当事者・支援者・第三者-その1 卒業生のその後から思う
福祉の世界は、「当事者」と「支援者(または専門家)」という基礎的な区分をもってさまざまな議論がされてきたように思います。しかし、最近この枠組自体を検討しなおすべきではないかと考えるようになりました。これから2回に分けて、この問題を考えてみます。
「近頃の若者はよく働く」-これが私の卒業生のその後に対する第一の感想です(例外もありますが…)。私のゼミの卒業生の8割は、公的セクターの福祉現場に働いています。福祉事務所の生活保護のワーカー、児童相談所で24時間対応の虐待支援に明け暮れるワーカー等、職場の態様はさまざまですが、毎朝定時に出勤してから夜の10~11時まで働き続ける実態は決して珍しくありません。しかも、土日の休みは取れない、残業手当もおいそれとつけることはできない…。わが国に果たして労働基準法はあるのかとの憤りが胸に去来するとともに、このような福祉職場の実態があまりにも世間に知られていない現実に対しても深い疑問を覚えます。
今年新宿で集まった卒業生たち
卒業生が「よく働く」のは、在学中に行なった私の指導の賜物では決してありません。私は常々「就業規則と月給に見合った働き方をすべきである」とゼミでは公言してきました。このブログを卒業生が眼に留めたら、きっと深くうなづくはずです。
働きづめに働いたところで、大部分の勤労者にはそれにふさわしい待遇を保障された時代はありませんし、健康を害するのがせいぜいです。福祉の現業業務に携わる公務員には、高級官僚にしばしば指摘されてきた甘い汁を吸えるような「天下り」もありません。それならむしろ、「健康で文化的な生活」を自ら体現できる生き方をすることが、職業上の専門性・創造力・提案力を高めるためには必要だし、理に叶った処し方だと考えてきたからです。
ところが、卒業生の話に耳を傾けていると気持ち悪いくらい働いているのです。このまま行くと遅くとも40歳前後にはバーンアウトするか体を壊すのではないかと心配するくらいです。よくよく考えてみると、今、正規雇用に巣立った若い人たちは「就業規則と月給に見合った働き方」を地で行く人生行路をなかなか選択できない状況にあるのでしょう。
わが国のマスコミが公的セクターについて報道するとき、「ムダが多い」「効率が悪い」の一本調子となったメッセージ性に彩られることが圧倒的です。しかし、福祉に限らず義務教育の現場も、長時間労働が常態化しています。現在の小中学校の先生方は、職場で12時間以上勤務することが「ふつう」になってしまっています。とくに、小学校の先生の場合、お昼休みの給食も生徒指導の時間に当たるため、休憩さえろくにとれない過酷な勤務実態にあるといえるでしょう。
公的セクターは、広告を出してマスコミを利することがありませんから、生活困窮の深刻化する民衆の憎悪を振り向ける「生贄」として叩きやすいのでしょう。「公的セクターの正規職員は恵まれているのだから、身を粉にして長時間働くのは当然だろ」というような風潮をつくり出した責任の一端がマスコミにあることは、明白だと考えます。
かつての時代よりも、支援を要する人たちの抱える問題は複雑で困難度の高いものになってきました。「ふつう」の子どもたちや高齢者もそうですし、ましてや虐待や触法性が絡むとなると、支援者の神経疲労は絶大となり、1ケースあたりに要する時間と労力は以前の物差しではとても推量できない運びとなってしまいます。そのような現実の一方で、仕事の質と量に見合った職場の人員配置はなかなか増えないのですから、働きづめになる宿命に追い込まれているといっていいのです。地域住民の生活現実に誠実に向きあおうとする支援者であれば、なおのことです。
このようにして、福祉職場の若い支援者は追い込まれやすい状況に身をおいているのです。ひるむな卒業生、ひるむな若き福祉職場の支援者の皆さん!! すべての国民の権利である「健康で文化的な生活」を自ら体現する働き方・暮らし方を進んで実践しましょう。
(次回に続く)
コメント
学校の先生は長時間働きすぎだと思います。国レベルで、例えば職員の数を増やすといった対策はとられていないのでしょうか?このままではサービスの低下につながると思います。
やはり公的セクターのような福祉の仕事に携わっている人たちのその労働の実態には深刻なものがある。今回のブログを読んでいてその深刻さが切実に伝わってきた。
過酷な労働に対して、それに見合う待遇がなされていないだけでなく、マスコミによる一方的なメッセージ性を持った報道によって民衆の憎悪の行き先になっているなんてあまりに酷い現実である。
労働に対する待遇は見直されることが困難であるとしても、公的セクターなどで働いている人たちに対しての民衆の目線だけでも変わればいいなと思う。それにはマスコミの協力が必要不可欠である。そして、少しでも多くの人が福祉の労働の実態を理解すれば、少しは福祉の労働者たちも救われるのではないかと思う。私は、今回のブログを読んでからもっと詳しく福祉の労働者の人たちの実態を知りたいと思った。
公的セクターの現場で働く人々が抱える過酷な勤務実態について、この記事を読んで、改めて考え直させられました。
小中学校の教職員は通常の教壇に立つ以外にもクラブ、部活動の顧問、いじめや不登校、非行に走る生徒への対応など多くの仕事をこなさなくてはなりません。そのうえ、いじめ等の問題を対処するのは相当な精神的疲労を伴うと思います。
私の小学校の担任の先生で、高熱が出ているのにもかかわらず解熱剤を打って仕事をしに来ていた人もいました。「子供たちを教育する」ということに対する責任感から働きづめになっているように思えます。
公的セクターの職場で働く人々は、仕事と自身の生活のバランスを考え、行動していかなければならないと思います。
福祉の仕事や教師をしている人々の勤務事態について、とても過酷なものであることをこのブログでより深く痛感しました。テレビなどで福祉や教師の現状を取り上げられているのをたまに見ますし、最近ではドラマなどでもされていることがあるので、身近で感じることが多くなってきましたが、やはり卒業生の先輩方も過労などをされていることを知ると、より身近なものに感じました。
もっと公的セクターの実態についてより深く追求していき、そのバランスを考えて、勤務事態の緩和をはかっていき、先生の言うように「健康で文化的な生活」を実感できる働き方・暮らし方を進めていくべきであると思います。
近年のマスコミは非常に大きな影響力を持っているのは事実だと思う。
テレビで「この店の何々はとても美味しい」と報道されればすぐに行列ができることがあるし、昨日の晩に開票された参議院議員選挙に関しても、マスコミが話題性を持つ人を追っかけていて、その人だけにものすごく注目した、私には偏った報道をしているように感じる内容が多いように思われる。
講義の中で見た映像の中で、アメリカにおける児童虐待の対応に追われる日本人のものがひじょうに印象に残っている。この事例も、昼夜土日を問わず、どこかで必ず事件が起こっているというのが現実であったと思う。
日本においても、児童虐待の件数は増えつづけているというのだが、こういった非常に厳しい状況に対応する部署に、なぜ国や地方自治体は人員を割いて対応しようとしないのか。予算を増やしていこうとしないのか。どうして子供よりも道路のほうが大事なのか。よほどほかの部署のほうがマスコミの言う「ムダ」があるのではないか。
このような点から見ると、民主党が行った「事業仕分け」に対しても、予算を減らすべき事業だけを抜きだして、削減や廃止等の対応をするだけではなく、逆にもっと増やすべき事業に関しても議論し、予算化等をする、「逆事業仕分け」をしてほしい、と考えたくなる。
教育現場に関しても、例えば小学校低学年の学級崩壊や、いじめの常態化(あるいは、いじめに耐えられない子供)など、たくさんの問題を抱える学級を、たったひとりの人間が受け持ってすべて切り盛りする(あるいはできて当然)とする、かつての社会の通例は、もはや通用しないと思う。
今私が思うのは、「ムダ」といわれるすべてのことが、「絶対に省かれ、効率化されるべきもの」ではないのではないか、ということである。たとえば、再び児童虐待の映像の話になるが、被虐待者や虐待者を取り調べるには多大な時間と労力が必要だし、実態調査を行うには、現場に出向いたり関連部門と連携をとるために様々な準備が必要だし、と多大なる時間と労力が費やされてようやくひとつの事例に進展がもたらされるのだ。
それを、「時間がかかりすぎだ」などと揶揄され、「ムダ」の一言で予算削減、ということをする行政の目はどこに向いているのだろうか。
行政を変えることができるのは、私たち市民(あるいは国民)であり、行政に変化をもたらすひとつの手段が選挙だと思う。広い視野を持ち、多くの事実に問題意識を持つ人に投票することによって、行政を変えることが出来るはずだと思う。
そうするためには、やはり自分たち自身が多くの事実に問題意識を持たなければならない。そうでなければ、自身の目先の利益に踊らされて、まったく意味をなさないような選択をすることになるのではないだろうか。
私の親は小学校の教師をしています。
先生が書かれた内容の通り、私の親は給食の時間も仕事をしていて自分の給食は生徒にいつもあげているし、一日中お手洗いに行く暇もないほど忙しいです。それでも家に帰ってからも残った仕事をやっています。
時には問題を起こした生徒の親からの電話対応を遅い時間にやっていることもあります。本人いわく、「好きじゃないととてもじゃないけどやっていけない。背負おうとすると精神が壊れる」くらい大変らしいです。
それほど重労働なのに、世間の目は冷たいです。
自民党は十年ごとに教師は大学に行って勉強して改めて免許を取るというような法案を作ってましたよね。そんな時間は教師にはないんです。
教師の現状も知らないでかってに義務労働を増やしてほしくないです。
世間も、不況でみんなの年収が下がった時、公務員の収入がやや安定していることについてどこかのニュースが町の人(サラリーマン)に話を聞いた時「そんなにもらえるなんてずるい」と言っていました。
怒りを通り越して、悲しくなりました。
あの労働量でほとんど変わらないあの収入は少ない方です。それでも頑張って人のために働いて、なんでずるいなんて言われなくてはいけないのでしょうか。公務員に対する目はなんでこんなに冷たいのでしょうか。収入以上に働きづめている人のことを、公務員のことを、もっとちゃんと見てほしいです。
福祉や教育の仕事は他の仕事とは異質なものだと思う。まず、仕事の達成度や、仕事の範囲の線引きがある程度個人の裁量によって決定され来ると思う。だから、真面目で良心のある人程、待遇に見合わない位がんばってしまうと思う。そして、福祉や教育の現場はそういった良心に支えられている所が非常に大きいのではないだろうか。こういった現状を打破するには、まず多くの人々に知ってもらうことは大切なことだと思う。福祉の世界は当事者と支援者、教育の世界は教師と生徒といったように、狭い関係の中で完結してしまっていると思う。それが、一部の人への負担の増大の理由の一部だと思う。
私たちが一般的に福祉などに関する情報を得たりするのは、マスメディアを通してというのが最も多いのではないかと思う。しかし、そこにはご指摘にもあるが、偏ったフィルターがかかっている場合が多いと思う。だから、現場を開放的にしていくこと(福祉の現場がどの程度開放的かは分かりかねるが、教育の現場は閉鎖的な節があると思う)が大切だと思う。そして、一般の人がその分野にアンテナをたててほしい。そして、もっと広い関係、社会で福祉というものを充実させていくべきだと自分は考える。
教育や福祉といった現場では、人を相手にした仕事であるために相手からは高い要求を求められるのだとおもう。マスコミの公的セクターに対する一様に低く、悪いイメージを持ちがちである。
これらの仕事はほかの仕事に比べて陰での努力や達成度が見えにくい仕事だからこそ、他者がそういった苦労に対して評価をしていかなければならないはずである。しかし実際の現実を見てみると、福祉の現場では予算が削られたり圧倒的に人員不足であったりと強い逆風が吹くばかりだ。
自分の中学校・高校でも、教員が休職に追い込まれてしまうことや体を壊してしまい倒れてしまうといったこともあった。その人たちは生徒側からみていると、そういった局面に追い込まれるギリギリまでは疲れ等を見せず、突然休職や入院になってしまうタイプの人が多い印象がある。
まじめな人であるがゆえに自分を追い込んでしまう人がいるからには、現状の改善が必要であるかと思う。そのためには絶対的な人数を増やすことや周りの人の協力、公的機関のケア等の支援が今以上に必要であろう。
確かに最近は8時間以上労働するところが増加していると聞きますが、教育の現場や福祉の現場や医療関係の現場では、どうしても人手が足りないのが現状なので、仕方がないのかと思います。
高齢化が進んだのは、医療の進歩とともに、労働時間の増加による結婚年齢の遅れがあると思うので、この悪循環は止まらないのではないのでしょうか。もし労働時間を減らしたとすると、日本の継続は不可能になり、二度と立ち直れなくなると考えられるので、労働時間は増えることがあっても、減ることはないと思いました。
小学校の先生がこんなに長時間働いているとは思いませんでした。最近では、学級崩壊やいじめ等様々な問題があるので、相当の疲労もあると思います。なので、もう少し教師への待遇を考えたほうがいいと思います。
公的セクターのような福祉に関する仕事というのは、はっきりとした、形ある実績というものを出すことができないものだと思う。それなので、周りの人から「もっと働け」、「税金の無駄だ」など批判ばかりされてしまうのだと思う。そして批判ばかりされていると、働いている人も自分の仕事に自信が持てなくなっていくだろう。しかし、一般の人はそういった仕事がどのくらいつらいのか、そこで働く人がどれだけ頑張っているのかを調べることはまずないだろう。そういったときにマスコミがしっかりと助けてあげないといけないと思う。
これからますます福祉に携わる仕事が重要になるので、そういった場所で働こうと思う若者が増えるような仕事にしていくべきだと思う。
福祉関係や教師などの仕事についている人々は、一言で言うと働きすぎだと思う。しかしその状況を作り出してしまったのは誰なのであろうか。それは紛れもなくマスコミでもあり、自分たちなのでもあるのだと思う。
いまのマスコミの影響は計り知れないほど強大なものになってしまい、マスコミが公的セクターの無駄遣いに注目し、批判してしまうと、自分たちはそれを鵜呑みにしてしまう傾向がある。
なので、批判的な報道だけではなく、実際現場で働いてる人たちの生の声を積極的に報道し、そのような状態で働いてる人たちの待遇を改善していく必要があると思う。
もしこのままの状態で進んでいくと、これからより一層福祉関係の労働者が必要とされているのにもかかわらず、働こうと思う人が減っていくと思う。
この話を聞いて、福祉職場の実態がひどい状況にあるということを改めて知りました。
このような状況になっている一つの原因には職場の人員不足があると思います。確かに今と昔では、同じような仕事でもそれにかかる時間と労力は比べものにならないと私も思います。
なので、この状況を改善するために、まずは福祉職場の人員を増やすことに、国全体で考える必要があると思います。
私の母は小学校教諭なのですが、いつも疲れ果てて帰ってくる母を見て割に合わない仕事だなと思っていました。しかし母は小学校の教師になれてよかったと言っています。
そんな母を尊敬すると同時に私としては無理しすぎないでというのが本音です。
私は公務員の労働形態は今のままでいいのかと疑問に思います。
自分は教職をとっており、小学生の先生が忙しいというのは知っているが、俗に言う激務といわれる仕事に就いてる人はそれ以上、それこそ過労死してしまうほどに忙しいといわれている。
また、官僚などは一見楽をしているように見えるが、それはマスコミのたたき台になっているだけで、第Ⅰ種の国家公務員も通常激務である。確かに楽をしている人もいるが、そのような人はどこにでもいるものであり、たまたまその人達が目立ってしまっているだけで、それでは一般的な議論はできない。
そして、かなり多くの人が忙しい中あくせくと働いている。それが今の日本の揺るぎない現状なのだ。
公務員はよく「安定した職」であると言われる。しかし、精神的な面や勤務時間的な面から見れば、よほど「不安定」に陥る可能性が高いと、このブログを見て思った。
小学校教師を例に挙げれば、世間の人からは「子どもたちに勉強させながらふれあう職業」程度にしか認識されていない。だが実際は、このブログにもあるように給食指導をしたり、虐待などの家庭事情にも気を遣ったりしなければならないし、親をはじめとする各方面への対応も教師の仕事である。結果的に、昨今の小学校教師は仕事を多量に抱え込むこととなり、ストレスも溜まってくるのは当たり前である。
本来なら「では、誰がいけないのか」という話になるが、私は国民全員であると思う。もちろん、国民の意識に勝手なイメージを植え付けるマスコミは許すべきではないが、踊らされる側にも罪は無いとは言えない。「ムダが多い」と言うなら、どうやったらムダが無くなるか考え、提案すれば良い。「効率が悪い」と言うなら、改善案を出せば良い。具体的に何も考えてはいないのに「そういうものか」と俄かで納得したふりをする人は、私は好きではない。
最近、モンスターペアレンツやら学級崩壊やら、不穏な言葉が本当に頻繁に飛び交うようになった。国民は「自分や自分の子どもに限って心配ない」と傍観するのではダメだ。かといって、他人の受け売りばかり拾い集めて、いかにも知識人のように振る舞うだけで改善策を考えないのでもダメだ。日本国民は、自分の意志や判断力を持ち、正しい目で公務員を見直す必要があるように思った。
今の日本人は本当に働きすぎだと私も思います。テレビニュースなどでも、うつや過労死といった言葉を耳にするようになりました。そしてその多くは医者であったり福祉関係の仕事をしている人のような気がします。需要とい供給が成り立たない理由にはやはり、賃金ににあわない仕事量でしょう。その問題を解決するためにも、国がもっと目を向けるべきだと考えます。高齢化社会の日本でこれ以上福祉関係の仕事をする人が減っていかないことを願っています。
先日介護実習にて、老人施設に行ってきました。デイケアの方を体験させていただいたのですが、職員の方々は毎朝7時くらいには来て、帰るのは夜8時くらいなどといった長時間労働がある日が多いとおっしゃっていました。それが何日も続くと、体がもたないのではと心配になります。そんな激務で給料も安いのでは、好きでないとたいていの人は働きたがらないです。なので、人手ももちろん足りなくなり、悪循環です。
したがって、こういった福祉の仕事の方に給料を上げるなどして、もっと働きたがるように改善していくべきだと思いました。
私の母は看護師をしていますが、入院患者のほとんどが老人であるため、介護施設と変わらないそうです。職員が少ないため日勤だけでなく、夜勤も1週間に2度ほどあり、毎日疲れ果てています。
このような現状では福祉の現場で働く人は減少していく一方だと思います。
福祉の現場にいるからこそ働いている人の人権を大切にしていかなければいけないと思います。
私の叔母は保育士をしていましたが、4年前に50代半ばにして亡くなりました。あまりにも突然の出来事だったのですが、亡くなった1年後に過労死だと判定されました。
私はこの叔母の死を経験するまで、『過労』なんて自分とは全く関係のないものだと思っていました。長時間労働と言っても、そこまでないのではないか。ましてや、働きすぎで人が死ぬなんて…。そんな風に過労について甘く考えていました。
日本人は働きすぎだと言われますが、長時間働くことが当たり前のように思い、また、長時間労働を大変だとは感じても、そのことに疑問を抱く人が少ないのではないかと思います。
今回取り上げられている福祉や教育は、その地域で生活をする全ての人に関わる問題であると思います。皆が問題意識を持ち、改善していかなければならないと思いました。
このブログを読んで改めて福祉に携わる仕事の過酷さを考えました。長時間労働は度が過ぎると過労死を引き起こすこともあります。福祉の仕事はとても大切で必要不可欠なものではありますが、仕事をする人にあまりにも大きな負担がかかるようであれば仕事のありようを考え直さなければいけないと思いました。健康的に仕事ができるような社会づくりをしなければならないと思います。
私が小・中学生だった頃を思い返してみると、教師は朝早く学校に来て、夜中に帰っていたので12時間は超えていたと思います。私の中でもそれは当たり前だと思っていましたが、よく考えると働きすぎてると気付きました。
今の現状を変えるには、やはりきっかけとなったマスコミが自分たちの誤りに気付き、正しい意見に訂正するのが良いのではと思いました。
私もこのブログでいっていたように勤務時間とそれにあった待遇がなされていないと思います。
私の親も看護師をしていてたまに休みがない週だってあります。時間を増やすのではなく従業員をふやすべきだと考えます。
学校の先生や福祉にかかわる仕事は給料のためというより善意により働いている部分が大きいように思えます。
労働の過酷さに見合った報酬をもらえるような社会にならなければ、これからの社会でそのような善意のために仕事をしてくれる人は減っていってしまうと思いました。
自分も教育の現場に進もうかと考えているため、今回のブログを読んでいて他人事ではないなと危機感と不安を感じました。
自分が信念を持ってやりたいことに取り組んでいるときというのは、案外多少無理してでもやれてしまうものだと思います。それが特に若いうちというのは顕著な気がします。しかし、確実に身体と精神には負担がかかっています。それが時が経ってふとした時に爆発してしまう…。そのツケが来る前に何とかしなければいけないと思います。現実問題として就業体制に文句をつけることは今の時代なかなかできないとは思いますが、自分が本当にやりたいこと、本気で取り組んでいることだからこそ時には反発する勇気も必要なのかなと感じました。
私が小学校の時の担任が、6年間で2人体調を崩し、1人生徒ともめて途中で交代になりました。長時間の労働・年々厳しくなる生徒や保護者との対応など教師一人でできる仕事ではなくなっていると思います。このままではいずれこの仕事につく人はいなくなると思います。
「健康で文化的な生活」を自ら体現する、という意見が非常に興味深いと思いました。
もちろん働き過ぎがいいことだとは思いません。しかし、働かないよりも無理をして働くべきなのだと私は思っていました。だからこそ、この意見はとても新鮮に感じました。
今の日本では、福祉に関する職に対して「大変そう」「給料が少なそう」など、マイナスのイメージが非常に多いように感じます。
天下りなどといった理不尽なことが起きている半面でこうした若者たちが働きに見合わない対応をされていると思うと、とても残念で仕方ありません。
もっと社会全体として福祉の仕事への理解を深め、イメージの向上を図っていくことが必要だと思いました。
人々の生活を支援する仕事である福祉関係の人々や教師の人々が自分の健康状態を考えないで働き続けている状況を知ってはっとさせられた。本ブログでは公務員のことを述べているが、それは私立の学校や福祉センターなど、そのような場所にも関係があるのではないかと思う。
私は解決方法などの具体的な案は持っていないが、そのように身を削りながら仕事をしている人々がいるという現状を踏まえた対応を政府の方々にはしてもらいたいと思うし、我々もそのように働いている人々に対して少しでも役に立てるような活動をしていければいいと思う。
確かに公的セクターで働く人たちは特に働きが給料に見合っていないように感じる。
私は中・高時代に部活動に所属していたが。給料が出ないにもかかわらず顧問は、半日ないしは一日中練習に時間を費やし、夏休みもほぼ毎日来ていたのを覚えている。また、進路相談や補習などにもずいぶん時間をさいてもらった。部活動や進学指導などに熱心な先生に対して、何かしら優遇措置をとるべきだと思う。
母が看護師をやっているのだが、以前有給休暇がなかなかとれないと嘆いていたことがある。
今の社会自体が、労働者にとって働きにくい環境を作ってしまっている。このような環境を作ってしまった原因の一つとしてマスコミがあるのなら、マスコミを利用し労働者が働きやすい環境を作るべきであると思う。
今回のブログを読んで、公共セクターの現状を少し知ることができました。
言われてみれば、確かに学校の先生は働きすぎであるのだと気づかされました。今回のブログの中には小学校の先生の話が出てくるけれど、中学校や高校ももちろん例外ではないと思います。
私の通っていた高校では、受験生の授業を担当する先生は、朝の7時30分から授業をしていました。もしくは夕方6時ごろまで授業をしたり、そのあとも生徒の質問に答えてくれたり、残業をしていたりしていました。すごくすごく感謝していることだけれど、働きすぎを指摘されると否定はできないと思います。
でもそれは先生方の好意からくるものであり、先生方自身が自ら“やりたい”と思ってしてくれている行為ならば、それが自分の「文化的な生活」につながるのではないでしょうか。
働きすぎで健康を損なってしまっては意味がないけれど、「働きすぎ」と一言で言っても単純な問題ではないのではないかと思いました。
自分の健康管理に気をつけながら卒業生の皆さんにもがんばってほしいと思います。
以前から学校の先生は大変だなと感じていましたが、今回のブログを読んで改めてその気持ちが強まりました。
わたしの高校のときの部活は週7で、オフは月に1度あるかないかという感じでしたが、先生は毎日部活に参加してくださっていました。その分のお給料や練習試合の際のガソリン代等は支給されないにもかかわらず、です。
すきでやってるんだからと言われてしまえばそれまでかもしれませんが、部活の顧問という仕事を任されたからやっていたのであったと思うので、任せたほうも何かしら先生たちに対して配慮があっていいと思いました。
最近では、テレビドラマなどで医療現場に目を向けることが多くなってきていると思います。その背景には過度の業務があるのだと考えます。しかし、そのドラマが視聴者が現場の状況を知るための情報源でもあるのではないでしょうか。だから、テレビが一つの手段として、またそれに限らずいろいろな手段で、公的セクターに関する今の現状が世の中に伝わっていってほしいと思いました。
といっても、公的セクターの現状をどのくらい知っているか、と問われたらこのブログで得た情報ぐらいしか知らないので大きな口は叩けません。しかし、自分の健康を害すことのないように頑張っていただきたいと思いました。
教師や福祉関係で働いている人たちは仕事の量、質に見合った給料、休暇をもらっていないと思います。
人手不足の現状の中で長時間労働をしているにもかかわらずマスコミの公的セクターに対する評価は良くありません。
私が中学生のとき、部活終わりの夜9時ごろに職員室をのぞいてみたが、ほとんどの教師が学校に残り仕事をしていました。
このような状況をマスコミが報道しているのを私は見たことがなく、残念に思います。
このような現状を変えるには、社会全体が変わっていかなければいけないが、まずはマスコミが教師や福祉関係で働く人たちの仕事内容や労働時間をしっかりと理解していかなければならないと思います。
「仕事」ということを考えるときに、自分にとっての「仕事」の在り方ということは重要になってくると思う。人は、色々な考え方を抱き、様々な信念や理想や希望、理念を掲げた上で仕事を選択するという権利があると思う。だからこそ、自身のライフスタイルの中で「仕事」をどのポジションに位置づけるかはそれぞれ異なってくると思う。家庭を顧みることなく仕事だけに没頭する人、家庭を築くということ以上に仕事を重要視する人、お金さえもらえれば特にこだわりはないという人、家庭を1番に考え、定時には帰宅できることが条件であるという人etc・・・
以上のような様々な在り方を考えていく際、これが正解で、あれは不正解といったものではないとは思う。ただ、個人的には、仕事をするということは、自分自身が社会の中で何らかの役割を担うことを意味していると考える。その時、この仕事は「自分がやるべきだ」という使命を素直に感じることができた上で仕事を選択し、取り組んでいかれると、それは1人の人間として素敵な在り方であると同時に素敵な生き方でもあるなと思う。
しかしながら、「自分の体を酷使するということ」と「他者のために(職業人として)生きる自分」ということを考えた際、バランスを取って過ごすということは必然的に各自が要求されることであると思う。だが、そのバランスを取るということはすごく難しい。それ故に、社会全体で熟慮していかなければならないテーマであると今回のブログを通して私は感じた。
長時間働くことが当たり前になってしまっていることは極めて深刻な問題だと思う。人生は働くことが全てではないのに、今のままでは、自分が働き始めた時、人生のほとんどを働いて過ごさなくてはいけないのかと少し先が不安になった。労働環境についてもっと考え直さなくてはいけないのではないだろうか。特に教師という仕事は部活顧問などの仕事もあり、時間外労働が多く、とても大変な仕事であると思う。
公的セクターや教育関係の仕事をしている人々にとって、仕事と個人の生活の営みのバランスを考えるのは難しいことだと思う。そのため、彼らをもっと補佐してくれるような社会づくりが、その仕事に従事する人々の負担を軽減し、子供たちや高齢者一人一人に福祉が行き届くようになると思う。
私の父は高校教師なので、小さい頃から教育という大変な立場にたつ父の背中を見てきた。普段の授業をはじめとし、教務主任としての学校内での事件の解決、不正行為などの指導、放課後や休日の部活動の顧問など、常に生徒を思い仕事に従事している姿を見て、私はそんな父を誇らしげに思う一方、体はもつのかと心配した。
仕事内容に見合った給料や休暇をもらう、というのは、一度に多数の人間を相手にする教師や福祉に携わる人々にとって難しいことだと思う。実際、もらっていないと思うし、その実態を知らずにどんどん切り詰めていくマスコミの存在する社会によって、社会全体が余裕のない狭い環境を創ってしまっている。もっと仕事を生き生きとでき、余裕のある環境づくりをすることが、社会全体のためになると思う。
現代社会では介護の世界や教育の世界がより複雑で難しものになっているのに、それに対してその職場が働きづらいもの、過酷なもの(時間外労働時間が多いなどの点で)になっている点は解決すべきだと感じた。より、多くの人が介護の仕事、福祉の仕事に就きやすいような環境を作り上げるべきだと思う。
小学校の先生たちが12時間以上勤務していると知り、それは決してふつうではないと感じました。教師自身も体調を壊したり、精神的にも疲労がたまるだろうし、その結果生徒たちへの対応も適切なものができなくなってしまうのではないかと思います。
福祉関係や教師などの職はとても大変だと思います。しかし、とても必要なものであるので、もっと労働の状況を改善するべきだと思いました。
また、他国に比べても日本人は働きすぎだと思います。だから、国全体でも国民の労働のあり方が見直されたらいいのではないかと感じました。
若者が自分の仕事に働く意欲を見せ、自分の労働に見合うものを得られなくとも仕事に直向きに取り組むことはとても良いことだと今まで自分は考えてきた。しかし、いくら自分の仕事が好きで、見合った報酬が得られなくても良いと考えていても、年齢とともに体力が低下し長時間集中して働くことは難しくなり、精神的にもつらくなるだろうことは安易に予想でき、かつそのような仕事に一生懸命な人程仕事場で頼りにされており、その人がダウンするとより一層その職場の労働条件は悪化するのだろう…と先生の記事を見て考えされられました。
いくら自分の仕事が好きで苦にならなくとも、自分自身も、その周りの人々も、過酷な長時間労働について意識を新たにし、ストップの姿勢で取り組まなくてはいけないのではないかと思いました。
福祉の現場で働いている人たちの給料と勤労時間はやっぱりつりあわせる必要だと思います。
お金目的で仕事を選んでいるわけではないのだと思いますが、やはりそれではこれから就職する人たちにとって大きな障害になりえますし、やっている人たちにとっても疲れてくるとあきらめてしまう理由になると思うからです。
この記事を読んで初めて公的セクターについて知り、朝の10時から夜11時まで働くということは明らかに働きすぎだと感じました。
もっと国が、こういった職業に注目し、そこで働く人のための援助をすることが必要だと思いました。
私が中学生だった頃、9時過ぎに部活の練習を終えて体育館から出てくると、いつも当たり前のように職員室には明かりがついていました。
両親が教師ということもあり、教育現場の現状がいかなるものかということはある程度理解した上で教育者を志そうと決めましたが、それでも現実を思い知らされるたび、心が折れそうになります。
安定していて収入も多そうな公的セクターはマスコミによって不満のはけ口として誘導され、割に合わない労働に身を粉にして従事しています。こんな状況ではいけないという危機感を強く持たねばならないと感じました。
近頃の若者はよく働くという宗澤先生の言葉に驚きました。最近は、ニートやフリーターといった非正規で働く若者の増加や、不景気による解雇での失業者の増加などの雇用の問題が主に取り上げられて、過労働の現状は減少していると思っていたけれど、先生のブログを読んで、教育や福祉での労働環境の実態について知り、改善しなければいけないと思いました。先生の講義と関連して考えていこうと思います。
この記事を読み、改めて公的セクターにおいて、長時間働くことが当たり前になっているとの認識を持ちました。私も先輩から聞いた話ですと、若い先生は部活顧問をやらないといけなかったり、定時よりも早く出勤しなければならないということが、慣習になっていると聞きました。そのように時間外労働が半強制的になっている今の労働環境は見直さなければならないと思う。
このブログを読んで、あらためて福祉の仕事や教師という仕事の大変さがわかりました。公的セクーは目に見ることのできる利益があらわれる仕事ではなく、人と人とが向き合っていく仕事であるだけに、膨大な時間を費やしてしまうのもなのだと思います。しかしその大変さというのは社会で大々的にとりあげられることもなく、あまり知られていないのではないのでしょうか。仕事とはあくまで生活していくための手段であり、目的ではないものはないかと思います。
公的セクターは、社会になくてはならない仕事であり、その重要性は今後さらに大きくなっていくと思います。
そのためになおさら1人1人の権利とその仕事のあり方を見直していくべきだと思いました。
自分の利益のために働く(全員とは一概に言えない、勿論自分が好きで働いている場合もある)とはいえ、仕事が定時で終わらず残業がある状況は改善されるべきでしょう。
また、マスコミによる影響がとても大きなものだと認識されているのだから、これに関わる人は表面的な状況を流すのではなく、もっと奥深く突き詰めた所まで介入して、そこの現状を流すべきだと思いました。
学生とサラリーマンの二足の草蛙を履いています。11限の授業に出席する為、就業規則上の定時に仕事を終わらせる為に、自主的に毎朝7時に出社して、仕事を終わらせるようにしています。また、休日が毎週水曜日が確定休日なので、その日を利用して昼間の授業に出席します。もちろん、ワークタイム中に仕上げられなかった仕事に関しては、自宅に持ち帰って仕事を続けなければなりません。
私の場合は、大学に通学するという大義名分があるのでそのような時間が作れますが、そうではない人は、仕事が終わっても定時に帰れないような雰囲気になっています。以前、仕事が終わったのに、なぜ早く帰ろうとしないのか?という質問を酒の席で先輩にぶつけたのですが、早く家に帰るように仕事をすると、収入(残業代)に響くし、自宅に帰っても、家事の手伝いをするのがいやなので、残っているとの事でした。
これは一例ですが、長時間労働の問題は、非常に根が深い問題だと思います。時間的、精神的な余裕を得る事が非常に難しい働き盛りの人達を見て、ああはなりたくないと行っていた先輩が、今まさにああなっています。
やりたいからやっているのか。やらされているのか。全て一元的に悪いとは思いませんが、もう少し個々の負担を軽くする事は出来ないだろうかと思います。
現代社会において、介護を必要とする人が増えてきたのは誰もが認めるところでしょう。ですが福祉機関に勤めようとする若者はまだまだ足りないのが現状です。このままでは一人一人にかかる負担がどんどん増えていき、そのせいでまた若者は福祉機関へ勤めようとしなくなってしまうのではないでしょうか。
就職が決まらずに困っている人を研修させ、福祉事業従事者を増やすという制度を作ったらいいと思います。
そのためにまずは、一般の人々がこの現状を理解することが必要だと思いました。
教育関係や福祉関係の仕事に就く方の多くは、働く動機が賃金では無いのかと思う。私も教育者を目指しているが、私としては労働の悪い条件は把握し、それを超えられるモチベーションを高められる事(子どもが好きなど)を持っていないとその仕事についてはいけないと思う。福祉に関しては高齢化が進む中で看護をする人数とされる人数の比が合っていない現状から政府の対策が必要に思う。
大学で福祉について勉強をしていますが、日本の外国との福祉についての捉え方、政策などの大きな遅れ・違いを知り、日本の福祉の現状の厳しさを痛感している毎日です。
さらに、先生のブログを見て、福祉現場での若い支援者の過労に対する月給の不一致など、現場の声を知ることで自分が将来、福祉の現場で働くことに不安を覚えました。
年齢の変化によって、精神的・体力的に許容範囲も異なっていくため、24時間体制などの長時間労働は年々厳しくなると思います。
ブログの最後にある、すべての国民の権利である「健康で文化的な生活」を自ら体現する働き方・暮らし方を進んで実践しましょうというお言葉に感銘を受けました。福祉に携わる以上、多少の過労等は承知の上で職務を果たしていくべきなのかと、私の中で若干納得している部分があったので、安心したというか、応援されたような気分になりました。
これからも、福祉について日頃から身の回りにアンテナをはり、知識を深めていきたいです。
私は大学1年生で、こんなに福祉の現場が大変ということを知らなかったので、このブログを読んで、今の福祉の状況を知ることができて、とても勉強になりました。働きたくないと思っていても働かざるを得ない人々が沢山いることも知ることができました。私も将来は福祉の現場で働きたいと思っているので、その時までにはちょっとでもよくなってくれているといいです。
ですが、これから超高齢社会でどんどん福祉の需要が高くなっていくと思われるので、もっと労働時間が増えていくのかと思うと一人一人に丁寧な福祉の提案などもできなくなり、福祉のあり方が変わってくるのではないかと思います。
変わってしまう前にみんなで福祉の制度などについて話し合って改善できるところなどを改善していけば、どんなに介護を受けたいと思う人が増えても、対応がスムーズにいったりするのではないかと思いました。
福祉に関する仕事に携わる人、特に介護の仕事についている人の労働条件が収入に釣り合っていないというのをニュースの特集で見たことがあります。
かなりの重労働をしているにもかかわらず人員は削減され、給与も多いとは絶対にいえない。このような状況は悪循環を生むだけです。仕事量に釣り合う分の報酬というあたりまえのことが達成されるだけでかなり改善されると思います。
今まで、長時間労働ということにそれほど関心を持ったことはなかったが、この記事を読んで違和感を抱いた。仕事を頑張っているんだなどとプラスの方面に考えてしまいがちであったが、やはりそれに見合った報酬が与えられるべきだと思う。
この記事に「長時間労働が常態化している」とあった。福祉関係の方もそうであるが、受験生を受け持っている高校教師などはその典型である。
九州の一部の高校では、朝課外と夕課外を行い、その上学生の進路相談を遅くまで引き受ける。これが当たり前となっているため、いつまでたっても改善する見込みはない。「働き詰めになる宿命に追い込まれている」というのはまさにその通りであると思う。今、不景気でより長時間労働が課せられるかもしれない。だが、この当たり前が早く異常であることに気付き、改善されるといいと思った。
初めまして、昭七と申します。
先日あるテレビ番組で、小学校の新米教師が生徒や親との関係で悩み、仕事に苦痛を感じているという特集を見ました。その新米教師は家に帰ってからも仕事が山積みであり、毎日就寝時間が午前2時や3時になってしまい、ろくに休息がとれないということでした。
小学校の先生になるべく大学院で勉強しているBとともにその番組を見ていたのですが、Bは将来自分にも降りかかって来るであろう困難を乗り越えられるかとても不安がっていました。
私自身、やりたいことはあるのですがまだ将来のことは具体的に考えておらず、どんな職業に就くのか目標すら立っていない段階です。ですが、一般的に社会人には辛く厳しい毎日が待っていることはなんとなく想像できます。
しかし、日本の社会に不可欠な福祉や教育の現場で働く人々がそのような過酷な現状で、いい仕事ができるのでしょうか。また、その職を目指す人の数を安定して保てるのでしょうか。
経費を削減し利益を生み、借金を減らすことも確かに大切なことですが、その場で働く人やその環境のことも考慮して、何に最も重点を置くかをもう1度考え直すべきだと感じました。
私は福祉の世界を体験したことがないので、自分の身内の体験を踏まえた感想を述べさせていただきます。
私の祖母は、長い間病院に入院し、最後は寝たきり状態になりました。その結果、介護(お風呂・トイレ・食事など数多くあります)が必要となり、その現場をまざまざと見てきました。患者に負担をかけないよう配慮した介護、患者の目線に合わせた介護、散歩など気分を変えさせる介護など、数限りない患者に対する思いやりを持った介護をしていました。これは、祖母だけでなく、介護が必要な方全ての人に対しての接し方であり、本当に大変な重労働であることを認識しました。
福祉の世界で活動されている方々のご苦労は本当に大変であるだろうと思います。
しかし一方では、それを必要とする患者がいることも事実です。そしてこれはますます増え続ける人口構成になっています。
改めて、健康な体があってこそ、やさしい介護が出来るということを再認識しました。
記事を読んで、初めて長時間労働について考えました。思えば小中高と学校の先生は朝から夜真っ暗になるまでいつでも働いていました。自分がその立場になったときのことを考えると、とてもじゃないけどできることではないと思います。それと同じことが福祉の職場でも起こっていると知り驚きました。
福祉の世界はただでさえ精神的な疲労も伴うものであるのに、長時間労働を強いられていることは以上なことだと思います。実際に福祉の現場で働いている方のことが心配になります。この問題はもっと多くの人に知られるべきです。
マスコミによって報道されることが1番早い方法ではありますが現状それは行われてないので、解決策を練ることが必要です。具体的に何をすればいいかはわからないけれど、早く労働環境が改善されることを願っています。
公的セクターにて働いている人たちの労働の実態を聞いてびっくりしたことがあります。
支援学校の教師をしている友人がいるのですが、そこでは新米の友人がありえないほどの業務を任されており、「とりあえず忙しい」と嘆いていました。学校の業務、親との相談、生徒の世話、行事の準備など、とても一日24時間ではこなしきれない現状があるのだと呟いていました。
昔に比べ、公的セクターに求められるサービスの質、量ともに増大しているのではないかと感じます。報道するマスコミの偏向もありますが、叩くだけでは実情は何も変化しないと思います。仕事に対するライフプランを見直す時期に来ているのだと感じます。
福祉に従事する方の労働状況はかなり過酷だというのをこの記事で知り、このことは多くの人に知られるべきだと思いました。
最近の、支援を要する人の抱えている問題を解決するのは、法律的な点や、人権などに絡む点などから、困難を極めることは想像に難くありません。そしてそのことを多くの人が知ることにより、マスコミの報道も改善され、このことをひとつの課題とすることで何らかの改善が見られるのではないかと思いました。
福祉に関しても、教育に関しても、そこに従事する人々の現在の過酷な状況が改善されればサービスも向上し、福祉や教育を受ける人も皆が充実した生活を送れると思います。このような問題はいち早く改善してほしいと思いました。
今日では、職につくことが困難であるにもかかわらず、職についたら長い労働時間と多量の仕事を強いられている現状です。結局のところ、その職に対する人手が足りているのか足りていないのか分からないといった現象が起きているのではないのでしょうか。
人を雇う側からすれば、確かに、少ない賃金で多くの仕事をこなしてもらいたいのでしょうが、雇われている側にとっては、自己の健康を脅かしかねません。とくに、ブログで挙げられているように、教職や、福祉にかかわる職業は決められている仕事以上のことが要求されます。
企業の場合は、自社の利益を考えて雇用する数を決めますが、教職や福祉などの公務員はもっと雇用の数を増やし、一人一人の負担を軽減するべきだと考えます。
福祉の職場における支援者側の働きづめがプラスになることは何もないように思います。もちろん支援者側のバーンアウトやワークライフバランスが壊されることにつながるという問題点もありますが、最も影響があるのは、支持者と当事者の関係においてであるように思います。
私自身、福祉の現場を経験したことはないので詳しいことは分かりませんが、支援者側の労働はとてもきびしいものだと聞きます。
ただでさえ支援者は、さまざまな事情をかかえる当事者と向き合い精神的に疲れているのに、それが働きづめによって過剰になってしまっては、支援者側は工夫を凝らしたりとより創造的に仕事に取り組むことが難しくなってしまうでしょう。さらには、7月15日の記事にもあったミョウヒハウゼン症候群のような感覚に逃げるしかなくなってしまうように思います。
しかし現状を考えれば、このような問題を解消するのはとても困難なように思います。
記事では、公共アクターがマスコミの批判の標的になっていると書かれていましたが、実際、第三者である私から見ても、よく考えもせずメディアの批評をそのままとらえていたようにおもいます。
改善方法は分かりませんが、まずは私たちの公共アクターに対する現状について正しい知識をえることが必要であるように思いました。
日の日本では高齢化が進み、今以上にこれからも福祉に対する需要が増えるはずである。それにも関わらず福祉という職業で長時間働くことが当たり前となっているという現状は問題である。
少し前にインドネシアなどの外国人看護士・福祉士を日本で採用したというニュースが話題になったが、過酷な労働条件に耐えられず結局帰国してしまったという外国人も多数いたそうだ。このような状態から抜け出せなければさらに悪い方向へ進んでしまうはずである。
この問題の原因として、福祉に関心を持ち勤めようとする若者が少なく一人あたりの負担が多いことがあげられる。このことを早急に解決するのは難しいが、多くの人に福祉に対して関心を持ってもらう、労働環境の改善や雇用の拡大、などできることは少なからずあるはずである。
福祉現場や教育現場における正規雇用者の長時間労働が常態化している状況を変えるためには、まず正規雇用者側の意見を発信して広めていくことが必要だと思います。意見が広く認識されれば、制度改正を求める運動を起こすときにも理解もされやすくなるでしょうし、賛同者が多くなるでしょう。
しかし、現場で働いている職員には意見を広く発信するだけの時間的余裕もありませんし、マスコミが作り出した風潮によって理解が得られにくいことも事実です。
このような状況を打ち破るには、元職員や職員の関係者の方々の力を借りることが大事なのだと思います。最初は家族や友人といった直接の関係者からであっても、次第に輪を広げ関係を密にしていくことで、多くの人に現場の実情が理解され制度改正の声にも賛同されるようになっていくと期待できるのではないでしょうか。
私は母が福祉の現場で働いており、また私自身教職を希望しておりますので、今回のブログを読み、福祉現場や教育現場において長時間労働が常態化している現状について、実感を伴うと共に、非常に考えなければならない問題だと痛感しました。地元の学校でも9時や10時まで職員室の明かりが点いているなど、ザラにありますし、また福祉現場での仕事は肉体的に厳しいことに加えて、精神的にもとても厳しいものであるだろう。もともと教職だったり福祉現場で働くことを希望する理由は賃金で無い場合がほとんどである。しかし、現状これらの職員には、その働きに見合うだけの給料が与えられていない。であるからして、これらの職員は、安い賃金のもと、身を粉にして、長時間労働に従事しなければならないのである。このような状況では、職員も参ってしまいサービスの質が落ちてしまうことは容易に想像できるだろう。実際、母親も、かなり精神的に参った状態で家に帰ってくることも多くありました。高齢化が進み、これからさらに福祉に対する需要はますます増えてくるだろう。福祉現場の労働条件の改善は急務であると言えるでしょう。
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