ようやく成立した―障害者虐待防止法
「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(法律第79号)は、この6月17日の参議院本会議において全会一致で可決され成立の運びとなりました。
この6月24日に公布され、平成24年10月1日施行です(条文は、次を参照されたい。
http://kanpou.npb.go.jp/20110624/20110624g00134/20110624g001340031f.html)。
この数年間、国会に上程されては廃案となってきたため、障害者虐待防止法の成立はひとまず大きな一歩として受けとめたいと考えます。
この法律では、「障害者虐待」を家族の「養護者による虐待」、「障害者福祉施設従事者等による虐待」および職場の「使用人による虐待」と、虐待の発生場所と間柄によって限定したうえで、虐待の類型を(1)身体的虐待、(2)性的虐待、(3)心理的虐待、(4)ネグレクト、(5)経済的虐待と規定しています。
身体的虐待の規定には、障害者虐待防止法においてはじめて「身体の拘束」が文言として盛り込まれた点と、身体障害・知的障害以外の障害のある人の保護について身体障害・知的障害と同様に措置できるとした点については、かねてからの私の主張にも即しており評価できます。
ただし、「障害」については包括的な規定が未だに採用されていないため、「制度の谷間」を残すかたちにとどまっている点はまことに残念です。
虐待の発見者には通報を義務づけ、通報を受けた行政機関等には、通報者の秘密を守り、通報者が解雇等の不利な扱いを受けないよう定めています。
対応システムは、虐待の発生場所によって異なります。
家庭内の虐待については、通報先が市町村で、市町村の対応システムが支援にあたります。
施設等の虐待については、通報先となる市町村から報告を受けた都道府県が調査・指導し、公表することになります。
職場の虐待については、通報先となる市町村または都道府県から報告を受けた都道府県労働局(船員である場合は、地方運輸局)が調査・指導に当たり、公表することになります。
このように、障害者虐待防止法は、高齢者虐待防止法と類似するところも多々あるとはいえ、虐待発生場所の多様性を踏まえて、虐待対応システムが複雑に構成される点が特徴の一つです。
虐待対応の核となる機関については、すべての市町村に「市町村虐待防止センター」を、都道府県には「都道府県権利擁護センター」をそれぞれ設置しなければならないとあります。しかし、これらは自治体が外部の組織に委託することができるとしている点や、自治体組織の中に設置する場合でも、既存の組織のどこかに虐待対応のセクションを設けるだけで済ますことができる点には、疑問を感じます。
要するに、虐待対応システムの体制整備に国と自治体の責務があるといいながら(第4条第1号)、それを裏打ちする国の費用負担の規定はどこにも明示されていないのです。そこで、各自治体は既存の組織や支援事業者のパッチワークに終始する可能性が高く、虐待対応の自治体間格差の広がりは回避できないといえるでしょう。
これでは、家族・施設・職場の発生場所の違いに由来する対応方法や対応システムの複雑さを乗り越えて、自治体ごとに虐待の克服に向けた経験・教訓を蓄積していく保障はどこにもありません。
高齢者領域における虐待対応の自治体間格差には眼を覆いたくなるような現実があります。ましてや、障害者虐待は、虐待の発生する関係性に閉じ込められる枠組みの強度と期間の長期性が、子どもや高齢者よりもはるかに深刻である場合もあるのですから、虐待対応システムの「窓口」から支援の実施までのすべてが、必要十分なかたちで全国の自治体に整備されるべきです。
また、学校・保育所・医療機関に対しては、それぞれの長に虐待防止のための取り組みを義務づけはしますが、これらの組織内部で発生した虐待は、「障害者虐待」の範囲から排除し、外部からの介入支援はできない仕組みになっている点も理解に苦しみます。
この背後には、関係組織との調整ができなかったか、「クレイマー」や「モンスター・ペアレント」を怖れたなどの事情があるかも知れませんが、教育現場での障害のある子どもに対する「いじめ」や「宇都宮病院事件」の忌まわしい教訓を踏まえない点に強い疑問を感じると同時に、福祉施設の虐待対応との公平性にも欠くのではないでしょうか。
この法律の附則には、「法律の施行後3年を目途として」見直す規定があります。そこで、障害者虐待防止法の改善点について、今一つだけは、明確に主張しておきます。
障害者虐待防止法の第1条にあるように、障害者虐待は著しい人権の侵害であり、障害のある人の自立と社会参加に深刻な影響をもたらすものです。したがって、虐待は根絶されなければならない事象です。
この障害者虐待防止法によって、子ども・高齢者の虐待領域と同様に、虐待が発見されては「もぐら叩き」のように対応する状況が障害領域でもはじまるでしょう。
しかし、たとえば子ども虐待は、平成に入って以来、40倍の激増(児童相談所の取り扱った件数だけ)をみせたことに対応して、児童相談所の体制を40倍に整備することをしたのでしょうか?
児童相談所の現実は、児童福祉司の微増にとどまり(しかも、非常勤や雇用期間を3年間や5年間に限定した児童福祉司は逆に増えている)、ヘビーな虐待ケースに走り回り、疲弊する一方です。
つまり、これまでの虐待防止立法のすべては、十分な体制整備がはかられない下で「もぐら叩き」に走り回る以上の前進はありません。子ども・高齢者の人権保障の課題に迫り、虐待の世代間連鎖と拡大に歯止めをかけるまでには、到底至ってこなかったという事実を直視すべきです。
障害領域でも「もぐら叩き」をはじめるだけでは、障害のある人の人権保障に至るまでの道程を見通すことは決してできないのです。
仮に「もぐら叩き」を十分にできるような体制整備をしたところで、アメリカのロスアンゼルスのように、「もぐら叩き」だけが延々と継続して、虐待そのものは一向に減少しない現実をも踏まえたとき、わが国は虐待の根本的な克服に向けた実効的施策を真剣に考えるべきなのです。
これらを真剣に受け止めるならば、虐待対応の体制整備に十分な予算措置を講じるとともに、「障害者の養護者に対する支援」や「障害者施設従事者等」の労働条件を飛躍的に改善する課題は避けて通れないはずです。障害者虐待防止法の実効性は、障害者基本法の改正や障害者差別禁止法・障害者総合福祉法による総合的な施策の拡充と併せることによって、はじめて担保されるものです。
コメント
自分の周囲には障害者の方がいないので障害者虐待という問題にはあまり関心がなかったのですがこの記事を読んで深く興味を持ちました。障害者虐待防止法が成立したことは問題解決に向けた大きな前進であると思いますが、自治体間格差の問題や「もぐら叩き」のように対応せざるを得ないことについてはこれから改善しなければ思います。障害者虐待が存在するという現実を受け止めそれぞれが真剣に対策を考えていくべきだと思います。
私は先進国である日本で障害者虐待防止法が今までなかった点で驚きました。今までの私は福祉を勉強したことも、個人的に興味を持ったこともありませんでした。そんな私であったためか、漠然な考えでしたが、先進国では既に虐待を防ぐ法律などが定まってあり、「虐待はしちゃダメ!」といった考えが当然なことにされているはずだと考えてきました。しかし、虐待が行っているにもかかわらず、適切な法律が定まっていない、虐待に対する対応が遅いといった先進国が以外とあるみたいで、非常に残念だと思っています。
「ひとまず大きな一歩である障害者虐待防止法の成立。ただし、改正していくべきである。」先生はこうおっしゃっていると思います。私も先生の意見には大賛成です。ただし、私は金銭的な支援や施設従業者の労働条件の改善のようなことだけではなく、もっと根本的な問題を解決していくために適切な改正案があるのではないかと思います。
私は専門的に福祉を勉強したことも、個人的に興味を持ったこともありません。なので、私が言っているのが正しいかどうかの判断はつきませんが、そもそもこの「障害者虐待防止法」というのはただ虐待を防止するための法律なのでしょうか。虐待防止を通じて虐待を減らしていくための法律ではないでしょうか。
もちろん虐待に対する対処は必要不可欠なものあだと思います。しかし、それだけでは真の防止とは言えないのではないでしょうか。「防いで止める」ためには、起こったことに対する対処が全てでしょうか。
障害児童虐待が行われている家庭の場合、自分の子どもの障害を恥ずかしがる場合が多いようです。その家庭の虐待問題が二度とおきないように必要な「防いで止める方法」とは、子どもと親の隔離ではなく、各自に抱えている問題を解決することでしょう。たとえば、親には虐待行為を止めさせるためのカウンセリングを、子どもには親に対する憎みを防ぐためのカウンセリングのような治療を行い、家族の愛に気づいてもらうのがベストだと思います。
未だ色々な方法が存在するでしょう。私たちはその方法を考え出し、虐待が減るように悩んでいくべきだと思います。
まず障害者虐待防止法のような法律がいままで成立していなかったことに驚きました。児童虐待に対し、障害者虐待はあまり世間で知られていないように思います。
また、障害のある方に出会うことが少ない上に、障害を理解するのではなく障害から目をそらすことが多いように思います。バスなど公共の場でも障害をもった方が乗車すると一瞥し、遠くの方に行ってしまったり障害を持った方と関わりたくないと考えている方が多いようです。
法整備なども大切ですが人々が障害から目をそらすのではなく障害を理解できる社会環境にすることも大切だと思います。私は日本で障害と自分が関係なく、関わらないようにしようとする風潮が強くそこを改善すべきだとかんじました。
虐待について知っているつもりでまったく知らないことに気づかされました。日本で障害者虐待防止法が今までなかったことも知りませんでした。虐待に対する対応が遅れている日本でどうやって虐待を減らすのか、今の日本の現実を知るたびに考えさせられます。
障害者虐待防止法が成立して少し前進したと思いますが、まだまだ虐待が減っているわけでないと思うので、まず国民みんなが虐待について深く考えていくことが大切だと思いました。
障害者虐待防止法の成立。
とりあえず障害者虐待撲滅へのスタートラインが見えたように思えます。法律の制定はゴールではありません。ましてや完全なスタートとも言い切れないと思います。
虐待をする立場の誰一人として「法律がまだ定まっていないから罪に問われない」などと考えたうえで虐待は始めません。もしそのような人がいたら、法が定まったことで第一に罪を問われることを恐れ、虐待をやめることでしょう。虐待はそんな甘いものではないことは周知の事実です。
障害者虐待防止法の制定、施行により変化するものは、やはり児童虐待防止法の制定の時と同じで相談件数でしょうか。それはあくまで虐待問題の渦中にいる側が、自治体組織内に虐待対応のセクションが設置されたことで意識の変化が見られただけであって、その後の自治体側の確実な支援につながるとは到底言えません。出来たところでやはり「もぐら叩き」の対応でしかないと思います。
一番疑問を感じる点は「学校・保育所・医療機関で発生した虐待が、『障害者虐待』の範囲から排除し、外部からの介入支援はできない仕組みになっている点」という部分です。
僕は宇都宮出身なので「宇都宮病院事件」というワードに非常に興味を持ち、調べましたが、残虐極まりない事件であると同時に、そこの壁が立ちはだかっていたために起こってしまった事件であると解釈できます。過去の類似、関連する事件は現在・未来につなげないと単なる過去の出来事として風化してしまいます。教訓として受け入れることで、少なからずの“価値”としてその事件に意義を見出すことができると思います。
先生がおっしゃるような「関係組織との調整不足」や「モンスターペアレントの存在」があるのであれば、3年の期間のうちに出てくる様々な問題点、不具合の改善と共にしっかりと取り払うべきだと思います。
障害者虐待防止法の成立は遅いくらいです、特に脳性麻痺の青い芝の会など当事者の闘いの歴史を考えると私たち若い世代は今の時代を築いた先人の行った様々な過ちを直視する必要があります。
そして今介護の世界では逆差別や介助人が当事者に虐められている事実もあります、長い歴史の恨みの報復のように、介助人が累犯障害者に脅されたり洗脳され、反社会的行為を行ってしまっている現実があります。どうしてそういう歴史が繰り返されるのか、地域の見えないところでそういう現実が繰り返されています。
まず最初に、このブログを見て日本に障害者虐待防止法が今までなかったことに驚きました。とりあえず成立したのならよかったとおもいましたが、先生がおっしゃるようにいろいろ問題があると思います。障害者虐待が発生するのは根本的に強い偏見があるからではないかと思います。そういった偏見は障害を持っていない人間が障害者に対し、十分な理解がないからではないかというのが1つと、もう1つは障害者とふれあうような機会が少ないからではないかと思います。そのためにそういった教育に力をもっとそそぐべきだと思います。例えば、養護学校の生徒との交流を増やすなど。先生のおっしゃるように「障害者の養護者に対する支援」、「障害者施設従事者等」の労働条件を飛躍的に改善するなどには大賛成ですが根本的な問題を解決していけばロサンゼルスのようなもぐらたたきのような状況を回避できるのではないかと思います。
障害者がこれまでの歴史の中で排除されてきたことが未だに形を変えて残っていることに人々の思い込みの怖さを感じます。
子どもや高齢者と同じように、またはそれよりも昔から障害者虐待は行なわれていたであろうにも関わらず、制定されるまでに時間がかかりすぎているように思います。障害によってはコミュニケーションに不自由な点があったり、自己判断能力が乏しい場合もありますが、全般的に虐待されている現実を隠ぺいできる社会となってしまっていること、そのような風潮にあることにも問題があるのではないかと思いました。
障害者を支援する方々が多くのストレスを抱えながら活動していることも理解できますが、その背景には人員不足や知識不足、障害者を社会から切り離そうとする見えない働きかけがあるのではないでしょうか。障害者は決して身の回りのことを全てやってほしいとは思っていないのではないかと思います。必要な部分だけの最低限な支援で社会の中で充分生活できるのではないでしょうか。
また、そのような支援は社会の中で誰しもが行えることもあると思います。移動が困難なら車椅子を押す、休みの日に10分でも良いから近所の障害者の様子を見に行く、一緒に散歩をするなど今の地域のつながりが希薄化した中であるから難しく見えることも、実は可能であるのではないかと私は感じます。その一つ一つの働きかけが障害者の社会生活を支えていく要素の一つとなるように思います。
北九州大学での2度にわたっての特別講義ありがとうございました。
今回、障害者への虐待についての話で、虐待を受けている人で女性は男性の2倍の数であったり、ひとつの虐待を受けているのではなく、たとえば心理的虐待と性的虐待のように2つ以上の虐待が重複しているということで、今の複雑な虐待の問題を知りました。
行為者の人たちは年齢別に変わってきていますが、昔の家父長制度のような分布をされているので、母親だけ頑張るのではなく、もっと家族みんなの温かい支援が虐待を減らしていくのだと思います。
「身体的虐待の規定には、障害者虐待防止法においてはじめて「身体の拘束」が文言として盛り込まれた点と、身体障害・知的障害以外の障害のある人の保護について身体障害・知的障害と同様に措置できるとした点については、かねてからの私の主張にも即しており評価できます。」とおっしゃられているように障害者を動けないように縛りつけて拘束している人がいること知ってびっくりしました。そのようなことをしていたら当然虐待になるってわかると思うのに、それでもしてしまうくらい介護に追い詰められてしまう人たちもいるんだなと思いました。
大学の講義を受けて、改めて深く虐待について考えさせられました。今回、虐待に関する法律ができてよかったと思いました。その内容として、虐待する側だけでなく、虐待を発見した人に対しての義務や社会から守られるようになっていたのが、社会全体が虐待について考えるきっかけになっていると思いました。でも、その法律にも、まだまだ改善するところがあるので、さらに、虐待に関する法律がよくなることを願っています。
障害者虐待防止法が成立したのは障害者への虐待を防止する大きな一歩となっただろう。しかし、宗澤先生が述べているように、この法律は障害者への虐待の根本的な克服とはならないだろう。
この法律の一番間違っている点は「市町村虐待防止センター」と「都道府県権利擁護センター」の設置を国が費用負担すると書いて無い点だろう。このことから、たぶん国が全額負担することはないと考えられる。だが、東日本大地震関係などで予算がないので、これはしょうがないことかもしれない。結局、地方自治体が費用を負担するしかないだろう。
しかし、自治体も予算がないところが多いので設備が雑になるという問題がでてくる。しっかりしたものを作らないとしっかりした対用が出来なく、この法律があまり意味のあるものではなくなる可能性が出てきてしまうのでこの問題は極めて重要である。このことから、虐待の根本的な解決するために絶対必要なものである設備にお金をかけてしっかり整備してほしいです。
私は今まで障害者虐待防止法が廃案になっていたことを知らなかったのですが、今回可決されることになりうれしく思いました。しかしこの記事を読んで法案が成立したことだけに満足するのではなく、政府は設備なども整えていかなければならないし、私たちも障害者に対する見方を私たちは考え、改善していかなければならないと感じました。
先生が記事のタイトルに付けた通り、本当に“ようやく”成立した法案だと思います。
そもそも今までこの恵まれている日本という先進国に障害者虐待防止の法律が存在していなかったという事に疑問を感じます。私は今まで障害者に関して現在どのような法律があるのか、等という事は恥ずかしながら気にしていませんでしたが、テレビで介護施設、下手をすれば家庭内での障害者の虐待が行われているという現状は知っていたので現在に至るまでのうちに前述のような法律は有って当たり前だと思っていました。
“日本は優しい国だ”とか、“思いやりのある国だ”という言葉をよく耳にしますが、このように福祉面での対応が遅いうちにはそんなことは言えないのではないかと思います。
この記事を読んで虐待について日本は進みが遅かったんだなということを知りました。自分自身の周りでは虐待というものは身近に感じられるものではありません。せいぜいテレビで見て虐待についての事例を知るぐらいです。だから今回のこの記事を読んでこれは虐待防止のための大きな一歩なんだなということを知りました。
障害者虐待防止法…ありそうでないこの法律が今回成立したことで一件でも虐待の事件が減ればいいと思います。そしてこの「制度の谷間」を埋めていき完全に虐待を防止できる法律になるといいと思います。
虐待の問題に関しては日本古来の風習やその土地のルールなど根深いものがある中で、この法律ができても大多数の無関心がある限りあまり意味をなさない法律になりかねない。
キリストのアガペー、仏教の慈悲などのように名前が変わっても無償の愛という教えは宗教上の色んな形を呈している。しかし無神論者の多い日本では、相手をかわいそうと思い、情けをかけることはあるが、自分に害をなす存在に関しては極端に無関心を貫く。それは歴史が証明している。
今回の法律が広く認知され、理不尽な思いをする人間がいなくなることを切に願う。
私は、今まで虐待はしていけないことという認識ほどしか持っていませんでした。しかし、授業を受けることで虐待にも種類があることや、いまの深刻な虐待事情を知りました。障害者虐待防止法の成立で、虐待の件数が減ることを期待します。世の中には僕のように虐待に対するする関心や、知識が足りない人が多くいると思います。だから、もっと小中学生が虐待について考えるような場を設けたほうがいいと思います。
日本に障害者を虐待から守る法律が今までなかったことに驚きました。ひとまず、障害者虐待防止法の成立が虐待根絶に向けた大きな一歩になるでしょう。
しかし、私は障害者への虐待には人々の中に存在する障害者に対する誤った考え等も関係していると思います。この法の成立が少しでも多くの人々の障害者に対する意識や態度を考え直す契機となればいいです。
僕も障害者虐待防止法ができて、本当によかったと思います。しかし、問題はここからだと思います。障害者虐待防止法ができたからといって、虐待している親がそう簡単に虐待をやめるかといったら決してそうではないからです。現在行われている虐待を止めてこそ、障害者虐待防止法ができた意味があるのではないでしょうか?この法律を作ったからには、水面下で発生している虐待も防がなければならないと思います。
私は今まで虐待についてあまり知識がなかったこともあり、日本に障害者虐待防止法がなかったことをこのブログを読んで初めて知り、非常に驚きました。しかし、まだまだ法案に改善しなければいけない点が多いことは真剣に受け止めるべきだと思いました。
「もぐら叩き」の対応が永遠に続いたのでは虐待を根本的に解決することができないことは明らかなので、先生のおっしゃっている「障害者の養護者に対する支援」や「障害者施設従事者等」の労働条件を飛躍的に改善することが今後重要になってきます。
この法案の設置を気に少しでも障害者に対する考えや態度を考えなおす人が増えればと思います。
虐待対応システムの設備の甘さは、それを作っている人たちが障害者虐待の問題と真剣に向き合っていないが故なのではないかと思います。もっとこのような虐待問題を専門にしている方々(例えば先生のような)が中心になってこのような法整備に参加すれば、システムの穴などは無くすことができると思います。
家庭や学校など、最も虐待の温床になるであろう現場への強引な介入が出来ないようなシステムではダメです。被害を受けている、または受けているかもしれない障害者の方を救うことが何よりも優先されるシステム、法でないとおかしいと僕は思います。
いわゆる先進国、と言われている日本国。虐待に関しては、そのような事態は回避されるべきだという意識自体は少しずつ広まりを見せているように感じていた。しかしながら、そのような状況下においても、未だきちんとした法整備は行われていなかったのだと知り、衝撃を受けた。
そのような事態を踏まえて考察してみると、今回の障害者虐待防止法の成立は、非常に重要な意味合いを持つ出来事であると言えると思う。だから、これが成立したところまでは、まずは良いと思う。
しかしながらこの法律が、適切な実効性を持たずに効果を発揮しなかった場合、すなわち、内容自体に様々な抜け道があるために、満足に効力を発揮できない場合、この法が持つ意義というものは、半減してしまうと考えられる。
そもそも障害者虐待とは、言うまでもなく、著しい人権侵害である。そしてそれは同時に、障害を抱える人々の自立に支障をきたし、そして、彼らの社会参加への足かせともなってしまう問題であることは、間違いないであろう。
この問題は、非常に深刻であると私は考える。そしてこの問題の解決には、ただ表面的に問題を解決しようとするだけではなく、根本から解決していこうとする姿勢が不可欠であると私は考える。
私はこの記事を読んで、障害者虐待の防止の法律が今までなかったところに驚きを感じました。
高齢者やこどもの虐待防止法はあったのになぜ障害者の虐待防止法はなかったのか……このようなところにも、障害者への偏見があるとわたしは思います。障害があろうがなかろうが、私たちは同じ人間なのではないでしょうか?
私が小学校のときにも、普通学級に障害者の同級生がいましたが、ほかの子とはさまざまな点で変わっているということでいじめの対象となっていたのを思い出しました。
まず私たちは、障害者も私たちと同じという概念を国民に植えつけることが大事だと思います。
前回からの講義で、戦前までは身分としての父親を中心として妻や子供がつき従う形だったものが、戦後からは女性の地位の向上等に伴い、男女それぞれが能力(仕事ができることや良妻賢母であること)を求められるようになり、これによって家庭内での父親の存在の希薄化等を通じて家庭という親密圏が形成されにくくなったことが虐待の発生の一因であると聞き、確かにそうではないかと感じました。
男女がともにストレスにさらされている現代で、いかにして親密圏を回復させていくかが今後の課題の一つではないかと考えます。
6月28日は、「障害者虐待防止法」に関する講義をして下さり、ありがとうございます。
先生の講義を受け、日本は障害者分野における福祉が軽視されているのでは、と感じました。障害を持つからこそ、障害を感じさせない暮らしを保障する必要があると思います。
その為には、障害者福祉に国の財源を多く投入すべきです。しかし、年々、障害者の生活は、福祉からかけ離れたものになっていく気がします。
私は障害を持つ人の暮らしを、普段あまり知る機会がありません。先生から、障害を持つ人への虐待の実情を伺い驚きました。なぜなら、母親が虐待の担い手になっているケースが多かったからです。
この原因は、母親やその家族などに対する支援が欠如しているから、と思います。経済的な支援、精神面のサポートまた、相談できる相手や仲間との交流等、一人で抱え込まない孤立しない体制づくりが必要と思います。そのような体制を作ることが、母親や、家族からの虐待防止へ繋がるのではないかと思います。
先生は、虐待の根本的克服に向けて、体制設備への十分な予算措置を講じる必要性を挙げています。そして、「障害者の扶養者に対する支援」や「障害者施設従事者等」の労働条件の改善の必要性も指摘しておられます。全くその通りだと思います。
「障害者虐待防止法」の成立は、本当に良かったと思います。しかし、法律はきちんと機能していかなければ、意味がありません。
私は、福祉に関心を持ち、将来は福祉関係の仕事に就きたいと考えています。だから、先生の講義を受けることができ、この法律の存在を知りました。
けれど、当事者や、医療従事者、福祉関係の仕事をされている人以外、特に障害を持たない人たちは、このような法律にあまり、関心を持たないのではないでしょうか。
法律の存在を多くの人々に知ってもらう必要があると思います。多くの人にこの法律を支持してもらうことで、障害を持つ人たちにとって、今より生きやすい社会になればいいなと思っています。
僕は、「障害者虐待防止法」ができて本当によかったと思います。しかし、できたからといって油断はできないと思います。この法律ができたということを知らない人も中に入るだろうし、なによりもまず、この法律がしっかりと意味を持たなければならないと考えます。この法律を知らない人にどのように浸透させていくか、浸透させたうえで、その人たちに何ができるかをしっかりと考えていく必要があると思います。僕は虐待には断じて反対なのですが、僕のような意見を持つ人がさらに増えれば、虐待が少しは減るのではないかと思います。
障害者虐待防止法が成立したのが最近であるということを考えると、日本は虐待に関する対策がすさまじく遅れているということを痛感しました。虐待対応の核となる機関の設置を義務付けているにもかかわらず、国が費用を負担しないことに疑問を感じます。被害を受けている障害者が一律に支援してもらえる体制を作るために制定された法律であるのに、虐待対応の自治体間格差が広がってしまう内容ではいけないと思いました。
まず第一に障害者虐待防止法が今まで存在しなかったことに驚いた。確かに子供や高齢者に対する虐待と比べると知名度は低いかもしれないが、それでももっと早くに成立すべきだったと思う。
障害者を支援すべき立場の人々による虐待の発生、ここには支援している人に身体的、精神的なストレスがたまってしまうのが見て取れる。この法案の成立で障害者の人達は過ごしやすくなると思うが、同時に支援者もまた社会で支えなければいけないと思う。障害者とその支援者、両者が過ごしやすい社会を構成することが必要であると思う。
役所の仕組み上、何か事が起こってからでないと対処のしようがないために「もぐら叩き」のような形になってしまうのでしょう。
それでも今回、障害者虐待防止法が成立したことは大きな前進であると思います。
虐待への対応システムが発生場所によって異なってしまうのは致し方ない気もしますが、はっきり言ってややこしく、混乱の元となりそうです。我々の理想論通りにいかないのが現実ではありますが、この記事を読む限りあまりにも不十分な形に感じられます。
具体的な解決案などを提示できるほど専門的な知識がないのが悔やまれますが、この法案が改定され、虐待という行為が減少し果てには根絶される日が来るように我々は考えていくべきです。
障害者虐待防止法が今までなかったことにひどく驚きましたし、いかに日本が今までこの「障害者虐待」の問題に目を向けてこなかったかが、わかった気がしました。
虐待は目に見えないところで行われ、人の命や生きる気力を奪うものです。生きていることの否定、また生まれてきたことの否定とでもいえるかのような行為は、今こうしている間にも、誰かが体験している可能性もあるということです。それを知っていて何もしない、というのは、ある意味虐待をする、ということと同じぐらいだと考えなければならないのではないでしょうか。
こうした行為が歴史的に繰り返されてきた日本は、先生の言うとおり虐待の根本的な克服に向けた実効的施策を真剣に考えなければならないと思います。
少しでも多くの人が、「生きていてよかった」「生まれてきてよかった」と思えるような環境を、日本ははやく作り出すべきだと思います。そのためにも、考え方や常識を含めて変わらなければならないのは、何も知らないでいるわたしたちなのかもしれません。
虐待に関する規定や法律といったものが十分に整っていないということ知り、虐待というものが話題となったのが最近であるということを改めて感じました。自分の虐待に関する知識はほとんどないに等しいとは思いますが、このような政府の対応には問題に対して後手に回ってしまっているという印象を受けました。政府と自治体とのコンタクトなどにどれほどの時間が必要なのかはわかりませんが、近年の虐待の増加率を示す統計を見ると、もう少し早い段階で増加を予測しこのような法律を成立させることができなかったのか、と疑問に感じます。政府には、更なる社会情勢の把握が求められると思います。
まず、障害者虐待防止法が成立したことが最近であるということに大変驚かされました。また今までその法案が国会であがっていたにもかかわらず廃案になっていたという事実にも驚きました。僕自身家族や、親戚等に障害者の方がいないのでそのようなことは全く知りませんでした。このブログを見て深く反省しました。僕のようないわゆる無関心の人たちがこのようなことに気づくということがこのような法案が普及するするための第一歩だと思います。
まず今まで障害者虐待防止に関する法律がなかったことに驚いた。日本はいろいろと決めごとが多い国だと思っていたので、これは意外だった。
しかし、法が整備されたのは進歩であるが、法が成立しただけではいけないと感じる。障害者虐待に限らず、法があったからすべての人がそれを守るのかといったらそうではない(それならとっくに犯罪はなくなっているはずだ)
せっかく成立した法律をいかに全国に広め、教育し、虐待を未然に防ぐかが、今後の課題であると考える。
「ようやく成立した―」というタイトルの書き出しは、困難はあったけれども法律の成立で、障害者虐待に明るい兆しが出てきたことを連想させる。しかし現実としてはまだまだ改善すべき点は山積しているわけである。この問題にとどまらず、今日の日本が抱えている貧しい側面をもっと我々は見ていかなければならないと感じる。この「障害者虐待防止法」が障がいを持った方のためになり、そしてこれまで日の目を見なかった議論の活性化をする要因となっていくことは私が望むことである。
障害者虐待防止法が成立したことに対しては、素直に良かったと思えます。ですがまだ不十分な点も見られますし、まだ第一歩といったところでしょうか。
障害者に関わるモンスターペアレントの行為に関して知人から聞いたことですが、重度の障害があるにもかかわらず普通の学級に入れさせようとする親がいるそうです。入れないと差別だなんだとのたまうのだとか。
これは差別ではないと思います。一緒のレベルでやらせてもできないこともあるだろうし、無理やり入れさせるのはそれこそ虐待だろうと自分は思います。
私の家の近所には養護学校があります。小学校の頃にはその養護学校との交流会を開催して一緒に一日を過ごしたり、中学生の頃にはボランティアとして学園祭のお手伝いなどに行っており、ありがたいことに幼い頃から何かと養護施設の方との交流の機会がありました。その時に気が付いたのは、学校の中と外とは完全に隔離されているということです。もちろんそれは児童・生徒の脱走を防ぐためではありますが、逆に言うと学校の外から中の様子は全くと言っていいほど知ることができません。今まで通りの取り締まりを続けるなら、きっと新たな虐待を発見することは外からでは難しく、今回の法律の成立も無駄になってしまうのではないかと考えられます。
この法律が成立し、施行されたことは障害者虐待防止のためには本当に強みになります。しかしこの法律の成立・施行によって犯罪件数ががくっと下がるということはあまり考えられないのです。法律ができる前から、障害者虐待が法に触れる行為であることなんて誰もが考えればえわかることであり、わかっていてもやっていた人がいた結果、数多くの虐待が起こってしまっていたのですから。
私は今回の法律の成立の勢いに乗って今度はこのような文面だけではなく、政府が直接予算をかけて動く制度の成立を願っています。
ブログを読んで一番に僕の頭に浮かんだのは、法律はどこまで効果があるものなのか、という問いです。そしてその答えを、たぶん僕たちが知ることはないのだと思います。
僕たちは障害者とどう接するかを、あまりにも知らなすぎるのではないでしょうか。無難なコメントしている皆さんだって、いや、懸命にこの問題に立ち向かっている先生だって、道端ですれ違う障害者を見て見ぬ振りするでしょう?それが正しいかどうかもわからぬまま。何が正しいかわからぬまま。
あの乙武さんは、「体が不自由なのにがんばっていて尊敬します」と言われると頭にくる一方、「手羽先」と揶揄されるのはおもしろいのだとか。ひとの心はわかりません。
みんな、偽善事じゃなくて「本当のこと」を言えばいいのに。「障害者なんて気持ち悪くて面倒くさい社会悪」だって。埼玉大学の棟内を車いすが何十台も通るのは、誰だって煩わしいと思うんだから。
僕はひたすら、障害者と関わりたくない、と思います。
「障害者虐待防止法」が成立したと知り、日本の法律はとても遅れていると感じました。これは虐待について、全然自分には関係ないことと私たちが考えてないからだと思います。また、障害者とのこととなると何か話しづらい、というな感じで皆が思っているからだと思います。
虐待を解決しようとしたらお金もかかるし、虐待にかかわって解決しようする人も少ないでしょう。だからこそ「障害者虐待防止法」が成立だけでは終わらすに国には予算を投じて施設を作ったり、虐待を解決するために力をいれて欲しいです。
障害者虐待防止法が成立したことによって、以前よりも多くの人が障害者虐待という事態を認識するようになったのではないかと思います。その点に関しては前進だと思いますが、法が成立したことで問題が解決された訳ではないということをしっかり肝に銘じる必要があると思います。
虐待の発見者に対する措置は適切であると考えます。以前別の講義で虐待を学んだ際に、膨大な量の項目があるチェックシートの存在を知りました。虐待を発見するには、まずは疑うことから始めなければならないことも知り、日々そうした責任感を抱えていることを考えても、通報者の人権を守ることは不可欠であると思います。
法成立に伴い、障害者虐待の実態が公になった今こそ、体制整備や施策の拡充を図り、障害者虐待に歯止めをかける契機ではないかと思います。
日本国憲法で生存権や自由権が明記されているにもかかわらず、今まで障害者虐待防止法が成立しなかったことに驚いた。これは法律を定める議員を含めた「健常者」と言われる人々が、「障害者」に対しある種の差別意識を持っていたことの証明でもあると考える。
日本は「差別」に関してまだ多くの問題を抱えているので、今回の法案成立を「差別」に対して問題意識を持ち、改善策・解決策を模索するきっかけとしていく必要がある。
芸能人やスポーツ選手の訪問だけでなく、政治家の視察も迷惑なだけなのではないかと思いました。被災地の視察は専門家に任せるべきだと思います。政治家が視察をするためにはかなりの人・物・金が必要でしょう。果たしてそれに見合った成果は出たのでしょうか。
パフォーマンスとしての視察に時間を費やすよりは被災者の生活再建のために法案の審議可決に専心すべきだと思います。非常時の今こそ、ひとりひとりのやるべき事に専心努力すべきです
この障害者虐待防止法が制定されたことはとても喜ばしいことだと思います。しかし、この法律が成立したことによって障害者への虐待は減るのでしょうか。
障害者虐待についての世間の認知度はまだとても低いと思います。実際、私も講義を受けていなければこの法律については知らないままだったと思います。障害者虐待はあってはならないことです。
身近に感じることが難しいものであるかもしれませんが、虐待の実態がどのようなものかを知り、これから私たちはどうしていくべきかを議論していくべきだと思います。そしてこの法案がさらにいいものに改定されることを願っています。
先日は北九州市立大学での二度にわたって貴重なお話をしていただきありがとうございました。
私は現在大学で社会福祉系の勉強をしているにもかかわらず、今まで障がい者のための虐待防止法がなかったことを初めて知りました。児童への虐待防止法やDV防止法が存在しているために、障がい者への虐待防止法も当然のように存在していると思っていたのです。
宗澤先生の講義の中で障がい者自立支援職員の意識調査の結果を述べられていましたが、思ったよりも意識が低いな、と思います。“原則として携帯電話を認めていない“ことを虐待ととらえない人が60%近くもいることや利用者のほかの利用者への他害行為があっても「集団生活の場だから仕方ない」と考える人も少なくはないようで驚きました。
児童虐待も高齢者虐待もそうですが、本来ならば立場の弱い人たちを守らなければならないのに虐待はなかなか減らず増え続けている様な気がします。
虐待といってもすべて暴力によるものではなく性的、心理的、経済的なものなども含まれますが、障がい者への虐待は偏見や健常者の意識の低さからも発生するものだと思います。つまり悪気はなくても心のどこかにある偏見や考え方で虐待は発生してしまうのではないかということです。
これを改善するにはやはり国民の意識を高める必要があると思います。「モグラ叩き」などをしていても埒があかないのです。具体的にどういった取り組みをしていくのかなどを私たちは考えていかなければならないと思いました。
私は高齢者に関わる仕事に就いていて高齢者の虐待防止法があるのは知っていましたが、先生のブログを見て障害者虐待防止法がなかったということを知りました。なぜ今まで成立していなかったのかということに驚き、そして、自分自身が関心を持っていなかったということが情けなくも感じました。
高齢者も子どもも障害者も自分で声を出せない弱さがあると思います。誰かが気づいて手を差し伸べなくてはならないことも多くあると思います。その中でこういった法律が制定されることは大きな意義があるのではないでしょうか。法は誰もが幸福に暮らせるためにあるものでそれは性別も年齢も身体の違いも関係なく平等にあらなければならないと思います。
ただ、成立したからよかった、はい終わりではなく今後出てくるであろう様々な問題点をひとつひとつ解決していかなければならないのだと感じました。虐待法の成立はまずは第一歩を踏み出したというところかもしれません。
日本で障害者虐待に関する法律の整備が遅たのは、国や政府だけでなく、私たち国民にも責任はあると思います。
私は普段、障害者と関わる機会がないため、障害者に関する知識はあまりありません。それどころか、“障害を持っていること=不自由・面倒”と思ってしまいます。そう思っている人は私以外にもいるはずです。そのような気持ちが障害者に対する差別や虐待へとつながるのではないでしょうか。
駅や公共施設では、バリアフリーがだいぶ進んできたように思います。しかし就職や介護などといった金銭面については、障害者にとってまだ厳しいものがあるように感じます。
政府は障害者にとって暮らしやすい環境を整えていくべきです。しかしそれ以前に私たちも、障害を持っていることも個性の一つとしてプラスにとらえ、障害者に対する意識を変えていかなければならないと思います。
児童虐待についての話はよく耳にし、法律があることも知っていましたが、障害者虐待についての話をきちんと聞いたのは講義が初めてでした。小学生や中学生のときに障がいをもつ同年代の子たちと授業やイベントなどで関わりをもっていましたが、その子たちは親御さんや先生方にとても大切にされているという印象があったために、虐待があるという話を聞いたときは衝撃を受けました。そして、障がい者の人たちを虐待から守る法律が今までなかったことにも驚きました。「バリアフリー」という言葉が出回っていますが、現代の障がい者をとりまく状況をしっかりと把握しなければ、本当の意味での「バリアフリー」は実現できないのではないだろうかと思ったのと同時に、自分もまだまだ知識が足りないと感じました。
障害者への虐待は、みんなが知っていながら直視するのを避けていた問題ではないか、と私は考えます。障害者虐待防止が法律で定められたことには大きな意義がありますが、その一つとして障害者への虐待という事実、またそれが本来罰せられるべきであるという倫理的な観念を再確認できることが挙げられるのではないでしょうか。法律の制定とはあくまでスタートラインにすぎませんが、これをきっかけに障害者への虐待に少しでも目が向けばよいのではないか、と思います。
今まで、障害者への虐待を防止する法律がなかったということを先生の講義を聞いて初めて知りました。
日本がまだ「障害者」「健常者」と分けて考えていて、障害者虐待の問題に目を向けていなかったのだということを感じました。
同じように、同じ社会で暮らしている人間にそのような意識が少なからずあるということはとても哀しいことだと思います。
しかし、「障害者虐待防止法」の成立により、とても遅く、少しずつかもしれませんが、障害のある人が生活しやすい社会になっていくと思います。
この法律はまだまだ不十分で、改善すべき点や、見直す点もあるのかもしれませんが、この法律ができたということで、少しでも多くの人が救われるのであればいいと思います。
これをきっかけに、より多くの人々にこの法律の存在や重要さを知ってもらい、周囲の理解を得ることができれば、障害を持つ人たちにとって、今よりもっと暮らしやすい社会になることを望んでいます。
遅すぎるこの障害者虐待防止法の成立に驚きと遺憾の意を隠せない。虐待が行われるのは社会的に弱い立場のものである。私の両親は視覚障害者で父は全盲である。私が5歳のとき、父に連れられ散歩に出かけた。前から来た老婦人は私に向かって「お父さんを連れて歩いていて偉いね。」と声をかけた。家に帰った父は母にそのことを話して「俺が連れて歩いているんだ。」と激怒したという。障害者というのは5歳児よりも弱い立場だというのか。
この法律によって虐待を受けていた人が助かるようになるのだという期待もあるが、結局、我々自身の「障害者」と見てしまう気持ちが変わらなければいくら法律で縛っても、かわらないのではないか。
私は虐待について授業で学んだことはありましたが、障害者虐待防止法が今までなかったことは初めて知りました。児童や高齢者に対する虐待防止法があるのだから障がい者のための虐待防止法もあるものだと思っていたからです。数年間国会に上程されても廃案となっていたことにも驚きました。
障がい者に対する虐待防止法の制定がこんなに遅かったのは、社会が障がいのある人とない人とで分けて考えているからではないかと思いました。
私自身、深く考えたことがなかったことに気づき情けなく思いました。この法律が制定され施行されることで多くの人が考えるきっかけになればいいと思います。
まず、本文にもあるように、障害者虐待は障害者の人生において甚大な悪影響を与えかねないため、絶対的に根絶しなければならない問題である。このことは、現場や対応機関において必要不可欠な認識であり、「障害者虐待防止法」を制定する上でも、根底にあるべき理念だったと考える。ところが、特定の組織(学校、医療機関等)に対しては外部からの介入支援ができない、とあるように、虐待の温床となりうる状況を見逃してしまうような危険性を含んでいるのが現状である。まして、障害を持つ人の人間関係は閉鎖的になりがちなため、虐待が起きても外部には分かりづらいという特徴がある。そのため、現場と外部機関の連携が非常に重要であるのにも関わらず、このような、いわば抜け道を作ってしまったことは危惧されるべきことであろう。もちろん、これは一例であって他にも様々な問題が出てくることは間違いないだろう。そのような問題を解決するため、されに議論がなされるべきである。同時に、私たちもこのような動きを監視し、当事者としての意識を持たなければならない。
虐待が良くないことは誰もが分かっているはずなのに、虐待の件数は増えていく一方ですが、障害者虐待防止法が成立したことで、増加傾向の数値に変化が現れることを期待しています。
私が小学生の時に町の公民館でダンスのレッスンをしていて、知的障害者と思われる成人した女性がよく見に来ていました。他にも、健常者の女性も見に来ていました。レッスン中、その女性の方達が視界に入るのですが、時々、健常者の女性が障害者の女性の脚を蹴ったり、腕を殴るなどの、暴行を加えていました。ダンスの先生がそれに気づいたらすぐその女性に注意をするのですが、それでも別の日にまた同じことが繰り返されていました。小学生だった私には、衝撃的過ぎて目の前で起こっていることを上手く受け止めきれませんでした。
なぜ、虐待が起こるのか。それは、加害者本人に問題があるけれど、周りの環境も少なからず影響していると思います。加害者が強烈にストレスを感じ、それを上手く発散できない環境も原因のひとつになっていると私は考えます。実際に起きている虐待を止めることはもちろん、虐待の発生そのものを根絶することも同時に行っていくべきです。虐待の加害者を無くすには、周囲の人間のサポートが重要だと考えます。家族や障害者支援職員への肉体的・精神的サポートを充実させることで、虐待発生の根絶につながると私は思います。
日本に障害者虐待防止法が無かった事は、以前何かの番組を見てから知っていた。また、高齢者や児童に対しての虐待は報道されるけれど、障害者への虐待の報道は見た事がないなと感じていた。
身体や心に障害をもつという事は、そもそも隠し蓋をしておかなければならないと思われているからか。
だが彼らに対し、滑稽な所を笑い真似してからかったりした過去があるのも事実である。 どんなひどい事をしても、彼らはそれがひどい事と理解する事ができず、仕返しもないと分かっていた。今思い返してみても、自分がした行為を思うと胸が痛む。
先日、ある散髪屋で同僚とその息子にあった。一目みて彼の息子がダウン症であると分かった。その事を知らなかった私はすごく動揺してしまい、挨拶も上手くできなかった。彼は、隠していたかったのかも知れないし、普通に接して欲しかったのかさえ未だに聞けずにいる。
私がその時、普通に出来なかった事は、やはり障害に対する偏見であり、あの頃から何十年経っても変わっていないと自覚した。
この法律成立で、すぐに救われる当事者がいるかどうかは分からないが、まずは自分自身が障害に対する偏見を捨てなければならないと思う。
私はこの記事を読み、障害者虐待防止法が最近成立したことを知ったのですが、障害者虐待防止法に目を通してみたところ、なぜこの法律が今までなかったかに疑問を持ちました。しかし、この法律が成立したからといい、障害者に対する虐待がなくなるということはないと思います。なぜならば、虐待をしてしまう側にも、介護や過労によるストレスから手が出てしまうことが多いと考えられるからです。これからは介護者に対する配慮も必要だと思います。
このブログ記事を読んで、障害者虐待防止法が今まで成立していなかったことに驚きました。しかし、この障害者児童虐待防止法の内容を国民が理解していなければ、成立しても意味がありません。これからは、国民の理解を深めるために、国が積極的に広める活動に取り組んでいくことが求められると思います。
今現在、障害のある人に対しての虐待に関しては、児童虐待などに比べると、あまり話題になっていないような気がします。児童虐待に関するニュースは、頻繁に目にするものの、障害のある人に対する虐待のニュースはあまり目にしません。私自身も、障害のある人に関する虐待について、大学の講義を受ける中で初めて耳にすることが多々ありました。しかし、児童虐待が児童虐待防止法が成立されてから浮き彫りになったように、障害者虐待防止法が成立されたことで、障害のある人に対する虐待も取り上げられることが増えてくると考えます。
もぐら叩きが延々と継続して、根本的な虐待の解決に繋がっていないと宗澤先生もおっしゃっているように、このような状態を断ち切るためには、国が、加害者のストレスを解消できるような環境作りや、障害のある人と接していく中で生じる悩みや不安を相談・解決できるような施設の充実、被害者が助けを求めやすいようなシステムを作っていくといった社会環境を整えて行く必要があるのではないでしょうか。
この記事を読んでみて障害者問題について、関心を持ちました。自分の身の回りには障害者がいないのであまり関心をもっていなかったです。この障害者虐待防止法という法律の施行が遅れてしまったのは、やはり、国民全体の意識が気づかないうちに「健常者」と「障害者」とを区別してみてきたからなのではないかと思いました。また、障害者になら何をしても許されるという自分勝手でばかばかしい考えを持っているからなのかも知れません。
しかし、この法律が成立したので、少しずつ障害者が住みやすくなるのではないかと感じました。多くの人にこの法律の存在を知ってもらい、理解していくことがこれからの課題といえるんではないでしょうか。
私は障害者に対する虐待を防止するための法律がいまさらになってやっと出来たことに対して驚きました。
近年虐待の話題について触れることがかなり多くなってきていたのに、障害者に関する虐待防止については何の対策もなされていなかったことが残念でなりません。今回障害者虐待防止法が成立したということで、虐待に対する認識や対応が変わっていくといいと思います。
しかし障害者虐待防止法が成立したことは大変喜ばしいことですが、ブログの内容でおっしゃっていたように、法律の内容が人任せだと思いす。
ほぼすべてを地方自治体に任せてしまうと、自治体の取り組みによって地域間で格差が生じてしまいます。
そしていくら法律を定めたとしても、地方自治体がしっかりと虐待防止に取り組めるように施設や人員を揃えるための予算を確保してくれない限り、自治体が虐待防止に本格的に取り組むことは不可能だと思います。
これから法律を改善していくにあたって、もっと虐待に対して真摯に取り組み、より細やかな対応がなされることを願います。
「障害者虐待防止法」の成立は障害を持った人たちの人権を守るという意味では大きな前進だと思う。しかしこの法律はまだまだ不十分である。まず何が虐待に当たり、何が虐待に当たらないかという点が漠然としている。このような状況であるから「虐待だとは思わなかった」という養護者が増え、結果的に虐待が増えていると思う。
またこの法律では虐待を受けてからの、いわば事後処理のような形にとどまっている。だから虐待が発見された時には、すでに取り返しのつかない状況に陥っていることが多い。この問題に対しては、各自治体が定期的に調査をするべきだと私は思う。
このように今回成立した「障害者虐待防止法」はまだまだ完璧ではない。これからも改善していく必要がある。
しかし法律が完備されても、虐待を根絶やしにすることは難しい。そこで求められるのは、一人一人の障害者に対する認識だろう。社会全体で障害者を健全者と対等に扱い、障害者の社会的地位を認めていかなければならないと私は思う。
障害者虐待防止法の成立の遅れから感じる国の障害者への関心の足りなさには呆れざるを得ない。
この法律の成立は問題解決の第一歩にはなるだろう。しかし先生の仰せる通りこれだけでは抜本的な解決には不十分だ。
虐待の根本的な原因は障害者の養護によって生じる多大なストレスであろう。その軽減・解消のためには「障害者の養護者に対する支援」を国や地方が重大な問題と認識し大々的に力を入れなければならないと思う。
児童虐待を防止するための法律が重要と考えられるように、障害者虐待を防止するための法律も同じように重要なものです。
しかし、自分の近くに障害を持った人がいない場合、障害者虐待は児童虐待よりも身近なものとして考えにくい部分もあると思います。また、どのようなものが障害者虐待にあたるのかというのも、近くに障害を持つ人がいなければ詳しいところまで分かりません。
講義を受け、障害を持つ人に対する行動の中で虐待にあたる行為や種類、また、男女の虐待をうける割合について、私自身初めて知ることがほとんどでした。男性と女性では、女性の方が虐待をうけることが多いことも初めて知りましたし、この行動も虐待につながるのかと考えさせられる部分もありました。
今まであまり身近に考えられていなかった障害者虐待が障害者虐待防止法によってさまざまな人々に知られることによって、障害者虐待に対する理解も増えると思います。法律をひとりでも多くの人が知ることは、障害を持つ人々が暮らしやすい環境をつくっていくための第一歩でもあるのではないでしょうか。
障害者に対する虐待が深刻化する中で障害者虐待防止法が成立したことは、社会が障害者虐待について今まで以上に関心を持ち始めた表れだと思います。
障害者虐待防止法が成立されたことで障害者虐待問題が改善されていくのではないかと期待できますが、まず障害者虐待が発見されなければ法律を作った意味もなくなってしまいます。
障害者虐待の大半が養育・世話・介護をしている母親によるもので家庭内で虐待を受けているケースが多いのが現状です。虐待の発見者には通報を義務付け通報者が不利な扱いを受けないように定めていますが、近年個人のプライバシーを重視しすぎるあまり同じ地域内の人々のふれ合いや結びつきといったものがなくなってきており、家庭内で行われている虐待を発見するのは困難です。
法律が整った今、障害者虐待防止法が上手く機能し障害者虐待問題を解決していくには、障害者の方を取り巻く地域などの身近な環境が一体となって障害者虐待に向き合う必要があり、障害者虐待に対する共同意識が虐待の早期発見・防止に最も有効な手立てだと思います。
宗澤先生のブログを読むまでは、障害者虐待防止法が成立したことさえ知らず、福祉に対してあまり関心がなかったので、これを機に福祉分野にも視野を広げていきたいです。
障害者に対する意識が世間一般的に低いことから、障害者の擁護者は苦労することが多いし、障害者を受け入れる企業もまだまだ少ないのだと考えられる。
虐待を防止するために法を制定するというのは、表面上の対策のようにしか感じられない。具体的に国が予算をたて、障害者支援をしている者に支援をすることも、障害者の虐待防止に影響を与えるのではないかと言える。障害者の虐待を防止するための法を制定するだけでなく、また違った側面からの支援が必要であり、国や各自治体が積極的に取り組む必要があると考えた。
先進国である日本に障害者虐待防止法が存在しなかったことに驚きを隠せなかった。日本は障害者を煙たがる傾向にあると感じる。その例として私が通っていた小学校では障害児学級なるものがあった。隔離されたクラスの存在が障害者=関わりたくない人というイメージを作り出している事は間違いない。その他でも電車に乗っていれば障害のある人の周りは人が少ない。
障害者虐待防止法が成立したことは1つの大きな進歩である。しかし障害者=関わりたくない人というレッテルをどうにかしなければ本当の解決にはならないと思う。この法が成立したことが障害者との関わり方を見直す契機となって欲しいと考える。
まずは障害者虐待防止法の成立は確かに大きな一歩ではありますが、スタートの遅い一歩であると思います。
そして障害者が社会で自立していけるようにするには私たちが障害者を真っ直ぐに見て受け入れるべきだと思います。
このブログを読んだ時に、SMAPの草なぎ剛が自閉症の青年を演じた「僕の歩く道」というドラマが浮かびました。その青年が動物園で働くことになったのですが、最初は周囲も受け入れられず抵抗がありました。しかし周りから心を開いてその青年を受け入れていくことで、その青年も動物園で活躍していきました。
このように障害者本人が変わるのを待つのではなく、私たちが自分を変えて、積極的に障害者を受け入れていくべきだと思います。
今まで障害者虐待防止法がなかったことへの驚きとともに、このような法律がなければならない現状も悲しいです。
日本は障害者と健常者に対する視線が全く違うと思います。最近になって段々と個性が認められてきたように感じるけれど、人と少し違う容姿であったりすることで日本では道を歩いているだけで注目をあびることがあるように感じます。
この法律が成立することによって障害者の方への私たちの認識はどのように変わるのかと考えるとあまり変化はないのではないかと思います。
私たちの中で障害者の方に対する意識が変わっていかなければ障害者の方の居心地のよい社会にはならないのではないでしょうか。そうすれば、自然と虐待も減少していくのではないかと思います。
この記事を読んで、最初に感じたのは、今までこのような障害者虐待防止法がなかったことへの驚きと、政府のあいまいな対応に対する怒りです。
障害者や養護者に対する支援を十分にするだけの費用がないのならば、政治家を名誉職として、政治家の数を減らしたり、彼らの給料を一般的な人々と同じレベルの金額にすれば、ある程度の金額は浮くと思う。
また、この新しくできた障害者虐待防止法の端々から感じられるように、政府は障害者をどこか厄介なものとして見ている部分があるのではないかと思う。
このような考え方はもちろん許されるようなものではない。
これからも政府が積極的に福祉政策に取り組むように、我々国民が常に目を光らせておく必要があると思う。
今回障害者虐待防止法が成立したという話ですが、私はそもそもこのような法律を制定しなければならない今の日本の状況を非常に悲しく思っています。
私は大学の実習で障害者の方々と接する機会が多くあります。接していく中でいつも感じることは、「障害者も健常者も一人の同じ人間である」ということです。
障害があるからと言って差別をしたり、ひいき目で見るのはおかしいことだと思います。障害のある人も自分で望んで障害を背負ったわけではないし、障害のない人もこれからの人生でもしかしたら障害を背負うことになる可能性だってあるわけです。
一人の同じ人間として、障害もその人の個性ととらえ、何不自由なく生活できるような日本に変えていくためにも、障害者に対して持ってしまう否定的な意識を変えていかなければならないと思います。
障害者虐待防止の法律の成立が遅すぎると思います。家庭や学校に外部からの介入ができないとあるように、虐待に対する認知の甘さがこのような後手にまわるような対策を引き起こしているのではないでしょうか。問題を解決する側に強い権力が必要な場面もあるはずです。
まずは学校や医療機関と家庭との相互関係を強め、お互いの不透明さをなくすことが先決だと考えます。そして障害者虐待防止法を含めた法の見直しが図られるべきだと思います。
障碍者虐待防止法の成立はとても喜ばしいことだ。しかし、法律よりも、一人一人の考え方が重要だと思う。障碍者にとってみれば、この法律はとてもありがたいことであるが、大事なことは、障碍者も障害を持っていない人も、お互いに受け入れあうことである。
例えば、勉強のできる人とできない人、運動のできる人とできない人はそれぞれ自然と一緒に生活できるだろう。それと同じように、深く考えなくても、普通に障碍者を受け入れて日常生活を送っていければよいと思う。
このような法案が今まで存在していなかったことに驚いた。
今まで障害者に対する虐待、暴力に関するニュースは性的なものに偏っていたと思う。一方子供に対する虐待は、身体的なものから性的なもの、ネグレクトまで様々なものを聞いたことがある。
この法律は世間の障害者に対する人権の見直しや関心の高まりにいい機会だと思う。
しかし行政は法案を作ったが施設や体制に関して不十分な部分があるのは問題だと思う。
このまま「もぐらたたき」のような対応にならないような社会作りや制度の作成に力を入れて欲しいと思った。
障害者虐待防止の成立によって障害者虐待をなくすための一歩になったと思いますが、国の費用負担の規定が明示されてないことや虐待対応の自治体間の格差が懸念されている現状では、大きく前進したとは言えないと思います。本当の意味で虐待を防止するために、様々な問題に対して真剣に取り組んでいく必要があると思います。
このような法案が可決するということは、いかにこれまでこの手の事案で障害をもった人々の権利が損なわれていたかが容易に想像できる。
某ポータルサイトのニュースカテゴリーにおいても「社会福祉」などではなく、「高齢者、障害者虐待」というカテゴリがあるほどである。
本文中にもある通り、単に制度化するだけではなく、国の責任おいて予算配置等をすべきなのではないか。
社会福祉に関わる分野においては、もちろん社会福祉のあるべき姿を法律に描くということも重要であると思うが、実践の学問・実践の分野である以上、それがしっかりと機能していかなければならない。
もちろんそれは綺麗事でしかないということは分かっている。もし自分の家族内に何かしらかの障害も持った人がいるとするならば、今の生活変わってしまうかもしれない。家庭内での虐待を防ぐためにも、利用者本人はもとより、家族のケアも急がなければならないであろう。
いじめ・自殺等物騒な言葉が飛び交う昨今ではあるが、我々は日常のなかで自分の権利を守るため知らず知らずのうちに様々なアクションをおこしているのではないかと考える。しかしながら、それが苦手な、あるいは権利が侵害されていることにも気づかない障害をもった方々の人権が自然と守られていく、そんな世の中であってほしい。
障害者虐待防止法の成立で、ようやく障害者に対する虐待防止のスタートラインに立ったと思います。しかし先生のおっしゃる通り条文だけ制定されても、それに見合った体制の整備や予算措置がなければ、障害者虐待防止の具体的な進歩は見られないと思います。そもそも、これだけこの法律の制定が遅れたのは、日本社会の障害者に対する意識が低いからではないでしょうか。この法律が活きる社会にするためには、障害者に対する差別や偏見をなくし、社会全体が障害者に対する理解を深めるとともに、その家族や、施設、職場などに対する支援を広げていかなければならないと感じます。
この法案が成立したとはいえ、未だ障害のある人々に関する法律の不作為が多いというのが私の認識です。例えば、精神障害を持つ人々の参政権。この精神障害を持つ人々の参政権の訴訟について私はゼミにおいて知りました。
この問題は国会、司法、内閣がいかに障害について理解が足りないか、その責任を逃れているかよくわかる裁判でした。
今回の虐待防止法もいままで、存在したが知りえなかったというだけでその法律の不作為の責任から国会は逃れられるのです。しかし、逆に考えれば、私たち国民がその問題について理解し、国民の意見として大きなものにしていけば国会、司法はそれを無視できない状態にできると感じました。
私たちは急速に変化を遂げる社会の問題に常に敏感になり、その問題に対して自分の意見を持たねばならないと思います。
これによって、私たちは障害に関する法律の作成だけでなく、より多くの問題を解決していけるのだと考えました。
私は今回この記事を読むまで、障害者への虐待防止のための法律ができたこと、しかもそれがつい最近可決されたばかりであることを初めて知り、驚きました。障害者の方との交流がほとんどないためか、障害者に対する虐待が問題になっているという発想がまずなかったのです。
障害者に対する虐待が起きてしまう理由は多岐にわたると思いますが、やはり養育者の長期に及ぶ心身のストレス・疲労が主な原因なのではないかと感じます。
今回この法律ができたことにより、障害者に対する虐待をなくす第一歩が踏み出せたのだと思います。しかし、単に法律があるというだけでは、記事の中にあるように「もぐら叩き」状態になることは不可避であろうと考えます。養育者に対する支援などを徹底させるなどの政策を確実に実施することによって、初めてこの法律が意味をもつようになるのだと思います。
今回このブログを読んで私はまず今まで障害者を虐待から守る法律が存在しなかったことにとても驚いた。そう考えると障害者虐待防止法の成立は遅すぎる。しかし一方でこのような法律に頼らなければ障害者に対する虐待が発生してしまうことはとても残念である。
法律の整備も大切だが、もっと人々の障害者に対する考えを改める教育を幼いころから盛り込んでいくべきだと強く思った。
私も「もぐら叩き」に走り回るだけではいけないと心から思います。しかし、現実では虐待が起こればマスコミで報道され、虐待をした人は一気に世の中で悪者扱いされてしまいます。確かに虐待をしたという事実は良くないことですが、その背景を見てみると「もぐら叩き」をするだけでは意味がないというケースがほとんどかと思います。
虐待が起こった場合、被害者と加害者の両者ともの心のケアは必須になると思います。虐待が起こったそのときだけただ批判するのではなく虐待はもっと深く、長期に渡る問題だということを多くの人に理解してほしいです。
今回、障害者虐待防止法が成立して宗澤先生がおっしゃるように発生場所が限定されていること、行政が責任を持たず民間に委託してること、虐待の根絶を目標としていないことなどのような問題が挙がります。また、この法律が施行されたらこの法律の他の問題点も明らかになってくるはずです。そのときに多くの人が参加し、なぜ今のままではいけないのかを理解して改善のために大きく動けたら、、、と思います。
7月5日の講義を拝聴しました。まず授業冒頭の、中学生対象のアンケートで「1日で1番まともな食事は給食」という回答が全体の2割であったことをどうとらえるかという問題提起で、状況によってはネグレクトとなるという答えに衝撃を受けました。自分の身近なところでネグレクトが起きているかもしれない可能性の高さに恐怖しました。
家族はその人にとってもっとも人生に密接した社会のはずですが、しかし、同時にもっとも閉鎖的な不可侵の社会ともいえます。そのなかで虐待が起こっていることを考えると辛いですが、むしろ家庭で虐待が起こりやすいということは明白です。「障害者虐待の防止、障害者の擁護者に対する支援等に関する法律」が無事施行されること、正常に運用されることを祈ります。
詩人・画家の星野富弘さんは24歳のとき、頸髄を損傷し手足の自由を失いました。星野さんの作品で、「風の旅」という詩画集があります。そのなかの最後にある「ばら・きく・なずな」という詩は、身体が不自由になった星野さんを世話してくれるお母さんへの、星野さんの感謝の気持ちであふれています。先生もぜひご覧になってみてください。
ブログ本文中にもあるように、今回成立した障害者虐待防止法は、高齢者虐待防止法の内容とよく似ている箇所がある。なかでも私が注目したいのは、障害者に対する虐待も高齢者に対する虐待も共通して、家族などといった養護者が虐待をする者の定義として取り込まれていることであるということである。
虐待全般に言えることだが、養護者による虐待は、必ずしも悪意によるものではないと思う。懸命に介護や支援を続けた結果、それでも状態がよくならない、周囲の非難をあびるなどといったことからストレスや不安を感じ、よくない行動にでてしまうのである。
そんななかで、問題が生じてから動く『「もぐら叩き」のような対応』を続けても、さらに養護者を追い詰めるだけではないだろうか。虐待行為自体は決して許してはいけないものだが、これを防止するためには、罰を与えるより、個人が障害者支援を理解し、閉鎖的になりがちな彼らを支援していく活動を広めていくほうがよっぽど効果的ではないだろうかと感じる。
私は、まず障害者に対する虐待を防止する法律が今まで存在しなかったという点にとても驚きました。そして、正直今まで福祉の世界にそれほど関心を示していなかった私ですが、厳しい現状を知り、このままではいけないと危機感を抱きました。
そもそも、障害者に対する虐待というのは子供や高齢者に比べ身近な問題として実感することが少ないということが法制度や養育者保護の制度の遅れにつながっていると考えるので、市民の意識改善ということもひとつの有効な手段であると思います。しかし、意識改善だけでは先生の仰るように「もぐら叩き」の現状が続いていくだけであると思います。
せっかく、法の成立まで漕ぎつけたのだから、それだけで満足せずに、この機会にもっと真摯に「もぐら叩き」の現状を受け止め、この法をより意味のあるものにしていかなければならないと強く感じました。具体的には、やはり養護者に対する保護を手厚くし身心的な負担をなくすだけでなく、気づきにくい、そのために働いている人たちへの保護にも目を背けず真剣に向き合っていくべきであると思いました。
子どもや高齢者の虐待防止については聞いたことはありましたが、障害者の虐待防止についてはまったく考えたことがありませんでした。まず、私のような人がまだたくさん日本にはいて、障害者の虐待について認知度が低いことも問題として上げられるのではないかと考えます。しかし、障害者虐待防止法の成立は大きな一歩であり、これを皮切りに日本の障害者虐待については前進していくことを私自身大きく期待しています。これから障害者については認知度を高めていく必要があり、それと同時に先生が「もぐら叩き」と表現された防止策も、現れた虐待についての対応に必死になるようなロスアンゼルスの二の舞ではなく、根本的な問題を解決していく為の法律になっていく必要があると感じました。
過去を思い返してみると、小学校や中学校で障害を持った子どもがいたのですが、もしかしたらあれは虐待だったのでは?と思ってしまうような場面が少なからずあったなと思いました。小学校などで、障害者の勉強を進めたりなど、障害についての認知度を上げるために様々なことができるのではないかと考えます。
障害者虐待防止法の成立という大きな一歩を踏み出した日本なので、これからは地方にそれを広め、日本全体で取り組んでいけることが理想ではないかと考えます。
先進国の日本は以前障害者虐待防止法がないことに確かに驚きましたが、やっと成立した良かったと思いました。これは社会の進歩だと考えます。
虐待された方への保護だけではなく、この法は虐待を発見する人を義務づけことはきわめて重要なことですが、義務化しても、虐待を発見した人はそのことを報告しなければ、虐待は続けるでしょう。これは問題点だと思います。つまり、虐待に対する認識はまだ不十分な人たちが多い、このような人たちの認識を高めるため、市町村で定期的に虐待または障害者虐待に関する講座を行うべきだと思います。
私はこのブログを読んで初めて障害者虐待防止法が可決されたことを知った。そこでまず思ったことは、自分のようにこの法案が可決されたことを知らない人が大勢いるのではないだろうかということだ。
可決されたことは間違いなく虐待根絶への大きな一歩となることだと思う。しかし、法案が可決されればよいということは決してなく、それが国民に十分に知られ、実行されて初めて効果があるのではないだろうか。そして、実行されてこれから見えてくる様々な法案の不具合、問題点の改善がなされていくことが非常に重要だと思う。
この記事を読んで初めて、障害者虐待防止法がつい
最近まで成立していなかったことを知り、驚きました
。
「この数年間、国会に上程されては廃案となってき
た」とあったので、どうして廃案になってしまったの
か気になって少し調べてみましたが、2009年の衆議院
解散など、政治の混乱に巻き込まれて廃案になってし
まったようですね。この法律は、虐待に苦しむ方を取
り巻く状況を一刻も早く改善するために、もっと早く
成立させなければならないものだったはずです。こう
いった法案がなかなか成立しないという、日本の不安
定な政治に怒りを覚えます。それと同時に、このよう
な重要な法律が成立していないという状態を知らず、
無関心であったことを、私自身、反省するべきだと思
いました。こういった不安定な政治は、私のように無
関心な人がいることにも原因があるのではないかと思
うからです。
成立によって少し状況はよくなったとは思いますが
、まだまだ問題が山積みで、十分に機能しないような
状態だというのは残念です。「もぐらたたき」ではな
く、その根本の問題を解決できるように、政治の混乱
に巻き込まれることなく、他の法律の改正・成立が、
一刻も早く行われることを望みます。そのためにはま
ず、こういった状況をより多くの人が知り、関心を持
つことが必要なのではないでしょうか。
今回このように障害者虐待防止法が成立し、障害者に対して彼らの権利が守られるようになったことは喜ばしいことだと思います。
ただ、私が疑問に思ったのは、わざわざこの法律を成立させなければ障害者が守れないのかということです。たしかに、私自身がおかげさまで健全であるためになんらかの障害をもった人を少し違った目で見てしまうということはあります。ですが、そのような人たちに手を差し伸べて共に暮らしていくことは至って普通のことだと思いますし、このような心を誰もが持っていれば虐待など起こらないはずです。しかし、自分のことしか考えられない人間によって傷を負っている人たちがいると考えると、この法律の成立に対してどこかやるせない感じと人の心に悲しさを覚えます。
児童や高齢者に比べ、障害者の世話は長期にわたり終わりが見えないこと、家庭では家族一人、ほとんどは女性に負担がかかっていることなどから、介護者は体力的にも精神的にも余裕がない状態に追い詰められてしまうこと。低所得家庭に虐待が多いのも無関係ではない。というお話を授業でしていただいて、本当に介護者へのケアが必要だと思いました。たとえ虐待がない家庭であっても、介護者から笑顔が消えれば世話をされる障害者も家族も幸せな生活を送れなくなります。これでは自分のせいで介護者に苦労をかけているなどと責任を感じて思い悩むこともあるかもしれません。一人の人間として尊重され、自尊心をもち、充実した人生をおくるためにも法律に介護者のケアを盛り込んでほしいと思いました。
子ども・高齢者・障害者への虐待というものは以前から問題になっていたはずなのに、今まで法律としてなかったことに疑問を感じます。そして、法律ができてからが本格的な虐待対策のスタートです。この法律の中に各対応システムが存在するとありますが、そもそも対応システムは新設されるものであり、まずそこで対応に当たる人間の育成をしっかりしなければならないと思います。
まず、今になって、初めて障害者虐待防止法が成立したということに、衝撃をうけました。障害者に対する虐待は、高齢者や子どもに比べて、問題として取り上げられることも少なく、そのことが障害者を守るという体制の整備を遅らせた大きな要因だと思う。法律を制定しただけでは、対応として不十分なので、私たち一人ひとりが現在の虐待の理解を深めていく必要があるだろう。
私は日本に来てから、よく電車の中で車椅子に乗っている障害を持つ方と出会ったり、色々なところに行っても障碍者専用のトイレを見かけたりしています。その点から、日本の政府はかなりバイアーフリーに力を入れていると私は感じられます。その点について、私の母国も見習うべきだと思います。しかし、今まで日本には「障害者虐待防止法」がなかったことがちょうど不思議だと思いました。
確かにようやくできた「障害者虐待防止法」にはまだまだ問題が幾つ存在していますが、これからその法律がうまく機能できるように改善して行かなければならないと思います。とりわけ、「障害者の扶養に対する支援」、「障害者施設従事」の労働条件の必要性だと先生は述べていました。私もその通りだと思います。
これから、障碍者の扶養者に対して、経済的な面と精神的な面に社会からの援助をもっと増やすべきだと私は思います。また、障碍者に対する偏見を我々の頭から払拭し、その代わりに障碍者を尊重する社会を築き上げる必要があると私は思います。
私は、障害者、特に知的障害者へのいじめが起こる原因の一つに、自分、もしくは自分を含めたグループ(たとえば社会、学級など)にそぐわないという理由で、そのグループから排除しようとした結果起こり、その延長で虐待が起こるのだと思います。
障害者は健常者との違いが顕著で、それゆえに健常者とは違う見た目、行動などが特に目につきます。同じグループに障害者がいると、その違いを頻繁に見ることになります。その違いが目に付けば目に付くほど、頻繁に見れば見るほど、障害者に対する嫌悪感が高まりいじめ、虐待になっていくと思います。
そうならないようにするには、障害者と健常者を「区別」することだと思います。障害者と健常者は違うと考えると同時に、その違いを受け入れる、そういったとても寛容な心が必要なのだと思います。しかし、集団を重んじ、少数派を排除する日本社会の中では、このような日本人固有の考え方を変えない限り、多数派(健常者)が少数派(障害者)を受け入れることは、無理だと思います。
もし「どうしても」障害者と共存する社会を目指すなら、このことを常に頭に入れなくてはならないと思います。
ご講義いただきありがとうございました。
虐待というものは、行為者だけが悪者にされがちですが、本当はその環境に問題があるということ、私はわかっているようでわかっていなかったということに改めて気づかされました。報道では、その家庭の環境まではどうしてもわからないので、行為者に対してなんて悪いことをしているのだ、とばかり思っていました。
さらに、虐待とはとても範囲が広く私が思っていた行為以外のものまでも虐待に値するということに驚きました。やはりそれには被虐待者、行為者の置かれている環境がとても重要で、その整備やサポートが必要であると感じました。
虐待に対して、まだまだ理解や支援が不十分であり、私自身も勉強不足であると痛感いたしました。本当に貴重なご講義ありがとうございました。
先進国の日本であるが、虐待に関することについては途上国のように感じる。障害者虐待防止法が今ごろになって成立したことに少々驚きを覚えた。しかし、法案成立は一つのスタートラインであると思う。
この法律の施行後3年を目途として見直す規定があるというが、その時までに改善点をきちんとあげ、対処していくことが虐待減少への一歩であると思う。また、私たちも障害者に対するネガティブなイメージなどを見直し、理解を深めるべきであろう。
この記事を読んでもっとも驚いたことは、障害者虐待防止法が今まで存在しなかったことです。児童虐待防止法や高齢者虐待防止法はあるのになぜなかったのか。わたしには国が障害者の虐待を今まで軽く見ていたとしか思えません。
確かに虐待といえば子どもに対するものというイメージが強いと思います。現在深刻な問題になっていることも事実です。わたし自身障害者虐待や高齢者虐待のことはほとんど知りませんでした。今になってでもこの法律ができたことで虐待対策への第一歩になって、たくさんの人に障害者虐待があるという事実が知られればこの法律はもっと価値のあるものになると思いました。
今まで国会でこの法律が成立していなかったことに驚いた。前は高齢者虐待防止法があるのになぜ障害者虐待防止法がないのか疑問に思った。教育現場での障害のある子どもに対する「いじめ」のことも「モンスターペアレント」などに恐れることなくしっかりと考慮してほしい。これからは、国と自治体が十分な体制整備を整えてほしい。
ニュースでもよく児童虐待の事件を見ますが、許せないと思うことは虐待をした親が全くと言っていいほど反省をしていないということです。
私はよく小説を読みますが、虐待について書かれている小説は忘れようにも忘れることができないほど凄惨な話です。「Itと呼ばれた子」と「隣の家の少女」は特に考えさせられる小説でした。
この条例が通ったことで、一人でも多くの虐待されている児童が救われればいいなと思います。
私の弟は知的障害をもっているため、私自身も小さいころから、弟と共に障害をもつ子どもたちのいる施設に遊びに行ったりしていました。そのせいか、私は障害者に対する偏見がなくなったように思います。その施設で、子供たちは人懐っこく寄ってくるし、普通の人と同じように自分なりに精一杯物事に取り組んでいました。また、その親もみな優しい人ばかりだったので、障害者への虐待というのには現実味が持てませんでした。
障害者とあまり関わったことのない人にとっては、普通とは違う別の人というような偏見が多くあるように思います。実際、学校にいた障害がある子に、ひどい扱いをしているのも見たことがあります。偏見の存在は大きいです。
このような、法律が出来たことは大きな進歩かも知れませんが、やはり皆が障害者と向き合い、偏見をなくしていくことが、もっと重要なのではないでしょうか。
法律は完成して実際に施行されてからその真価が問われる。この障害者虐待防止法もこれから法としての効力を発揮していくであろう。その際にはまず、この法の存在を世間的に認知させることが最優先である。そして次に何より実際に障害者のケアに従事している方に対する支援が求められる。そしてこの問題を当時者だけでなく社会全体が内包する課題として、取り組んでいく必要があるだろう。
この障害者虐待防止法の成立は、正直遅すぎだと思います。多くの障害者虐待の問題が生じている中、なぜ今まで一つも障害者虐待に関する法律がなかったのか。それにはいろいろな事情があったかもしれませんが、このような法律が存在しなかったこれまでの間、障害者の人々がどれほどつらい日々を送っていたことかと考えると非常に申し訳ない気持ちになります。
実際、障害者虐待防止法が成立したおかげで、非常に良い影響を及ぼしていると思います。これにより、障害者に対する虐待がより厳しく取り締まられ、また、この問題に無関心であった人々に少しでも関心を持たせるという意味で非常に重要な役割を果たしています。
ただ、ここで問題なのがこの法律では身体・知的障害者以外の障害を持つ人々の保護に関する措置についても記載されているが、この障害のことについては細かく書かれていないということである。これは、障害者の人々やそのご家族に不安を持たせ、また、法律に穴があいていることを表してしまうことでもあります。
この問題は非常に難しい問題であると思いますが、一日でも早く、この法律を強化し、そして障害者虐待を少しでも減少させることが重要であると思います。
障害者虐待を防止する法律が最近になってできたと思うと、日本が障害者虐待をあまり重要視していなかったことが分かります。学校内でおきた虐待について、介入支援ができない点については自分も疑問に思います。実際日本で虐待が起こっていることは確かですし、この制度によって虐待がなくなるとは到底思えません。
もっと具体的で妥当性である必要があると思いました。
障害者虐待防止法が本当に最近成立したことに驚きを感じました。この法律がこれから先どれだけの意味を成すのかはまだ分かりませんが、救われる人がいることも事実であると思います。先生が述べられているように虐待の根本的な克服のための政策を考え、打ち出すことも重要であると考えます。虐待そのものを減らすために私たちにできることはないのか、国民全体が考えて向き合うことが求められているのではないでしょうか。
今、どの国でも虐待の問題を抱かれていると思う。「障碍者虐待防止法」が成立しても、障碍者への虐待がなくなる可能性がまずないと思う。その原因として、一番挙げたいのは、この法律はどのぐらいの人たちに伝えたのか。今の段階でむしろ知らない人のほうが多いではないだろうか。知らないから、虐待を続けてやっている人も居るし、知っていても、知らないふりをして、虐待をする人も居る。もう一つは、虐待をしている人も障碍者とした場合、どうすれば解決できるのか。そして、元々障碍者ではなく、虐待を受けって、障碍者になった場合も多数あると思う、この場合、どの法律で対応するのか。
障碍者だけでなく、虐待を受けている全ての人々を守るべきだと思う。
『障害者虐待防止法』の可決について私は賛成します。
障害者に対する虐待は、児童虐待やほかのDVなどの虐待とは明確にそのケースや対処法が違いそれに準じた対応をするべきだと考えるからです。
この可決に関して驚くのは、やっと今可決されたという事実と、あくまで地方自治体に任せた制度、そして通報の義務があるという点のあいまいさです。おそらく高齢者を扱う施設での精神虐待などは非常に見つけづらく、また施設内の人が内部告発する可能性も低いと考えるからです。
また、先生も論じているようにもぐらたたきのような傾向が見られ、防止や抑止にはそこまで特化していないように見受けられました。もちろん虐待がおこった後の対処にかんする法案はあってしかるべきなのですが、それ以前の虐待を防止、抑制する施策が必要ではないのかと私は考えます。
障害者虐待防止法が今までなかったことを知り、なぜこれまで廃案となってきたのか疑問に思いました。私は児童や高齢者に対する虐待防止法があるのと同様に、障害のある人に対する虐待も防止する法律があるのだと思っていました。障害のある人の虐待があるとわかっていたのであれば、もっと早くから成立してるべきだったのではないかと思います。
「もぐらたたき」だけでは虐待そのものが減少しないというのであれば、障害者虐待防止法の場合は根本的に虐待問題を解決するための手段を考えなければならないのだと思います。
宗澤先生の講義を受けさせていただいたのですが、障害のある人に対しての経済的虐待は悪意をもっていなくても結果的に経済的虐待に至ってしまうというケースがあると聞き、虐待の行為者が自覚していないという点で解決が難しいと感じました。
また、障害者支援職員の意識調査の結果を見て、利用者の方が成人であっても大人として扱ってないために虐待であることを虐待だと思わないことが多いのではないかと思いました。どういう場合が虐待であり、どういう場合は虐待とならないのか、明確にはされていないのですが、人権を侵害する行為のすべてをさすものと認識をしなけれなならないと思います。
そして虐待の行為者側にも、虐待に至らないようにサポートをすることも必要となってくるのではないでしょうか。
社会的弱者が虐待にあうことは回避されるべきものであるということは、今日の社会ではごく当たり前なことであるはずなのに、どうして今までこの法が出来なかったのかが不思議でなりません。
今やバリアフリーなどユニバーサルデザインなど障害者と物の壁は取り払われてきているのに、障害者と人との壁は中々取り除かれない事にもどかしさを感じます。
障害者虐待防止法の成立の遅れや、その法の欠陥を見る限り、やはりまだまだ国や社会の障害者に対しての意識が軽いものなのではないかと感じてしまいます。
障害者にとって生きづらい社会、それこそ社会からの虐待だなぁとつくづく思います。
障害者は自分たちの身近に沢山いることを最近よく実感します。障害者を見かけたとき、果たしてどのような行動をすればいいのか。近年推進されているノーマライゼーションと今回の記事の虐待の間に避けようのない葛藤があるように思います。
我々は一般に障害者を社会的弱者として保護しなければならない、という共通認識を持っていますが、それがノーマライゼーションとコンフリクトするものとして、我々の行動を鈍らせてしまいます。今回の虐待防止法にしても、いくら規定を細かく決めたところで、具体的な事例・判例が出てこなければ中々実質的な拘束力にはならないのではないか。
我々はその間を埋め、障害者との共益をまだまだ模索していく必要があります。
ようやく「障碍者虐待防止法」が成立されたことを知り、どうして今まで政府はこの問題に対応してこなかったのか、とても疑問に思いました。しかし、この法律が成立されたことを知らなかった私も虐待に対する意識が低すぎると反省する点が多くあります。成立されても、みんなが知らなければ何も変わりません。私自身も虐待は遠いもの、と考えてる部分がありました。みんなが虐待について考えるために、授業やテレビなどでもっとこういった問題を取り入れていくべきだと考えます。
私はあまり法律についての知識がなく多くは語れませんが、今までの法律に障害者虐待の法律がなかったことにただただ驚いてしまいました(無知ですいません)。近年虐待は残念なことに年々増加していて、おそらく対障害者の虐待ケースは少なくないのに今までなにもそのような法律がなかったのはなぜなのでしょうか?
先生の言った通り、虐待の保障はするようになってもこれが障害者の人権の保障につながらないならば根本的な問題が解決していないと思いました。まだまだ法律面は特に知らないことばかりなのでこれを機に法律にも注意関心を向けていこうと思いました。
自分は大学で教職科目をとっていて、障害や虐待のことを学んでいます。教師としてどう考え、どう対処するかについては考えることができますが、その他の場での障害や虐待については考えたことがない、むしろ考えてもどうしようもないことだと思い込んでいました。
障害者虐待防止法成立もTVなどで見て知ってはいましたが、詳しい内容やその背景なども調べたり勉強するまではしらなかったですが、これからの豊かな日本を作るためにも、自分から勉強して、アンテナを張って生きていかなければならないのだなあと感じました。
私は教育学部に所属しているので、介護実習というものがあります。介護実習をしてみて、障害を持った方もいらっしゃいました。私は5日間だけの体験だったので苦にはなりませんでしたが、毎日となると大変だと思います。障害者虐待の防止ももちろん大切だとは思いますが、私は障害者の養護者に対する支援の法律ができたことがよかったと思います。
障害者虐待防止法が今まで存在しなかったことに驚きました。それだけ日本の障害者に対する福祉が遅れているということなのでしょう。この法律が成立したことは日本の障害者福祉にとって大きな一歩だと思います。しかしもちろん法律が存在するだけでは意味がありません。我々国民一人一人が障害者の置かれている現状について知らなくてはいけないと思います。ですが、悲しいことにあまり興味がない人が多いのが現状だと思います。
私たちは障害者のことを「自分とは違う人、関係ない人」といった風に捉えてしまっているのではないでしょうか。障害者の問題は私たちにとって他人ごとなのです。このままでは障害者に対する理解は深まりませんし、虐待問題も解決しないでしょう。
先生のおっしゃるように「障害」というものがもっと包括的に理解されるようになれば、「自分とは関係ない」といった態度ではいられないと思います。この障害者虐待防止法が正しく施行され、そしてもっと良いものに改善されていくためにも、まずは自分から障害者の問題を自分のこととして考えていきたいと思います。
今まで障害者虐待防止法がなかったことにとても驚きました。
法律がどのようにして出来るのか私はよく知りませんが、実際経験している人の意見をよく聞きよりよい法律が出来ることを願っています。
障害者と関わることが少なく私たちには知らないことがたくさんあることが、虐待やいじめに繋がるのではないかと考えます。障害のことを教育の場やテレビなどでもう少し身近に考えるべきことだと思います。
この記事の冒頭に書いてある「ネグレクト」という言葉が非常に深く心に引っかかっています。障害者はもちろんの事、多くの子どもたちや社会的弱者が、今日本や世界のあちこちでネグレクトの被害にあっているという事実はじつに悲惨ですが、一般的な物理的な虐待は目に見えるケースが多いので通報の可能性が高いのに比べて、目に見えずらいという点でこの法律が施行された後もネグレクトに関しては通報されにくいように思えます。そのため、この法律が施行された後も重点的にネグレクトに対する知識が広められるべきだと感じました。
私の祖父は身体に障害を持っていました。しかし、その祖父が私が幼い頃に亡くなったこともあり、正直障害者虐待を身近な問題として考えたことがありませんでした。障害者虐待の現実もよく分かっていないほどでした。
このブログを読んで、障害者虐待防止のための法律ができたという点はとても大きな1歩であると思いました。けれどもまだまだな部分もあると知り、祖父のこともあり心が痛みました。もっと障害者虐待を含む虐待の防止のための保障がしっかりと成されるようになって欲しいと思います。私自身もそのために私たちができることを考えていきたいと思います。
私は大学の講義を受けて、虐待の幅の広さに驚きました。以前までは虐待=暴力というイメージを持っていましたが、ネグレクトなどのケースを学び、自分の思っている以上に身の回りで虐待が行われている現実を目の当たりにし、もしかすると何気なく見ていた行為を虐待と知らずに見過ごしていた事があったかも知れないと反省しました。
虐待は第三者がなかなか発見し難い問題であるが故、障害者だけでなく自分の子供にも虐待してしまうような無責任な人間がいる以上、被虐待者を守ってくれるこの法律は非常に大きな役割を果たし状況の改善に役立つことを信じています。
障害者虐待防止法が成立。もう5か月も前の話らしいですが、このブログを読んで初めて知りました。本当なら、虐待しないことは当たり前、そのような法律作る必要はない、と言いたいところですが、どうやら想像以上に障害者虐待の問題は多いようです。
虐待は発見が遅れるケースが多いと聞きます。周りの人も意識して気に掛ける必要があると思います。法律ができたからといって安心せずに、これからが大切であると思います。
このブログを読んで初めて障害者虐待防止法がここ最近に成立したものだと知りました。小学校の時に障害を持った友達がいたことがあるのですが、その友達は障害のない人と違ったところがほとんどなかったので、障害者について特に深く考えたことはありませんでした。また、そんな法律が存在しなければいけないほど虐待が起こっていることも知りませんでした。
しかし、この法律が成立したことによって虐待というものが障害者だけでなく、障害のない人に対しても減っていくのではないかと思いますし、実際にそうであってほしいと思います。
私は大学の講義をうけて、改めて虐待について考えさせられることとなりました。今まで、虐待について知っているつもりでしたが、知らないことがまだまだたくさんあるんだということに気づかされました。日本での虐待に対する対応が遅く、ようやく障害者虐待防止法が成立したということも、この記事を読んで知りました。
しかし、これだけでは十分でなく、政府はさらに虐待に関する法律を改善し、私たちは虐待について関心を持ち、深く考え、障害から目をそらすのではなく、障害を理解できるような環境にすることが大切であると思いました。
障害者虐待防止法の成立は遅いと思う。法律があることは虐待を減らすための大前提ではないだろうか。また、法律が成立した後の内容の実行力に関しても、予算の余裕がない現状ではあまりに難しい。今後も継続的に改善すべき点は山積していると考えられる。加えて、法整備も大切だが、日本では障害と自分が関係ないとする風潮が強く、人々が障害から目を逸らすのではなく障害を理解する社会に変化させることも重要だと思う。
根本的に、障害者虐待が発生する背景には、他の虐待とは異なって強い偏見が社会に溢れているからではないかと思う。そして、そのような偏見は、障害者に対して私たち健常者の十分な理解がないために生じるのではないだろうか。虐待を減らすには、人々の理解を広めるための知識や関心を教育面で提供していく努力も必要であると考える。
この法律の成立によってようやく高齢者、自動、障害者に対する虐待防止法が成立したことになります。ただ私は法律の制定だけでは全く意味がないと思います。つまり実際の政府としての様々な下支え等の動きが伴わない限り、問題解決へのスタートは切れないでしょう。
しかし国としての対応以前に我々が虐待の実態・本質を知ることによって、問題を顕在化させる必要があると思います。それくらいの動きがない限り政府も本腰を入れて問題に取り組まないでしょう。
遅れながらもこの障害者虐待防止法が成立したことは障害者虐待防止の第一歩であると私は思います。
しかし、法整備を整えたからといって虐待が無くなるわけではなく、宗澤先生も仰っているように十分な体制整備や予算措置を充実させていかないといけません。
そして、真の意味で虐待のない社会を作っていくためにも私たち一人一人が障害に対して正しい見地を持ち、障害者にとって不自由なく生活できる社会作りを模索していく必要があると感じました。
この法律が成立したことは、障害者の人権を守るための第一歩に過ぎないと思います。まだまだ整備が行き届いておらず、虐待を確実に防止することには至っていない現状には残念です。
法律よりも、障害をどう捉えるのか、万人が間違えている。「障害は個人と環境の相互作用によって生じた社会の障壁」(宗澤氏より)という認識に変えることが重要である。障害者の方に対する見方が変われば、虐待などという卑劣な問題は根本的に生まれないはずである。
障害者虐待防止法が制定されたことは大きな一歩であることは確かだと思います。しかし、私自身このような機会がなければこの法律を知らずにいたかもしれません。どのくらいの人がこの法律を知っているのだろうか。また内容まで知っているだろうか。このような法律が制定したことを全ての人が知る必要があると思います。そのためにどうすればよいのか足を止めることなく二歩、三歩と踏み出していかなければならないと思いました。
障害者虐待防止法が2011年6月24日に公布され、2012年10月1日に施行される。私はこのブログを読んで障害者虐待防止法の存在について初めて知ったが、この法律の施行は正直言って遅すぎるのではないかと感じた。また、虐待が発見されたら対応するという後手に回る「もぐら叩き」では、現在の虐待に関する問題は改善されないので、虐待を受けている障害者達の人権を保障していく法律も施行していく必要があると考えられる。この法律の施行は障害者の人権保護のための初めの一歩であるが、確かな一歩であり、大きな一歩でもある。この法律にはまだまだ多くの改善余地があるため、整備の十分な行き届き、虐待防止への施策、またこの法律が多くの人々に浸透することで障害者の人権や虐待問題に対する意識の向上が期待される。このブログを読んだ自分も将来教育に携わる者としてこのことについて自分の考えをしっかりと持つようにしたい。
障害者虐待に関する法律が、最近まで存在自体していなかったことに驚きました。しかし私もこのブログを読むまでそれを知りませんでした。障害や虐待に対する意識の低さを恥ずかしく思います。法律の成立は前進と言えると思いますが、その法律にも問題点や不十分な点が多く、今後改善されていかなければならないものです。また、私たちも障害に対する考え方を見直し、虐待というものを少しでも減らしていく努力をすることが大切だと思いました。
障害者虐待防止法の成立は福祉のおける大きな一歩だと思いますがそれに照らして現状を考えると、ここまでこの問題は放置(とまでは言わないまでも)されてるというのか、解決まで遠い問題であるのか、と感じました。そしてブログ内で述べられておりますように、その場しのぎ的な対応で問題を解決したつもりになっているだけのような気もします。障害者の視点に立った法や社会の制度を作っていく必要があると思います。
障害者の虐待など絶対に許されないものだと思います。障害者の人権を守る法律が、これまでに制定されてこなかったことには、政府の対応が非常に遅いと思います。こんなに遅くなったことには少々遺憾に思うところもあります。しかし、このような法律が制定されることによって、少しずつではあるが障害者の方が生活しやすい国に変わっていくのだろうが、法律の制定だけでなく、障害者一人一人が生活しやすくなるように地域レベルでの対応まで、国が責任をもって行ってもらいたいものです。
私はこのブログで障害者虐待防止法のことを初めて知ったが、この法律の施行は正直言って遅すぎるし、後手に回る「もぐら叩き」では、現在の虐待に関する問題は改善されないため、虐待を受けている障害者達の人権を保障していく法律も施行する必要があると感じた。この法律は障害者の人権保護のための確かな一歩であるが、まだ多くの改善余地があるため、整備の充実、障害者の人権や虐待問題への人々の意識の向上が必要である。
確かに虐待防止法ができたことはよいことなのですが、今までは防止法がなかったことを考えると日本がどれだけ虐待を軽視しているのかが分かります。虐待による人生における影響はとてつもなく強いものだと思います。これまでで虐待被害で人生に支障をきたされた人は大勢いると思います。こういった被害をなくすためにもしっかりと整備された制度を完成させてほしいです。そしてブログ上にもありましたが「クレーマー」「モンスター・ペアレント」に怖れたと書かれていましたが、そんなことをしていて公平性のある考えを持つことができるのかと疑問に思いました。
昨今、障害者や介護が必要な高齢者への虐待が増加していることはメディアを通して知っていましたが、最近になってやっと障害者虐待防止法が成立したという事実には非常に驚かされました。法案が成立したこと自体は障害者虐待を防止していくきっかけにはなり得るとは思います。しかし、記事を読んでいく中で、体制を整備することと実際に虐待防止に向けて対応していくこととに大きなギャップがあるのではないかと感じました。なぜなら国の費用負担の規定がないために、自治体の長や組織の考え方、もしくは財政状況次第で対応の仕方・質に格差が生まれるであろうことが明らかだからです。例えば、高齢者や障害者が多い地域ほど虐待防止への対応の予算が必要である一方で、若い働き手が少ないために自治体の予算や人員が不足するという事態が起こり得るのではないかと思います。先生が記事の最後に書かれていたように、法の整備は最初の一歩として重要だと思いますが、実際に対応に移すための予算措置が非常に重要なのではないかと感じます。
宗澤先生の講義を受けて、虐待の悲惨さを改めて痛感した。それを踏まえて、虐待に関する法律が成立してよかったと思う。その内容として、虐待する側だけでなく、虐待を発見した人に対しての義務や社会から守られるようになっていたのがよかった。しかし、宗澤先生がおっしゃるように、この法律は障害者への虐待の根本的な克服とはならないと思う。費用がどこから出るのかなど記載されていない点が多いので、これからの改善も含めて今後の政府に期待したい。
私はこのブログを読むまで、障害者虐待法というものがあることを知りませんでした。障害者虐待という行為に対して今まで意識が向いていなかったように思います。これをきっかけに、虐待について関心を持ち、深く考えて、弱い立場にある人々を責任を持って守っていくことが必要だと思いました。
障害者虐待防止法の成立は大きな前進だと思います。今までは障害者への虐待を目撃した場合でもどうしたらよいか分からなかったり、通報によって解雇などの不当な扱いを受けるのではないかといった不安から通報ができなかった場合もあったと思います。これからは市町村に窓口が設置され私たちの意識も高まって相談もしやすくなると思います。また、法の整備によって通報する側の人権も保護されるのは大きなことだと思います。しかし、今回の防止法制定で、障害者への虐待がすべてなくなるということはないと思うので、法の整備だけでなく、運用も伴ってこの法律が有効なものとなってほしいです。
現在でも社会には障害を持った方には不便な場面が多く残っている。その中生活をしていかなくてはならないのだから、負担は大きい。虐待が起きたら被害者を擁護する、これでは虐待の行為者の気持ちが救われていない。虐待は繰り返されるだろう。行為者を責めるだけではなくどのような状況、経緯で虐待へと行き着いてしまったのかを見極め、気持ちに寄り添うことが行為者の精神的支えとなり虐待を減らす為に有効ではないかと思う。
私は小学校の頃に養護学校に行く機会が何度もありました。それを通じて、障害を持っている人はむしろ周りから大きな暖かい保護を受けているものと思っていました。差別等があるとは考えたことがありませんでした。新しく法律が出来たことで少しでも改善されていくことを期待しますが、私はこのような法律をつくらなきゃいけない社会が嫌です。このような法律を作ることを考える必要のない暖かい社会ができることを願います。
虐待の背景は形態も多様化しており法的整備をしようとしても被害者の保護に至るまではなかなか難しいと感じます。しかしこの法整備はやる気が感じられません。なぜなら虐待に対応する職員の数を規定する法律を作らないと実際に適切な運用は出来ないと思うからです。虐待は繰り返されることが多く被害者も加害者も不幸にし、その精神面も含めたケアには膨大な時間を要します。一刻も早くより健全な運用ができる法整備を期待したいです。
この記事を読ませていただいて、障害者の方々を守るための法律がせっかく出来たのにも関わらず、まだまだこの法律には、改善すべき点が多くあることを知りました。障害者の方の中には、自分の気持ちを上手くコントロール出来なかったり、常に同じ行動範囲内でしか、行動出来なかったりする人たちがいます。そのような障害をよく理解しているつもりでも、実際に障害者の方たちと接すると、自分の言うことを聞いてくれない、などという理由で手をあげる人もいると思います。しかし、そのようなことは絶対にあってはならないことで、障害者の方を守るための法律であるのに、障害者を守りきれないなら意味がないと思いました。また、自治体ごとに格差が生まれるようではいけないと思います。この法律が出来たからには、障害者に対する虐待は減少していかなければ法律を作った意味は無いと思いました。この法律を改善していき、障害者に対する虐待が全くない世の中になればいいと思いました。
障害者虐待防止法が施工された事で虐待が減るのでしょうか?障害者施設の現実をどこまで理解しているのでしょうか?実際に障害者の施設で働いてみて下さい。施設職員による虐待ばかりが表面化していますが障害者から職員への暴言、暴力がある事をご存じですか?職員にたいして「おい・おまえ・あんた・ハゲ・デブ」と呼んだり介助中に職員を叩く、唾を吐く、噛みつく等の行為が有る事を知っていますか?
介護者を虐待による犯罪者にする事は簡単なことです。
たとえば食事を自分で食べられる方から介助してと言われ「できるところまで頑張りましょう」と話し見守りを行ったとしても本人の意思を無視した、介護の放棄「ネグレクト」と扱われ介助を行うと本人の持つ能力を奪ったとして虐待に扱われます。
また内臓疾患によりコーヒーを医者から止められている障害者の方が「コーヒーを飲みたい」と言われ「医者から止められているので、他の物にしましょう」と他の物を提供すると、飲みたくない物を強制されたとして虐待。コーヒーを提供すると中止されていると分かっているのに提供したとして、お茶も何も提供しないと水分を与えなかったとして虐待になります。
介護者の腕に掴みかかり噛みつく障害者の対策として長袖を着て介護をしても、その服により爪が剥がれる歯が抜ける等した場合は介護者が責められます。その為、半そでを着て自分の手から出血をしながらも我慢しながら介助を行い、噛みつかれそうになり自分の身を守り障害者に怪我をさせてしまうと虐待をしたと扱われ責められるのが現実です。
虐待の判断は市・県・警察等が判断し障害者は弱者という点から障害者、その家族が言う事は全て通り虐待を受けているとして判断される可能性が高いのです。
世間は介護福祉士は介護のプロとして何でも「プロなんだから」と全てを介護者の責にしますがプロは何でも可能なのでしょうか?
虐待防止法施工により、これから多くの虐待が出てくると思います。その全てが本当に虐待なのかを疑問に感じます。
大学のほかの講義の時間に、実際に児童福祉施設で働いている方にお話を聞く機会があった時に、施設だけで対応するのは難しく、国や自治体からの支援も少ない現状を知りました。この障害者虐待防止法でも同じようなことがいえると思います。国が決まりを作るだけ作ってあとは自治体や施設にまかせっきりでは支えるにも限界があります。自治体によってばらつきも出るし、予算が足りないことにより対応が不十分になることももちろんあると思います。自治体や施設などが、十分に障害者やその擁護者、また虐待を受けた子供など支援が必要な人々の安全な生活を保障するには、やはりそのための費用は必要不可欠です。その問題を置き去りにして規則だけ先につくってもうまく機能できないと思います。十分な対応ができるようにするために予算を考えることは国に求められる大切な仕事であると考えます。
率直な感想として障害者虐待防止法が制定されるのがあまりにも遅すぎるなと思いました。昔から虐待が起こっていてそのような法律が成立してもいいはずなのに。法律の内容を見てもわかるとおり国がとりあえず作っておこう,みたいな感じで思ってるようにしか見えません。政府,自治体の意識改革が必要だと思います。また日本の戦後は道路や建物の建設にお金を使い社会保障にまわせなかったと思いますが,インフラ整備がほぼ終わった現在,社会保障分野にもっと予算を回していくべきだと思います。
この記事を読んで、私は初めて障害者虐待防止法というものの存在を知った。こういったものがなければ虐待をしてしまう日本のモラルの低下が垣間見えた気がする。だが、虐待が減らない今、障害者虐待防止法が成立したことで改善の方向には向かってほしいし、そうなることを望んで作られたものであると思う。しかし穴がやはりあるようで、根本的な解決になっていないところに障害者虐待防止法の存在に疑問を感じる。また、私のようにこういったことを知らない人はたくさんいるであろう。こういったことに関心をもたせる教育が大事である。よく知らないから虐待をするのであり、より知ってもらうことで虐待も減らすことにつながる。障害者虐待防止法より障碍者をよく知ってもらうことから始めるべきであると私は考える。
障害者虐待の実態がどのようなものなのか、最近、学校の講義のなかで学ぶ機会がありました。なかでも私が衝撃を受けたのは、障害者虐待は長期的な関係性のもつれがあり、障害のある人と養護者・支援者との二者関係が煮詰まりやすいということです。今まで児童虐待やDVについて、講義のなかで、少しですが事例をみてきました。被害者が虐待に嫌気がさしていて、シェルターのようなところに逃げたり、施設のなかで同じ境遇の人達と一緒に生活したり、なかには、虐待を受けてもなお、相手に執着してしまう人もいるというのはききましたが、私は虐待というのは全般、前者のパターンが多いものだと勝手に思っていました。しかし、今回障害者虐待についての話を聴いて、もっと正しい知識を持たなければならないと感じました。その人にとって、いくら周囲からすればひどいことをされていると思われても、その養護者が生きがい・存在理由になり、両者ともが相手と離れたくないと願う。そして、どんどん共依存の関係は深くなっていき、第三者の支援の手がはいらなくなってしまう。早期に、支援者が適度な距離を保たせることの重要性がよく分かりました。さらに、障害のある人というのは、自分の家や学校、職場だけでなく、障害者福祉施設やお世話をする使用人など虐待を受ける可能性がある場所、人との関わりが多いとこちらにもあります。支援者が今後どのように関わっていくのか、数や配置など解決すべき問題は法律が成立したあともまだまだあるなと思いました。
先日の先生の特別講義を受け、虐待について改めて考えることができました。虐待に対する対応の迅速性は上がっているものの、虐待の原因そのものの防止には至ってはおらず、放っておけば重度化するグレーゾーンの層への対応が不十分であることも問題点の一つであることを聞き、虐待が重度化する前に発見し、対応するためにも、地域における声掛けや相談、見守りなどを行うことで予防策・早期対応をすることが求められているのではないかと思います。また、児童虐待の話はニュースなどでよく取り上げられても、障がい者に対する虐待はあまり聞いた事がなかったため、支援を広げるとともに、障がい者虐待の問題を多くの人に考えてもらうことが必要だと感じます。障がい者虐待においては、子供や高齢者よりも虐待が発生する関係にいる期間が長く、第三者の支援が入りにくいことから二者関係が熱く煮詰まりやすくなり、虐待する側とされる側が共依存の関係に陥ってしまうこともあることを知り、私も仮に障がいのある兄弟や家族がいたらと考えると、もしも第三者の支援が入らず、自分と障がいのある相手だけであったなら、できないことをやってあげよう・支えようとしていく行為がエスカレートしていき、相手の意思を奪ってコントロールしてしまうようになるのではないかと思いました。そのような閉じた空間にしないためにも、家族の扶養負担の軽減や、障がいのある人の社会参加支援など様々な対応や支援が求められていくと考えます。
私は法学者ではないので立法について詳しく論ずることはできませんが、大学で教職について勉強している者として、虐待を法と罰という抑止力の存在がなければ防止できないこと自体とても恥ずかしい事であると思います。虐待は一方的ないじめとなんら変わらないし、決して許されることではありません。
人が100人いたら全員違うのは当たり前です。その中には高齢者や何らかの障害を持つ人がいても、それはその人の「個性」ではだめなのでしょうか?人間には完璧な人はいません。その中で人と人が手を取り合っていく必要があると思います。自分と他人が違うことを受け入れられるようにならなくてはいけません。これは本来小中学校で習うことであると思います。
私は将来「自分と他人は違うこと、自分にはあって他人には無いものは教えること、他人にしかないものは自分がその人に訊いて教えてもらうこと。その繰り返しで全員が助け合い成長すること。」を率先して教えていきたいと思います。そしてそれを一番教えることが出来るのは部活動や学校行事であると思います。このことを教えることを通して、高齢者や障害者を助けていくことで、自分が将来介護が必要になった時に助けて頂くことが出来ると教えたいと思います。
二年前、「トガニ幼き瞳の告発」という韓国映画を見ました。この映画が、子供たちが逃げ場のない世界で傷つき苦しんだ実在の事件を描いた作品です。物語は、聴覚障害者学校が舞台です。学校の先生たちがしつけと称して、激しい暴力を子供たちに与えています。また、子供たち(男女ども)校長を始めとする教師たちから、性的虐待を受けています。本作が韓国で公開されると、その影響力はすさまじい威力を発揮したのです。2011年10月、子供への性暴力犯罪の処罰に関する改正案を「トガニ法」と名付けて国会を通過し、法律改正されました。
韓国と同じように、日本でもいじめ事件や、子供たちへの虐待のニュースが絶ちません。今回の障害者虐待防止法という者が成立したのは大変よいことですが、わざわざ法律にしなくては障害者たちの幸せが守れない状況であったとは、人として恥ずかしくて、また悲しく思います。
確かに健常者が簡単なことでも、障害者にとっては難しいことって多いんです。健常者が普通の生活で何が無くできることでも、障害者にとっては時間がかかったり、うまくできなかったりしてもどかしいのもあると思います。(特に知的障害者の場合)
しかし、人の優しさが十分に発揮できるような穏やかな国であれば、このような法律もできなかっただろうにと残念に思います。結局、理想的な話だけです。
私は障害者虐待防止法が成立するのが余りにも遅すぎると思いました。法律がないと虐待が減らないというのは変な話ですが、それでもきちんとした法律を作ることで確実に虐待の数は減ったと思うからです。また、この法律ができたからといって安心できるわけでなくもっとやるべきことはたくさんあります。最初に考えられることとしてはこの法律の名前を広げていくことだと思います。私がニュースをあまり見ないからかもしれませんが、この法律が成立してもう2年以上たっているのにも関わらず、この法律について知りませんでした。私と同じ人が多数いるのではないかと考えます。この法律は虐待をなくすための大きな一歩ですが、この法律の知名度を広げることや障害者施設の充実などまだまだ課題が残っていると思います。
障害者虐待防止法案、今まで成立していなかったことにまず疑問を感じます。近年バリアフリー、ユニバーサルデザインなど、障害をもつ人がより良い環境で暮らしていけるようにしようという動きが活発化していますが、これもその風潮によるものなのでしょうか。ともあれ、成立したことはとても良いことだと思います。しかし、この法律ができたからといって、すぐに虐待がなくなるわけではないでしょう。 障害者を介護する側が受けるストレスは決して少なくありません。そのストレス解消の矛先が、介護している対象にむいてしまうかもしれません。そうならないためにも、周りの人々や社会が気づき、救いの手を差し伸べてあげることも、また重要であると考えます。
障害者虐待についてあまり知らなかったということもあるのでしょうが、障害者虐待防止法が最近成立したということには驚きました。この記事の通り、法律が成立したことはいいことだと思いますが、これは虐待に対応することはできるでしょうが、減少させることはできないような気がします。また自治体間で差ができてしまうというのは非常に問題だと思いました。差ができてしまわないように国が主体となってしっかりと対応、援助をしていくべきだと思いました。
私が実際に体験(介護)したことないからこそ言えることでもあるのかもしれませんが、どうしても障害者や高齢者などの社会的弱者に対する虐待がなぜ発生するのか理解できません。そのため、法律で虐待防止法を制定しなければならない現実にとてもショックを受けています。法で規制しなければならないほど障害者(社会的弱者)への虐待の件数があるのか、と。学校や施設など閉鎖された空間は外部へ開かせることが事態解決への一歩なのだとブログを読んで感じました。そして、支援は障害者や高齢者本人に向けられがちですが、それと同等にその方たち養護者への支援も充分に行うことが重要なのだと分かりました。
障害者虐待の防止については国が障害者虐待防止法を定めたとはいえ問題が山積みになっていると感じました。「もぐらたたき」のように発見→対応していくのではなく、虐待そのものを発生させないよう、国の費用負担を明確にし、事前防止のためのシステムを構築する必要性を感じました。
また、障害者虐待防止法の問題点として学校や医療機関での虐待に関する罰則が規定されていないことが挙げられており、これらを規定しなければ虐待への抑止力にもなることができないと思います。
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