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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

インテグリティ-その2

 鶴見俊輔氏は、インテグリティを論じるに先立ち、「まるごと(whole)と全体(total)とを区別して考えたい」と述べます(『教育再定義への試み』、岩波現代文庫、30頁、2010年)。

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 「全体(total)」とは、強い国家をつくるという目的に従属して、各人が学校教育や職場において集団として型にはめこまれ、一定の尺度から個人の達成度や成果が比較・評価されることを意味します。
 それに対して、「まるごと(whole)」は、「そのような均質性として扱われることを許さない。そうした外からの対象化を拒むあり方」(同書207頁、芹沢俊介氏の「解説」)です。それぞれの人にふさわしい感性・理性・悟性からなるありがままの状態のことであり、決して部分や要素を取り出して外部から評価されたり損なわれたりすることはありません。

 「全体(total)」は、偏差値に象徴される「輪切り教育」や、ビジネスはおろか医療・教育・福祉の世界にまで持ち込まれた「成果主義」が、あらゆる人たちのライフサイクルを貫いて「格差社会」を構成するようになって以来、わが国にうつ病や自殺の高原状態を招来した個人の位置づけ方でしょう。
 それは、障害のある人の多くに苦悩と困難をもたらす根源にあたります。
 
 「まるごと(whole)」について、鶴見氏が述べる次の二つはまことに示唆的です。

「まるごとというのは、そのひとの手も足も、いや指のひとつひとつ、においをかぎとる力とか、天気をよみとる力とか、皮膚で暑さ、さむさ、しめりぐあいをとらえる力とか、からだの各部分と五感に、そしてそのひと特有の記憶のつみかさなりがともにはたらいて、状況ととりくむことを指す。その人のこれまでにうけた傷の記憶が、目前のものごとのうけとりかたを深めたり、ゆがめたり、さけたりすることを含む」

 この指摘について私は、人間の心身の働き・能力は、それ自体、〈人間-文化-社会-自然〉のエロス的な統合関係によるものであることを示すものであると考えます。

「均質集団としての『全体』から区別される『まるごと』を、宮本常一のつたえる村の生活のひとこまとして見ることができる。ある日子どもがひとり見えなくなった。そのときムラの人たちはあつまって分担をきめることなく、ばらばらに自分の得手の方向に散って子どもをさがした。やがてひとりが近くの山のお寺まで行って子どもをつれてきた。そのおとなは、その子がときどき山のお寺に行って自分ひとりの時間をすごすくせのあることを知っていたのだそうだ。そのさわぎのなかで、まったく働かなかったのは、その村によそものとして移ってきていた知識人だったという。彼には、自分の得手の領域がなかった。村の歴史のこのひとこまでは、村という集団が全体ではなく、まるごととして動いた」

 もう一つの指摘については、先に述べられた個人の心身の働き・能力が培われ発揮される地域社会のあり方が示されています。私には、生物多様性の保たれた生態系のありさまも重なります。

 このようにみてくると、わが国の都市部に生きる人たちの多くは、均質集団における達成度評価や成果主義の下で息苦しい日々を過ごし、地域生活にあっては、「その街によそものとして移ってきていた知識人」のような按配なのではないでしょうか。

 21世紀初の主要人権条約である障害者の権利条約が、第17条に「個人のインテグリティの保護」を謳うのは、近代以降の個人のあり方と社会開発のあり方を根源的に問い直すことによってしか、障害のある人を含むすべての人たちの人権保障を見通すことはできないことを明示しているものと考えます。

(追記)
「インテグリティ(integrity)」の適切な日本語訳は、私にもピタッとくるものが見当たりません。ただし、Oxfordの“English Dictionary”には、「部分あるいは要素が取り去られたり欠けることのない状態」「損なわれたり壊されたりすることのない状態」(wholeness, entireness…)等とあり(宗澤訳)、鶴見俊輔氏の「まるごと(whole)」と「全体(total)」を区別したうえで論じられた「インテグリティ(integrity)」の捉え方はまことに的を射たものであると考えます。


コメント


 全体とまるごと、これは今日本が抱えている大きな問題の一つであるのではないかと僕は考えています。
国を治めるにあたっては、確かに「全体」として考え、機能させた方が、楽であり分かりやすくもあります。
 しかし、その結果人それぞれの個性が埋没し、「まるごと」として機能しなくなってしまっている。
地域全体の関係性が薄れてしまったことで、人は孤独を感じやすくなったり、いらだちを感じやすくなっているのではないかと考えました。
地域のつながり、それぞれの個性を大事にしていきたいなと思います。


投稿者: アイソトープ | 2010年11月17日 11:42

全体とまるごと。一見同じような言葉に聞こえますが全然違うのですね。奥が深いです。
確かに私たちは、日本という国に身を置いている以上、ある程度の制約は課せられます。しかしその制約の負荷が今は大きすぎるような気がします。地域分権も唱えられている中、もっと「まるごと」の考え方を取り入れてほしいと思います。


投稿者: 儚 | 2011年01月14日 20:56

僕は「全体」が決して悪いものではなく、「まるごと」との使い分けが大事だと思います。
「全体」つまり画一化のいきつくところはマニュアル化です。マニュアルは作業効率を高めるという意味で必要なものだと思います。
それを踏まえれば、日本の問題はすべての部分が「全体」であるという点です。
この先、「全体」の考えに支配されているた日本人がどれだけバランスよく「まるごと」の考えを持てるかが重要ではないかと思います。


投稿者: アルアカット | 2011年06月09日 01:40

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

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