ミツバチの大量死-日本のミツバチは「過労死」か?
これから7月にかけて、自宅の庭にある木苺(ブラックベリー)の花には、さまざまなミツバチの仲間が蜜を求めてやってきます。木苺の類はもともと受粉率の高い植物だと聞きますが、ミツバチの仲間が大勢やってくるおかげで、毎年大量のブラックベリーを収穫し、自家用のジャムやフルーツソースに事欠くことはなく、初秋には知人に配って回らなければさばけないほどです。
私はかなり以前から蜂蜜も愛用していますから、ミツバチには深く感謝しなければなりません。朝一番に蜂蜜とミルクの入ったコーヒーを飲むことにはじまり、ヨーグルトやさまざまな料理に蜂蜜をしばしば使います。ところが、昨年、日本の養蜂におけるミツバチの大量死が発生し、この間、蜂蜜の値段も跳ね上がる事態が続いてきました。
木苺の花にやってきたミツバチの仲間
このミツバチの大量死とは、養蜂家の巣箱の前でミツバチの全滅状態が確認されたり、巣箱からミツバチが突然いなくなってしまうという現象が全国で相次いだことです。この原因をめぐり、さまざま憶測と議論が交錯してきましたが、先日、独立行政法人「農地機構畜産草地研究所」と名古屋大学のグループがまとめた大量死の原因に関する調査結果の報道に接しました(5月28日毎日新聞朝刊)。
これによると、ウィルス感染と農薬がミツバチの大量死を招く直接的な原因らしく、その背景には複合的な問題もあるとする国際獣疫事務局(OIE)見解もあわせて紹介されていました。
背景の一つは、ミツバチも多様な植物の蜜と花粉を食べてこそ元気に活動を続けられますが、野山の花が減少する一方で、イチゴやメロンなどの付加価値の高い特定の農作物の受粉にもっぱら用いられるようになっていることがミツバチを弱らせているという問題です。
もう一つは、ハウス栽培のイチゴなどの受粉に借り出されたミツバチは、高ストレス状態に陥っていることが農地機構畜産草地研究所の遺伝子解析で判明していることです。このような高ストレス状態はミツバチの体力低下を招き、ウィルスや農薬への耐性を低下させていることが大量死の蔓延をもたらしているというのです。
これって殆ど「ミツバチの過労死」とは言えないのでしょうか? 一方では、地域開発や農薬の大量使用による生物多様性の解体が深刻化し、他方では、利幅の大きい効率的な農業生産の「ツール」としてミツバチがこき使われてきた結果、高ストレス状態に耐えかねて大量に死んでいくというのですから。日本が産んだ「過労死」という言葉は国際語になっていますが、ひょっとすると「ミツバチの過労死」も新手の国際語になる不名誉をわが国は重ねることになるかもしれません。
開聞岳-かつてはこの地方で毎年2月に養蜂業者の“出陣式”が
さて、日本の養蜂業は20数年くらい前までは、本州の最南端である鹿児島県薩摩半島の開聞岳のふもとに全国の養蜂業者が巣箱を持って2月に集まり、初春からさまざまな花を求めて徐々に北上していくというスタイルだったそうです。この地域の方から伺った話では、当時は200を越える養蜂業者が開聞岳のふもとに集合し、花を求めて北上する仲間と“出陣式”をして励ましあう光景がみられましたが、今やこのような初春の集まりは殆どなくなったそうです。
全国各地には、その土地ならではの蜂蜜が存在します。たとえば、大分にはカボスの花の、山形にはサクランボの花の、リンゴ栽培の盛んな地方にはリンゴの花の蜂蜜がそれぞれあって、いずれも特定の植物の芳香を放つ絶品の蜂蜜です。
このような蜂蜜文化を絶やさないためには、ミツバチにも「健康で文化的な生活を営む権利」が保障されるべきでしょう。
コメント
特定の農作物の栽培のために用いられたミツバチがストレスで体力が衰え死んでしまうとは全く知らなかったので、最初にこの記事を読んだときは驚きました。しかし自然環境が十分整っているとは決して言えない現在、他の植物の蜜を得る自由を失われた状況でのそのような栽培はミツバチにとっては大きすぎる仕事だったのかもしれません。
人間の社会に置き換えると、不景気で働いても還元されにくくなったのに対し、会社としては利益を生みださなければならず、より働かなければならないという現在の状況は大変深刻であると思われます。
しかし、人間の場合、労働基準法などのガイドライン的要素をもつ法律が(どのくらい遵守されているかは話が別ですが)制定されています。今回のミツバチの過労死に関しても、調査結果に養蜂家が関心を持ち、話し合ってルールを決めるべきではないかと思いました。
まず、ミツバチが過労死というタイトルに驚きました。ミツバチを利用して食物を栽培している農家があることは以前から知っていましたが、まさかミツバチがストレスをため込んでしまっているとは思いませんでした。
今までは人間に害の少ない栽培を考え、様々な自然の生き物を利用した栽培方法を編み出してきましたが、この記事をみると、やはり人工的に作り出した空間は自然の生き物にはなじみにくいのかなと思います。人間だけでなくほかの生き物にも優しい人間の営みについて考えていくことが、これからの私たちの課題であると感じました。
ミツバチも人間と同じように過労死の危険性があるとは知らず驚きました。ミツバチたちの死因である、ハウス栽培での働きすぎによるストレスや農薬などはすべて人間に原因があると考えます。
ミツバチがいなければ蜂蜜は採れません。決して蜂蜜が採れることを当たり前だと思わずに、ミツバチたちのことを考慮した方法を見出す必要があると思います。
私の実家もイチゴ屋のため、ミツバチには多くの恩恵をうけてきました。しかしそれがミツバチに悪影響を与えて「ミツバチの過労死」を引き起こしていたとは残念です。
これからミツバチにとっても優しい環境作っていくことの重要性を感じることができました。
私はミツバチがストレスを溜め込み、大量死している事実を知りませんでした。ミツバチの価格が上がると、農家が購入できるミツバチの量が減り、それらのミツバチは数が少ないので再び過労死するという負の連鎖に陥ってしまうのではないかと心配になりました。
ミツバチの大量死の問題は知ってはいましたが、まさか死因として過労死のようなことがあがるとは思いもしませんでした。
自分はあまり大きな話だと、以前は思っていませんでしたが、ミツバチがいないと植物にとっても受粉できないなど問題が生じてしまうので、小さなミツバチでも、大きな仕事をしていることを考えると以前は軽率であったと思いました。
これから、改めて環境について考えていく必要性があると感じました。
動物もストレスを感じるのだから昆虫がストレスを溜めるのもわかりますが、パッと見で判断できない分厄介なのでしょう。寧ろミツバチが多種の花の蜜を欲していることに驚きました。
専門的な仕事をやるからには道具や地域についてとにかく知り尽くしているべきだと別の授業で聞きました。とくに養蜂など生物を扱う仕事はそれこそ一体一体が個別のステータスを持っているのですからより注意が必要なはずです。
仕事の能率を上げるための定住化によって相棒(ミツバチ)が過労死しては本末転倒です。養蜂家の間で一年周期で蜂を交換してみるのはどうでしょうか。
自分も蜂蜜はトーストのお供として愛用しており地方ごとの多様な蜂蜜が存在することにも関心を持ってしまいました。
人間だけでなくミツバチにもストレスがあると聞い て正直驚いてしまいました。
他のサイトや本を見てみましたが、アメリカではおよそ6000万匹のミツバチが死んでしまったという記事がありました。別の視点から考えると、私たちの生活はそれだけ多くのミツバチ達によって支えられているんだなと関心しきりでした。
ミツバチのストレスを取り除く方法を一刻も早く考えて、人間とミツバチとの共生をより安定したものにしてほしと思います。
やはりミツバチも人間と同じで、過労の状態があるんだと驚きました。
ミツバチにも生存権が認められるかもしれないというのは非常におもしろいと思います。ミツバチも自分のやりたいようにしたいのに人間の利益のために過労死を招いてしまったというのは人間は全くミツバチのことは考えていないからです。
人間はよく自分の利益を第一に行動し他の生き物を犠牲にしてしまうことが多々ありますが、このミツバチもその犠牲者の一種だと思います。
人間はミツバチに日常生活でお世話になっているんですから、ちゃんとミツバチの生活のことも考えて行動するようにしていかないといけないと思いました。
「ミツバチ、過労死」という組み合わせの文を見て、思わず 続きを読む をクリックしてしまいました。
まず、今回の記事を読んで、私はミツバチに対する自分の考えを改めようと思いました。私も蜂蜜が大好きで、日常生活でもお世話になっています。しかし、外でミツバチに遭遇すると、「うわっ」と嫌がり、すぐに逃げます。「こんな危ない虫なんでいるんだろう……」とまで思ってしまいました。ミツバチが果たしていることは、私たちにとって必要不可欠なことであることを今回再確認しました。
そして、ミツバチの大量死が起きているということも知りませんでした。さらに、原因のひとつが「過労死」ということには、ものすごく驚きました。私は、”針を持っている”ということで、ミツバチのほうが私たちより権力が上だろうと思っていたので、私たち人間に、ミツバチが酷使され、ストレスを抱え、過労死しているなんて想像もつきませんでした。
このような、私にとっては想像もつかない事態が実際に起きているいま。ミツバチの恩恵を充分に受けている私たちだからこそ、早急に改善策を考えるべきだと思いました。
埼玉大学で講義を受けている者です。
ミツバチの「過労死」という題名に驚き、興味を持ったので記事を読み、コメントさせて頂きました。
私も毎日蜂蜜をヨーグルトに混ぜるなどして、蜂蜜には長年お世話になっています。今回この記事を読み、私たちは蜂蜜が簡単に手に入るという考えを改め、ミツバチに深く感謝しなければいけないと感じました。
また、ミツバチの生活のことも考え私たちは様々な対策をとる必要があるのではないかと思いました。
ミツバチが大量に死んでいるというニュースは耳にしたことがあり、農薬か何かが原因だと思っていたので「過労死」であることにとても驚きました。
人間社会でも同じように、だれかが大きな利益を得るために下の者をこき使って自分だけ得をするようなことが多々あります。そして、それが原因で過労死してしまう人がいると耳にします。そして、それと同じようなことがミツバチにも起こっていると思うと、とても心が痛みます。
この状況を打開するには、まず上の者が変わらなくてはなりません。つまり、人間が変わらなければミツバチは死に続けるということです。養蜂家の人も、生活のためにやっていることだから仕方ないと思いますが、もう少しミツバチの身になって考えてほしいものだと思いました。
「ミツバチの過労死」という言葉は、うまい表現だと思いました。ミツバチも強制的に花粉を運ばせられたのでは、ストレスもたまってしまうのでしょう。
ストレスは人間だけが感じるものだという認識がありますが、よくよく考えてみると人以外がストレスを感じたとしてもおかしくはないですね。虫でも過酷な労働をさせることはよくないことだと思いました。
私の父は種苗会社で働いていているのですが、以前父がミツバチが少なくて困っていると言っていたのを聞いた事があります。しかしその背景に「ミツバチの過労死」という問題があったとは思いもしませんでした。
昔から刺されるのがいやで忌み嫌ってたミツバチですが、今回の記事を読んで考え方が変わりました。ミツバチのためにも早くこの問題を解決するために努力していく必要があると感じました。
この蜜蜂の「過労死」というお話は、日本の、過労死を引き起こしやすい職場の縮図を見ているように感じられた。
今回、蜜蜂の「過労死」の原因は、同じ農作物の受粉に多用され続けていることと、ハウスのような狭い空間で延々と飼われ続けていることのようだが、日本人に特に顕著に見られる人間の過労死も全く同じではないだろうか。
ひたすら同じ場所で同じ事を延々と繰り返すルーチンワークを長時間こなす事で、ミツバチですら多大なストレスを受けてしまうのに、もっと色々悩み、日々思考している人間がストレスを感じない訳がない。
ミツバチも人も働かせ方をもっと考えたほうがいいと思う。ガス抜き・息抜きがなければ今回のミツバチのように潰れてしまうことは明らかじゃないだろうか。
みんなせわしなく動き回り、いつでも忙しそうにしているこの現代社会の悪影響は、人間だけでなく、ミツバチのような他の動物たちにも及んでいるという事実に、まず驚きました。
便利さを求めすぎた故の副作用とでもいうべき悪影響、これに対して、全世界はもっと重大な問題として取り組むべきだと思います。それだけでなく、業績や利益のみに目がくらんでいる経営者たちも、お金を儲けることが幸せなのか、本当の幸せとは一体何なのか、もう一度考え直す必要があると思います。
ミツバチの過労死という言葉はまさに現象をうまくとらえた言葉だと思います。
生物が生きるためにはそれなりの「労働」を強いられるわけですが、現在の日本において「過労」という現象が起きている原因の一つにはやはり、ミツバチにおけるハウスの中に入れられることからくるストレスや多様な蜜や花粉を口にすることができないことなどの「環境の変化」ではないだろうかと思いました。
おそらく、現在の日本の労働というのは、生物的に生きるための労働というよりも、人との比較によってより豊かさを目指すための労働であると思います。豊かさを追求することはけして悪いことだとは思いませんが、これにより人間の生活にとってどこかに無理が生じてしまうのではないでしょうか。
時間がないから食事はファーストフードであったり、移動は科学技術を使ったもので自らの足をつかわなかったりする、まさに現代人の生活そのものが、生物としての人間にとって「環境の変化」となってしまっているのではないかと私は思います。
今回取り上げられた記事ではミツバチが挙げられましたが、これを考えると、人間ももっと生き物としての生活を考えてもいいのではないかとおもいます。
ミツバチが過労死するというタイトルを見て驚きました。
やはりミツバチも人間と同じように同じ作業を続けるとストレスを感じるんだと思いました。なのでミツバチにも人間と同じように休息を与えてあげるべきなんだと思います。
ミツバチの大量死はニュースで見たことがあったので知っていたのですが、ミツバチもストレスをため込み、それがもとで死んでしまうということに驚きました。
それはまさに、過労死となんら変わらないと思います。人間がより利益を得るためにミツバチを働らかせ、より効率化をはかるために農薬や化学肥料を使い、結果としてミツバチは死んでしまう。確かに過労死だと思います。
話が飛躍しすぎかもしれませんが、そのことは人間が働きすぎな現在の状況と重なることができると思います。なのでミツバチの過労死から、いろいろと人間は学ぶ必要があるのだと思います。
私はミツバチが大量に死んでいることを初めて知り、驚きました。しかも、その原因が人による
ミツバチへの強制労働による過労死だったとは、
人はミツバチなど小さい生物に支えられてこそ、生きていけるのだから、もう少し人は他の生物に対して感謝の気持ちを持って、接する必要があるのだと思います。
今や世界で通用してしまう日本の「過労死」。これがミツバチまでに及んでいることは全く知りませんでした。
当然ですが、私たちがおいしく頂いている蜂蜜は蜂がいなくては食べることができません。
このような事件から、私たち人間は所詮自分たちでエネルギーを作り出すことができない弱い動物であり、いろいろなものに支えられて生きているということを実感します。
身体的な問題だけでなく、精神的な問題まで考えると周りにいる人みんなに支えられていることにも気づきます。
人間は周りの人や虫、植物や動物に支えられないと生きていけません。
支えてくれているものに感謝して生きなければならないと思いました。
ミツバチの大量死は以前、ニュースで聞いたことがあったのですが、その時はまだ原因不明ということだったので、ストレスによる過労死が原因だということを知って非常に驚きました。
ミツバチにも「健康で文化的な生活を営む権利」が保障されるべきでしょうが、なかなか難しいんだなと思いました。
よくよく考えてみれば、ストレスは人間だけのものとは限らないんですね。ミツバチ達の死が「過労死」であるとすれば、人間はミツバチ達の労働条件を改善すべきでしょう。
あと、私の家には猫がいますが、もしかしたら私の家の猫もストレスを感じているかもしれません。これからは、もっともっと優しくなでてあげようと思います。
日本のミツバチは「過労死」か?
というタイトルに驚き、興味が湧いたので内容を読みコメントさせていただきました。
ミツバチが大量死している事実も、
ミツバチが農業に役だっていることも以前からニュースなどで知っていました。
しかしミツバチの大量死の原因がウィルスなどで、そのウィルスや農薬などへの耐性がストレスによって引き起こされていることには驚きました。
しかしこの記事を読んで1番考えたことは、「過労死」という言葉です。
農作物の授粉やハチミツを得るために人間はミツバチを使い、そうすることでミツバチの過労死を招いている。
この問題で「ミツバチ」を「人間」に置き換えるとどうだろうか?
我々人間は過労死を防ぐためにいろいろ考えるのであろう。
ならばミツバチの場合もいろいろと考えなくてはならないのではないだろうか?
ミツバチだけでなく、人間はもちろんのこと、その他多くの人間が利用している動物・昆虫などについて働かせ方のどもっと考える必要があるだろう。
ミツバチの大量死は知っていましたが、ミツバチもストレスをため込み死んでしまうというのは初めて聞きました。
昆虫にも人間と同じようなことがあるのだとおもいました。
本来ならばあるはずのない過労死が実現するこの社会の在り方についてもっと考えていくべきだと思います。
ついにミツバチにも過労死という言葉が使われるときが来たのかと思いました。人間の利益の増加のためにミツバチはその命を縮めなくてはならないこの現実は、どうにかして変えることはできないのでしょうか。たとえば農薬や化学肥料を使っていなかった昔の農法に出来るだけ回帰し、ミツバチへのストレスを減らすというようなことです
。人は利益だけを重視する習慣から脱さないといけないときだと思います。
ついにミツバチにも過労死という言葉が使われるときが来たのかと思いました。人間の利益の増加のためにミツバチはその命を縮めなくてはならないこの現実は、どうにかして変えることはできないのでしょうか。たとえば農薬や化学肥料を使っていなかった昔の農法に出来るだけ回帰し、ミツバチへのストレスを減らすというようなことです
。人は利益だけを重視する習慣から脱さないといけないときだと思います。
ミツバチも人間と同じようにストレスを感じ、その結果過労死に至ってしまうこともあると知り正直とても驚きました。
人間が自分たちのために勝手につくった環境によってそのような現実があると考えると悲しくなりました。
これからミツバチのみならず、他の動植物にとっても優しい環境づくりを強く意識していかなければならないと感じました。
ミツバチは虫ですが、生き物である以上ストレスが溜まっていくことは当たり前なのでしょう。ミツバチにも休息が必要ということはわかりますが、農家の人もどれくらい休息を与えればよいかはわからないと思うので、それを調べる必要もあると思いました。
人間社会だけでなく蜂の世界でも過労死が問題になるということは考えたこともなかったのでとても驚きました。
この記事を読んで、どんな生き物にもその生き物に合った生き方があって、それを人の勝手な都合で壊してしまってはいけないんだと思い知らされました。
そして人間は相手が人でも蜂でも、生き物として尊重することが必要なのだと思いました。
ミツバチの過労死というタイトルにまず驚きました。やはりミツバチも人間もストレスを感じすぎれば体に支障をきたし最悪死んでしまうというのは同じで、ミツバチを利用する際にはこのようなことへの配慮も考えていかなければ人間が自然と共生していくことは難しいのではないかと考えます。
ミツバチが過労死するというタイトルをみて最初はそれはどういうことなのかすごく不思議でしたが内容をみてものすごく理解することができました。
人間は自分たちの利益を優先するあまりほかのものたちをないがしろにしすぎであり、このままではミツバチに限らずほかの生物までこきつかいミツバチと同じような状況にしてしまう恐れがあるのでストレスをつくらないような環境をできる限りつくる努力などをしていかなければならないと思う
ミツバチを通して、改めて人間の身勝手さというものを実感させられた気がしました。
効率化も大切なのかもしれないですが、ミツバチがストレスを感じずに果実を栽培する方法などを考えていくべきじゃないかなと思いました。
ミツバチもストレスをため込み、過労死のような状況に陥るということに驚きました。
記事を読み、人間だけがストレスを感じたり、それによって身体に不具合が生じたりする訳ではないことを知りました。
ミツバチが置かれている状況は、現代の労働者の大半が置かれている状況とよく似ていると思います。人間に休息が必要なように、ミツバチにも休息が必要なのです。そこをよく考えてミツバチをはじめとするすべての生き物を大事にしていきたいと思いました。
この話を聞いて、ミツバチも意思を持っていきているのではないかと思いました。正直、誰だって無理矢理こきつかわれ、働かされされればそりゃストレスもたまります。今日本でも、過労死で裁判とかいろいろと問題になっていますが、ミツバチの過労死にも、もっと注目し、ストレスのたまらないように改善していくべきだと思います。そうしないと、ミツバチだけでなく他の生物もどんどんいなくなってしまい、世界は滅んでしまうと思いました。
この話を聞いて、ミツバチも意思を持っていきているのではないかと思いました。正直、誰だって無理矢理こきつかわれ、働かされされればそりゃストレスもたまります。今日本でも、過労死で裁判とかいろいろと問題になっていますが、ミツバチの過労死にも、もっと注目し、ストレスのたまらないように改善していくべきだと思います。そうしないと、ミツバチだけでなく他の生物もどんどんいなくなってしまい、世界は滅んでしまうと思いました。
働き蜂である筈のミツバチが過労死、というのはどこか滑稽な話であると思った。しかしながら一方的に笑っていられるような話ではないことは明らかで、いわゆる「働きすぎ」の文化が顕著である日本の社会においては、考えさせられることが多い話であると思った。
もちろん業種等に差はあれど、「残業」(特にサービス残業)、「長時間勤務」、「少ない休暇」で働く人間は日本に多い。その為、日本人には過度な勤労により健康を害し、あるいは死に至る場という人が決して少ないわけではない。それ故に、過労死が「カローシ」として諸外国では日本特有の現象であると認識されている。
だから我々日本人こそ、このミツバチの過労死が決して笑い事ではないことを自覚し、過労による犠牲を減らすべく努力していかなければいけないと思った。
「ミツバチの過労死」ときいて、思わず人間社会の縮図のように感じてしまった。生きるため、家族のために働くのは仕方がないとしても、それによってストレスをためて死んでしまうのはなんだか矛盾している。ミツバチが受粉の媒体となるのは人間のためではなく、自身のためなのに強制的に働かせるのはおかしい。
これ以上悲惨なことが起こらないように、ミツバチだけでなく人間にも対策をしていかなければならないと思った。
蜜蜂が急にいなくなるということは、以前テレビのニュースで見たことがあったので知っていました。
でもその原因が、ストレスによる“過労死”であることは知りませんでした。
人間社会の“過労死”と同じですね。
利益を追求するために、過度の労働を強いてしまうことは、人間・蜜蜂に関係なく、もっと深く考えるべきだと思いました。
蜂を酷使しすぎた結果こうなったと結論付けていますが、果たしてそう言い切れるのでしょうか。巣箱の前で死んでいる状態で見つかったものに関しては過労死というのも考えられますが、突然いなくなったものに関してはそうとは言い切れない気がします。人間にとってはわずかにしか感じられない気候変動でも蜂にとっては大きな変化かもしれません。そういった環境変化がもたらした結末という線もぬぐいきれません。そういう意味で過労死が原因であると言い切るのは難しいと思いますし、まだ完ぺきな答えに辿りつくには時間がかかるのではないでしょうか。
ミツバチの過労死はこれからの世の中を映し出していると思います。
デフレの進む中、労働者一人ひとりにかかる負担が増加し、過労死に至るんだと思います。
私たちの社会では、数年後この『ミツバチ現象』が社会的問題になることだろうと予測します。
まず、ミツバチの過労死というタイトルに驚きました。
多きなニュースとなっていたミツバチの大量死の原因がストレスであること初はめて知りました。
しかし、私はミツバチの過労死は、人間社会の過労死とは少し違うのではないかと感じます。
それはミツバチは習性を人間に利用され、その結果として死に至ったわけであり、「労働」というよりはただの「道具」として人間に扱われたことが死の原因だと思うからです。
なによりミツバチに働いているという感覚はないでしょうし。
これは、人間のエゴが引き起こした「事件」であり生物に対する考え方を改める必要があると感じました。
一日の労働時間や一週間の合計労働時間、どれをとっても日本は他の国と比べて労働時間が多く、また余暇が少ない国です。加えて労働環境の悪化など、日本における労働の実態は改善すべき点があります。そのことがミツバチからも伺えるとは驚きでした。
よく二本は諸外国に比べ労働時間が長いなどと言われているが、ミツバチにも同じことが起きているというのは面白いと思った。会社も養蜂ももっと労働者に優しい環境を作ることで日本は今よりも元気になると思う。
ミツバチの過労死という表現はとても面白いと思いました。
確かに人間も無理をしすぎたり、ストレスを感じすぎると心理的に参ってしまいますが、同じようなことがミツバチにも起こったのかもしれません。
ひょっとすると、今起きているミツバチの大量死や失踪は、「これ以上はもう無理ー。なんとかしてくれー。」というミツバチからのメッセージかもしれません。
ミツバチに限った事ではありませんが、今回のことから人間の生産にかかわっている動植物の“労働環境”を見直す必要があるのかもしれませんね。
ミツバチの「過労死」という言葉はとても興味深い表現だと思います。
ミツバチも私たちと同じ生き物である以上ストレスを感じることもあれば、ストレスを溜めてしまうこともあると思います。
ある特定の農作物の受粉にばかりミツバチを用いるということは、私たち人間の世界でいう、決められた作業を黙々とこなすことと同じであると思います。これは、とてもストレスの溜まる行動であり、過労死につながると考えられます。
私たちにとって蜂蜜はとても大切ですが、蜂蜜を得る前にミツバチが「過労死」になっているという状況をよく自覚していかにミツバチのストレスを減らすかを考えなければならないと思いました。
ミツバチが過労死する社会とは、日本は恐ろしいですね。どんなに忙しいと言っても人間には一応休暇がありますが、虫には休みがないので虫は大変ですよね。虫にストレスがあるとは考えたことがなかったのでこの記事の内容は意外でした。
宗澤さんの家でとれたハチミツ食べたいです(笑)
ミツバチが民家の屋根裏やベランダなどに巣を作る、という話を聞いたことがあります。実際に自分の家にも巣ができてしまったことがありました。そんな調子なので、ミツバチはむしろ増殖傾向にあるのではないかと思っていました。
民家に巣を作るようになったのは、ウィルスに見舞われたことや過酷な労働によって養蜂家の信頼が失われたから、というように考えられないでしょうか。本来山に生息すべき動物が食糧を求めて民家にやってくるのと同じように、ミツバチも民家を選んでいるのかもしれません。それがもし本当であるのならば、ミツバチが過ごしやすい環境を作るべきだと思いました。
このニュースを見たときにはさらっと受け流してしまったんですが、ミツバチの過労死と言われてみるととても重く感じました。人間でも過労死が問題視されていますが、ミツバチまでもがこのような状況にさらされているのは胸が痛みます。ニュースでは、ミツバチの状態よりも蜂蜜の高騰などのほうがとり立たされている印象を受けました。自然界に生きるミツバチを使い、なおかつ人間の勝手な都合で死に至らしめているという事実を私たちはもう少し自覚するべきだと感じました。
ミツバチにも過労死があるということに驚いた。
人間が自己の利益のために、ミツバチを酷使したせいで死んでいってしまうなんて、道具として扱っているようにしか思えなかった。ミツバチと 人間を照らし合わせて、いかにひどいことをしているか考えなおしたほうがいいとおもった。
果物や野菜の受粉にみつばちを使うという話はよく聞くが、それによってみつばちがストレスを感じ弱ってしまうというのには驚いた。
やはり、人間の都合だけを考えていたのでは結局人間にも悪影響を及ぼすことを知り、自然との共生についてもっと深く考える必要があると思った。
ミツバチの過労死というタイトルに強い印象を受けました。
ミツバチも人間と同じようにストレスをため込んでしまうことを初めて知りました。私のように知らない人がいるから、ミツバチの大量死が起こってしまったのだと思った。
ミツバチが働きすぎて、大量死していることをはじめて知りました。人といっしょで過労死で死ぬんだと思いました。ミツバチがいなければ野菜や果物は育たないので、大変な問題だと思います。もっと環境問題に関心を持ち、人間活動が環境に悪影響を与えていることを自覚しないといけないと思いました。
ミツバチの過労死というとらえ方に非常に共感を得ることができました。
日本人はかつてから自然とのバランスと調和を保ちつつ自然の力を借りてうまく生活してきたように思いますが、いつからかそのバランスが一方に偏りすぎてきてしまっているようにも感じます。
原因としては人口の差などによる需要の増加なども考えられると思いますが、何かバランスの崩壊に歯止めをかけるものはないのだろうか、と思ってしまいます。
我が家でも小さなころからブラックベリーを育てています。毎年たくさん採れすぎて母がジャムにするのに忙しそうです。それもミツバチがしっかり働いてくれているからっだと知り、今更ながらミツバチに感謝です。そんなミツバチが農薬によって数が減って、農業に影響をあたえていることは、人間が自分自身で招いた結果で、自業自得と言えると思います。
ミツバチが過労死という題名を見たとき「え?」と思いましたが、記事を読んで少し納得いきました。それと同時に、人間が生活のために他の動物を利用するのは生きていくための知恵として仕方ないことだとは思いますが、他の動物の生命に影響を及ぼさない範囲で上手に共生していくようなスタイルをとっていかなければならないと感じました。
人間が自分たちの利益のために、ミツバチがストレスを溜めてしまい過労死してしまっているという現実に驚きました。ミツバチがいなくなってしまっているという事は知っていましたが、それは地球環境問題が原因であるとしか、思っていませんでした。
早く改善策がうまれ、元の元気なミツバチが戻ってくることを願います。
ミツバチが過労死という題名に興味を引かれ、この記事を読みました。人間でも仕事で自分を追い詰めすぎて過労死になるという問題もあるのですが、ミツバチにも同じ状況が起こってることはおもしろいと思いました。このような悲惨なことを起こさないためにも、私たちはもっと見つめ直す事があるのではと思いました。
わたしはこの記事を読んで初めて、ミツバチにも過労死というものがあることを知りました。
疲労というものはやはり虫などにもたまるもので、その影響は大きいものなんだなと思いました。
わたしたちの日常生活の中でも蜂蜜は、多くのひとが利用していると思います。
これからはもっと多くの人が蜂蜜を利用する際にはミツバチの過労という問題を考え、もっと環境にも目を向けるべきだと感じました。
一日の労働時間や一週間の労働時間など、どれをとっても日本は海外諸国に比べて労働時間が多く、また余暇が少ない。加えて労働環境の悪化や労働格差も問題など、日本の労働事情は改善すべき点がいろいろあると思う。そのことがミツバチの「過労死」からもうかがえると知り、正直驚いた。
一日の労働時間や一週間の労働時間など、どれをとっても日本は海外諸国に比べて労働時間が多く、また余暇が少ない。加えて労働環境の悪化や労働格差も問題など、日本の労働事情は改善すべき点がいろいろあると思う。そのことがミツバチの「過労死」からもうかがえると知り、正直驚いた。
人間が過労で死ぬのなら、動物だって昆虫だって、トンボだってカエルだってミツバチだって、過労で死ぬのだ。
いや本当に死ぬかは私は知らないが、そういう風に人間以外の生き物を見られる人間がとても少ないのは、本当に悲しいことだ。
ミツバチが確かにストレスを感じていたのなら、きっと彼らにも確かに心があるのだろう。
真に甘い蜜を吸えるのは、いつも人間だけだ。人間の奴隷として働き、報われることなく過労死していくミツバチが毎日何を考えて生きているのか。想像すると胸が苦しくなる。
養蜂業者の方々においては、彼らをいたわり感謝する心だけは忘れないで頂きたいと思う。
このままでは、ミツバチが児童虐待を始める日も近い。
この記事を読み、人間は生き物を生き物としてみていない部分があるのではないかと考えました。
ミツバチは、ミツバチとしての特性があるから人間に使われました。他にも人間に使われた生き物はたくさんいます。
生き物と共存していかねば人間は生きていけません。しかし人間ばかりがお世話になって、人間がなにか生き物にとってプラスになるようなことをしてこれたでしょうか。
この先も生き物と共存していかねば人間は生きられないのですから、そのことを忘れず、生き物に対して享受できることを考えていかねばならないな、と思いました。
近年の日本では人間の過労死が大問題になっていますが、まさかその過労死の問題がミツバチにも起こっているとは知らず、この記事を読んでとても驚きました。
人間の過労死もミツバチの過労死も早急に解消されることを望んでいます。
まず、蜂蜜が人間の食生活において非常に有効であることが発見されてから、ハチの重労働が始まったと思う。人間はハチの苦労を労わずにただ蜂蜜を消費してしまっているので、もっと蜂蜜に付加価値をつけるべきだと思う。
初めてこのニュースを聞いた時感じたのは、はちみつが食べれなくなる?という程度の浅はかな感想でした。
今回のブログで「蜜蜂の過労死」という表現を知り、人間だけが過労死するのではなく、蜜蜂においてもこのように考えることが出来るのだなーと感じました。
人間は自分たちのために動物や植物の命を平然と奪っている。蜜蜂もまた、人間のエゴのために環境を変えられ、過労で死んでしまう。自分たちが生きていくためとはいえやはり心が痛む。
今後「蜜蜂の過労死」のような出来事が、国際的な問題としてどのように取り上げられていくのか注目していきたいと思います。
毎回興味深いテーマのブログで、とても勉強になります。
始めにブログのタイトルを見て、”ミツバチの過労死なんて本当にあるのか?”と思いましたが、中身を読むとやはり過労死という言葉が当てはまると思いました。確かにおいしい蜂蜜を食べたいし、蜂の受粉に助けられて生計をたてている農家の方も大勢いるので人間の都合のいいように蜂を使うなというわけにはいきません。でもある程度のルールは定めなければいけないと思います。蜂も命をもった生き物なのですから。人間だけではなく蜂までも過労死してしまう日本の社会ってどうなのでしょうか、恐ろしいです。
人間と同様に、動物だけでなく虫もストレスを感じるのですね。とても驚きました。
最初は自分たちが生きていくために行っていた活動でも、それが人間のために役立つと知られてから、人間に利用され、そのせいでミツバチにストレスがたまり、死んでしまうなんて人間で考えたら虐待に近い気がします。過労死、という言葉が本当に適切だと思います。ニュースで取り上げられた蜂蜜の価格の高騰の報道から、ミツバチがこんなにひどい目に遭わされているということまでは考えが及びませんでした。私たち人間のために利用され、死んでいってしまうミツバチの数が少しでも減っていくように、もっと自然生物のことについて知り、真剣に考えるべきだと思います。
先生の記事を読み、人間が世の中を支配するようになって以来、とうとう人類だけでなく虫類にまでも精神的影響を与えるようになるとは、果たして軽視してよいことなのか、とても疑問に感じました。
当然ながらミツバチは自然の生活を営む権利を有するわけですから、環境問題のひとつとしてわれわれもとらえなければいけないと思います。
故意に操作されたミツバチはどれほどのストレスを与えられているのかと思うと、遺憾に思います。
我が家の金柑の木にも、蝶が卵をうみにやってきます。
葉を食われて困りますが、そういう環境があることを大切に思うべきですね。
人間の利益の追求がこんなところにまで影響を及ぼし、ミツバチをこんな状況にしてしまっているなんて驚きました。
もしかしたら他の動植物も似たような事態に陥っていたらと思うと、ぞっとしました。
ミツバチの過労死というタイトルにも驚きましたが、巣箱の前でミツバチが全滅している状態を想像してゾッとしました。
そもそも、本来自然に生きている生物が人間に飼われている(使われている?)ことで、もうすでにかなりのストレスだと思う。今回は体力が低下したミツバチがたまたま大量死しただけで、すべての人間に飼われている生物もこうなる危険性を孕んでいると思う。
このミツバチの「過労死」の問題は、人間に自然との付き合い方を問いかけたとても難しい問題だと思います。
ミツバチから享受する恩恵は非常にありがたい。だから死滅されては困る。しかしその恩恵が享受出来なくなるのも嫌である…。こんな現実と欲望のジレンマに人間は直面しているのではないでしょうか。
では人間はどうしたらよいのでしょう。多くの人は「ミツバチを救わねば!」と考えるかもしれません。しかし、人間はせっかく見付けた自分達にとって都合のよいツールをそう簡単に手放すことが出来るでしょうか。私は、人間はこの問題を科学の力で解決していくように思います。例えば、ミツバチにとって低刺激の農薬や滋養強壮を促す「何か」の開発、ミツバチに代わる「何か」の投入…。科学がどのような形でどの程度問題解決に用いられるかは分かりませんが、今の人間の生活が科学によって支えられていることを考えるとほぼ間違いないことのように思えてなりません。
科学によって殺されているミツバチが科学によって救われる。もし本当にこのことが実現したらこれ以上の皮肉はないように思います。
<ミツバチも多様な植物の蜜と花粉を食べてこそ元気に活動を続けられる>というフレーズにまず驚きました。まるでそのような発想をもちあわせていなかったからです。蜜蜂にも食料を選ぶ権利があります。幅広い選択肢の中で今までは自分に合うよう選んで来たのでしょう。しかし野山の花が減少する中で、その選択肢が減り、人間のせいで制限されるようになったのです。蜜蜂を人間に置き換えて考える発想はやり過ぎだと思いますが、現在、蜜蜂が苦しむだけでなく、回りまわって人間へ還元されています。人間が行うことは全て、結局は人間へ還ってくるのです。事が起こってからでは遅いのです。もっとよく考えて行動したいと思いました。
なんだかミツバチにも社会の現状が表れていると思いました。働けど働けど、誰にも感謝されることもなく、社会の歯車として生きている、そんなことが人間とミツバチにも当てはまるような気がします。そりゃミツバチだって苛々しますよね。
「健康で文化的な生活」をミツバチにもですか。とても面白いと思います。人もハチも、大人しく生きるくらいのことはさせてほしいんですよね。
人は、他の生物を巻き込んでまで暮らし難い生活に身を投じていると思いました。
人間は多くの動植物に支えられ、その恩恵をもらって生きていることを、現代の多くの人は忘れてしまっているのではないかと思いました。人間という生き物は、今までに数え切れないほどの動植物を絶滅へと追いやっていますが、ミツバチもいずれは搾取されつづけ、人間の身勝手さによって、絶滅してしまうのではないかとブログを読んで心が痛みました。
ずっと未来の世界にも、ミツバチが存在していてほしいと思いました。
過労死についての話題は今まででもニュースなどで何度か目にしたことがありました。それが動物にも起こりうることだったとはとても信じられませんでした。私が知る過労死というのは決して自分から望んだ労働ではなく、与えられた労働いわば強制的な労働によっておきるものでした。
このミツバチたちも人間に強制された労働のよってその命を奪われてしまったのだと思うととてもかわいそうです。
本来自由であったはずの自然の命が人の手によって破壊されてしまうというのはとても許されることではないと思います。
人が豊かな生活の送っていくことに、自然はなくたはならないものであって、大切にしなければいけないと思いました。
先日、筑波大学でミツバチの研究をしている従兄弟にあい、この話をした事があります。この十年位の間に、ミツバチの日本国内での生息数は劇的に減っているとの事で、明確な理由は解明されていないものの、『ストレス』という言葉を何度か行っていた事を思い出しました。虫には言語はありませんが、ストレスフルな環境に措かれた場合、寿命が短命になったり、巣本のテリトリーを放棄するといった行動をするとの事です。
つまりミツバチ達にとって、今の日本は彼らにとってあまり安息を得られる地ではない事を、行動で表しているという事なのではないかと思いました。
ミツバチの過労死という題名に驚きました。過労死って人間だけでは?と思いました。記事を読んでいるうちに、ミツバチもストレスを感じるとあり、人間もミツバチも生物である以上同じことが起こることを知りました。
人間も働き過ぎると人間らしい生活を失います。ミツバチもそのような状況にあるのではないかと思いました。ミツバチにもミツバチらしい生活が必要であると感じました。
ミツバチが過労死するというタイトルに驚きました。現代社会ではたくさんの人間が疲弊してしまっていますが、ミツバチにも同様のことがあったのですね。人間以外の動植物たちの異変に気づくためにも、まずは自分たちが余裕を持たなければいけないと思いました。
ミツバチの大量死というニュースは前々から知っていたのですが、その原因はこの記事を読んで初めて知りました。第一の感想として、率直に驚きました。まずミツバチも人間と同じように、色々な種類のもの(花粉)をバランスよく摂取することにより健康が保たれ、かつ大自然のストレスのない環境の元でこそ免疫力もつくのだという事は私の新たな知識となりました。また、「ハウス栽培のイチゴなどの受粉に借り出されたミツバチは、高ストレス状態に陥っている」という一文を見て、ストレスというものを感じるのは人間やチンパンジー、犬などの哺乳類だけだと無意識に考えていた自分にとってはまた新たな発見となりました。
しかしこの記事を読んで自分の中で一番に考えさせられた事は、ミツバチでさえこんなにも高いストレスを日常の中で感じているのに、ましてや人間がより大きなストレスを受けていないわけがなく、そんな社会から逃れることのできない自分はこれからどのような心構えや意気込みで社会に出ていけばいいのか、という事です。
これからじっくりと考えていかなければならないことだと思いました。
ミツバチが大量死しているのはニュースで何度か見ているため知っていましたが、その原因までは知りませんでした。
確かに、大量死の原因が記述通りのことなら、過労死といっても間違いはないと思います。
日本では、人間の「過労死」ばかりが問題になっていますが、ミツバチだけではなく、きっとほかの生き物にも色々なことを強いているんだな、と思います。
この事実をもっと多くの人に知ってもらって、現代の日本の問題として真剣に考えてもらいたいです。
日常生活の中で蜂が近くにいると私も含めたいていの人が嫌がりますが、私たちはミツバチからたくさんの恩恵をうけているなとこの記事を読んで再実感しました。はちみつを売りにしている様々なスイーツや私たちが普段食べている野菜や果物でさえミツバチがいなければ私たちの口に運ばれることはありません。もう少しミツバチのことを考えるべきだと思いました。
私の地元はいちご農家が多いので、他人事とは思えない内容でした。私たち人間がおいしいいちごを食べるためにたくさんのハチが過労死していたなんて知らなかったです。ハチが過労死しないでおいしいいちごを育てられるような環境を作るにはどのようにすればいいのか考えるきっかけになりました。ありがとうございました。
ミツバチの過労死という不可思議な話題の正体は、やはり人間が生態系に影響を及ぼしたという話でした。
人間が、自分たちに都合のいいように他の生物たちを扱うのは本当に許せないと思う一方で、そんな人間のエゴの恩恵を受けなければ暮らしていけないような自分にも腹がたちます。至極当然のことではありますが、もっと他の生物と共存していく方法を探していくべきであると思いました。
ミツバチが過労死しているという事実には、少し驚いた。確かに、蜜を運ぶことが仕事とも言えるので、ストレスがたまってしまっている状態であるのはうなずける。今後は、ミツバチを助けるようなことをしていかなければならないと思った。
ミツバチが過労死のような状態になることはこの記事を読んで、初めて知りました。
大事なのはミツバチが過労死をしてしまうことを知ることではなく、そこから日本の今の農業や、また視野をかえて、他の分野のことでも、ここから学べること、活かせることはなにか、ということだと思います。
蜂蜜の値段が高くなっている、→ミツバチが大量にいなくなっている→ミツバチを果物のハウス栽培などに使っている、本来ならたくさんの花をまわり、たくさんの花粉をあつかってこそ元気でいれるミツバチをハウス栽培という人間のために使って、ミツバチの量を減らしてしまっている、という事態に気づいている人はいるのでしょうか。私たちのために弱っていったミツバチのことを思って、現状を改善しようとした人はいるのでしょうか。
これはミツバチだけでなく人間でもあてはまると思います。とくに福祉はあてはまる問題ではないでしょうか。
現状を把握してその根源をつかみ、根源から改善していく。
一見シンプルですが、これがすごく難しいことなのもよく分かります。ですが、これからの福祉の明るい未来のためにはこの根源をいかに変えていくかを考えていくべきだと思います。
ミツバチの過労死という題目に目を引かれ、読み始めました。
はじめは何かの比喩かと思っていましたが、実際に「ミツバチの過労死」というものがあることに驚きを感じました。確かにTVで蜂蜜の採取シーンを見てると、あれだけ働かされたのに、その上、巣箱の中の蜂蜜をとるところを見ると少し報われないなと思ったりもします。
また、ニホンミツバチの個体数の減少もこの記述のようなことが関係しているのかもしれないと感じました。
ミツバチの大量死についてはテレビのニュースなどで見たことありましたがその原因については初めて知りました。人間だけでなくミツバチもストレスを感じることに驚きました。
先生のバリアフリーについての講義で、障壁となるものは物的なものだけでなく心理的なものもあると知りました。人間もそうですがミツバチにとってもバリアフリーな環境が整えばいいのになと感じました。
いまだに受粉をするのにミツバチの力を借りているということを知り、さまざまな技術が進歩している現代でも機械の力ではどうにもならないことがあると痛感しました。
クローン技術など自然の摂理をも揺るがすようなことがなされているなかで、人間は、何でもできるような気になっているところがあると思います。でも実際はそんなことはまったくなく、自然の力を借りなければ生きていけない、弱い存在なんだと改めて実感しました。
素晴らしいお庭をお持ちですね。
くまの○ーさんもさぞ羨ましいことでしょう。
付加価値の高い作物へのミツバチの利用などが彼らを弱らせ過労死に導くという結論からまたしても人間の浅はかさを感じました。ミツバチのことを少しでも考えながら上手く利用していればきっとこのような大量死は起らず経済的打撃も受けなかったことでしょう。 利益を求めるのなら、その選んだ手段で果たして恒久的に儲かるかどうかぐらいしっかり考えるべきだと思います。また、永続的な利益を求めようとすれば自然と無理のない計画が立てられ、どこかに過負荷が掛かるというようなことは避けられるのではないかと考えます。
ミツバチの大量死の原因が過労死であることには驚きました。
人間に強制されて蜜を集めることでストレスを感じ、ウイルスに感染して死んでしまう今の状況を改善していかなければならないと思いました。
また、ミツバチだけでなく他の生物と人間との関わりにも目を向け、人間との共存が可能な環境を作っていくべきだと感じました。
記事を読んでミツバチの過労死と人間の過労死との違いについて考えました。このミツバチは言わば強制的に働かされてその結果死んでしまいましたが、人間の過労死ではどのようにして命が削られて行くのでしょうか。ミツバチは昆虫であり人間の手によって不条理な環境に置かれたらやはり逃れられないと思います。ではなぜ人間のなかから過労死などということが起きてしまったのでしょうか。
今日本で同じ人間に奴隷のように働かされている人はまずいないと思います。自分が知らないだけでそのようなことは現に起きているのかもしれませんが、実際に自分が見てきたニュースや新聞、テレビの情報では過労死はおもにビジネスマンや母子家庭に見られました。恐らく上司や周囲の人間は絶対に休むなとは言わないと思います。
本当は休めるのに休まなかった結果、疲労が溜まり死んでしまうのだと思います。しかし実際に休みを取れるかというとそう簡単なものではないと思います。何も言わないが休んではいけないという暗黙の了解、無言の脅迫みたいなものがあり、仕事を休むということは簡単にはできないのが現状だと思います。
よく日本人は勤勉だ、などと形容されますが実際には休みたくても休まない、休めない現実があるのではないかと思います。聞くところでは日本人のサラリーマンやビジネスマンは有給休暇をほとんど取らないと聞きます、比べてアメリカでは有給休暇をとることは当たり前だと聞きます。持ってる権利は同じでもそれを行使するかどうかは国によって異なってくると思います。
しかし日本では昔から暗黙の了解で和を重んじる傾向があります。本当はみんな休みたけど誰も休まないから結局自分も休めないという負の循環があるように感じます。金銭面の問題で働かざるを得ないケースはまた社会保障などの関係があるのでここでは言及しませんが、本来あるはずの権利を主張できないというのはどんなことにたいしても一つ日本人の国民性として良くないことの一つだと思います。これはノーマライゼーションに関しても同じで、障害を持つ人は本来ならさまざまな要求をして良いはずであるのに、なぜかそれを言いづらくしている雰囲気、風潮があるような気がします。
恐らく昔からそうであったことが脈々と続いてきた結果であり、良くも悪くも今までそれで社会は回ってきました。これが急に改善されることはないと思いますが、今いろいろなところで権利の主張は始まっていると思います。現に先生の記事にもあったノーマライゼーションの条約もそうです。権利を主張することは悪いことではなく当然のことであるという認識が国民全員が持てればいいと思います。
私は、ミツバチが人間と同じように過労死をしているという事実を、この記事を呼んで初めて知りました。人間や動物がストレスを抱え込んでしまい、最悪の場合は死に至るということは知っていましたが、まさか昆虫までもがストレスを抱え込んでしまうとは思いませんでした。そう言われてみれば、昆虫だって生き物ですし、ストレスだって抱えますよね。
記事に、「ミツバチにも『健康で文化的な生活を営む権利』が保障されるべき」と書いてありましたが、人間だけでなく、できることならば、ミツバチなどの昆虫やその他の生き物全てにこの権利が保障されれば良いなと考えました。人間にとってだけではなく、その他の生き物にとっても、暮らしやすい環境を作っていくべきだと考えました。
自分はハチに刺されたことが何度かあるので、ハチがあまり好きではありませんが、はちみつは好きです。人間の私利私欲のためにミツバチが死んでしまったのであれば、それは、はちみつを製造している人だけのせいではなく、それを消費している我々にも責任があると思います。反省しなければならないと思います。具体的なことは専門家ではないのでよくわかりませんが、人間もハチも苦しむことのないバランスを見つけることが、今後の課題ではないかと思います。
気楽に拝見しました。
はっきり覚えてないですけど、確かに夏休みの時に、たまたまテレビで「謎?ミツバチ大量死に迫る!」という特集番組を見ました。死因としてはオオスズメバチの大量発生です。今もう一度考えたら、高ストレス状態やウイルス、農薬もミツバチの大量死に関係するかも。攻撃性、耐性を低下させ、そして弱肉強食で淘汰される。
私のお母さんは飲み物の中に必ずハチミツを入れる、体にいいので、常に私に勧めてます。またたまに料理中にも入れたりとかします。ハチミツは本当に我々の生活にとっては欠かせない存在ですね。
ミツバチが「過労死」、労働という言葉は私にとってこれまでは漠然と人間の行いに用いる言葉のつもりでいたのだが思い返せばなるほど、確かに自然界には「働きアリ」なるものもいるのだ。ミツバチも女王のために働くのだろう。
ここで気になったのは過労死していった働き蜂の感覚だ。人間が過労死する状況に陥った場合、その本人には「自分の危機」が感じ取れるだろう。その感覚があるからこそいざとなれば会社を投げ出してでも自分に迫り来る「死」を回避することができる。
そんな人間と比べてハチの感覚というものはどうなのだろう。自分が死ぬということが知覚できるのであろうか。知覚できたとしてそのハチの行動に何らかの変化は見られるのであろうか。
今回この記事をよんで生物の自我というものについて興味をもつきっかけとなった。
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