北欧の「福祉切り下げ」の現実に抗して
EUの経済危機は、依然として先行き不透明な状況を脱することができません。国債と株式の売買を通じた国家に対する市場支配の下で、ヨーロッパ各国とEUの体制そのものが大きく揺らいでいます。高度に発達した社会保障・社会福祉を誇る北欧でも、リーマン・ショック以降の財政切り詰めのあおりを受け、「福祉切り下げ」が現実のものとなっています。
12月4日の朝日新聞朝刊トップは、「借金が民主主義を支配する」と題してEU危機の問題を報じています。ギリシャやイタリアの首相が国民の選挙によらず市場の圧力によって辞任に追い込まれた出来事はまことにおぞましく、“市場によるファシズム”と表現していいかも知れない事態です。私のブログでも、今年の8月29日付で少し論じましたが、社会保障・社会福祉の問題として改めて現局面の問題を提示しておきたいと思います。
20世紀福祉国家型の政策は、個別的で多様なファクターを思い切って削ぎ落して言うなら、(1)経済成長を前提すること、(2)国ごとの民主主義が機能し人権保障に資する政策が積み上げられていくことの二点から成立していたと考えます。現在のEU危機は、この(1)と(2)がともに崩壊の危機に直面している現実を意味します。わが国もまったく同様です。
このたび、長年にわたり北欧の福祉研究をされている小賀久教授(北九州市立大学)がデンマークから帰国され、リーマン・ショック以降の「福祉切り下げ」の現実について伺う機会がありました。
小賀先生によると、障害のある人の福祉サービスの領域では、例えば、次のような事態が進んでいます。
デンマークでは、(1)中軽度の知的障害のある人の利用するグループホームの24時間職員体制を廃止する(夜の9時までとする)、(2)グループホームごとの調理を廃止して給食センター方式による配食にする、(3)アクティヴティ・センター(作業所のようなところ)で働いている障害者をできるだけ一般就労させようとする政策圧力が高まり、現場との間でせめぎ合いが生じていること、などです。
(2)のグループホームごとの調理を廃止したことは、従来なら夕食に温かいシチューや焼き物を出していたところが、夕食でもサンドイッチに変わるようになったとのことでした。
(3)の「一般就労による自立」圧力に対しては、現場の人たちが自治体議員を作業所に連れてきて障害のある人たちと話をさせるなどし、「一般就労による自立」が決して現実的な政策でないことを理解させる事態に発展しているそうです。(北欧の福祉サービス施策は、社会サービス法のような一般法の下で、各自治体が福祉サービスと税負担の具体的なあり方を決定していきます。)
そこで、このような現実をつぶさに視察した後、小賀先生はデンマークの知的障害者「親の会」の会長に、「障害のある人たちの実態を知らない議員が政策を決定しようとしている現実を前にして、それでもあなた方は政治を信頼できるか」とインタビューされたそうです。すると、「親の会」会長の答えはきっぱり「信頼している」と。
小賀先生の解説によると、北欧の福祉サービスは自治体ごとの高度な民主主義に支えられる点に一つの特徴があります。
ふつうの職業に就く市民が自治体の議員になれるように、すべての地方議会は夜間に開催されており、実際、多様な立ち位置の市民だれもが「自分も今度は議員になろう」と受けとめることができる「身近な責任」を負う政治家が地方議員です。
そこで、多様な考え方の地方議員が選出されて当然なのですが、障害のある人の現実をまったく知らない議員に対しては現場に引っ張って行って実態を共有できさえすれば、「共に生きる」対話と生活文化の枠組から大きくそれることはあり得ないという民主主義の到達点が堅固に存在します。だからこそ、「親の会」会長の回答はきっぱりと「信頼している」になるのだと。
北欧では21世紀に入ったこの10年余り、20世紀の福祉国家を建設してきた社会民主党ではなく、移民排斥等を掲げる北欧型新保守主義の政党が政権を握ってきました。それは、一方では、自国民の既得権益を守る見地から20世紀福祉国家型の施策を守り、他方では、一部保育サービスの民間委託を試みるような綱渡りを演じてきたようにみえます。
しかし、このEU危機の下で、デンマークでは連立政権という形ではありますが、社会民主党が政権党に返り咲きました。そこに至る道筋は、社会民主党が自治体レベルの政策を積み上げて地方議会の陣地を回復させ、それを積み上げることによって国政のイニシャティヴの復権にまでアプローチしていったそうです。
このようにみてくると、国家が市場に呑みこまれそうな危機の下で、北欧における社会保障・社会福祉の抵抗線になっているのは自治体であるということが分かります。
社会サービス法という一般法も存在せず、自治体が抵抗線にもなりきれていないわが国が、国際的な経済システムの危機に直面しているとすれば、市場が国家を支配する現実に拝跪する限りにおいての「社会保障と税の一体改革」に終わるでしょう。ここでもし、一つの制度領域(特殊)からただちにわが国の社会保障制度全体のあるべき改革(普遍)に迫るようなイメージをもつ人たちがいるとすれば、それは誤った見通しにもとづく幻想にすぎないと私は断言します。
コメント
社会保障・社会福祉先進国である北欧諸国でも、EU危機の影響が社会福祉にまで及んでいるとは知りませんでした。日本の社会福祉に影響が出てくるのも時間の問題でしょうか…。
北欧では地方自治体が社会福祉の土台を支えており、地方分権も進んでいるようですが、日本ではそのような体制は全くとられておらず、その上、地方行政と国政、または都道府県と市町村の二重行政での弊害が出ている事例まであるようです。
最近、大阪府知事であった橋下徹氏が大阪市長に当選、大阪府知事には橋下氏の属する大阪維新の会の松井一郎氏が当選され、大阪都構想が実行されようとしています。これによって二重行政を無くした新しい地方行政のモデルが構築されるのでしょうか。社会保障・社会福祉の観点からも注目すべき動きだと思います。
一般職の市民が自治体の議員になれるように、すべての地方議会が夜間に開催するという。そのシステムの基礎には、顔を突き合わせて対話し、共通のプラットフォームを建設するような共生の理念が見える。だが、日本では「働かざるもの食うべからず」のような考えが、働けない人たちの支援を抜きにして流布しているように思える。まず、私たちは共生の理念を獲得しなければならないと思う。
北欧は福祉が進んでいると聞いたことがありましたがその根底には地方自治体と市民との親密な関係性があるとは知りませんでした。福祉については北欧をお手本とすれば良いと考えていましたが、地方自治体と市民との間に親密な関係の無い日本では北欧とは比べられないと思いました。また、日本が北欧のような自治体のシステムに出来ない一つの要因として、日本の労働環境や働くことに対しての概念の違いがあるのではないかと思いました。
日本にも地方議会はもちろん存在するが、地元のあらゆる分野から自由に立候補して議会を構成しているというよりは、企業からの推薦などといった、規模を変えた国会議員で構成されるイメージが強い。そんな議員が中心になっている議会が日本に多数存在している状況のなかでは、実際の地方に即した福祉というのもないがしろにされやすいと思う。出来れば一般市民が議員になるような制度が福祉には優しいが、そうでなくても市民が地方政治に積極的に参加する機会はもっと設けてもいいのではないかと思う。絶対数が少ない上に参加のしずらさも強い。
福祉国家体制の確立していないわが国では、いくら消費税引き上げをして福祉・教育に従事すると言われても、今まで我々に見えるカタチで福祉サービスの提供がなされてこなかったからには、だれが賛成するのだろうか。デンマークの現状を聞く限りは、福祉先進国と言われている国においても現場または福祉の現状を知らない人たちが経済状況(危機)を言い訳に福祉を犠牲にしているのが現実だ。地方分権の遅れている日本では地方自治体が持つ権限は弱いのはもちろんだ。そんなかで消費税引き上げが直接福祉に好影響与えるとはなかなか信じがたいところだ。
たしかにEUの経済危機は深刻なものであるがそれにより社会保障・社会福祉に影響がでることはいかがなものだと思う。しかし、自治体が抵抗線となっており、福祉の体制が我が国より進んでいる国々でもこのような窮地ならば、我が国がこのままではまずいのは明らかである。
なので、もっと地方の独立性を認め、人々の声を反映できるようにし、アイデアを振り絞ることでこの状況をなんとか凌ぐことが必要だと思う。
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