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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

巨大地震の恐怖と不安を乗り越えるために(1)

 3月11日に発生したM9.0の巨大地震は、東北地方太平洋沿岸を中心に甚大な被害をもたらし、東日本全体に多大な混乱を招いています。被災地の皆さま方には、衷心よりお見舞い申し上げます。
 この地震と津波の発生以降、夥しい被害の実態、東京電力福島第一原子力発電所における「深刻な事態」の発生、計画停電の実施、石油製品と食料の不足など、さまざまな情報が洪水のように流されてきました。この間ずっと、私は疑問と苛立ちのないまぜになった心境にあって唖然としています。以下は、あくまでも被災地ではない住民の立場からの言説です。

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計画停電中の灯-自宅台所でのんびりと

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 まず、地震発生の当日のことの運びは次のようでした。

 その時、私は大学の研究室に居り、かなり大きな揺れが断続的に5分近く続きました。職場は耐震改修の済んだ建物で、研究室内の書架等の耐震工事もしていましたから大きな被害はありませんでした。しかし、自宅に戻ると建物被害はなかったものの、本棚から多くの書物が落ちた書斎の床は、足の踏み場もない惨憺たる状態でした。

 このように首都圏の大多数の人にとっては、かなり大きな揺れの体験がことの始まりです。この数十分後には、仙台から三陸海岸を襲う大津波をテレビがライヴで放送します。
 この後、首都圏のJR・私鉄は全面運休となったため、駅は途方にくれる人で溢れ、急遽、帰宅困難者の避難所があちらこちらに開設されることとなります。埼玉大学の体育館も、さいたま市桜区の帰宅困難者のための避難所となりました。

 夜になると、コスモ石油千葉製油所でときおりの爆発を伴う大規模火災が、津波で壊滅的な打撃を受けた気仙沼市では広範囲な市街地の火災がそれぞれ発生し、これらもテレビが実況放送で報道しています。

 この時点で、わが国の自然災害史上、ただならぬ事態が生じていることへの不安と恐怖感情を多くの人が共有することになりました。この大状況を作り出すことにもっとも大きな役割を果たしたのはテレビ報道であり、大津波が人や車を呑みこみながら木造家屋を押しつぶしていく様や大火災の映像を、阿鼻叫喚の「地獄絵」のように繰り返し放映した事実は、大衆的な不安と恐怖を臨界点に近い高原状態にまで押し上げました。

 さて、翌日以降です。

 テレビ局のクルーは、ヘリコプターなどを動員して被災地に入り、リアルな現地状況を伝えるようになりました。命からがら避難所に逃げ延びた被災者の人たちにインタヴューを試み、「水や食料がない」「毛布が足りない」「灯油やガソリンがない」等々の窮状を流します。ここまでは報道機関の役割として、今もっとも困っている人たちの立場から事実を速報する点で妥当性があります。

(1)テレビ報道
 ところが、インタヴュアーには被災者の人に向かって「この放送は政府や自衛隊の人にも届いているでしょうから、物資が来るまでもう少し頑張ってください」などと締めくくる定型句が現れ出しました。これが、最初の唖然です。

 未曾有の震災が関東から東北地方全体を襲い、町長以下の職員が多数行方不明になった岩手県大槌町をはじめ、自治体の機能は壊滅的な状況に陥り、通信機能は失われ、港・空港・道路・鉄道の物流に必要不可欠な交通のすべてが寸断されていることが分かっているのです。この状況下で、テレビ局の連中は、一体何を根拠に「もう少し頑張ってください」と「励ましている」のでしょうか?

 被災当事者が「頑張ろう」と自らを鼓舞して発言することと、個人としての第三者が「頑張ってください」と励ますことと、マスコミが「頑張ってください」ということは、それぞれの意味を異にします。

 被災者の「頑張ろう」には「震災にくじけまい」とする被災者の自らに課した責任が、個人としての第三者の「頑張ろう」には被災者とパーソナルな間柄にあって「他者としてできることは応援する」などの共に生きようとする者としての責任が、それぞれの発言に伴います。
 これに対し、マスコミは、責任をもって「政府や自衛隊に声を届けた」のではないのですから、少し待てば応援が来る保障はどこにもありません。その被災地への物資供給を担当する行政職員か自衛隊員がたまたまその放送を見ていれば別でしょうが、そこまで情報がたどりつくシステムに責任を負っているのではありません。マスコミの情報伝達力に過剰な自信をもっているか、さもなければ「私たちもできる限りのことをしているのです」というイノセントな振る舞いを演じているかのいずれかしかないでしょう。

 このようなインタヴューしかできないマスコミが「頑張ろう東北、頑張ろう日本」などという定型句を番組の節目ごとに流すのですから、テレビは「危機耐性」を喪失し、「凋落したメディア」(内田樹『街場のメディア論』、2010年、光文社新書)だというほかありません。

 阪神・淡路大震災で人生のすべて(家族・資産等)を失った初老の女性が、深刻なうつ状態に陥っていました。その女性を診察した私の友人の精神科医が、「このような場合、患者さんを決して励ましてはならないんだよ」と振り返っていたことを私は想起します。
 アルベール・カミユの小説『ペスト』にもあるように、突然襲ってきた災厄は個人とっては不条理そのものであり、渦中にある人々の受けとめ方の多様な不条理を想像しようとしない報道機関のインタヴューには憤りを感じます。

 戦争と並んで災害は、平時とは異なる不測の事態と混乱が市民を襲いますから、情報に対するニーズが著しく高まります。ここに、あらゆる情報メディアに存在価値と市場の増大が発生するだけでなく、映像情報はとくにリアルな速報性にとどまらず、映像放映の繰り返しによって、災害に伴う恐怖と不安を「迅速に、そして大規模に、世界中の人々に共有される」ように方向づける役割を果たします(姜尚中・森達也著『戦争の世紀を越えて』、2010年、集英社文庫)。

 それは、9.11のツインタワーに旅客機が突っ込む映像反復のもたらした効果として実証済みのことで、アメリカをして根拠のないイラク戦争へと駆り立てる集団ヒステリー状態を作り出したのです。この事実を頭のいいテレビ局の連中が知らない筈はありません。

 災害時の報道について、市民サイドにはメディア・リテラシーを積極的に取り入れることが、メディアには悲惨な事実だけでなく被災対応に関する今後の見通しについての確実な情報の報道に力を注ぐことが、非常時の恐怖と不安を軽減するためには必要不可欠です。

 


コメント


私は震災時に福島の実家にいましたが、私も先生が仰ったようなマスコミへのいら立ちを感じていました。
特に翌日からのヘリを使った活動に対しては強い不快感を覚えました。マスコミのヘリが被災地上空を飛び、陸の孤島と化した小学校などの避難所を見つける。マスコミは「あそこで助けを求めてる方たちがいます!かなりの人数です!」などと視聴者に生中継し、去ってゆく。なにがしたかったのか。
必死にSOSを送った避難所の人たちの中には、救助目的じゃないマスコミのヘリと知らず、助けて貰えなかったと絶望し亡くなってしまう高齢者の例さえあったと聞きます。
見てる方も画面の中の避難所をみても何もできずもどかしさが募る。阪神淡路大震災の時は自衛隊の救助ヘリの邪魔にもなる事がありました。
そんなことをどのチャンネルでもやってました。
マスコミは情報のプロなんですからもっと被災者や視聴者のためになる報道をして欲しかったです。

ひとつになろう!と言っている割に各放送局の連携は見られなかったように思えます。各放送局で連携し、なるべく同じ時間の放送内容が被らないように(一方では安否確認情報、一方では国の対応、他は現地のニーズや支援方法など)、視聴者が情報を選択できるようにする・・といった事をするといいのではと考えてました。


投稿者: ふるもふ | 2011年06月24日 22:50

 3・11後、マスコミに対する批判はさまざまなところから沸き起こりました。アナウンサーの失言、根拠のない激励、一躍有名になったACのCMがしつこいということまでです。
 テレビ報道をはじめとするメディアの役割は、情報を正確に迅速に視聴者へ伝えることです。しかしこの大規模災害において、その役割を確実に果たしたといえるテレビ局は少数でした。例えば、被災者に惨い質問を投げかけ答えさせるという所謂「お涙ちょうだい」のインタビューをして視聴率を上げようとしたり、無意味に視聴者の不安を煽るような報道をしたり…… 。
 しかしそのいっぽうで、視聴者の間でそういった報道への批判が高まったことも事実です。信頼性の薄い報道をしたり、不安を煽るような報道をしたりしたテレビ局の視聴率は、震災後一時的でこそありましたが低下しました。さらにNHKのニュース番組の信頼性が高いとされ、視聴率の急上昇がみられました。それまでテレビ局の報道を受け取るだけだった視聴者が、自分にとって適切な番組を主体的に選択するということを始めたのです。
 このように、適切でないテレビ報道が視聴者のメディアリテラシーの能力を向上させたともいえるでしょう。


投稿者: えぼしどり | 2011年06月25日 20:16

 私はメディアに対して反感を感じることはありませんでした。むしろメディアが募る不安を和らげてもくれました。
 私は岩手で被災し、数日間に及ぶ停電生活を強いられました。現代という電気に頼り切った日常からふいに電気が消え去ってしまうと、日が暮れてゆくたびにとてつもない不安感や虚無感に襲われることを、私は肌で実感しました。
 その中で、暗闇でなるラジオがそれらを和らげてくれました。流れてくる情報は不安に感じるものばかりでしたが、それでも節目節目に言う「揺れは必ずおさまります。安心してください。頑張ってください。」という言葉にとても励まされました。
 この記事を読んで「頑張ろう日本、頑張ろう東北」をただの戯言のように受け止めていた人がいたということに、少し失望しています。


投稿者: mon | 2011年06月30日 13:58

 私もヘリコプターを飛ばして、津波によって生じた被害状況を上から撮影したり、被害者の元へ行き、インタビューだけしかしないメディアに対し、激しい憤りを感じました。せっかくヘリコプターを使うなら、津波によって流された人を探したり、衣類を届けたり、食糧品を届けることに使えば良かったのにと思っていました。メディアのヘリコプターがあれば、どれだけの人を助けられたのかと思うとさらに憤りを感じます。


投稿者: mine | 2011年06月30日 20:48

 私も今回の大震災においてのマスコミの態度には憤りを感じました。
 原発に関していえば福島第一原発における東電の失態のみを強調する内容や、原発が危機的状況にあることや、政府の対応の遅さを報道したりなど、人々の不安をあおるような内容が多かったような気がします。
 マスコミは自分たちの持つ影響力を今一度考えなおし、本当に人々が求めている情報はなんなのか熟考する必要があると感じました。


投稿者: ヒイロ | 2011年07月01日 00:14

 災害が起こるたびに湧き上がるマスコミへの批判。一部過剰な演出を除いては、私はおおよそ今回の報道については良かったのではないかと感じています。
 私個人があまり情報端末を見ないことにも原因はあるかもしれませんが、多少の不安を煽ることは必要であるとさえ感じています。報道を見ていて、大変だなと思い、頑張れと応援し、被災者の気持ちを考えながらも、やはりどこか対岸の火事でした。計画停電の影響で、夜に明かり一つなく過ごしたときにやっとハッキリ今回の震災の規模の実感しました。
 人間とは基本的に愚かな生き物であり、相手の気持ちを考えることはできても、完全に相手の思っている感情など自分が実際に体験でもしなければわからないものです。実際、関東と関西の震災への対応の違いや市民の反応を見れば、一目瞭然です。計画停電という形で一部とはいえ実体験をした関東の若者と、基本的に経済のような不透明な経験しかしていない若者のモラルの違い。これは誰が見ても痛烈な差が生み出されています。
 そういった意味でも今回政府が後手に回っている状態であっても、前線で多少不格好でも現場の状態を大多数に発信したマスコミの努力は称賛こそされても、言葉尻をとらえて、一方的に批判ばかりする批評家気どりはどうかと思います。
 もちろん、私だってマスコミのすべてを肯定しているわけではありません。コメントにも載っていましたが、いつだって人命をとるべきか、情報を多くの人間に伝えるかは、現場の人間だってその葛藤の中戦っています。
 ただトリアージは必要です。一人の人間の生命と多くの人間の今後の支えの確保、人命がかかっている以上見捨てなければならないこともあるかも知れません。その葛藤の中戦っているのです。
 マスコミが宗澤先生の言うことを気にしすぎて報道をしり込みし、私たちに情報が伝わりにくい状態であったとしたら、今回の被災に対する支援の手も伸び悩んでいたかもということを考えるだけでぞっとします。


投稿者: 埼大の観察処分者 | 2011年07月01日 13:18

 3月11日、今までで一番大きな地震を経験しました。私は学校に向かう途中で地震にあい、JRが止まってしまったので、何とか家にたどり着いたのは深夜1時前でした。帰宅しテレビを見て初めて大津波による多大な被害が出ていることを知りました。
 私は今回のマスコミ報道について、先生がおっしゃるように適切ではなかった部分もあるかもしれませんが、一方でプラスになった面もあるのではないかと考えます。確かに、翌日から早速現場の状況確認やインタビューに向かい、何も支援できない状態でただ悲惨さだけを伝えたり被災者を励ましたりしたことはやや無責任だったかもしれません。テレビ局はスポンサーがついていたり金銭面で多大な力を持っているでしょうから、ただ報道するよりも先に何かしらの支援ができたのではないかと思います。
 また、今では「頑張ろう日本!」という言葉がうたい文句のようになってしまっていて、どの番組でも(まったく関係のない内容でも)その言葉が多用されているのにもやや不快を感じます。
 しかし、私は今回マスコミの報道からたくさんの情報を得、ためになったことがたくさんあるのも事実です。映像から津波の恐ろしさを知り、自然の恐ろしさを思い知らされました。もし映像がなければ、被災した方以外の人々は津波の恐怖を知らないまままた同じ惨事に巻き込まれてしまうかもしれません。
 そして、テレビではたくさんの義援金を呼びかけていました。それを見て私も、微力ながら自分なりの形で寄付させていただきました。また芸能人が義援金を募ったり、炊きだしや被災者を励ましに行ったりというニュースも多く流れました。それを見て、それまで「自分には関係ない」と思っていた人が影響を受け、動き出したということもあったかもしれません。
 確かに最近のメディア報道は無責任・過剰なところがあると思いますが。プラスになる面もあるのですから、メディア(マスコミ)の特権を良い方向に活かしていってほしいと思います。


投稿者: NM | 2011年07月03日 06:45

3月11日に発生した大地震と大津波はたくさんの命を奪いました。先生のおっしゃるとおり私も震災時のマスコミのただ状況を伝えるだけという対応にもどかしさを感じました。しかし、マスコミの人々も救助したいという気持ちはあったのだと思います。やはり、救助となると訓練を積んだエキスパートが必要ですから、そういった点で救助したくてもできなかったのだと思います。メディアを使って避難した人の安否情報を発信している場面も私は見ました。そのような計らいは非常に有効だと思いました。また、被災地の方々への励ましの声を送ることには私も疑問を持っています。「頑張って」と被災地の人々に送っても「とっくに頑張っている」という声が返ってくると思います。だからと言って、物資だけ送るのもいい加減な対応なので望ましくありません。私たちは発言や行動に細心の注意を払ってこの問題に取り組まなければならないと思いました。


投稿者: DJしんちゃん | 2011年07月05日 18:29

 震災から四カ月が経とうとしている。仮設住宅も整備されある程度の復興の目途が立ったようにも思われる。しかし孤独死や風評被害による自殺、衛生面の問題が起きているためまだまだ復興の目途が立ったとは言えない。
 マスコミの報道はどうであろうか。震災が起きた当初は津波の被害を中心に扱い被害の悲惨さを知らせるものであったが、原発問題が起きると政府の対応への批判や、放射線の危険性の報道が中心となっている。現在は著名人やスポーツ選手が被災地を訪問した時だけ過剰に報道されている。
 だが報道されるだけ良いのかもしれない。液状化による罹災証明書をめぐる地方公共団体や保険会社との対立、風評被害といった報道は忘れ去られたかのように扱われなくなってきている。この人たちも津波や原発問題により居住地を奪われた人たちと同様の被災者なのである。
 私たちは偏った報道をしているマスコミに惑わされることなく「日本」の復興のために必要なことを考えて行動していく必要がある。


投稿者: タロ | 2011年07月06日 19:06

 2万人以上の死者行方不明者を出した東日本大震災から約4カ月。日々のニュースで原発についての危険性が騒がれているが、報道は原発や政府の対応への不満ばかり取り上げている気がしてならない。
 たしかに、今後の日本の為にも政府の対応に関心が強いのも、原発事故による放射線物質が及ぼす人体の影響などの情報は非常に重要なのは重々承知だ。しかし、被災者の方々は今どのような生活を強いられているのか、支援や復興はどのくらい不足しているのか、このような情報も今の日本にはとても重要なのではないか。
 大震災直後、報道陣は一気に被災者の安否確認の手助けや現場の情報を全国に伝えた。この対応力の高さは、日本の誇れるところだと思う。
 しかし、それが裏目に出てしまった事柄があったことを忘れてはいけない。支援物資や援助に地域格差が出てしまったことがそのひとつである。それにより、報道陣がいけない(孤立)してしまった地域は尚更支援が行きとどかず、反対に報道陣がいけた地域は支援物資などが余ってしまう事態が起きた。これは国民が情報を鵜呑みにしてしまった結果ではないだろうか。
 被災者の方々は、私達が普通の日常を過ごしているこの瞬間も、言葉にならないような大きな苦労を抱えている。私達はこのことを決して忘れてはいけない。日々流れている情報に埋もれてしまっている現状もあるのだということを頭において、情報に惑わされない意思をもって私達は大震災から復興しなければならないと思う。


投稿者: ポン輔 | 2011年07月07日 01:36

 マスコミの仕事は「国民の必要としている情報」を伝えることだと思います。しかし、今回の震災においてマスコミが執拗に被災者にインタビューをしたり、犠牲者と遺族の対面に同行する様をさもドキュメントのように放映する態度には愕然としました。悲壮な表情をされている被災者方に心境をきく姿勢にはただただ苛立ちが募りました。他にも、原発問題についてわざわざ国民の不安を煽るように、報道フロアで専門家と議論を交わし続けたりと「わたしの本当に必要としている情報」というものをわかっていないような気がしました。
 マスコミはまるでヒトの感情をもたない塊なのではないのしょうか。マスコミと呼ばれる側にいるヒトもわたしたちと同じ、被災者と同じ、一人の人間なのです。心というものがあるのです。視聴率や食いつき目あてのような行動に走らずに、この日本が傷ついている今だからこそ姿勢を正していく必要があるのではないでしょうか。
 しかし実際わたしたちはそのマスコミから情報を多大に得ているということも事実です。そして繋がっているのです。その繋がりがあるからこそ、正論自論も含めて、一人一人があり方をといていくことも必要ではないでしょうか。


投稿者: 棒君 | 2011年07月08日 02:44

 このコメント欄にいくつかあるように、私も報道のヘリの活動について憤りを感じていました。もしあのヘリで物資の運送や被災者の救助をすれば、助かる人はもっといたのではないかと思ってしまいます。もちろん救助等はそんなに簡単にできるものではなく、マスコミができなくても仕方ないのかもしれません。しかし、それでもあのヘリで何かできたのではないかと思わずにはいられません。

 また、私が疑問に思ったことに、震災直後の報道と現在の報道の「差」というものがあります。震災直後はあんなに悲惨な映像ばかり流していたのに、現在では復興のことや明るい未来の話が多いように思えます。原発の話題でさえ、あまり深刻に扱われていません。少なくとも、震災当初のような緊張感は欠けてしまっています。
 明るい話をすることはいいことだと思います。でも、現在も辛い状況にいる人は多いはずで、その事実から目を逸らすのはどうかと思います。それに、明るい話ばかりされると、どうしてもあの悲惨な光景を忘れてしまいそうになります。
 未来に目を向けつつ震災の被害のことも決して忘れないような、偏向のない報道がされることを望みます。

 最後に少し話が変わってしまいますが、東京では地震が起こる直前に緊急地震速報が流れていたことを知っている人が少なくて意外でした。あの速報がもっと多くの人に深刻に捉えられていたら、結果はまた違ったのではないかと思います。


投稿者: ジョン | 2011年07月10日 22:45

 今回の震災時、私は実家がある茨城にいました。
 当時母と車で移動中だった私は、突然の強い揺れと建物から人が飛び出してくる様子を母と手を繋ぎながら見ていました。揺れが収まると、道路の周りの塀や瓦は倒れ、崩れ落ちたり、道路も陥没していたりと酷い有様でした。
 夜も停電でテレビが使えず、唯一の情報源は市が流すラジオか、自分の携帯からみるツイッターだけでした。
 朝になるといつ開くかわからないスーパーに長蛇の列ができ、食糧を得ようと必死な人々が集まりました。水も電気もガスも使えません。
 最初はこの状況もすぐに収まるだろうと思っていました。でも3日たっても電気がつかない。携帯も電波塔の電気がなくなったのか圏外のまま。
 車のテレビでニュースを見ると東北の悲惨な様子が流れていました。でも茨城については何も報道されていないのです。

 茨城は47都道府県の中で唯一ローカルTV局を持たない県です。なので茨城は被害の状況を伝えられない。
 県全体としての状況すらわからないまま、ライフラインも回復しない。
 数日すると自衛隊の方々が水の配給に来てくれましたが、たった10ℓの水をもらうのに朝から8時間以上は立ちっぱなしです。
 小さなポット1つに水をもらうためにずっと並んでいる夫婦がいたと親が話していました。杖をついたおばあさんもいたと言ってました。
 そんな状況なのに茨城は被害が小さいと報道されなかったのです。

 東北の状況に関しては映像も早く、被害状況も報道されていてマスコミの情報力はすごいと思いました。
 でもヘリの音が救助の邪魔になっていたとか、お涙頂戴のインタビューには呆れつつも、報道されているだけいいのです。
全国の人がそれを知って何とかしようとしてくれるのですから。 関東にありながら、何の報道もされない茨城。
 この時、いかにマスコミの力に頼って生きていたか知りました。
 賛否両論含めて多くの人々に多大な影響力を与えるマスコミの力。
 後半は定型句と化した「頑張れ」の言葉にも嫌気がさしましたが、そういった刷り込み力も含めて、私たちはマスコミをもっと自発的に利用していかなければならないと思います。
 そこで、先生が仰ったように「凋落したメディア」を視聴者側がどのように賢く利用していくかが今後の課題になるのだろうと思います。


投稿者: 朔楽 | 2011年07月11日 15:29

被災当時、私の叔父(叔父といっても、それほど年)も被災地に単身赴任しており、予期せぬ大災害に、遠方の私たちでさえあたふたと混乱してしまったのだから、被災者本人の動揺は計り知れないものだったであろう(幸い叔父は避難し、怪我一つ無かったが)。
事態がある程度収まった後に、叔父に直接話を聞いてみたことがある。
先ほどまで普通の生活を行っていたこの空間が、瞬く間に廃墟のごとく崩壊してしまう惨状は聞くに耐えられなかった。
しかし、それ以上に、叔父がポツリと呟いた一言が、妙に引っかかった。

「正直、"周り"からは、野次馬根性的な目線を感じる。」

あれほど大きな災害を被った直後なのだから、そのことについてあまり深く言及することはできなかったが、"周り"というのは、恐らく災害を被っていない、我々被災者以外の者、そして被災地の状況を使える役割を担っているメディアのことではなかろうか。

確かにメディアは、被災地の近況、実情を伝えるという大義名分のもと、被災者へのインタビュー、上空からの撮影などに尽力していたようである。
しかし、我々素人の目から見ても、"土足"感が否めないな、という感もあった。
ついこの間、肉体的、精神的に大きな被害を被った被災者に対して、踏み込みすぎではないか?と思ってしまうほどの執拗な尋問。救助活動の妨げになるから自重して欲しいという声があるにも関わらず、鳴り止まない上空撮影用のヘリの音。
そしてどれもこれも二言目には「被災地の方々、頑張って」という内容が付随した広告。
そしてそれらの報道、広告に煽動されて、「頑張って」と、まるで応援団であるかのように声援を送り、励ました"つもり"になっている我々被災者以外の人間達。

考えてみれば報道、奨励、応援。これらの行為全てが「第三者的」行為である。つまりこれらの事を行っている以上、「応援はするけれど、あくまで他人事ですからね」と認めているも同然なのである。それは、被災者の方々の目線から観てみれば、"面白いもの見たさ"で、たまたま空港に現れた有名人に群がっているような「野次馬」達となんら変わりは無いのかもしれない。

では、どうすれば良いのか。持論としては、被災地、被災者のことを口にする以上、自分が今まさに被災した立場にあるという前提を課し、同じ被災者に何を伝えなければいけないのか、何をしてあげられるか、をよく吟味して発言、発信していく必要性があるように思われる。それができない場合、「何もしない」方が、むしろ良いのではないのだろうか。
被災していない以上、第三者の立場からは逃れられない。しかし、第三者としての受動的なスタンスを変えることはできるのではないだろうか。


投稿者: てふすけ | 2011年07月11日 23:44

被災者を励ますことは控えるべきというのが私の意見だ。
マスコミで、「応援のメッセージ」を掲載しているものがよく見られたが、
私が小学生のころの担任教師は、「『かわいそう』は絶対に言うな、それは『かわいそうな状態』に陥っていない側からの言葉であり、『自分はそうでなくてよかった』と言っているようでしかない。」と言っていて、まさにそれと変わらない。
我々は無意識に他人を貶め、傷つけていると自覚するべきだ。


投稿者: KAKOD | 2011年07月12日 00:09

今回の大震災において、国民の不安をあおるような報道ばかりしていたマスコミに異をとなえたいと思いました。
福島第一原発における東電の失態を強調したり、政府の対応の遅さを報道したり、放射能の問題について国民になじみのうすい専門用語を使ったりとマスコミの対応は人々の不安をやたらにあおる傾向にあったと思います。
マスコミの役割はなんなのかを再確認し、国民にプラスになるような報道をしてほしいと思いました。


投稿者: zokki | 2012年01月24日 13:25

震災のときのテレビ報道は、火災や津波で大きな被害を受けた場所など、派手に見えるものを繰り返し報道し、避難所にある避難者名簿などの報道はごく少量で、報道の必要性に疑問を持ちました。インタビュアーは、悲しくさせたいかのような発言が目立ち、テレビ的にいい画を撮ろうとしているようにしか感じられず、見ていて焦りを生ませるだけでした。もっと詳細な現状がわかる報道、安否確認にも役立つ報道をすべきだと思います。


投稿者: オロビアンコ | 2012年01月25日 11:41

マスコミの仕事は情報をより速く、正確に伝えることです。経営の問題上、国民が興味を持つように番組を仕上げることは不可避ではあるだろうが、この3月の震災の報道でもその様なシーンが多く見られました。震災により家族を失った方を取材して、それをまるで小説かのように書いた新聞記事さえありました。この様な非常事態になれば、人々が買い占めをするのは理解できるが、マスコミは冷静な行動を呼びかけるのではなく、逆にそれを煽るような報道もしていました。
この様な震災時には、マスコミは国民が必要としている情報を報道して正確な情報をより迅速に伝えることに尽力をするべきです。


投稿者: タコライス | 2012年01月25日 12:38

私は地震当時、サークルの合宿中で秩父にいたため、自宅に帰ったのは地震の2日後であった。普段ツイッターでコミュニケーションをとったり情報収集をすることが多いため、テレビ報道と共に、ツイッターを中心にネットでも地震報道を見ていたが、その内容の違いに困惑した。

テレビ報道で「頑張ろう」「募金を」と延々と呼びかけている間に、ネットでは物資支援の募集や送付方法、また現地の状況がリアルタイムで流れていた。4月や5月になると、ネットでは1か月前に流れていた情報が、ようやくテレビで報道されるようになった。千葉県や茨城県の被災状況などもその例である。

ネットの情報が全て正しいとは言わないが、この震災で改めて、テレビ報道の情報が偏ったものであることという認識も持った。受身の情報収集は、誤った情報をもうのみにしてしまう危険性があることを実感した。


投稿者: 豆 | 2012年01月25日 14:21

私はメディアから発信される情報を見極めることが重要と考えます。震災の際、また地震が起こるといううわさや原発からもれる放射能の影響など確メディアごとにさまざまな情報が流れました。なにが正しくてなにが間違っているかということを自分なりの考えを持っておくことが非常に大切だと感じました。


投稿者: をぐ | 2012年01月25日 14:21

3・11から1年と4か月が過ぎた今日、この記事を拝読してあの日の事を思い出しました。当日私は都内に居り、埼玉県南部にある家までは電車で精々45分程度で帰れる距離でしたが交通の麻痺から帰ることは出来ず、父とも連絡が取れないまま、母と一緒に歩いて帰ることを決めました。6時間かけて自宅にたどり着き、家の中の被害は軽微なものでしたが、停電・断水でまったく状況がつかめないまま翌朝を迎えました。そして12日朝、どの局の番組を見ても津波に押し流される家々や原発問題を流し、Twitterには援助を求める人からの拡散希望が溢れていました。その時、情報は、得ようとしなければ手に入らないものなのだと改めて感じました。6時間歩き続けている間、東北の被害状況など全く知らず、どれほどの被害かも分からず、都内にいた私ですらそうなのですから、とりわけ被災地、と呼ばれる地域に住まれる方々は自分が困難な状況にありながらその状況がよくわからない状態だったのではないかと推測します。
 いつでも、どこでも分かるように謳いながら、実際は求めなければ手に入らず、1年以上が過ぎた今それは顕著になりつつあるように思います。TVで流すべき情報は、芸能人のスキャンダルではなく被災地の状況であるべきだし、禁止すべきは「危険かもしれない」レバ刺しの提供よりも「危険な」原発で、そしてそれに関する情報こそ提供されなければならないはずです。


投稿者: おっさや | 2012年07月11日 02:28

私は実家が岩手県大船渡市にあり震災の被害を直接感じました。
いつも見ていた風景が消え、ただただ愕然としている毎日でした。私は次の日からボランティアとして、家に泥が入った人の片づけ、支援物資の運搬など毎日毎日自分にできることを探して動いていました。
やっと電気が通りテレビもつくようになったが、災害の様子などの報道ばかりであった。正直そんなのはいらなかった。ただ風景をうつしているだけじゃなにも事態は変わらない。ましてや帰宅困難者を映してもなにもかわらない。マスコミにしてほしかったのは、本当に不足している物、そして支援物資をどうやったら被災地に送れるか、など今その時に必要なことをしてほしかった。自衛隊はマスコミに関係なしにすぐ行動した。私の父も京都からすぐレンタカーできた。芸人の江頭もトラックですぐきてくれた。マスコミはヘリコプターというものを持っているのだからその時その時に応じた報道をしてほしかった。日本全国の被災地のために何かしたいという気持ちを行動に起こせるようなマスコミにしかできないこうをしてほしいと思った。


投稿者: ハワード | 2012年07月19日 17:13

 私は震災当時,岩手にいました。この記事を読んで思い出したことは,母と2人で,石油ストーブにあたりながらラジオを聞いていたことです。父は仕事のため,地震発生直後から対策本部に身を置き,数日間家に帰りませんでした。母は小学校教員で,携帯電話を使って情報収集などはしていましたが,ガソリン不足ということもあり,なかなか身動きが取れず,何もすることがない私と一緒に家にいました。岩手の3月はまだ雪が残り,暖房がないととても寒い時期です。
 今何が起こっていて,どういった状況なのかを教えてくれるのは,しばらくの間ラジオだけでした。ラジオからは,行方不明者の名前,安否確認のメッセージ,被災者を励ます音楽などが聞こえてきました。その中にはもちろん,筆者のブログにもあったアナウンサーからの「頑張ってください」という声もありました。この声は,自分たちにも励みとなるものでした。また,自分たちよりも悲しかったり辛かったり,たいへんな思いをしている人たちへ,直接届けることはできない声を代弁してくれていると考えることもできました。たしかに筆者の言うとおり,根拠もなく,形式的な言葉ととらえることも十分に可能で,むしろ多くの人が筆者の考えに共感すると思いました。ですが,ライフラインが途絶え,心細い時を過ごしている中で,そのマスコミの声に耳を傾け少しでも救われる人がいたのだ,ということも知っていてほしいと思いました。


投稿者: ボボドール | 2012年07月23日 12:35

 今回の震災報道において、所々で意図的に視聴者の涙を誘うような報道が行われた。例えば、家族の安否が未だわからず、不安を隠しきれない被災者にあるインタヴュアーが「今願うことは?」と質問をしていた。愚問である。その被災者は「今はただ、家族に会いたいです」と言って涙を流した。こうなることを期待するかのような質問に私は強い不快感を覚えた。被災地の惨状を報道すること自体は悪いことだとは思わない。しかし、涙を誘うような報道に終始するあまり、事実や正確な情報を伝えるという本来あるべき報道の姿勢を見失ってはいないだろうか。報道する者が放った「もう少しですからがんばりましょう」というあまりにも無責任な言葉からは、それが伺える。


投稿者: 易しい人 | 2012年07月25日 06:33

最初の書き込みをさせていただきます。僕は、先生の(1)の意見に賛成です。個人間や自分自身の発する頑張ろうには、これから共に立ち上がっていこうだとか、このような災難には負けないなどという、一種の決意表明のようなところがあると思います。人間は自らを鼓舞することで災難を乗り越えていける素晴らしい面を持っていると感じます。
ところが、マスコミの発する頑張ろうには心がないと思います。この考えの根拠は、記者が被災者に対して同じセリフを連呼しているからです。数多くの被災者に向かって同じことを言っていては、被災者との心の繋がりが全くないと、自ら証明しているようなもではないでしょうか。


投稿者: Anonymous | 2012年12月29日 14:40

最初の書き込みをさせていただきます。僕は、先生の(1)の意見に賛成です。個人間や自分自身の発する頑張ろうには、これから共に立ち上がっていこうだとか、このような災害には負けないなどという一種の決意表明のようなところがあると思います。人間は自らを鼓舞することで災難を乗り越えていける素晴らしい面を持っていると感じます。
ところが、マスコミの発する頑張ろうには心がないと思います。この考えの根拠は、記者が多くの被災者に対して同じセリフを連呼しているからです。数多くの被災者に向かって同じこと言っているというのは、自らの被災者に対する考え方を暴露しているようなものではないでしょうか。


投稿者: レオナール | 2012年12月29日 14:49

東日本大震災からまもなく1年10か月が経とうとしてますが、今改めて振り返っても昨日のことのように感じます。私は、阪神淡路大震災を経験しました。直接的な記憶はほぼ無いですが、震災から立ち上がっていく姿は見てきたように思います。ただ、18年経とうとしている今でもあの日の映像が流れると涙が出ます。でも辛くて悲しいから涙が出るというよりも、色んな人の支えがあってここまでこれたという感謝の気持ちからのような気がします。
そして、東日本大震災の日は地元、関西にいました。信じてもらえないかもしれないですが、揺れている時非常に嫌な予感がしました。あの阪神淡路大震災のことが頭をよぎりました。家に帰ってテレビを点けて、事態の重さを認識しました。大学入学を控えていたので、これからの新生活に対して大きな不安を感じたのを覚えています。
テレビ報道についてですが、震災報道を通して改めてマスコミの力をいい意味でも悪い意味でも感じました。無責任な発言が多くの人を苦しめるということをもっと報道側は感じる必要があります。つい1,2ヶ月ほど前の宮城での少し大きい地震の時も、マスコミは生中継で海岸付近にいる人に避難指示を出す際「東日本大震災を思い出してください!!」と大きな声で言っていました。少し考えれば、この発言がいかにデリカシーに欠け、無責任であるかはわかるはずです。
マスコミに対してメディアリテラシーを求めるとともに、報道を選択・判断できるだけのリテラシーを我々市民は持っておくべきだと強く感じました。


投稿者: HTS | 2013年01月10日 01:20

私は茨城県で被災しました。震災直後はテレビもつかなかったため、私が初めて震災の実情を見たのは翌日の新聞でした。そこに載っていた津波や倒壊した建物の写真を見た時の衝撃は今でも忘れられません。新聞やテレビなどのメディアを通して現状を知り、驚きや不安も感じましたが、しかしそれと同時に自分はこんなことで弱音を吐いていちゃいけないと気持ちが引き締まったのも事実です。不安や恐怖をあおるような報道が良いとは思いませんが、事実を伝えるという任務を全うしたメディアは震災において大きな役割を果たしたと私は思います。


投稿者: しぇるふ | 2013年01月14日 15:53

 私は地震があったとき、岩手県盛岡市の自宅にいました。揺れて30秒ほどもせずに電気が断たれました。幸い私の住んでいた地域は内陸で、津波の被害もなく、水道とガスは大丈夫でした。
 (内陸で、自分が自転車で動ける範囲しかわかりませんが、)マスコミの言う物資の不足というのはどんなお店も自分たちが物をストックしているよりは広くみんなに売ろうとしたものだと思います。決して買い占めなどが横行していたわけではありません。先生のおっしゃる通り、物が入荷されないのです。
 また、3日間ほど停電が続き、携帯電話も電池が切れたため、情報を手に入れる手段はラジオしかありませんでした。ラジオでは津波や交通網、政府の動きなどが流れていました。電気の復旧後、テレビを点けてみたら流れているのはほとんどヘリからリポートされた津波の映像でした。そしてお揃いの作業着姿で並ぶ閣僚たち。バカバカしくなりました。津波以外になにがどうなっているのかがあまりわからなくなりました。また、マスコミの言う「がんばろう」は本当になにも考えていないと思います。被災地の人はすでに頑張っているのにわざわざ沿岸地域に行って、地震や津波を思い出させるような取材をして、「がんばって」と言い残してくることになんの意味があるでしょうか。無責任・無理解なマスコミの報道には私も唖然としました。
 事実を伝えることはたしかにマスコミの役割です。ですが、今回の報道は客観視を忘れてしまったメディアの形ではないでしょうか。


投稿者: nmy | 2013年01月15日 00:39

自分は当時、北海道に帰省していて、そこで地震に遭遇しました。自分の住んでいる地域は道央で、揺れもそこまで大きくなかったのですが、テレビを付けてあまりの惨状に、本当にこれが日本で起こっていることなのかと唖然としてしまったことを今でも覚えています。
さて、自分はどこかで「頑張って」という言葉は、その物事に関係のない第3者(ここではメディア)が自分はなにをするわけでもないのに、当事者に努力を求める、とても過酷な言葉だと聞いたことがあります。メディアはローカルでもない限りはどうしても第3者とならざるをえないので、仕方ない点はありますが、震災から約2年経った現在では、もっとやり方があったのではないかとも思います。
私は、身近で困っている人がいた時、「頑張って」ではなく「がんばろう」といえる人間になりたいと、この記事を読んで強く感じました。


投稿者: ぱんち | 2013年01月16日 10:14

 東日本大震災からもう少しで2年経ちます。震災後の数日間はテレビをつけるといつも衝撃的で目を背けたくなるような映像ばかりが流れ、テレビ画面を通してみている私でさえ鬱と言うと大げさになってしまいますが気がめいってしまったのを今でも覚えています。
 私は鬱病の方に「頑張れ」と声をかけてはいけないと聞いたことがあります。私自身、時と場合によりますが「頑張れ」と言われるのはあまり好きではありません。私がひねくれ者なのかもしれませんが「私は頑張ってるのに、これ以上どのように頑張れというの?」と思ってしまうことがあるからです。このブログを読んで、被災地の方々に「頑張ってください」と声をかけたインタヴュアーの方に少し無責任さを感じました。被災地の方々はこの発言をどのように受け取ったのでしょうか。
 今の時代マスメディアの発信する情報は膨大で私たちの生活に必要不可欠なものとなっています。影響力が大きいが故に過剰な放送が人々の不安や恐怖をあおることさえあります。マスメディアがどのように情報を発信していくが好ましいのか、今、問われているのだと思います。


投稿者: ころとん | 2013年01月20日 17:32

 私は地震発生時、新幹線の中にいました。場所は関西だったのであまり強い揺れは感じませんでしたが新幹線は止まりました。車両の中で約1時間待機しました。そのとき私の不安を軽減させてくれたのは報道局から発信される情報でした。どれくらいの被害がでているか、これからどうすればいいか。これこそが報道局の最大の役割だと実感しました。
 一方で、地震発生翌日からの報道には先生と同様に一部唖然とすることがあったと感じました。被災者の人たちは「頑張って」と言われてはたして「頑張ろう」と思うのだろうか?言われなくても十分頑張っていたと思います。どこかで他人事と思っていたことがこのような報道につながったのではないかと思いました。


投稿者: うまこ | 2013年01月20日 21:37

私は、地震が起きた時実家のある茨城にいました。震度は5弱で家の中はめちゃめちゃになりました。ガスや水道は長い間使えず不便な生活がずっと続きました。しかし、メディアで報道されるのは東北地方の状況ばかりで私たちの地域は被災地としてあまり報道されませんでした。自分たちの地域は忘れられてしまったのではないかとすごく不安でした。テレビの報道を見ていてもどの放送局も同じような内容の報道をしていて、放送局同士で報道する内容を時間によって分けたら私たちの地域も報道する余裕ができたのではないかと思いました。世の中の人全員が同じ情報を欲していないのは分かりきったことなのですから、報道関係者の方にはそのことを少し考えてほしいと思いました。


投稿者: かきぴー | 2013年01月23日 11:19

私は東日本大震災時、地元の沖縄で過ごしてました。のんびりとテレビを見ていると急に放送が変わり、道路を走っている車が次々と津波に飲み込まれていくのが生放送されていたのを鮮明に覚えています。
震災発生直後は、今現在同じ日本で起きていることを全国に放送し、情報を共有するという面で報道機関は大きな役割を果たしていると思いました。しかし、日が経つにつれ報道機関はただ今の現状を伝えているだけで、被災地の人達には手を差し伸べていないのではないかと思うようになりました。ただ被災地の状況を台本通りに報道するだけで、被災地の人達にとって有益な情報は果たしてどれだけ報道したでしょうか。彼らには被災地の人々にもっとしてあげることがあったのではないか。ただ報道すること以外彼らにはできることがあったのではないかと思いました。


投稿者: 三太郎 | 2013年01月23日 19:20

私は震災当時福島県の祖父母の家に滞在していました。家の付近を出歩いているときに緊急地震速報が鳴り、その瞬間地鳴りとともに今まで体験したことのないような揺れを感じました。祖父母の安否はもちろん埼玉にいる両親の無事も心配しながら祖父母の家に帰宅しました。祖父母はなんとか無事でしたが、テレビをつけると津波の映像や、原発の状況を伝える報道ばかりがなされていました。ありのままの状況を伝えることは非常に重要であることは理解していますが、被災者の不安を煽るような報道は避けるべきだったのではないでしょうか。こういった状況だからこそ、ありのままの情報と共に、被災者の力になれるような何かができなかったのかなと考えます。


投稿者: ちっくん | 2013年01月24日 22:23

私の住む地域は東日本大震災で多大な被害を受けました。地震発生後何日間かは、その被害が甚大であったため、自分たちの安全確保をすることで精一杯でした。またテレビ報道を見ることができる状況にありませんでした。しばらく落ち着いてからやっと報道を見ることが出来るようになり、報道側が被害者の本当の辛さを理解してリポートしているのかという疑問を感じました。この地震を機にメディアリテラシーを考えるようになりました。


投稿者: もりたん | 2013年01月25日 00:15

私は地震の時に外出をしており、とある市の避難所で一夜を過ごしました。翌日に無事に帰宅できたのですが、情報がなかなか入手できずに不安でした。正確な情報をきちんと多くの人々に伝達するのがメディアの役割だと思います、しかし、震災後の報道は事実というよりも視聴者の同情を誘うような番組が多く見受けられました。視聴者の関心を集めるために事実と異なる内容を報道した番組があったように、メディアの本質を忘れてしまっているのではないかと思います。


投稿者: すもも | 2013年01月25日 02:03

私は地震の当日埼玉にいたので被害はなかったので危機感も不安もあまり感じることはなかった。そのため先生がおっしゃっているようなことは全く考えることができていいなかった。しかし今思い返すとテレビでのあの放送によって不安が募ったことは間違いない。
そのためあの放送は被災者またはその親戚の方たちならなおさら不安が大きくなったはず。しかし被災した人で、避難生活を強いられた中でのラジオによる励ましの言葉によって元気づけられたという人もいるためテレビ局のすべてが被災者にとって有害だったわけではない。そしてこれからテレビ局は今回のことを糧にしてもし次に何かが起こった時には対応できるようにしていかなければならない。


投稿者: こばとん | 2013年01月25日 07:47

 あの日、私は福島にいて、部活の仲間数人とカラオケをしていました。地震の影響で電車が止まり困っていたところを友人の父親が車に乗せてくれました。また、断水が2週間ほど続いた時も家族で協力して給水所にいって給水をしました。普段の生活がままならないこの間私は、テレビやインターネットでの情報を欠かさず見ていましたが、津波で流される家々の映像を見たとき言葉にできない恐怖と不安に襲われたことを覚えています。
 震災直後のことを思い出すと、わたしは本当に恵まれていたなと思います。それは周りに協力しあえる人たちがいたからです。しかし、そのような自分の境遇を考えると同時に孤独な状況での被災を強いられる方もいたのではないかと思います。そのような方たちにとってメディアは良い意味でも悪い意味でも大きな影響を与えます。震災に限らずですが、恐怖を助長させるのではなく、希望を、そして真実をきちんと伝えてこそのメディアなのではないかと思います。


投稿者: マリガン | 2013年01月25日 12:37

 あの日、私は福島にいて、部活の仲間数人とカラオケをしていました。地震の影響で電車が止まり困っていたところを友人の父親が車に乗せてくれました。また、断水が2週間ほど続いた時も家族で協力して給水所にいって給水をしました。普段の生活がままならないこの間私は、テレビやインターネットでの情報を欠かさず見ていましたが、津波で流される家々の映像を見たとき言葉にできない恐怖と不安に襲われたことを覚えています。
 震災直後のことを思い出すと、わたしは本当に恵まれていたなと思います。それは周りに協力しあえる人たちがいたからです。しかし、そのような自分の境遇を考えると同時に孤独な状況での被災を強いられる方もいたのではないかと思います。そのような方たちにとってメディアは良い意味でも悪い意味でも大きな影響を与えます。震災に限らずですが、恐怖を助長させるのではなく、希望を、そして真実をきちんと伝えてこそのメディアなのではないかと思います。


投稿者: マリガン | 2013年01月25日 15:26

 私は震災当日福島にある実家にいました。地震発生後は電気、ガス、水道などのライフラインはすべて止まりました。よって、テレビなどは見ることが出来ませんでした。マスコミがいくら「頑張ろう東北、頑張ろう日本」と放送しても被災者には届いていなかったと思います。あれは結局マスコミの自己満足だったのではないでしょうか。
 また、電気復旧後に放送されていた内容も放射能などで不安を煽るようなものが多かったので事実を放送するという本来の目的からはかけ離れていたと思います。
 私が一番苛立ったものは、復興支援コンサートでした。震災直後に有名人などが東京の会場に集まり、歌を歌ったりして被災地を応援するというものです。これがテレビで放送されていました。被災者は給水所などの情報を必要としているのにマスコミは何をしているのかと思いました。
 マスコミにはその時に必要な情報を流してほしいです。


投稿者: こいし | 2013年06月17日 15:47


私は3・11のメディアの報道について、思うところが沢山ありました。
津波によって車や家が流される映像が連日報道され、近くの学校の体育館に避難する人が溢れてる映像も同じく連日報道されました。
この時は本当に色々な情報が出回っており、どの情報が正確かもまだ分からない状態でもそれがあたかも正確な情報なような報道をしたり、それに惑わされて、私のところにも沢山のチェーンメールが届き、その内容は外に出るなとゆうものでした。
そしてその不確かな情報を避難住民の人に、「こうゆうことが


投稿者: KWTN | 2013年07月01日 15:17


私は3・11のメディアの報道について、思うところが沢山ありました。
津波によって車や家が流される映像が連日報道され、近くの学校の体育館に避難する人が溢れてる映像も同じく連日報道されました。
この時は本当に色々な情報が出回っており、どの情報が正確かもまだ分からない状態でもそれがあたかも正確な情報なような報道をしたり、それに惑わされて、私のところにも沢山のチェーンメールが届き、その内容は外に出るなとゆうものでした。
そしてその不確かな情報を避難住民の人に、「こうゆうことがあったそうなのですが、どう思いますか?」とインタビューしているのをTVで見て本当にビックリしました。
ただでさえ不安で押し潰されそうな避難住民にもっと不安を大きくさせることが報道機関の仕事なのか?と思いました。
私達はただ報道に流されるだけではいけないなと改めて感じました。


投稿者: KWTN | 2013年07月01日 15:20

大震災の発生からだいぶ時が流れ、2年4ヶ月が経とうとしている今日、マスコミによる震災に関する報道というものが全くと言ってもいいほどに見られなくなりました。しかしながら、今こそ、再び震災に関する報道というものをするべきだと思います。
私は埼玉県東部のとある市に生まれ育ち、震災当日もまた、埼玉県内の県立高校にいて、直接的に大きな被害を被ったわけでなければ、被災地へと足を運んだこともありません。私の周りにも、同じような人は沢山います。
私も含め、このような人たちの中では、今日では震災の記憶というものが頭の片隅の方へと追いやられ、ほとんど忘れられた出来事のようになっています。ですが、復興に向けての体制、或いは、これを教訓に、今後の災害(近い将来起こるとされる東海地震や首都直下型地震等)への対策をどうしていけばいいのか、など、課題が山積している今、この震災がもたらした現実を忘れるべきではありません。そして、これからも忘れてはいけないと思います。未だ解決の見通しが建っていない原発事故も、廃炉までに何十年もかかります。
こうした現状を踏まえ、我々には何ができるのか?改めて考えてみる必要があると思います。その上で、大衆が注目するマスコミもまた、被災地支援の姿勢を維持すべきであり、もっと積極的であるべきです。
にも関わらず、マスコミは、震災直後しか報道しない。時が過ぎれば、全く関心を持たない。こういう体質は、震災時の報道における口先だけの「頑張ろう」という言葉にもよく表れていたように感じます。
本当に心から「頑張れ」と被災者を励まそうという思いがあるのなら、今日でも被災現場に足を運んで、どれほど復興が進んでいるのか、そもそも本当に復興が進んでいるのか、正しい現実を報道すべきでしょう。
勿論、報道さえすればいいのかと言えば、そうではありませんが、少なくとも、被災地や震災に関する報道がなされない為に、いま私は、被災者がどれほどの苦労を強いられているのかや何を求めているのか、どのような状況なのかを全く知りません。そもそも、こうした事実も問題です。
マスコミには、何が求められていてどうするべきなのか、ということをよく考えて欲しいです。


投稿者: てふてふ | 2013年07月05日 00:24

僕は地震が起きた時、友達と店で食事をしていました。東北地方ではなかったのですが、今までに経験したことが無い揺れを感じ、とても恐かったのを覚えています。メディアの報道ですが、震災当時は頻繁に地震の被災地や原発のことについて報道していました。しかし、今はほとんど、被災地や原発による被災者のことについての報道を目にしません。まだ、普段の暮らしに戻れていない人達がいることを知るためにもっと仮設住宅や他の県に移り住まなければならなくなった人達のことを全国の人々に知らせるべきだと思います。


投稿者: TaKa | 2013年07月09日 22:39

私は当時東北大学の後期試験のため、仙台市のホテルに居ました。地震の起きて暫く、辺りには雪が降り始め非常に寒かったです。当時のメディアに対して苛立ちは、先生とは違った形で感じていました。仙台市は停電が非常に早く回復したため、他の被災地と比べると格段に早くテレビを見ることが出来ました。しかし、どの局を見ても津波か福島原発の放送でした。例えば10の放送局があれば10の情報を発信出来るのに、2の情報しか発信してないことに憤りを感じました。確かにテレビを見ることが出来る人の興味の大半はその2に対してでしょう。しかし私は当時jrの運行状況など、帰る方法の情報も自分本意ですが発信してほしいと思っていました。全員が違った形で被災しました。その全てに応えることは難しいことですが、あのような非常事態の時位は各テレビ局連携して、より多くの情報を発信する努力をしてほしかったです。


投稿者: マスオ | 2013年07月15日 09:50

日本は、地震が多い国です。日本に来て半年の時、東日本大震災を経験しました。その時、浅草にある寮にすんでいました。みんな留学生だから、慌てて外に逃げました。その後、ガスや電車なども止めました。携帯電話もつながりませんでした。でも、日本人は混乱はなく、公衆電話の前で、駅の前で並んで待っていました。このことに驚きました。その後、報道において、津波の映像と福島第一原始力発電所の映像を鮮明に見ました。特に中国のマスコミの報道、もっと怖かった、みんな不安で、自分の国に戻りたがりました。映像の影響で、いくら頑張ってと言われても、やはり不安です。


投稿者: mario | 2013年07月15日 18:41

震災直後、直接的な被害をほぼ受けなかった私の地元ではスーパーで乳製品の買い占めが起きた。放射能によって牛乳が汚染されて今後摂取できなくなるといわれたからだ。私の家族もその情報をうのみにした。情報社会といわれる現代を生きる者として、メディアに正確な情報配信が求められるが、受け取る側にも情報判断能力を身につける責任があると考える。そのためにも学校における情報教育にもより一層力を入れるべきである。


投稿者: ぽんた | 2013年07月17日 22:10

今でもあの時のことははっきり覚えています。私の地元は東北の日本海側で、津波の影響は受けませんでしたが、かなりの揺れを感じました。翌日の朝に電気が復旧したのち、テレビでは生々しい津波の映像が流れ、驚愕しました。それと同時に、家族が死んだ、親戚知り合いが死んだという被災者の方にのこのこ東京から来た記者がインタビューしていることに苛立ちを覚えました。でもマスコミの態度はなかなか変わるものではないから、その情報を受け取る私たちが何が大事なのかを見極めるメディア・リテラシーが重要になってくると思います。


投稿者: かいりー | 2013年07月18日 16:36

2011年3月11日、東日本大震災が起きた時私は高校1年生でした。期末試験が終わり、ちょうど家に帰ろうとしている矢先にあの忘れてはいけない出来事が起こりました。道路を自転車で走っているとき、いきなり大きな揺れが起き、電線がすごく揺れているのを見て、これは大きな地震なんだなと感じました。しかし、この時点ではこれから起きる未曾有の事態は予想もしませんでした。家に帰り、テレビをつけ、東北地方での津波の映像を見たらぞっとしました。それから何日かは何度も津波の映像を見せられ、正直言ってもう見たくないと思いました。


投稿者: ラビット | 2013年07月20日 13:44

わたしは震災発生時、福島県郡山市にある高校で授業を受けていた。その日から”ふくしま”を取り巻く状況ががらりと変わってしまった。全国の人達やメディアは表面では福島を応援していても、実際は福島を遠ざけているように感じることが多々あった。もっときちんと現状を知ってもらいたいと思うこともあった。しかし、宗澤先生の授業を受けて、マスコミの情報をうのみにしていた自分に気付き、自分こそ何も知らなかったと痛感した。福島県民である自分が正しく理解し、伝えていけるようにしなければいけないと思った。


投稿者: くじら | 2013年07月23日 01:42

 震災直後、宮城県仙台市に住んでいる兄を心配して家族は騒然としていました。電話もメールも通じず、得られるのはテレビの報道によるものだけでした。連日被災地の映像を流していた報道番組の中で、時には(というより大多数)リポーターのしんみりとした話し方を演技くさい、と不愉快に感じたこともありましたが、仙台の情報を得るためにはその演技くさい報道を眺めるほかありませんでした。きっとこのように被災地ではたくさんの人たちが、情報を得るために、と不愉快さをこらえてテレビから流れる報道に頼っていたのだともいます。演技くさいリポーターと同じくらいに、「頑張ろう」といった類の言葉にも不愉快さを感じました。それらの言葉が繰り返されるばかりで、「どう頑張ればいいのか」が全く伝わってきませんでした。
 震災を通じて、情報というものの大切さを身に染みて知りました。受ける側の取捨選択はもちろんのこと、それを容易にできない今回のような状況での発信する側のモラル、両方をあわせての「メディアリテラシー」というものを教育の現場で伝えていく必要があるのだと思います。
 また、亡くなった方のうち多くが高齢者であったことを後に知り(当時は子どもや両親を亡くした人がメディアでは多く取り上げられていた)、情報をやり取りすることができていたのだろうか、とも考えました。世代間での情報格差を埋めることも急ぐべき問題ではないでしょうか。
 


投稿者: ゲン太 | 2013年07月24日 09:14

大学に入ってからたくさんの友人が出来ましたが、その中に宮城県の被災地出身の友人がいます。ある日、彼から聞いた話はにわかには信じることが出来ないような内容でした。彼が言うには、「被災してしばらく、避難所で生活していた頃、マスコミが自分に取材に来た。聞かれた内容は『青年が老人を助けただとか、テレビで使えるようななにか感動的なエピソードはないか。』というものだった。」とのことでした。この話を聞いたとき僕は何とも言えない気持ちになったのを覚えています。これがマスコミがすべき仕事なのでしょうか。そしてそれ以前に、人間としてこのような行為が許されるのでしょうか。被災に挫けず、懸命に生きようとしている人々に向かってする質問でしょうか。マスコミの在りかたというのを今一度考え直してほしいと思います。


投稿者: OKB | 2014年01月15日 14:42

 私は当時、宮城県に住んでいました。そのとき先生とは違う点ですがメディアに不満を抱いていました。テレビは見ることができなかったのでワンセグで見ていたのですがどこを回しても被災地の中継や津波のシーン、原発のことなど暗いニュース番組ばかり。私はとにかくバラエティ番組が見たかったです。もちろん大人は多くの情報が欲しくてニュースが見たかっただろうしバラエティなんか放送したら苦情が集中したでしょうが、まだまだ子供の私は少しでも笑って被災したことを一瞬でも忘れたかったです。私の周りではそう考えている友達が多くよく文句を言っていました。ただでさえ周りの人間が死に家が流され悲しみしかない状況で暗い現状ばかり子供に見せるのはあまりに酷ではないでしょうか。マスコミは「被災地の人はこんなに可哀想だ」という押しつけが多くあったように感じ、余計沈んでいく気持ちを覚えています。また、「こんなときに不謹慎だ」という言葉が飛び交っていたのはむしろ被災地以外だったような気がします。


投稿者: poor | 2014年01月15日 17:55

震災当時、私は高校二年生でした。私の住む市は一晩停電しており、テレビは見られない、携帯電話の充電は切れてインターネットも見られないという状況にありました。一晩明けてテレビをつけると延々と津波が家々を飲み込んでいく様子、福島第一原発の様子、避難所でのインタビュー、ヘリコプターからの空撮が報道されていました。携帯電話の電源が入り、Twitterを開いてみると、ヘリコプターの音でまだ瓦礫に埋もれているかもしれない人の救助を求める声がかき消されてしまい、助かる命も助けられなくなる。という書き込みを見つけました。他にもテレビでは報道されていない、被災地が本当に必要としているものの書き込みがあったりと、ネット上には今本当に求められている情報がありました。ネットに存在する情報がすべて最新で信用できるものとは限りませんが、少なくとも震災後はしばらくテレビよりネットからの情報が頼りになりました。マスコミは何を報道しようとしているのか、不安を煽るような報道ばかりで高校生ながらマスコミの存在意義に疑問を抱きました。


投稿者: 舞賀三郎 | 2014年01月29日 00:36

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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