ノーマライゼーション条例(仮称)学習会から
先月の24日、さいたま市のノーマライゼーション条例(仮称)学習会が開催され、講師として北九州市立大学の小賀久先生をお招きしました。テーマは「北欧・ノーマライゼーションの実現-デンマークを中心に-」です。小賀先生は、ノーマライゼーションの母国デンマークの福祉ついて、1年間の留学をはさみ、10年間以上も現地に足繁く通いながら研究をされてきました。
小賀久先生-穏やかな話しぶりではじまりました
当日の学習会の内容については、さいたま市の条例制定Webサイトでご覧になることができますから、そちらに譲ります。
パワーポイントのスライドで24枚、アニメーションに用いられた画像は軽く100枚を超える熱のこもったお話を頂戴しました。
とくに印象に残った点は、「ノーマライゼーションとは、いろんな人たちが、老若男女、障害の有無に拘らず、地域で交じり合い、場を共有することでない」と明言されたことです。それは、すべての人たちのゆたかな地域生活を営む権利が、意見表明権・参画権に裏打ちされた民主主義によって実現されていくシステムを不断に更新し続ける営みだということです。
それは「すべての人たちの手で、すべての人たちと共に、すべての人たちのためのサービス・社会資源を担保するシステムをつくること」ですから、特定の人や施設が「頑張ってつくる」というイメージほどノーマライゼーションとかけ離れた理解はないということになります。
そこで、小賀先生と私の間では、福祉領域の外国研究にはでたらめが多いという話題がしばしば上ります。数週間や数ヶ月の滞在で、限られたサービスや制度の上っ面をなぞってきただけなのに、「彼の国ではこうです」と日本に紹介するのはあまりにも無理が多い。
熱く語る-なかなかのイケメンです
たとえば、日本では「バンク・ミケルセンはノーマライゼーションの父と呼ばれる」なんて言われていますが、当のデンマークでこのような台詞や意味内容を話す人は一人もいないと小賀先生は断言します。当事者はむろん、現場の支援者や行政関係者に訊ねても、せいぜい高度に発達した福祉国家を創造する契機の一つ程度の位置づけで、知的障害の子をもつ親の会の人たちでさえ「バンク・ミケルセンは、私たちが引っ張り出しただけなのよ」と言い切るそうです。
バンク・ミケルセンは、第2次世界大戦中にナチスに占領されたデンマークでレジスタンスに参加していました。彼はナチスに捕らえられ、収容所生活を経験しています。世界大戦が終わり、母国デンマークに戻った彼は、日本にいう厚生労働省のような中央省庁に勤務することになり、たまたま知的障害の福祉サービスを担当していた時に、親の会の人たちから「私たちの子どもが収容されている施設の現実を一度見て欲しい」との強い要請を受けました。そこで、ミケルセンが知的障害の施設に足を運んでみると、「この施設は自分が体験したナチスの収容所とかわらないじゃないか」となって、施設収容から万人が地域で暮らしを共にできるようなシステムづくりに舵を切ることになりました。
このエピソードをバンク・ミケルセンに収斂させて「ノーマライゼーションの父」と捉えるのは、実は、日本人の思考の枠組の中での帰結のさせ方に過ぎないのです。彼の国の人たちにとっては、「みんなでつくってきた」プロセスがあるだけです。日本では小中学校の校長室に創立以来の歴代校長の顔写真が飾られ、政治家の中には銅像になっている人さえいますが、デンマークにはそのような代物は一切ありません。過去の王族やアンデルセンの銅像くらいしかありません。個人の役割についてのイメージや概念そのものが日本とデンマークでは相当異なるのです。
したがって、ノーマライゼーションを実現する過程において、特定の時代の歴史を担った特定の人たちが持ち上げられることは一切ありません。日本のように「あれが実現したのは、○○さんが障害福祉課長だったからよ」とか、「○△さんの開いた施設はすばらしい」などという発想自体がないのです。仮にAさんという人の果たした役割が相対的に大きなものであったとしても、Aさんがいなければ他の人(Bさん、Cさん…)がAさんのしたような役割を果たしただろうというのがデンマーク流の見方となります。個人が絶対化されないところに、万人の個性が承認されるのです。
このような個人の捉え方は、デンマークのレジスタンス運動を描いた映画『誰がため』(監督:オーレ・クリスチャン・マッセン、デンマーク・ドイツ・チェコ合作映画、2008年)にも表現されていたように思います(レンタル店に置かれるようになりました)。
この題名にあるように、レジスタンスは「正義の闘い」であり、レジスタンスの活動家は「歴史の英雄」と美化するような傾きはありません。ナチスの歴史的な国家犯罪をきっちり描きつつも、レジスタンスの担い手が抱くさまざまな矛盾を「誰のためのレジスタンスか?」という問いに表現する点で、アメリカ映画の第2次世界大戦もののような、「連合国は正義」という見方だけをふりかざすメンタリティとは一線を画します。このような考えの運びは、自分や特定の人たちを絶対化せず、常に相対的な視点を持つことによって、異質なものを排除しない文化の形成につながっていくのではないでしょうか。
それは、世界の中で人間だけを絶対化しない文化にも結実しています。北欧では人間を見とめた野鳥が逃げるということはなく、さまざまな自然と共存する術をみんなで積み重ねてきました。下の画像は、決して餌をやろうとしているのではなく、北欧の街角で普通に見ることのできる光景です。
公園のベンチを共にする野鳥と市民-デンマークで
もし、特定の人に負荷のかかる「頑張り」に期待しなければならないような事態があるとすれば、すべての人の、少数の異論も含めた合意形成をはかる民主主義の力が足りない証拠です。デンマークやスウェーデンでは、このような民主主義の力を討議とコミュニケーションに関する各人の能力とシステムの双方を発展させる努力によって重ねてきました。
さいたま市の条例づくりが、まずはノーマライゼーションの母国デンマークから学ぶとすれば、みんなで討議し、みんなが学び、「みんなでつくる条例」ということになるでしょう。
コメント
小賀先生!イケメンですね!
いや、それでも宗澤先生のほうがイケメンですよ?
ところで、デンマークってやっぱり凄いですね。
僕は以前、デンマークに行ったことがあります。数日間だけの滞在でしたが、デンマークのイイ男たちにすごくモテました。公園のトイレがすごく発展していて、日本よりも快適にすることができましたよ。
今回、記事を読ませていただき、日本とデンマークなどの福祉国家と呼ばれる国々との差をしみじみと感じました。特に、個人の役割に対するイメージや概念の違いにはとても納得できるような気がします。真のノーマライゼーションを実現していくためには、全ての人々の手により創りあげていくことが必要不可欠なのだと思いました。
今の日本では、テーマや口頭の上では万人で創りあげていく福祉などと言っていますが実現にはほど遠い状況であると感じます。
個人が絶対化されず、皆でうまくコミュニケーションをとれる力や各人も能力を発展させていくことがより良い福祉社会を形成していく上で重要になるのでしょう。
ただデンマークや北欧諸国の模倣で終わることなく、良い点は取り入れ、日本社会に適合していくようなシステム(適合したシステムを創るというより、福祉のシステムに適合するように国民の意識を変えていくことが必要なのかもしれませんが…)を全ての人々で考えていければと思います。
日本とデンマークでノーマライゼーションという言葉の捉え方が違うとのことですが、これには教育の違いが理由のひとつとして挙げられると思います。
日本の歴史の教科書を例に挙げると、主にその時代に活躍した偉人のことが記載されており、当時の民衆の動きなどはそのおまけ程度にしか記されていません。特定の人物が時代を動かしたのだということを伝え、結果として彼らに任せればなんとかしてくれるもしくは自分が動いても世の中は変わらないという考えが人々の中にうまれ、そして他の人に任せれば良いという風潮に社会は変わっていったのではないでしょうか。
一方デンマークなどの北欧で行なわれている教育では、ひとりひとりが問題に対する意見や解決策を考え他者に伝える力を培うことを重視しています。それだけでなく他者の意見を尊重する、言い換えれば個性を認めることも学んでいます。
この違いが二国の言葉の捉え方の違いを生み出しているのです。そしてノーマライゼーションという言葉を考える上ではデンマークの考えの方が私にとってはしっくりくるし、その考えが行き渡っている社会ならばが全ての人が住みやすい環境を創り出しやすいと思います。
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