SOS子どもの村
『日本人・脈・記-親になる子どもになる』の連載(5)「村で一緒に暮らす喜び」で紹介されていた「子どもの村福岡」(前回ブログ参照)は、子どもに関する世界最大の国際組織「SOS子どもの村」の世界133番目の「村」です。王貞治さんの応援メッセージも掲載中のホームページがあり(http://cv-f.org/sos.html)、現在は東日本大震災で親を失った子どもたちのための本格的な支援をめざして「仙台子どもの村情報センター」が開設準備をはじめています。
「SOS子どもの村」とは、1949年にオーストリアの青年医学生であったヘルマン・グマイナーが戦争のために親を失った子どもたちの支援組織として立ち上げたNGOです。
「SOS」とは“Save Our Souls”の頭文字で「魂の救済」を意味します。
この「村」の詳細を紹介した『新たな家庭・SOS子どもの村』(金子龍太郎・中島賢介著・訳、2010年、明石書店)によれば、オーストリアのインスブルックに国際本部を置き、今日では、世界132の国に491カ所の子どもの村に58、000人の子どもたちが生活する組織に発展しています。
同書にしたがって、「SOS子どもの村」についてご紹介しましょう。日本でなじみやすく表現すれば、「里親家族のコミュニティ」となります(16頁)。「家庭」という「密室」で、里親が孤立することのない仕組みに工夫があります。
「この村の基本的形態は、一家を運営して養育を担当する女性(夫婦)が、乳児から思春期までの3~12人(国によって大きく違っています)の子どもたちと暮らす家が数軒~数十軒集まった生活共同体である村を形成しています。村の立地としては、一般住宅に隣接した場所が選ばれ、閉鎖社会にならないように考慮されています。
子どもの村はあくまでも家庭です。施設ではありません。実の家族ではなく、血のつながりはないけれども、心のつながった家族が共に暮らす家庭なのです。」(32頁)
このコミュニティには、まず村長がいます。村長は、子どもの養育に高い関心と専門性があり、高い統制能力と人材管理能力のある27歳以上の人があたります。
次に、各家庭で子どもたちを養育する「おかあさん」がいます。この「おかあさん」も実習を含む長期研修と適性チェックを受けた人があたります。「おかあさん」の休日・休息の保障や手が足りない時のために、「おかあさん」を補助する女性職員の「おねえさん」と家庭補助員が必ず配置されています。
虐待や地域紛争によって親から愛情のある養育を受けれなかった子どもたちのために、村には学習・レクリエーションの指導を行う教育職員、心理検査・心理治療に携わる心理職員、村内の敷地管理にあたる作業員も配置されています。
児童福祉の枠組をこえている点は、この村を構成する「家庭」にあります。つまりそれは、ここで育った子どもたちが青年となり、社会的に自立するまで(場合によっては30歳を超えても)、切れ目なく支援をし続ける暮らしの拠点であり、親密圏です。18歳や20歳で制度的な切れ目をつくることはありません。
「子どもの権利条約に準拠し、パーマネンシ―・プラン(血縁関係の有無にかかわらず、永続的な養育者を保障する)、ノーマライゼーション(できる限り家庭に近い、普通の生活を送る)、インテグレーション(地域社会に溶け込み統合する)およびインクルージョン(最初から地域社会と一体になる)を実現しているのです」(20-21頁)
この取り組みは、子どもの権利条約の前文で「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員とくに児童の成長及び福祉のための自然な環境」と謳う「家族」の剥奪された子どもたちには、血縁に拠らない「家庭」そのものを社会的に保障するものといえるでしょう。
したがって、この「家庭」内部は、「親子」と「兄弟姉妹」の間柄でなければならないのです。ここが、「指導員-子どもたち」「支援者-利用者」という施設やグループホームの間柄と決定的に異なります。後者は、せいぜい「家庭的」どまりのものであって「家庭」ではないからです。
SOS子どもの村の理念と実践は、すべての人に生涯にわたって親密圏が保障されるべきことを指示しているように思えます。ここには、「無縁社会」における単親家庭や障害者・高齢者の孤立の社会的克服までをも射程に収める、はかりしれない意義があると考えます。
障害者の権利条約にも次のような前文があります。
「家族が、社会の自然かつ基礎的な単位であること並びに社会及び国家による保護を受ける権利を有することを確信し、また、障害者及びその家族の構成員が、障害者の完全かつ平等な共有に向けて家族が貢献することを可能とするために必要な保護及び支援を受けるべきであることを確信し、…」(外務省仮訳より一部抜粋)
ここにいう「障害者」は、子どもから高齢者を含む人たちを指しますから、障害のある人の人権が生涯にわたって保障される暮らしの営みの基本的形態は「家族」にあることを確認した部分です。そして、かりにそのような親密圏が剥奪された場合には、「社会並びに国家」によって「家庭」そのものが保障されるべきことを指示するものといっていいでしょう。現在の「グループホーム」や「施設」ではないのです。
私は、現在の「グループホーム」や「施設」を否定する見解をもつ者ではありません。しかし、「指導員-利用者」「支援者-利用者」という基本型が据えられた、せいぜい「家庭的どまり」の制度的枠組みを超える実践的挑戦は、障害者の権利条約の指示するところであることを確信します。
障害者虐待防止法による取り組みが、とたえば家庭内虐待によって家庭から分離・保護されなければならない事態に直面しても、すべての障害のある人たちが安心して自立していくことに資する支援となるためには、剥奪された「家庭」を取り戻す血縁に拠らない「家庭そのもの」が必要だと考えます。
「SOS子どもの村」を参考に、障害のある人たちの「新たな家庭」を構想したいですね。
コメント
私は東日本大震災を福島で体験した。この震災で親を失った子どもたちの支援を目指して、仙台で開設準備をしていることは被災した私としても喜ばしいことだ。しかし、親を失った子どもには「施設の優しさ」だけでは癒すことができない心の傷を負っているだろう。これにはSOS子ども村にある「家庭の温かさ」が大切だと思う。また、年齢による区切りのない支援は孤児への不安を軽減できる要因だろう。
今回の東日本大震災では、多くの方が被害を被った。両親を亡くした同世代の人についてのニュースも見た。「SOS子どもの村」という取り組みは、多くの人々の救いになるだろう。この取り組みの重要な点は、「施設」ではなく「家庭」であること、言い方は悪いが「お母さん」にも労働者としての権利が与えられていることであると考える。村全体が幸せになれるよう、私も協力したいと強く感じた。
SOS子どもの村のコミュニティ形態のあり方は子どもだけではなく里親に対しても配慮された素晴らしいシステムだと感じました。障がいのある人たち(特に子ども)とその親が地域内で生活していくうえで「グループホーム」や「施設」の様な支援の形は確かに支援として必要ですが、それ以上にお互いの心を理解しあうことのできる新しい形のコミュニティの必要性を感じます。
私は、「SOS子供の村」の取り組みが非常に素晴らしいものだと思いました。日本でも孤児を救うための施設は設置されていますが、そういったものと決定的に異なるのは、「助ける側」と「助けられる側」に別れるのではなく、「みんなで一緒に生活する」という考え方でしょう。こういった村が実際に設立され、成功を収めているところを見ると、親たちが孤立しないで互いに助け合えるという環境がいかに重要であるか、そしてそれが失われた現代の日本の社会がいかに異常であるかが分かります。SOS子ども村のような取り組みこそが、今一番求められているものだと私は思います。
私はSOS子ども村はあくまでも家庭であって、施設ではない、という部分がとても印象に残りました。今回の東日本大震災でも、親をなくした子どもはたくさんいます。物資支援も絶対的に必要ですが、心のケアもなくてはならないものです。そういった場所でSOS子ども村のような家庭があれば、心がいやされると思います。日本には、このようなNPO団体もあります。しかし政府からお金の支援があまり受けられないこともあります。政府は、このような団体の支援に力を入れていくことが必要だと私は考えます。
親を失った子供たちにとって必要なのは単なる家や保護者ではなく、愛のある家庭だと思いました。親の愛をうける権利はすべての人にあります。子供たちが負った、親を失うという傷を治すのは、親の愛以外にないだろうと思います。
私もほかの方と同様に、SOS子ども村は施設よりも子どもたちに実際の「家庭」を知ってもらえると思います。しかし、「村」と称して数十軒も集約することには戸惑いを感じます。同じような境涯の家庭を一か所に住まわせてしまうというのは、その子たちに「SOS子ども村」というコミュニティーを過度に意識させてしまうと思います。もちろん一軒だけでは近隣からの孤立という問題もあります。なので数軒が最適だと感じます。
今回の東日本大震災では、多くの家庭が震災以前の状態を失ってしまいました。そうした状態を打開するのに「SOS子ども村」は大いに役立つと思います。しかし、一度家族を失ってしまった精神的なダメージは子どもたちの中に必ずあると思います。「家庭」という型だけでなく、家庭が持つ心を癒す力が「SOS子ども村」の課題として存在していると感じました。
SOS子ども村は虐待や地域紛争によって親から愛情のある養育を受けれなかった子供たちのため成立されました。SOS子ども村では一人の女性または夫婦が何人の子供を養育します。子供への関心や保護は時間や精力は足りないかもしれないと思います。普通の家庭で、子供は二人三人がいて、親が一人一人を関心します。SOS子ども村の子どもたちへの関心や守りは大切だと思います。
SOS子どもの村の特徴の一つは、上下関係のない「家庭」で構成されているということです。現代日本において、居場所のない子どもたちは少なくありません。この村では子どもたちを受け入れる準備が整っています。このように子どもたちが安心して成長できる環境を整えること、子どもたちの居場所をつくることが、社会が無縁化している今こそ求められているのではないでしょうか。
自分自身、東北地方の出身ではないが、茨城県の海岸よりに住んでおり、東日本大震災で水道が使えなくなったり、夜中に余震が何度も起きて眠れないような日々を過ごした。実際、東北の方々に比べたら、自分が味わった苦痛は微量なものであるが、同じ苦痛を味わった身として協力したいと思った。両親を亡くしてしまった子のための「SOS子どもの村」という取り組みは、多くの人々の支えになるし、この取り組みを通して家族というものの大切さを認識・再認識できるようになればいいと思った。
私は現在、障害をもつ人たちの介護をするアルバイトをしている。そこでは何人かが共同で生活していて、たまに利用者同士でけんかすることもあるが、基本的に暖かい雰囲気でくらしている。しかし、それでも利用者が家族のことを思い出したりするとき、とても寂しそうで哀しそうな表情をする。私はそういうとき、やはりここでの生活では心を満たすことはできないんだなぁ、とよく思う。
SOS子どもの村はホームでは得られない本物の『家庭』で安定した心を得られるのだと思った。
このブログを読み、SOS子ども村の「支援者」と「利用者」ではなく、「親子」と「兄弟」という関係を築くという点が素晴らしいと思いました。私は、ボランティア活動で、様々な理由で両親と暮らすことの出来ない子供たちの生活する施設に訪れて勉強を教えています。施設の子どもたちも十分楽しく生活しています。しかし、施設では、生活を支えてくれる先生や友達はたくさんいても、家族は存在しません。勉強を教え、仲良くなった子どもたちの中には、私の家族について興味を持ち、色々な質問をしてくる子どももいます。そういった子どもたちが、SOS子ども村の制度の中で生活するようになり、今度は私に自分の家族の話を笑顔で話してくれる日が、一日でも早く来るといいなと思いました。
また、私が訪れている施設の子どもから、「施設の規約で高校生からは部活動が出来ない」と話してくれた子がいました。その子は、小学生の頃から運動部に所属し、中学校の今でも部活続けています。そういった子どもたちが施設の規約に縛られず、やりたいことを少しでも叶えられるSOS子ども村のような環境が、増えていくことを願います。
このブログを読んで、まず、SOS子供の村の取り組みがとても素晴らしいものだと感じました。この取り組みを初めて知ったのですが、「家庭」の大切さを痛感しました。私たちにとって「家庭」は当たり前のものという認識の中で生活していますが、早くにして親を亡くしたり親がいなかったりする人にとって「家庭」を取り戻すことは不可能です。しかし、SOS子供の村のような取り組みにより「家庭」を取り戻すということはその人の人生そのものを立て直す、よりよい人生にすることに間違いないことだと感じました。東日本大震災でも多くの人が「家庭」をなくしました。どんな物資よりも、「家庭」の場を設けることが一番の支援であり、これから目を向けていかないといけない点なのではと思いました。
この取り組みを知ったことで、私自身家庭の大切さを改めて感じ、このような団体の取り組みに対し、多くの人が関心を持ち、支援をするべきなのではと思いました。
このブログを読ませていただき、「SOS子どもの村」の存在かつ活動が素晴らしいものだと感じました。自分は健全な両親を持ち、大学に進学させてもらえています。自分にとってこのことは当然のごとくに感じますが、それがいかに幸せなのか改めて思いました。自分の周りにも若くして母親が他界してしまった家族であったり、経済的に大学に進学できなかった友達がいたりします。そういう家庭が身近にいるにもかかわらず自分のの幸せに気付けなかったことを恥ずかしく思いました。
「SOS子どもの村」で育ったあるいは育っている方たちにとってこのような団体によってつくられた「家庭」は養育的には最適な場所ではないかもしれませんが、それでもこのような「家庭」にはその「家庭」でしか学べない絆であったり、団結力であったり、人とのつながり・助け合いをより実感できる場所なのではないかと自分は思います。なので「SOS子どもの村」の取り組みは生活困難な子どもたちにとって必要不可欠なものだと思いました。
今回を通してこれから「SOS子どもの村」に対して注目していこうと思いました。また生活困難な子どもたちの支援も積極的に取り組んでいこうと思いました
このブログを読ませていただき、SOS子ども村の取り組みをはじめて知りました。施設ではなく家庭だということがこの取り組みの素晴らしいところだと感じました。血のつながりはないけれども、心のつながった家族が共に暮らす家庭、ということで改めて家庭の大切さを実感するとともに、自分が当たり前に家庭の中で過ごしている日々がいかに幸せなことなのかということを痛感しました。私の周りには家庭の都合によって施設で育った友人がいますが、やはり“家族”というものに敏感に反応していたように思いますし、施設でしか学べないことがあるように家庭でしか学べないこと、たとえば、家族の暖かさや人と人とのつながりなどがあると思います。そんな、家庭を必要としている子どもたちにとって必要不可欠な支援であると思います。また、私は、特別支援学校にボランティアとして行っていますが、障害を持っている子ども達と一緒に過ごしているとき、親御さんがいなくなってしまったとき、この子たちはどうやって生きていくんだろうとふと考える時があります。ぜひ、SOS子ども村を参考に、障害のある人たちの「新たな家庭」を構想することが実現化されたらいいなと思います。また、思うだけではなく、自分自身も支援に向けてなんらかの形で活動していきたいです。
先生のブログを読み、「SOS子どもの村」が、親のない子どもが育っていくために様々な工夫のされた環境であることを知り、現代社会に必要な取り組みであると思いました。「施設ではなく家庭である」という言葉から、家族に大切なのはあたたかさや愛情なのではないか、と改めて感じました。また、「家庭」から、里親が孤立してしまう「密室」をつくらない仕組みや、村だけで閉鎖社会にならない場所につくられることなどの工夫は、「SOS子どもの村」だけに言えることではなく、「家庭」が「密室」とならないような取り組みをしていくこと、地域が協力して共同体を作っていき子育てを行っていくことなどは、社会全体においても行うべきことであると思いました。
私自身、SOS子どもの村について、全く知らなかったのでこのシステムを知って驚いた。日本人にわかりやすいように「里親家族のコミュニティ」というのは良い表現だと思う。私がこのシステムで一番良いと思ったのは、家族と村の混合である。このシステムによって、里親ではあるが、本当の家庭・家族を感じた。子供の傷ついた心や体をちゃんと癒したり、愛を与えられるのは、「家庭的」ではなく、「家庭」、しかも愛のある家庭なのだなと思った。
東日本大震災で親を失った子供たちは精神的にとても大きな傷をおったでしょう。施設などに入ってもそこでは、ただ生活するための場としてしか感じられないと思います。少しでも傷を癒すためにこのSOS子供の村は良い効果を生むのではないかと考えられました。「おかあさん」と呼べる人がいて家庭を築ける、そして愛情を育くみ、悲しみを乗り越えていくことができるのではないかと思います。現代では過去に虐待を受けていた人による犯罪がみられます。もし親からの虐待をうけていた子供が施設ではなくこのようなSOS子供の村で生活し家族のあたたかさを知ったとしたら虐待によって受けた心の傷を癒せて、犯罪をおこすこともなくなるかもしれません。親をなくした子、虐待を受けた子、このような子供たちに家庭と呼べる環境を与えることは子供たちの心のケアのためにとても良い方法だと思いました。
この記事をよんで、sos子どもの村のことをはじめて知り、すばらしいと思います。子どもたちにとって、傷をいやす場所、安心できる場所は、sweet homeしかない。特に留学生にとって、家庭非常に重要で、大切にしたい。SOS子どもの村は、施設ではなく、閉鎖の社会じゃなく、現実の社会と接する家庭です。血のつながりはなく、里親ではあるが、実際の家庭の感じです。子どもたちは、この村で、安心して自立できると思います。
この記事を読んで親を失った子供たちにとって必要なのは単なる家や保護者ではなく、愛のある家庭だと思いました。
でも、このように擬似的ではあるが人からの優しさを受けることができなかった子供たちにとっては
人の優しさや愛情をうけることができていいと思います。やはり、親の愛をうける権利はすべての人にあるとおもいます。
私は「SOS子どもの村」を参考に、障害のある人たちの「新たな家庭」を構想したいというものに、強く共感します。障害者にとってこのような場があることはとてもいいことであると思います。しかし、未だに差別や偏見が残っている中、建設に当たっては賛否両論の声があると思いました。現在では、障害者が将来生活をする場としての選択肢は、グループホームか施設であり、少ないと感じています。子ども村の場合、子どもが自立するまで期限なしに支援を受けることが出来るという制度でありましたが、障害者に視点を当てた場合、親亡きあとなどの支援を重視して一生の生活の場として考えることで、親や障害者自身の将来に対する不安を軽減することができるのではないかと感じました。
「SOS子どもの村」というシステムをこの記事を読んで初めて知りました。既存の施設では感じられない本物の家庭のあたたかさを感じることで、子供の心の豊かさはだいぶ変わってくると思います。大人になっても家族がいて帰る場所がある、と思えることは心の支えになると思います。実際、家族にしか話しにくいことや家族にしか助けられないこともあると思います。そういう点でこの制度は大変意義があると思います。
このブログを読ませていただきSOS子どもの村というものの存在をはじめて知ることができました。この村でもっとも意義のあるポイントは「家庭」というコミュニティに位置づけしていることです。親を失った子どもたちに懸念されることが心の拠り所がないという精神的な部分です。そういった意味で、グループホームのような共に同じ場所で生活を送る他人にとどまるのではなく、血縁関係がなくても「父」と「母」、そして「兄弟姉妹」とで構成される「家庭」の中に入り込むこと自体が子どもたちの心の拠り所になり、精神的な部分を支えているのだと思います。また、一般的なグループホームのように成人するまでといった年齢の制限を設けないことによって、本当の意味で「家庭」という意識が生まれ、年を重ねても血のつながり以上に深い信頼関係が築かれていくのだと思います。この取り組みはオーストラリアの文化が大きく影響しているのではないかと感じます。オーストラリアの雰囲気は比較的フラットで個人と個人の壁があまりありません。そのためみなが寄り添って暮らしていくという助け合いの文化が浸透しているのかもしれません。現代の日本では人との付き合いが減り、隣人の名前が分からないということも稀ではありませんし、今後、より稀薄になっていくと思います。この「家庭」というコミュニティのSOS子どもの村を日本に取り入れていくためには世間の風潮から変えていかなければならないのではと思います。ぜひこのような「村」が日本にも普及し、孤独な子どもが少しでも減っていくことを願いたいと思いました。
SOS子供の村とはなんだろう?という興味からこの記事を読ませていただきました。施設やグループホームではない新たなコミュニティの形に引き込まれました。施設であれば、完全に援助という感じがしますが、SOS子供の村には家庭があります。子供にとって、温かい家庭で愛情を受け、悪いことをきちんと叱られて育つことは必要不可欠だと思います。SOS子供の村はそれが可能です。また、里親に対しても支援が手厚いのがとてもいいことだと思いました。里親にもきっと不安が沢山あり、その不安が家庭内暴力やネグレクトにつながってしまうと考えるからです。子供にも里親にも支援があり家庭がある。この新しいコミュニティをもっと広げていけたらいいのではないかなと思いました。
「SOS子どもの村」は基本形態が里親家族が集まって形成する村だという点が非常に優れていると感じた。
村という形態をとることで里親家族が孤立してしまうことを防ぐことに繋がる。
家庭が地域社会から孤立することで、親と子どものタテの関係が突出してしまうことは虐待の原因の1つである。
これは、里親家族に限らず、世間一般のすべての家庭に言えることだ。
一般の家庭よりも多くの困難や苦悩を抱えるであろう里親家族が、社会から孤立してしまう可能性は非常に大きいだろう。
同じ境遇の家庭が周りに存在することが、困難に出会った際に家庭に閉じこもるのではなく外に助けを求めることを容易にするだろう。
また、家庭で育った子どもたちは社会的に自立するまで切れ目なく支援を受けられるという点も非常に優れていると感じた。
「○歳まで、就職するまで」という期限を設けずに支援するというのは、グループホームや施設では達成できない、「本当の家族に近い」支援の在り方だと感じた。
親を亡くした子供たちにとって真に必要なのは、形ある物資よりも形なき愛情だと思う。SOS子供の村には、施設などとは違った、一方的ではない温かみのある「家族」の形が実現されている。心のよりどころを失った子供たちに大切なのは、帰るべき居場所と愛情の向ける先であり、それを受け止め、さらに返してくれるのが本当の家族のあり方である。そこに血縁関係の有無はかかわらないのだ。疑似とはいえ、家族としての無償の愛がある、このような村の活動がもっと広がればいいと思う。
今回このブログを読んで初めて「SOS子供の村」というものの存在を知りました。この子供の村のスタンスである『家庭を作る』という考え方がとても素晴らしいものだと感じました。近年、報道などで取り上げられていることもあり、以前と比べれば多少は、障害のあるかたに対する支援が広がってきているように思います。しかし、どうしてもその支援には制度によるものであるという感がぬぐえないところがあるような気がしてなりませんでした。ところが、このSOS子供の村の家庭を作る、すなわち助ける―助けられるの関係ではなく、そういった垣根を超えた支援のしかたであることにとても感動しましたし、また、是非これを参考に日本における支援がより家庭的なものから家庭に近いものになればなと思いました。
宗澤先生の講義を受講している者です。
私は今までSOS子供の村の存在を知らないでいたが、このブログを読み進めていくうちに興味がわいてきた。児童養護施設と違っているところは、「家庭」をとても大切にしている点であると思った。施設長やお手伝いさんではなく、母親がいて兄弟がいて他の「家庭」もすぐそばで生活していることは、子供にとっても息苦しさを感じずに暮らせるのではないだろうか。また、子供だけでなく、里親にとっても子育ての不安や喜びを共有して近所の繋がりを広げていくことができる興味深いアイデアだと感じた。
自分は「SOS子どもの村」という題名を見て、それはようするに児童養護施設のことなのか、はたまた何かまったく別の新しい取り組みのことなのかなど考えて、「SOS子どもの村」について知りたいと思い記事を見させていただきました。内容を見た後の自分なりの「SOS子どもの村」についての解釈は、そこで養育してくれる人をおかあさんやおねえさんとしたり、新たな家庭を持つまでは何歳になっても支援をし続けたりすることで家庭を持たない子どもたちにとって新たな家庭になっているところなのだと考えました。(違っていたらすいません)。たしかにこれはとても良いシステムだと思いました。自分の偏見かもしれませんが、小学生や中学生ぐらいの歳になると自分に家庭がないことになにかしら負の感情を抱いてしまうと思います。自分も施設などを否定するわけではないが、家庭という観点から見ると施設は少し希薄な気がします。自分はやはり家庭というものを持っているということは大切だと思っており、「SOS子どもの村」は本当の家庭を作るというところに重点をおいているので、自分はこのシステムを強く推奨したいと思いました。
この記事のタイトルから、近頃世間で話題になっている児童養護施設を舞台にしたテレビドラマを連想したので、読んでみました。
そのドラマやこの記事でも触れられているように、施設などでの「指導員ー子供たち」という間柄である、という認識のなかでは、親と離れてしまった子供たちの心はいつまでも閉ざされてしまったままのことも多い、という話を聞きます。
このSOS子どもの村のように、「家族」という認識でのコミニュティの中で子供たちがのびのびと育つのであれば、その必要性を強く感じます。
ここ最近、テレビや新聞などのメディアで子どもの孤立化、愛情軽薄化などをよく目にする。それに対してこの記事を読んで愛情を多く注がれる、支援されるこのSOS村はとてもいい環境であるであろうと感じた。私はこのように``帰る場所``があることは心情においても身体的にも大きく影響してくる大変重要な場であるだろうと思った。もし自分が家庭をもつ時が来たら、家庭だけの環境にせず子どもにとって幸せで、支援と愛情のあるものにしたい。
家族になるために必要なものは何だろうかと考えたときに,私の頭の中に真っ先に浮かんできたのは「心のつながり」でした(生物学的定義には血縁も必要でしょうが...)。親を早くに亡くし,よりどころのなくなった子供に対する支援としては,SOS子ども村は最大級のことができると考えます。まず子育てに必要なものは愛情です。これは親からのだけではなく,地域社会の人々から受ける愛情も重要と考えます。そういった意味で,SOS子ども村は閉鎖的にならず,地域社会の一つとして存在しているため,優れているといえます。この子ども村と一般の施設との大きな違いは,社会との接し方であると考えます。施設はどうしても閉鎖的になりがちで,地域の人からの愛情を感じにくい状態にあります。施設を批判するわけではありませんが,SOS子ども村は親を亡くした子どもを育てるのによりよい環境がそろっているのではないでしょうか。
自分のことを施設にいる間だけ面倒見てくれる「職員さん」ではなく、SOS子どもの村では、自分の「お母さん」として、「お父さん」として、どんなに甘えてもよい存在がいることは子どもにとって、どれほど心の拠り所になることだろうか。そして、18歳になったら、20歳になったら、支援は終わりではなく、いくつになっても彼らのお母さん、お父さんであり、帰る所がある、これは心的にどれほどのやすらぎとなるだろうか。また、この永続的な支援は障がいのある人たち、そしてその親にとっても、将来への安心を保証されながら今を生きるために、新たな家庭の形を構想するのに一役を担うだろう。
「子どもの村はあくまでも家庭です。施設ではありません。実の家族でなく、血のつながりはないけれども、心のつながった家族が共に暮らす家庭なのです。」という言葉に感銘を受けました。SOS子どもの村、と聞いてイメージしたのは、たくさんの人数の子どもが暮らす大きな施設、というものでした。しかし、施設ではなく家庭的なコミュニティという位置づけやその取り組みに驚きました。養育者をお母さんお姉さんと呼ぶこと、完全に自立するまで養育すること、など様々な面で家庭的取り組みが見られます。子どもが育つ上で何より大切なのは、家庭の愛情やぬくもりであると思います。もっと様々な国に、そして日本にも、このSOS子どもの村のようなコミュニティが広まり、子どもたちが安心して愛情を感じながら暮らせる環境ができればいいのではないかと思います。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。