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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

100人委員会にチョウゲンボウ現わる(!?)―地域社会の豊かさと人間の多様性

 7月10日開催のさいたま市条例づくり100人委員会の会場にチョウゲンボウが現れました。チョウゲンボウは、ワシタカ目ハヤブサ科に属し、崖に営巣することを好む鳥です。100人委員会当日の会場の建物は、チョウゲンボウにとって崖に見立てるような構造物だったのでしょう。下の画像にあるように建物上部の窪みから下を睥睨(へいげい)し、獲物を狙っているかのようでした。

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建物上部から下を睥睨するチョウゲンボウのメス

100人委員会の会場の建物上部にチョウゲンボウのつがいが営巣していることは、「キィキィキィ」と細く明るい鳴声に気づいた私が委員会開催の直前に目視で確認しました。委員会の最中は、チョウゲンボウが会場を覗くように停空飛翔する雄姿が、窓から見られました(当日、委員会の会場で私が「ハヤブサ」と紹介したのは誤りです。写真から改めて確かめたところ、正確にはハヤブサ科のチョウゲンボウでした。現在の視力に制約のあることに由来する誤認で、ここに謹んで訂正します)。

 このチョウゲンボウは、先日のブログでご紹介したツミより少し大きい程度(ハトより少し大きいくらい)の、小型のワシタカ類に属します。このメスの堂々とした姿にあるように、ワシタカ類は体のサイズがすべてメスの一回り大きい点で共通しています。私の限られたワシタカ類の観察経験によると、育雛期の態度についてもメスの方が明らかにデカイ。まっ、これは霊長類ヒト科も同様でしょうか…。

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野原に舞い降りたチョウゲンボウのメス

 ワシタカ類は生態系の頂点に生きていますから、委員会会場となったさいたま市内の某所近辺は生物多様性がまだ何とか保持されていることを証しています。実際、会場周辺に残された水辺では、日本の都市部においてほとんど絶滅状態に近いシオカラトンボが交尾をしていました。短い観察の間にも、このチョウゲンボウのメスは、上空をグライダーのようにゆったりと飛翔する状態から、突如、野原めがけて滑空し、地面すれすれをすばやく低空飛翔して獲物を採る狩を繰り返していました。このワシタカ類ならではの狩の姿は惚れぼれするようで、実に格好いい!

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シオカラトンボの交尾

長野県中野市にある十三崖は、1953年にチョウゲンボウの集団繁殖地として国の天然記念物に指定されましたが、高度経済成長期に行なわれたたび重なる河川改修工事によって獲物が減少し個体数は激減しました。公共事業による土木業者の「繁殖」に資する政策は、チョウゲンボウを激減させたのです。チョウゲンボウは、埼玉県レッドデーターリスト(2008年)で「準絶滅危惧」に指定されています。

 さて、このチョウゲンボウという名前は漢字で「長元坊」と表記され、名前の由来は明確ではありませんが、どうも格下のワシタカ類として見られてきた蔑称の意味があるそうです(柿澤亮三・菅原浩編著『鳥名の由来辞典』286-287頁、柏書房、2005年)。
格下として蔑まれた理由は、江戸時代にもっとも盛んになった鷹狩において、ワシタカ類の種類によって捕獲できる獲物の大きさに落差のあったことのようです。例えば、オオタカは、大はツル、ハクチョウからカモ、キジ、ウサギまでを捕獲するのに対し、ツミやチョウゲンボウは、ヒバリやウズラ程度の小さな獲物に捕獲が限られます(平凡社『世界大百科事典(第2版)』(1998年)の「鷹狩」の項目を参照のこと)。イヌワシやクマタカは特に体力があるため、タヌキやキツネの狩にまで用いられていたそうで、オオタカと並んで「格上」のタカとされ、小さな獲物に限られるツミやチョウゲンボウは「格下」と見られました。

 このようなワシタカ類のランキングには、自然に対する人間の強欲な考え方が表現されています。つまり、人間を直接利する自然だけを「ツマミ食い」するというかなり歴史貫通的な態度です。この人間の自然に対する強欲さは、今や生物多様性が崩壊の危機に直面することによって、人間そのものの存続に危機をもたらしています。

 1955年頃に中国で展開された「四害追放運動」という取り組みがあります。そこでは、農業生産性の向上を目指して、スズメがネズミ・ハエ・カとともに撲滅の対象とされました。実った穀物を食べるスズメは農業生産性の向上を阻む「害鳥」とされたのですが、この取り組みは人間の予想とはまったく異なる結末となりました。
 農業生産の支障となる「害虫」を食べてくれるスズメを捕獲しつくしたことによって、結局は農作物の大減収を招いたのです(井田徹治著『生物多様性とは何か』4-5頁、岩波新書、2010年)。

 この人間を利する自然だけを「ツマミ食い」する強欲は、近代以降、資本蓄積の効率に資する自然を搾取する態度に変質し、そのことと通底する同様の観点から、人間を差別選別する傲慢ちきな態度を社会問題として招きました。

 さいたま市条例づくりの100人委員会において出会い、語らう多彩な人たちは、疾患や障害のある人たちを含め、地域社会の豊かさを守り発展させる「人間多様性の証」ではないのでしょうか。現代に生きる私たちには、このような豊かさを確信する眼に曇りのあることを、まずは課題として引き受けるべきなのでしょう。

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舞い上がる瞬間のチョウゲンボウ


コメント


私の実家ではよく見かけたシオカラトンボも都市部の大学付近に住みだしたら見なくなりました。このように開発が進んだ地域では特にさまざまな生物たちが住みにくくなっているんだと改めて感じました。チョウゲンボウや鷲、鷹については、やはり人間は自分たちの利害によって生物の位置づけをしているのは昔からそうだということに気がつかされました。ほかの生物に対しても人間は差別をして、生きてきたんだなと思いました。人間に害を及ぼしたとしても、他の生物にしたら防衛のためだったり、また違う生物との協力のためだったりするので、人間の都合だけで決めつけるのはよくないかなと思いました。


投稿者: バルディッシュ | 2010年07月22日 13:14

河川改修工事によってチョウゲンボウが激減したことに人間の傲慢さを感じました。
人間が住みやすい街をつくることは逆にその他の動物の住処を奪う側面も持っていることがわかりました。
最近家の近くでスズメが大量発生しているのを見ました。
こう考えると人間のエゴで生態系が崩れてしまったのかもしれないと思いました。


投稿者: 栃木代表 | 2010年07月24日 13:52

鳥に関して僕が埼玉に来てまず驚かされたのは鳩です。駅のホームで鳩が群がっていたのですが、人が近づいてもなかなかにげないのです。僕の実家であれば鳩は少しでも人間の気配を察したらすぐに飛び去ってしまうのですが、やはり鳥も住む環境によって行動が変わってくるんだなと思いました。


投稿者: ブラゼル「 | 2010年07月25日 13:11

春にこっちに引っ越してきてから地元ではよく見かけていたトンボや他の昆虫たちもあまり見なくなりました。人間の勝手な都合で自然を破壊したりして生物の生態系を壊すのは考えものだと思います。深刻な問題として向き合っていくことが必要なのではないでしょうか。


投稿者: あっきー | 2010年07月26日 11:06

私の実家は生き物がたくさんいる環境でしたが、埼玉県に来てから生き物をみる機会が極端に減った気がします。
私たちの今後の課題として、どのように自然と「共生」していくかを考えていかなければならないと感じました。
無理な開発を止め、自然を守っていくことは容易いことではありませんが、元々は人間が始めたこと。責任も我々が負っていかなければならないと感じました。


投稿者: 福島代表 | 2010年07月26日 13:29

私の地元でも最近は護岸工事や住宅地開発により様々な動物を見る機会が減りました。人間に都合のいいことが必ずしも自然にいいわけではありません。自然との「共存」がこれからの課題です。自然を守りつつ、よりよい社会を作っていことができるように人間は自分たちを中心として考えるのではなくもっと周りを見るべきだと思います。


投稿者: ざわ | 2010年07月26日 20:04

昔は、地元でもシオカラトンボをよく見かけていたのですが、ここ数年めっきり見なくなったことを、このブログを読んで気が付きました。これも、人間が自分たちのいいように自然の摂理に逆らった結果だと思います。トンボのことなんて言われなくては気がつかないほど小さな変化ですが、実際には生態系が大きく変わるようなことなのです。だから、これからはこんな小さな変化も見逃さないよう、自然にもっと目を向けたいです。


投稿者: すき屋 | 2010年07月27日 04:37

 前回のblogについてと併せてコメントさせていただきます。
 都会に猛禽類、日本以外の都市でも生息が確認されてるみたいですね。生息地を追われてなのか、快適な新しい住み処としてなのか…願わくば後者であって欲しいですが、固体数が増えるとまた人に危害を~とか言って駆除されるのが目に見えてるだけに、出来うるならば本来あるべき姿になって欲しいものです。
 人が手に入れた利便性や娯楽、はては人が作り上げた文明や化学の力はもはやおいそれと手放す事は出来ないでしょう。でもね、生息地の変化は人間界にも訪れてるかと。限界集落、都市部集中とか。特に日本では。良くも悪くも将来的には棲み分けが行われていく気がしています。
 前回のblogを読まさせていただき、自分なりの意見を。過去数十年、障害者福祉に携わってきた方達は沢山の課題を克服し、あらゆる障壁を打ち破ってきたのだと思います。
 事業所を作り法人を立ち上げる、その苦労たるや今の私達若い世代には想像もつかず、誠に敬服いたします。


投稿者: JAZZマスター | 2010年07月27日 06:16

日本の経済や人々の生活が発展していくのはすばらしいことだと思いますが、自然や生物がどんどん破壊されていくことは許せないです。
環境に配慮しつつ、人間にとってよりよい社会にしていくことが本当の意味で日本が発展していくということだとと思います。
人間が身勝手な開発を進めていけば、いつか自然からのしっぺ返しを受けるに違いないです。
自然保護と社会の発展の両立をいまの日本に期待したいです。


投稿者: オーテック | 2010年07月27日 11:39

私も近年、生態系の変化に気づく機会が多くなりました。引っ越してきてまだ日が浅いのでこちらのことはまだ分かりませんが、地元では子供のころから環境が大きく変化しているなぁと感じます。地元はとても田舎なので、虫がたくさんいたのですが、もう蛍が見れなくなってしまったり、蟻地獄もいなくなってしまいました。この原因のひとつには、地域の開発が進んだこともあると思います。このような人の自然を顧みない行動が、生き物の住みにくい世界を作っているのだと感じます。さらに、最近ではこのような振る舞いが積もり積もって気候や環境など人間にとっても住みにくい地球を作っています。この人間の犯したミスは私たち自身で正さなくてはいけないと思います。そして、私たちがこの地球を救うんだ、という共通の認識を一人でも多くの人々がもつことが生態系を自分勝手に変え続けた私たちが正しい道へ進むための一歩だと思いました。


投稿者: ガングリオン | 2010年07月27日 12:04

 こっちに引っ越してから、私の地元ではよく見かけたシジュウカラやカワセミなどの野鳥を全く見かけることがなくて、少しさみしい思いをしていた。しかし、こっちでも委員会の会場でチョウゲンボウが現れたと知り、少し安心したような気持ちになった。
 しかし、地元では7月くらいにならないと見ることがなかったトンボが、こっちでは5月くらいから飛んでいてとても驚いた。これは地域の違いによるものだとは思うが、これも地球環境の変化によるもののような気がして、少し心配になった。


投稿者: 長野代表 | 2010年07月27日 12:59

 私が地元にいた時は、チョウチョ、セミ、トンボなどの昆虫がよく見られ、それらによって季節が変わっていくことを感じていたように思います。これから埼玉で暮らしていくなかで、このようなことを感じられるのか疑問です。
 人間が、自身の利益のために昆虫や鳥類などの生態系を壊していくのは、あまりにも勝手な行為です。人間にそういう気がなくても、森林伐採や自然開拓などによって生体系に影響が出ることは少し考えればわかることであると思います。人間は、目先の利益にとらわれるだけでなく、もっと長いスパンや広い範囲で物事を考えられるようになるべきです。


投稿者: こば | 2010年07月27日 13:16

 中国で行われた「四害追放運動」の話がおもしろかったです。人間が気づかない、気づこうとしないだけで、私たちが考えている以上の恩恵を自然からもらっているのだと思いました。だからやはり人間の勝手な考えで私たちにとって利にならないという理由で自然を壊してしまうのはすごく失礼な行為なのだと感じました。
 最近の異常気象も私たち人間が自然を破壊した結果だと聞きます。一刻も早く私たちは自然の恩恵に気づかなければいけないと思います。
 また、現代に生きる障害者などさまざまな人の存在もしっかりと認めて、彼らを自分たちにとって利のない存在だと勝手に決めつけずに、ともに生きていくべきなのだと改めて感じました。


投稿者: は | 2010年07月27日 15:54

わたしは東京から埼玉に来たので(小学校まで地方に住んでいたが)、むしろ埼玉にいるほうが自然を感じられるとおもった。何年ぶりにあんなにおおきなミミズを見たのだろう。東京ではなかなか目にしない。また友達の家を訪ねたらカエルの鳴き声がきこえ、びっくりした。東京では整備された公園はあるものの、生き物が生息していない。これでは、自然があるとは言えないと思う。なかなか難しいことではあるとおもうが、都会でも人と生き物が共存できる環境の整備が必要であると思う。


投稿者: 夕焼けだんだん | 2010年07月27日 17:09

埼玉にもチョウゲンボウがいたんですね。
私の実家は長野なんですが、小さいころよく祖父に連れられ山へ行き、昆虫採集や動物の観察をしたことを思い出しました。その時に祖父が、チョウゲンボウと言っていた気がします。
最近実家に帰っていないので少し寂しい気持ちになってしまいました。
都市開発が進み自然が破壊され、もともといた動物たちが棲みかを失い、絶滅の道をたどっていくのは本当にあってはならないと思います。
今からでも遅くないはず!
STOP 環境破壊!!


投稿者: suzi | 2010年07月27日 20:55

実家が田舎であるため自然が多かったのですが、埼玉に来てから自然があまり見られず心配していたのですが、少し安心しました。
私は自然環境をよくできるような仕事を将来したいと思っているので今回の内容には興味がそそられました。人はいつも利益優先で自然をこわしていき、これからも変わらないのではないかと思ってしまいます。


投稿者: おかず | 2010年07月28日 00:08

中国の「四害追放運動」の話は、人間の愚かさの象徴だなと、思いました。目先の事柄だけを見るのではなく、先のことを見据え、周りを見ることも大切なのだと思います。

また、さいたまにチョウゲンボウが現れたというのは、びっくりです。近年、環境問題がいろいろ言われていますが、都心に近いさいたまで自然を感じることが出来て、嬉しく思いました。


投稿者: 金シャチ | 2010年07月28日 01:26

人間の利となる自然だけをツマミ食いする人間は、自然の生態系を破壊していく結果を導いてしまう。その結果、自然のなかで生きる人間も被害をうけるのは自明であり、そのことに人間も気がついてはいるのだろうが、改善はあまりしていなように思われる。それほどに自然の回復とは難しいものなのだろう。
私が小さい頃、私の家の庭では、よくホタルが飛んでいたが、今では全然見かけなくなってしまった。窓から見て、いないことを思い出すたびに寂寥感が溢れる。
私は、実際に自然を身近に感じ取る機会を大事にし、そこから学びとれる教訓を生かすことで、人間は自然と真摯に向き合えるようになれると思う。


投稿者: 秋田代表 | 2010年07月28日 03:55

やはり、人間は自然にできている生態系ピラミッドに手を出すべきではないと感じました。一時の利益のためになにかの種に手を出すことで、その地域のピラミッドは崩れ、結局は不利益が生じます。また、自然に手を出してもピラミッドは崩れてしまいます。
都市部への人口集中や経済面を考えると、日本は開発を止めることはできないと思います。なので、いかに自然や生態系を傷つけないように開発をするかが重要なのだと思います。
余談ですが、先日、家の近くの公民館で蛍を見る会が行われました。とてもキレイでしたが、できれば一度自然の中で見たいと思いました。


投稿者: めいと | 2010年07月28日 10:20

経済発展はとても大切なことであるが、そのために自然を破壊してしまったのでは結局人類に悪影響を及ぼすことがわかった。しかし、発展途上の国などが環境への配慮はあまりなく経済を発展させることだけを考えてしまうのはしょうがないとも思う。先進国もそのようにして経済を発展させてきてわけだしそのことに対して先進国が文句を言うのはおかしいと思う。
身近な自然から大切にしていきたいと思った。


投稿者: aki | 2010年07月28日 10:49

私のイメージでは東京近郊は基本的に自然はないものだと思っていたのですが、意外とあって驚きました。
しかし、やはり多くはないし、確実に減っていると聞きます。
私たちの生活が豊かになり、快適になっていく背景には、必ずどこかに悪い影響があるものだということをこのブログを読んで気付かされました。
この状況は決して無視してはならない問題です。人間の利益だけを追求するのではなく、自然に配慮した開発を考えることをさらに強く意識する必要があると思います。


投稿者: ドサンコ | 2010年07月28日 11:10

最近、家の近くで見ることができていた鳥たちを見なくなりました。鳥といってもスズメやハトなのですが、以前に比べ見る回数が少ないです。小学生の頃はよく見かけましたが・・・。ただの住宅街ですが、これも環境の変化によるものなのかと実感します。


投稿者: ハンドル | 2010年07月28日 11:21

今回は鳥についてみたいですね。僕は地方から来たものです。そりゃーもう鳥はたくさんみてきましたよ。しかし、その鳥たちの生息地を僕たち人間が奪い取って言っているのは事実。なかなかむごいですよね。それてしまうかもしれませんが、最近「風の谷のナウシカ」を読みました。漫画が原作見たいです。いやあ、深いの一言でしたよー。一回読んだだけでは到底理解・解釈は困難でしょうね。自然・生き物たちを大事にする心はこれを読めばつくと思いますよ!!!全人類がナウシカを読めば世界がかわるのにー。


投稿者: たこやき | 2010年07月28日 11:27

人間のエゴによって排除されてきたものが、後に負の影響として跳ね返ってくることは何とも皮肉なことだな、と感じました。
我々人間が自然と調和して生きていくことを考えずに、このまま利己的に発展を遂げ続けていったその末路を考えるととても恐ろしいです。実際に地球温暖化も近年では頻繁に囁かれる様になり、毎日いくつかの種が絶滅し続けているとも聞きました。
私の幼少期には隣の山から毎晩のように「ケーン」と雉の鳴き声が聞こえたものでしたが、今ではほとんど聞くことはなくなりました。
豊かな生活を手に入れ、それを維持し続けるためにまたさらに利己的にならざるを得なかったり、発展途上国にも同じような発展をさせてあげなければならない。など、バランスの崩壊に気付いていながらも抜け出すことの困難な囚人のジレンマに陥ってしまっているのではないだろうか。


投稿者: サルバドール | 2010年07月28日 11:49

私の地元でも、以前は当たり前のように見られていたのにここ数年の間でいきなり全く見られなくなった生物がいます。大変残念なことです。

この辺の地域でチョウケンボウが見られることには驚きました。人間は自分たちに都合のいいように自然を利用し、壊していってしまってると思います。まだチョウケンボウなどの生物が見られるのであれば、人間はこれ以上自然を壊すことなく、保護していくことが大切だと思いました。


投稿者: ごろ | 2010年07月28日 11:55

有益な自然だけを「ツマミ食い」してきた人間ですが、結局そのつけは再び自分たちに戻ってきます。私たちは、自然を利用する立場なのではなく、自然と共存していかなければ生きてゆけないということを自覚しなければならない、そうかんじます。


投稿者: OK牧場小野口 | 2010年07月28日 12:39

僕の実家も田舎なので自然に興味があり、すごく興味をそそる内容です。
季節によって実家の風景が変わるのも趣があり僕のたのしみでもあります。
この小さな命を守っていくために今僕たちは何ができるのでしょうか。
とても小さな積み重ねによって、環境が変わるなら僕たちが自ら動き出さなくてはならないでしょう。


投稿者: ヨハン | 2010年07月28日 12:52

連日猛暑が続き、熱中症や日射病が懸念されます。先生も体調はいかがでしょうか。お体に気をつけてお過ごしください。
人間というのは確かに強欲です。このブログの最後の言葉で思い出したのですが、私が以前福島市議会に参加した時に、ある市会議員がホームレス問題に触れ「ホームレスとは排除されるべきだ」と言っていました。私はホームレスとは排除されるのではなく、救済されるべき存在だと思います。このような認識が根本から解決されない限り、今の社会問題は解決されないように思えてならないです。


投稿者: MARIO | 2010年07月28日 13:01

人間が自然環境を壊しているという話はよく耳にします。今まで見られていた動植物が居なくなってしまうのは残念なことです。もちろんめぐりめぐって我々人間にも壊してしまったツケがかえってくると思います。言うのは簡単で、実行は難しいかもしれませんが、自然との共存を大切にしていかなければならないと思いました。


投稿者: じょん | 2010年07月28日 13:02

チョウゲンボウの数が人間のせいで減ってしまったということを知り、人間が自然に与える影響が非常に大きいということを改めて感じました。人間は他の生物と違い、環境に適していく生物ではなく、環境を変えて生きていく生物であり、チョウゲンボウもこの人間の営みの犠牲者なのです。自然淘汰という言葉がありますが、人間の営みを自然淘汰であるというのは、あまりにも傲慢ではないでしょうか。私たちは、多くの生物の犠牲のもとで生活しているということを自覚しなければならないと思います。


投稿者: 餃子 | 2010年07月28日 13:16

チョウゲンホウが埼玉にもいるとと知り、少しうれしく感じました。これからもどんどん増えてほしいと思います。
中国の「四害追放運動」の例のように人間が犯した過ちはたくさんあると思います。これからはきちんと先を見据え、また人間の利だけでなく自然界にも目を向けるべきだと思いました。


投稿者: 夏の冷茶 | 2010年07月28日 13:17

僕の実家は和歌山県にあり、自然が豊かでした。
しかし、埼玉に来てから、森などの自然という自然を見たことがありません。
都会に行けばいくほど、人間と自然がうまく付き合えていけていないような気がします。
そんな中で、埼玉にチョウゲンボウが現れたということは、非常に喜ばしいことです。
こういう機会が増えるように、人間は自然を大切にしていくべきだと思います。


投稿者: アディダス | 2010年07月28日 13:18

チョウゲンボウの数が人間のせいで減ってしまったということを知って、人間が自然に与える影響は非常に大きいということを改めて感じました。
私が小さかった頃、私の実家の近くにある田んぼの水路には、メダカがたくさんいました。しかし、道路を造るということで埋め立てられてしまい、今ではほとんどいません。とても身近なことだったので、今でもその時の悲しみが忘れられません。私たちは多くの生物を犠牲にして生活しているということを自覚しなければいけないと思います。


投稿者: ヒロ | 2010年07月28日 13:28

人間にとって利用できるから格上、できないから格下と動物の名前を付けるのは人間の傲慢だと思いました。
そして、人間の強欲で自然環境が破壊されていると書いてあり、その通りだと思いました。
しかし、人間の強欲で生活が豊かになっているということもあります。
人間が豊かになり、自然環境も改善できるようにしていくのが、これからの課題だと思います。


投稿者: ハニカミ | 2010年07月28日 13:42

 この記事のシオカラトンボの写真を見て、自分が小学校低学年の時のことを思い出しました。そのころ実家の周りには田んぼがあり、その周りにはシオカラトンボが飛び交っていました。しかし高学年くらいになると田んぼがなくなり住宅街になっていきました。それに比例するかのようにシオカラトンボをはじめとした生物(蛍など)もいなくなっていったのを今でも覚えています。今ではそんな生物は一切見られなくなり少し寂しさを感じます。
 人間の生活をよりよくするのは大切だと思いますが、その中で自然とどう接していくかがこれからの課題だと思います。


投稿者: 熊の頭 | 2010年07月28日 14:25

私は出身が秋田県の僻地で、自宅周辺には建物が立地していることより大木が伸びていたり田んぼ・畑が広がっている面積のほうが、割合としてはかなり高いところです。ありあまるくらいの緑の中で人間によって手入れを施されているのはほんとうに少しだけで、田んぼ・畑など人間の自給自足に必要な分以外にもたくさんの植物を目にしていました。大学付近はとくに高層ビルがあるわけでもなく過ごしやすい場所ですが、やはり地元にいたときと人間と自然の関わり方が違います。玄関の生垣やベランダのガーデニング、民家の田んぼ・畑など、人の生活のために人工的な植物が存在しているというか、人と自然の共生というよりは、人のために自然が存在しているような気がします。自然との共生のために手を加えて自分達の生活に適用させる。人間の一方的な姿勢が、その方針に合わない生物を絶滅に追いやってしまうと思います。
あと、「長元坊」の名前にある格下の蔑称のニュアンスって「坊」のことですか?そうですよね、すみません。


投稿者: mst | 2010年07月28日 18:51

チョウゲンボウを繁殖させようとして逆に個体数を減少させてしまったという話を聞いて、やっぱり人間が自然をいじるのはよくないですね。人間が何もしなければすべてがうまく循環していくのですから。もっと自然と共存していくということについて人間は考えていかないといけないと思いました。


投稿者: タロイモ | 2010年07月29日 17:59

 私は生まれも育ちもさいたま市ですが、何よりもまず、開発が進む地元にこのような生物多様性が残されていたことに驚くと共に、それ以上に大変嬉しく思いました。
 埼玉県では「水辺再生100プラン」と銘打って川の再生を目指した取り組みを行っていますが、生物多様性を維持していく為にも、さいたま市も独自の事業を市民と共に展開していく必要があるのではないかと思いました。
 ところで、チョウゲンボウは別名を「馬糞鷹(マグソダカ)」と言うそうです。(Wikipediaより)やはりこの呼び方にも、ヒバリやウズラ程度の小さな獲物しか獲ることが出来ないチョウゲンボウへの蔑みが含まれているのでしょうか。
 それにしても厳しい自然界を威風堂々と生きる生物に対して「馬の糞」とは失礼極まりない!ここでもまた「自分中心主義」の人間のエゴを感じました。


投稿者: りん | 2010年07月30日 13:09

私は埼玉県でも埼玉大学がある場所より緑の少ない川口に住んでいて、シオカラトンボだけでなく、ひぐらしやミミズなどもほとんど見かけていませんでした。しかし埼玉大学ではしょっちゅう見かけます。夕方の埼玉大学でひぐらしの鳴き声を聞くと、田舎を思い出してほっとします。
 ほんの少し緑が多いだけで、そこに住む生物の種類は格段に格段に多くなるということを身をもって知りました。しかし、それは裏を返せば少し緑が減るだけで多くの生物は住めなくなってしまうということ。いつまでも多くの生物がその場所で暮らせるように、私たちもよりそのことを意識していくべきだと思います。


投稿者: りんりん | 2010年07月30日 18:20

私の住む地域は田や緑が多くまださまざまな生物を見ることができます。しかし、その一方では人間の生活をより豊かなものにするために自然を壊し、そのせいでかつてそこに生息していた生物たちが姿をみせなくなっているという現実があります。自然に対する強欲さが人間自身を危機にさらすということですが、そうなったとしても人間は何も文句は言えないと思います。


投稿者: gtm | 2010年07月31日 09:22

 ハヤブサではなく、チョウゲンボウでしたか。でもさいたま市で猛禽類を見られるなんて感動的ですよね。後日何度か見に行きましたが、もう見かけることはありませんでした。巣立ってしまったのでしょうか。


投稿者: すぎ | 2010年08月02日 15:11

 10年ほど前は、私の地元でもシオカラトンボを頻繁に見ることができました。しかし、ここ2、3年は外で遊ぶことが減ったせいもあるかもしれませんが、シオカラトンボを見る機会がありませんでした。身近な所に環境の変化を感じることができました。


投稿者: フジ | 2010年08月02日 15:34

私に実家は千葉の田舎のほうなのですが、そこではキジやタカなどが頻繁に見られました。しかし、埼玉に来てからというもの、そのような大型の鳥を見なくなってしまいました。やはり空気の汚染化や水質汚染の影響なのでしょう。一部の生物だけが生き残れるような街作りをしても無意味で小ありません。すべての生物が共存して食物連鎖を保てるような街づくりにすることがよいと思います。


投稿者: いいぜ | 2010年08月03日 15:43

人間の都合によって動物にランキングをつけるといった態度に疑問を持ちました。
自分はチョウゲンボウの格好いい姿を写真で見て、勝手につけられたランキングを気にしていないように思えました。


投稿者: てつひと | 2010年08月04日 16:31

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

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