栗の渋皮煮― 一粒入魂のレシピ
今回は、渋皮煮の私家版レシピをご紹介します。初心者にも作れるように書きましたので、いささか長文ですがご勘弁下さい。
完成した栗の渋皮煮
(1)いい栗を探し求める
渋皮煮に用いることのできる栗は、鮮度の高い大粒の利平栗だけです。渋皮煮の出来・不出来はまず、素材としての栗の良し悪しにかかっており、いい栗との出会いがなければ渋皮煮を作ることは見送った方がいいでしょう。
男女の出会いはときとしてあてになりません(当事者の思い込みが多かれ少なかれ介在するからです)が、渋皮煮にはいい栗との出会いが決め手となります。
小粒の栗は、渋皮を傷つけることなく鬼皮を剥く作業に難があります。店頭に並べられて日数の経った鮮度の低い栗は、乾燥が進み、鬼皮を剥く時に渋皮がくっついてはがれやすいため、ものになりません。
前回ブログの冒頭の写真にあるように、栗の表面が照るように輝く大粒のものならまず大丈夫です。なお、栗の産地は問いません。産地ブランドに惑わされることなく、大粒の光るような利平栗を求めてください。
(2)材料・用意するもの
今回は、栗2kgで作る渋皮煮の材料です。
1.大粒の新鮮な利平栗 2kg
2.白砂糖(グラニュー糖でも可) 500g
3.三温糖 250g
日本酒 500ml
本みりん 150ml
薄口醤油 10ml(または粗塩小さじ1杯)
4.肉厚の厚い大鍋、小鍋、包丁、木べら、ラジオ(その他、音楽を聴けるような機器)
(3)栗の鬼皮を剥く(2kgの栗で約3時間)
1.一粒ごとに集中力を切らさずに剥く
利平栗の鬼皮は表面がすべりやすく硬いため、剥く作業には慎重さと根気と力が必要です。早く剥こうと焦ってみたり、テレビを見ながらこの作業を進めると、手元が狂い必ずどこかで「血を見る」ことになりかねません。ラジオか音楽でも聴きながら剥くのがいいでしょう。
2.刃先の入れ方
渋皮を包丁の刃先で傷つけることなく、鬼皮だけを剥かなければなりません。そこで、栗のどこから包丁の刃を入れると良いかに悩みます。
栗の表面のもっとも曲率の小さいところから刃を入れる
少しずつむいていく
上の写真にあるように、栗の表面の曲率が小さいところ(=もっとも平たいところ)に最初の刃を挿入します。そして、鬼皮を「包丁で剥く」というよりは、鬼皮と渋皮の隙間を刃先で広げながら鬼皮を「はぎ取る」ように作業を進めます。くれぐれも渋皮を傷つけることがないよう注意して、少しずつ鬼皮だけを剥いていきます。
3.鬼皮と渋皮の間にある繊維の取り方
鬼皮と渋皮の間には、繊維の層があります。鬼皮を剥く段階で、これらのすべてを無理に取り去る必要はありません。ここで無理やりこの繊維を取ろうとすると、渋皮を傷つけることがあるからです。この繊維は、煮零しの作業の時に徐々に手でこすりとることが肝要です(後述)。
下から頭にかけて走る太い繊維を除去する
ただ、栗の鬼皮と渋皮の間には、下から頭に向けて、一本の太い繊維が細い溝に埋め込まれたように走っており、竹串などでそっと剥がしてやることがまま必要です。鬼皮を剥く段階か、煮零す段階のいずれかでこの太い繊維は必ず除去しなければなりません。ただ、鮮度の高い栗であれば、この太い繊維の除去は比較的容易です。
(4)煮零す(20~30時間程度)
ここで、「煮零す」というのは、大鍋にたっぷりの真水で栗を煮ては煮汁を捨てることを繰り返し、渋やアクを抜く作業のことです。
煮零す回数は、その時に出会った栗によって異なります。つまり、渋皮のアクの強弱は、買い求めた栗によって異なるのです。経験的に言えば、6~10回の範囲に収まるでしょう。そこで、煮零す作業には、合計20時間を超える時間がかかります。夜鍋仕事と割り切っても、とても1日では終わりませんから、数日かかるものと覚悟してください。
煮零す作業の要点は、すべての過程を「弱火」で行なうことです。中火~強火で煮零すと、鍋内の水の対流や沸騰時の振動が激しいため、渋皮が破けてしまいます。しかし、「弱火」であることは鍋のそばにずっとついている必要がないという利点もあり、煮ている時間のほとんどを他の仕事や家事に当てることが可能となります。
1.最初の煮零し
最初の煮零しだけは、2時間程度で煮汁を捨てます。この段階では、煮汁がすぐに黒っぽいこげ茶色になり、びっくりほど夥しいアクが出てきます。この汁を少し舐めてみると強い渋味のあることが分かります。
たっぷりの水で煮零す
1回目の煮零しの煮汁
(世に出回っている「偽りの俗流レシピ」ではこの段階で、重曹を入れます。重曹を入れた途端に、煮汁は赤くなり渋味が消え、煮零しは2回か3回で済みます。ただし、ここで渋皮の風味は全滅し、「渋皮のついた、ただの甘露煮」に終わります。)
2.煮汁の捨て方・入れ替え方
煮汁を捨てる際は、栗を煮汁ごとザルにあげてはいけません。そんなことをすると、渋皮は破けてしまいます。鍋ごと流しに運び、水道の蛇口から新しい水を鍋に注ぎ続けて、煮汁を入れ替えるのがいいでしょう。
3.渋皮に付着した繊維の除去
煮零すたびに、渋皮に付着したままの繊維を手の指先でやさしく擦るようにしてこそげ落とします。1回目や2回目の煮零しでは取れない繊維も、6回目の煮零しまでには必ず取れるようになりますから、煮零すたびに根気強く、一粒一粒擦るようにして繊維をこそげ落とします。
④2回目以降の煮零し
2回目以降の煮零しは、1回3時間を目途に煮汁を捨て、新しい真水に入れ替えて煮ます。最低6回は根気強く煮零してください。5回目の煮零しの煮汁から、毎回、煮汁を舐めては渋味の残り具合を確かめます。
⑤煮零しをやめるタイミング
渋皮のついた栗は、10回煮零しても煮汁はしつこくこげ茶色になりますが、どこで煮零す作業をお仕舞いにするかは、煮汁の色ではなく、煮汁に残る渋味で判断します。ごく僅かの渋味の残る段階が、煮零しを止めるタイミングです。
8回目の煮汁-今回はこれで煮零しを終了
(5)煎じ糖蜜を作る(15分)
煎じ糖蜜は、渋皮煮の味付けに用います。煎じ糖とは、白砂糖からカラメルを作る中途の段階のもので、べっ甲飴のような香ばしい風味が特徴です。この香ばしさが、渋皮煮の風味を一段と引き立てます。
1.砂糖を少量の水に溶かす
材料の2.にある白砂糖500gに水150mlを加え、肉厚のある雪平鍋などで最初は中火で砂糖を水に溶かすように、木べらでかき混ぜながら火を加えます。
2.黄色に変色したら火を止めて水を200ml加える
かき混ぜながら強火で加熱して行くと、まず水飴のように透明なデキストリン状となります。
透明なデキストリン状の初期段階
黄色に変色した状態の煎じ糖
さらに強火で加熱していくと、徐々に黄色味を帯びていきます。ここから、こげ茶色のカラメルになるまでは短時間の急激な変化となりますから、黄色の段階で火を止め、すぐに水を200mlほど加えて混ぜて溶かし、煎じ糖蜜にします。
煎じ糖蜜
なお、このようにして作った煎じ糖蜜は、夏場のかき氷にレモン果汁(かぼす果汁ならなおいい)と一緒にまぶして召し上がると、なかなか味わいのある一品になります。
(6)最後の仕上げ(20~24時間)
1.味付けの煮汁を作る
(5)で作った煎じ糖蜜と材料の3.に示したすべて(三温糖、日本酒、本みりん、薄口醤油)に水を加え、全量が3ℓになるように調整します。
2.最後の煮付け
(4)で煮零した栗を鍋にそっと積み重ねて、先に示した1.の煮汁を加え、落し蓋をし、さらに鍋に蓋をします。ここから24時間ほどかけて、弱火のまま煮汁をゆっくりじっくり煮詰めます。
落し蓋より煮汁が低くなった頃に火を止め、冷まします。これで渋皮煮の完成です。
(7)味わう
このように、渋皮煮を作る作業には大変な手間がかかります。ただ、このようにして完成した渋皮煮は、一口頬張ると栗のふくよかな風味と香りが口じゅうに広がる絶品です。この味わいは渋皮煮ならではのもので、味わった瞬間に「作って良かった」と報われたような歓びの心持ちが溢れてきます。
重曹を用い、半日程度で作られた「偽りの渋皮煮」との違いは歴然です。「偽りの渋皮煮」は、はんだときに渋皮がいかにも邪魔に感じられ、実の色合いはただの甘露煮のように黄色です。真の渋皮煮は、はんだときに渋皮と実の一体感があり(=味のつながりがある)、渋皮の茶色が実の色合いにほんのりと移っています。
渋皮煮を割った状態
この渋皮煮は、抹茶アイスとの相性が抜群です。抹茶アイス、白玉団子、茹で小豆にこの渋皮煮を添えた「栗の渋皮煮・抹茶クリーム白玉あんみつ」で戴くと、秋味の幸せを満喫できるでしょう。これを今、傍で頬張っている娘曰く、「ああ、幸せ!!」
皆さん、秋の夜長にどうか一度お試しあれ。
コメント
おいしそうな写真をありがとうございます。お酒にもあいますかね。
今度、友人と作ってみようかと思います。
おいしいのを作るのには、やっぱり手間がかかるんですね・・・。
「こーた」さんへ
ブランデーやウィスキーにあいますよ。ただし、今流行のハイボールにはあいません。
栗の渋皮煮は、大変な手間と時間がかかるステキなお料理なのですね。栗を見つけたら作ってみたいと思います。
栗の渋皮煮、はじめて知りました。
すごくおいしそう!
重層をつかわない「渋皮煮・抹茶クリーム白玉あんみつ」を作って秋をおもいっきり味わいたいです!
栗が好物なので、この写真にはとても惹かれました。
もう栗の時期は終わってしまいましたが、
来年の秋に、栗を集めてこの渋皮煮を作ってみたいと思います。
とてもおいしそうです!栗が食べたくなってきました。
今から秋が待ち遠しいです。
とてもおいしそうな写真ですね。
時間があるときに今度やってみようと思います。
美味しそうですね。
栗の渋皮煮の写真を見て、昔、母が手間がかかると言いながら作ってくれたことを思い出しました。
何でもお店で手軽に手が入ったり、様々な料理のたれが売られていたりする現代ですが、そのなかでも、思い出の味、家庭の味は繋げていきたいと思います。
おいしいものを作ろうと思ったら、その分手間をかけなければいけないのですね。
今年の秋にでも、栗の渋皮煮、チャレンジしたいと思います。
日本の味覚の栗。とてもおいしそうです。
私の母親は栗の皮を剥くのがとても大変だそうで、我が家は近所の人にもらうことの方が多いです。しかしこのブログを見せて作ってもらおうと思います。
詳しいレシピを載せていただきありがとうございました。
私の趣味は料理なのですが、栗の渋皮煮はまだ作ったことがありません。ブログを見ていてとても細かい部分まで書かれていて、「私も作ってみたい!」という気持ちが大きくなり、コメントしたくなりました。
食べて「幸せ」と思えるものを作るには、やはり大変な手間と時間がかかりますね。
そんな手間と時間がたくさんかかっているのに、一瞬でなくなってしまうのが、料理の残念な部分だと思います。それでも食べてくれた人が「幸せ」って思えるものを作れたら、私はそれで「幸せ」だなと感じます。
今は出来るだけ時間を節約するために、冷凍食品や少しの調理で料理が完成してしまったりするものが増えていますが、私はやはり時間や手間をかけてでも、おいしいものを作りたいなと思いました。
これからも料理の記事を載せていただけたら嬉しいです。
私は毎年田舎から栗が大量に送られてくるのですが、毎回皮を剥く時は爪が伸びていて爪の間に皮が刺さって痛い思いをしてしまいます。写真の栗を見ていたら爪の間がむずむずしてきました。
でも栗は大好物なので、来年はこのレシピ通りに作ってみようと思います。丁寧なレシピありがとうございます。
毎年秋になると、家にこの渋皮煮が送られてきます。しかし、ただ「美味しい」という気持ちだけで食べていましたが、こんなにも作る工程があり、大変だということを知りました。今年からは、作ってくれた人に感謝の気持ちをこめて食べようと思います。
先日久しぶりに実家にもどった際、マロングラッセの包み紙を見つけました。(中身は1つもなかったです…悔しかった…)それ以来栗が食べたくて食べたくて仕方なかったので、ついつい惹かれて見入ってしまいました。
スーパーに買いに行けばあっという間に手に入ってしまう渋皮煮ですが、作るとなると大変だということがよくわかりました。苦労して完成させたあとの達成感というのはいいですね。手間が感じられていっそうおいしくなる気がします。
わたしも暇をみて作ってみようと思います。マロングラッセにも挑戦したいです。
そのときは1人で食べようかな…笑
美味しそうですね!食べたいです!
栗の季節になったら挑戦してみます。
今日偶然テレビのとある番組で名古屋にあるお菓子屋さんの渋皮煮を見たのですが、そちらのお店では栗を6日煮詰めるそうで、大変な手間暇がかけられてつくられているものだと驚きました。口の中でとろけるような味わいだということで私もいつか食べてみたいと思います。
味覚というのは、やはり大切な五感のうちの一つですよね。 せっかく苦労して自分で調理しても、美味しく食べる事が出来なくては、その楽しみは半分以下になってしまいます…
毎日美味しく食事ができる事に感謝ですね。
栗の渋皮煮をこんなに熱くブログにできるのは、宗澤先生だけやと思います!
皮を最初に剥かないっていうのは意外でした!
甘栗むいちゃいましたは毎年鬼のように消費するので、自分でも作ってみたいと思います!
レシピ拝見しました。去年は出遅れてしまい渋皮煮を作れなかったので、今年はぜひ挑戦したいと思います。
このように手間のかかる料理は一人ではなかなか挑戦しにくいものだと思います。本来、こういった料理を通して家族で自然と協力していたのだろうか、と思いました。なので、帰省中はなるべく母と包丁を取ろうと思います。
栗の渋川煮を語らせたら世界一という宗澤先生のお噂は伺っていましたが、先生に料理してもらえる栗は間違いなく幸せですね。
本当においしそうです。
ブランデーやウィスキーにあうというのも楽しみです。
近い将来、対面できますように。
私は幼い頃のクリスマスでプレゼント袋の中にマロングラッセが入っていたのを見つけた時から栗の虜になり、大の栗好きになりました。そのため、このブログにとても惹きつけられました。しかし読んでいて印象深かったのは栗よりも最後のほうに書かれていた、「ああ、幸せ!!」(宗澤さんのブログより引用)という宗澤さんの娘さんの言葉でした。料理には作る楽しさがありますが、そのほかに誰かに食べさせるという楽しさがあると思います。私も時折好きな人に手料理をつくることがありますがやはりおいしい!と言って食べてくれる姿を見るときが一番嬉しいと感じます。宗澤さんが作った渋皮煮が手間をかけて作られたものであるからということももちろんありますが、それ以上にお父さんが愛情込めて作ってくれた渋皮煮であるということが娘さんにとっては、より一層のおいしさのスパイスとなったのではないでしょうか。食べてくれる人がいるというのは幸せなことです。
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