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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

野沢和弘著『あの夜、君が泣いたわけ―自閉症の子とともに生きて』(中央法規出版、2010年9月新刊)を読んで

 本書は、障害のある子どもの親として生きてきた著者の人生を通奏低音に、障害のある人をめぐる多彩な生活世界を響くように綴ることによって、一つのシンフォニーを奏でたかのような書です。

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 本書の執筆意図について、著者は「あとがき」で次のように述べています。

 「世の中を動かしている歯車は欲や恨みのようなものを燃料にしており、そうした毒を強くもった者がそうでない者を支配していく。そうしたものに縁のない人々を守るためにはどうすればいいのか。
 〈どうにもならないよ〉
 くすっと笑って長男はそんな私を横目で見ている気がしないでもない。
  …(中 略)…
 どうにかしたい、どうにかしなければならない。そう思いながら同じ時代を生きている人々のことを書いた。そうした人がこれから少しでも増えていってほしいと思う。」

 著者である野沢さんは、毎日新聞の論説委員で、自閉症と重度の知的障害のある子どもの父親でもあり、元千葉県障害者差別をなくすための研究会座長として千葉県の条例制定等に尽力をされてきた方です。

 本書の構成と内容の概略は、次のようです。
◇第一章 バイオリン・ソナタの夜
 障害のある子どもの子育て期・学校教育時代のエピソードを中心に綴られています。

◇第二章 幸福の方程式
 障害のある子どもを持つ親の世界を描いており、親の立場や職業は実に多彩です。「親の会」の実情をはじめとして、弁護士、法科大学院教授、プロ野球の選手、柔道の山下泰裕さん、マラソンの松野明美さんが登場します。

◇第三章 インスパイア
 障害のある人たちの生活世界や取り組みを扱っています。視覚障害に聴覚障害、先天性と中途障害、アスペルガー症候群、肢体不自由、重度の知的障害をそれぞれにもつ人たちが登場します。聴覚障害と資格障害を併せもつ福島智さん(東京大学先端科学技術研究センター教授)たちが取り組む「バリアフリー映画づくり」、手話が「健聴者のために必要だ」という逆説的なエピソード、重度の障害者の取り組む「アール・ブリッュト」(生の芸術)、近松門左衛門や大江健三郎に知的障害のある子どもがいた話などを通じて、障害のある人たちが私たちの生活世界に〈inspire=精神を吹き込む、鼓舞する〉様が綴られています。

◇第四章 心のチャンネル
 障害のある人や高齢期の人たちの願いが周囲の理解によって拓かれる場合と断念を余儀なくされる場合のエピソードが描かれています。とくに、軽度の知的障害のある両親をもった中学生が自殺する話には、「この国を自ら選び、この時代を選んで生まれてきたわけではない」のに「傷つけ合っている」現実の不条理に呻くような疑問が込み上げてきます。

◇第五章 闘う理由
 差別のある現実に抗して、障害のある人の多様な「闘う理由」が綴られています。

 「障害者といっても千差万別だなあとつくづく思う」(同書183頁)。さいたま市で「ノーマライゼーション条例(仮称)」づくりの渦中にある私は、まったく同感です。
さまざまな障害の種別・程度と「揺籠から墓場まで」の広範なライフステージに加えて、社会的な支援に関する法制度上の凹凸と、それぞれの障害に関する周囲の理解の進み具合の違いにも屈折させられて、無限の多様性のある生活世界が展開しています。
さまざまな人が対等平等な人間として、人権主体として、この世に生命を授かりつつも、白色光がプリズムによって多彩なスペクトラムに分光されるように、それぞれの人たちが多彩な色を放っていくのではないか、そのかけがえのなさは、さまざまな人たちの道程で放たれる多様な光彩を単一の白色光に還元すると見失われてしまうものではないか、と考えさせられます。

 「この世にある命で無駄なものはひとつもないという素朴な真実」(137頁)と著者は語り、さまざまな障害のある人の多彩な生活世界を描くことによって、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、ホルン、ティンパニー…と、それぞれが違う音色を奏でながら、実はみんなの世界をつくり上げているのだという主張を投げかけているのではないでしょうか。
 
 

 著者と私が同世代のためか、職業は異なりますが、「ひねた思考が身についてしまっている」(「あとがき」)点を含めて、共感できるところの多い書物でした。思春期に「オイル・ショック」を経験し、高度経済成長モードでひたすら走ってきた先行世代と、国際化と情報化の進展を前提した後世代の狭間にあって、転変する時代をくぐってきたからかも知れません。
過去の経験とそれに由来する価値をそれとして大切なものであると継承しつつも、それにだけしがみつくような考え方に未来があるとは思えないのです。

 障害領域の関係者の中には、本書を読んで異論を持つ方もおられるでしょう。しかし、多彩な意見と価値軸の違いを尊重しあうことによってこそ、差別や傷つけあいのある生活世界を乗り越えていけるのではないかという問題提起に、野沢さんのメッセージがあると考えます。

 障害領域の支援者、当事者団体の方々はむろんのこと、ジャーナリストや一般市民も含め、万人にぜひとも一読いただきたい書物です。


コメント


 宗澤先生、今日初めてこのブログに出会いました。大学のサークルでご一緒させていただいてました。すっかりおばちゃんです。
 大学卒業以来○年ぶりに、心にとどめておきたい文章に再会できました。野沢氏の著書、手にとってみたいです。
 現在、障害者の支援に携わり、地域作りに奔走しています。そんな中で、先生の書籍に出会いここにたどり着きました。多彩な趣味、人生経験からの示唆に富んだ魅力的な文章を楽しみにしています。ほっと休める場所ができたようで嬉しいです。ご活躍を祈っています。


投稿者: こてつ | 2010年09月29日 13:55

 あまりこういった本を自分から進んで買って読むなんてしない自分ですが、少し読んでみたいと思いました。


投稿者: 四季舟 三吉 | 2010年10月19日 21:38

 来年度大学二年生になり介護実習を控える自分はこのブログでの紹介を拝見させてもらいこのような著書にもっとふれ、障害者や高齢者の理解をより深めていかなければならないと思うとともに、せっかくの実習なので何か目的を持ち、将来教師を目指す身なのでより収穫のある実習になるよう準備を進めていきたいと思いました。


投稿者: G-2 | 2010年12月15日 21:48

本書を読んだわけではないので、今意見するべきではないと思いますが、現実として社会は弱者に冷酷にできています。
果たしてこの問題を変え得るのか、改善し得るのか、希望が持てません


投稿者: 厳島 | 2010年12月22日 12:24

 私は、以前『マラソン』というドラマを見ました。このドラマは、実際に存在する自閉症の方のお話でした。
 私はこのドラマをきっかけに、テレビや新聞、授業、図書などで自閉症という文字を目にすると自然と見入ってしまうようになりました。ドラマを見る以前の私は、自閉症という存在を知ってはいたけれど、自分の身近ではないのでわからない、また自閉症自体をわかろうとしていなかった、というのが本音でした。
 しかし、ドラマを見て自閉症について知れたこともたくさんあったし、もっと知りたい!考えていきたい!という思いがほんの少しだけ自分の中に生まれました。
 今の世の中は、自閉症を含める弱者たちに対する理解が薄い人が大半という悲しい現実です。私のように何かをきっかけにして、人々は障害についてもっと向き合っていくべきだと私は感じています。この本がそのきっかけになれば良いなと思います。私も是非読んでみたいです!


投稿者: にのまん | 2011年01月09日 00:47

 健常者が十人十色であるように、障害者も人それぞれ個性を持っているので、違いがあるのは当たり前のことだと自分は考えます。
 むしろ障害も個性とみることができるようになり、なおかつその個性を受け入れることが出来たのならば障害者に対する差別が減るのではないでしょうか。
 ですが受け入れるといっても、健常者と障害者に同じことをさせるというわけではなく、お互い足りないところを補いながら生活するということです。
 そのために最も必要なことは、やはり周囲の障害者に対する意識改革であったり、法整備なのだと私は思います。


投稿者: カズヤ | 2011年01月10日 12:44

 自分は教育学部ということもあり、2年次になったら介護実習があります。たしかに、社会は強者が作り上げてきたものであり、弱者に厳しい世の中ではあるかもしれませんが、だからこそ障害者や高齢者の立場に立ち、介護実習を終えたいと思いました。


投稿者: w | 2011年01月12日 14:57

 現在、昔に比べると障害者に対する理解は深まりつつあると私は思います。障害のある人たちを集めてパンを作って販売したり、障害者を社会の中に送り出そうとしている動きもあるようです。しかしそういったことは一般的ではなく、障害者にとっては厳しい社会であると言えると思います
 。また、障害のある子どもを持った親が我が子を傷つけたり、命を奪うといったこともおきており、いまだ障害者に対する支援は不十分であるといえます。また、障害者に対する偏見も根強く、特に幼い子どもたちの間ではいじめの対象となることも多いようです。
 昔、私の家の近所にも障害を持った愛ちゃんという子がいました。しかし、その子の親はその子が障害を持っていることを堂々と皆に話し、子ども会にも参加させていました。その子の周りの子たちもそのことをちゃんと聞かされていたので思いやりをもって接していましたし、私もよく一緒に遊んでいました。こんな風に障害を個性と捉えて障害者も普通に生活するだけでなく、楽しみや生きがいを持って生きていける社会を実現させるべきだと感じます。


投稿者: ゆーき | 2011年01月14日 00:23

私は大学に入ってから実習という形で自閉症の子供たちとかかわりを持つことがありました。自閉症とは。昔は偏見があった病気ですよね。私も自閉症の詳しい症状は分からないまま過ごしてきましたが、大学に入って彼らと出会ってから自分の考え方がいかに浅はかだったかということを思い知らされました。今ではそのような偏見も減ったと聞きますが、私の周りでは私と同じように大学に入ってから自閉症などの症状を知ったという人もいます。福祉という理念を達成するためにも障害というものを知ってもらう必要があると考えます。
障害といってもそれぞれに症状があります。それによって虐待なども出てきているのはとても忍びないです。なぜなら私ももしかしたら障害者として生まれていたかもしれないから。私たちはみんなこの世に生を受けた時から平等であり、平等でなくてはならないと心の底から思います。
そのためにはもっと法整備が必要だと思います。また、虐待予防の観点から義務教育の時から障害に対する考え方を深めておく必要性があるのではないでしょうか。


投稿者: 儚 | 2011年01月14日 21:12

 昔に比べると、障害者の雇用機会が確保される制度ができてきていたりと障害者に対する理解が大きくなってきているなかでも、まだまだ差別は存在しているので、もっと国のサポートが必要だと思います。
 私の同級生には大きな障害を抱えた女の子がいます。最初はうまくコミュニケーションが取れなかったのですが、生活を共にすることによって彼女への理解も深まり、助けあうようになりました。こうすることによって互いに充実した学校生活を送ることができました。
 この出来事を通して、私たちは自ら障害者の方々との交流を図り障害者の方の長所や個性を知り、偏見や差別をなくすよう努めていかなければならないと感じています。


投稿者: ろうる | 2011年01月16日 19:07

 この本は読んだことがまだないのですが、1月12日の人間形成と教育の授業でハンディキャップを持つ人々が私たちと同様に通常の生活をしようとするのにどれだけ苦労が必要なのか考えさせられました。
 現在は昔と比べて障害についての理解が深まり、その対策もだいぶ整っていると以前までは思っていたのですが、実際は現在も障害のある人々にとって暮らしやすい環境とは言い難い状況にあることがわかりました。
 自分なりにそういったことを改善するためにできることを探していきたいと思いました。
 この本もテスト期間が終わったらぜひ読んでみようと思います。


投稿者: 芭蕉 | 2011年01月18日 16:14

 『多彩な意見と価値軸の違いを尊重しあうことによってこそ、差別や傷つけあいのある生活世界を乗り越えていけるのではないか』
 この言葉に非常に心を打たれ、本当にその通りだと思いました。
私の兄は軽度の知的障害があり、一度は障害のない方々と同じ職場で働いていましたが、結局は人間関係が上手くいかずに今は援護施設にいます。
 そのときに思ったのは、職場のみなさんがもっと障害について理解していてくれたら、ということです。
 人が尊重しあうにはまず、相手を知ることが大事だと思います。相手のことを知り、相手の気持ちを考えること。そうすれば少なくとも、自分と違うからという理由で人を攻撃することはなくなるはずです。
 こんな風に考えると、これからの日本には、世代や立場、障害の有無などに関わらず様々な人達との交流をもっと促していく社会つくりが必要ではないかと考えてしまいます。


投稿者: くろぶた | 2011年01月18日 23:48

 私は学科の活動などで障害者と関わる機会がよくあります。先生が書かれているようにみんな様々な音色の個性を奏でて自分なりに一生懸命生活しています。
 活動の中で障害を持っている子供たちと電車に乗ると、あからさまに嫌な顔をして車両を変える人もいます。笑顔で話しかけてくれる人もいますがその人たちがかけてくれる言葉は「大変そうね。えらいね。」などという言葉ばかりです。そのように言われた時私はいつもどのように言葉を返していいのか分からなくなってしまいます。
 最近では障害児理解も進みたくさんの取り組みがなされていると聞きます。私は、関係者だけではなく、もっとたくさんの人が障害について関心を持ち、障害者に人にとって日本が住みやすい場所になってほしいと思います。


投稿者: チロルチョコ | 2011年01月20日 22:45

 この本はまだ読んだことがありませんが、今回のブログを読ませていただいて、とても興味が湧きました。
 現代社会では障害について正しい知識を持っていると言える人々は少なく、私もそのうちの一人でした。しかし、大学に入ってから様々な形で障害者の方々と触れ合う機会を得て、このままではいけないと思い、授業などを通して障害についての様々な知識を学んでいきました。
 こういった経験から、私は障害者の方々と触れ合う機会、話をする、聞く機会が増えればもっと障害について理解を示す人々も増えるのではないか、と思います。実際に講演会などにも行った事がありますが、話を聞くたびに新しい発見があります。そして、もっともっと知識を深めていきたいという気持ちになっていくのです。
 きっかけは何でもいい。少しでも多くの人々が障害と向き合い、考えていく事ができるようになればいいな、と思います。


投稿者: 鳴神 | 2011年01月21日 08:38

 この記事をみて障害者の親という立場が私の中では初めての視点だなぁと思いました。私がもし障害者の親という立場だったら・・・。私の子どもが障害者だったら、たぶん私は偽善者ではいられない気がする。今、私が障害者のためにできることを考えていても実際に行動しようとする気持ちは、もし障害者の親になったときより少ないと思います。本気で何とかしたいと思います。
 私は実際に障害者の親にならなくても、私を含めた多くの人が、本気で何とかしたいと思えるようになることが必要だと思いました。そうしなければ、障害者の理想の環境へと近づいていけないと思うからです。本気で障害者について考えるきっかけがほしいと思いました。
 私は来年度介護実習に行きます。そこで障害者の人たちとかかわり、本気で考えるきっかけにしたいと思います。


投稿者: T☆M | 2011年01月26日 02:25

 初めて投稿させていただきます、ちくばと申します。
 最近ではTVでも自閉症を題材とするものが多くなり、以前よりも知る機会は多くなったと思いますが、未だに自閉症に対する偏見が絶えないというのが実感です。
 たとえ「自閉症」という言葉を知っていても、その内実はよく知らないのが現状ではないでしょうか。

 こうした本を手に取り、親からの立場から、取り巻く社会の環境から自閉症を見つめることは、どのようなものか知るべきだと思いました。
 私も読んでみようと思います。


投稿者: ちくば | 2011年01月26日 09:23

 私には保育園から小学校まで一緒に遊び、学んだ友人がいます。彼は知的障害をもっていました。私たちの学年には知的障害を持っていた子が何人かいました。私たちからすれば、ずっと一緒に生活してきた友達であり仲間であるので、偏見や差別をせずに接することができたいたと思います。時には他人に迷惑をかけることもありましたが、それを理由に彼らを責めることはできません。

 私が高校生だった頃、駅で偶然、その友達の1人に会いました。周りからみると、やはり少し行動が目立ちます。そんな中、その様子を見ていた別の学生が差別的な発言をしたのを聞きました。私は憤りを感じましたが、その学生に対して何も言えませんでした。知的障害に対する偏見や差別があることに憤りを感じつつも、そういったものをなくそうと努力していない自分がいました。

 先生の今回のブログを拝見させていただき、改めて偏見や差別をなくしていかなければならないおと感じました。それと同時に、知的障害に関する著書をしっかり読んでいきたいと感じました。


投稿者: イナゴ@ | 2011年01月26日 10:45

「普通」でなければ社会では生きていけない、そんな気がします。それってすごく変な社会だと思います。 障害者だけでなく障害のない人でさえ普通から漏れた人たちは生きるのが大変です。障害のあるなし関係なくどんな人でも生きていける社会が本来の人の社会のはずなのになと強く実感しました。


投稿者: YN | 2011年01月27日 21:39

 私は親の活動の影響から、障害を持った子供と関わることが度々あった。私が接した彼らは変に神経質な人や感情がよく変わる人など様々いて、当時私はまだ小さかったこともあり、何かと衝突していたのを覚えている。 
 しかしそのような経験をした自分は、主観的ではあるが障害者への偏見が少ないように思う。たまに障害者=知的な能力が低い、というような見方をしている人がいるが、実際には、そういう場合もあるというだけのことだ。自分たちよりもよほどしっかりした考えを持っている人なんて、数え切れないほどいる。
 NHKに「きらっといきる」という障害者が番組がある。そこには毎週障害を持った人がゲストとして登場するが、そのひとたちの悩みなんて同年代のひとのそれとなんにも変わらないものだし、よほどちゃんとした考えを持ってそれと向き合っている。 
  
 近年、障害者基本法の改正など障害者に対する制度は改善されてきているが、障害者に対する偏見は相変わらず消えていないように思う。その理由の一つに、大人になるほど障害者と接する機会がなくなることがあるのではないか。
 個人的な感想だが、近年街で障害を持った人にほとんど会わない気がする。きっとそれだけ街がいづらい空間になっているのだろうし、制度も団体も障害者を街にださないようにしているように感じる。何か少しでも接する機会があれば障害者に対する見方はすぐに変わる気がする。


投稿者: ばんどーいるか | 2011年01月28日 00:26

 障害が障害にならない社会作りは理想の社会を築くためには必要不可欠だと思います。そのためにはやはり、どのような障害があるのか、彼らが周りに求めているものは何か、など本質を知らなければならない。
 しかし、普段生活していく中でそうしたことを理解できる場面に出くわす機会はなかなかなく、無知なまま暮らしている人が大半なのではないかと思います。意識があってもそれに伴う知識がなければ変わることは難しい…。
 一人でも多くの人がこういった本を読むことで日本の現状を知っていければ、いずれは変わることが出来るのではないかと思いました。私自身も是非読んでみたい一冊です。


投稿者: るん | 2011年02月01日 00:17

 このブログを読ませていただいて、著者のあとがきを読んで世の中にはいろいろな考えをもった人々が様々な背景を持って生活しているのだなと感じました。また、他人と関わりながら生きていくには自分の考えだけでなくその人がどういったことを考えたり、感じたりしているのかを考えることがとても大切なんだなと思いました。


投稿者: たけお | 2011年02月01日 01:53

 私は、「発達障害の豊かな世界」という本(著者:杉山登史郎 出版:日本評論社)を読んで、自閉症に対するイメージが大きく変わるとともに、その豊かな感性に本当に驚かされました。
 
 この本の紹介の部分には、『「お子さんが発達障害です」といわれたら、それは実はかれらの「豊かな世界」との出会いのはじまり』と書かれています。私は親戚に、自閉症であったりその他の知的発達を持ち合わせた方がいる、といった環境ではありません。そのため、そのような環境にある家族の喜びや感動、苦労や不甲斐なさを知ることはできません。
 ですが、今回先生が掲載していた本をもとに、当人の一番身近にいた人が書いた本を読んでいきたいなと思いました。
 また、その家族に対する政府からの支援や現状における当人の就労状況についても調べていきたいです。


投稿者: ponpo | 2011年02月01日 21:57

 中学の時に、自閉症の友達と仲が良かったので、この本に興味を持ちました。その友達は、いきなりパニックを起こして教室から出て行ってしまうことや、大声で叫んでしまうことはありましたが、そのことでは私は嫌になったりはしませんでした。
 ある日、合唱祭のクラス発表の練習で、その子が指揮者をやりたいと自推し、皆の前で曲の指揮をやったのですが、最後までリズムが合いませんでした。私は、最後まで一生懸命やっているその子を見て、頑張れ~!と思っていましたが、クラスの何人かはアイコンタクトをしながら馬鹿にするように笑い合っていて、私はとっても悔しい気持ちになって泣いてしまいました。
 その子は自閉症でしたが、人の気持ちをとても大切にする子で、私もその子の優しさから多くのことを学びました。自閉症の子は相手の表情から気持ちが読み取れないといわれていますが、私が元気のないときはすぐに気付いて、何を聞くでもなく傍にいてくれる子でした。
 また、絵がとても上手で、いつも友達の絵を描いていました。中学になり、年齢を重ねるにつれ、子供の頃には大きな価値を見出していた絵をかくことにも個人的に意味を感じなくなったりして、身近にあるものに夢中になることが難しくなっていましたが、身近にあるものに夢中に取り組むことができているその子に、身近なものに一生懸命になる大切さを教えてもらったりもしました。

 「それぞれが違う音色を奏でながら、実はみんなの世界をつくり上げているのだ」という主張に、私は強く共感します。
 私はその子から多くのことを学び、それはその子からでないと学べないものであり、それは他の誰にたいしても言えることで、その個々人から受け取るものはそれぞれ違っていて、それぞれに価値があるものです。また、そこには、障害の有無は関係ありません。
 そして、その大切な友人が障害を持っていたら、手助けをしてあげたいと思うのは、私の中では自然なことでした。
 なので、日本社会の人々は、障害のある人とも隔たりなく付き合って、障害のある人の理解を深めていくことが必要であり、そうすることによって、自然に付き合っていくことができるのではないでしょうか。


投稿者: まろんぐらっせ | 2011年02月02日 13:05

 私は大学に入り、自閉症というものに出逢いました。大学に入るまでは、聞いたこともなく、もちろんどのようなものかも知りませんでした。大学で自閉症について学ぶ機会をいただき、今では、自閉症やその他の発達障害を抱える子どもたちと関わらせていただく機会をいただいています。子どもたちと関われば関わるほど、自閉症の魅力にどんどん魅かれていっているところです。

 先生のおっしゃる通り1人ひとりが違う音色を奏でながら社会が成り立っているという表現にすごく共感しました。
 健常者が障害を抱える人の全てを理解するには、やはり限界があると思います。しかし、全てではなくても、理解しようとする気持ちがあれば、何かが変わると思うし、障害を抱える人たちにとっても生きやすい社会に変わってくるのではないかと私は思います。
みんなが同じなわけないし、違うから共生ということを学べるのだと思います。

 先生が紹介されている「あの夜、君が泣いたわけ」という本はまだ読んだことがないので、ぜひ探して読んでみたいと思っています。


投稿者: なっちゃん | 2011年06月29日 22:05

私は、健常者がみなそれぞれ個性を持っているように、障害者もひとりひとり個性を持っているので、違いがあるのは当たり前のことだと思いました。難しいことだとは思いますが、障害も個性とみなすことでより一層障害者を受け入れることが出来れば、障害者に対する差別の減ると思います。そのためにもっとも必要なことは、周りの人々の意識改革や、法整備であるのだと思います。
  


投稿者: ショートケーキ | 2011年07月04日 23:01

健常者である私たちが、差別をなくそう、差別をなくそうと声を上げても、私たち自身が潜在的に障害者の方を差別してしまっているところが少なからずあると思います。しかしそれは、蔑視という方向ではなく、共生していくための配慮であったり、社会の制度作りという方向に向かうのであれば、むしろ奨励されるべきなのではないでしょうか。


投稿者: リアム | 2012年07月24日 14:24

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
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