動のしやすい環境を整えるために、健常者にとっては活動しにくい環境になる、などということは避けなければならない。障害者も健常者も一人一人のもつ価値に違いはないはずだからだ。
今のような義務だから障害者を雇う状態から、利益になるから雇う、という状況にかえるためには、より多くの人が障害について知識を深め、健常者と障害者両方が共存しやすい環境について考えることから始めなければならないと思った。


投稿者: 葉桜 | 2013年07月23日 13:34

雇用者と被雇用者の間には力の差があって当然だ。だからこそ、虐待があっても見逃してしまいがちである。表面を見ただけでは何も見えてこないのだ。障がい者の方が自ら声を上げることは難しいだろう。だからこそ、我々は傍観するだけではなく手を差し伸べることが必要なのだと思う。


投稿者: AAA | 2013年07月24日 12:41

経営者は株主から資金を委託されて経営を行っているので、もし業績が悪化した場合クビになるのは経営者自身なので障碍者は仕事が出来ないという根拠の無い事を盲信し、法律の穴を掻い潜った雇用をするのはその企業が大企業なら尚更仕方がないことだとは思う。この問題は法律を改正すれば解決するのではないだろうか。
パワーハラスメントの問題は、日本の親密圏のあり方を変えていかなくては行けないのだと分かった。私は健常者、障碍者関係なくコミュニケーションをとりお互いに理解しあっていこうと思う。


投稿者: hisah@eco | 2013年07月24日 15:21

イメージアップのために屁理屈のような障がい者雇用をしてCSRを遵守しているように見せかける企業がいると聞いてとても憤りを隠せません。非常に悪質だなと思います。そして使用者による虐待という問題が発生していると知り驚きました。確かに、日本の中にはまだ障がい者「だから」のような考えが蔓延しているように思えます。だから私たちは障がい者、健常者の違いなんてほとんど無いのだという考えに改めないといけないと思いました。


投稿者: 猫大好き | 2013年07月25日 22:47

私の小学校でも特別支援学級というものがあり、一般の学級に来る生徒と特別支援学級に来る生徒は完全に別室で異なる授業形態をとっていました。また休み時間も専門の指導員の先生が特別支援学級に出入りするため、一般の学級に通う生徒と特別支援学級に通う生徒との交流の機会が立たれてしまい両者間でのコミュニケーションは皆無といっても過言ではないほどでした。
これは記事の中にある、【職場における虐待は障害のある人への無理解や意思疎通の欠如をベースに形成された「職場いじめ」】と同様のものであるように感じました。
確かに、学習や仕事において、障がい者と健常者の間は仕事量や効率の面で差ができてしまうかもしれませんが、だからといって障がい者を無碍にするのではなく、各個人を生徒や戦力としてしっかりと見つめることが欠かせないと感じました。


投稿者: etsd | 2013年07月29日 03:16

私は、二年前の介護実習先の職員から、職員が施設利用者の方から暴力を受けることもある、と聞きました。嫌がらせに耐え切れず職員が虐待した、というようなニュースも見たことがあります。このような場合はどうしたらよいのでしょうか。私の考えとしては、その利用者さんに対して、周りはどのような支援をしているかを観察する。他の職員に相談する、といったことでしょうか。もし自分がこの立場に置かれたら、と考えると難しいです。しかし、やはり虐待は許せなることではなく、こちらは絶対に手を出してはいけないと思います。


投稿者: kkk | 2014年01月29日 11:28

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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