喪失体験の受容―「根こぎ感」の克服
この連休は、ちょっとした野暮用のために郷里の大阪に帰りました。久方ぶりに故郷の空気を吸い、なじみ深い大阪弁に街の光景、そして何よりも「食いだおれ」の食文化に接すると、ここがまさに自分のルーツであることを全身の皮膚で実感します。恰も鮭が生まれ故郷の河にたどり着いて興奮するかのよう。
大阪に着くな否や、たこ焼きを頬張り、お好み焼きを一枚平らげ、きつねうどんをすすり、夜は大阪名物の「立ち飲み屋」でひっかけます。「外で飲み食いするなら、やっぱり大阪や」と食の美味さと安さに感動し、大阪弁を話す女性のすべてが愛くるしく見えてしまうほどに、ずっとどこかで郷愁の念を日常的に抱えていたのでしょう。つまり、私には普段は自覚しない「根こぎ感」があるといっていいようです。
やっぱり大阪はきつねうどん
「根こぎ感」(uprootedness)とは、もともとはエリクソンの提唱した概念で、アイデンティティにおける連続性・斉一性が〈自己-他者-環境〉の関係において保持できない危機を指すものです。なお、ここにいう〈自己-他者-環境〉を構成する概念は、心理学的な範疇にとどまらないかなり包括的な内容です。たとえば、〈自己〉は「これがほかならぬ自分である」という主観ではあるが、そこには自分の性格だけでなく、特定の環境の下で形成してきた生活と労働のスキル等も含まれます。〈他者〉には、親族や友人は無論のこと方言の共有も要素に入るでしょう。〈環境〉では、見慣れた情景、気候・風土、地域の生活習慣(冠婚葬祭、食文化等)、産業・就業の構成(たとえば、「農村地域」であるなど)等々が含まれます。
そして、生活困難と「根こぎ感」について指摘したわが国の研究には、たとえば、次のようなものがあります。
一つは、1950年代以降に失業した炭鉱労働者の地域移動と再就職をめぐる過程で現れた「根こぎ感」です。石炭から石油へと熱源を転換する政策は炭鉱をどんどんと閉山に追い込み、それによって失業した炭鉱労働者たちが、あるいは太平洋ベルト地帯の工場に再就職し、あるいは九州の筑豊から北海道の炭鉱に再就職するなど、これまでに形成され保持されてきたアイデンティティを取り巻く環境が一変することによって、自分の生活と人生において根っこを喪失したような気持ちを余儀なくされた問題です。
もう一つは、わが国の高度経済成長の柱ともいうべき自動車産業が、地方村落に出自をもつ大量の若者を都市部の工業地帯に移動・集住させる中で生じた「根こぎ感」です。アイデンティティを形成してきたかつての生活拠点であり、いつかは帰りたいと願う心の拠点でもある「故郷」を喪失し、単調で無味乾燥な工場労働と都市の生活様式に適応しきれないプロセスで顕在化する危機です(例えば、次を参照されたい。丸木恵祐著「工業化と根こぎ感」、http://ci.nii.ac.jp/naid/110000411132)。
愛知県のトヨタ自動車の工場に働く労働者の選択する結婚相手は、同郷出身者である場合が圧倒的に多いという事実(都丸泰助他著『トヨタと地域社会』、1987年、大月書店-このデータの整理の一端は、院生時代の私がしました。同郷出身者同士の夫婦があまりにも多いことに驚いた当時の記憶が残っています)は、地方村落出身者の「根こぎ感」を軽減・克服するための自助努力の所産とみることができるでしょう。
三つ目は、人生に突然やってくる喪失体験の克服をめぐる研究です。ここには、障害の受容、死の受容、災害による喪失体験からの回復など、テーマには多様なバリエーションがありますが、〈ショック期⇒否認期⇒混乱期⇒解決への努力期⇒受容期〉というプロセスの指摘については、概ね共通することが確認できるといっていいでしょう。
(例えば次を参照されたい。J.ボウルビィは、愛着に関する研究の中で親が障害のある子どもを受容するプロセスを明らかにしていますが1960年代にすべて絶版書です。中途障害の受容については上田敏著『リハビリテーションを考える』、1983年、青木書店など。死の受容についてはキューブラー・ロス著『死の瞬間』、2001年、中公文庫。災害関連では、デビッド・ロモ『災害と心のケアハンドブック』、1995年、アスク・ヒューマン・ケアなど。)
さて、今回の東日本大震災は、甚大な喪失体験を被災者に強いることとなりました。巨大な津波被害や原発問題によって、これまでの生活拠点が当面は暮らしの場になりえない被災地の人たちの多くが、できるなら地元を離れたくない、離れるとしてもできる限り近接した地域にとどまりたい、と望んでおられることがこれまでの報道で明らかにされてきました。
被災者でない立場の人の中には、住み慣れた地域に戻るまでの一時的な避難であれば、義捐金や補償金の経済的支援を前提に、地元を離れても致し方ないのではないかとの無理解もあるでしょう。しかし、被災した当事者にとっては、家族・親族・近隣者との死別や離散、仕事の喪失、なじみのある一切の環境からの離脱など、わが国の歴史上に類例をみない「根こぎ感」の下で、激しい葛藤感情に襲われているのです。
これらの喪失体験の受容から、真の根こぎ感の克服に資する唯一の方法は、復興のプロセスの主人公に被災者が据わることです。
従来の「根こぎ感」への対応は、次のような特徴があったでしょう。一つは、急激な社会変化に伴う人口の流動化や仕事の転変に対して、経済成長の光に伴う影の部分への個人的な努力や諦観を強いてきた点です(私の「根こぎ感」もこれに該当するでしょう)。もう一つは、障害や死の受容、災害による喪失体験からの回復にみられるように、対人支援サービスとそれを実効的なものにするための社会保障の課題に位置づけてきた点です。
天神天満繁昌亭-上方落語の定席、寄席の後にはここでも募金活動が
しかし、今回の大震災は、青森県から茨城県・千葉県の一部にまたがる東北・関東の広範囲な地域において、家族、住まい、地域社会、地域産業などを含む地域全体の復興のあり方が、被災者の根こぎ感の克服を左右するものです。だからこそ、震災からの復興と構想・計画の立案と復興事業の中軸に、すべての被災者が人権主体として参画できるスキームをいちはやく担保することが、被災者のエンパワメントに通じる唯一の道だと考えます。
それぞれの被災者と地域に積み重ねられてきたアイデンティティの連続性と斉一性を大切に守りながら、新しい被災者の暮らしと地域を復興することが何よりも重要です。このことが本当に大切にされるのであれば、これまでにない甚大な被害をもたらした東日本大震災は、被災者・住民の参画による巨大な知恵と力の結集によって、新しい型の社会的連帯を生み出し、被災者自身による巨大なエンパワメントのうねりを創り出すでしょう。
「ホームランうどん」-これで¥850、美味い!
私のゴールデンウィークは、個人的な「根こぎ感」対策にふさわしく、やっばりうどんで締めることになりました。画像はあるうどん屋の「ホームランうどん」です。ここの先代主人が阪神ファンで、餅がホームベース、卵がボール、エビ天がバット、きつねあげが内野、ワカメが外野の芝生に見立ててあるそうな。この感覚がいかにも大阪的でたまらない。
コメント
埼玉大学の学生の中にも、地方を出て1人暮らしをしている人がいます。彼らもふとしたときに家族のことを思い出し、特に1年生は実家に帰りたいと思うことが幾度となくあるのではないでしょうか。
故郷のことを懐かしく思い出すこと。これは人間なら誰しもある経験だと感じます。
東日本大震災の被災者が故郷で生活をしたいと思うことは、当然のことです。復興に関与する人たちは、このことを忘れずにいたいものです。
故郷もしくはそれと同様の要素を持つものを、特別に思わない人は居ないのではないか。わたしの故郷は山と川に囲まれた場所であったため、高層ビルなどが立ち並ぶ都会ではなんとなく落ち着かず、疲れてしまうように感じるのである。現代人に共通することであるだろうが、地方から関東に出てくるという風潮が一般的になった。しかしながら、先ほども述べたように自分の土地と違うところは疲れるのだ。頼る人が周りに居ない中で、生きるために必死になっている。この疲弊が、自殺・虐待などの社会問題につながっているように思う時がある。せめて、頼る人や機関などを見つけられたら、良いと思うのだが、日本にはまだそれが足りない。自分の「故郷」のような場所を、出来るだけ多くの人が日常的に見つけられることを切に願うのみである。
自分もやはり地元に帰ると精神的に満たされる気持ちになるし、同郷出身者に会うとそれだけで親しみを覚える。
それは江戸時代の藩制度やそれ以前の時代から連綿と受け継がれてきた「おくに意識」のようなものが無自覚のうちにはたらいているからだとも考える。
それだけに被災地の人々が感じる「根こぎ感」は想像もつかないほど大きいものだと思う。この「根こぎ感」を克服する方法として被災者が復興のプロセスの主人公になるという考えには納得した。その土地のものはその土地の人々のものであるし、被災者の人々の郷土愛が消えることはないと思ったからである。
先の東日本大震災によって、津波や原発事故が原因で東北地方の人たちの生活は一変。アイデンティティを保持できなくなったことによって、根こぎ感が心の中で増大し自ら命を絶ってしまう悲しい事実がある。
2週間ほど前、震災特集でそのような内容TV放送を見た中で、私に特に印象づけた事例がある。あるキャベツ農家の男性(7?歳)がキャベツ出荷前日に土壌が放射能に汚染されていることが判明し、出荷を停止せざるを得なくなった。
日に日に成長過多になって割れてゆくキャベツを見ていられなくなり、その男性は自害したという。この男性は携帯の待受画面をキャベツにするほど、キャベツを愛していたそうだ。私はこのブログの記事を読んで彼のことを思い出した。
彼のアイデンティティはキャベツであり、キャベツの喪失が彼自身の喪失につながった。このような根こぎ感の克服で「被災者が復興のプロセスの主人公になる」というのは賛成である。
ただ主人公を支える脇役が大変重要な役割を果たすのではないだろうか。復興へ向けた具体的な目標をひとりひとりがもち、自らをその舞台へとあげること。そして脇役としての国や我々個人にできるサポートが充実していなければ主人公は引き立たないのではないか。
私は被災地の出身で、震災の混乱が収まらないうちに埼玉に進学してきました。当初は新生活に無我夢中で、故郷のことを考える余裕がありませんでしたが、徐々に落ち着いてくると故郷のことが懐かしく思えて仕方ありませんでした。ニュースで地元の見慣れた風景が放送されたこともあり、早く帰省したいと考えるようになりました。これは地方から出てきた新1年生にはよくあることだと思います。しかし、私の故郷よりも震災の被害が大きく、故郷に帰りたくても帰れない人が多数いることをこの記事を読んで考えました。このような辛い喪失体験をした人々の力になるために私たちが何をしていかなければならないのか、日々の生活で考え、実際に実行していきたいと思います。
誰しも必ず故郷という自分の帰属する場所というものがあり、その場の環境で育ったことは今の自分の中において大きな意味を成しています。僕も引っ越しを何度か体験しましたが、その地ごとの思い出は今もはっきりと覚えていますし、その地ごとによって違いのある空気感というものも覚えています。様々な地で過ごしましたが、やはり1番落ち着くのは、10年間過ごした長野県の実家です。
ヒトには自分の帰属・所属する場所が必要なのだと改めて思います。これはマズローの欲求階層にも含まれており、人間の段階的欲求のうちの1つだそうです。今回の震災では1日のうちに根こぎ感というものが被災地の方々を覆い尽くしてしまいました。自分を自分とする根拠(=アイデンティティ)というものは、過去の自分と今の自分の連続性の自覚も重要であるので、やはり過去、つまり自分の帰属する場所が重要な意味を成すのだと感じました。よって震災によって帰属する場を奪われてしまった方々は、根こぎ感がずっと襲い、それを考えると震災がもたらしたものというのは計り知れないものだと思いました。どのようにアプローチしていくか、それはやはり自分と共に生きてきた地元のコミュニティーとの団結からだと思います。
私自身も地方から埼玉へ出てきて、一人暮らしをしているが、自分の故郷を愛しく思う気持ちが芽生えたのは(このような気持ちに気付いたともいえるが)、故郷を離れてからであった。今まで“あたりまえ”であったもの、例えば周りで飛び交う方言や身の回りの景色、人々の様子などが“あたりまえ”でなくなったことに気付いた時、ここでいう根こぎ感を感じたのである。“遠く離れてから気付く”とはこういうことを言うのだと痛感した。
しかし、約1年半新しい土地で暮らしてみると、新しい“あたりまえ”が自分の中で確立しているのだと気付いた。長期休暇中、帰省するときなどに、ふと気付くのである。
私は、故郷での“あたりまえ”も新しい土地での“あたりまえ”も両方愛しく思える。なぜならば、自分が生まれ育った場所への愛着があるのはもちろんであるが、今いる場所は自分が望んできた場所であるため、そこで生じた“あたりまえ”も苦ではないのである。
今回の震災の被災地の方の中には、突然“あたりまえ”を奪われてしまった方もいるだろう。その方たちが新しい生活の中で、確立していく“あたりまえ”を愛しく思えるようになるのか、疑問が残る。多くの方が、“あたりまえ”を取り戻せるように、新しい“あたりまえ”を受け入れられるようにすることが、日本の課題となるだろう。
私も地方から埼玉へ来てまだ3ヶ月程しかたっていないのですが、本当に自分は今までそこで生活していたのだろうか、家族は本当にそこに存在しているのだろうかなどと根っこを喪失したかのような気分に陥ることがあります。私は自ら故郷を離れたのですが、東日本大震災の被災者の方々の中には離れたくないのに故郷から離れなければならないという突然の喪失体験を余儀なくされている人がたくさんいらっしゃいます。そんな喪失体験の克服には、周りのサポートはもちろんですが、同郷の人々と共に新しい環境に慣れること、また考える暇もないくらいに何かに熱中することも有効ではないかと思いました。
僕は埼玉県在住で、通っていた小中高大全ての学校が埼玉県内にあったために「根こぎ感」とは縁がないはずである。それでも古い知り合いに会えると気分が高揚するくらいなのだから、人は皆多かれ少なかれ同じ「郷愁」のようなものを持っていると思う。
今回の震災被害によって地元の喪失を体験した人々のパーソナリティや「郷愁」を守るため、そしてその人々にとって「第二の故郷」と呼べるような心の安らぐ場所を作るために、復興事業のあり方をよく考えなければならないと思う。
私は実家が九州にあります。当然ですが埼玉とは環境が違っています。多くのことが私にとって「新しい」出会いとなって訪れました。
しかし、多くの「新しい」を感じることによって、同様に多くの「懐かしい」を感じることもできました。
7人だった家族から一転して一人暮らし。今まではいて当たり前だった親の存在を、いなくなった途端に大きく感じました。私は親に頼りきりだったなあと。
埼玉での生活をするうちに、私はもしかするとここでの生活に染まってしまうかもしれない。
しかし、私の心の奥に染みついた故郷への思い。これは消えてなくなることはないのではなかろうか?
この記事を読み、方言というものの良さは、忘れたくないと強く感じた。
喪失の体験を受容するにはプロセスがあるということを初めて知りました。
自分は何か大きなものを喪失するという経験なしに今まで生きてきました。むしろ正直、これからも何も失わないんじゃないかとも思っていました。
しかし、昨年3月11日、東日本大震災という私の中に衝撃が走る事件が起こりました。それから簡単に大切なものはなくなってしまうという可能性を感じました。そして自分の存在の小ささを実感しました。
だからこそ、今の被災者はすごく強いなと思います。小さい自分でもちゃんと自分を持っていればあそこまで強くいられるんだと学びました。私もしっかりと自分という根っこを持って、今のつらい不況にも闘っていけるように更にたくさんのことを学んでいきたいと思いました。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。