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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

使用人による虐待

 毎年9月は障害者雇用支援月間です。先日、さいたま市の地域自立支援協議会虐待部会では、使用人による虐待(職場における虐待)に関する事例検討会を開催しました。この事例検討会では、潜在化しがちな職場における「虐待」について真剣に考えさせられることになりました。

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 この6月に成立した障害者虐待防止法は、「養護者による虐待」「使用人による虐待」および「施設従事者等による虐待」を定めています。この中で、「使用人による虐待」は、児童・高齢者の虐待防止法にはみられない領域であり、障害者虐待防止法においてはじめて法に規定された「虐待」です。

 「使用人による虐待」は、慈しみ合いや支え合いが間柄の基軸であることを期待される家族や社会福祉施設の「虐待」とは性格を異にします。親方の下に弟子入りして職人として腕を磨くような仕事では、徒弟関係という親密圏を構成する場合もないわけではありませんが、「使用人による虐待」のほとんどは、職務の遂行を基本とする機能集団における「虐待」です。

 水戸アカス紙器事件、滋賀サン・グループ事件そして東京の大久保製壜事件のように、雇用関係と指揮権をテコにした障害のある労働者に対する差別・抑圧・搾取の性格を持つ「使用人による虐待」は、これまでも繰り返し「事件」として取り上げられてきました。

 成人に達した障害のある人への暴力・暴言を含む「懲戒権」は、何人にも一切ありません。障害のある人の親や家族でも、子に対する親権の一部として認められる「懲戒権」はありませんから、「甘やかさないためのしつけだ」というような、子ども虐待にありがちな言い逃れはできないのです。そこで、親子、きょうだい、赤の他人等の間柄の性格に関係なく、たとえば身体的虐待は、つねに傷害罪を構成しかねない性格を持つということになります。

 したがって、先に取り上げた悪名高い「事件」のようにあからさまな差別・虐待事案は、障害者虐待防止法による有効な取り組み次第では、これまで以上に迅速で効果的な虐待対応が都道府県労働局を軸に展開できる可能性があります。

 ところが、今回の使用人による虐待事例検討会では、一筋縄ではアプローチできない数々のケースに遭遇しました。

 たとえば、職場の人事権や指揮権の系統とは全く別のところから発生する「いじめ」「しかと」の類があります。職場に働く障害のある人を取り巻く同僚で、上司ではないが実質的に職場の雰囲気を左右するキーパーソンにあたるような人が、障害のある特定の人に対して差別的嫌悪感を強く抱いていることが、職場全体に広がることによって発生する心理的虐待があります。

 このような場合、事実確認の難しさもさることながら、人事権・指揮権を持つ担当セクションが「いじめ」や「しかと」をなくすための現場に対する権限行使を効果的に発揮してくれるかどうかついて、虐待支援としては今のところ見通しづらい問題点があるとわかってきました。

 また、明確なミッションのない障害者雇用と成果主義が現場で交錯した場合には、かなり構造的な問題があるように感じます。

 たとえば、ある企業が障害者雇用促進法の雇用率を達成するため、特例子会社をつくって障害のある人を雇用したとしましょう。ここで、親会社が「数合わせ」の道具としての特例子会社の位置づけしかないようなとき、特例子会社は次のような問題構造を抱えることがしばしばあるのです。

 まず、特例子会社の管理職層は、「親会社では使えないと判断された社員の掃き溜め」や「定年を迎えた再雇用社員で、退職するまでの数年間だけのことなのだから波風を立たせずにただ穏やかに居ればいいと考える幹部」から構成されがちです。

 次に、このような管理職層によって採用され、障害者雇用の現場を指揮監督する特例子会社の社員の質の問題が生じます。このような特例子会社では、とくに障害者雇用の視点やミッションにふさわしい人材を吟味して採用するとは限らないのです。

 すると、特例子会社には「やる気のない」管理職層がいて、親会社の消極的なミッションである「数合わせに必要なのだから障害のある人をなんとか雇い続けろ」をそのまま現場に降ろし、現場の指揮監督を担う社員は障害者雇用のノウハウがあるわけではないから、自分を頂点とする「支配-被支配」構造を力づくで強要することによって職場の秩序をつくろうとする。ここに、「みせしめ」や「いけにえ」的な虐待が発生するのです。

 このような特例子会社は、障害者雇用に関する積極的なミッションを社員が共有していないのですから、職場改善に必要な会社としての動機は乏しいということができるでしょう。心理的虐待のように事実確認に難しさが伴う場合には、もっぱら「表ざたにしない」とか「蓋をしてしまう」というような事業所の対応が心配されるところです。

 障害者虐待防止法が成立したからには、刑事事件に発展してしまうような差別・虐待事案だけではなく、「いじめ」「しかと」「暴言」等の心理的虐待に対しても迅速で実効的な対応が期待されることはいうまでもありません。ただ、このような支援の具体化には、職場を構成する法的な権利・義務の熟知を前提に、障害者雇用のゆたかさを実現する方向を見失うことのない虐待対応の中身について、今後早急に、精力的な検討を重ねなければならないでしょう。


コメント


職場の雰囲気を左右する権限を持つような人が障碍者に対して無視やいじめを行うことで、職場全体にそのような状況を広げるといった心理的虐待は一番許せないことだと感じた。外部の人の目に見えにくいようないじめを大人が行うのは最低なことだと思う。精神的にも成熟しているおとななのだから、それに見合った行動を行ってほしい。


投稿者: f.p | 2012年01月17日 21:16

 職場での障害者に対するいじめをなくすためには、障害のある人に対する接し方を知ることや、職場でその人が必要となる場面をつくることが大切であると思う。
 職場では大多数の健常者の中に障害者が1人、もしくはごく少数混じることになる。きっと、わざわざ障害者に仕事を与えなくても他の社員だけで仕事はこなせるのだと思う。そうすると、接し方のよくわからない障害者とコミュニケーションをとって仕事を割り与えるよりも残りの職員のみで仕事を片付けようとし、障害者はただ職場にいるだけの厄介者になってしまう。これが無視やいじめの原因であると思う。
 その障害者が無理なくできる仕事を割り振ることで、その人が社員としてのポジションを見つけることができ、いじめがなくなることにつながると思う。そのためにはその人のもつ障害や、そのひと自身に対する理解、どのように接すればよいのかを知ることが大切であると思う。


投稿者: きんぎょ | 2012年01月22日 10:51

障害者の方が会社にとって必要な人間になり、そのくくりから抜け出すことができれば、あるいは子会社と本社の連絡をこまめに行いそのような職場の雰囲気を作らなければ、いじめは減らせるのではないかと考える。しかしもっとも重要なのは職場にいる人間の意識改革である。一人一人がお互いに歩み寄り、理解をしていく努力を少しでもすれば改善の兆しが見えるはずである。
初めて規定された虐待であり難しい問題も多いが、対策し、なくしていかなければならないと考える。


投稿者: 太一 | 2012年01月25日 06:07

職場において虐待が行われることによって、ハンディキャップを負って生まれてきた方々の安息の地はないのか、と思いました。
私自身、恥ずかしながら害を与えることはなくても、極力関わらないようにするというような態度をとっていました。しかし、彼らと積極的に関わる機会を得た現在思うのは彼らほど純粋で、キレイな人はいないということです。現在は彼らを理解する機会が少なさすぎるように感じます。雇うことが理解することになるのではなく、人として向き合っていただきたいです、少しでも使用人による虐待なるものがなくなるように願います。


投稿者: みけ | 2012年01月25日 08:16

上に立つものとしての心理としてはまず支配が出てくるのであろう。今までの歴史上でも国家の支配者は市民の上に立ちさまざまな方法で支配してきた。しかし今は時代が違う。上に立つものは下のものを包み守らなければならない。つまり、暴力や虐待はいけないということだ。それは自分の立場をうまく利用しただけにすぎないと私は考える。障害者の雇用者や上司はその役職に就く前に、セミナーなどで相手を理解、理解できないなくても理解しようとすることが必要であるのではないかと思う。


投稿者: s14 | 2012年01月25日 10:22

ある日、用事があって区役所に行った時のことです。対応してくれた人は腕が少し不自由で障害のある人でした。でも、その人の対応はとても丁寧で、熱心に対応してくれました。このように自分の仕事にやりがいを持っている障害のある人のためにも、障害者虐待防止法の延長線として、心理的虐待に対する対応も必要だと思います。確かに、心理的虐待は本当に虐待があったのか明確にするのが難しいかもしれません。しかし、心理的虐待がおきたのにその対応ができないのは、障害者虐待防止法が成立したとしても障害に対する職場での虐待はなくならないのではないでしょうか。


投稿者: ウサギ幼稚園 | 2012年07月14日 15:14

ある日区役所に複数の申請のためにいったのだがそこで障害者である職員の人に対応してもらいボールペンの一本受け渡しでもすこし気を使ってしまった自分はこの場面では虐待ではないかもしれないが愚かだったと思う。障害者の職場への適応には程度にもよると思うが時間はかかると思うし、それに対して頭の切れる奴はうまくはじいたり、そうでない人は権力で押しつぶす。こんな情けないことは法律どうこうよりも元の教育でなんとか出来るかもしれないと思った。すこし下らないとも感じた。


投稿者: noel | 2012年07月15日 23:06

先日は講義をしていただき、ありがとうございました。私は今回初めて職場で障害者に対するいじめがあることを知りました。そして、職場で起こっている“虐待”が殴る・蹴るというものではなく、心理的ダメージを与える「いじめ」「しかと」であり、その内容や構造が最近話題になっている小学生・中学生内でのいじめとおなじようなことだと知り、非常に驚きました。障害者雇用促進法の雇用率を達成するために社会的責任として障害者を雇う企業があることも、障害者を雇ったとしても回転が早すぎて雇用がうまくいっているとは言えない状況の企業もあることも初めて知ったことでした。この状況を解決するためには、制度の整備などしなければならないことは山積みではあると思いますが、やはり、このような職場の状況があることをひとりでも多くの人が知り、自分が心理的虐待、いじめをする立場にならぬようにすることが大切だと思いました。今回このような現状があることを知ることができたことは、私にとって大きな衝撃であり、大きな学びになりました。ありがとうございました。


投稿者: mmyy | 2012年12月07日 19:04

 私の父親が勤めている会社でも障がいを持った方が雇用されており父と同じ部署で共に働いているそうだが、以前、その障がい者の方に対する職場内での「しかと」など間接的な「いじめ」が行われていると父から聞いていた。これもおそらく宗澤氏が言うように、障害者雇用促進法による「『数合わせ』の道具」として見なされた障がい者への上層部からの眼差しが職場内全体に拡がり、職場内環境を良好なものにしようとするアクションを妨げているのだと感じている。
 もちろん上記の問題についても議論の余地があると思うのだが、私がより問題だと感じているのは、結果的に「しかと」されている障がい者のことを思って、使用人から指示されている業務内容・指示をより理解しやすく言い換えてあげたり、「しかと」している周囲の同僚との仲を取り持とうと積極的に動いている私の父親自身が今度は冷たい視線を浴びているということである。
 父親自身はかつて福祉について学んでいたこともあり、そのようなことがあったとしても特に気にせずという態度をとっているが、「救おうとした手を差し伸べた者がかえって非難を浴びる」とは、障がい者を取り巻く職場内における環境とは何なのだろうかと改めて考えさせられる。それは、障がい者対使用人という対立の先にある隠された社会的雰囲気も関連しているのではないかと考える。「障がい者に優しい社会づくり」ということは簡単だが形式的なものとなりそれがますます加速し続けている状況を改めて検討すべきである。


投稿者: さつまいも | 2013年01月18日 11:27

虐待の防止をするために、そもそも「虐待」とはどのような行為を指すのかを確認しなおす必要性があると思いました。というのも私自身がつい最近まで「虐待とは殴ったり叩いたりといった直接体に危害を加えるような行為」だと勘違いしていて、無視やしかとなどの言葉や態度による行為も虐待に含まれるとは思っていなかったからです。以前は「どこに行っても起こりうること」として、避けようのない自然災害のようなものだとなんとなく考えていました。今回の記事のような「使用人による虐待」でも、使用人は虐待と認識せずに行為をおこなっている場合もあるのではないでしょうか。


投稿者: 963 | 2013年01月21日 23:11

障碍者雇用促進法を知ったとき、私はこの法律があるから障害者も社会で職を得て安定した暮らしをおくることができると思っていました。しかし先生の記事を読むとただ罰金逃れに障害者を雇い、障害者のための働きやすい環境をつくらず虐待を引き起こしてしまう現実があるのだと知りとても悲しく思いました。障害者のためにいろいろな法律ができても会社などが障害者の労働に手を抜いていたのでは意味がないと思います。虐待は家庭でおこるという印象が強かったのですが社会の場でも無視をしたりするところから虐待が広がっていってしまうのだと分かりました。いくら雇用が促進されてもこの状況ではいじめ、虐待が増えるだけです。社会的な問題として対応策を早く考えなければならないと思いました。


投稿者: りんごジュース | 2013年07月15日 00:23

日本では小学校から高校まで、いわゆる思春期の時期に集団行動を身につけられる。教室で何十人の生徒とすし詰めになり、何をやるにも皆と一緒といった感じである。その中で協調性や規律性が生まれるのは歓迎すべきだ。しかし、皆と一緒でなければならない、皆がやらないからやらない、などの差別性、マイナス思考の協調性も教育の副産物として身につけてしまう。結果、社会に出ても大人同士の差別はなくならず、止めようとする者も少ない。たとえ障害者虐待防止法など障害者を守る法律が制定されたとしても、人として根底が変わらなければいじめや差別が極端に減ることはないと思う。そして人の根底は小学校から高校の教育で形成されていくため、教育制度の中でみんな違ってみんないいということを強く印象付けなければならないと思われる。


投稿者: でんか | 2014年01月07日 11:07

この記事を読んで、障害者雇用はノルマとしてではなく、健常者の社員を雇う時と同じ真剣さで進められるべきだと感じた。形式的に障がい者を雇うことで、使用人による虐待ということが起こってしまうのは非常に悲しいことである。このような事態にならないためには、まずは職場の人々が障がい者について理解することが大切だと思われる。どんなことに困難があるのか、どのような配慮が必要なのか、形式としてではなく心からの理解につなげなければならない。また、障害者雇用を行う現場には障害者雇用に対して積極的な気持ちを持っている人を優先的に就かせることも、虐待を未然に防ぐための一つの対策になるかもしれない。


投稿者: マーチ | 2014年01月18日 20:12

 会社の幹部が障害者のことを差別することで、その雰囲気が会社全体に伝わり、結果障害者へのいじめになってしまうことがあると知り、とても残念に思いました。障害者をただの数合わせとしか扱っていない事実もとても残念です。障害者にも、得手不得手のことがあり、その会社で障害者でも十分にできる仕事があるはずです。私は実習で障害者施設に行きましたが、そこでは障害のない人よりも速いスピードで資源わけをされている方をみました。このように、能力のある障害者に気づかずに能力をうまく引き出せない管理者のもとでいじめになってしまうなんて、なんてリーダーシップのない環境なのだと驚きました。障害者でも能力はあるということをもっと世間に広がるようなことが必要だと考えました。


投稿者: たー坊 | 2014年01月21日 18:29

刑事事件の抑制はもちろんのこと、小さな問題であるしかとやいじめなどの抑制は非常に重要です。ある日突然、何もしていないのにいじめやしかとの対象になるようなことは珍しく、あまりきいたこともありません。しかし、しかと、いじめといった小さな積み重ねが将来的に大きな事件につながっているという事例は多く耳にします。小さなものを抑制する法律まで制定してしまうと自由が奪われることにもなりかねないので、市民の良心を養っていくことがカギではないかと思います。


投稿者: でかいの | 2014年01月21日 18:30

障害者雇用促進法が成立し、「法的」には障害者の社会参加が容易くなると思われたが、実際は「利益」を追求する企業にとってはやはり依然として障害者は足手まといでしかなく、ただ社会的正義の観点からではなく会社の体裁のために障害者を雇用しているとしか思われない。実体を有しない法がただ施行されるだけでは、なんら障害者が住みやすい社会が形成されることがないと実際の事件で証明されているので、今一度この法律についても考えなおす必要があると考えられる。


投稿者: 野鳥先輩 | 2014年01月21日 23:26

私は以前、障害者の方が働いているパン屋で、ボランティアとして一緒に働いたことがあります。
そこでは、障害者の方がたくさん働いており、健常者の方が少数という環境でしたが、何の問題もなく業務が行われていました。
やはり、人によっては出来る範囲は限られてきますが、その範囲内での仕事であればしっかりとこなしていました。
障害者だから仕事が出来ない、とか障害者だから言っても分からないだろうと決めつけてしまうのではなく、一人の仲間として一緒に仕事をしているという意識が必要だと思います。


投稿者: 清春 | 2014年01月22日 01:09

わたしはこの記事をよみ、なぜ職場での使用人による虐待が発生してしまうのか考えた。職場に障害をもった人を雇用するということは、かならずとはいえないもののある程度作業などに支障が生じたりする場面が少なくないと感じる。そんなとき、現場で指揮監督を行う社員が、自分では「教育する」つもりで障害を持つ人を虐待して、社員が思った通りの行動を無理強いしてさせようとするといった場面があるのではないか。また、1度この「虐待による行動の強制」が成功してしまうと、監督側は再びそれを繰り返してしまうというスパイラルが存在するのではないかとわたしは考えた。


投稿者: すぃんご | 2014年01月22日 08:31

障害者雇用促進法によって障害者の方が無理なく自分の能力を生かせる職場に就職し、社会に参加していける、というイメージを抱いていた私にとって、障害者雇用が単にノルマとして処理され、障害者雇用に関心のない社員によって義務的になされるばかりか子供が行うような「いじめ」や「しかと」が起こっているという事実はとても衝撃的なことでした。障害者の方が職場の秩序のための「みせしめ」や「いけにえ」として扱われてしまっているのはとても許し難く、人をなんだと思っているのかととても腹立たしい気持ちです。障害者の方の自立を妨げているのはその人の障害ばかりではなくこうした無理解や蔑視でもあり、この様な人の心を変えていかないと障害者の方が社会に参加することは困難であると感じました。


投稿者: wave | 2014年01月22日 12:12

この記事を読んで、「いじめ」と「虐待」には境界があるのだろうかと思いました。どちらの言葉も「特定の相手を心理的あるいは肉体的な暴力を与える」という意味がありますし、集団で行われることも単独で行われることもあります。また、暴力を受ける側が弱者であることも共通しています。「虐待」の客体は児童や高齢者、障碍者などの社会的弱者であり、また「いじめ」の客体も反論や抵抗ができないことが多いです。
「いじめ」と「虐待」は同列に扱うこともできそうだが、その場合には「いじめ」を行った人が法的に裁かれることになるのでしょうか。


投稿者: ろくろ | 2014年01月28日 21:11

虐待と聞くと親が子供にする虐待しか思いつかなかったけど、「使用人による虐待」というのもあるんだと初めて知りました。職場で働いている障害のある人に直接暴力をふるうのではなく「いじめ」や「しかと」といった集団でそういう雰囲気が広まるのは、障害のある人がターゲットになりやすいということはあるのかもしれないけど、小学校からはじまり、社会にでてからもどこにでもあるんだと痛感しました。私が小さい頃、母は障害者ではないのですが、外国人であり日本語があまりしゃべれないし言われたことも何度か聞き返さないと理解できないような状況で生活をしていくためにパートをしていたのですが、職場でいじめにあい、夜に父に愚痴をこぼしながらよく涙を流していて、体調も崩しがちになっていたのを覚えています。外国人だからとか障害者だからというような理由で「いじめ」や「しかと」などの心理的虐待はあってはならないし、そうゆうことなくすためにはもっとその人たちのことを知ってその人たちが働きやすいような環境や雰囲気を作っていく必要があると思いました。


投稿者: hiyokonoko | 2014年01月29日 02:17

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

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