さいたま市の「障害者相談支援指針づくり」-その2
二つ目は、行政機関の相談支援機能を障害者生活支援センターのそれとともに、維持し発展させていくことを担保するという目的です。ここには虐待対応に公的機関の支援が不可欠だという考慮を含みますが、それだけに限られたためではりません。社会福祉基礎構造改革以降の状況においてこそ、行政機関にも相談支援機能が必要であると考えるのです。
さいたま市障害者総合支援センター就労支援部門に働く自治体職員
障害者生活支援センターを担う相談支援事業者職員
障害領域の相談支援事業を行政が直営でしなければならない根拠は、現行法制度には特に見当たりません。従来の、わが国における行政機関の相談機能は、措置に代表される「職権」を法的根拠にして成立してきたものです。
その代表格は、福祉事務所における生活保護と児童相談所のワーカーの仕事です。これらはいずれも、法律にもとづく職権が明確であるとともに、実務上の指針は『生活保護手帳』や『児童相談所運営指針』として明らかにされています。障害領域には実務指針としてまとめられた公的文書は以前から存在しませんが、国が提示する各事業の事業要綱が実質的にそれに該当してきたといえるでしょう。
それが障害者自立支援法の段階から、良くも悪くも「地方分権型」の施策になってきたため、従来のように「国の要綱頼み」の姿勢では、地域の実情にふさわしい施策を形作ることが難しくなってきたと考えます。自立支援協議会のように、当初は国の「イメージ図」しかないようなものまであるのですからね。
そうして、相談支援事業については、政策目的・実施形態・モニタリングのシステム等について吟味・検討を重ねた上で、障害者生活支援センターと行政区支援課職員の協働業務として発展させていくために、行政の公的な性格をもつ文書としての実務指針が必要不可欠だと考えてきました。
障害者自立支援法に先立つ介護保険制度では、地域の高齢者がどのような困難を抱えどのようなサービスを利用しているのかを記録に残す行政機関の「台帳」は、すでに全国の自治体から基本的に消えています。老人福祉法上の「措置」が行なわれた場合の台帳が残されているだけでしょう。生活の実情や介護ニーズを把握しケアプランを作成するのも、サービスを提供するのも、ほとんどが行政の外部への「丸投げ」型です。地域包括支援センターも一部の自治体を除けば、ほとんどが行政の外部に委託されています。
ここには、住民自治と団体自治に立脚する自治体のあるべきガバナンスの点で由々しき問題があるのではないでしょうか。
自治体行政は、地域住民の実情を直接把握する「窓口」を欠いているため、介護保険サービスについての状況把握は、住民の生活実態抜きの、抽象的な数値だけでしょう。それは、ICTを通じたサービスの利用状況と待機者数に集約され、自治体は保険者としての管理機能に自己の役割を限定します。その管理機能の中心点は、介護保険の財政管理です。
このようして構造的に生み出された問題の一つが、介護保険事業計画と実際の進捗率の乖離です。特別養護老人ホームに至っては、膨大な数の待機者がいるにも拘らず、5割ほどの進捗率に過ぎません。この乖離は、ケアマネジメントというサービスの管理機能(民間事業者の役割)と介護保険事業計画(行政の役割)が切断された構造に起因するものであり、パートナーシップの機能は実際にはまったく働いていないとみるべきでしょう。
介護保険制度には、要するに、行政の施策によって解決されなければならない地域住民の生活困難の実情について、行政職員・支援者職員・地域住民が課題認識の共有を不断に進めていくシステムが欠如しているのです。
地域住民と民間の支援者は「行政が悪い」(この意味は多義的にあらわれ、「行政施策の水準が低い」「行政職員の熱心さが足りない」等さまざまです)という一方で、行政サイドは「財源がない」「支援者の努力や工夫が足りない」「地域住民の自立への努力が足りない」と言い放ちがちとなります。これでは、団体自治と住民自治からなる「地方自治の本旨」(日本国憲法第92条)はどこにもないと言っていい。介護・福祉サービスを改善する責任の所在は、地域住民から見えにくい構造になっています。
このようにみてくると、自治体行政の役割を管理機能に限定してきたことは、地域住民の生活困難の解決に関する責任を行政の中枢から空洞化する事態を進行させてきたのです。いうなら、太平洋戦争時の「大本営」を自治体が、「前線部隊の兵隊」を民間事業者職員がそれぞれ担っているような按配です。このように責任の所在のないシステムが、第2次世界大戦においてわが国を破局へと導いたのと同様に、地域支援システムにおいても住民生活を破局へと追いやるというのは、私一人の杞憂に過ぎないのでしょうか(問題解決に資する責任の所在が不明確になるというガバナンスの陥穽は、民間企業にもしばしば起こります。とくに、行政の統治機能の深刻な問題の歴史的な教訓から考えを深めたい方には次の文献をお薦めします。姜尚中・森達也著『戦争の世紀を超えて』の第1章「戦争の世紀のトラウマ」、集英社文庫、2010年)。
地域住民の暮らしに責任を負う自治体職員が、支援事業者職員や地域住民と歩調を合わせて前進する-この地域の自治をシステムとして担保することの必要性が全国の自治体で求められているのではないでしょうか。
コメント
近年、高齢化が加速している日本は年金問題や高齢者の介護に対する問題が山積みになっている。それと比べると、このトピックである「障害者相談支援指針作り」に関する課題もどこか似たようなところがあると思う。
まず、国(行政)が障害者に対する支援をある程度丸投げしている点。丸投げしている点というのは障害者へのサービスの管理機能に対してである。確かに財源の不足や、労働の点から手が回らない部分はあると思う。しかし、行政機関の台帳から障害者の困難やそれに対するサービスの情報が削除されているのはいかがなものだろうか。プライバシーの保護という見方もあるかもしれないが、行政がそういった情報を管理することを放棄しているのは、行政職員の熱心さが足りないなどの指摘を受けるのは、一理あるのではないかと思う。
そこでサービスの管理機能を民間に委託して、介護保険事業計画を行政が担当するという構図になるが、ブログにも書いてある通り、一方で危険なことであると思う。その理由について私が思うのが、きちんと民間と行政が連携をとらない限り、行政が考える障害者支援と実際障害者が必要としているニーズに溝が生まれていく可能性があるということだ。
この溝が大きくなるほど、行政の考える支援政策と実際のサービスが折り合いつかなくなると思う。実際に進歩率が乖離している問題もある。やはり、現場、現状を的確に把握していないと計画はうまくいかないものだ。
各自治体が現状を把握し、少しでも障害者の方たちが満足した生活を送れることを期待したい。
ブログを読んで昨年亡くなった祖父を思い出しました。一人暮らしだった祖父は数年前から病院に通っていました。そして2年前に倒れてから、ヘルパーさんとの生活と、病院での入院を繰り返す生活でした。
障害者と高齢者の介護は異なるとは思いますが、祖父の介護も様々な人によって混沌としておりました。家に来てくれるヘルパーさんも2つの会社に頼まざるをえない状況であったり、入院する病院も安心していける所に辿りつくまでに時間がかかりました。
障害者の政策とサービスが違うなかで、今後高齢者も確実に増えるというのに当事者の心理が本当に分かっているのかも心配です。私は祖父が何を思ってベッドに寝ていたのか今頃になり考えさせられました。障害者が何を思って隔たりのあるサービスを受けているのかを聞くべきだと思いました。
民間にも行政にも互いに限界地点が存在することを理解し、各立場の要求の共有が必要不可欠と思います。
どんなに素晴らしい福祉計画を立てても財源がなければナンセンスですし、仮に財政面が豊かでも地域住民の意向に即した地方政治の運営でなければ住民の批判は避けられないことは自明でしょう。
所謂“福祉国家”的な活動を為政者が計画し、住民がそれを願うのであれば、相互批判を脱し、大胆かつ繊細な行政の実現に向けて一市民の私達も努力しなければならないように考えさせられました。
福祉、よくニュースに出てくるキーワードでもあります。僕は福祉関係の本を一冊だけ読んだことがあります。それは海外の老人ホームと日本のをくらべたものなんですが、なかなか日本のレベルの低さにびっくりしました。日本は長寿の国ですが、福祉や介護のレベルは低いという矛盾が起きています。海外は意味のある老後を支援することに重点を置いていますが、日本はただ単に延命させようとしている違いがあります。僕は入るなら、海外の老人フォームがいいなと思います。
福祉とはいま現代社会で一番考えなくてはならないキーワードだと思います。近年高齢者の居住状況を把握できずに亡くなったことすら曖昧になっているというニュースを耳にしましたが、思わず日本の福祉は大丈夫なのか?と言いたくなってしまいました。私の家にも高齢者がいるので、整った福祉を提供してほしいなあと思います。
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