若者の就職難から
寒暖の差はあれ、春めいた日が訪れるようになりました。梅の木には、ミツバチやメジロが花の蜜を求めてやってきます。
この春の訪れとは裏腹に、冬景色の心模様に焦りを深めているたくさんの若者がいます。
梅の花に蜜を求めるミツバチ
昨今、都内とその周辺の電車内や街角のコーヒーショップでは、年中、リクルート姿の若者に出会うようになりました。たくさんの企業回りに持ち歩く資料が多いのか、そのような若者の荷物は結構大きく、表情もやつれ気味に見えるのは私の気のせいでしょうか。昨年11月に厚生労働省が発表した2010年9月末時点の大学生の就職内定率は57.6%で、かつての就職氷河期を上回る最悪の状況となっています。
この25~26日の深夜にハンドルを奪ってバスが横転する事故を起こした大学生も、インターネット上の交流サイトに「ES(就職活動で企業側に出す応募用のエントリーシート)が終わらないorz(落胆・失意を示す記号)」との書き込みを入れ、就職をめぐる困難から「自殺したかった」と供述しているとの報道があります。
就職活動に一年以上取り組んでも内定をもらえない学生たちに共通する心の運びの深刻さは、「自分の何が悪いのだろう、何が欠けているのだろう」という自省の念が、就活の長期化によって、「自分は社会にとって役立たずなんだ」という自責の念に転化していく点にあります。
自分なりに努力を重ねても報われないのですから、自尊感情が根底から傷つけられることによって、自死念慮に襲われたり、ルサンチマン(怨嗟の念)から他者や社会に対して激しい攻撃感情を抱く場合も出来するでしょう。バス横転事故を起こした大学生も、その刑事責任は決して免れませんが、ひょっとすると、このように追い込まれていったのかも知れません。
現在、20歳代においては、雇用形態は非正規が過半数を占め、正規雇用者にみる可処分所得は女性が男性を上回る(厚生労働省「男女間の賃金格差レポート2009年」による。ただし、年齢が高くなるごとに男性の平均賃金が女性よりも高くなる差別的構造は変わっていない)ようになりました。職に就くこと自体が難しく、働いても自活できる収入に届かず、非正規雇用の男子は正規雇用の女性とは待遇落差が大きくて結婚はおろか恋愛することすらままならない、仮に結婚しても子育てをめぐる貧しい社会的支援の現実から出産を控えてしまう……。
かねてから、「15歳の春」に児童養護施設を退所して就労自立しなければならない青年たちの困難が指摘されてきました。ここにある本質的な問題は、社会の側は、一方で青年たちに就労自立を強いながら、他方では就労自立する条件を青年から剥奪していることにあります。これと同様の問題が、わが国の若者全体を覆うようになったと考えるべきでしょう。
それぞれの人と時代なりに青年期の困難は存在しますが、日本の戦後世代の中で、これほどの困難を背負った若者世代はいなかったでしょう。
子育てには私も苦労したとは思ってはいますが、今の子育て現役世代の父母の直面する困難は、率直に言って、私の子育て時代よりもはるかに大きく、質も異なります。著しく拡大した雇用の不安定さの下で、「保活」まで強いられるのですから。かつての父母が現在の父母に対して、自分の子育て経験から得た知恵や教訓から何かを示唆しようとする行いは、場合によっては、とてつもなく不遜で傲慢なことだと考えるようになりました。
先行世代の中には、ときとして、現在の若者の主体的条件にケチをつける人たちもいます。「覇気がない」「自分が悪いのではないとすぐに周囲のせいにする」「就職を選り好みする」などとはじまり、いきつくところは「幼いんだよね」で締めくくる。
このような見方は間違いです。1990年代以降、高学歴化の進行した先進諸国に共通して、若者の雇用不安定と失業の深刻化が、若者の大人になることのできない現実を構造的に作り上げてきました。
ジル・ジョーンズ他著(宮本みち子他訳)『若者はなぜ大人になれないのか』(新評論、2002年)によれば、個人・家族は労働市場・国家との関係においてシティズンシップ(市民社会の一員としてのメンタリティ、社会の一員にふさわしい権利・義務に関する責任能力等)を培いますが、90年代以降に深刻化した若者の失業と雇用の不安定化は、若者の社会への参入を阻むことによって「大人になれない」状況を産出してきたのだということになります。
なお、著者のジル・ジョーンズはソーシャルワーカーを務めた後に研究者になった方で、青年期の不平等に関する研究をテーマにしています。
私見によれば、日本の若者はヨーロッパよりもさらに深刻な事態に置かれているとみるべきでしょう。それは、わが国の「老年人口比率」(15~64歳層に対する65歳以上人口の比率、OECD編著『図表でみる世界の社会問題』、31ページ、明石書店、2006年)が2050年に7割を超えてしまう点にあります。平たくいうと、2050年には日本全国津々浦々が「限界集落」になってしまうのです。
今仮に、公務員や学校の教員に就職するという相対的には「恵まれた」若者がいるとしても、彼らが定年退職するまで職場が存続する保障はどこにもなく、自身が高齢者になったときにはケアの担い手となるマンパワーはおらず、社会資源を支える財源もない。要するに、わが国の社会は存続しているかどうかさえ覚束ないのです。
このような現実と真正面から向き合おうとすればするほど、絶望の淵に追い込まれやすい状況に身を置いているのが現在の若者ではないでしょうか?
この困難は、国民国家の枠組みを与件とする貧困化の問題指摘からだけでは処方箋を導くことのできない性格をもっている点を含め、先行世代の知恵や教訓が現在の若者に十分な示唆をもたらすものとは私には考えることができないのです。2050年には、わが国の富裕層の要介護高齢者は、国内にケアのマンパワーと社会資源は見いだせないのですから、たとえば中国の「日本人資産家向け有料老人ホーム」の利用に移住するところにまでいきついているかも知れないからです。
若者目線からすべての先行世代が課題認識を共有し、問題克服への処方箋作りに歩みをともに進める連帯が、今ほど問われている時代はないと考えます。
コメント
なんとなくはわかっていたものの、ブログを読ませていただいて、改めて日本の将来の深刻さを強く感じてしまいました。
だからといって絶望してしまうのではなく、希望を持って若者目線からの課題認識のもとで各世代が連帯していくにはどうすればよいのか・・・現在の政治など考えると明るい材料が見出せません。
先生のやっておられる条例作りのような取り組みが歩みの一歩につながるのではないかと思います。
私はこの近年続く経済の不景気や政治の行き詰り感など、さまざまな社会制度への違和感を壊すのは若さだと信じて疑わない。
自分がまだ就職という壁にぶちあたっていないからか、この意見は空想論になってしまうかもしれないが、日本は今ただでさえ少子化で若者が少ないのに就職難という形で社会をこれから作っていく若者の可能性をもぎ取ってしまうのは非常によくないと思う。
企業に就職することがすべてではないが、そうしないと老後まで安心して生きていけないという漠然とした不安が背景にあり、今の若者は本当にやりたいことを職にすることすらままならないのでは?と感じる。
その問題を解決しようとする先端に日本の政治があってほしい。
若者が就職する場所をつくるために、例えば定年を10年早める法律を作るとか、そういった思い切った政策が必要だろう。
何か社会制度を根本から変えない限り、事態は好転しないだろう。
社会制度や法律を変えることに不安がある私たちの親世代もいるだろうが、それを支えるのもまた若者であり、何よりもその若さで、日本の暗い風潮に新しい流れを作ってほしいと感じる。
ブログを読ませていただいた後、考えさせたのはなぜ日本の就職率がこんなに低いだろうか。
リーマンショックの影響を受けて、近年日本の経済が低迷している状態が主な原だと思う。日本の輸出産業が大きな打撃を受け、かく大企業は人件費削減の政策も取り出した。この背景では、確かに就職難の問題が深刻化する一方だ。
また、若者は大企業を好み、中小企業や地方企業への就職がつきたくないのも一つの原因だと思う。
この困難を乗り越えるには、国の政策がもちろん重要だが、若者は自身価値に対する認識がもっと重要だと思う。どこで働くには関係ない、自身価値が実現できればいいと私は思っている。
今の日本の就職難、派遣といった雇用体制が多いこと、そして男女間の賃金が平等でないことで、女性は子供を産もうということに対して、否定的に考えてしまうのではないかと思う。こういったことに対してサポート体制を作ることが大切だと思う。
また、喜ばしいことも最近見られるようになった。それは男性が育児休暇を取ることが出来る企業が増えてきたことである(まだ一部の企業に過ぎない)。
いくめん(育児する男)が増えていくことで、男女共同、分担作業が増え、女性が今までの日本の社会の認識で当たり前とされていた考え、認識(当たり前ではないのだが)も変わっていくと思う。男女で自分の役割を話し合って決めることができるのはこれからの日本の夫婦では必要不可欠だと思った。
近年の雇用問題について、ニュースやワイドショーなどで取り上げられているほんの一部の面しか知らないが、大学生になって今年で2年目、就職まであと何年か、という状況になり、ようやくもうすぐ自身が関わる問題なのだと考えるようになった。サークルなどの先輩が、内定をもらったり、「就活」を積極的にはじめたりなど、“社会に出る”ことが身近に感じるようになったためかもしれない。
それに、3月の東日本大震災を受けて、経済の面も含めて余計に日本社会が不安ばかりでしかないためかもしれない。連日の報道を見ても、一向に復興や原発事故解決の兆しがみえない…それゆえ、来年度以降の就職を取り巻く状況は一向に良くならないし、ますます悪循環になっていくように、私は思う。
それを通して、個々人や家庭(“家族”)などにどのような影響がでてくるのだろうか。現在の問題が余計に悪化していってしまうのだろうか。そういった社会変化が、一人ひとり、もしくは家族などに影響しているのだなと授業を通しても改めて考えることができたように思う。授業で取り扱った“イエ”の変遷もそうだが、“日本人”としてのあり方、個々人の人間としての生き方が、こんなにも変わったのかと驚く。
しかし、その反面、そういった変化は、人の変化によって生まれる”欲求”によって、社会が変化するためであるのでは、とも考える。社会制度だけの変化ではなく、ある意味マイノリティの立場の人々の強い意志が、社会(制度)を変え、その社会の変化が、多くの人々に影響するようになるのだと考えた。
こうしてみると社会と一人ひとりが互いに影響し合っているのだとつくづく感じる。いまの社会は、そういった“欲求”も求めているのではないだろうか。そういった力が、現代の日本人(特に、若者世代)にたりていないのではないだろうか。
今後の日本がどうなるかが分からないが、まずはいま起きているさまざまな問題解決へ向けて、個人個人でもいろいろと考えて行動することも、社会を変えていく原動力になるのだと信じているし、そのような人になりたい、と思う。まずは目の前の“就職難”についてしっかり考えられるように頑張りたい。
文部科学省と厚生労働省が7月1日に行った発表によれば、今春の大学新卒者の4月1日現在の就職率は91.0%であり、就職氷河期だった1999年度を0.1ポイント下回り、過去最低となったとのことだ。大震災の影響も考えられるとはいえ、就職難ということには変わりないだろう。私はまだ大学2年生であり、就職活動に身を投じてはいないが、今からとても不安である。
この就職難を乗りきるために、ワークシェアリングの導入などによる雇用創出を積極的に行っていくべきではないだろうか。働く機会、場所さえあれば、働きたいという熱意を持った若者は私を含め大勢いる。彼ら、いや私たちの頑張りがこれからの日本を担っていくのではないだろうか。
今回のブログの中で「現在、20歳代においては、雇用形態は非正規が過半数を占め、正規雇用者にみる可処分所得は女性が男性を上回る」とありました。私は、それを男女雇用機会均等法に見られる、日本の男女の雇用形態の(一部の)平等化の結果だと考えています。男女平等を謳う現代においては、このことは、何も驚くことではないと思います。また、この後に宗澤さんは「非正規雇用の男子は正規雇用の女性とは待遇落差が大きくて結婚はおろか恋愛することすらままならない」と書いています。これは完全に宗澤さんの「男女が結婚した時には、男性の方が稼ぐべきであって、奥さんに食べさせてもらっている夫なんて考えづらい」という、これまでの夫婦関係にとらわれた考えに縛られた発言だと思います。男女の平等を謳って久しい現代であれば、奥さんが稼いでいる家庭も何らおかしくないと捉えるべきではないでしょうか。この文章には何か根拠があるのでしょうか。もしくは、そのような意図で書いた訳でなければ、このような発言の真意を知りたいところです。 このブログは雇用に関する話のはずですが、他の気になったことがあったので書き込みました。
私の姉は去年就職活動をしていました。さまざまな情報を自分で集め、毎日のように面接に行っていました。自分が本当にやりたい仕事に就くのは簡単ではない、と言っていたこともあります。結局姉は大学時代に専攻していた内容とは全く違う会社に入社しました。
このように、就職活動はかなり難しい状況になっていると感じています。自分のやりたいことだけを見つけるようでは困難な時もあります。だがしかし、これから社会に出るにあたって、自分がやりたくないような仕事に就いて、やっていけるのでしょうか。会社に入ったが良いが、自分とは合わずに苦労することもあるでしょう。これからの2年、自分がどのようなことに興味を持ち、どれだけ熱意をもてるかで将来は変わってくると思います。
ブログを読んで、あと二年後私に訪れる就職活動が少し恐くなりました。自分のやりたい職業のために大学に入って就職活動を始めても結局この就職難で就きたい職業に就けずやりたいことと違う職に就かざるを得ないというのは厳しいなと感じました。これから先政府はこのような状況を克服し確実に深刻になるであろう少子高齢化問題に早急に手を打つべきであると思いました。
ブログ読ませていただき、現在の就職難を改めて感じました。私は現在大学2年生で就活はまだ始めていませんが、これから先とても不安です。自分がしたい仕事はおろか、仕事につけるかさえ分からない今の国に希望の光が見い出せない。
しかし、これから先の日本を背負うのは私たちであって、少子高齢化が進むなか、今より厳しい状況になるのは目に見えている。また将来、私たちが親になった時、どのようにして子供と接すればよいのかと不安は募る一方である。
このように困難は多々あるが、国の政策はもちろんのこと、若者である私たちが積極的に、希望の光は自分たちだ!と思うくらいの強い気持ちが必要だと思う。不安が多いことにはネガティブに考えがちだが、ポジティブに考えることで選択肢は増えてくるのではないだろうか。
私は現在大学四年生で、高速バスを横転させた大学生と同じように就職活動をしていました。普段は「なるようにしかならない」という楽観主義な私も、活動中は先の見えない不安と苛立ちで疲れていました。
現在就職活動をしている世代は、バブルが崩壊した頃に生まれ、ゆとり教育を受けたというコンプレックスを抱えて、「就職超氷河期」呼ばれる時期に就職活動をして。生まれた時から、私は子供ながらに時代に不穏さを感じていた気がします。私を含め、そんな時代に育った周囲を見ていて感じることは、皆真面目で堅実だということです。
その一方で、冒険心がないとも感じます。ハイリスクを恐れて、マイノリティを嫌い、安定を望みます。大企業志向なのも、そのせいなのでしょう。
将来に可能性が見出せないから、よく言えば「堅実」で、悪く言えば「臆病」なのだろうなと私は感じます。自分には何かを変えるような力もない、と自信が持てないのだと。こういったものが、選挙に行かない若者に現れているような気もします。
また、就職難で私たちが感じる閉塞感は、現在の日本にある「新卒至上主義」が原因にあると私は考えます。こういう風潮のせいで、就職が出来ずに、大学を卒業してしまった場合には、格段にその後の就職場所は制限されます。卒業後3年間は、新卒扱いということを国が保障しましたが、その対応が遅かったと印象は拭えませんし、その保障があっても、閉塞感が消えた気はしません。
現在の就職難を改善するためには、現行の社会制度や意識の改革が必要なのだと感じます。
ハイリスクを恐れる、臆病な政府に、思い切った判断が出来ることを期待したいです。
日本の未来をいよいよ担っていくであろう私たちを取り巻く状況はどんどん悪化しているように感じる。若者の就職難から格差が生まれ、そこからさまざまな社会問題が湧いて出てくる。ではどうして就職難に陥ったか…こんなこと考えたって《卵が先か、鶏が先か》とほとんど変わらない。
この現状を打破するには私たちの世代がこの国を引っ張っていく、変えていく必要がある。私はやはり何としてでも教師になって、これからを担う人材を育成できる人間になりたいと思いました。
就職状況のかつてない厳しさは、まだ1年生の私にも、4年後に社会に出ていくものとして現実感があります。
最近では大学受験での大学選び、学部選びですら就職を真剣に見据えています。昨年受験した私たちの代は、不景気の影響を受け、教育学部や看護学部などの受験者が大幅に増えました。私たちが大学や学部を選ぶ理由はもはやほとんど「就職できるかどうか」になっています。
大学は、学びに行く場所ではなく就職へのステップ、という認識が今の高校生には強いように思われるのです。今は大学生のみならず高校生までも、頭が就職のことで大きく占められているようです。だからこそ大学側も「キャリア教育」で受験生集めをしているのではないでしょうか。
今の日本には、失敗したらやり直せない風潮があるように思います。そしてこれから景気が上向くだろうという希望がほとんどありません。だから若者は挑戦を恐れ、無難な道を選ぼうとしているのだと思います。それを「覇気がない」というのは、若者目線になることを面倒くさがっているだけのように私は見えます。私たちはとても真剣に深刻に就職について悩んでいるのです。
私は現在大学4年で、最近まで就職活動をしていました。就職活動を始める時期は年々早まっていて、3年の秋ごろからは最低でも始めていないと出遅れているというような状況です。このように昔に比べてかなり活動の時期が早まっているにもかかわらず就職内定率が過去最低となっているのは、一つは、全国的にも名が通っている大手企業を志望する学生が多いことが挙げられます。二つ目は、十分な企業研究の不足や自己アピール不足などが挙げられます。
一般企業調べで大学新卒者一人当たりの求人倍率は1.28倍となっており、数字の上では就職内定率100%も可能なのです。ただ、長引く不況のあおりもあって少しでも安定した企業を選ぶというような学生が多く、人気の企業とそうでない企業との差が広がっているのが現状です。第一志望とはいかないまでも、椅子を開けている良い企業はたくさんあると思うのでよく企業研究をしたほうがいいと思います。
また、面接などで自分の思いを相手に伝えるためにも徹底的な企業研究は必要不可欠ですし、自己分析などをもっと掘り下げて行うことが大切だと思います
私は現在大学院の一年生です。来年から就職活動が始まります。いろいろな不安を持っています。私の大学の友達は何人ぐらい内定を取りましたが、会社に入るとみんな大変だと言っています。先輩からいろいろ言われるし、変な上司がいれば最悪です。
若者の就職難と言うと、まず、新人としてわからないことが多くて、上司や先輩からいわれるし、本当に大変ですね。また、精一杯でやっても、正社員になれるかどうかのは若者の就職難の原因でしょう。
若者の就職難はただ、若者側の問題ではなく、会社側も問題があると思います。たとえば、給料が低い、ストレスがたまる、正規ではない、いろいろな面があります。
来年、私の就職活動が始まります。どうになるか私もわからないですが、私は絶対精一杯やります。いい仕事を見つければいいですね。祈りします。
私は、このブログを読ませていただいて今日の日本は就職難であることを再認識した。そして、今日の就職難が自分だけではなく親の不安要素にもなっているのだと知った。この就職難から格差が生まれ、家族を持つことへの不安も生まれ、様々な問題が増えていっている。これからの日本を創っていく私たちの未来は決して明るいものではないのだと思う。これからの日本がどうなっていくのかいよいよ関係のないものではなくなってきたように思う。
90年代以降、雇用不安定と失業の深刻化による、若者にとって”それ以前のような大人”になることが困難な状況下で、しかし大人にならざるを得ない若者は、”彼らなりの新たな大人”の模索を強いられているのだと思う。
その先行きの見えなさに対する不安が「生きづらさ」として語られ、そこから逃れようとする焦りが「大企業・公務員志向=就職の選り好み」となって表出しているのではないだろうか。
確かに現在の大学生の就職状況は深刻です。
ある調査によると、7月時点で1社以上から内々定をもらい
来春卒業予定の大学生は58%で40%強がまだ1社からも
内々定をもらっていない。この原因全てが我々若者が原因と
思われているなら苛立ちを感じます。現在の大学生の数は
1970年代から比較し倍以上になっています。これにより
飽和状態になるのは当たり前でこれは社会制度で解決して
いくべき課題であって決して若者のせいではない。
しかし、若者にも非がないわけでもない。
現在の大学生は職に対する選り好みが過ぎる気がする。
日本の大手企業はほんの1割程度しかない。
のにも関わらず多くの学生が大手を目指したがる。
もっと中小企業にも目を向けていけば、この就職難
でも多少は希望が見えてくると私は思う。
当然このように現在の状況を若者自身が考え
臨機応変に方向性を転換していくことも必要になってくる
と考えます。
なぜ就職できないのか。それは決して個人だけの責任ではないはずです。昔とは経済状況も社会的な状況も違います。当然大学や学生の性質も違います。今社会で、会社で選考を行う立場である企業や、若者の就職を斡旋するべき立場の人間が昔の考えを引きずったままであれば就職難は終わらないのではないでしょうか。一方で、大学全入時代による学生の学力等の低下も無視することのできない要素であると思います。
若者の雇用問題が少子化問題にまで発展してしまうことを考えると、国にとっても個人にとっても、雇用問題を真剣に考える必要があると感じました。
このブログを読ませていただいて、やはり、就職活動というものは、とても大変なものなのだと改めて考えました。私はまだ、自分がどのような職に就きたいかや、どのような職が向いているか、など具体的に決めることができていません。まだ一年生というのもありますが、少し焦りを感じています。このように、一年生の自分でも就職活動に対する不安というものは、とても大きなものなので、実際に直面している大学生はより大きな不安を抱えているのだと思います。しかし、就職活動に決して楽な道など存在しないので、様々なことに興味や関心を持ち、積極的に行動することで、自分に自信が持てるようになれば、不安にも打ち勝っていけるようになると思います。
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