「すべてのカメラは美しい」が…
冒頭から畏れ多くて恐縮ですが、このブログ・タイトルは、写真家の荒木経惟氏の著書『すべての女は美しい』(大和書房、2001年)をもじりました。
中古カメラ店に私が立ち寄る際は、まず入口付近で胸はときめき眼がらんらんと輝きます。次に、入店すると店内に陳列している方々のカメラ・レンズから「とうは立っているけど、あたしはまだまだいける口よ」「ねっ、お兄さん、手に持って覗いてよ~」と一斉に声をかけられているようで、思わず「よしよし」と応えてしまいそうになるのです。
今は亡きMINOLTAの名玉“G-ROKKOR 28mm f:3.5”をつけたBESSA-R
ここまでなら、さまざまな分野のマニアにありがちな「病気」に過ぎません。とくに、カメラ・レンズに関するこのような手合いは大量に存在します。東京の中古カメラ店に行けばうじゃうじゃいますし、ネット上のホームページやブログを記している者も数知れず。
わが国は世界に誇るカメラメーカー大国でありながら、写真文化を大切に育んでこなかったうらみがあると言われてきました。そこでプロの写真家も本業の仕事だけでは食べていけないからでしょうか、昔から写真家の中にはカメラ・レンズメーカーの「腰巾着」か「太鼓持ち」よろしく、カメラ雑誌等で新旧製品のくさぐさについて饒舌な「おしゃべり」をしている方をたくさん見かけます。ここには、読者のニーズに応える意味もあるのでしょうが、ちなみに冒頭にご紹介した荒木経惟氏は、「写真のことは語るが、カメラのことは語らない」方です。
それでも、カメラとレンズは愛好家にとって、道具としての不思議な魅力を感じるものです。私の場合、「光の世界を記録にとどめる」ことにはかりしれないロマンを感じたことが出発点でした。一瞬に消える事象をフィルムに(デジタルカメラなら撮像素子から記録媒体に)記録し、場合によっては肉眼では視認できない世界さえ写し出すように、光を操るツールとしてのカメラとレンズに引き込まれたのでした。
しかも、高校時代に私の撮影した太陽黒点の写真が天文雑誌に掲載されたこともあって、もうやみつきになりました。しかし、若い頃は懐に余裕がない分、高性能と高価格だけを追い求めることができなかった代わり、安くてそれなりの性能でしかないカメラやレンズに対しても、それぞれに深い愛着を持って使っていました。
まだ「Made in Japan」のカメラとレンズが世界で飛ぶように売れていた頃、現在よりも多くのカメラメーカーがわが国には存在しました。精密機械の代表格であるカメラ・レンズの業界は、この30年間を通じてオートフォーカスやデジタル化の進捗から「超精密」な世界へと様変わりし、わが国最古のカメラメーカーである小西六写真工業(旧コニカ、現コニカ・ミノルタ)さえ、カメラ事業から撤退しました。
さて、このような経過の初期段階で、消えていったカメラメーカーの一つに「ペトリカメラ」があります。1980年に倒産し、労働組合が自主再建して「MF-10」という一眼レフを製造・販売していました。当時の労働運動関連の雑誌には、必ずといっていいほどペトリの宣伝が掲載されていました。
さまざまな集会での直接販売に工場直の通信販売が販路でしたから中間マージンが省け、もともとニコンやキャノンの半額程度の商品が、さらに破格のセールスになっていました。私の記憶では、当時のキャノンやニコンは普及機種の一眼レフでも、ボディと50mmの標準レンズをつけて10万円くらいはするところを、ペトリはボディにレンズ3本(広角・標準・望遠、ただしペトリの標準は55mm)をつけて10万円を下回る値段でした。
この低価格に「労働組合による自主再建」という錦の御旗が加わり、労働運動の発展に心寄せる人たちの中には、「一眼レフを買うならペトリ」と言い出す人たちまでいたように思います。当時、ペトリ労組の委員長は「心を込めて1台1台作っているから、品質には自信があります。故障の際には、私たちが責任をもって対応します」と、ある雑誌のインタビューで語っていました。
しかし、ペトリカメラは世評が厳しく、一言でいえば「安かろう悪かろう」の代名詞のように扱われていました。ペトリ独自の内部機構を追求していたにも拘らず、まったく評判の悪いカメラでした。今のカメラ雑誌で、一眼レフの歴史を振り返り、今は亡きメーカーの製品がさまざまに登場する特集企画があっても、ペトリカメラを取り上げる記事に、少なくとも私は、ほとんど出くわしたことがないのです。
カメラがAE化(絞り・シャッタースピード選択優先自動露出とプログラム自動露出)とAF化(自動焦点)に向かっていた時代に、ペトリはすべてがマニュアルである上、「ペトリの露出計はあてにならない」「レンズのヘリコイドが一様に作動しない」「耐久性がなくすぐに壊れる」といった指摘が殆どでした。
実際、1980年に自主再建して販売されるペトリの一眼レフ「MF-10」の性能は、1964年に世に出たアサヒペンタックスSPと同じレベルで、すべてが時代遅れの代物でした。
これでは、労組自主再建のための主力製品にならなかったのは当然です。ほどなくペトリの広告は見かけなくなり、カメラ業界から姿を消しました。
このように「製品」であるための要件は、作る側の理念や「錦の御旗」にはないのでしょう。それは、障害のある人の働く施設の製品でも同様です。
「すべてのカメラは美しい」と考える私が、今中古カメラ店で「正常作動・美品ペトリMF-10」にバッタリと出会ったら、レンズ付で5千円程度なら手を出すかもしれません。しかし、このようなストーリーの展開はマニアに限られたものでしょう。
コメント
爺様「孫を撮りたいのでカメラが欲しい」
店員「こちらのカメラなんてどうでしょう」
爺様「それは今よくコマーシャルでやってる一眼エフとかいうやつですか?」
店員「一眼レフですね?これは一眼レフとは異なりますが、同じくらい綺麗に撮れますよ^^」
店員「ですから機械に詳しくないお年を召した方にも大変好評です^^」
店員「さらに普通に撮ってもこの画面の明るさ、どうでしょう見やすいでしょう?^^」
爺様「それは画面の輝度の設定だろ?」
店員「・・・・・・・・・・・・・」
こんな光景を見ました。
最後の2段落の文に「言われてみればそうだな」と納得しました。たとえば、私は環境を守りたいという思いから、省エネ、耐久性が良い、フェアトレードであるなどといった製品なら少し値が張ってもそちらを選ぶと思いますが、みんながそのように考えるとは限りません。
このように、各分野における物好きやマニアは少数かもしれませんが、その分野に興味を持っている人がいるというだけで大きな希望や思いがけない力につながるのではないかと信じています。
新製品が既製品より使いにくかったり、費用をケチり過ぎて悲惨な目に会ったことは自分も経験したことがあります。物を買うときは新しいからとか安いとかでいきなり飛びつくより、まわりの評判なども考慮しつつ慎重に決めたほうがよさそうです。
僕もカメラが好きなので、先生のお店の前での高まる気持ちは、とても良く伝わってきました。高校時代に撮影した太陽黒点の写真が、天文雑誌に掲載されるなんてすごいですね。驚きです。
少し前にカメラに興味を持ち、「まずは1台」と、安物ながら買ってみました。フィルムタイプです。
今はデジカメも進化していて、数年前のもののような荒さもなく、手軽に撮る・消すができて魅力的に思えますが、私はそれでもフィルムタイプが好きです。
デジカメとは違い現像に出さなければ撮った写真を見ることができないので、毎回お金がかかるのは大学生の私にとってはなかなか痛い問題です。ただ、その分1枚1枚にかける想いが違うと思います。(動機は不純ですが…)
様々なものが進化し、便利になったことで、人間のひとつひとつの行動が適当になってきている気がします。なんとなく、で上手くいってしまう。それってどうなんでしょうか。
機械に手を借りるにしても、自分の力で、苦労しながらのほうが、得る成果は大きいのではないのかなあと、考えました。
私も大学生になり、最近はやりのミラーレス一眼のカメラを買いました。もともと写真に残すことには疎かった私が、外を歩いていてもここの写真撮りたい!という思いに駆られることが増えてきたように思います。そして中古カメラ屋の前を通る時のドキドキ感も味わえるようになりました。
先生のおっしゃる製品についてなのですがなかなか考えごたえがあるなと思いました。消費者のニーズと生産者の想いが必ずしも一致しない場合がある。だからといって消費者のニーズだけでいいのかというと
そうではないと私は思います。それではこの世の中はどんどん均質化されて淘汰されていってしまう。私はムダがあってもいいと思うのです。くだらないことやしょうもないことが気持ちをふっと緩めたり、余裕を与えたりしてくれるのだと私は考えています。だから、そういったマニア向けの製品であってもこの世から消えていってほしくないなと思います。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。