「声なき応援」in NACK5スタジアム
2010年08月19日 10:00
この8月15日、NACK5スタジアム「大宮アルディージャ対ジュビロ磐田戦」で、聴覚障害のある人たちの「声なき応援」(毎日興業企画)と「ノーマライゼーション条例づくりPR」の企画が取り組まれました。
サッカーのサポーターの応援といえば、熱烈な声援が相場です。しかし、熱い応援の魂はそのままに、聴覚障害のある人たちが大宮アルディージャに手話で行なう「声なき応援」が繰り広げられました。主役は埼玉県立大宮ろう学校(現在の正式名称は、埼玉県立特別支援学校大宮ろう学園)の子どもたちと卒業生です。
ハーフタイムには、さいたま市で現在進行中の「ノーマライゼーション条例づくり」のPR横断幕が、ピッチを一周しました。横断幕の持ち手は、市長を先頭に、大宮ろう学校の児童生徒・卒業生に一般市民です。サッカーの試合のハーフタイムに「浮いちゃう」のではと心配しましたが、観客席からも結構注目されていましたね。
皆さん、とても熱く、いい表情をされています。今回は、私の余計な説明を省き、とくと画像をご覧下さい。
コメント
今回のこの「声なき声援」は新しい試みと思いました。きっとこの声なき声援は声で声援するのと同じくらい選手にとって心強いものとなったと思います。写真を見ても一人一人一生懸命に応援していて気持ちはみんな勝ってほしいという一つにまとまっていたんだと思いました。
このような形で障害のある人達が社会に関わりを持つことは大切なことだと思います。特にこのことに関して言えば、自分はサッカー部でしたので、聴覚障害のある人達にサッカーについて知ってもらえればうれしいです。
これからこういう機会を増やして社会全体に障害のある人達の活動を知ってもらうことで、障害の壁を飛び越えてみんながわかりあえる社会になると思います。
後期の講義を受けている者です。
まずこの写真を見て皆さんとても楽しそうだと思いました。「声なき応援」という今まででは考えられない応援のやり方にもとても驚きました。しかし、聴覚障害の方も気軽に応援できる企画であったと思います。このような、誰にでも楽しめるような企画を作っていくこともとても大切なんだと思いました。また、障害のない人もこのような活動を通して、障害について考える良い機会になるのだと思います。
この写真を見て私が感じたことは、応援というのはただ単に声援だけではないのだということです。なぜならみなさんが心から応援しているのだという強い気持ちが写真越しにもひしひしと伝わってくるからです。きっとグラウンドのサポーターが「応援」を通して一つになっていたことでしょう。またひとりひとりの笑顔がとても輝いていて素敵だなと思いました。
私はサッカーの試合をよく観るのですが、こういった試みが行われていることを知りませんでした。声なき声援といっても、声を出して声援を送っている方たちに劣らないくらい熱い気持ちで応援しているので、その気持ちは選手一人一人に届いているはずです。
私もサッカー部に所属していて、友人の兄弟に聴覚障害の子がいました。その子は毎回試合に来てくれて、真剣に私たちの試合を観てくれていました。試合中は確かにその子の声援は聞こえませんが、観ていてくれるだけで心強かったです。
どんな形であれ、選手を応援する気持ちがあれば、それは必ず届きます。だから、こういった取り組みをもっと増やして、より多くの方にサッカーだけではなく、他のスポーツなどにも興味を持ってほしいと思いました。試合に来られていた方たちも、本当に楽しそうな顔をしているので、この企画は大成功だったのではないかと思います。
私はこの記事を読んで、初めて「声なき応援」というものがあるのを知りました。応援=声援だと思っていたので、応援は声援だけではないのだと驚きました。
たくさんの写真から聴覚障害のある人たちが手話で選手たちを一生懸命応援している姿や楽しんでいる笑顔が伝わってきて声援がなくても、選手たちには聴覚障害のある人たちの頑張れという気持ちがしっかりと伝わっているように思いました。
このような取り組みは、障害のある人たちがスポーツの楽しさを知り仲間と喜びを共有することができるのと同時に障害をもっていない人たちが障害について知ろうとするきっかけにもなるのではないかと思いました。
このような取り組みをもっと増やして、障害のある人たちが社会で活躍できる機会が今以上に多くなればいいなと思いました。
みんなの表情がいきいきとしているのが印象的です。〝声なき声援〟が表しているように、応援に大切なのは声の有無ではなく気持なのだと思いました。表現すればきっと選手たちに伝わっているのではないかと思います。そして何よりも楽しそうまみなさんの写真を見ていると、私も参加してみんなと応援したいという気持ちになりました。
おそろいのTシャツもとてもかわいいです。
「声なき応援」はとてもいい運動だと思います。どんな人でも好きなチームを応援することによって一つになれるスポーツはやはり素晴らしいですね。サッカーだけなく、野球やバレーなど様々な競技でこのような光景が見られればいいなと思います。
私はこの記事を読んでとても感動しました。私はこれまで応援は声援であると思っていました。私自身もスポーツをしているので、声援は大きな力となるということは感じている。
そんななか、今回の、「声なき声援」の記事を読んで、応援=声援ではないということを始めて感じた。この「声なき声援」は音は出ていなくても、選手の心に響くものであると思う。このような、身障害者が社会の場に出ていくことのできる取り組みはとても良いことであると思うので、広がっていってほしいと感じた。
今回この記事を読ませていただき、初めてこういった試みが行われていることを知りました。写真などを拝見させていただいても、皆さんの生き生きとした、とてもいい表情で応援されている姿がとても印象的です。障害のない方の障害を抱えた方に対する”正しい理解”を深める上でもスポーツがその一つの手段として、世間に根付いていければいいなと思います。
こういった試みを行うことで、障害を抱えた方への世間の見方がすぐに変わることはありませんが、一歩ずつでも何か行動を起こすことで社会全体を少しずつでも動かしていければ、将来的に必ず障害を抱えた方への考え方や見方は変わるものであると私は信じています。私自身もこの記事を読むことで障害や福祉について考えるいいきっかけをいただきました。
写真で見せていただいたような笑顔を少しでも多く増やせるような社会にしていけるように、私も身近なところから障害や福祉について考え行動を起こしていきたいと思います。
この記事にあるような取り組みは私も進めるべき事だと思います。自分たちの好きなこと、また一生懸命になれることに少しずつでも取り組むことで社会参加が確実なものになるならばとても良いことだと思うからです。
障害を持つ人たちが純粋に楽しめることに加え、他の観客の立場に立てば障害に興味を持つきっかけになるかもしれないかもしれません。このような取り組みを段々と踏んでいけばさらに多くの人々を巻き込んで活動にとりくんだり、また考えることができると思います。
町中で立って呼びかけるといった光景はよく見られますが皆通り過ぎていくだけのように見受けられます。多少なりとも耳に入る程度になっていそうなので、そのことを考えると今回のような企画は(多少言葉遣いに疑問はありますが)効果的だと思いました。このような動きがこれから増えればいいなと思います。
障害者の方々による講演会などは何度か参加させていただいた事はあるのですが、こういった試みが行われているのは今まで知りませんでした。とても素晴らしい事だと思います。
障害のあるなしなんて関係ない、ただ試合を楽しみ、選手を応援するという気持ちは観客の人々全員が同じように持っている、というのが写真を通して確かに伝わってきました。
私はスポーツをやっているのでなんとなく分かるのですが、声の大きさなどに関係なく、選手は見ている人の「頑張れ」という気持ちを肌で感じることができると思います。声なき応援は歓声響く試合の最中でも選手たちの心に届いている事でしょう。
講演などを聴いたり、自身で勉強して知識を増やすことも大切ですが、こういったスポーツ観戦などを通して心を通わせる機会ももっと増えていけばいいな、と感じました。
北九州市立大学の学生です。障害者のスポーツ参加はノーマライゼーションを実現していくなかで重要な事だと私も思います。現に私はサッカーをしてきましたが、サッカーの魅力は大観衆の声援です。そういった会場の雰囲気を障害者の人たちにも体感させることで日常生活に活力を与えることが可能だと感じます。
こういった応援企画などを今後多くの自治体などが積極的に行っていくことでほんとうのノーマライぜーションの社会が成立するのだと感じました。
私もこれについてのニュースを見ました。最初は、「声なき応援」はやはり音がないので盛り上がりにかけるのでは?と失礼ながらも素直にそう思ってしまいました。でも応援してる人たちの顔はすごく生き生きとしていて、手話での応援はまさしく「ハンドパワー」で、テレビ越しで見ていても、音とは違う、じんわりとにじむような温かさを感じられました。
前年のワールドカップでは応援グッズとしてブブゼラが鳴り響いていましたが、観戦していたこちらとしては、現地の方々はそう思ってはいないでしょうが、相手かまわず喧嘩を吹っ掛けているように思え、不快に感じました。競っているとはいえ、スポーツというのはやっている人も、見ている人も、敵味方ひっくるめ全員が楽しめなくてはならないと思います。
この「声なき応援」はほんとうに全員が楽しんでいるように見えます。スポーツが経済のひとつになってきてしまっている現在、スポーツの原点に帰るのにもいい機会なのではと思います。また、障がい者だけでなく健常者も手話による応援に参加していけば、障がい者、健常者の一体化にもつながっていくのでは?注目されるべき取り組みだと思います。
僕は小学校から高校までサッカーをやっていました。なのでサッカーは好きで、今もプロの試合をよく見ます。これを見て最初に思ったのは、みんな笑顔で楽しそうだな、ということでした。聴覚障害を持っているとはいえ、一般のサポーターと「声援」の大きさは変わらないんですね。
一般的な僕たちと一緒にできる共同作業というのはまだこのほかにもいろいろありそうですね。そういう行事を地域というより、国で進めていけたら障害という壁もなくなると思います。僕もこの文面を見ていろいろ興味が湧き、これからのものの味方が変わる気がしました。
声なき声援はとても良いことだと思いました。
僕も高校のころ、自分の学校の応援をよくしていましたが、声を出すだけが応援では無いと思います。心の中で信じていれば、選手たちにも思いが伝わると思いますし、一般的に声で応援している人よりも見えない力で応援しているという感じがします。例えば、PKの時は声は出せません。しかし、みんな心の中で応援していますし選手に伝わっています。声の無い声援も大きな力なんだと思いました。これからも続けていって欲しいです。
画像を見ると障がい者の方たちが真剣に応援し、サッカーを楽しんでいる様子がわかる。
障がいがあってもスポーツを楽しむ権利があるのは当然だと思うが、声がなくとも応援できることはびっくりした。正直にいえば、声がなければ選手たちにメッセージが届かないじゃないかと、この記事のタイトルを見たときに思った。
けれども大勢で、見事にそろったパフォーマンスをすれば声がたとえあろうともなかろうとも形になって選手に届くのだなぁと感じた。
きちんと届いたなと思った瞬間、自分が応援団の一員なのだなという自覚がわいて笑顔があふれるのだと思う。
写真を見て、どんな障害を持った人も何かを応援する気持ちはみんな一緒なんだなということを強く感じました。
私たちには大きく声を出して応援することを求められるけれど、声を出さなくても応援する気持ちは違った何かで十分伝えることができるんですね!写真に写っている人たちはとても生き生きしていてすてきだなあと思います。
この「声なき応援」はもっと広まるべきだと思いました。
生き生きとした笑顔が印象的でした。
他の方のコメントにもあったように、私も声援とは声があってはじめて成立するものだと自然に考えていたのですが、今回の件はその考えを覆す衝撃的な内容でした。
「声なき声援」、この活動がどんどん広がっていってほしいと思います。それが、他の聴覚障害の方の大きな助けになるでしょう。
応援といえば、いかに大きな声で選手たちを励ますか(声が大きければ大きいほど選手達の力になる)ということが重要視されているように思います。自分もそのように考えていました。そんな自分にとって、「声なき応援」というスタイルの存在は、いままで考えたこともなく、自分にとって新たな発見でした。
聴覚障害をもった人たちも、ほかの人たちと同じように、選手を応援したいというアツい気持ちを持っている。こんなふうに大勢で集まってみんなが手話で応援することで、ふだんなかなか表現できない(伝えられない)アツい思いを伝えることができたのではないかなと思いました。写真に写っている人たちの笑顔がすごく輝いてみえます。「愛してるぜ!」Tシャツも素敵だなと思いました。
自分はスポーツをしてきましたが、やはり応援があるとうれしいです。その内容は応援歌を演奏してもらったり、声をかけてもらったりすることでした。
しかし「声なき応援」の話を知って応援するという方法は様々であることを実感しました。写真からは人々の一体感、みんなの気持ちが一つになっていると感じました。
自分ができる精一杯のことをすれば気持ちは伝わると思いました。
このことは自分はニュースで知ったと思います。このことを最初知ったときは、障害者との壁をなくすためのいいことだと思いましたが、サッカーの応援は声援があってさわげるからたのしいものだと思っていた。しかしこの写真を見ると応援者みんなが笑顔で楽しそうに見えた。スポーツにしろなんでもまだすべての人が共有できていない。もっと私たちは障害者の存在を認知しなければならないのだと思う。
私は先日、先生の講義を受けた福祉を勉強する大学2年生の者です。聴覚障害をもつ人たちの「声なき声援」の企画と「ノーマライゼーション条例づくりPR」の企画が同時に、しかもサッカーの試合を通じて行われるという企画の考案にとても驚きました。応援といえば、大きな声や楽器などを使い選手にエールを送るというイメージが強くありました。しかし、応援の本来の目的は大きな声を出すことではなく、応援したいという気持ちを届けることだとつくづく考え直しました。また、ハーフタイム時に、ろう学校の児童生徒、卒業生の方々がPR横断幕を持ち、ピッチを一周したことによって、試合観戦に来ている一般客の方の、ノーマライゼーションに対する関心を引き付けることができたと思います。 このように、サッカーの試合だけでなく、他のスポーツを通しても、健常者と障害をもつ人との関わりを持つ場をもうけ、人と人のつながりを深めるきっかけや、社会へのノーマライゼーションを呼びかけるきっかけをつくる機会が、いろんな地でもっと増えればと思います。
この企画の主役はろう学校の生徒と卒業生ということでしたが、市長や一般市民も一緒になってピッチを一周するなど一体感があり、とてもいい企画だと思いました。
また、私もここにコメントをされている方々と同じように応援イコール大きな声を出して盛り上げるというイメージを持っていました。そのため、この「声なき応援」というものがとても衝撃的でした。たぶんスタジアムで見ていた人たちの多くも、これに似たような印象を受けたのではないかと思います。
私の中で応援ということに対しての固定観念がこれほど払拭されるようなことは今までありませんでした。それをやったのは障がいのある人だし、このこと以外でも障がい者が伝えてくれたことはたくさんあったと思います。このようなことを含めて、私たちは口だけでなく実際に障がい者を認めなくてはいけないと思いました。
また、条例を作成するということは大きなことであり、そこに住む人々は決して無関係ではないと思います。しかし、そういったことに関して興味を示さない人もいるはずです。
この企画は興味や関心がない人にとっても少なからず印象が残る出来事だったと思うし、それ以上のものになった可能性もあります。だから意外性を取り入れた企画や活動などを考えて実行できたら良い結果に繋がるのではないかと感じました。
僕はこの記事の写真を見て、普通に声を出して応援しているのと変わらないなと思いました。黙って写真を見せられたら、大宮アルディージャのファンの応援風景としか見なかったでしょう。一般の障害のある方が大勢で公の場に出てくることはあまりなく、こういった活動によって障害ある方の認知度があがることはとても良いことだと思います。また、こういった企画の場に多くの人が集まるスタジアムを選んだことも素晴らしいと思いました。
私は小・中・高とサッカーに取り組んできましたが、「声なき応援」というものは受けたことがありません。しかし考えてみると、もちろん声援があるのは盛り上がるのですが、野次が付き物なのです。一方でこの声なき応援というのは我々の視覚に訴えるものです。スタンドを見るたびに暑い中でも立ち上がって応援してくれている姿を見ると、とても勇気と元気が出ます。実際にゴールを決めてスタンドを見たときに一番うれしいのが、応援してくれている人たちが喜んでくれていることなのです。この点でこの「声なき応援」は非常に力強いと言えます。
このような活動を通して、聴覚障害を持つ人々の応援の魂を感じられるのはとても幸せなことなのだろうと、羨ましく感じます。
この記事を読んでとても心が温かくなりました。応援するのに必要なのは「心」であって、必ずしも「声」ではないと思います。さらに、楽しそうに応援する姿を見て、私たちと何も変わらないな、とあらためて実感しました。このような企画があることは本当に素晴らしいことだと思うし、障害を持つ方々の活動に対して、健常者は見ているだけでなく、その活動に積極的に加わっていくべきだと思います。
自分は学生時代はサッカーをしていました。
実際にプレーする側からしても、観客からの声援はそのまま耳に入ってきますが、それと同じくらい身振りでの応援も選手にはよく見えているものです。
写真を見るととても楽しそうに見えます。応援しているチームに点が入れば、障がいの有無にかかわらずチーム、観客一緒になって喜べるというのが、サッカーを含むスポーツの醍醐味でもあります。
声を出せなくても応援はできるということを確認させられる企画ですし、こういった場、機会を単発的なものでなく、今後も継続していくことが重要だと思います。
僕は大のサッカー好きですが、恥ずかしながらこの記事を読むまで「声なき応援」というものの存在を知りませんでした。掲載されている写真を見ると、皆さんいきいきとした表情で応援しています。障害があることで、好きなスポーツができないということは実際にあるはずです。この活動をもっと広げていくことで、応援という形ではありますが、障碍者の人たちが好きなスポーツに関わる機会をもっと増やすことができると思いました。
私はこの記事を読んで、このような声援の仕方もあるんだという事を知りました。今まで声援といえば,大声を出したりブラスバンドや太鼓を使うものばかりだと思っていました。自分は、小、中、高と野球をしていてたくさんの声援を受けたことがありますが、このような声援もプレーする側にとっては大きな力になるのではないかと思います。
しかし、このような素晴らしい企画も日本全体で考えるとまだまだ企画されている地域が少ないのが今の現状だと思います。これからはサッカーだけでなく様々な地域の様々なプロスポーツからこのような企画をどんどん進めていって、より多くの人が応援したいという気持ちを選手に伝えられるような地域・社会づくりを目指すことが大切だと私は思います。
僕は大のサッカー好きですが、恥ずかしながらこの記事を読むまで「声なき応援」というものの存在を知りませんでした。掲載されている写真を見ると、皆さんいきいきとした表情で応援しています。障害があることで、好きなスポーツができないということは実際にあるはずです。この活動をもっと広げていくことで、応援という形ではありますが、障碍者の人たちが好きなスポーツに関わる機会をもっと増やすことができると思いました。
僕は大のサッカー好きですが、恥ずかしながらこの記事を読むまで「声なき応援」というものの存在を知りませんでした。掲載されている写真を見ると、皆さんいきいきとした表情で応援しています。障害があることで、好きなスポーツができないということは実際にあるはずです。この活動をもっと広げていくことで、応援という形ではありますが、障碍者の人たちが好きなスポーツに関わる機会をもっと増やすことができると思いました。
自分はサッカーをやっていたので、
ちょくちょくスタジアムに足を運んでいるのですが、
大宮でこのような試みが為されていることは全く知りませんでした。
写真に写った障害を持たれた方たちの笑顔はサッカーを純粋に楽しんでいる私たちと全く同じでそんなに自分たちと変わらないということを実感しました。
偶然にも健常に生まれてくることができた私たちと、
障害を持たれた方たちが
サッカーといった世界的なスポーツを共有することで仲良くできたらと思います。
このような取り組みが埼玉県で行われていることを知って非常に胸が熱くなりました。「すべての人が住みやすい街」これを作り上げるために必要なものは、市民一人ひとりの協力だと私は思います。特に何かすべきことがあるわけではないと思います。ただ、一人ひとりが他人を思いやることができたなら自然と、住みやすい街というものは完成していくと私は思います。最後に、このブログに載せてある写真に写る方々の笑顔をみて、心がスッとなりました。
まず、このブログを読んで心が温かくなりました。このような試みが行われているのを今回初めて知り、掲載されている写真の方たちの楽しんでる姿をみて、あらためてスポーツというのは、どんな人でも楽しめる素晴らしいものだと感じました。よくスポーツ観戦にはいくのですが野球ばかりなのでJリーグで、このようなことが行われることを知り、プロ野球でも、ぜひ行ってほしいと思いました。
また、「声なき応援」のような大規模で行うもの以外にも個人単位でできることをしたいと思いました。そのためにできることを調べることから始めようと思います。
自分は大宮アルディージャの試合観戦によく行き、サポーターのチャントも覚えるくらいのサッカー好きです。そんな中、「声なき応援」という応援の手段は自分にとって衝撃的でした。選手にとってホームゲームの利点は何より、サポーターの応援にあると思います。試合に視覚を集中する選手にとっては、唯一、聴覚による応援の方が、重要だとばかり思っていました。しかし、聴覚障害者という罪のないにもかかわらず障害を患ってしまっている方々の立場に立ってみると、応援しようという気持ちだけで十分だと、自分が選手なら思えました。これからも、あらゆる面でこういった障害者でも楽しめ、内容がどうであれ、気持ちがこもったことのできる取り組みをしていくべきだと思います。
私はサッカーにも手話にも関わりがあります。ですからこの話題にはとても興味を持ちました。障害者と健常者が同じ空間の中で同じことに熱中する、当たり前のようで今の日本ではそれがなかなかできていないんじゃないかなと思います。だから、このような企画を行ったことには非常に大きな意味があると思います。日本中の多くの人がこのことを知り興味を持つことで、障害者と健常者が一緒に助け合いながら暮らしていくことが可能になると思います。
僕は昔から、スポーツを世界平和のきっかけにできないだろうかと考えてきました。僕はサッカーではなく野球をやってきたのでサッカーには詳しくありません。ただ、サッカーを見ていて思うのは、世界各国で愛されているスポーツで、国際試合になれば多少のいざこざやブーイング等はあっても、国に関係なく試合を見る人達全員が選手を応援することができるということです。国際政治の問題や小競り合いなどはどこへ行ったのかと思うような、目の前に広がっている現象に対して誰もが一生懸命になれる。このような一体感を持つことが出来るのが、サッカーに限らずスポーツのすばらしい部分だと常々思っています。
話がだいぶ変わってしまいました。今回このブログを見て思ったことは、障害を持つ人に対しても同じような考えを持てるということです。スポーツは健常者だけのものではない。障害を持つ人達だってスポーツを見て、実際にプレイして、楽しむことが出来る。他の国の人々との垣根だけでなく、同じ国であっても共通の人間としてその壁をなくすことが出来る。スポーツの可能性を再確認した気がします。
もちろんそれを実行するのが簡単ではないこともあります。スポーツや障害の種類で可能か不可能かという選択が生まれてしまうと思います。それでも出来る限りの努力を、ノーマライゼーションの一つとしてやっていくべきだと思いました。
この記事を見て応援には声がつきものであるという自分の中の概念が変わりました。声がなくても動作で、そして心で選手に気持ちをぶつけそして何より楽しんでいる様子が写真からうかがえてとても微笑ましいです。きっと会場の一体感は素晴らしいものだったんじゃないでしょうか。スポーツは障害の有無により技術的には左右されてしまう部分が目立ちそうですが、本当にいい方向に結び付けてくれますね。
こういう形で障害をもった方も楽しみながら参加できる内容のものが企画としてではなく一般化して継続的になり、隔たりのない社会になればいいなと心から思います。
僕は上の記事を読んで、「声なき応援」というものを初めて知りました。応援は声援だけではないということを改めて感じることができました。写真をみただけでもとても楽しという感じが伝わってきました。この企画でJリーグがさらに盛り上がるといいと思いました。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。