巨大地震の恐怖と不安を乗り越えるために(2)
(2)「買い占め」?
地震発生から3日後ともなると、計画停電が関東全体を断続的に覆うようになり、首都圏ではガソリン・カップ麺・レトルトカレー・卵・牛乳・米等が購入できなくなりました。現在、ほぼすべてのガソリンスタンドは終日店を閉め、スーパーの商品棚からカップ麺・卵・牛乳・米等は消えています。
計画停電中の川越・蔵造りの街並み-計画停電によって不安はさらに高まった
複数のお店の人に伺うと、ガソリンについては元売りからの供給が震災2日後には普段の1割にまで落ち込んだこと、食料品については物流の混乱と東北地方からの物流の断絶に由来して商品の入荷がないということが、物資の不足を招いている原因です。ガソリンについては、スタンドに給油に行って満タンにする以上に買い溜めすることができないのです。
これだけの大規模災害に、国民は不安と恐怖感情が煽られているのですから、集団ヒステリー状態に陥って、カップ麺やレトルトカレーなどの非常食的な性格をもつ商品を買いに走ることは想定される事態であり、オイルショックやこれまでの震災時に繰り返し発生した現象に過ぎません。家族に責任をもつ立場の人が、スーパーの棚から日常的食料品が消えて空っぽの光景を前にしたら、誰だってうろたえるでしょう。
ここで、政府のスポークスマンは大衆に広まった苛立ちの成り立ちを理解することなく、「買占めをやめていただきたい、場合によっては強権を発動することもやむを得ないと考えている」とまでいうのです。
ここで、理性ある個人に期待することにはいささか無理があるし、実効的ではありません。石油製品と食料品における品目・地域ごとの供給見通しを、政府の責任で情報提供するべきです。
(3)福島第1原子力発電所
まず、報道の出発点となる定型句が「想定をはるかに上回る巨大地震による原発の事故ですから」と伝える点です。今の段階では、福島第1原発が直面する事態の収拾に全力を挙げなければならないことは当然ですが、女川原発や福島第2原発では重大な事態が回避されているのに、福島第1原発だけがなぜ「想定を上回る」のかは、やはり説明されません。この原発事故は巨大地震によるものだから、「やむを得ない事故であった」との受け止め方を、大衆に擦り込んでいるように思えます。
女川原発では、建設時に住民との話し合いによって過去の最大津波の2倍を想定し、海抜15mの土台の上に建設されたことや、福島第2原発はパックアップの装置・機材が発電所本体より陸側に設置されたていたことが、今回の震災に耐え抜く結果をもたらしました。
これに対し、福島第一原発は過去の津波の2倍である6メートルを想定し、海抜1メートルの高さに原発を建設し、バックアップの装置・機材も海側に設置したことが今回の事態を招いており、専門家からは2年前に地震に対する耐性が低すぎるとの指摘を受けていた事実があります。これらのことは、これまでも報道されてこなかったし、この期に及んではさらに全く伝えようとしません。
次に、刻一刻と深刻化する事態を正確な情報として国民に伝えようとしない傾向性が、東京電力と政府間の意志疎通の齟齬を含め(東京消防庁の屈折放水塔車による放水について、政府のスポークスマンは第1発電所で実施すると発表しておきながら、第3発電所で実施されることになっていた事実等)、国民の不安を拡大したことは間違いありません。
この点で、政府を通じて流される情報は、よくて現状とそれに対する「今ここで」の対処法の説明に終始し、今後の推移に想定される事態の説明が、国民サイドの備えや見通しにつながる情報としては、ほとんどまったくありませんでした。「政府が避難指示を出せばそれに従ってください」という国民サイドの同意を形成しようとしない強権的姿勢を変えないため、原発周辺の住民と自治体は政府に振り回される事態が続きました。
また、自衛隊と東京消防庁が第3発電所に放水を実施した時点から、原発敷地内モニタリングポストで計測される放射線量の数値データが全く発表されなくなっていることに、徹底的な不信感を覚えます。「減少傾向が続いている」という具体的な数値抜きの発表に変わっているのです。これはつまり、放水は成功したのだが、放射線量の減少は思うように進んでいない事態があるからこそ、このデータの発表をしなくなっているのではないかという不審を抱かざるをえません。
そこで、テレビ報道は福島第1原発の今後の推移について、勝手な予測を語り始めることになります。そこで用いられる定型句は、「最悪のシナリオを避けるために、とにかく水で冷却し続けなければなければなりません」が出てきます。ところが、この「最悪のシナリオ」とか「最悪の事態」が何であるかは一切説明されないのです。
すると、「最悪」という言葉だけが独り歩きしつつ、自衛隊は戦車まで投入するのですから、視聴者にはチェルノブイリのようなことが起こる可能性のある事象として受け止める風潮が発生するのです。
政府と報道機関には、原発に関するすべての情報開示を徹底し、その情報の意味と必要な対応に関する丁寧で分かりやすい説明を重ねる責任があります。
(4)政府からのメッセージ
さて、巨大地震の発生から一週間がたった3月18日の20時過ぎに、管首相は記者会見で国民へのメッセージを発表し、その直後に与野党からなる「救国内閣」の提案を野党に申し入れました。
このときのメッセージは、残念ながら、精神主義的な決意表明に過ぎないものでした。地震発生直後に発するメッセージならともかく、一週間がたち被害の規模と実態をある程度把握できた段階で、政府の代表が高校野球甲子園大会の「選手宣誓」のようなレベルのことをいうのはいかがなものでしょうか。
この段階では、国民に広がった不安と恐怖を正視し、現実的で具体的なメッセージを発する責任が政府にあると考えます。
この震災が発生するまでは、与野党が来年度予算をめぐる政争を繰り広げていたのに対し、震災の発生以降は、政府関係者の記者会見にみられる表情と発言が、さすがに引きしまったと感じられるようになりました。ところが、無内容な国民へのメッセージと「救国内閣」の提案から、一挙に馬脚が現れたように思います。
つまり、国会でなかなか通過させることのできない「予算関連法案」のためと、「社会保障と税の一体改革」を「社会保障と震災復旧と税の一体改革」の錦の御旗に強化してすげ替えるための政治的打算がみえみえで、さぞや白けた国民も多いことでしょう。
ここで、私は国民が連帯してこのたびの難局にあたるべきだとする考え方や、政治的利害を超えた救国内閣の組閣に異論を唱えるつもりがないことは明言しておきます。その方向性については積極的に支持します。
しかしながら、被災者や国民の生活現実を議論の出発点に据えることなく、政党政治に踏んで然るべき手順もないまま、なし崩し的に政局の主導権を握ろうとする浅はかな態度には批判的にならざるを得ないのです。自民党の谷垣総裁が「政策協議もないのに、ハイそうですかとは言えない」と閣内入閣を拒んだことは当然です。
「この難局に国民が強い意志をもって前進しよう」という首相のせっかくのメッセージは、結局、逆の事態に帰結したのではないでしょうか。
(5)ヘッジ・ファンドに「人道に対する罪」を
わが国の大災害を受け、為替市場では急激な円高が進み、10年ぶりとなるG7の協調介入が行われました。
巨大地震による甚大な経済的打撃を受けた国の通貨が高くなるのはなぜか。
その原因は、戦争や自然災害さえ巨利を得る千載一遇のチャンスとみて投機に走る、ヘッジファンド等の投資ファンドにあります。報道によれば、日本の保険会社の地震に伴う保険金の支払いや、メーカーの復旧資金として海外投資に振り向けられている資金を円に換えるために、円に対する需要が高まると相場を読んで、ヘッジファンドが円買いに走ったようです。
これらの投資ファンドは、国民国家の枠を超えた存在として、新自由主義に基づくグローバリズムの推進役を果たしてきました。この30年間ほどは世界各地でバブルを創出してはクラッシュを招き、国家的デフォルト(債務不履行)をも引き起こす諸悪の根源とみなされるようになりました。2008年のリーマンショック以降、国際的な規制を求める声が先進国にも高まってきましたが、いまだ有効な手立てはとられていません。
この間のグローバリズムの進展は、たとえばわが国で企業業績の回復やGDPベースの経済成長が確認されても、増大した富は国内に還流することなく、すべてが海外投資に振り向けられる構造をつくってきたのです(金子勝著『新・反グローバリズム』、2010年、岩波現代文庫)。
福祉国家の「持続可能な」存立条件は、経済成長が維持されていることと、経済成長に伴う富の増大が国内に還流していることにあり、わが国がこれらの条件を喪失してきた点が、社会保障・社会福祉の拡充を阻む財源面の桎梏となっています。国内に富が還流しないグローバリズムを与件とすると、社会保障・社会福祉の拡充には大衆増税しか道がなくなるため、「社会保障と税の一体改革」を言い出す輩が出てくるのです。
ここまでの展開でも十分に腹立たしいのに、震災時に困っている国の民衆を踏みにじるような投機まで行う行為は、もはや「人道に対する犯罪」といっていい。
「人道に対する罪」は、従来は戦争犯罪として、「一般人民に対する殺人・絶滅・奴隷的虐使・追放その他の非人道的行為、または政治的・人種的・宗教的理由に基づく迫害行為」(ニュルンベルク国際軍事裁判所条例)と規定されてきましたが、これはあくまでも20世紀の戦争現実をふまえた犯罪規定に過ぎません。グローバリズムがこの間、世界中の災厄と貧困を民衆にもたらしてきたことは明白ですから、今回のようなヘッジファンドの投機行為に対しては毅然とした対処ができるように、国際刑事裁判所の今日的な規定には「経済行為における人道に対する犯罪」を盛り込むべきだと考えます。
商いには人の道がある―これが、大阪商人の末裔である私の確信です。
コメント
同意します。
民主党政権における未曾有の津波・・・それは国家をも危機に脅かす脅威であったと思われます。
しかしながら、原発事故後の国の対応は、東京電力という一企業に一存する姿勢も感じ、あらゆる責任を放棄したかのように感じました。
結局おきてしまった原発事故・・・「絶対安全」
そう国民に信じさせた国家・・・果たして責任の所在は?
私は、福島第一原発の安全性について2年前に指摘があったことを知りませんでした。そのような報道はまったくされる気配もありませんね。
水の件も、本当に正しい情報がわからず、振り回されているように思います。
政府や自治体、メディアが「被災対応関する今後の見通しについての確実な情を報道に力を注ぐ」ことがあまり期待できない中、市民サイドがどのようにメディア・リテラシーを積極的に取り入れていけばよいのかとても悩ましいです。
どのような情報源ならば信頼できるのでしょうか。
私の近所の小売店も水の棚がからっぽでしたが、子どもをおんぶしている私を見てお店の人が「お水をお探しですか」とお店の奥からそっとペットボトルを2本持ってきてくださいました。商いには人の道がある・・・まさにその通りですね。
多くの人命が失われた大災害を商売のチャンスとする投資ファンドの行為が犯罪として対処できる日が一日も早く来るよう強く願います。
今回の福島原発問題において、僕も政府の対応に不満があります。一つ目は、もっと国民に対してリアルタイムに、偽りのない情報を提供して欲しいと言うことです。例え深刻な状況だとしても、隠蔽し曖昧にすることによりさらに国民は不安を覚えます。次に「想定外」では済まされないと言うことです。確かに今まで経験したことのないような災害で、大変かもしれないけれど、もっと国民に対してリーダーシップをとり、国民が納得のいくような情報を提供し、より国民が必要とする政府であって欲しいです。
私は、福島原発の近くではないが、福島県に家族が住んでいるのでいつも原発のニュースなどを注意深くみていましたし、今も見ています。
地震直後に原発事故のニュースを耳にしたときは本当に驚き、家族の安全が心配で仕方がありませんでした。そのとき、しばらくの間福島への電話が届きませんでした。すごく心配で1日中ずっとニュースだけを見ていましたが、そのとき問題はすぐ解決できるとテレビで色々な方がいっていました。そのときの発言はどうしても説得力がなく、ただ「我々を信じろ」といっている気がしました。
それで私は外国の著名なニュース番組や新聞などをみることにしました。それを見て思ったのは「日本は何か隠している」ということでした。外国のマスコミが大げさに言っている感じもなくはなかったのですが、何かワケありの大げさではないかと思いました。
不幸に原発事故は偉いことになっていました。外国のマスコミは確かに大げさであったが、6割程度の真実を含めていました。
私が今回のことで考えたのは、「日本はなぜ正しい情報を伝えなかったのか」です。こんなときこそ国民に正しい情報をより早く伝えるのが国民のためではないかと思います。パニックが起るのを防ぐためだとも言えるかも知れないが、今はインターネットの発達でいつでも外国からの情報が簡単に手に入ります。自国からではなく、ほかのルートを通じて接する国の危険というのがもっとパニックに落ちさせやすいことではないでしょうか。
今回のことをちゃんと反省し、これから同じことの繰り返しが絶対にないようにしてほしい。
私は宮城県の出身で地震の時も宮城県にいました。私の住んでいるところは内陸部でしたので家が数件崩れるなどはありましたが、外観はさほど変わりはありませんでした。
しかし、交通・水道・ガス・電気などをはじめすべてが停止していました。
そんな中私たちを困らせたのは情報(発信元がそのつもりかは別)だったり、古い情報で役に立たなかったり‥
私たちはどのようにすれば正しく役立つ情報を得られるか、そしてメディアは飛び交っている様々な情報をどのように管理するかを考えていかなければならないでしょう。
地震の後、被災地の人々に物資が行くようにするため、買いだめをしないように、というのはテレビで聞いて知っていた。しかし私自身、食べ物や飲み物、生活用品など買いだめをしてしまった。そのくせに被災地に物資がなかなか届かなくて困っているというのを報道で聞くと、かわいそう、何とかならないのか、などと思っていた。
自分は困らないようにと色々確保したうえで被災地のことを心配していることに違和感をもった。このとき「自分の利益が損なわれない範囲内でのみ、他者の幸せを願い応援する」という自分の中にある自己本位性に気づいた。
私は地震当時、実家の群馬にいました。買占めの状態はひどいものでした。食品はもちろんのように、ティッシュ、トイレットペーパーなどの生活必需品も店から姿を消しました。ガソリンに関しては、買占め状態から一週間後でも3時間を超える長蛇の列っとなっていました。いつ起こるかわからない巨大余震、終息をみせない原発事故。そんな中政府からは、控えろとの呼びかけのみ。また原発事故では、事実を隠ぺいした発表など、政府の反応として適切ではないと考えます。もっと迅速かつ適切な対処をしなければ、国民には不安感だけがつもり、予期せぬ二次災害など発生してしまう可能性も高いと考えられる。同じような過ちを今後しないよう政府に期待したい。
私は地震当日東京の実家の方にいました。当日は電車は止まり、帰路途中で足止めを喰らい途中のコンビニ等で食料を買い占める人々で溢れかえっていたのを今でも覚えています。自分は被災地からかなり離れていたこともあり、数日食べられないくらいで死ぬような体ではなかったので、そこまで、買占めをするようなことはしませんでしたが。また、その日から1~2週間はバイト先のコンビニ(新宿)にはスナック菓子から飲料まで微々たる在庫しかなかったのを覚えています。ただ、一つ言えるのはコンビニ弁当だけは大量に余り余って、一日に20個廃棄したこともあるほどでした。これには大変憤りを感じたのを覚えています。テレビのニュースでは「被災地の食糧支援が追いつかない」とキャスターが悲しげに喋る一方で、コンビニでは20個ものまだ食べることのできるお弁当が入荷されてくる。某コンビニ会社の運送路の問題かもしれませんが、そういうときほど、被災地に支援物資として、製造している食料品を被災地に送るべきであって、ほとんど被害のない関東地方の人間が買占めに走る(しかも買い占めた物は食べれず廃棄)物ではないと考えました。こういう時に真の人間としての理性、また思いやりの心が垣間見えてくるのかなと考えさせられた出来事でした。皆が皆、口をそろえて政府のやり方がマズイと言いますが、自分はそうだとは思いません。勿論政府が先陣切って活路を切り開くべきであった問題であることは確かですが、政府がいないと何もできない自分たちではないはずで、一日本人として、人間としての自覚を持って助け合いの精神を持って、相手を想い一個人でも何かができたのではないかと私は思います。今後、同じような事が起きても、自分を含めて、もっと人を想えるような一日本人であってほしいと願う次第です。
この震災において、計画停電に対して強い憤りを感じました。私の実家は茨城で寿司屋を営んでいるのですが、生ものを扱う仕事のためそれに対応した行動を取るしかありませんでした。そして、計画停電実施の時間になっても電気は止まらず、数十分後に、電力に余裕があったため中止になった、という旨の報道が流れました。私だけでなく同じように振り回されたひとも多数いると思います。あれだけ大規模に告知していたのだから、やるならやるというはっきりとした行動を取るべきだと思いました。
私は地震当時、福島の実家にいました。計画停電を実施された地方の人が福島県庁に「福島の原発のせいで計画停電にされた。どうしてくれるんだ。」といった電話をしたそうです。先生のブログを見て、確かに個人に理解してもらうのは難しいと改めて思いました。政府が情報をきちんと流してくれればこのようなことは起こらなかったのでしょう。メディアの伝える情報と政府の情報、口コミで伝わる情報と、かなりたくさんの情報が行き交っていますが、どの情報が正しいのか、信用できるのかをきちんと考えて行動しなければいけないと思いました。
二回目の書き込みをさせていただきます。この度の震災で、僕自身も情報に振り回され、チェーンメールを知らずに送ってしまうという非常に無知な行為をしました。確かに国民(僕自身も含めて)にこの状況で理性的な判断を求めるのは酷な話だと思います。このようなとき、政府の素早い情報公開、それに伴う具体的な説明や呼びかけ、などの政府のきちんとした対応が求められます。しかし、僕が思うに、菅首相やその内閣の閣僚に全責任を押し付けるのは、これはまた何か違うのではないかと思います。国民の理性的な判断は確かに無理な気もしますが、だからといって国民は無知な行動をとっていいのか。否、それぐらいのわきまえは普段から身につけておけばいいのです。つまり、僕が言いたいのは、このような震災は日本では起こり得ることなのですから、日常での避難訓練や、歴史的に重大であった地震についての周知徹底が最も必要だということです。次に地震が起きたときは、僕も含めて正しく素早い行動を取れればと思います。
私も東日本大震災を経験した者です。そのときはまだ高校二年生の時で地元の岩手にいたので大打撃を受けました。しかし私の場合は県北の内陸に住んでいたので特に津波などの影響はありませんでしたが、停電が何日か続き不便な生活でした。電気が使えないために、電化製品屋には長い列を作り、多くの人たちが電池式の携帯の充電器、懐中電灯、電池を買い占めていました。スーパーでも食品が大量に売れていました。ガソリンも満タンにしておこうとする人が多くガソリンスタンドも車の列を作っていました。このような事態が起きたのは誤った情報が流れたりしたことであると思います。だから私も政府には責任を持って情報を伝えてほしいです。
”正しい情報を提供する”これは私たち国民にとって政府に期待する重要な項目です。先生が書くように震災時の買い占めの件も、どれが足りなくてどれには影響がないのかを私たちがしっかりした情報を得ていれば、あんな大事にはならなかったかもしれません。私の家のコンビニでも、バックルームから食材を持ってくると、お客様の食材争奪戦でした。まだ陳列していないのに…
しかし、”正しい情報を提供する”というのも簡単ではないことは確かです。天気予報だって当たらないと文句を言われるし、今話題となっているアルジェリアの人質問題も、情報の信憑性に不安を感じて発表を渋っているのがわかります。
そこで、私たちにできることは”正しい情報を選び取れる目を養うこと”だと思います。これは情報化社会で生きるためにも必要です。政府に頼るだけではなく自分から情報を取りに行く、これからはそんな国民性が期待されるでしょう。
東日本大震災の買い占め騒動は非常に記憶に新しく、私もよく覚えている。私自身も、電池を求めてコンビニや薬局を梯子したり、食料品を買うためにスーパーに行ったりしたが、どの店も品薄状態であった。私の住む埼玉県は大きな揺れはあったものの津波の被害で交通網が長期にわたって遮断されるといったことは無かった。その埼玉県でも物流の件で大きな混乱に陥ったのだから、被災地での混乱は想像を超えるものだったに違いない。
ところで、先生の記事を読んで、円高と「持続可能な福祉国家」の関連性にとても興味を持った。日頃学部の授業で企業のグローバル化について学んでいるのだが、福祉社会を考える上ではグローバル化が決して最良の道でないことに気が付いた。しかし、日本の企業が世界で勝てず赤字をだし、日本経済に影響を与えていることも事実だ。福祉とグローバル化、両方の兼ね合いを今後も検討していかなければならない課題である。
この日私は,幸いにも受験が終わっていたために栃木の自宅にいた.しかし,二次試験前日だったため友人は全国へと散らばり,宮城県にいたという人もいた.泊まるところもなく,その土地の地理も何もわからなかったとき,地元の人が優しく接してくれたそうだ.自分たちが被災地にいるにもかかわらず.この話を聞いてなんて温かい人たちなのだろうと思った.
しかし,そんな中自分たちのことしか考えていない人がいることに憤りを感じた.東京に叔母が住んでいる.テレビで買占めをしている人が映った後,叔母の地元のスーパーでも買占め客が殺到したそうだ.その時叔母は体調が悪く,買い物に出られなかった.後から叔母の子どもが買い物に出かけたが何もない.どんなにスーパーを回っても何もない.食べ物が底をつきそうで私たちの家に食べ物を送ってくれないかと電話があった.まさか,東京に物資を送るなんて思ってもみなかったことであった.
あの時,テレビの記者が買占め客を放送しなかったらみな必要な分だけを買っていたのではないだろうか.
テレビ放送も必要ではあろうが,もっとこれを放送したらこのようなことが起こるかもしれないと予測して放送してほしいと実感した.
福島第1原発について正確な情報を隠蔽した東京電力と政府の対応に憤りと不安を感じた。情報が隠されていては自分の身を守ることができない。
今後このような事態が起きたときには正しい情報が迅速に私たち国民に与えられることを望む。
また、私は自分の原発についての無知さを痛感した。現在の状況を説明されても最初は何がどうなれば大変なのかピンとこなかった。
私たち国民自身もメディアから流される情報を受け取るだけではなく、自ら情報を求め、起こり得る危険を学んでおくべきだと考える。
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