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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

「時流に乗る」ことはやめましょう

 神田神保町には、1895(明治28)年に日本での活動を「開戦」した日本救世軍本営が置かれています。救世軍は、戦前と戦後を通じて地道な取り組みを重ねてきた数少ない団体の一つです。

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日本救世軍本営-神田神保町

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 社会鍋は救世軍の街頭募金活動で、年末の風物詩にさえなっています。このはじまりは、1905(明治38)年といいますから、100年以上の歴史をもちます。また、街頭生活者への街頭給食(いわゆる「炊き出し」)や日用品配布の活動においても、近年さまざまなNPOが新しい取り組みを始めるはるか以前からの「老舗」です。

 1865(慶応元)年にウィリアム・ブースによってイギリスで設立されて以来、救世軍は世界的な禁酒団体でもあり、その性格に由来してアルコール症への取り組みではわが国の草分にあたります。山室軍平著『禁酒のすすめ』は、1912(大正元)年の初版から37版を数えた現在も、救世軍出版供給部から販売されています。

 さらに特筆すべき点は、1896(明治29)年「出獄人救済所」(釈放者保護所)の設置に始まる受刑者の社会復帰支援や、1900(明治33)年「醜業婦救済所」(婦人救済所)と「廃娼運動」に始まる女性支援の取り組みです。明治の時代から服役者の社会復帰支援や女性の人権問題に取り組んできたのです。

 これらすべての取り組みは、戦前に始まる取り組みでありながら、すぐれて現代的テーマにも迫る地道な活動です(以上は、『救世軍活動概要-心は神に手は人に』(救世軍本営、2010年)によります。詳細は、『神の国をめざして』(救世軍出版供給部)第1~第4巻をご参照ください)。

 これとは対照的に、社会福祉の世界では世の時流に応じた流行り廃りが目立ちます。

 私の学生時代には、高齢者の福祉に関する出版物は少なく、研究者の数もごくごくわずかでした。それからしばらくの歳月が経って、「高齢化社会」の問題が社会福祉の世界で否応なく浮上してくると、「雨後のタケノコ」のように高齢者福祉を「専門」とする人が増えました。

 子どもの人口の減少に高齢者福祉への注目が偏るなかで、児童福祉を専門とする人の数が減ってしまったかと思えば、児童虐待がやおら急増してくると、今度は児童虐待を「専門」と自称する人たちが「春の虫」のように出てくるというような塩梅です。これほど激しい流行り廃りのある業界も珍しい。

 社会福祉基礎構造改革を迎えては「福祉ビッグバン」と騒ぎ、介護保険においては当初時点で「介護の社会化」で売り込みをはかったかと思えば、数年たつと「介護予防」を看板に変えてリニューアルする。すると業界では、「ケアマネジメントでは、あの先生が儲けたね」とか「介護予防では、トレーニング機器の売り込みで○○先生はかなり稼いだみたいだよ」というような風の便りが届きます。

 時代に応じて社会的なニーズは変化しますから、それにふさわしい現象に過ぎないのかもしれません。しかし、虐待の研究をまともにしたことのない人が、虐待のことについてあたかも社会的権威であるように発言したり、ちょっと前までは施設の管理運営を「アドミニストレーション」と発言していたのが、何故か突然「マネジメント」にキーワードが変わったりする人を目の当たりにすると、時流に乗っただけの「上滑り」な内容とともにしらじらしく思えてくるのは私だけではないでしょう。

 支援の営みは、日々の「今ここで」のニーズに応えていくものでありながら、それを通じて新たな社会制作をともにする活動です。これは、地道で壮大な営みであると同時に、個別具体的な支援の力はむろん、それを突き抜けて地域社会における課題の共有から自治体・国による法制度的な解決までをともにしうる戦略・方法論が、これらを支える倫理・哲学とともに必要となるでしょう。

 社会福祉研究の議論が「政策」と「実践」に二元化してきた問題の指摘は、古くて新しいところです(真田是編著『戦後社会福祉論争』法律文化社、1979年)。しかし、問題指摘の行われた当時以上に、近年の法制度の急激な変化に振り回され、地道な取り組みの方向性を見失いがちな傾向はないのでしょうか。

 制度改善をいいながら日々の支援とは全くつながっていなかったり、制度への不満はくすぶるが日々の支援に埋没するだけだったり… もちろん、ここでは現場の置かれた厳しい実情を無視することはできないでしょう。しかし、もっとひどい場合には、自分とその事業体を「売り込む手段」としての支援や制度に成り下がっているところさえありはしませんか? 私見によれば、このような姿勢が時流に乗った「フラッシュセールス」のようなはやりすたれをこの業界にもたらしているのだと考えます。

 救世軍の歩みを学ぶことは、そのスピリットや活動内容に賛同するか否かを問わず、福祉における支援と事業体のあり方を改めて考え直す契機となるでしょう。


コメント


>支援の営みは、日々の「今ここで」のニーズに応えていくもの

 私はこのあり方に問題があるとは思わないし、その結果として福祉がフラッシュセールス化するというのなら、それでも構わない。需要が多いなら、供給もより多くしなくてはならんからな。

 救世軍にしても、「今ここで」必要であることの積み重ねとともに今あるのだろう。実際のところどうかはわからんが。わっはっは。

 時勢に逆らって取り残されたマイノリティに手を差し伸べることを粋だとは思うが、時勢を読んで時流に乗ることが愚かしいとは、私は思わんよ。

 福祉に不可能は無い! わっはっは。


投稿者: 501 | 2011年02月01日 14:36

 福祉もビジネス。けど、見返りなく助けたいって気持ちだけで支援できる制度があったらどんなに清々しいことだろうかと思う。


投稿者: svc | 2011年02月02日 08:53

 救世軍の実践・事業は、福祉問題の根っこが何なのか分かっていたんだね。
 たとえばノーマライゼーション思想の積極性は、「時勢に逆らって」障がいのあるマイノリティの非人間的な生活に光を当て、それまで特殊なものと考えられていた障がいのある人のニーズを、誰にも共通する人間的ニーズとして明らかにしたことにあるわけでしょ。マイノリティの人間的ニーズを無視したり軽視することは、とどのつまり同時代を生きる人間の、共通する基本的なニーズを無視したり軽視することにつながっていくという社会的な問題の本質をえぐりだした思想であったわけだ。
 救世軍は、「今、ここ」で求められる実践・事業を展開しながらも、「国策」という名の時流に流されない実践・事業にこだわったわけだ。それが百年たっても、現代にも通じるという意味で歴史貫通的な視点を持っていたということなんですね。何も考えずに、ただただ時流に乗ってきたわけではないところに、その積極性があるのです。
 日本の福祉政策は、福祉サービスの質と量だけでなく、国民の福祉ニーズをも一貫してコントロールしてきたわけです。介護保険が典型なんですが、福祉政策のあり方によって国民の福祉ニーズのあり様が左右されている事実は、ちょっと勉強すれば誰にでも分かることなんです。「今、ここ」の視点だけでは新たなものは創れないし、それどころか、国民の福祉ニーズをも左右する政府の政策に無条件に迎合してしまうことになるわけだね。ましてや国民が必要とする福祉ニーズを明らかにすることなんてできっこない。その限りにおいての福祉事業は、何かいいことをやっているようで、実のところ、“国民のための福祉”の反対物=本当の意味で対象者のためにはなっていない反福祉的な実践・事業へと変質してしまうのだね。
 福祉の仕事のほとんどは、国民の血税や高い保険料で賄われているのですから、時勢を読んだつもりで時流に乗って、結局「我が亡き後に洪水は来たれ」なんてことにならないように、心すべきですよね。


投稿者: 青蕪乗り | 2011年02月03日 23:06

 福祉というものを利益目的で見るのはよくないと思った。こういう制度をはやく作ったほうがいいとおもった!


投稿者: ふくしくん | 2011年02月04日 18:27

 自分の生活を回しながら、社会問題についてより良くするために動き、働きかけをやり続けて行くこと、今の私にはとてもできないことだと思いました。しかし、やり続けた先人のやってきたことの延長で今の私の置かれている環境だったりがあるわけで、そういう風に考えてみると、心の底から「より良くしたい」と感じ動いている人がいるから今があり、これからがあるのかなと思いました。


投稿者: ぼうしメガネ | 2011年02月06日 14:24

 たしかに現在は高齢社会と言われメディアでもよく取り上げられ「専門」とむやみやたらに言っている人々が増えているかもしれません。そしてもしかしたらその人たちは間違ったことを私たちに教えているのかもしれません。
 しかしそれでもそういったにわかのような人が増えることがそこまで悪いようなこととは思えません。そのような人たちは高齢者福祉にたいして危機感をもっておりそのことを私たちに伝えようとしているのではないでしょうか。それによって私たちも危機感を持ち高齢者福祉にたいしての意識を変えることができると思います。
 なので私は、専門家の数が増えることはそこまで悪いことではないような気がします。


投稿者: やまき | 2011年06月21日 13:42

 私の父に介護が必要になり、初めて介護ビジネスの方々にお会いする機会を得ました。私も流通業にいましたが介護の分野とはすれ違いであったので、とても興味深かったです。
 ビジネスが始まる原点は病院からでした。全ての業者は系列で固められ、介護認定がおり、しかも退院の時期という時間的制約があるなか、本来ならば消費者が選ぶ為に比較検討する権利があるはずなのですが、制度の説明・専門用語の説明など相手が理解出来ているか関係なく、ケアマネが決まり話がどんどん進んでゆきました。モデルプランがあるかのごとく、公的支援の援助の範囲内の金額でプランが完成しました。
 しかしながら介護が必要になった父のアドバイスを頂けると思っていた専門家であるケアマネは頼りなく、全て私や母が勉強し色々な施設を見学しケアの要望・スケジュールを提示しプランを作成してもらいました。(この間ケアマネは変更してもらいました。)
 この経験から感じたことは、介護のビジネスの相手は社会的弱者が多く公的資金も流れる為、お金儲けするには他の業界よりは容易い成長産業でだと思います。
 だからこそ、ケアマネのような身近な専門家は系列のセールスマンではなく、系列から離れた存在であってもらった方が良いと思いました。私が色々なアドバイスを参考にしたのは、北九州市の包括支援センターの方でした。中立の立場でのアドバイスと、自分で決定する方法など考え方が本当に役に立ち、現在は父も快適に生活しています。
 この経験から、福祉ビジネスが盛んになり消費者が選別する目が肥えていない今だからこそ、身近な専門家のケアマネは行政機関に所属させた方が良いのではないかと痛感しました。
 


投稿者: れんれん | 2011年07月12日 11:34

 確かに社会福祉の問題を考える人が増えたといえるのでしょうが、この流行には、真剣でないからこそ腰が軽いという事実もあるように思います。
 今の日本では、すべてにおいて流行り廃りが激しいように思いますが、社会福祉の問題までがそうであるならば、社会福祉はビジネスの1つとしてしか見られていないということなのではないでしょうか。人と人とのつながりが最も重要な社会福祉までがビジネスとしてとらえられているならば、支援は本当のニーズに応えられない浅いものになってしまうように思います
 そして何より政府の社会福祉に対する姿勢は、真剣味に欠けるところがあるように思います。失業者は介護の現場に回せばよい、というような姿勢に、介護の現場を軽視する感情がにじみ出ていたように感じました。


投稿者: さらり | 2011年07月13日 01:19

普段テレビなどで様々な分野の専門家の発言を耳にしているが、どれくらいの割合で、その分野に精通しているとはいえない「自称専門家」が紛れているのだろうか。

そう考えると、「流行っている問題だから、専門家の言う事に従っておこう」ではなく、「流行っている問題だからこそ、自分できちんと学ぼう」と、普段から意識するべきだろう。


投稿者: k-ta | 2012年01月25日 01:57

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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