復興増税-復興の指針と具体策を先に示すべし
去る4月14日、政府は「復興に向けた指針策定のための復興構想について幅広く議論を行う」(首相官邸ホームページより)東日本大震災復興構想会議を立ち上げました。
第1回の会議の直後、この会議の議長は「復興税の創設」を早々と宣言しました。これを受けて政府は、復興財源を数年間の時限措置として「消費増税を軸に検討」し、「その後も税率を維持して社会保障費用に充てる」との意向を固めたとの報道がありました(4月16日朝日新聞朝刊)。
「復興構想の指針」と復興の具体策について、国民には何も提示しない段階から、増税路線だけを先走りさせるのはなぜなのでしょうか?
政府スポークスマンは、増税の議論を深める理由として、15日の記者会見では「復興に向けて巨額の資金が必要なのは共通認識」と強調しているようですが、残念ながら、私にはこのような「共通認識」はまったくありません。今のところ、「復興に名を借りた消費増税」以外には理解できません。
国民にあまねく復興のための税負担を求めるのであれば、最低限、次の条件を満たすべきです。
一つは、「どのような復興にするのか」についての基本指針と政策の具体性が提示された上で、増税を回避できない予算的根拠を明確にすることです。これは当たり前です。
もう一つは、これが事の本質ですが、政府の復興策であるという点についてです。一民間企業が被災して復興のためには大きな資金が必要だという、市場ベースの経営の議論ではありません。増税という新たな資源の移転を、公権力にもとづく強制によって担保する国民の社会的連帯が必要であるとすれば、復興の指針と具体策を貫く公共性がいかなるものかが問われざるを得ません。ここで、被災者や低所得層をひっくるめて不当な負担を強いる消費税の逆進性を正当化することはできないと考えます。
阪神・淡路大震災や雲仙普賢岳噴火災害からの「復興」では、自然災害という個人の努力や責任を越える不条理がさらに大きな不平等を招くという問題を克服することはできませんでした。このことは4月4日付のブログにも書きましたが、改めて過去の災害復興の教訓を噛みしめて考える必要があります。
近畿弁護士会連合会編『阪神・淡路大震災人権白書-高齢者・障害者・子ども・住宅』(明石書店、1996年)は、被災の現実と被災者からのヒアリングを含む調査をもとに、当時の被災者の人権保障がいかに不十分であったかを詳細に明らかにしています。
ここにあるさまざまな問題指摘を貫く公共性の原理は、被災者は被災していない者と同じ人権主体として、被災したか否かにかかわらず生存権や幸福追求権が対等平等に保障されてしかるべきだというものです。
たとえば、災害救助法は「救助の程度、方法及び期間」の中で、避難所は「災害発生の日から7日以内」を原則とする一時的なもので、応急仮設住宅は「災害発生の日から20日以内に着工」することを原則と定めています。
避難所はプライヴァシーの確保が難しく、伝染病の発生と流行が起きやすいことから、心身の不調を被災者に強います。そこで、避難所は「7日以内」を原則とし、速やかに仮設住宅に移行してもらうことが復興の初期段階では重要だとされています。
これらの法の定めは、阪神・淡路大震災の復興過程でほとんど機能しなかったという苦い教訓を持ちます。今回の東日本大震災では、これらの教訓が生かされることはなく、さらに大規模な機能不全を引き起こしているだけではないのでしょうか。
阪神・淡路大震災の時の避難所におけるインフルエンザの流行は、東日本大震災のノロ・ウィルスの流行に重なり、災害発生後1ヶ月余りたっても、避難所の雑居状態が継続する一方で、仮設住宅の建設は遅々として進んでいません。ここに市町村-県-国における意思疎通の不備を含め、かつての復興の問題点を重ね重ねて踏襲するだけの対応の延長線上に、まともな「復興構想」を期待することができるのでしょうか?
ここで、今回の震災規模はあまりにも大きく、「想定外」だったという言い訳に百歩譲ってみたとしましょう。それでも、この「言い訳」は対応が遅延することの理由にはなっても、被災者が「健康で文化的な生活」を保障されず、未来に向けた「幸福の追求」を尊厳をもって展望できない事態が継続している現実を正当化する理由にはなりません。
復興のための国民の社会的連帯を引き出すには、まずは被災者への社会的な保障を構成する原理原則を明らかにすることが必要不可欠です。増税は復興策を実現するための手段に過ぎません。この課題性は、大震災の復興がネットワークやアソシエーションのような市民社会による社会的連帯に解消されない性格をもつことを意味し、この間の公共広告機構(AC)の宣伝にも致命的に欠落している視点です。
阪神・淡路大震災をもって「ボランティア元年」という人が大勢います。私も、震災時の自主的な助け合いの意義をいささかたりとも貶める気はありません。が、震災という個人にとって不条理きわまりない偶然性によって生じる、被災者の生活と人生の不幸と不平等を是正するためには、国家の役割を抜きに構想することができないことは看過しえないことだと主張します。
被災者が復興策をめぐる意思決定に参画する仕組みを前提に、被災者への社会保障を柱に据えた国民全体の社会的連帯のあり方を明らかにする必要があるでしょう(拙著「地域福祉とボランティア活動」、『現代の地域福祉と障害者の発達保障』第1章、文理閣、2010年)。
このようにみてくると、阪神・淡路大震災のボランティア活動から引き出すべき教訓は、「ボランティア元年」としてネットワーク型の社会的連帯を強調することにはありません。「重要なのは、福祉国家と福祉社会のいずれか一方を排他的に強調することではなく、両者の適切な関係を問うこと」(齋藤純一編著『福祉国家/社会的連帯の理由』、5頁、ミネルヴァ書房、2004年)なのです。
偶然性による不平等は、自然災害の不条理にとどまるものではありません。どのような時代に、どのような社会に、どのような家庭に生まれ落ちたかなど、それぞれの人の生は、無数の偶然性の上に成り立っています。それは、個人の選択と責任によるものではないゆえに、これらの偶然性に伴う不平等を社会的連帯によって無効にし、克服していく努力をアマルティア・センは「福祉の自由」と呼びました(アマルティア・セン著『不平等の再検討-潜在能力と自由』、岩波書店、1999年)。
この考え方は、虐待に遭遇する子どもたちへの社会的支援策のあり方を考える際にも共通して重要です。これらの子どもたちは生まれる前に親を選択する術はありません。したがって、子どもの立場からは虐待は偶然性によるものだといえます。
虐待に遭遇した子どもが、児童相談所によって一時保護され、児童養護施設や里親のもとへ行くとします。ここで保障されるべき育ちと生活の質は、虐待のあるなしにかかわらず(=偶然性を無効にする)、すべての子どもたちに保障されるべきゆたかさを担保した水準でなければならず、それを実現するための社会的連帯のあり様が国民に問われるのです。
児童福祉法は、敗戦直後に制定された当時、一時保護所における子どもの保護期間を確か「3日以内を原則」としていたはずです。それがなしくずしで「3週間」にのび、今や一時保護所からの行き先が確保できないために「半年、一年は当たり前」となっている深刻な事態は、今回の震災復興における「避難所」と「仮設住宅」のお粗末な現実と通底しています。
復興構想会議は、怪しげな「有識者」や「マスコミ人」で構成するのではなく、被災者の参画保障を徹底し、災害という偶然性を無効にし克服するための復興の指針と具体策を明らかにするべきです。それが信実な検討と内容を持つのであれば、それは被災者にとどまらず、虐待に遭遇した子どもたち、障害のある人や高齢者への社会的支援策をも含む「21世紀型ベヴァリッジ・プラン」(4月4日ブログ参照)の策定となるはずです。
コメント
先生の仰る通り、私も復興税について疑問を感じざるを得ません。
昨日決定された復興構想7原則よりも1ヶ月ほど前に復興税の創設が既に挙げられており、「とりあえず」被災地を立て直すために資金が必要だろうから増税しようというぞんざいな意図があるのではないでしょうか。
希有な大災害に見舞われた時、政府が直ちに取るべき対応は、何としても出来る限り多くの生命を守ろうと努めることだと思います。ここではなりふり構っていられません。
生命の後に確保すべきは生活の安定です。
まず長期を見据えた堅固な計画を立てた上でそのための資金調達や政策を実施せねば、混乱や無駄を増やしかねません。
また、国民も詳しい実施理由のわからない政策には、必要性を理解できず反対するのは当然です。
逆に、筋の通った内容であれば被災者を救うため賛成するでしょう。
震災から2ヶ月が経った今、避難生活での環境の変化に耐え切れず、高齢の被災者達が次々と亡くなっていると言います。
そういった二次被害を引き起こさないためにも、政府は理路整然とした計画を立て、国民に理解を得、実行していくべきだと思いました。
自分は復興税というものには、賛成するが現在の日本では本当に被災地の復興のために使われるのか疑問である。
現在日本の政府は、莫大な負債をかかえており、財源では補えないためにこの税案が出されたが、このブログでもあったように過去の経験をいかして政府は、地震などの天災が多い国であるのに、なぜ天災対策財源を準備していなかったのだろうか。
ここに日本が先を見通す力がないところが伺える。
私は消費増税を軸とした復興税には賛同できない。
なぜなら、まず第一に先生も書かれていた通り集められたお金がどのように使われるかということがはっきりしないからだ。
そして第二に、震災によってこれから日本が不景気になるだろうという時に増税が不景気に拍車をかけることにならないだろうかと思うからである。こうなってしまっては復興どころか雇用も減り震災で職を失った方達をさらに苦しめるだけではないだろうか。
復興にお金がかかるというのはわかるがもっとそのお金がどのように使われるのかをはっきり示し、またお金の集め方は消費税増税だけではないのだから他の税とあわせて増税し、消費税増税の割合をもっと下げるなど消費税に偏らないやり方も検討してほしい。
自分は、復興税を作ることには賛成ですが、消費税の増税には反対です。消費税はいずれ税率を上げる必要があると思いますが、この時期に税率を上げても、さらに消費が落ち込んで、日本経済にますます悪い影響を与えかねないと思うからです。
とはいえ、復興にお金は必要であると思うので、国民が納得する形で復興税を創設し、そしてしっかりと復興のために使われることを願います。
私は、復興税に賛成の立場だが、具体的な復興の過程を示さずして税金だけを上げることは反対である。また仮に税金を上げたとして、それを被災者からにも税金を徴収することにも疑問が残る。
個人的な意見としては、東北地方を経済特区にするなどの増税以外の方法もあるので、増税だけにこだわった議論をするのではなく柔軟な思考で復興に対応すべきだと考える。
これからも日本では地震が起きることは明確なことであるからその場しのぎの政策ではなく長い眼で見た復興をおこなうことに大きな意味があると考える。
自分は復興税と称して消費税率を上げることに反対です。ですが、消費税率そのものを引き上げることには少なからず賛成です。
まず復興税として消費税率を上げることに反対する理由は、”復興”という響きの悪くない言葉を使って消費税をあげるやり方が気に食わないからです。確かに、今回の震災で主に東北地方が復興するまでには10年以上かかるかもしれません。しかし、復興したら消費税率が下がるわけでもないでしょう。それなのに復興税として税率を引き上げるのは筋が通らないと思うからです。
次に消費税率を上げることに賛成する理由は、日本に住んでいる人に将来に対する不安を持ってほしくないからです。そのために消費税率を上げて、福祉や年金制度を今よりも充実したものにしなければならないと思います。ですが、ただ消費税を引き上げただけでは逆進性を進めるだけなので、食料に対する消費税は今まで通りにするなど条件を付けることも必要だと思います。
今は集められた義援金を復興に役立つように使われることを願っています。
私も現在の政府や国の対応に反対です。消費税を上げることや先日実施された高速道路の週末割引の廃止などが、被災地復興の
ためになるのか疑問です。その理由は先生も仰られていたように財源の使い道の不明瞭さです。被災者への補償、社会資本の復旧など、どの分野にどのくらい必要なのかということを通知せず、ただ財源の確保を行っているだけのようにみえるのです。
もう一つの理由として、増税や高速道路の割引を廃止することで、景気の低迷に拍車がかかると思うからです。この夏の休みを利用して被災した県の観光施設に行き、被災地の消費活動の力に少しでもなりたいと思っている人もいたでしょう。高速道路の料金の値上げや消費税増税などは、こういった動きを止めてしまうのではないでしょうか。先生も仰っていたように、復興には地方自治体単位での対策が重要だと思います。だから被災県で消費活動をし、地方の財源を直接少しでも潤したほうがいいのではないかと思いました。
一つ気になった点が、先生が「想定外」という言葉を「言い訳」ととれえていたことです。私は「想定外」という言葉は、「想像もできない被害だった」という意味ではなく、「想像(想定)していたもの以上だった」という意味だと思います。そしてこの「想定」は政府や原発などの設計に関わった技術者の基準ではなく、国民の常識に基づいた基準だと思うのです。それは東京都がスーパー堤防を建設しようとした時に、建設に100年以上かかり莫大なお金がかかるのがおかしいという都民の声にも表れています。確かに「想定外」は言い訳になるとは思いますが、それを「言い訳」と一蹴するのではなくつっこんで議論する問題であると思います。この震災で国民の災害に対する意識というのは非常に高くなりました。これをきっかけに災害の「想定」も高くなることを望みます。
私も先生と同じく、根拠のない、東日本大震災に便乗した増税には絶対に反対です。税の負担が被災者や低所得者にもかかるからです。先生のおっしゃる通り、政府は復興の指針をまず示すべきだと思います。
避難所は「災害発生の日から7日以内」を原則とする一時的なものであり、応急仮設住宅は「災害発生の日から20日以内に着工」する、という「災害救助法」から、今回の東日本大震災でいかに生存権や幸福追求権が保障されていないかがわかりました。私が通っている大学のボランティア関連の授業では1995年をボランティア元年とし、学生たちも震災の表面だけを美化して覚えがちに思います。本来あるべき生存権や幸福追求権から考えると95年も今回もまだ成長していないのだと強く感じました。
今回のブログで東日本大震災を災害救助法という非常に根拠のある観点から伝えてくださって、改めて復興について考え直すことができました。いつも私たちが新しい視点で福祉を見ることを助けてくださる先生に感謝です。
僕は消費税を増税することに賛成です。理由は、国の問題はその国の国民全員が責任を持つべきだという、私情が僕にはあるからです。もちろん、国民にしっかりと納得のいく増税の理由の提示は必要だと思います。
日本は今、大量の借金を抱えています。その借金をこれ以上増やさないためにも、そして次世代の人々の負担を減らすためにも、増税は必要な措置だと思います。
復興税ですが、私は消費税のことを含め、賛成です。
具体策が提示されていない現状では増税に不安がるのは仕方のないことだと思います。
しかし、現在の日本は非常事態です。
これが平和な日常に浮き上がったひとつの問題ならば、「公権力にもとづく強制によって担保する国民の社会的連帯が必要であるとすれば、復興の指針と具体策を貫く公共性がいかなるものか」を問い、それが実現可能かを吟味した上で決定すればいいと思いますが、対処の遅れた復興は後遺症が大きくなるばかりです。
平時だけではなく、有事における政府の行動のあり方も理解する必要があると思います。
『復興に名を借りた消費増税』という思惑を持つ人やそうした見方を抱いている人はもちろんいると思いますが、それは政府に甘えている考え方だと思います。
仮にも政府は日本を統率する巨大な機関です。決して自分だけの願いを力に変換する場所ではありません。
当然内部にはさまざまな思惑が蠢いているでしょうから、細かい箇所を詰めるとなると個人にとってマイナスとなる政策も出るでしょうし、どうしても時間を必要とするでしょう。
「個人の力だけでは復興はできない、だから政府に任せよう」という考えの時点で政府に個人にとってのベストを求めるのは誤りです。
それに、消費増税は以前から幾度となく話題に上がっていました。
私としては「ようやくきたか」といった感じです。
もともと日本は税率の高い国ではありませんし、莫大な借金があります。
これを機に、個人に負担を求める社会から公共設備・保険環境・社会制度のしっかりとした社会を作ってくれたら、とさえ思います。
矛盾するようですが、もちろん復興へのプロセスとして専門家の意見や細かい采配は重要です。しかしそれにはまだ猶予がある、とも思います。
こうした迅速な対応が求められる場所では「これをしてから、あれをして……」ではなく、「これをしながらあれをして……」と、国民を含めて流動的に働くことが重要なのではないでしょうか?
消費税の増税は復興後も残るであろうものなので納得できません。また政府の「東日本大震災復興構想会議」にて宮城県知事は増税でなく災害対策税の創設を提案しています。これは消費税という、使い道の様々ではっきりとしないものより災害対策だと明らかにしているものなので、賛成の余地はありそうですが、全国からの義援金ですら被災地に全てが使われていない現状では信用に欠けるところです。新たな税金に頼るのでなく現在あるお金を適切に使い回して欲しいです。
私は復興税の導入には賛成です。しかし、それを消費税の増税によって行うことには反対です。被災地では家や職を失い、お金がない人が居ます。確かに、災害は偶然的な不幸ですが、その人達のために復興しようとしているのに、税金を取ろうとするのは復興ではないと思います。
また、その復興税の用途が示されていないのに税だけ導入しようとすることには私も納得がいきません。被災者の意見をふまえた上での指針が出されればと思います。
あと、政府とは関係ありませんが、赤十字社に集まっている募金はどのように使われているのか、ふと疑問に思いました。
私は消費税増税はやむなしと考えます。
最初は復興に使われながらもそのままなし崩し的に続いていくのは明白ですが、それでもこの国には多額の借金があります。それは最終的に今の子供たちにそのまま重責として重く圧し掛かるものです。
過剰なマスコミの煽りの影響もあってか、日本国民もやっと意識するようにはなりましたが、それでもどこか日本は大丈夫だろうと、根拠の全くない自信を持ち続けていることは愚の骨頂です。
ただ、消費税の増税を復興のためと定義するのであれば、宗澤先生のおっしゃる通り、明確な指針と、間違いのない使い道を国民に開示しなければ、みな納得することはないでしょう。
2010年になって、自民党だけでなく民主党までもが、消費税増税を言い出しました。マスコミでは「日本の財政再建の為には増税もやむなし」という議論一色となっており、世論調査でも半数程度の国民が「増税は仕方ない」と考えるまでになってきています。国は増税するというだけで詳しい内容を全く説明しようとしません。さらには、消費増税と社会保障の一体改革を巡り、菅政権は29日に「2015年度までに消費税率を10%に引き上げる」とした政府原案を修正する方針を固め、増税反対論が強い民主党の意向を受け入れ、「10年代半ばまでにおおむね10%」などの幅のある表現に変えました。増税時期や引き上げ幅はあいまいになり、政府原案に比べて増税が遠のく内容になっています。あれだけ増税に積極的な体制であったのにここにきてころっと体制が変わりました。もともと民主党に政権交替した時も民主党のマニフェストはただの肩書で鳩山首相の時は今後十年間は増税はしないと言っていたのにも拘らず、現在民主党、菅政権は増税を検討しています。最後まで己(党)の考えを貫き通せないのであれば初めから考えるなという話です。鳩山元首相は菅総理のことをペテン師だと言いましたが、まぎれもなく鳩山元首相も普天間基地移籍を掲げただけで逆に沖縄県民の怒りを募らせる形にしました。国民には知る権利があるわけですから増税するのであればきちんと国の代表が国民が納得できるように説明するべきです。
今回の震災と阪神・淡路大震災との大きな違いは、原発事故の有無である。政府は消費税の増税によって復興財源を確保しようとするが、この状況でそれはいいのだろうか。ただでさえ原発事故による電力不足により節電が徹底され、経済活動が鈍くなっているなか、消費税増税により消費が減りますます経済状況が悪化するのは目に見えています。経済状態が悪化すると復興が遅れてしまう。そのため消費税増税は絶対してはならない。この危機は公債で乗り切るしかない。
今回の震災は未曽有の規模であり、多くの被害をもたらしました。このような状況に陥ってしまった今、政府を中心として日本全体が復興へ向けて協力しなければなりません。これを受けて、国内だけでなく世界各国から温かい支援の手が差し伸べられています。しかし、こうして集められた物資や義援金などは被災地に迅速かつ平等に行き渡ることはなく、ある地域には物資が届くのに、他の地域には何もないというような状況が続いていました。これは、震災でもなんでもない、ほかならぬ人災によって引き起こされたのです。このような政府が、何のために、どのように、どれくらい使うのかも明確に示さず、国民の賛同も得ずに消費税を増税しようなど、言語道断です。政府は国民の声を、特に被災された方々の声をしっかりと聞き、それを受け止めたうえで、今何をすべきか検討し、復興に向けた建設的な政策を実行するべきです。
私は、復興のための消費税増税に賛成です。復興のために必要な数十兆円というもの莫大なお金が、900兆という財政赤字を抱える今の日本にはないので増税は仕方ないことだと思います。消費税を増税するということは、もちろん被災者の方の力も必要になります。震災で被害に遭ってさらに消費税も増税となれば、被災者の方にとってかなりのダメージでしょう。しかし政府が復興のための消費税増税について、被災者の方も含め国民に対してきちんと説明を行えば、国民は消費税増税を納得してくれるのではないでしょうか。今回の震災で政府の説明責任の無さが浮き彫りになりました。政府はこの説明責任の無さをしっかりと反省し、国民には必要な情報を開示して適切な説明を行ってほしいと思います。
私は消費税を増税すること自体はやむをえないことだと思うが、このタイミングで増税することには反対である。日本は世界でもトップレベルの財政赤字国であり、復興の財源の確保が難しいことは理解できるが、消費税の増税は被災者の負担を増やすことにもなる。しかも、未だに復興の指針がはっきりしていない状況で、復興のために増税すると言われても国民の不満が増大するだけである。政府が増税に踏み切る前にやるべきことはたくさんあると思う。
震災復興のために増税すると決定しても、その納められた税金をどのように遣うのか、どのような震災復興をしていこうと考えているのか、具体的に被災者や国民に提示しなければ消費税率を引き上げることに対する理解は得られないと考えられる。
消費税は経済的に困難な人も、子供から大人まで、また被災者も同様に支払わなければならない税金であるため、いくら震災復興のためという名目であっても私には納得がいかない。震災復興をするには、被災地の声を聞き入れ具体的な復興策を提示し、そしてその手段として増税という形をとる必要があると考える。
私は復興のための消費税増税は大いに賛成である。今は復興のために国民が協力して、努めていかなければならない。
しかし政府はこの使い道を明確に国民に説明する義務があると思うし、義援金も早急に配布を決め渡していかなければならないと思う。なのに今の国会は被災者のことなんか考えず、総理の辞任やら復興大臣の不適切発言やら何を考えてるか分からない。本当にがっかりである。
自分は消費税の増税には賛成です。日本の財政に財源がないのは明らかです。しかし、民主党は10兆円の財源を捻出できる。だから、消費税の増税はしばらくしないで大丈夫と言いました。
しかし、震災前から消費税の増税について議論がもちあがり、それが震災発生後、復興を名目に増税を宣言しました。
国の公債は莫大だが、税を上げないで済むと約束した政党を信じた国民への説明が復興のためだというのは虫が良すぎます。
民主党のマニフェストには情報公開法を改正して、国民の知る権利を明記する、とあります。
それなのに増税に対して使い道を示さないことに矛盾があります。
財政は急務の課題なので、多くの人は納得してますが、最低限のことはやってほしいです。
私は「復興のための増税」というものにある程度賛成していた。震災に便乗した増税という感じも初めはあったが、マスコミなどを通して震災の被害を表面的とはいえ見た立場として日本人全体で復興していくべきであると思ったからだ。しかし私は増税をすれば、必ず被災者の生活が保障されると思ってた。普通に考えたら、増税をする際には国民が具体的な使い道について知るべきなのだ。このブログを読み、私はどれほど政治というものに対して無関心であったのだろうかと気付いた。
私は、復興税を作ること事態はは賛成です。しかし、消費税の増税には反対であると考えます。なぜなら、今増税すると財布のひもが固くなり、日本経済が悪循環すると考えるからです。復興にお金は必要であると思うので、募金や基金を募り、そのお金が何に使われるか明確に提示し一日でも早い復興を願っております。
全面的にその通りだと感じました。増税に関しての反対はありませんが、やり方と説明不足に関しては納得がいきません。記事内でも説明されていたように、消費税は「所得の少ない人々」の負担が多くなる逆進性を持っています。それはつまり、被災者たちにとっても非常に重い負担となってのしかかることを意味しています。それにも拘わらず、「復興のため」と銘うってしまうのは、一種の詐欺性を感じざるを得ません。
また、復興への具体的なプランの提示も必要なのも間違いないでしょう。現在の国家予算のその内訳から、現状の財政ではどの程度の復興が望めるのか。また、増税した場合、その予算はどのように使い、どの程度の効果があり、復興後はどのように使うのか。テレビで見る「政策」や「表明」はいつだって具体性を持たず、専門性の高い言葉や、曖昧な言葉を用いています。増税をするなら、より深く考え、復興とその後の具体的なプランを提示してほしいと強く感じます。
私は復興財源を確保するための「復興税の創設」にはある程度賛成である。しかし、「復興税の創設」よりは先に復興に向けた具体的な復興計画を立てることが順番的に正しいことではないかと思う。復興に関する基本方針すら立ててない状態で増税の話が出るのは本末転倒な意見だと思うからだ。東日本大震災は東北地方に由来のない甚大な被害をもたらした。被害範囲が広いがゆえに明らかに巨額な復興資源が必要なことは誰でもわかることであるが、政府は国民に対してまずどのような復興作業をどのように行うかを具体的に提示し、からそれに伴って必要になってくる巨額の復興財源を補うための「復興税の創設」を議論すべきであると私は考える。
私は復興財源を確保するための「復興税の創設」にはある程度賛成である。しかし、「復興税の創設」よりは先に復興に向けた具体的な復興計画を立てることが順番的に正しいことではないかと思う。復興に関する基本方針すら立ててない状態で増税の話が出るのは本末転倒な意見だと思うからだ。東日本大震災は東北地方に由来のない甚大な被害をもたらした。被害範囲が広いがゆえに明らかに巨額な復興資源が必要なことは誰でもわかることであるが、政府は国民に対してまずどのような復興作業をどのように行うかを具体的に提示し、からそれに伴って必要になってくる巨額の復興財源を補うための「復興税の創設」を議論すべきであると私は考える。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。