割り切れなさから醤油アイス
なでしこジャパンがやりましたね!
普段はスポーツの勝敗に一喜一憂しない質の私でさえ、女子W杯優勝の快挙には歓喜を覚えました。女子チームの耐え抜いて前進する姿は、日本人の伝統的な価値観と共振し、多くの人の心を揺さぶったことでしょう。
日本の女性はすばらしいと称えた上で、次の数値が何を示しているかに思い当たる人は、どれほどいるでしょうか?
女性 | 83.7%(‐1.9%) |
男性 | 1.38%(‐0.34%) |
このデータは、先週の7月15日に厚生労働省が発表した2010年度における育児休業の男女別取得率です(2010年度雇用均等基本調査)。男性の育休取得者から、子育て期にある父子世帯の父親を差し引くと、父母共の世帯における男性の育休取得率は1%に満たないのではないかと推測します(残念ながら、育休取得可能な全世帯における父子世帯の割合を特定することはできませんでした)。
この数値は、どこからどうみても現実にそぐわないし、2010年は父親の育休取得を推進する見地から改正育児・介護休業法が施行された初年度でもあり、大問題だと考えます。
まず、「男は仕事、女は家庭」という近代家父長制そのものである性別役割構造を、「職場の現実」を介して強固に引きずっている点が、あまりにもアナクロです。
次に、「性別役割」をめぐる価値観を越えて、現代勤労者世帯の生活現実は、多くの場合夫婦共稼ぎを余儀なくされています。したがって、女性が専ら育児役割を果たさなければならない合理的根拠はないといってよく、子育て期に強いられる女性の負担ははかりしれないほど重くなっています。
終身雇用制が崩壊したわが国において、男性だからといって安定雇用と給与水準の相対的アドバンテージが保障されているわけではありません。その上、国立大学の授業料でさえ年額60万円近くかかるような子育ての高コスト構造を踏まえると、長期的な生活防衛の必要からは、「夫婦共稼ぎ」か「子どもを作らない」かのいずれかを選択することに傾かざるを得ないのです。
児童虐待に関する統計データでは、虐待行為者の65%前後をずっと実母が占めてきました。虐待の発生には多様で複雑な要因が絡んでいることを前提するにしても、厳しい生活現実の下での育児が今日でも専ら女性の負担とされがちな問題が、実母による虐待を生み出すベースを構成していることは間違いないと考えます。
子育ての営みを通してつくづく感じることは、「親であること」は逃げようがないという点です。子ども虐待をめぐり、たとえ親権停止や親権喪失の審判を受けた親であっても、どこかで必ず自分が「親であること」を引きずっているはずです。
それに対して、「女であること」や「男であること」は、身勝手さを含みつつもどこかで区切りをつけ、新しい恋にさまよう中で昔日を忘れることも可能ですし、仕事や社会的活動の世界にいたっては、場合によっては、「合理性」の仮面をかぶりながら、自分の価値観や欲求に従って突っ走る人もしばしば見受けられます。
「親であること」は、割り切ることのできない世界に身を置いて、何が慈しみであるのかを考え、日常の束の間に平和な間柄を制作する所作に悩み続けなければならない営みであり、これが子育てのプラクシスです。ここに「親であること」の完璧な正解は決して存在しませんし、どこかで完全に「割り切る」ことをしてしまえば人間と社会の未来を閉ざし、終末を迎えるに等しい事態に直面するでしょう。
ところで、昨今の原発の現在とこれからをめぐる報道や討論番組を眺めていると、奇妙な不信感に襲われる場面に私は出くわします。
今回の原発事故が次世代までに影響を及ぼしかねない重大な性格を持つことは論を俟たないところです。「セシウム牛」という言葉まで出てくる始末なのですから。
長期的なエネルギー資源として、原子力の平和利用を拓く科学技術の可能性については、議論を尽くす値打ちがあるし、私も常々耳を傾けたいと考えてきました。
しかし、たくさんの父母が子どもに与える放射線の悪影響に悩み、酪農家の中からは「原発さえなければ」と書き残して自殺者を出すまでの事態に至っています。ここで、原発の維持または推進の立場の人が、このような「終末」じみた状況を生み出したことに対する反省の具体性に欠いたまま、「わが国の長期的なエネルギーのあり方」や「電力供給と経済発展」などと発言できることに、私はどうしても疑問を払拭することができないのです。
私には、このような人たちが「合理性の仮面」をかぶりながら、身近な人を慈しむ営みを大切に育んでこなかった、「疎外された人間」のように映ります。
さて、わが家では今の時節、例年なら木苺の収穫を迎え、直径30センチの大鍋に溢れるようなフルーツソースやジャムを作ってきました。しかし、木苺の類は放射能汚染の影響が出やすい植物であるらしく、今年はすべてを摘み取って廃棄することにしました。木苺のフルーツソースでつくるジェラードは、暑い夏にはたまらない一品だったのに…。
割り切れない思いに駆られながら木苺の枝と実をゴミ袋に放り込んでいると、ふと長崎の島原半島で食べた有家の「醤油ソフトクリーム」を思い出しました。醤油とミルク味という意外なコラボは、忘れられない美味の一つです。猛暑の塩分補給にもぴったりのソフトクリームです(http://www.nagasaki-tabinet.com/tomocchi/item/1413)。
醤油ソフトクリーム‐有家の名物でこれは美味い!
木苺の「終末」は、醤油アイスでおとしまえをつけるしかない。本家の醤油ソフトのレシピは「企業秘密」で公開されていないため、さっそく私がチャレンジしてみることにしました。
材料は、牛乳1000cc、生クリーム200cc、無糖練乳200cc、水飴300g、三温糖120g、醤油20cc、バニラエッセンス少々です。これらを沸騰させずに温めて合わし、冷やします。これをさらに冷蔵庫で十分に冷やし、アイスクリーマーに入れて回して5分でできあがり。
わが家の醤油アイスクリーム
本家の醤油ソフトに勝るとも劣らない美味なでき栄えです。これを頬張った娘曰く、「チョー旨! クリームチーズと黒蜜を混ぜたかのような味だね」。割り切らないからこそ、美味しさにも巡り会えます。皆さん、どうかお試しあれ。
コメント
もったいない・・・
廃棄する前に一声かけてくださればよかったのに。
私も、私の両親も、気にしませんから。
放射能の影響が・・・という農産物を買う手段って、
ないんですかねえ?
割り切るという行為はなかなか難しいことだと思います。自分にとって大事な問題であればあるほどその問題への執着は強くなってしまい、それがなければならないものとなっているものです。
でも、割り切れないと感じて初めて自分には必要なものだったんだと自分を知ることができます。物事にあまり興味を持てないという人も意外と割り切れないことって多いのではないかとわかることもあるような気がします。
依然として男性の育児休業取得者率が低い現在、何が男性の育児休業取得を妨げているのでしょうか。日本では男性が家事をしたり子育てをすることになにか抵抗があるのかも知れません。
女性の社会進出が著しい今日、共働きするような家庭は珍しくありません。それでもなお、男性が家事や子育てを女性にまかせっきりにしてしまうようなことはあるべきではないと思います。男女ともに家事や育児をこなし、女性に負担がかかりすぎないようにすべきではないでしょうか。
日本の文化として男女雇用機会均等法を提示して、男女の子育てを平等に行うのはなかなか難しいと思います。
自分は男ですがもちろん子供ができたら任せる、ではなくしっかり子育てしたいとは思いますが、近年の日本では夢として「お嫁さんになる」ということを書く女の子も絶えることなくたくさんいると思います。
だからまったく均等に子育てというのは難しいと思うんですが、いかに男性がそういう考えを捨てて、家庭に貢献するかが鍵だと思います。
メディアなどで「育メン」が話題となっている中で、こんなにも男性の育児休業の取得率が低いのには驚きました。
子育ては女がして男は働きに出る。
そういった考え方は当たり前のように広がっていますが、それは時代にはそぐわないと思います。
男尊女卑の文化がかつてはあったようですが、男女の平等が確立され、女性の社会進出がどんどん進行していく現代の世の中で男性の育児休業がこんなにも低いというのに疑問しか感じません。
男性が主夫として家庭の仕事をし、育児をすることはおかしいことではありません。
男女が等しく休暇を取り、協力して子育てをしていくことが理想だと私は思います。
醤油アイス、私もぜひ試してみたいです笑
女性に負担がかかりすぎている社会であることは私も感じます。それが育児放棄や虐待につながるだけでなく、晩婚化など少子化の問題にもつながっていて更なる悪循環をもたらすものだと思います。
まだ私は社会に出ていない身なのでなぜ育児休暇が取りづらいのか、そういった環境がなかなか実感できませんが、いづれにせよそういった風習は私たちが取り払っていくしかないですね。残りの学生生活でもっと勉強します。
男女平等が唱えられ始めてずいぶんと経ち、それが昔に比べかなっていると思われる現代においてのこのデータには驚きました。子育ては母親、仕事は父親がするもの、といった概念がまだだいぶ世の中に流布していることの表れだと思います。また、こうした現状が児童虐待などを増進させるだけでなく、少子化をもたらす要因にもなっている気がします。私がもし結婚する時が来たとして、その時にどのような状況になっているかはわかりませんが、夫婦で支えあいお互いが仕事も子育ても上手く両立できるような関係を築けたらいいと思います。
私は「育メン」や「女性の社会進出」といったような言葉はあまり好きではありません。前者は育児の主体は女性(母親)であることを前提としており、後者は社会の主体が男性であることを前提としているからです。なぜ男性の育児休暇の取得率が低いのか、それはそもそも男性が育児に参加していないからではないかと感じます。また、それだけではなく男性が育児休暇を取ることに対して偏見のような否定的な空気があるのではないかとも思います。宗澤先生が仰るように日本ではいまだに凝り固まった過去の価値観によって性別による役割のいわば押しつけが溢れていると思います。日々変化する社会の中で制度や法律が変わっても、根底にそのような意識を持つ人々がいる限り、問題が改善されることは難しいように思われます。ただ、「個人の意識の問題」のせいにしてもジェンダーの問題は解決されないでしょう。これから社会に出ていく立場としても、具体的に私たちができること、すべきことは何なのか考えていきたいです。
児童虐待の虐待行為者の65%が実母という数値に少し驚き、育児、家事、仕事の全てを要求される現在の日本人女性の置かれている立場の深刻さを改めて感じました。
仮に性別役割分業の考え方が改善され、男女共同参画社会が実現されることが女性の役割の軽減につながるのであれば、これから生まれてくる子どもたちのためにもジェンダー平等の実現に向けた取り組みは推進されるべきだと思いました。
児童虐待の虐待行為者の65%が実母という数値に少し驚き、育児、家事、仕事の全てを要求される現在の日本人女性の置かれている立場の深刻さを改めて感じました。
仮に性別役割分業の考え方が改善され、男女共同参画社会が実現されることが女性の役割の軽減につながるのであれば、これから生まれてくる子どもたちのためにもジェンダー平等の実現に向けた取り組みは推進されるべきだと思いました。
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