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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

「目に見えない」と人間は悩ましい

 今年の3月、福島原発の重大な事故に起因して、東京の上水道から放射線が検出された折、乳児を抱えるお母さんの多くは、ミルク用の「赤ちゃんの水」を手に入れる苦労に追われました。悲鳴を上げるように全国の親族に連絡を取り、宅配便で取り寄せる父母も多かったとうかがっています。
 現在は、福島県内で子育てを営む父母が、放射線の子どもへの影響に深刻な悩みを抱えています。

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埼玉大学のPCB保管施設

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 福島県内の小中学校・公園・児童福祉施設では、行政機関が放射線のモニタリングを実施していると同時に、子どもたちを放射線の被害から守ろうとする父母たちが放射線測定器を購入して自主的な放射線測定をはじめています。この6月30日には、ある団体が福島市の子どもたちの尿からセシウム134と137が検出されたと発表し、行政機関と父母のギクシャクはなかなか収まりそうにありません。

 「目に見えない」「実験ができないために科学的根拠が明快でない」という性質に由来する問題の多くは、これまでにも同じような紛争を当事者と行政の間に引き起こしてきました。

 1968年のカネミ油症事件に続き、1972年には広範囲のPCB汚染が社会問題となりました。福岡県では母乳から、静岡県内浦湾では養殖ハマチから、それぞれPCBが検出されました。当時、街の魚屋さんの中には、自前でPCBの測定装置を購入し、自店で販売する魚の種類ごとに含まれるPCBを「今日のハマチは○○PPM」と張り出すところまでありました。

 1990年代の後半には、母乳と広範囲な環境におけるダイオキシン汚染が大きな社会問題となりました。このときは、私がちょうど埼玉県和光市で障害者計画の策定に取り組んでいた頃で、和光市の実施する母乳のダイオキシン濃度測定の検査に来られるお母さん方の多くがまさに悲鳴を上げる姿を目の当たりにしたことがあります。

 これらの物質をめぐる社会問題は、今回の放射能汚染の問題に二つの点でよく似ています。
 その一つは、PCBとダイオキシンのいずれも、人間の日常生活感覚の範囲では「存在自体が分からない」から「目に見えない」し、人間に対する毒性の仔細については専門家の見解が必ずしも一致しているわけではない点です。

 これらの物質に「強い毒性がある」ことには一致していますが、汚染の程度と人体に与える影響の内容と程度についてはさまざまな専門家の見解が分かれるようで、子どもに与える放射線をめぐる問題状況と実に近似しています。

 もう一つは、汚染が測定され確認されたからといって、適切に対処する手立てがすぐさま見通せない点です。PCBやダイオキシンは、脂肪に溶けやすい性質に由来して母乳に含まれますが、汚染の測定値が明らかになったところで母乳からこれらの物質を除去する有効な方法はありません。そこで、赤ちゃんを抱えるお母さん方は、ただ悲鳴を上げることしかできなくなるのです。このあたりも、現在の福島県内の父母の心境と重なるところがあるのではと思います。

 PCBについては、わが国の処理施設の建設が大幅に遅れたために、2028年までに全国5カ所の施設で処理されるまでの間、それぞれの事業所での厳重な保管が法律で義務づけられています。
 ダイオキシンについては、農薬の不純物としてのダイオキシンをなくす努力とゴミ焼却場の温度管理を改めることによって新たな発生は抑えられつつあるようです。しかしながら、これまでに排出してきたダイオキシンの環境汚染の克服にはほど遠く、魚介類や肉類の脂肪分に、場合によってはかなりの汚染濃度が継続している点は依然として深刻です。

 PCBもダイオキシンも、原発もいずれも人間が作り出したものです。これらの問題の責任を免れる人はきっと一人もいないでしょう。


コメント


 震災の日以来、原発による放射線に関する情報をたくさん耳にしました。しかし、いまだにいったいどれが正しいのか判断することができていません。

 たいていの人が放射能に抱くのは恐怖だと思います。日本人であれば特にそうですが、原子力と聞くと原爆を連想する人は少なくないでしょう。原子力が発電においてとても重要であるとわかっていても、です。
 目に見えないから怖い。どこにあるかわからない。その恐怖の根本にあるのは第二次世界大戦の長崎、広島の被害なのではないでしょうか。
 物質としてある程度放射線を理解していても、その被害を人間が肌で経験したのは原爆投下によるものです。

 しかしその恐怖を共有していても、人間は原子力を使っているし、それは先生のブログにあるように原子力だけの話ではありません。
 すべての人がそういった有害物質といわれるものの人体への影響を認識するのは確かに難しいと思います。
 しかし、それらを利用して利便という恩恵を受けている以上は、ただ恐怖するだけでなく向き合っていかなければならないと思うのです。


投稿者: はやま | 2011年07月04日 11:21

 何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないというのは世の中の常ですが、人はどうしても何も犠牲にせずに何かを得ようとします。こうした人間のエゴがこれらの問題の原因であると考えます。
 しかしながら、私たちが今やらなければならないことは紛争をすることではなく、いかに皆が安全に暮らすことができるかを考えるべきであると考えます。専門家は実証できないのなら何も言うことはできないと思います。日本国憲法では国民の生存権を認めているので当たり前ではありますが、国は今回の件に対して最大限の努力をして、考えられる全てのことを想定して動いていくべきだと考えます。


投稿者: 緑ドン | 2011年07月05日 01:32

 ここ数日、玄海原発が再開されるかどうかが報道等で大きく取り上げられています。ある日の産経新聞にもありましたが、最近の「脱原発」報道にはすごいものがあり、原発容認派は変人扱いされてしまうような、いわば宗教的ともとれるこの状況には多少恐怖を抱いています。とはいっても、やはり福島であのような人災が起こってしまうと、原発から出る放射能というのは見ることができないし、人体にどれだけの影響をもたらすかも今のところわかっていないので、人々が大きな不安を抱くのも当たり前です。
 「目に見えない」というのは確かにとても厄介です。ただ、現実として原発の事故が起こってしまいました。この「目に見えない」放射能、原発事故に対して、できる限り最善の策を日々積み重ねていくことが大切なのだろうと思います。再生エネルギーをこれからどうするかとか、電力業界のこの体制の見直しが必要だとか、原発を推進した国や東京電力等電力会社の責任はどうなのかなど、もちろん考えるべき問題も山積しているとは思います。しかし、当たり前かもしれませんが、国や政府は今被害に遭っている人に対して、何をしなければならないのか、どのようにするのがベストなのか、これらのことを真っ先に考え、迅速に実行すべきなのではないでしょうか。


投稿者: 日経 | 2011年07月05日 11:27

放射線の情報が専門家の間で食い違っていることは、被害にあわれた方々はもちろんのこと、近県の方々も不安な気持ちにさせていると思います。もちろん専門家の方々も、放射線の情報を得ようとする世間の真摯な姿勢に応えようと、最善を尽くしていらっしゃると思います。見解のずれを批判的に取り上げるマスコミの記事もあると思いますが、そのような記事によってこの状況が打開されるとも思いません。かといって、しょうがないと割り切れるものでもないことはわかります。放射線の危険性を考慮に入れながら、過剰な反応は避ける、という非常に難しい行動が求められているなかで、我々ができることは、できる限り放射線関連の報道や記事に目を向けつつ、それらを鵜呑みにせずに自らが判断していくことしかないと思います。
また、目に見えないことへの恐怖感は大きなものであると思いますが、外国の方々には、過剰な反応で被災地の方々の不安をあおるようなことはしないでいただきたいと思いました。


投稿者: yo | 2011年07月05日 14:39

目に見えないのに健康に深刻な影響を与えるということは本当に恐ろしい。
特に今回の原発事故で、非日常的な量の放射能を浴びた方たちの健康被害。症状が出るとすると数年、場合によっては数十年経ってからだという。少なからぬ放射能を浴びた可能性を感じる人は、恐怖を抱いて暮らしていかなくてはならないことになる。今回の原発事故で、東京電力は無限の賠償責任を負うとされているが、実際は補償の範囲はあるわけで、その線引きはどうなるのだろうか。事態を風化させてしのぐことがないように、迅速に補償を行ってほしい。


投稿者: sansan | 2011年07月05日 19:25

特に肩をもつつもりはありませんが、行政の者だ、専門家だと雖も、結局は人間なのだからそれぞれ精一杯なのだと思います。(それを何とかするのが行政だ!と言われればそれまでですが。)

水に汚染物質だ、魚からヤレ〇〇が検出された。と世間は騒いでいますが、いつもは大して気にも留めないものを、今回の原発が原因で細かく調べたために、お粗末な部分が浮き彫りになったのではないでしょうか。

そもそも日常的にたくさんの科学物質の中に生活しているうえ、それが有害か、無害なのか、十数年の長い年月をかけてやっと発覚するものも存在し、「安全」とは到底断定し得ないことです。

豊かな生活を望んだ人間の欲望の顛末だと、受け入れ、行政云々ではなく自分自身を見つめるのが賢明だと考えます。


投稿者: ひむりーる | 2011年07月05日 21:16

「目に見えない」このことに対し人間はとても弱い存在となると思います。実態は掴めない、しかし脅威であることは間違いない。これほど恐ろしいことはあまりないと思います。今回の原発の事故では特にそれが顕著になりました。そしてその混乱時に恐怖を煽るかのようにデマ情報を流す人たちがいたことに私はとても悲しく感じました。「目に見えない」これを乗り越えるには共に協力しあい生きることが不可欠だと私は思います。


投稿者: りょうま | 2011年07月05日 21:37

ダイオキシンや放射性物質が目に見えないというのは非常に厄介です。
それゆえ学生の自分でも発表される水道や食品の放射性物質量には気を配っていますが、小さな子どもを擁する家庭でその反応が過敏になってしまうのは当然のことだと思います。
今回政府の曖昧な態度に業を煮やした国民は多いはずです。東電の隠蔽によるものもありますが、直ちに人体に影響はないなどと言われてもそれを鵜呑みにできません。
国は国民の上に成り立っているのだから、その未来の担い手たる子どもへの配慮を怠ることはしないでいただきたい。


投稿者: ykkk | 2011年07月06日 00:25

 先生のブログ中で気になった点が二つあります。批判にチャレンジです。
 
「その一つは、PCBとダイオキシンのいずれも、〈中略〉子どもに与える放射線をめぐる問題状況と実に近似しています」
 
 →先生は、複数の専門家の原発に対する見解が一致しない状況を難儀なことと解釈しているように見えます。これについて僕が考えることは

①これまでの歴史で、「専門家の意見が一致した」社会問題が一体どれほどあっただろうか。おそらく全くなかったのではないか。

②専門家の見解が一致すればそれでいいのか。誰もが同じ意見しか口にしなくなった時こそ、民衆は疑念を持つべき時ではないのか。

の二つです。

 そして二つ目の気になった点が

「PCBもダイオキシンも、原発もいずれも人間が作り出したものです。これらの問題の責任を免れる人はきっと一人もいないでしょう」

 →原発はすべての人間が協力して作ったものではなく、人間の歴史上でも一握りの優秀な科学者が開発したものであるということを忘れてはいけないと思います。彼らがあんなものを作ったからこそ、僕たちは苦しんでいるのです。悲しいことに、未来の人間は過去の人間の負の遺産を引き継がなければならないのです。出来合いの便利な道具に頼りきりで思考停止したままの一般人も、確かに共犯者なのかもしれない。それでも僕は、将来生まれてくる子どもたちに「お前ら、原発の問題を解決する努力をしろよ」と憂いたように言うのは間違っていると思うのです。
 
 つけ加えれば、「普通の人が死ぬ」大惨事といえる事故・事件を耳にするたび、僕は「普通の人ではないけれど生き続けている」アフリカの難民や新宿駅のホームレスの存在を思い出します。彼らが科学の難題を追及され、人間社会の加害者と呼ばれることは、正しくない気がします。
 


投稿者: ゆ.いがらし | 2011年07月06日 01:53

福島の原発事故が原因で上水道から放射線が検出されたとき、乳児の母親は「赤ちゃんの水」を探し回ったということだが、もしこの母親が、例えば海外の殺菌処理のされていないミネラルウォーターをミルクに使ってしまったらそれも危険であるし、ダイオキシンの件にしても1990年の後半当時にメディアによって騒がれていたほどの有毒性はないということがわかってきている。
これらの物質の人体への影響については、専門家の間でも意見がわかれるのだから、一般の人はメディアリテラシーの観点を取り入れようにも判断基準がない。
さらにメディア側でもこういったことを報道しないわけにはいかないし、報道による風評被害も避けなければならないので、この問題の根はとても深いところにあると考えた。


投稿者: LIMI | 2011年07月06日 03:32

 今回の原発の事故は、人災であるように思います。日本の技術は世界最高峰だから日本の原発も安全だ、というおごりが生んだものだと思います。
 今世界的に脱原発の方向に動いているようですが、エネルギー問題から原子力は必要だと考えます。確かに放射能や核廃棄物の処理など多くの問題が残ってはいるものの、やはり有用な手段になると思います。自然エネルギーの使用も進められていますが、まだ多くの課題があり、実用にはまだ時間がかかりそうです。
 危ないからやめる、という考えは間違っていないと思いますが、エネルギー危機に陥りつつある今、そんな短絡的な結論では今世紀を乗り越えられない気がします。今回の失敗から、もっと学べることはないのでしょうか。


投稿者: キャンダ | 2011年07月06日 06:35

 先日大学の講義でリスクについての学習を行いました。以前、放射性物質のように大きな話題となった有害物質の中に「ダイオキシン」というのがあり、工場や焼却炉から出るそれらは大変有害であるという話が大きく出回ったことがあったと思います。自分も危険だと思っていたのですが、実は、ダイオキシンが検出された母乳を赤ちゃんに飲ませるときのリスクに比べ、喫煙によるリスクのほうが、何倍もあったとの内容でした(中西準子氏 損失余命による考え方)。
 そう考えてみると、マスコミは何においても、誇張することで視聴率を得なければならない職業であるので、彼らの見解をうのみにすることは、誤った方向に進んでしまうことにもなるかもしれないと今回の放射性物質の一件についても考えています。


投稿者: まるこDX | 2011年07月06日 08:20

 「目に見えない事」と「体に悪いという定性的なことは分かっていても定量的なことは分かっていない」という事実は確かに多くの人に不安をもたらします。しかし全く分からないのではないのも事実で、今の科学である程度の事は分かります。だからこそ、はっきりとしてるところと曖昧な部分をしっかりと区別し、それを断った上で国民に分かりやすく情報を与えるのが国、マスコミの責任だと考えます。
 「わからない」が「恐怖」に繋がっていることを考えると今の報道は、シーベルトにしても「ミリ」「マイクロ」の単位が場合に混ざってて視聴者に混乱や誤解を与えているような表現だったり、また「通常の100倍」などと絶対量はそれほどでもないのにあからさまに恐怖を与えるような表現にしてるのはどうかと思います。
 原発を受け入れ、使ってきた以上私たちにも責任があり、しっかり対処していかなくてはならなりませんが、今回の事故は政府の対応の速度や行動内容など政府の人的なミス部分もまた大きいので、政府には特に責任を持って、石橋を叩いて渡るような慎重に練り上げた計画をつくり、実行してほしいです。


投稿者: ふるもふ | 2011年07月06日 08:43

 放射能について、ニュースで騒がれだした当初はとても気にしていましたが、なんだかもう慣れてしまってあまり気にしなくなってしまいました。

 見えないからこそ怖い。
 それは放射能が現在及ぼしている影響についても言えますが、見えないから意識しづらくて、よりたくさん浴びてしまうことについても言えるかもしれません。

 お世話になってきた原発が動いてない今、みんなが真剣に節電に取り組むべきですよね。
 先生のブログにもあるように、人間が作ったために起こっている放射能の問題です。もっと詳しく状況を教えてほしいとも思うことも多々ありますが、文句ばっかり言うのはおかしいと思います。
 このような問題とどのように付き合っていくべきなのか、難しいですが考えていきたいです。


投稿者: あんぱん | 2011年07月06日 09:31

 人間というものは視覚からの情報に頼りすぎていて、その結果として目に見えないと不安や恐怖といった感情を抱くのだと思います。しかし、それは仕方のないことだと自分は思います。不安があるから、その不安を取り除こうと各々が行動を起こしているのだと考えるからです。
 でも、今回の放射線問題のように、一般人より知識のある人たちの意見に食い違いがあったり、明確な対処法がないといったことになると、個人の行動だけでは解決に至らない可能性が高まっているだろうと思います。それではパニックを起こしたりしてしまうのも無理はないです。
 専門家たちの意見の食い違いを正し、効果のある対処法を考えることが、この問題を解決していく第一歩なのだと思います。


投稿者: Hiro | 2011年07月06日 11:42

 今まさに原発など、人間は「見えない何か」と戦っているように見えますが、元来、人間はそういう生き物だと思います。
 幽霊などで人が驚くのは、それらが普通は「存在自体が分からない」ものであるからだと思います。また人間は他人を目で直接見て、人柄を外見で判断し、安心するともよくいわれます。
 とはいえ目で見える情報には限りがあり、それに頼ってばかりではいけないことも考えていくべきと思いました。


投稿者: しょ | 2011年07月06日 11:49

 3月11日の震災による原発事故を受けてメディア各種から様々な情報が出されてきました。またそれに伴い大学の講義でも原発の安全性について討論したこともありました。
 メディアによって情報が異なったり、メディアによっては報道されていなかったりと何を信じたらいいのかわからない状況です。まず情報を取捨選択する力、情報を統一する力などを身につけ、見えない恐怖に立ち向かうべきではないかと考えます。


投稿者: vbc9 | 2011年07月06日 12:17

 今までの経験から耐震についての対策は取られていたために、地震による建物の崩壊は少なかったと言えますが、地震による第2次災害の被害が大規模でした。その一つの災害である原発の放射線については、今でもなお問題となっています。

 放射線についての知識が少ない私にとっては、実際に目で見て確認出来ない放射線が、どれほど危険なもので、実際はどれほどの量が検出されているのか分かりません。
 「目に見えない」というものを相手にしていることが、こんなにも世間の人を不安にさせていて、どの情報を信じていいのか、誰を信じていいのか分からなくなって、自ら放射線測定器で調べるという状態まで至ってしまったのだと思います。

 国がちゃんとした情報を提供しないと、混乱は続き、みんながみんな個々で動くようなまとまりのない国になってしまうと思いました。


投稿者: さる | 2011年07月06日 12:23

 私の姉はこの夏に福島で出産を予定しているため、放射能の影響にはとても気を配っています。先のチェルノブイリ原発事故においても、子供たちに放射能汚染の被害が出たのは、汚染された牛乳を飲んだことによって広まったとのことです。
 テレビなどで専門家がいくら説明しても、つまりどれくらいなら大丈夫なのか、何をすれば安全なのかなどは私たちにはわかりません。不安だけが募るばかりです。現在でも福島の幼稚園や学校では外に出て活動することを制限されており、休日の公園に子供たちの元気な姿が消えかけています。外に出るときはみなマスクを着け、とても異常な光景だと感じました。
 この放射能の影響は今だけでなく、この先何十年も続くものです。いかに汚染を防ぐか、いかに放出を防ぐかを考えるのも大事であるが、子供たち、親御さんたちの精神的なストレスをケアしていくこともこれからの重要な課題にまってくると思います。国民の関心が向いている今こそ、国民一丸となって取り組むべきだと思いました。


投稿者: おちゃ | 2011年07月06日 12:41

 人間はもともと目に見えないものを怖がる生き物だと思う。今回の原発事故で大量の汚染物質や汚染水が放出されたことで、大変な恐怖を受けている人は多いと思う。でも、その対象を個人的に可視化していくというのは、ちょっと違うと思う。今の状況だとそれが分かったところで、何が出来るのだろう?逆に恐怖が深まってしまうこともあるでしょう。それなのに測定器に手を伸ばすことに意味はあるのだろうか。
 昔から日本の公害被害拡大の原因の一部は行政にあると思う。行政がしっかり対応していればいいとおもうのだが・・・。今回の事故では行政側は全く信用できない状況であった。大事故の時こそ、行政は国民の目になり、的確に情報を伝えてる信用できるものであってほしい。


投稿者: わん | 2011年07月06日 15:34

 僕は出身が青森県で、六ヶ所再処理工場も近くに存在したこともあり、東北大震災以後は特に原発問題に耳を傾けていた。
 しかし、マスコミや専門家の言うことはそれぞれ違った内容であり、さらには、その内容が二転三転することもしばしばあった。
 原発問題についての様々な憶測が飛び交う中、いったいどの情報が正しいのか、自分で判断することが難しくなってしまったように思う。

 枝野官房長官が原発問題に即して放射性物質について、「ただちに健康に影響を及ぼす数値ではない」という言葉を発したが、では、今後はどうなのであろうか。
 確かに、今すぐに有害物質の人体に対する影響について言及するのは難しいかもしれない。
 だが、もう少し言葉を選ぶことはできないのだろうか。これでは、無責任に問題を棚上げしたように感じてしまう。

 今まで、原発による恩恵だけを享受するのみで、そのリスクについては全く考えてこなかった。
 こういう事態だからこそ、改めて考え直すべきなのだろう。


投稿者: みみみ | 2011年07月06日 15:54

 人間は自分たちの都合がいいように、暮らしが便利になるように、ということを考えて、進化してゆく素晴らしい動物だと思う。ただ今回の原発の事故から、我々が豊かになることを最優先にしてはいけないと思った。
 原子力発電は、化石燃料がなくなってきている今、非常に重要な発電方法で、我々の生活に大きく関わっている。しかし、もし原発で事故がおきたら、放射能は目に見えないし、人体に悪影響を与える。こういったリスクがあることを十分に考えるべきだと思う。
 もしもの事態を考え、対処できる方法が見つかって初めて、行動に移すべきだと私は思う。今回の事故への対応を見る限り、私は原発に反対である。


投稿者: ゆうゆう | 2011年07月06日 18:52

 福島県内に住む児童の尿からセシウムが検出されたというニュースを見たときは、思わず息を飲んだ。
 放射線の影響がついに児童の体内から数値として、目に見える形で現れたことは大きなショックであり、この事実は重く受け止めなければならないと感じた。
 政府は、セシウムの量は児童の健康には問題ない程度であることを強調していたが、数値的な結果をどうこう言うよりも、子どもたちの体内にまで放射線の影響が及んでいるということの危機感をもっと深刻に考えるべきだと強く思った。
 福島県に住む親たちの心配は本当に計り知れないものであろう。
 放射線のように目に見えず、その実態が捉えにくいものの怖さは、身近にその危険が着実に迫っていても、そのことに対する危機感をはっきり持つことができず、また専門家や政府の意見や情報に振り回されてしまう点にあると私は思う。


投稿者: みかん | 2011年07月06日 23:24

 化学専攻の学生なのですが、「目に見えない」「実験できないから」意見が分かれている訳ではないと思います。人それぞれへの影響は違う訳だし、その平均をとることは難しいからです。広島は30年草木が生えないと言われていたのですから。
 一番重要なのは、有害物質をどの尺度で見るかだと思います。日本では自然界以外で浴びる許容放射線量は年間1mシーベルトです。しかし、自然界から浴びる世界の放射線量平均は2.4mシーベルトです。どの立場に立つかによって立ち振る舞いは大きく変わってしまいます。
 地震の後原発反対を唱えてる人達がいますが、原発がないと今の暮らしはできません。今の暮らしを継続していくためにはリスクを背をわなければならないことを国民が認識するべきだと思います。


投稿者: にょり | 2011年07月06日 23:49

 東日本大震災以降、政府の震災への対応とともに世界が目を向けているのが放射線に関することである。
 放射線は人体に有害である。放射線は危険だ。わかってはいてもこれまで私たちは特に話題にするわけでもなく、原子力で発電した電気を使用してきた。便利だから。きちんと管理しれば安全だから。それが今となっては目に見えない恐怖にさらされ、政府の二転三転する主張のためどうしたらいいのかわからない。
 今現在普通に生活していても放射線にさらされているというのに実感がわかない人は多いのではないだろうか。
 私たちはこれまで“安全な”原発の多大な恵みを受けてきた。この震災を機会にこれまでの考え方に対する認識を改める必要がある。


投稿者: blue | 2011年07月07日 20:06

 私は出身が福島県であるため、原発事故が起きた時からマスメディアの報道には敏感になっていました。
 そこで思ったのは、マスメディアの報道をそのまま鵜呑みにしてはいけないということです。「通常の何十倍」という表現を誇張することによって、視聴者の不安をあおるようなことばかりしていて、「体に影響が出る値ではない」という視聴者を落ち着かせる表現は本当に小さくしか報道されていませんでした。そのような報道が人々に誤解を与え、福島県への偏見や風評被害のきっかけとなったのかもしれません。
 私の出身の高校では、生徒たちが独自に、市内各地で放射線量の測定を行っているそうです。私はこれは非常に良い取り組みだと思います。政府やマスコミの報道に頼るのではなく、自分たちで放射能に関する知識を深めることによって、正しい情報をもとに生活に生かすことができるからです。
 現在起きている原発事故や、これからの原子力発電の問題を考えていくには、まず私たち一人一人が原発や放射性物質に関する知識を身に付け、自分なりの意見を持つことが大切だと思います。そうすればマスメディアの報道に流されることもないし、風評被害が生まれることもないと思いました。


投稿者: A | 2011年07月08日 02:45

今現在、最も日本中が注目せざるを得ない問題が、原発の放射能漏れでしょう。今日メディアでさまざまな情報が飛び交っているように、国民の中でも多種多様な感情・意見・要望・疑問などが混在しています。しかし原発のことで東電を責めれば解決するものではありませんし、また原発から受けた恩恵を考える必要もあります。
人間は、たとえ相手が何者であれ得体の知れない存在であれば恐怖を感じるのが普通です。しかしこれは裏を返せば、正しい情報を得て問題を認識することができれば、恐怖感は薄れ、さらには対処法が挙がる可能性もあります。この原発問題に対しても少なくとも、今の「目に見えない」状態からは解放されるはずです。


投稿者: riiku1112 | 2011年07月08日 14:56

「目に見えない」ことは、私たちに恐怖とストレスをもたらします。それは、見えないものに対して私たちは対抗することもできないし、もっと言えばそもそも発見することが出来ないからです。そのために、子供を抱える親たちは先を争って放射線測定器を購入し、放射線を「見える」ようにしているのでしょう。放射線やダイオキシン、PCBといった有害物質が見えないのは、これらが自然界に存在しないから、すなわち「見える必要がない」からではないでしょうか。私たちが抱く、こうした物質が見えないことへの恐怖とは、あるいは自然を自分たちの手で変えてしまったということに対する恐怖なのかもしれない、と私は思いました。


投稿者: ジョバンニ | 2011年07月08日 18:01

「目に見えないこと」というのはとても怖いと思いました。目に見えることと違って、自分も感覚でとらえることができないため、恐怖心もそれだけ増えてしまうと思います。放射性物資について、メディアの不確定な見解や、風評に惑わされ、さまざまな情報が錯綜してしまっていると思います。どのくらい浴びたら人体に有害なのか、危険なのか、放射性物質にはそういったボーダーラインも明確に存在しないため、個人でも判断がしにくい部分が多いと考えました。
情報を自分で判断することはかなり難しいことだと思うので、国や市がそういった判断の手助けをしてあげることが必要だと思いました。


投稿者: 二号機 | 2011年07月09日 01:54

 家族の健康をあずかる母親にとってはPCB、ダイオキシン、放射能汚染とそれぞれにパニック状態であったことでしょう。我が家でも福島原発の爆発直後は放射能測定値を気にしたり、水道水の問題が出たときには、水のペットボトルを探したようです。スーパーの棚の水はその日のうちになくなり、赤ちゃんのお母さんたちは母子手帳持参で水を買い求めたそうです。
 こんな騒ぎもいつの間にか落ち着きました。PCBもダイオキシンも放射能も消えて無くなったわけでもないのに、関心は薄れていきます。これらの物資に関する問題は完全に処理されたわけではないので、新たな社会問題が発生しないようにするためにも、厳しい監視を続けながら風化させてはいけないと思います。


投稿者: アンチョビー | 2011年07月09日 09:47

今回の事態は大震災・津波被害の直後に起きた目に見えない放射能の恐怖という未曽有の状況にあります。
 ヒトは自分自身において、行動にあらわしたり、言葉にだしていることと、頭の中で考えていることが食い違ったりすることがあります。自分の心や頭が恐怖や心配といったネガティブな一時的な感情に支配されてしまっていることに意識的に慣れれば、この食い違いや、理解できないことの理由などをきちんと自分で理解し、冷静に対処することができると思います。
 しかし、マスコミの報道熱によって原発に関する様々な意見や見解が国民に伝わりました。「専門家」という非常に信憑性の高い立場の者たちの曖昧に誇張した数多くの表現に、大きく心情が影響されてしまっている人は、もう止められないと思います。彼らが自ら気づき、我に返る、または、事実をきちんと認識する作業は、他人がその人を説得するのではなく、「自身が納得する」必要がありますので。本当は、情報が信じられないのではなく、不安から、疑心暗鬼をおこし、正しいことも正しく受け止められなくなっているのだと思います。
 このように単純な放射能の恐怖だけでなく、目に見えない恐怖とはヒトの心情や性格にまで影響してしますのだと思うのです。身体的影響だけでなく、精神的影響を懸念していく必要もあるのだと私は考えました。


投稿者: 棒君 | 2011年07月09日 12:56

 皆が豊かに、便利に生活を送りたいと望んだ結果生み出した数々の問題。今回の震災でも放射線が大きな問題となって、未だに私達の生活を脅かしています。
 これまで問題になって来たPCBやダイオキシンのように、放射線も目に見えない恐怖として存在しています。しかし、それがどのように人体に影響を及ぼすのか、どの程度の危険性があるのか、それらは専門家の意見がバラバラである上に、マスコミの報道によって「とにかく危険なもの」として認識させられていると思います。そして、それらの責任は全て国や東電にあるかのようにバッシングをし続けています。
 しかし、原発の恩恵を今まで授かって便利に暮らしていた人々にその原因が全く無いと言えるでしょうか。言えないと思います。目に見えない恐怖心は分かるけれども、全ての情報を鵜呑みにして批判を繰り返すだけでなく、情報の判断や理解をしていく努力もするべきではないでしょうか。目に見えない恐怖から何かを学ぶことも出来ると思います。


投稿者: oz. | 2011年07月09日 14:15

 原子力問題もPCBもダイオキシンも危険であることに間違いはない。しかし、これらが危険になるのは、人間の想像を越える災害が起こったり、取り扱い方や処分の仕方に問題があったりしたからであり、原子力発電や多くの化学物質は人間に計り知れないほどの恩恵を与えてきた。それが、いざ「有毒である」、「目に見えない恐ろしい物質である」と言われてしまっては、それらを何十年もの年月をかけて研究してきた学者達が悪者のように思われてしまう気がして、とても残念である。
 原発反対という人がたくさんいるが、ただやめるのではなく、どうしたらより安全になるのかを考えていくことが大事だと思う。ダイオキシンを出さないように、安全な処分法方法を作りだすことができた人間なら、必ず安全な原子力発電所を作ることも可能である、と前向きに考えることが大事だと思う。


投稿者: moumou | 2011年07月09日 16:17

原子力発電の廃止が叫ばれています。しかし私はこのことについて疑問を感じます。事故が起きてから廃止と声高らかに叫んでも遅いと思います。いま原子力反対と叫んでいる人の何割が事故の起こる前から反対といっていたのでしょうか。その恩恵を享受するだけ享受しておいて危なくなった途端、やめろとかいうのは都合が良すぎだと感じます。昔からの日本人の悪癖だと私は感じますが周りの意見に同調するだけで、本質について深く考えない。楽ですが、そこから生まれるものなどなにもないと私は考えます。廃止するならするでこれからどうするのか考えてから行動すべきです。


投稿者: azure | 2011年07月09日 19:15

人間は目に見える恐怖には慣れるが、目に見えない恐怖には慣れることができないと聞いたことがあります。また現在問題となっている放射能については問題が目に見えないことに加え、先生の指摘している専門家の見解が一致しないこと、さらに政府の対応の遅さ、悪さが国民の不安を煽っているように思えます。私自身、原発の問題が発覚してからしばらくは外出するのを避けていました。
今回私が感じたことは正確な情報の大切さです。当たり前かもしれませんが、正確な情報無しでは自分の考えを持つことさえできないことに気づかされました。


投稿者: ゆゆゆ | 2011年07月09日 22:15

地震が発生した日から、原子力発電所に対するさまざまな情報が流れています。しかし、その情報もどれが真実でどれが嘘であるのか判別がつかないのが現状です。その情報に対して一人ひとりの感情の表現は自由ではあるがしっかりと区別して判断しなければいけないと思います。
また、目に見えないことというのは怖いと思いました。目に見えてなくて得体の知れないものは、人体にどのような影響を及ぼすのかわかりません。放射能というのは地震によって発生しましたが、東京電力の説明が不十分なためにどのような影響があるのかが不透明な気がします。だが、正しい情報を得て正しい判断をしていれば、目に見えないものに対する恐怖感が薄れていき、正しい行動ができると思います。


投稿者: k-2 | 2011年07月10日 03:09

 先生がおっしゃるように、原発を作り出したのは人間であり、私たちはその恩恵を受けているという点で、それに関する問題の責任を免れ得ないと思います。しかし、責任がありながらも原発政策に実効的な意見をするのは、一市民としては難しいように思います。そのせいか、私たちは「深刻な事故が起こるかもしれない」と、うすうす感じながらも「見て見ぬふり」をしているように思います。一つ目の責任としては、実効的かどうかにかかわらず、まずその政策に対する意見や提言を声に出すことにあると思います。
 そうした中で今回のような深刻な事態が発生し、原発による利益を優先させてきた行政に問題があるのは明白ですが、「深刻な事故が起こるかもしれない」と感じていながらも「事故が現実に起こって初めてその深刻さを明確に認識する」私たちにも多少問題があるのではないかと思います。こうした深刻な事態が発生した際に私たちには二つ目の責任が生じると思います。それは事態の収拾に向けた働きかけと、今後の政策に対する批評とそれを声に出して訴えることです。目に見えないながらもその恐怖を現実のものとして訴えうるのは、原発の実態を知らない私たちだからこそできることではないでしょうか。今回の原発事故の後、福島から来た子を持つ親たち100人を含む多くの人たちが文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安としての「放射線量年間20ミリシーベルト」の撤回を訴えたことは、私たちがただ悲鳴を上げるだけではいけないことを強く感じさせてくれたと同時に、私たちがその責任を果たすことの大切さを教えてくれたような気がしました。


投稿者: SS | 2011年07月10日 13:22

原子力は安全である、と原子力発電が問題になるまではだれもがそう思っていました。放射線物質は目に見えないです。それは先生がおっしゃたようにとても不安で怖いことであ、危険であると私も思います。原子力を使えばエネルギーをたくさん得られることと同時に人体に有害である物質をも持っていることというメリットとデメリットを持っていることを改めて感じました。原子力のエネルギーを借りて私たちは生活していたことは間違いないことだと思います。ダイオキシン、PCB、放射線のような社会問題を決して忘れてはいけないと思います。でないとまた繰り返すだけだからです。また原子力以外にもこのようなリスクをもった便利なものは存在すると思うので、国だけでなく国民みんなで考え、向き合って、こういう時だからこそ一人一人ができることを迅速に冷静に行動していくことが大切だと思いました。


投稿者: どらやき | 2011年07月10日 21:07

地震発生から約4か月が経ちましたが、未だに多くの人が避難所での生活を余儀なくされています。
とある記事で読んだのですが、障害のある子供を抱える親の大部分が避難所での共同生活を苦として、倒壊する恐れのあるような自宅で生活しているというものでした。
確かに、障害のある方の中には知らない人が多くいる環境に適応できず大声を出してしまうなどということも…もちろん障害者全員にあてはまるわけではないですが、そのような可能性も否めません。それが地震でナーバスになっている他の避難者に不快な思いをさせるかもしれない…などと考えると危険と知りながらも自宅に残る親の気持ちも理解できます。ですから賛否は分かれると思いますが、そのような家族を優先して仮設住宅に入居させるというのも1つの手段だと私は思いました。
ただ、震災復興の大枠すら決まらない今の堕落した政府機関では、そのような細かなケアは望めそうにもありませんが…


投稿者: Takayanagi | 2011年07月10日 21:10

 原発事故を防げなかったことについて今更言っても仕方がないので、東京電力と政府の対応による早期の収束を願うのみです。そして重要なのは、原発周辺の子供たちへの将来の補償のあり方だと思います。
 専門家をもってしても人体にどのくらいの影響が出るのかわからない今回の原発事故は、政府も言うとおり「直ちに影響はない」でしょう。ただし、仮に数十年後に放射線の影響が疑われるような事例が出たとして、本人にはそれが放射線の影響かも分からないし、東京電力としても同じことです。そして今回の東電の補償は一時避難の方々の当面の生活費と、風評被害を受けられた農家や企業に払われるものであり、私の覚えるところでは将来の子供への影響については触れられていなかったと思います。
 存在も影響も「目に見えない」放射線の数十年先の補償を現段階で決めるのは難しいかもしれないけれど、東京電力には水俣病のように因果関係を認めるのを先延ばしにしないで真摯に対応して欲しいと思います。


投稿者: 食後は緑茶 | 2011年07月10日 23:07

 今回のブログの内容に共通して言えることは、すべてが人間のエゴによって生じたということである。生活を豊かにするということに託けて、後の人間や環境に配慮しなかった結果である。
 ここ数十年、人類の科学技術は驚くべきスピードで発展してきた。それに伴い、人々の生活は豊かになっていった。だから今では「科学技術の発展」=「人類の進歩」という図式が形成されている。しかしそれは違うと思う。何かを犠牲にして手に入れた「豊かさ」は決して進歩ではない。本当の意味での進歩とは、環境と人類が常にお互いの利益を持って共存し合える、いわば「持続可能な社会」に近づいていくことだと私は思う。


投稿者: アソー | 2011年07月11日 00:46

 連日報道される原発問題。水の買い占めの時には、私の住んでいる地域でも店頭からなくなり、一時は購入制限までされていました。最初はかなり他人事のように思っていましたが、実際制限され在庫がなくなっていくのを間近で感じるようになってからは放射能というものが先生の言う「目に見えないもの」、そして目に見えないものに対する恐怖というものを常に考えるようになりました。
 未だに校庭で遊ぶことのできない子供たち、そして家に帰る事も近づく事もできない方々の現状を国はどう思っているのでしょうか。原発の作業員に対してもそうです。国のお偉いさん方はただ言い合いをしているにしかすぎない毎日。解散するしない、今本当にそのような議論が必要なのでしょうか。もっと本腰を入れていかなければどの政策を考案しようとも、机上の空論にしかすぎないように思えて仕方がありません。
 トップが何をもたついているのかわかりませんが、包み隠さずに全ての情報を開示し、本当の議論すべき点はどこにあるのかをしっかり考え、一刻も早く「見えない恐怖」から解放するべきです。解決に向かおうとする姿勢が最近見えない事がとても残念です。


投稿者: pr2 | 2011年07月11日 01:20

 ダイオキシン、PUB、原発問題は全て私たち人間が引き起こしたものであります。だからこそ今や未来を明るくするために、かつてない努力、国民で深く背負って考えていくことが重要になってくるのだと思います。
 私は今回のことで本当に大切なものが何かを深く考えさせられました。生活を便利に有効なものにするためにされてきた技術革新を非難するつもりはありません。しかし、それに対する人間や生き物全て、自然環境への負担や代償はあまりにも大きすぎると感じます。何も罪もない赤ちゃんにまで影響が及ぶことが私は残念でありません。
 私は、福島やその近辺で、子供を持つ親が毎日のように不安な表情を浮かべているニュースを目にします。私は目に見えない敵と毎日戦う日々がどれほどつらく厳しいものか想像するだけで、胸が痛むのです。しかし、現場から遠い私たち一般市民にできることなんて専門知識もなければ確信もありません。今できることは、節電やボランティア活動、募金程度でしかないのです。今回失ったものは大きかったですが、得たものも大きいです。これからは個々が得たものを活かしていくときです。


投稿者: ほしぐも | 2011年07月11日 01:41

 科学技術が発展したことによって、目に見えない危険な化学物質が環境や私たちの命を脅かすようになった。そして、最も被害を受けてしまうのは何の罪もない幼い子供や妊婦の方々である。これから生まれる命、育っていく命を守っていくためには、政府の幼い子供、妊婦の方々を対象とした援助が必要である。また、一度汚してしまった環境はすぐには戻らないが、この過ちを教訓に、年月をかけた地道な修復を続けることが大切だ。


投稿者: みー | 2011年07月11日 03:05

 今回の日本の原発事故を受け世界中の人々が脱原発を訴えています。現に今さまざまな国々が原子力発電の廃止に向けて動き出しています。しかし現状において人類は原子力発電以上にクリーンで効率的な発電手段を持っていないのが事実です。いくら人々が節電に取り組んでも限界があるでしょう。今、目先の恐怖に怯え火力発電等の環境に優しいとは言えない発電手段に頼り温暖化等の環境問題を進行させるのが正しいのでしょうか?
 私は原子力発電が正しいとは決して思いません。ただ人々が放射能がどのようなものかよく理解しないままただただ怯え、批判するのではなく、落ち着いてこの未曾有の事態に対応するべきである。


投稿者: おじさん | 2011年07月11日 12:28

 4ヶ月前の震災によって原子力発電について見直され、放射能の危険性を世界中が考えるようになりました。
 最近では玄海原発が再開されるかどうかを報道されるようになりました。しかし、まだシミュレーションをしていないなど国民を不安にさせる言葉ばかりでした。
 チェルノブイリでメルトダウンしたときになぜ日本はもっと深刻に考えることができなかったのだろう、と疑問を持ちました。
 今、国民は見えない恐怖に怯えているにも関わらず、政府は肝心なことを隠してしまいさらに国民の不安をあおっているように感じます。

 しかし、原子力発電がないために日本は節電を心がけなければやっていけなく、自然エネルギーが今までの生活を補えるほどになるまで5年かかるとも言われていて不便に感じている人は少なくないと思います。原子力発電がなければ私たちの生活は今までどおりには送れないのです。
 私たちは便利さに隠れた危険に目を背けてしまっていたのだと思います。
 やっと目を向けることのできた今だからこそこれ以上目を背けずにこの危険について私たちは考えていかなければならないのだと思います。


投稿者: 0330 | 2011年07月11日 12:58

 私は千葉県北西部の流山市に住んでいて、最近ニュースで放射線量が高いことで取り上げられてから気にし始めました。しかし目に見えないのであまり危機感が持てない。それよりか気にし始めたからといって特別な対策をしているわけでもない状態です。
 専門家はいろいろと研究していますが、それは専門家のためにやっていて、国民にとっては直接得がないように私は思います。東電の記者会見でも、その人たちしかわからない言葉を言ってくる。それでは本末転倒だと思います。だから国民がちゃんとわかるように研究をして、対策などもはっきりと述べるべきだと思います。


投稿者: 部長 | 2011年07月11日 13:47

 原発事故は政府のみが悪くて起こったわけではない。国民も東日本大震災が起こるまでは、原発の安全性についてほとんど議論してこなかった。しかし、事故後の対応は非常に悪い。事故について隠蔽したり、東電と政府との連絡の取り合いが十分でなかったり、これでは政府が国民から恨まれるのも無理はない。
 いくら「安全です」と発表しても、父母は赤ちゃんのミルクのための水を確保しに東奔西走するであろう。さらに警戒している相手が目に見えないので、余計に混乱する。専門家や政府が、正しいことをわかりやすく伝えることが大事だ。


投稿者: 投稿者 | 2011年07月11日 15:26

 東日本大震災から4カ月がたった今でも、目には見えない放射能の問題がいまだに残って、この問題のせいで何の罪もない人々が自分の故郷から離れざるを得ないという状況になっています。
 ニュースを見ても原発問題についての特集なども多く報道されているけど、一体どの情報を信じればいいのかもわからない。このままの状況では原発の付近に住んでいた人々の不安が増す一方です。
 今までは安全だと思われていた原子力発電所が実はこんなにも危険なものであると日本国民は知り、そこから放たれる目には見えない放射能が知らない間に人々の体に悪影響を及ぼしているこの現状の中で、大切なのは、間違っている情報に流されるのではなく、正しい情報にだけ耳を傾け、理解し、行動に移していくことであると思います。
 一人ひとりが冷静に今の現状を受け止め、行動することができれば、自ずと解決策は見えてくるのではないかと思います。将来のためにも一日でも早く解決できればいいと思います。


投稿者: あいう | 2011年07月11日 16:04

 人類は目先の利益に目を奪われ、後になって自分の行動の重要性に気付くという傾向がある。PCBは熱に対して安定で、耐薬品性に優れていたので非常に幅広い分野で重宝されていた。DDTという殺虫剤も非常に安価に大量生産できる上、少量で効果がありヒトや家畜に無害であるように見えたため大量に使われた。フロンガスも「夢の化合物」と呼ばれ優秀な冷媒として活躍していた。今ではどれも深刻な環境問題を引き起こす物質として知られている。
 これらはどのようなデメリットがあるか知らずに使われた。はたして原発はどうだろうか?みんながその危険性を知っている。それでも使い続ける。よりたちの悪い話だと私は考える。
 先の三つの化学物質は禁止された今でも環境に負荷をかけている。目先の利益から少し目を離して長い目で原発をどうするか判断する必要がある。


投稿者: トイレットペーパー | 2011年07月11日 17:13

 原子力発電は、人間が人間のためにつくったシステムです。しかし一度事故が起きてしまえば、その影響は他の動植物にまで及びます。さらに原子力は目に見えないので、人間ですらどこまで影響が出るのか把握しきれていない状態です。人間は自分たちの暮らしを豊かにするために本当にたくさんの犠牲を生んできています。
 今回の事故で、クリーンエネルギーであるとして推奨されてきた原子力発電の陰に潜む危険が表に出たので、これをきっかけとして、太陽光エネルギーなど、ほかの生物や生態系に悪影響を及ぼさないようなエネルギーの開発に人間が全力を注ぐことを考えていくべきだと思います。


投稿者: igig | 2011年07月11日 17:52

 現在、人類の科学技術の発展の代償として、数多くの汚染問題が世界中で起こっています。東日本大震災の福島原発の放射能問題でも、罪のない多くの人々が目に見えない恐怖に不安を抱え、苦しみながら生活をしています。原子力発電でまかなえる電力は膨大なものだとおもいます。
 しかし、今回の福島原発のようなことが起これば、発電所はたちまち兵器へと姿を変えます。自分たちの国のために造ったものが、自分たちの国を苦しめるものへと変わってしまうのです。科学技術の発展は人類の叡智の結晶であり、素晴らしいものだと思いますが、そのリスクを考えずにいることは、人類の進化へとつながらずに滅亡へとつながってしまうと考えます。
 震災から4ヶ月経ちますが、誰も責任を取ることができないこの問題は、人類の永遠の課題だと思います。今回の事故のことを私たちが忘れることなく、胸に刻みつけて考えていかなければいけないと思います。問題について考えるのを止めてしまえば、この国の未来は来ないと思います。


投稿者: 杵 | 2011年07月11日 18:02

 原発事故以来メディアは放射能汚染について批判と擁護を繰り返している。某県の畑で通常の何倍もの放射線量が確認されたと言ったり、しかし、人体に影響は無いと言ったり。ただ視聴者を混乱させているようにしか思えない。
 実際問題この放射線量の問題は明確な解決策は今は無く、これから何年も付き合っていかなければならない問題であるので、今のメディアのように報道の自由と無責任な報道が混雑しているメディアに情報を発信させるのではなく、国がしっかりと正確な情報を発信するように管理するべきである。そうしなければいずれこの問題も済んだ事実になってしまうと思います。


投稿者: Cl30 | 2011年07月11日 18:41

 私は今回の原発事故に関して日本のエネルギー政策への疑問も出てきたと思います。
 原子力は初めこそコスト的にも安く発電力も多い優れたエネルギー発電として積極的に進められてきましたが、今回の事故によって大きく変わりました。
 今回の事故で放射能は「目に見えず」、それでいて広範囲に影響を及ぼすということを非情なほどみせつけました。そしてもしこのような事故が起きると社会的な損害が、一つの企業が手に負えるレベルの話ではないということです。
 ここまで悲惨な現状があるのに対して原発を抱える市町村も「早く原発を再開してほしい」など、日本は安全よりも経済的な面を重視し過ぎていると思います。
 なぜこのような事故が起きたのか、この事故から私たちは放射能の恐ろしさや、原発のリスクの大きさなど学ばなければいけないと思うし、二度とこのような事故が起きないよう未来に伝えていかなければならないと思う。


投稿者: はなざわ | 2011年07月11日 20:01

今回の震災によって放射能のことが大きく取り上げられています。今回で世の中の人たちが混乱しているのは、人が怖いと思うものはわけがわからないものだからだと思います。だからこそ普段では接することのなかった放射能に対し、突然向き合わなければならなくなり混乱していて、さらにメディアによる不安を煽るような情報がより一層悪化させています。
だからこそ冷静になって情報を見極めることが必要になってくるはずです。


投稿者: しば | 2011年07月11日 20:24

人間は社会を効率的に進めるために科学技術を発展させてきた。その都度、大きな問題にぶつかり、その都度それに対応してきた。と言うよりも、危険とわかっていても、それが露呈するまでは、危険ではないとふるまっているだけなのかもしれない。そうすることによって、何らかの恩恵を享受し続けることが出来るからだ。今回の原発の事故もそうだろう。完全に制御できないものが安全なはずがない。それを知っておきながら、今回のような事故が起こるまでは、原子力発電は安全と提唱するぐらいだ。利益を優先させることはそれほど重要なことなのだろうか。私はそうは思わない。利益を優先させるのではなく、安全性を優先させていけるような社会になっていけばよいと思う。


投稿者: ブリスベン | 2011年07月12日 00:18

人間は目に見えないからこそ、それに対して敏感になってしまう。目に見えないからこそ知りたくなる、実際に目に見えるもので表してほしくなる。今回の放射能もそうであるが、人の気持ちも同じであるのではないだろうか。
 今回の原発問題が起こるまで、あまりスポットライトが当たらなかった放射能が、今回の震災を機に急に注目されるようになり、それをメディアは過剰報道しすぎている面もあると思うし、私たちも過剰反応のしすぎであるとも思う。実際に十分な知識もない私たちが、メディアの報道する「○○シーベルトを観測しました」という言葉を聞き、大慌てするのもどうかと私は思う。
 今回のような目に見えないものが相手の場合、視覚からの情報がないため、何を信じて良いのか、わからなくなるかもしれないが、周囲からの情報を鵜呑みにせず、判断することが重要になってくるのだと私は思う。


投稿者: officer duck | 2011年07月12日 03:13

3月11日の大地震は紛れもなく天災です。これを誰が予測できただろうか。また、そのあとの大津波も地震によって発生した二次的天災です。こればかりは、地震大国日本に住む我々にはどうしようもない出来事です。しかし、福島原発の放射能漏れ、放射能汚染はもはや人災なのではないかと考えざるをえません。
原子炉は私たち人間が自らの利益を追求するために開発したものです。その利益もくろんだ原子力から今、将来の生死にかかわるような悪影響を受けています。
危険予測を見誤り安全性をおろそかにしてしまったこと、これこそが私たちが招いた人災そのものなのではないだろうか。


投稿者: DDD | 2011年07月12日 14:28

 専門家の意見が一致しないのはわかっていない、だけでなく統計データを個別データに対してあてはめることが出来ないためだとおもいます。専門家が持っているデータは集団内の発生率であり、各個人の発生率ではないし、一般人側が”安全”の基準を示すことはありません。専門家の間では統計的に○○%程度、で納得できますが、一般人に「この状況では癌発生率の変化は有意水準0.05を下回っているので大丈夫。」と言ってもわからないでしょう。それに実際問題100%など科学ではありえないので、一般人に説明するときどこかでまるめが生じます。これらが積み重なって一般人と専門家間で温度差が生じてしまうのだと思います。(個人的にはこの間を取り持ってくれるサイエンスコミュニケーターをもっと認知・養成してほしいところ)
 また、PCBやダイオキシンに関しては科学的な背景として、化学物質の分子生物学的な挙動が明らかになってきたのは1960年代であり*1、従ってこれ以前では毒性について実際に検査しきれない部分があったのだと思われ、また、当時は、これは長期的な疾患については今でもそうなのですが、健康害について想定できなかったという面もあると思います。PCBやダイオキシンに関しては、言いようによってはそれを使った世代に責任を押し付けられますが、原子力はいまだに使い続けています。その点で、害があっても使い続けられている原発からの放射性物質に関しては我々若い世代にも責任があるのだと思います。


*1 定家 義人ら『ゲノムサイエンスと微生物分子遺伝学』培風館 参照のこと


投稿者: かわせみ | 2011年07月12日 16:27

 「目に見えない」というより「心に見えない」と言ったほうがいいではないでしょうか。目に見えないはたしか恐ろしいですが、心に見えないともっと不安になると思います。
 原発問題は今までまだ解決できないし、メディアの報告は確実かどうかもわからないし、国民たちはこれに対する正しい情報をもらえません。原発問題は何ヶ月も経って、解決策がまだ出てません。国民は国に対する不信感がだんだん高くなってきました。早く解決策を出すのは今極めて重要なことだと思います。また、メディアの確実な報道も非常に必要なことです。政府とメディアの機能を十分に発揮して、国民も今は一体どういう状態かをわかって、政府、メディア、国民がお互いに協力すれば、原発問題の解決は期待できるでしょう。


投稿者: ソロン | 2011年07月12日 18:41

 福島第一原発の事故による放射能への恐怖は、目に見えない、情報の錯綜、二転三転する政府の主張など、様々な要因がある。その結果、過剰な反応が生まれてしまい、風評被害などが広がる恐れもある。
 また、自分の身は自分で守ろうと、携帯用の放射能測定器を使用する人々もいる。この意識は非常に大切であると思うが、個人の行動では限界があるのも確かだ。政府は、想定外などということがないように細心の注意を心がけて、慎重な対策を講じるべきであると思う。


投稿者: tousei | 2011年07月12日 18:48

 私の地元には原子力発電所があり、更には三号機増設に向けた手続きを行っているなか、今回の東日本大震災による福島原発事故が発生し、とても衝撃的なものでした。原発のすぐ近くに住んでいる、遠く離れた地の両親の事が心配でなりません。

 原発は確かに我々人間に多くの恩恵を与えてはくれましたが、今回の事故でそれは同時に多くの代償が伴うものだと白日の下に晒されたと思います。原発は神の産物ではない、穴だらけの代物です。例え原発の安全性をいくら主張されたとしても、金輪際絶対に信じることは出来そうにないです。


投稿者: ほうまつ | 2011年07月12日 20:33

 放射能は目に見えず、すぐに症状が現れるものではないが、人間に深刻な影響をあたえるため本当に恐ろしいものだと思う。しかし、だからといってただ騒ぎ立てるのはいかがなものかと私は思う。騒ぎ立ててどうにかなるものではないし、むしろただ混乱を招くだけではないだろか。
 そう考えたとき、そんなことをするより今自分たちにできる最良のことを考え、実行する方がよっぽど有意義ではないかと私は考える。原発は人間が作ったものであり、そのリスクも十分に考え考え得られていたはずである。そのような点で今回の震災は自分たちを今一度省みるきっかけになったように思う。


投稿者: 345 | 2011年07月12日 21:08

 地震のあと、反原発を唱える人が増加したのはもっともであると思うが、しかし天然資源の少ない日本において、人々の生活を維持するために原子力は必要不可欠なものではないだろうか。放射能は目に見えず、その脅威は普段過ごしていても今までは気にとめることがほぼなかった。
 今回事故が起きたことにより、人々が関心を持つようになった原発。利便性と安全性を互いに追求することはなかなか困難である。この問題は将来においても原子力がある限り、世界規模で議論しあわなければならない課題であるだろう。


投稿者: グリーンティー | 2011年07月12日 21:33

 人間という生き物は、目に見えないものや自分の知らないものに恐怖を覚えるものです。
 放射能は学んできたものではないし目に見えないものなので、恐怖はぬぐえないものだろう。今年から放射能について小学校でまなぶことになるようだが、それに加えて、保護者にも専門家が説明会を開いて、少しでも放射生物質のことを理解したほうがいいだろう。


投稿者: ひよこメイカー | 2011年07月12日 21:35

 今回の原発事故によるこれまでの経緯を考えると、今後はできるだけ原子力に頼らない方法を模索しなければならないと思う。事故発生直後から、政府や東電がさまざまな手段で放射能の拡散を抑えようとしたが、あまり効果があったようには見えなかった。現代の科学では、人類は原子力に対してあまりにも無力であることを、改めて思い知らされたように思う。
 また、このような事故が起こり、これから稼働する原発については細心の注意のもとで利用されるであろうが、それでもいつ不測の事態が起こるとも知れない。
 一刻も早く原子力から脱却できればよいのだが、原子力が全発電量の内かなりの割合を占めている現状では、今すぐにというのは現実的ではない。それでも、安全かつ安定な自然エネルギーの開発は、近い将来必ず必要になるだろう。今回の事故は、だれの責任という考え方ではなく、人類の犯した過ちとして記憶されるべきことなのではないだろうか。


投稿者: どかべん | 2011年07月12日 21:37

 目に見えないもので人が死ぬかもしれないと考えるととても怖くなります。
 私は実家が九州にあるので、親からとても心配されます。大切な子どもが危ないかもしれない。しかし、一般人はそれを確認することはできない。
 確認できた時にはもう手遅れとなっているかもしれない。
 そんな恐怖のなかで私たちは今生活しているんですよね。
 このように精神的に追い詰められているところに、面白がって危険だ危険だとネット上で煽る人がいるのもまた事実。
 たしかに危険なのかもしれない。しかし、弱っている時だからこそ、そのような情報に惑わされずに、強い意志で情報を取捨選択すべきではと私は思う。
 原子力発電によるエネルギーに頼らずには生きていけない社会を選び、作り上げてきたのは他ならないわれわれなのだから、この問題と正面から向き合わねばならないと私は感じた。


投稿者: ビス | 2011年07月12日 22:42

 福島第一原子力発電所事故直後、報道によって放射能の危険が取り上げられる一方で、「直ちに健康に影響はない」という言葉を毎日のように聞いてきた。「全く影響がない」と断言しない現実を私たちは受け入れることなどできるだろうか。
 隣の家は立ち入り禁止になった一方で、我が家は自主判断で住み続けることができる、といった理解に苦しむようなことが行われている事態は到底納得できるものではない。

 事故を終息に向かわせる方法も手探りのような状態であることが報道されればされる程、安全神話に依存して利益重視の開発ばかりを続け、万一の緊急事態への対策を怠ってきたことが見えてくる。今回のような事故が発生してしまった以上、手探りであっても、各国に更なる支援の要請をしてでも、終息させなければならないことは言うまでもない。

 今後どのように原子力発電と向き合っていくべきか、早々に方針を決めていかないと、「第二の原発事故がいつ、どこで発生するかは分からない」という不安に、国民が長い間脅かされ続けることは避けられないだろう。


投稿者: 東風 | 2011年07月12日 22:51

 震災が起こって以来、ニュースでは原発だとか放射線だとか人々の恐怖心を煽ることばかりを話しているのをよく目にしていました。私も専門的な知識を知らず現状を把握しきれていない中で、外出したら危ないとか、水道水は危ないなどと思って生活していました。
 また、テレビで見る福島県の人の放射能値を測っている映像などを見るととても心が痛みます。ブログでもおっしゃっている通り、その調査による解決策はなく、ただ人々に恐怖を与えているだけではないでしょうか。


投稿者: フレッシュレモン | 2011年07月12日 23:29

 この記事を読んで、PCBもダイオキシンもたしかに事象として今回の原発事故と似ていると思った。そう気付いて、まず、同じようなことが前に起こっているのに、またも同じことが起こってしまったことを悔やまずにはいられない。前例を生かせなかったことは、技術者としは非常に残念なことだ。
 考えてみれば高度経済成長期の水俣病も同じことではないかと気付いた。水俣病のときは高度経済成長が重要視されて、解決が遅れるという、社会病の要素を含んでいた。わたしは水俣病患者の話を読んだときもう2度とこんなことがあってはいけないと思った。もう2度とあんな思いをする人がいないようにするためには、いまは被害にあっている福島県民のことを1番に考えることが重要だと思った。
 太陽光もメタハイもコストや効率の面で問題が山積みで、一概に原発全廃賛成!なんて言えないのは重々承知だが、福島県民がまた水俣病のときの熊本県民と同じような思いをしなければいけないくらいなら、わたしはクーラーも暖房もいらないから原発をやめよう、と言いたい。


投稿者: リンスinシャンプー | 2011年07月12日 23:53

 今、震災後である日本において緊急事態である今だからこそ、本当の意味での「安全」とは何か再検討する必要がある。

 連日ニュースでは、原発に関するめまぐるしいほどの動きが報じられている。あらゆる危険性が浮き彫りになる一方で、月日が経つとともに我々はそれに対するリアリティを帯びた危機感が薄れているのではないか。何が「安全」か、信じることが困難な状況下で、「目に見えない」危険もさることながら、実際に被害を受けていない我々が、いかに目の前の悲劇から「目をそらさないか」が求められているのではないだろうか。


投稿者: はな太郎 | 2011年07月13日 00:24

 「目に見えない」と本当に人は悩まされると思います。目には見えないけれどもそこにはあるという事実を受け入れるのは難しいです。目には見えないからこそ、日ごろの万全な対策が必要になってくるのではないでしょうか。国だけに任せるのでなく、自分たち自らが行動を起こす必要があると思います。
 放射能の危険性についてまだ知識があやふやではあるが、これからはその知識を確実なものにし国民を安心させてほしい。


投稿者: キャッスル | 2011年07月13日 00:32

 私は留学生で、原発事故が発生した後で母さんが自分のことをあまりにも心配していたため、一時帰国することに決めました。帰る前に、私は東京品川区の入国管理局へ再入国ビザを申請に行きました。行ったときに入国管理局の前で数万人の外国人が並んでいた列を見て、本当にびっくりしました。
 その原因は、枝原官房長官が放射能物質について、「健康に影響を及ぼす数値ではない」と言っている一方、日本のマスコミが「通常の何十倍」という表現を使っていた。そのため、誰が言っていることは本当なのかを全く分からなくなるため、外国人が不安だと感じ、日本から逃げっていたわけです。
 それだけではなく、私の母国ではさらに非常識も甚だしいこともありました。一時どこかの地域のマスメディアは中国沿岸部から捕られた魚に放射能物質を観測され、中国沿岸の海も汚染されたため、これから多分塩が取れなくなるかもしれないと発表しました。
 そのきっかけで、国民は一斉にスーパに殺到し、あっという間に各地の塩が全部売り切れてしまいました。しかし、よく考えてそれはあり得ない話だと子供でも判断できます。
 放射能を目で見えないので、人間はそれに対して不安を持ち、怖いわけです。したがって、そいう時こそ、マスメディアはもっと責任を持ち、世の中に緊張な雰囲気を作らないように報道すべきであると私は思います。
 それで、我々も情報を手に入れる際にすぐに信じてしまうのではなく、それが本当なのかを冷静に考え、落ち着いて行動していく必要があると私は思います。どんな災害に遭っても最も大事なのは、冷静に考えられる力を失わないことのではないかと思います。


投稿者: ソンソン | 2011年07月13日 00:54

 私もテレビのニュースなどで、いったい誰が正しいことを言っているのだろうと思っていた。
 放射線のことにしても、国とメディアの専門家の意見が一致していないことが多い。ここで私たちは、「情報を取捨選択しなければならない」といわれても「目に見えないもの」という不安もあるわけで、専門知識のない一般の人々が何を頼りに考えたらよいのか疑問である。わたしはやはり、国がしっかりと国民のために根拠に基づいた情報を発信すべきたと考える。


投稿者: mm | 2011年07月13日 02:58

 最近明らかとなった大学と政府のやらせメールが話題となっている。ただでさえ事実がはっきりしない中での事件だった。ネットを普段しない人たちはテレビまたは新聞などからしか情報をあつめられない。テレビが必ずしも正しいと言えなくなってきた今、自らが情報を入手する能力が必要となってくるのではないだろうか。
 「直ちに身体に影響が出るものではない」などという責任のがれの発言を安全だと捉える人がいるようだが、将来的または少し後に身体に影響が出てきてしまうと解釈しなければならない。
 目に見えなかったり状況が分からなかったりするのなら尚更積極的に動かなければならないのではないか。笑われながらも高台に津波の避難所を作っていた人がいたが、その人のようにもっと危機感を持つべきだと思う。


投稿者: 桃水 | 2011年07月13日 03:12

 福島原発問題がチェリノブイリ原発事故と同じ危険度になったと聞いたとき、恐怖という感情よりも実感がないからなにをすればいいかわからないという状態でした。それは今もあまり変わりません。水道水をなるべく飲まないようにするくらいしか思いつきませんが、ほぼ不可能です。
 放射能にどの程度汚染するとどのように人体に影響が出るのかという専門家の見解を一致させ、そして、私たち国民がどのように生活していけばいいかという政府の明確な対策が必要であると私は考えます。


投稿者: HM | 2011年07月13日 04:04

 今回の福島原発の問題やPCB、ダイオキシンなどの「目に見えないもの」が私たちの生活に被害や、恐怖を与えるものに関して一番足りていないものは共通理解だと私は考えます。
 今回の福島原発の事故に関しても、常に正しい情報が遅れて出てくるため、デマや推測が飛び交い不安を煽る。実際この問題のおそらく焦点となりうる放射性物質に関して正しい知識を持っている人はごく少数だと考えられます。また現在進行形の事故であるのにも関わらず、その現在時点での情報が全くと言っていいほどわからず、多くの人がもう終わった事のように接しているのも事実であると考えます。
 本当の意味でこの原発事故が収束したときどれほどの被害が出るかは分かりませんが私たちが今、情報や感覚的に麻痺した状態であるというのは事実だと思います。
 政府や各メディアに対して、迅速な情報公開、またそれによって何がおこるのか、何が考えられるのかというところまでをしっかり危機感を持って報道してほしいと私は考えます。


投稿者: ピスタチオ | 2011年07月13日 07:38

 人間は「目に見えない」ものに対してかなり弱い。放射線などのようなに実体がなく、さらに人体に影響を与えるものならなおさらだろう。だから放射線測定器を購入して自らその見えないものを数値として実体化し、見えない恐怖を取り払おうとしているのだと思う。
 自分たちが今しなければならないことは常に正しい情報を見極め過剰に反応しないことである。この有害物質をこのような形で存在させたのは間違いなく私たちである。ならば存在させた以上、人類が責任を持って処理しなければならないと思う。


投稿者: ハンター | 2011年07月13日 10:14

 福島県で原発の事故が起こってからは、特に放射能の問題がたえません。福島県からだいぶ離れている埼玉県でも放射能が検出されたり、各地の野菜や魚などへの被害も数多く報道されています。この原発事故の被害は計り知れないものであると思います。こんな時だからこそ日本国民全員で力をあわせるべきだと思います。


投稿者: 零号機 | 2011年07月13日 10:19

 原発事故で放射性物質についての不安から、4ヶ月経った今でも毎日、様々な関連ニュースが報道されている。今日見たニュースでは、汚染された牛についてのニュースであった。しかし放射能と同じように、放射性物質を牛が、または他の肉や野菜などの食べ物に入っていても人間の目ではわからないし、実際に口に入れても食中毒みたいに、目立った症状はすぐには現れないだろう。
 しかし、食べ物からの放射性物質の、体の中での蓄積は科学者であっても、いつどんな症状が出るのかは明確には答えられないし、その答えは、もしかしたら答えは出ないかもしれないが、襲うとしてもいつ日本を襲うのかはわからない。
 わからないことだらけだし、それが逆に不安感を増大させていると思う。


投稿者: forget-me-not | 2011年07月13日 11:57

目に見えないものが、私たちに影響をあたえているということはとても恐ろしいと思います。
目に見えなく自分で確認したり、判断できないという事はそれを専門にしている人に知恵を借りなくてはいけません。原発のことでたくさんニュースが流れますが、実際私には理解するのが難しいことがたくさんあります。専門にしている人には常識なことがそもそも私にはわかっていないのだと思いますが、何か発言したり発表するならばわかりやすく伝えることそして自分の言葉に責任を持つことが大事だと思います。


投稿者: akak | 2011年07月29日 17:02

宗澤さんの言うとおり、原発は人間が開発したものなのだから、誰一人この責任を逃れられる人はいないと私も思います。私たちは原発のお陰で安価で便利な電気を自由に利用できています。これは、今回福島原発で被害に遭われている方々もそうでない方々も皆に等しく言えることです。しかし、この原発の事故に責任を負わされているのは誰でしょうか?原発により便利をもたらされているごく一部の人だけです。すべての人類がこの事故に責任を負う事は不可能ではあります。しかし、私たちは、この事故を他人事と思ったり、東京電力に責任を押し付けたりしてはいけません。自分たちが開発、利用してきた原発に対して責任を持つためには、原発の未来について真剣に向き合わなければならないのです。原発の問題はまだまだこれからです、今回の福島原発の事故の反省を先に活かす事こそが責任を取る行為だと思います。


投稿者: タコライス | 2012年01月17日 00:04

宗澤先生の講義を受講しているものです。
私はこの春に埼玉へ来たので、震災の際は福島市で過ごしていました。3月11日の震災の際からテレビで速報されていた、福島の原発の水素爆発のニュースは恐怖でしかありませんでした。また、次の日になると、東京に住む親せきから「早く逃げろ!」という連絡や、信頼のおける友達から「黒い雨が降る」というメールが何通も送られてきたり、避難勧告が20キロメートルから30キロメートルになったりして、そんなうちに、家族では死を覚悟しました。何分前例がないということで、私のイメージでは、広島の原爆のような状況になるのだと思っていました。そんな状況の中、私は家族を残し、埼玉へと上京しました。
夏ごろに一度帰省した時には、家に放射能測定器がありました。家の中では0.3程だったのですが、外の雨戸や草の上では、高いところだと、3や4のところもありました。しかし、おっしゃるように、数値にしたところで、何もできないのです。やっていたことといえば、換気扇をふさぐ、家に入る前に服をはらう、ひまわりを植える、マスクをする、芝生を取り除くぐらいでした。私は、中学1年の妹もいるのに、自分だけ埼玉に逃げているみたいで、苦しくなりました。
また、こちらへ来て見て思ったのが、福島の人よりも、周りの人たちのほうが放射能に敏感なことです。福島の人たちは、放射能は目に見えないし、被害がすぐに出るわけではないから、気のゆるみが出てしまったのではないかと思います。悲しいことだと思います。


投稿者: から | 2012年01月17日 15:44

原発事故による放射能やセシウムについては、国内に住む多くの人が気にしている問題だと思う。
自分も例に漏れず、食材を買う際には出来るだけ汚染の少なそうな地域の原産のものを買うなど気をつけているが、「果たしてこれは意味のある行動なのだろうか」と考えてしまう事が多々ある。いくら有害物質だと言われても、目に見えないので危険を察知しにくく、またそれによって危機感もどんどん薄れてしまうのだ。加えて記事にもあるように、例え数値が見えたとしてもショックを受けるだけで、何の解決にもならないのが事実だ。
自分は女なので将来子供を産み育てるわけだが、これらの目に見えない危険物質によって子育てに支障をきたす可能性は十分にある。その事を考えると不安と悲しみでいっぱいになるが、一体いつまでこのような気持ちで日々を過ごさなければいけないのだろうか。


投稿者: きのこ | 2012年01月24日 03:57


 3.11の震災から間もなく一年が経過しようとしています。同時に「放射線」や「放射性物質」、「原発」が悪い意味で私たちの暮らしに身近になりました。それまででそれらは、私たちの暮らしからは遠く離れた場所にあり、市民の認識も非常に低かったと思います。それは、市民の関心が低かったこともあります。しかしその根底にあるのは、政府が科学認識を市民に持たせようとしなかったのではないでしょうか。文部科学省の政策を見ると、3.11以前は、推奨してきた科学技術開発を政府や、一部の科学者間でのみ掌握し、私たち市民には広く知れ渡らせようとしなかったと見られる。3.11以降、やっと政策として、国民の主体参加を促す方針を示しました。日本は「科学立国」として、非常に高い技術を持っています。それらは私たちの暮らしを支えるものであり、関心を持つべきもの、現在科学技術を掌握している人たちが、政策を通して市民に広く関心を持たせるべきだと思います。


投稿者: 桜鯛 | 2012年01月24日 12:02

3月11日の震災、原発の事故の発生後、放射線、放射能、セシウム、シーベルトなど、日常の話題ではめったに口にしない言葉が一気に日常生活の中に出てくるようになった。「目に見えない」し感覚的にも変化を感じない為にその汚染や怖さというものが分かりにくい。また、「目に見えない」為なのかニュースで取り上げられる機会が激減したからなのか、事故発生当初はニュースの度に耳にしていたこの問題について、今ではまた非日常的な言葉に戻りつつある。この震災・事故で感じた見えないことへの不安。飛び交う情報のどれが正しいのかいまだに判断することはできません。便利さを求めた人間が作り出したもので、私たちも他人事と思わずその危険性についての正しい知識を持つ必要性を感じています。


投稿者: ぽんた | 2012年01月25日 06:38

 原発事故があってからしばらく経つが、未だに放射能の問題は残っている。しかし、私自身が埼玉県に住んでいるせいか、個人的にはもう放射能に対して不安に思うことはなくなってしまった。関東以南に住む人々にとっては、それが自然であるかもしれない。
 また、PBCやダイオキシンについては、食品の安全性を今まで不安に思ったことは一度もない。私はこの記事を読むまで、PBCやダイオキシンの問題について知らなかったのだ。これも、私の世代やそれよりも若い人々にとっては知らなくて当たり前であるかもしれない。
 放射能もダイオキシンやPBCも、見えないからこそ、その危険性について知らない限りは平気でいられる。しかし知ってしまった瞬間から、見えないからこそ、不安で仕方がなくなるのである。測って数値として見ることができても、対応策がない限りしばらくの間不安を拭い去ることは難しいだろう。
 これらの危険は例え避けて通れるものであっても、自然環境に影響を及ぼしている以上は放置して良い問題ではない。問題を起こしたのは人間である。例え知らなくても、目に見えなくても一人一人が自分の問題として取り組んでいくことが必要だ。


投稿者: こたろう | 2012年07月18日 14:16

原子力発電はエネルギー不足を解決するのに有効な手段ですが、それは同時に多大な危険性を孕んでいると以前から指摘されていたものです。今回の震災でそれが露呈してしまい、放射線等の問題に苦しむ結果となってしまいました。しかしこれは現代のエネルギー問題について考える良い機会でもあります。自分は原子力発電に反対はしていませんが、自分たちは今後、原発に代わる新たなエネルギーについてもっと真剣に考えていくべきだと思っています。


投稿者: ikkkunn | 2012年07月19日 14:28

 かつてチェルノブイリで原発事故が起こった時にも目に「見えないもの」によって健康被害が起こった。当時のソ連政府はこの健康被害をこの原発事故が直接的原因ではないとしているが、真偽は定かではない。今回の福島原発事故についても同様で、いくら政府が安全だといっても真偽は定かではなく、国民の不安は募るばかりである。そんな不安や危険を除去するためにも政府の対応には期待したい。同時に「目に見えないもの」研究・調査が迅速に進むことも期待したい。


投稿者: 易しい人 | 2012年07月25日 06:30

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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