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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

条例(案)に宿る民衆の志

 この一年余り、私はさいたま市の条例づくりの中で、民衆の志と良識について改めて思いを馳せることになりました。一言でいえば、多くの市民の志に深く錨をおろしているdecency(品のある、良識のある、健康で文化的なありさま)です。

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金子さん(左)と介助者の井関さん(右)―「市民として一緒に汗をかきたい」

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 さて、この条例づくりの柱であり、議論の出発点となってきたところは、100人委員会という市民参画の場です。ここには、障害のある方はむろん、JICA(国際協力機構)を退職されて「何かお手伝いできるのでは」と参加された市民や、「市報でたまたま目を留めて」参加した市民など、さまざまな人たちが集いました。

 中には、仕事帰りにアスペルガー症候群のある女性が委員会に参加されて、声を絞るように「職場と地域で私の障害が理解されないことが大変つらいのです」と発言される場面ありました。このように、従来の障害者運動にはほとんど顔を出さなかった人たちもたくさん参加された点に、今回の100人委員会の特徴があるでしょう。

 一つの条例づくりをテーマにして、意見や立場の異なる大勢の市民が集うのですから、議論の運びをまとめていく作業は大変です。世の審議会にありがちな「シナリオ」はなく、国のタウンミーティングで以前にあった「さくら発言」(国の政策方針に即した発言をする「一般市民の顔」をしたさくら)もありませんからね。

 実際、100人委員会(全部で11回の開催)の初回から半ばあたりまでは、それぞれにうっ積する怒りや思いを条例づくりに「ぶつける」ような傾きがありました。しかし、回を重ね半ばを過ぎたあたりから、発言と討議の内容に参加者の確かな「真意」が表わされるようになりました。

 「僕は、差別をなくしてもらうことによって、市民の一員として地域をよくするために共に汗をかきたいんだ」
 「そうそう、差別や虐待をなくすのは目標じゃなくて、その先に、職場や地域でいっしょになって働いて、当たり前に笑ったり悲しんだりできるようになることが、この条例の目標なんだよね」

 このような発言と討議場面は、障害のあるお子さんを育てている父母にも、障害のあるさまざまな方からも、会場のあちこちでみられるようになっていきました。そのようなお考えを表明された方の一人が冒頭の写真にある金子さんです。

 「僕には24時間のヘルパーが必要だとしても、それが目標じゃない。その社会的支援を利用することによって、一人の市民として自分なりに地域社会に貢献できるようになることなんだ、そこで一緒に汗を流すことが本望だよ」と彼は断言します。

 このような大勢の参加者の意見は、差別を「告発」して自分の「権利だけを主張する」とか、社会保障制度や公的なサービス給付に「寄生」して楽に生きたいというものではまったくありません。人権についての無理解が招く偏見の一つに、このような「堕民観」にもとづく非難がときとしてみられますが、今回の条例づくりでは、100人委員会を通して、大勢の市民の側から民衆のdecency(品のある、良識のある、健康で文化的なありさま)を表明するものとなりました。

 そこで、この条例の構成は次のようになっています。

目次
 前文
 第1章 総則(第1条―第8条)
 第2章 障害者の権利の擁護
  第1節 障害者への差別の禁止等(第9条―第15条)
  第2節 障害者への虐待の禁止等(第16条―第21条)
 第3章 障害者の自立及び社会参加のための支援(第22条―第31条)
 第4章 補則(第32条)
附則

 ご覧になって分かるように、障害者の権利を擁護し、差別と虐待を克服することによって、当たり前の地域生活を実現することを目標に据える形になっています。
 この条例の議案本文と先週のブログでお伝えした簡明版は、ともに次のサイトでご覧になれます(http://www.city.saitama.jp/www/contents/1267487153089/)。硬い文章の法文になじめない方は、簡明版をお読みいただくことをお勧めします。この簡明版を全文読めば、当たり前の、良識あることだけが条例に書かれているということがご理解いただけるはずです。

 この条例(案)に宿るスピリットは、意見と立場を越えて練り上げられた大勢の市民の良識です。特定の人のためのものではなく、信実に全市民の共有財産となりうるdecencyの所産です。
 最後に、この真実を、さいたま市議会のすべての議員にぜひともご理解いただきたいと願っています。


コメント


 私は先日、大学の講義で先生のお話を聞かせていただいた、大学2年生の福祉を勉強している者です。
 講義では、さいたま市の障害者の権利の擁護等に関する条例についてのお話を伺いました。この記事の中で紹介されている100人委員会では、意見や考え方は一人ひとり違うものの、社会に対して望んでいる姿勢は皆一緒であると感じました。「差別はいけない」ということは、小さな頃から道徳等で教育されています。
 しかし現実には、偏見を持っている人も社会に多々いると思います。だからこそ、社会的制度や条例に、不釣り合いが生じたり、個人の利益が尊重されていないという現状があるのだと考えます。さまざまな障害を持つ方と関わる機会がなかったり、知識がなかったりすると、変な誤解を持ってしまうなど、マイナス面が多いと思います。
 そこで、地域ごとに健常者と障害を持つ方との交流会や勉強会などを開き、接点を持つことで、お互いの理解を深めるきっかけがあればと思います。お互いのことを知ることで、条例等を考える際に、住民が自分のことだけでなく障害を持つ方のことを考えての発言・助言が増えることが目的です。このような背景が、どんどん広がっていけばというのが、私の思いです。
 まだまだ勉強不足の私が、生意気な発言を失礼しました。これからも、先生のブログをチェックさせていただいて、自分の価値観にプラスしていきたいと考えています。ありがとうございました。


投稿者: ぷんちゃん | 2011年06月17日 23:11

 このノーマライゼーション条例は、「みんなで」作る条例というところに意義を感じます。先生のブログに出てきたアスペルガー症候群の女性の主張のように、当事者の、それも障害や困っていることに応じた意見が取り入れられることは大きな意味があると感じます。
 それというのも私自身は精神障害をもっており、また私の友人に身体障害や発達障害を抱えた人々がおり、私たちのニーズは現行の障害者自立支援法では決して満たされないからです。むしろ、自立の阻害ではないかと思ってしまうのです。
 ブログの中にありました市民の方のお言葉、「差別や虐待をなくすのは目標じゃなくて、その先に、職場や地域でいっしょになって働いて、当たり前に笑ったり悲しんだりできるようになることが、この条例の目標」というのを見てはっとさせられました。障害のある私のほうが、一緒に働くことをあきらめていたのです。共同で作業をおこなうからこそ、この市民の方のような言葉が出るのだと思います。
 私の住む県でも、先生たちがなさったようにさまざまな障害やニーズをもつ市民で話し合いを重ねながら、ノーマライゼーションを実現できる日がくればと思います。
 先生との貴重な出会いに感謝いたします。


投稿者: てふてふ | 2011年06月19日 23:28

 誰もが共に暮らすということは健常者であっても何らかの障害があっても生まれ育った場所や地域で自分の望む生活を送ることなのだと思います。しかし現実にはまだまだ差別や偏見もあり、身体や精神など障害そのものについて理解されにくいことも多いのが現実のようです。
 自分以外の他者を理解して共に暮らすにはまず相手を知ること、そして自分を知ってもらうことだと考えます。障害のある方のなかには理解されなくてつらいと話されている方もおられるようですが、そのような声を出していただくことも理解しあうための一歩につながるのではないでしょうか。
 もちろんその声にきちんと耳を傾けなくてはならないし、わかり合おうとする努力をお互いにしなくてはならないと思います。また、誰もが同じように声を出せる社会や制度でなければならないと思います。そして本当の意味での「共に暮らす」ための地域社会つくりを共にしていかなければならないのだと感じました。そのためには自分のできることを考え見つけ出すために多くのことを学ばなければならないと思います。また、ひとつひとつの出会いをその意味を考えながら大切にしていきたいと感じました。


投稿者: 花 | 2011年06月21日 01:23

 わたしは、大学の授業でさいたま市のノーマライゼーション条例が作り上げられるまで何度か講義を受けた者です。

 初めに100人委員会と聞いたとき、100人で委員会を構成しているのかと思ったら100人とは数ではなく、多くの人々という意味だったのですね。わたしが住んでいる県や市でも、このような組織体系を作り、みんなが条例を作ることに意志を注げば、ノーマライゼーションを実現させることは難しいことではないのではないでしょうか。
 そのためには自治体や各領域の専門家はもちろんのこと、地域に住んでいる我々当事者がもっと考えていかなければならないと思います。
 そしてその考えをみんなが出し合い、共有できる場所が必要です。それがさいたま市においては100人委員会だったのだと私は考えます。早く我々の地域でも、ノーマライゼーションが実現できるよう、行政にも協力してもらいたいです。

 差別の禁止や虐待の禁止は当たり前。それよりももう一歩踏み込んで、健常者も障害者の方も過ごしやすい地域を作るということ。これが共生社会であり、福祉をよりよくしていくということなのだと思いました。


投稿者: 儚 | 2011年06月21日 16:27

 先生の講義を受け、障害とは何か、共に生きるとはどのようなことなのかを考えさせられた内容でした。誰もが障害を負う可能性があり、他人事ではないということを改めて感じました。
 条例づくりのスライドを見た際、当事者が参加することでより具体的な住民のニーズの把握、実現に向けた体制を考えやすく、地域住民の意識の向上にもつながる良い機会になると思いました。普段生活していると健常者であるがゆえに、何気ない段差や道路の凸凹などが障害を持っている人にとってどれほどの不自由さがあるのか忘れてしまいがちです。しかし、当事者やその家族を交えて意見を出し合うことで、どんなことに困難を抱え、それが物理的なものから精神的なものまで様々だということに気づくことができると感じました。地域全体で共に生きることの重要性を住民に働きかけ、考えさせていけるよう地域で取り組んでいくと日本という国も少しずつ変わっていくのではないかと考えました。貴重なお話ありがとうございました。


投稿者: E.t. | 2011年06月26日 14:00

 先日、宗澤先生の講義を受講させていただいた者です。
 さいたま市での条例作りは、今まで行政が行なってきたものとは全く異なったものであり、大変感銘を受けました。「市民が自らの意見を持ち、それが条例作りに反映されていく。」これが本来あるべき姿なのではないかとも思いました。そこに障害をもっているかどうかなどの条件はなく、一人の人として同じ場所で生きる者として多くの意見交換が行なわれていくことで本当の意味で「市民のための条例」になるのだと感じました。
 私は、知的障害や精神障害、社会不安を抱えた方々の就労支援の一つとして技術取得を目的とした活動に携わらせていただいています。この活動を行なっていく中で、世間一般の障害に対する偏見や同情心をもっている方々が多いことを改めて痛感しています。
 その上で先生の講義を受け、障害の有無に関わらず、みんなが同じように働き、生活し、街を活性化させていくような環境作りが必要だと思いました。身体・知的・精神障害などの一般的な障害に加え、一時的なケガや病気も障害として捉える事で今まで障害に偏見をもっていた方々もより身近に感じることができます。また、介護などの支援が必要であっても「支援があれば普通の生活を送ることができる」という捉え方に変換することで市民全体の考え方も変わっていくのだと感じました。今行なっている活動等を通して、今回お話いただき、学んだことを生かしていきたいと思います。
 大変貴重な講義をしていただき、ありがとうございました。


投稿者: すん | 2011年06月29日 00:03

講義を受けている者です。

「『僕は、差別をなくしてもらうことによって、市民の一員として地域をよくするために共に汗をかきたいんだ』」というブログの中の文章に対して未熟ながら意見を述べたいと思います。
 私は、障害者に対する差別を無くすことは当然のことで、目標はその先にあると考えます。そうした点からもこの条例づくりには賛成です。
 私は福祉関係のバイトをしており、またつい先日特別支援学校に実習に行かせていただいたりして、ある程度障害のある方々と接することは多く、記憶も新しいと思います。
 そんな私が思うのは、障害がある方々を可哀そうだと憐れむことは間違いであること、また、障害とは「個性」でもあるということです。
 そう思ったのは、障害のある方々も自分の人生を楽しんでいるようにバイトを通じて感じたからです。休日に好きな映画を観てその話を楽しそうに報告される方、カラオケを楽しんでいる方、仕事の内容を楽しそうに語る方など様々いて、みんな自分の人生を楽しんでいるように感じました。今は少ないと思いますが、障害のある方々に憐れみの目を向けることはやはり間違いであると感じました。
 また、特別支援学校では、発達障害をもった子などもいて、普通にコミュニケーションもとれるような子も多々いました。そうした子ども達を見て思ったのは、障害もひとつの個性であるといえるのではないかと思いました。私たちの性格や癖と同じなのではないかと。ただ支援が必要になってしまっただけなんだと、より障害を身近に感じるきっかけを与えてくれました。
 上に挙げた二つの経験からも、障害のある方々が市民の一員となれるような条例をつくることは、必要不可欠であると感じました。


投稿者: かっぱ | 2011年07月02日 19:54

 ブログ大変興味深く読ませていただきました。
 100人委員会という場を通じて、意思のある市民が自分の意見や気持ちを発信できるということは非常に意味のある取り組みだと思います。
 なぜなら障害のある人でもない人でも生の声を聴き、互いに理解しあったり、問題の改善などに役立てることが非常に効率的にできると思うからです。

 ノーマライゼーションの達成には市民と行政の協力が不可欠です。しかし、時折行政側の突っ走りが目につくように感じます。
 行政を行うものの義務として、市民の生の声をきちんと受け止める。当たり前のことですが忘れてはいけないことだと思います。


投稿者: みみみ | 2011年07月02日 20:40

 障害者の擁護等に関する条例を読ませて頂き、先生の講義をお聴きして、まず障害者の擁護等に関する条例ができることの、そして条例の内容について、また条例つくりの過程での、さいたまの条例の先進性を思います。
 この条例の基本的な考え方、誰もが障害の有無にかかわらず、障害は個性との考え方に立っている。これは当たり前のようで難しいと考えます。
 さらに障害の有無に関係なく、幅広く多くの市民参加のもと、その意見を取り入れてつくられていること。タウンミーティング等で市民の意見を聞くと言うケースはあったも、協働によって条例をつくることはあまり聞きません。
 そして、この条例の内容で第27条で1個人について生涯にわたる支援として、乳幼児から就労支援まで生涯にわたる支援を記し、縦割り行政の支援から、横断的な支援の方向へ、さらなる共に生きる自立の達成を目指していることが現れていると考えます。
 今後は、この条例が如何に市民の仲に浸透させることができるか、市民の権利擁護の為に、この条例を活かしていく事ができるかと考えます。この為には積極的広報そしてその検証にかかっていると思います。


投稿者: 夢追い人 | 2011年07月02日 22:32

 障害者の擁護等に関する条例について、条例を読ませて頂き、先生の講義をお聴きして、まず障害者の擁護等に関する条例ができることの、そして条例の内容について、また条例つくりの過程での、さいたまの条例の先進性を思います。
 この条例の基本的な考え方、誰もが障害の有無にかかわらず、障害は個性との考え方に立ってつくられている。これは当たり前のようで難しいと考えます。
 さらに障害の有無に関係無く、幅広く多くの市民の参加のもと、その意見を取り入れてつくられていること。タウンミーティング等で市民の意見を聞くと言うケースはあっても、協働によって条例をつくることはあまり聞きません。
 そして、この条例の内容で第27条で1人個人について生涯にわたる支援として、乳幼児から就労支援まで生涯にわたる支援を記し、縦割り行政の支援から、横断的な支援の方向へ、さらなる共に生きる自立の達成目指していることが現れていると考えます。
 今後は、この条例が如何に市民の中に浸透するか又浸透させることができるか、市民の権利擁護の為に、この条例を活かしていく事ができるかと考えます。この為には積極的広報そしてその検証にかかっていると思います。


投稿者: 夢追い人 | 2011年07月03日 00:47

 講義を受けている者です。

 「『僕は、差別をなくしてもらうことによって、市民の一員として地域をよくするために共に汗をかきたいんだ』」というブログの中の文章に対して未熟ながら意見を述べたいと思います。
 私は、障害者に対する差別を無くすことは当然のことで、目標はその先にあると考えます。そうした点からもこの条例づくりには賛成です。
 私は福祉関係のバイトをしており、またつい先日特別支援学校に実習に行かせていただいたりして、ある程度障害のある方々と接することは多く、記憶も新しいと思います。
 そんな私が思うのは、障害がある方々を可哀そうだと憐れむことは間違いであること、また、障害とは「個性」でもあるということです。
 そう思ったのは、障害のある方々も自分の人生を楽しんでいるようにバイトを通じて感じたからです。休日に好きな映画を観てその話を楽しそうに報告される方、カラオケを楽しんでいる方、仕事の内容を楽しそうに語る方など様々いて、みんな自分の人生を楽しんでいるように感じました。今は少ないと思いますが、障害のある方々に憐れみの目を向けることはやはり間違いであると感じました。
 また、特別支援学校では、発達障害をもった子などもいて、普通にコミュニケーションもとれるような子も多々いました。そうした子ども達を見て思ったのは、障害もひとつの個性であるといえるのではないかと思いました。私たちの性格や癖と同じなのではないかと。ただ支援が必要になってしまっただけなんだと、より障害を身近に感じるきっかけを与えてくれました。
 上に挙げた二つの経験からも、障害のある方々が市民の一員となれるような条例をつくることは、必要不可欠であると感じました。


投稿者: かっぱ | 2011年07月03日 12:06

私は先生から先日講義を受け、社会通念における障害に対する概念があまりに狭すぎ、特別扱いしすぎている現実があることを、痛切に感じました。
先生ご自身が体調を崩された折、疾患の影響で視野が限定された、という経験談を話されました。それは一時的であれ障害となりますし、その障害を補うためのサービスが受けられてもいい。その通りと思いました。そして私自身もいつ何どきケガをし、一時的にでもADLに支障をきたす可能性がある。障害は決して特別なことではなく、全ての人々が経験しうることでもあり、日常生活から分離されたものでもないと思います。
私は大学をはじめ職場において障害について考える機会が多くなりました。障害とは特別ではなく個性として捉えるべきものと認識できてきましたが、一昔前は障害をもつ人々と接するときに、やはり手厚く何かをしてあげないといけないという、下世話な感情を抱いていました。発達障害を持つ人々との関わりなどにおいて、ある程度の接し方や特徴についての知識をもって関わる必要があるとは思いますが、障害に対し以前と違う価値観をもつことができつつあります。実際には上手く行かないこともあると思いますが、今の私であったら以前よりも共生的な感覚でもって接することができような気がします。


投稿者: EPICE | 2011年07月12日 12:02

100人委員会の中に、このような思いを持った方々が参加していたことに、驚きました。
やはり、普段こういう会議の場に参加する機会のない方々というのは、自分が普段持っているノーマライゼーションへの思い、自分の考え、意思を伝える機会のないということ。自分の考えていることを、周りに発信することのできないもどかしさというのは、私も痛いほどわかります。
障害のある人も、ないひとも、若い人もお年寄りも男性も女性も関係なく、「一人の市民」として、これから自分たちが幸せになるために、自分たちの後の時代に、未来に幸福を導くために、百人委員会に参加なさっているんだなというのが、すごくよくわかりました。私たちも、将来、福祉士として社会に携わる時、不満をぶつけるのではなく、自分たちの思いをきちんと届けられるように、やり方を工夫していきたいと思います。そして、その時には、だれがどんな状況とか関係ない、すべての人間がかかわることができる会議にしていきたいと考えています。


投稿者: きゅあばすけ | 2011年07月12日 12:51

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
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発行:中央法規
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