ドクター・ショッピング-体験からの疑問
「ドクター・ショッピング」という現象があります。それは「なにも医者を買いあさるわけではない。診断や治療に納得できず、何ヵ所も医療機関や医者をたずね歩くこと」(小野繁著『ドクター・ショッピング―なぜ次々と医者を変えるのか』、3ページ、新潮新書、2005年)を指します。重大な疾病や障害の告知から受容のプロセスにおいて、このような現象が起きることはよく知られています。
これは「セカンド・オピニオン」を求める行為とは区別されます。ある医師から「手術をした方がいい」と言われたが、この治療方針でいいかどうかについて、他の医療機関の医師の意見を求めることは「セカンド・オピニオン」。これに対し「ドクター・ショッピング」は、医師や医療機関への不信感や不満を介して、他の医療機関へとつぎつぎと移る行動です。
以前から、患者にこのような受診行動が起きることは指摘されてきました。しかし昨今は、一方で、医療の高度化と細分化の著しい進展があり、他方では、インターネットを通じた情報の氾濫から患者の側も何を信頼すればいいのかを的確に判断できない事情が深刻化しているため、性格を異にするこれら二つの受診行動は、ともに増加しているのではないかと推測します。
さて、先にご紹介した書物では、ドクター・ショッピングには5つのタイプがあると指摘し、医療の高度化と細分化による悪循環を断ち切るための、「心身医学的治療」「全人的医療」の必要を説きます。5つのタイプとは次の通りです。
1. 患者が医師の診察に不満。見落とし、見逃しを疑い他の医師の診断を仰ぐ。
2. 初期の診療で病名がはっきりせず、患者は不安のあまり他の病院へ向かう。
3. 症状が複数の領域にまたがっているので、医師が自分の専門外と考えて患者を他の診療科へ送り出す。
4. 患者が症状を過大に案じ、どんな診断も信用できず、やみくもに医師を乗り換える。
5. 患者の側にブランド志向があり、世評の高い病院や医師を選んで訪ね歩く。
私自身がドクター・ショッピングのような行動をとった経験は2回ほどありますが、上記の1または2の場合に近いようで、厳密に言えば、これらのどれにも該当しません。
1度目のそれ。私はウォーキングの習慣を持ちますが、かつて足の裏側に瘤状のものができ、歩くときに小石がその部位に当たると、靴を履いた状態でも「飛び上がる」ほどの痛みにおそわれたことがありました。当時の居住地である市内の整形外科(開業医または整形外科のある病院)6か所に、それぞれ1ヶ月ずつ合計半年かかりましたが、診断もつかず、有効な治療を受けることはまったくなかったのです。ある医師には「足の関節に水が溜まっているのでしょう」と「注射で水を抜く」という痛い処置まで受けましたが、水はおろか何にも出てきません。結局、「しばらく様子を見ましょう。湿布薬と痛み止めを出しておきますから」でお仕舞い。
あるとき、たまたま通りかかった大病院の整形外科にとびこみました。「藁にもすがる」ような思いがあっただけです。すると当日たまたま外来診療の担当をされていた「整形外科部長」は、瘤のある部位を触診しただけで「すぐに摘出手術が必要です。何らかの腫瘤ができていますね」とおっしゃいます。その10日後に摘出手術を受けて、「原因ははっきりしませんが、良性の腫瘤でした」で完治。この医師は、後になって「スポーツ医療の達人」であることを知りました。
こうして治ってホッとしたものの、「この医師にめぐり合うまでの半年間は一体何だったのか?」という疑問とも憤りとも判じかねる心境になりました。
二度目のそれは、今回の眼の疾患をめぐってです。近所の眼科で診療を受けていましたが、この医師からは「高度な検査と治療を受けた方がいい」と、私の居住地の医療圏で最高度に位置づく某大学病院に「紹介状」をつけて回されました。
この「高度医療機関」の外来診療の担当医師とは、2回目の診察時に次のようなやりとりになりました。
ドクター「レーザー治療の方向を探る必要があります。そのためには、造影剤を用いた検査が本来必要なのですが、うちの病院にはその検査を行なう機材がありません。そこで、次回は教授回診にしますので、その診察でご相談させていただきます」
私「レーザー治療をするためには、造影剤を用いた検査が必要だとおっしゃいました。しかし、この検査の機材はないというのであれば、あなたや教授先生の誰が出てこようが、この病院にはレーザー治療を行なう前提条件が欠けているということにならないのでしょうか。一体、教授回診で何の相談になるのですか?」
ドクター「…(しばし無言)。だから、教授先生に診ていただいてご相談ということなのです」
このときのドクターの最後の言葉は、はっきりいいますが、説明になっていません。必要な検査はできないのだが、「教授先生がレーザー治療をしましょうと言われたらそうしましょうか」程度の内容で、高度な権威主義と無責任の塊がこの医療機関の「病巣」であると憤慨しました。
そうしてこの「高度医療機関」を見限り、複数の知人の紹介から東京の眼科専門病院にかかることになりました。この専門病院では、必要な検査のすべてを初診の日に行った上で、「現在の眼科医療では、このような場合にレーザー治療をすることはまずありません。視力の低下を招くだけですから」と説明され、改めて前の病院のいい加減さにあきれ返ることになりました。
これら二つのドクター・ショッピングは、患者が貧しい医療サービスの現状に振り回されただけだとはいえないのでしょうか? 「心身医学的治療」や「全人的医療」の必要性とは無関係な問題によって、多くの患者さんが右往左往を余儀なくされている現実が間違いなくあるでしょう。それは、医師の専門性や診断・治療技術の「高度平準化」の課題です。「心身医学的治療」や「全人的医療」によって克服されるドクター・ショッピングのあることに異論はありません。ただ、それがドクター・ショッピング問題の核心であるとの学説がもしもあるとすれば、患者サイドの実情とは乖離した見解ではないかと考えます。
コメント
医師へ不信感や不満を抱くのはご指摘されている理由が大きいと思います。そして、その不信感を解消できずにドクターショッピングという行為に行きつくのだとしたら、それもまた問題だと思います。医師と患者の間でコミュニケーションが取りきれていないという可能性もあるのではないでしょうか。
以前、最近の医師は患者に向き合わず、カルテを見ながら話をする者がいると人に聞きました。私は機械の具合を見るのではないのだから、医師にはコミュニケーションの取り方や患者への気遣いを意識して、患者と信頼関係を築く努力も期待したいです。
医師の選択というのは、物を買うときやお店に入るときの選択より真剣に考えるところが、ドクターショッピングのより大きな原因だと思います。そして医師によって診察の結果が違ったり不明瞭な説明がさらなる不信感を招いているのではないでしょうか。
医療の技術躍進の一方、医師の不足と質、対話の低下がこの現象の裏にあって、技術を最大限に生かすような医師の質の向上が必要であると感じました。
私は「ドクターショッピング」という言葉を初めて知りました。「セカンドオピニオン」という言葉は知っていたけど、「ドクターショッピング」という言葉の意味と間違って認識していました。勘違いが解消されてよかったです。
足の件ですが、きちんと手術を受けることができてよかったですね。
なかなか信頼できる医師を見つけるのは大変だと思います。
自分のかかりつけの医師は信頼できるのでまだいやな思いをしたことはないですが、もし医師の診察に納得がいかなかったら見限って、信頼できる医師にめぐり合えるまで色々な医師を訪ねることが大切だと感じました。
私はドクター・ショッピングのような行動をとったことはないのですが、医師の診察に不信感を抱いたことはあります。その時は幸い、処方された薬で治ったため、無理矢理自分を納得させましたが、もうこの病院には来ないと心に決めました。
医師は一方的な診察をするのではなく、患者がきちんと納得できるような説明をしなければならないと思います。患者とのコミュニケーションを大切にし、安心して診察を任せられる医師が増えて欲しいと思いました。
医師という仕事は、患者に対して大きな責任を負う仕事だと思います。だから、「高度平準化」であるべきなのは確かだと思います。
しかし、医師も人間である以上は間違いを起こすこともあるだろうし、医学の進歩により自分の知識が遅れてしまうこともあるかもしれません。「高度平準化」というのは非常に難しい課題だと思います。だから、まずはいい加減な診察をするような医師を生み出さないようにすることから始めるべきなのではないでしょうか。
医師の人間性を「高度平準化」することが重要だと思います。また、医師も患者の相性というものもあると思うので患者が自分で信頼できる医師を見つけることも大事でしょう。
・患者の不安を煽るような言動は慎む
・患者の身になって献身的にサポートする
私は最低、上記した項目を医師には遵守してもらいたいと思います。
ブログでも書かれていたように我々患者は藁にもすがるような思いで訪ねています。おそらく心の中で胸をなでおろしてくれる対応を期待しているのです。
にも関わらず期待を裏切る医師は多々見られます。私はどういう考えを持って医療の道へ進んだのか不思議に思うものです。
我々がより快適に日常を過ごしていけるかは医師にかかっていると言っても過言ではないと私は思います。
ドクター・ショッピングという言葉を初めて知りました。
やはり、医者と患者という立場上どうしても医者というものが神格化されてしまうと思います。少しでも疑問や不信を感じたら「ドクター・ショッピング」を行うべきだと思いました。
自己管理という言葉がありますが定期的に検査や医者にみてもらうだけでなくその結果を過信せず、自分の体は自分が1番わかるのだから、結果が良くても不調がよくならなかったら病院を変える勇気と決断力が必要だと感じました。
私はこのブログを読んで、医者を信用しすぎてはいけないと思いました。
私は病気やけがなどに対する知識をほとんど持っていないため、すぐ医者の言うことを信じてしまいます。しかし、考えてみれば、医者は症状に苦しんで診察にくる人とは違う人であり、症状がどんなものなのか100%わかってくれているわけではない。そのため、あってはならないことだとしても、間違った診察をしてしまうことがあるかもしれません。
だから、自分が納得のいくまで病院をかえてみることも必要だと思います。
私の父親もドクター・ショッピングという行動をとることがありました。
初めのころは近くの診療所に半年近く通いましたが、ただ薬をもらうだけで一向に良くなりませんでした。そこで山形県で院長をやっている親戚の医者に診てもらうと、すぐに手術が必要というのがわかりました。仕事の関係上、山形で手術をするわけにはいかないので、自宅からでも行ける病院で手術をしました。半年遅かったら危なかったそうです。
やはり、だれか一人でも信頼できる医者を知らないと、病院を移り渡ってしまうと思います。そんな医者がいれば、病気を安心という気持ちからでも治していけるでしょう。
ドクター・ショッピングという言葉を初めて読み、患者が医師への信頼感を持てない現状を知りました。
医師は患者の病に関してだけでなく、精神面についても気遣い、不安を感じさせないよう診療するべきだと考えます。
あいまいな診療態度は病気で弱っている患者をさらに追い詰める結果に繋がります。
患者は世の中に溢れる膨大な情報の中から自分に必要な知識を得て、信頼できる医師を探す判断力を身につけるべきだと思いました。
この記事を読んでから今までのことを顧みてみると、医師を疑いなしに信じすぎていた部分があると感じました。医師が患者から質問され、それに対し曖昧にしか答えられないということは、患者を不安にしてしまいます。そのような医師に出会った場合、他の病院にいってみるのもひとつの重要な手段だと思います。
私は「ドクターショッピング」という用語を初めて知りました。
記事を読む限りではドクターショッピングの原因には「医師の説明不足」も挙げられるように思えました。所謂、「インフォームドコンセント」の考え方が重要になってくると思うのです。そのためには患者自身が病気について知ろうとする意志を持つこと、そして医師はそれに真摯にこたえようとすること大切になってくるはずです。
一方的にどちらが悪い、として片方は何もしないでいるのではなく、両側の人間が問題意識を持って行動することが、現状の打開につながると考えます。
私は今まで医者の診察に不信感を持ったことがなく、医者の言うことを素直に信じていました。しかしこのブログを読み、もう少し自分で考えることが大切だと思いました。
医者を信じることももちろん大事ですが、受動的にならずに、不安なことやわからないことがあったら質問するなど、もっと主体的に自分の体のことを考えて行動するべきだと思いました。
この記事をみて最近の医者の責任力のなさというものを感じました
いままで自分は責任をもたずにそのばしのぎで適当にいうような医者にあったことはありませんがそのような医者もいるのだと知り医者を選ぶことも大切なのだと思いました
昨今は実力不足でもコネなどで医者になるものが多くなってきているらしいのでこれからは医者選びは周りの評判などを聞くなどして慎重にしていきたいと思います
私は13歳の時に一度肺炎にかかったことがありました。その時は高熱のためではなく、不安と恐怖でろくに眠ることもできず、「ほんとにこの治療法で正しいのだろうか」などと思っていました。
医師の責任というのはただ怪我や病気を治すだけでなく、その現状に立たされている患者の不安感をぬぐうことにもあるのではないでしょうか。その不安感をぬぐうためには、患者にしっかりと病気や治療法の説明をすべきだと思います。
そのような処置だけでは不十分かもしれませんが、なんらかの解決の糸口になるのではないでしょうか。
私は最近テニス肘になり、ある病院でレントゲン写真をとり検査をしてもらいました。先生によると、フォームを改善しても治ることはないから、うまく痛みと付き合っていくしかないと言われました。
医者が言うことなのだから当然その通りなのだろうと思っていましたが、後で先輩にそのことを話すと自分のフォームの中で肘の痛みを引き起こしているのではないかと思われるところを指摘してもらい、改善すると以前より痛みを感じることが少なくなりました。
今思うと、自分は医者と十分にコミュニケーションをとることができずに一方的に話を聞いているだけでした。医者の言うことを待つだけでなく、自分から積極的にコミュニケーションをとることで、信頼関係を築くことが重要であると改めて感じました。
わたしもドクターショッピングを体験したことがあります。
病気にかかったり、何かしらの不都合が体に生じている人間が不安感に煽られたり、恐怖感を感じるのはごもっともとゆうのに、そういった感情を拭いとれない医療機関の怠惰な医療行為、または実力不足とゆうものは大きな問題だと思います。患者への精神的な配慮も医療行為の大事な一部分なのではないでしょうか。
今回の記事で初めて「ドクターショッピング」とゆう用語を知ったのですが、世間の人々のこれに対する認知度はどうなんだろうと思いました。問題視されているくらいなら、もう少し認知度をあげる必要があるんではないでしょうか。そしてそれが国民や医療機関の人の意識を高め、良い方向へと導いてくれることだろうと思います。
ドクター・ショッピングは実際私もやったことがあります。その理由は1つ目の医師の診察に不満をもったからです。「なぜこんなに辛いのにただの風邪という診察なのか」と思ったり薬が効かなかったりしてよくころころ変えてしまうのです。
このドクター・ショッピングは、記事にかいてあるように医師の診断のずさんさというものが原因となるケースが多いと思いますが、患者側に原因があることもあるのだと思いました。
私は、「ドクターショッピング」という言葉をはじめて聞きました。私は今まで医師から言われたことをそのまま信じていましたが、医師から言われたことをそのまま信じるのではなく、少しでも疑問を持ったら質問してみるのも大事だと思いました。
最近は、医師不足と言われていますがドクターショッピングのやりすぎ防ぐためにもしっかりとした技術や知識がある医師やを増やし、病院の設備を充実させてほしいと思います。そして、なるべく患者の不安を取り除いてほしいと思います。
私は高校生のころ指を骨折し、手術をしなければ完全に治らないとのことだったので、手術をすることになりました。
しかし手術のあとも指は完全に治ることはなく、指が曲がったままになってしまいました。ドクターショッピングが起こる原因として、私は医者に責任があると思います。自分の体を大切に思っているからこそのドクターショッピングであり、医者を選ぶことに慎重になることはよいことであると思います。
同じ「医者」という立場であっても、言うことが違ってしまうと、どっちを信頼していいのか分からなくなってしまいます。切羽詰まった状況では、余計混乱に陥ってしまうでしょう。あたしもそういう状況に直面したときは、落ち着いた判断をくだしたいです。そのためには、信頼できる医者を探しておく必要があると思います。
最近では、患者のことなどは全く考えず、ただ自分の利益のみを考えるような医師が増えてきているように感じます。ばか正直に医師の診断を鵜呑みにするのではなく、自らも最低限の医療の知識を身につけて、医師の誤診を見抜いていくことがとても大切なんだな、と思いました。また事前に評判の高い医師や、信頼のできる医師を見つけておくことが、とても大切であると感じました。
これを見て、これから病院に行くのが少し不安になるとともに、医師の無責任さにあきれてしまいました。
病気やけがをした人は、頼れる人、場所が病院であるのに、今の現状では安心して通院、闘病することは難しいと思います。
医師の診断に、少しでも疑問や不安を感じたら、自分でも病気や症状について情報収集してみたり、ほかの医師、病院にも相談してみることは大切なことだと思いました。また、これから医師になろうと志す人にもこの現状を知ってほしいと思いました。
最初に記事を読んだとき、セカンドオピニオンとドクターショッピングは同じようなものであると思いましたが、後者は医師の診断にはっきりと不満を感じており、よりネガティブな面をもった受診の仕方であると感じました。
しかし両者とも原因は、実力のある医師や最新の設備の不足であると思います。
患者が1人の医師を信頼し、安心して治療をうけるためにも、こうした面での医療機関の意識向上が必要であると感じました。
ドクターショッピングという言葉は、この記事を読んで初めて知りました。自分は今まで重い病を患うというような経験をしたことがないので、実際に自分がそういう状況になったときにどんな行動をするかはわからないのですが、そんないい加減な診察をしてくる医者がいるのだとしたら、残念でなりません。
この記事を読んで、「ドクターショッピング」という言葉、行動を初めて知りましたがとても大きな問題だと感じました。
患者の行動も問題だと感じたが、やはりその原因になっている医師が大きな問題となっていると思います。患者に対して曖昧な返事を与えるのは絶対によくないことだし、その曖昧な返事、指示に従って患者が被害を被ることがあっては元も子もありません。
「ドクターショッピング」という行為は決して良いこととは言えないかもしれないが、必要な場合もあるのではないだろうかと感じた。
私はよく医療機関にかかるのですが、受診をすると先生の言いなりに話を聞いて、出された薬を飲んで病状がよくならなくてもなにか安心していました。
それは医師の言ったことはどこか説得力があり、絶対的なイメージがあったからです。
しかしこの話を聞いて私もドクター・ショッピングをしようと思いました。
自分の意志を持ち納得し信頼できる医師を見つけて診てもらうことも受診者のすべきことなのではないか?とも思いました。
私はドクターショッピングを行ったことはありませんが、確かにこの医者は適当なことを言っているのではないかと疑問に思ったことは何度かあります。というのも患者に対しての医者の態度がどこか真剣ではないように思えたことがあったからです。
すべての医者がそうだとは言いませんが、患者は医者にしか助けを求めるのが難しい状態なので医者もそれに応えるように誠意のこもった対応をすべきだと思います。
私はこの記事を読んで、いかに自分で知識を得ようとすることが大事かがわかりました。「無知は犯罪である」という言葉をきいたことがありますが、ドクターショッピングはまさにこの言葉が当てはまると思いました。むやみに医師の言葉を信用せず、自分の病気は自分で向き合っていくことが大切だと思いました。
医師や医療に対する不安感というものは、最近の医療ミスや盥回しなどの状況が数多報道されている事に起因していると思います。
ただ、「患者が貧しい医療サービスの現状に振り回されただけだ」とは少し言いすぎではないでしょうか。確かに医者の中には、言っては失礼ですが不謹慎な輩もいるでしょう。まともな医療をまっとうせず、コミュニケーション能力に欠ける人もいるでしょう。ですが医師界の現状も考慮して、貧しい医療サービスと言っているのですか?長くなるので細かいことは書けませんが、少なからず、全ての責任を医療体制や医師のせいにするというのはいただけません。消費者(患者)としてのモラルも崩壊しているのも原因の一つとしても考えられないでしょうか?
私は今まで病院にかかっても、医者の言うことを言われるままに信頼して、何も疑っていなかったように感じます。この記事を読んで、自分のお医者さんに対する目線が少し変わったように思います。いい医者も居る中、悪質な医者が居ることも心中にとどめ、これから生活していきたいと思いました。
自分もドクターショッピングに似たことをしたことがあるのでこの記事は大変興味深かったです
医者は本来病気に詳しくない一般民が最後の頼みとする存在でなければならないがその医者が正確な判断ができないのは問題だと思う。
これから先は自分自身も知識を得て判断していく必要性があるのではと感じました。
病気のことで神経質になっている患者がドクターショッピングという行為にはしるのは仕方がないと思う。
しかし今回挙げられている例のような、医者が患者の不安を煽る、無責任な態度で接する、などといった理由でそのような行為が行われているのだとしたら、これは大問題だと思います。
医者と患者はコミュニケーションを通じて信頼関係を築いていってほしいと感じさせられました。
医師も人間ですからいつも完璧でいれる訳ではありません。しかし、患者は医師というだけでその言葉を信じ切ってしまいます。せっかくインターネットという便利なものが普及しているのだから患者は自分の症状や病気について調べることが出来るし、自分で積極的に行動していかなければならないと思いました。
セカンドオピニオンやドクターショッピングなど医者に関して私たちが過敏になるのは大げさにいえば自分の命が関わっているからで、仕方のないことだと思う。また、現在の日本では医療ミスのニュースをよく目にするし、ドクターショッピングをすることによりしっかりとした治療を受けられる機会は増えるのではないか。しかし、行く病院で診断が異なるというのは問題だと思う。医者に指導するようなセミナーを開いたり徹底したほうがいいだろう。
セカンドオピニオン」は知っていたのですが、「ドクター・ショッピング」という言葉は初めて知りました。
自分自身、いつもお世話になっているかかりつけの医者は信頼できるので「ドクター・ショッピング」を行ったことはないです。
医者を信じることは確かに大切なことです。でも、疑問に思ったことはそのまま鵜呑みにするのではなく、しっかり質問することが大切なんだと改めて考えさせられました。
まず思ったのは、ドクターショッピングという言葉が生まれてしまっている現状がどうなのか、ということです。医者にかかるのに気を遣わなくてはならないなんて、おちおち病気や怪我なんてしてられない、と思ってしまいます。
患者となる側がドクターショッピングということを行っている理由には、医師の品格が落ちてしまっているということが挙げられるだろう。いわゆる「藪医者」と呼ばれる医師は、医学的な知識は無論持っているであろう。しかし実践の場で間違った判断をしてしまう、これが患者からの評価につながってしまう。あるいは、こういった「藪医者」ではなく、医学的な知識を持ち、的確な診察や処置ができる医師であっても、無愛想等のコミュニケーション能力に欠ける人であったら、患者からの評価は良くはならない。
「人気商売」というわけではないが、「選ばれる医師」にはそれなりの理由があるということを、医師一人一人が理解し、信頼される医師が一人でも多く増えていくことを望みます。そして、ドクターショッピングなんて言葉を使わなくても、どの医者でも信頼できるような社会になってほしいと思う。
ドクター・ショッピングについて、いい医者に出会いたい気持ちはやまやまですが、医者不足の世の中通える範囲でいい医者に出会えたという経験はあまりありません。
私が住んでいた田舎では、注射をまともに打てないような医者や看護師が多々いました。
ドクターが確かな原因と理由と治療法を伝えて私たち自身が理解し納得できなければどんな病気やけがのときでもドクターショッピングが起こりうるし、起こるべきだと思いました。不明な点があれば迷わず質問すべきだし、ドクターも回答すべきだと思います。
テレビで一日に何十人もの診察をし、手術をし、遠くから診察に訪れる人がいるほど「人気」な医師がいることを放送していました。とてもハードな生活をしていました。しかし患者はみなとても感謝していたし、すばらしい医師であることが伝わりました。ドクターショッピングは患者にとっては必要な手段であると思います。いい加減な医師がいなくなり、人気医師が多くなることに期待したいです。
私は医者に見落としがあり、診断が間違いなのではないかと思い、別の病院に行ったことがあります。
すると、初めは打撲と診断されていたのですが、骨折していたことがわかりました。
この経験からも、「貧しい医療サービスの現状に振り回されただけなのでは?」という意見には同感です。
医者も人間であり間違うことはあると思うので難しい問題ではあると思いますが、患者を不安にさせない、なにかしらのシステムが必要であると感じました。
今まで「ドクターショッピング」という言葉は聞いたことがありませんでした。
患者が自分の病気や怪我を早く治したくて、いい医者に診てもらいたい気持ちは、自分もよく部活などで怪我をしていたためよく分かります。早く治したいと思っていたときに、いい加減だと思えるような診察をされてしまったら、患者の側からするとやはり嫌です。そういった場合は「ドクターショッピング」をしても仕方がないとも思います。このような状況を招いたのは、医者の側にも責任があると思います。医者には、勉強不足で不適切な診察をしてしまったりすることのないように、常日頃から日々進歩している医療を学び、患者から信用されるようになってほしいです。
「ドクターショッピング」という言葉があることをこの記事を読んで初めて知りました。私は実際に「藪医者」といわれる医者に掛かったことがあります。しかし、その時は相手が藪医者だと知らず、治療法はその医者が言ったものしかないものだと思い込み、素直に治療を受けました。しかしその後、別の治療法があったことを知り、後悔したことがありました。
患者は医者の言うことを鵜呑みにせず、不安要素がある場合は質問をし、自分で熟考してから判断を下す必要があるということを改めて考え直すことができました。
今回初めて「ドクターショッピング」という言葉を知りました。そしてこの言葉が生まれたのは現代の医師不足が原因の一つだと思いました。医師不足であれば、医師一人あたりが持つ患者数も増えるわけで、医師の負担が大きくなり患者一人一人とちゃんと向き合うことが難しくなると思います。しかしそういった中でもちゃんと患者一人一人と向き合えることができている医師が信頼され、有名になっていると思います。けれども、そういった医師は一握りであり、必ずしも私たちが出会えるとは限らないのが現実です。医師不足の解消、そして医師の質の向上が非常に求められていると今回の記事を読んで感じました。
私はどちらかというと、病院にはよく行く方です。小さいころから通っている所は家族ぐるむでお世話になっている病院で、先生も薬剤師の方までも私の名前を覚えてくださっていてとてもよくしてもらっています。診察や薬に関しても不満をもったことはありません。埼玉に引っ越してきて近くの病院に2回ほど行ったのですが、やはりどうしても地元の病院と比べてしまいます。診る患者の数も多いのだろうとは思いますが、先生との距離が遠いように感じてしまうのです。都会と田舎との差もあるとは思うのですが、これでは患者が医者やその診察に不信感を抱いてしまうのも無理はないのかな、と思ってしまいました。もっと医者と患者とが親密に関わりあえるような病院のあり方が必要なのだと思います。
私はどちらかというと、病院にはよく行く方です。小さいころから通っている所は家族ぐるむでお世話になっている病院で、先生も薬剤師の方までも私の名前を覚えてくださっていてとてもよくしてもらっています。診察や薬に関しても不満をもったことはありません。埼玉に引っ越してきて近くの病院に2回ほど行ったのですが、やはりどうしても地元の病院と比べてしまいます。診る患者の数も多いのだろうとは思いますが、先生との距離が遠いように感じてしまうのです。都会と田舎との差もあるとは思うのですが、これでは患者が医者やその診察に不信感を抱いてしまうのも無理はないのかな、と思ってしまいました。もっと医者と患者とが親密に関わりあえるような病院のあり方が必要なのだと思います。
病気やけがのとき患者は医者に頼り、医者の言うことを信じるしかできないのに、医者が患者をいい加減に診察したり治療したりすると患者は非常に困ることになる。専門知識を持たない患者たちにとって、医者の言葉は絶対的なものとなってしまう。医者は、患者のひとりひとりと向き合って丁寧に接していかなくてはならないと思う。患者も、医者の言うことをすべて丸のみにするのではなく、不明な点や納得できない点をきちんと医者に尋ねることによって、医者と患者の間に信頼が生まれてくるのではないかと思った。
私は昔からあまり病院などに通うことはなかったので、ドクターショッピングという言葉はこの記事を読んで初めて知りました。
病気などを知った患者が不安になりさまざまな方法で治療法を探すのは当たり前だとは思います。これからは、高度な医療技術の発達や情報の氾濫で患者と医者との信頼関係は今まで以上に重要になってくると思いました。
私はドクターショッピングをしたことがありません。しかし、医師にたいしての不安がゆえにそれをしてしまう人たちの気持ちはわかります。
このような現状を防ぐためには医者と患者双方のコミュニケーションが大事であると思います。具体的には、患者は疑問に思ったことを医師に聞き、それに対し医師は患者が納得いくような返答をするなど…。
そうすれば患者の不安も消え、医師にたいしての信頼がうまれ、このようなことがなくなると思います。
治療するだけでなく患者を安心させることも、医師としての大切な役目であると思います。
ドクターショッピングという言葉の発想に驚いたのもありますが、医者の対応にも驚きです。私が生来医者にかかったのは、小学校一年生の時に左足の脛の肉がえぐれた時と、大学に入ってから合宿前に風邪をひいてしまいしぶしぶ行ったぐらいしか記憶にありません。私の家庭がもともと医者に出来るだけ頼らない風習なのですが、機械のようにしか対応できず臨機応変に判断できない医者がそこかしこに居るという事実をこのブログで改めて確認できました。
患者は医療の素人だ。そんな患者にとって医師は神様のような存在である。だから患者が病気になった場合、医師に頼るしかない。信じるしかない。しかし、医師の診断が信用できなかったり、誤った診断を受けた経験があると医師を信用できず、ほかの医師を訪ねる。
ドクター・ショッピングが起こるのは当然だろう。現代は、患者が少しでも納得した診断を受けるために医師を選ぶ時代なのかもしれない。
日本は一人当たりの年間通院数が世界で一番多いと聞いたことがあります。このことを知った時は、日本人は心配性なんだなとおもっただけだったが、ドクターショッピングのような問題も原因なのかのかもしれない。十分な治療を受けられず、手当たり次第に病院を探していく。医師にとっての専門外の症状というのは仕方のないことであるかもしれないが、病院同士や医師同士で連絡をとりあい、患者がさまようことのないような環境を作ってほしいと思う。時代がすすむにつれ医療はちゃくちゃくと進歩していっているが、これを活かす場をきちんと整備してほしい。
ドクターショッピングという言葉を初めて知りました。
私はドクターショッピングが起こるのはある意味当然なような気がします。医師といえど人間なのですからミスや誤診があっても不思議ではないです。
加えて医師や看護師の長時間労働など医療機関の疲弊が取りざたされる現状が人々の不安に拍車をかけているのではないでしょうか。
しかしいつまでも疑っていても病は治りませんから、やはり最終的には信頼関係というところに落ち着くべきなのではないでしょうか。
ドクターショッピングという言葉を聞いたのは初めてでした。しかしこのブログを読み、私はつい最近ドクターショッピングのようなことをしていたと気付き、驚きました。私はケガをして、3か所の病院に通いました。1回目に行った病院での診察結果があまりにもショックで、他の病院に行ったとろ、全く違う診断をされたためです。私としては2回目の病院の診断を信じたかったのですが、正反対の結果だったため、さらにもう1か所の病院へかかりました。
医者の診断が100%であることは決してないと思います。病院での診察は命にかかわる、とても大切なものなので、全てを信じ込むのではなく、たくさんの意見を聞いて検討してみるのも大切なんだと感じました。
ドクターショッピングという言葉は知りませんでしたが、自分も同じような経験をしたことがあります。
中学生のころ、足を部活で痛め、家が近いからという理由である整形外科に行きました。その時の診断結果はただのねんざでした。しかし1、2週間たっても痛みが引かないので部活顧問のすすめで違う医者に行ってみると骨折していて、さらに悪いことに骨が変な形でくっつきかけていました。幸い問題のないくっつきかただったそうですが、万が一のことを考えるとゾッとします。
今となって思い出してみるとレントゲンもとらないでただのねんざだと断言した医者に憤りを感じます。
このようなことがないよう医者には責任を持ってもらいたいのは当然ですが、患者側にもそれなりの知識や、ただ一人の医者だけを信じるのでなくセカンドオピニオンなども必要だとこの記事を読んで思いました。
僕はこの記事を読んで「ドクターショッピング」という言葉を初めて知りました。
「セカンドオピニオン」は高校生で習いましたが・・・。
僕は、小さい頃に高いところから飛び降りて足を痛め、最寄りの開業医を訪ね、その病院では「骨に異常はない」と言われましたが、何日経っても痛みは引かず、大きな病院の診察を受けると「折れてますね」と言われた経験があります。
患者の立場からすれば医者という存在はその道のプロフェッショナルであり、ある程度の信用を抱いています。おそらく医者もその自覚があるでしょう。しかし、「ドクターショッピング」という傾向が出てきたということは、信用を感じられない医者が増えてきたことの表れだと思います。この記事を読んで、医者の皆さんはこのことに少しでも恥を感じて患者に接してくれることを期待しています。
医療関係に携わる人々は、患者に対して曖昧な返答や診断はいっしてはいけない。その曖昧な診断が患者の不安を煽り、たくさんの情報が行きかう中でどんどん症状の深刻さに追いつめられる。患者を精神的に追いつめてはいけないし、そのためにも医者は患者を安心させることに努めてほしいと思う。
私は、ドクターショッピングの経験はないが、医者に謎の症状といわれ、3件の病院を転々とさせられたときは不安でしょうがなかった。医者はもっと安心させるような診断をしてほしいが、ただ無意味な検査や治療をしようとするのもよくないと思う。
患者と医師は、もっと深い関係になり、互いに信頼関係を築くようになると、ドクターショッピングという行為は少なくなると思う。
ちゃんとした治療を受けられてよかったですね。
私は今までに病気などにかかって病院のお世話になることがほとんどなかったので、このブログ読んでいい医者にめぐり合うことが難しいってことを感じることができました。
わたしも他の方々と同様に、ドクターショッピングという言葉は初めて耳にしました。
診断や治療は自分ではできないことだし、患者の身としては、命がかかっているのだからしっかりとした処置を受けたいと考えるのは当たり前なことだと思うので、ドクターショッピングのようなことをしてしまうのはしょうがないことなのかなと思いました。
医療従事者は、それなりの動機があってその職に就いたのだと思うので、患者に不安を与えないように、職の責任を果たしてほしいなと思いました。
わたしたち患者は医療の知識があまりないため、医師の言葉を信じるしかありません。だから、いいかげんな医師に診断されてしまっても気が付かない恐れがあります。
そのようなことを回避するためには、今回の記事にあるように、少しでも医師の診断に納得がいかなかったり、疑問が残ったら他の医院にも診断を求めることが必要なのですね。
こう考えると、今の医療現場は恐ろしいです。
自分も実際に医師への不満は多くあると思います。
自分では診断できないから医者に診断を任せるのですが、医師はあまり良くみないで病状が何なのかを言います。それでは不安になってしまいます。
しかし、医師にとっては自分以外にも多くの患者を診なければいけないので、簡単にすませたいのでしょう。
こういった患者と医師の差がさらに不満を大きくさせると思いました。
私は、2年ほど前から首を後ろに深く曲げると、痛みが走ります。
当時、受験期であったので、それからくる疲労や肩凝りが原因であろうとに、整形外科で診断されました。しかし、大学に入ってもいっこうに治る気配がありません。一度、整体師に見てもらったところ、頸椎が少しずれていると診断されました。そして、そのことを整形外科医に相談すると、頸椎はずれていないと否定され、そのくせに首に痛みがはしることについては「いつか治るだろう」というあいまいな返事しかくれません。
医者という存在は僕ら素人にとっては、とても大きな存在です。ですから、もう少し親身になって接してほしかったです。
この記事を読んで自分にも似たような経験があることを思い出しました。小学校の時足を捻り学校で薦められた隣町の接骨院に行きました。そこにはレントゲンは無く、診察の結果は捻挫でした。そしてその病院で電気治療を2週間行いました。しかし、腫れが一向に引かず、不安になって、大きな病院に行きレントゲンを撮ると、結果は骨折でした。やはり、病院は患者が選んで行かなくてはいけないのだなと思いました。
この記事を読んで自分にも似たような経験があることを思い出しました。小学校の時足を捻り学校で薦められた隣町の接骨院に行きました。そこにはレントゲンは無く、診察の結果は捻挫でした。そしてその病院で電気治療を2週間行いました。しかし、腫れが一向に引かず、不安になって、大きな病院に行きレントゲンを撮ると、結果は骨折でした。やはり、病院は患者が選んで行かなくてはいけないのだなと思いました。
私は「ドクターショッピング」という語を始めて聞きました。自分も骨折したとき初めに行ったところはレントゲンも撮らないで捻挫だねと言いましたが、違うところにいったら折れてました。
各医者は非常に優秀だと思います。しかし医者が多すぎて誰を選べばいいかわかりません。
医者のなかにもいいかげんな人はいるでしょう。だから他の医者にも相談する「セカンドオピニオン」はとても必要なことなんだと思いました。
それか自分が一番信頼できる医者を探すべきだと思います。
私自身にも先生と同じように1と2に当てはまり、二か所の病院を交互に通って治療をしたことがあります。というか今もしています。私の場合は部活のけがで肩を痛めました。最初は水平以上に肩を上げられないほど痛みが出て、近くの整形外科に行ったのですが、そこでの診断の「打撲」が納得できず、かつ試合も近いので不安になって、高校の時に世話になった総合病院に行きました。しかし、そこでも診断は「打撲」。正直もう一軒まわろうかな、とも思いました。ただ、私は親からお金をもらっている立場なのであまりお金を使ったらマズイという考えで、そこであきらめました。
実際問題として医者の判断が甘いのではないかと考えてしまう自分がいるのがとても嫌です。自分よりはるかに知識のある人を疑ってどうしたいのだろう。そう考えつつも二か所の病院に罪悪感を持ちながら通っていました。ただ今回のブログで医者の不手際も明るみになったようなので、判断しにくくなってしまいました。やはり、信用に足る医者を自分で見つけた方がいいのか、と以前にテレビでやっていたことを思い出しました。自分と医療の関係の大切さを知ることができて良かったと思いました。
自分も同じような経験で、小学生のときに右手の指を骨折したのですが、最初に診てもらった病院ではレントゲンも撮らずにただの突き指と診断され、その日のうちからリハビリのような治療が始まってしまい、おかしいなと思い、違う病院へ行ったところ骨折だと判明しました。
私たち一般人は医者のような専門知識をもっていないため、医者を信頼することで治療というものが成立します。しかし、このように間違った診察を行う医者がいるということで、実際問題、ドクターショッピングやセカンドオピニオンは非常に重要なことに感じます。
ぼくは、医者を転々とあたることをドクターショッピングということをこの記事を読んで始めて知りました。
こういう問題が日本各地でおき、たくさんの命がなくなっているということはニュースで拝見して、知っていました。
この問題は早期解決を願いたいのですが、医療器具の数の問題や医者の人手不足など多くの問題をかかえているため、ぼくたちが思っているほど簡単に解決できる問題ではないようです…。
私たち一般人は医師のような専門知識をもっていない。そのため、医師を信頼することで治療を行うことができると思う。しかし、医師も間違った診断をしてしまうことはある。そういう面では、セカンドオピニオンやドクターショッピングは重要である。
しかし、患者が、症状を過大に案じ、どんな診断も信用しなかったり、テレビから手に入れた知識で医師に意見するというのはいかがなものだろうか。
私は今までドクターショッピングという言葉があることを知りませんでした。医者は患者にとっては大きな存在であり、その医者が口にする言葉を患者は疑いもせず信じます。なので、医師は患者に対して責任を持ち患者が不安にならないようにし、患者は医師を信頼して治療を受ける。このような形になるのが理想的ではないかと感じました。
私たちは病気、または、怪我をした時に信頼するのは医師である。
日常、当たり前のように思っていましたが、よく見つめてみるとこの行為は危険を含んでいるものだと再認識しました。いくら医師(専門家)であるとはいえ、人間である以上「絶対」は有り得ないし、自己中心的な考えが介入してくるはずです。実際に、医療ミスだって行われる上に、そのミスを己の地位と資産のために隠蔽したりすることもあります。
患者から信頼されるという立場にいる以上、「患者が満足できるような対応をしよう」という積極的な意識が、現在の医師には必要なのではないでしょうか。
「ドクターショッピング」という言葉自体は初めて聞きましたが、実際自分は似たような行動をとったことがあります。
顔面に痛みを感じて、母に指摘されて虫歯だとわかり、すぐに近くの歯医者に行きました。どうやら親知らずが初期の軽い虫歯になっていたようでした。「簡単な治療で治るよ」と言われ、歯の磨き方を指導されてその日は帰りました。帰宅後、両親になんで抜かなかったかと聞かれ、答えに窮しました。歯医者では抜くという選択すら呈示してもらっていなかったのです。
翌日、別の歯医者に行くと今度は「少し削れば簡単に治るけど、また虫歯になるかもしれないから抜いてもいいんじゃない?」と言われ、悩んだ挙句、何度かの通院の後、虫歯ですらなかった反対側の親知らずも抜いてしまいました。
今では正しい選択だと確信しています。
きっかけになったのは「抜かないならまた虫歯作っておいで。何度でも治してあげるよ」という冗談めいた医師の言葉でした。
最初に行った歯医者は診断を間違ったわけではありません。ずっと小さいときには何度かお世話になった歯医者さんでした。
でも、コミュニケーションは確かにありませんでした。
会話は安心を与えてくれます。信頼のためにも、コミュニケーションは大事だな、と痛感した一件でした。
「セカンドオピニオン」だけでなく「ドクターショッピング」という言葉があるのには驚きました。この2つの言葉が使われるようになった背景には今まで医師に受動的に診察を受けていた患者の自ら治療を選ぼうという意識の変化がみえます。高度な知識を要する医療現場においてはどうしてもその知識をもつ者だけに頼りがちになってしまうのでこの意識は非常に大切なものだと思います。
ですが、いくら患者が自分に合う、納得できる医師を探すためドクターショッピングをしてもそれにこたえられる医師がいなかったら何の意味もありません。患者側の意識が高まっているいま、医療関係者側ももっと病院同士で情報交換をしたりなどできることがたくさんあるのではないでしょうか。
私はこのブログを見てドクターショッピングという言葉を初めて知りました。
自身が病気になったとき医学の専門知識を有している医師を信頼するのは当然だし、医師は患者に対して適切な治療を施すのも当然である。
それなのに患者が医師を信じなくなったのはどうしてだろう。
人の命を預かっている医師はやはりもっと責任をもって診断・治療をすべきで、患者もそれに応えて医師を信じることが大事だと思います。
先生のこのブログを見て、初めてドクターショッピングという言葉を知りました。
このドクターショッピングという現象は病院や地域ごとに医療のレベルが違うことによって生じているのではないかと思いました。
今の時代は医師だけではなく、マスコミや政治家など頼られなければいけないのに信じられないものが多いような気がします。
一体何を信じればいいんでしょうね。
こんばんは。
宗澤先生の講義を受講しているものです。
私は、医師の診断に納得のいかないときはしばしば、ドクターショッピングをします。私は、自分の納得のいかない診断をされた時は、どんどん他の医者のもとへ診察を受けに行くべきだと思います。
私は以前に、腰が痛くて病院に行ったが、異常はないと言われ、どうしても変だと疑問に思い、他の病院で診察を受けたら骨に異常があったといったことや、もう治らないと診断された筋肉のけがが他の病院では、リハビリをすれば治ると言われたことというような経験があります。
医者だって、人間である限り、診察のミスをすることはあると思うし、診断結果によって、病は気からというように、けがや病気の治り具合や治る速さは変わると思うので、やはりドクターショッピングは積極的に行うべきだと思います。
このブログを読み、医者によってこれ程診断結果が変わるものなのかと驚きました。いかに「医者」という権威を振りかざしているだけで中身のない医者が多くいるかという事実を再確認させられました。
なぜこのような医者が多いかについて考えてみましたが、医者としての知識はあるものの、医者という地位に満足しているためその知識を十分に生かせていない、つまり「患者を救いたい」という医者の根本的な姿勢が失われているためであると私は思いました。
病院は医者としての知識を振りかざす場ではなく「患者を救う場」であるということを忘れては医者は医者ではなくただの知識人です。その根本的なことを医者という立場の人たちは再確認してほしいと思いました。また、患者側もこのような現実を理解し、自分自身で判断する能力を養わなければならないと思いました。
私も高校生のときに入院する過程にもこのようなことがありました。最初は近くの総合病院に通院してたのですが、病気は治らず、ますますひどくなる一方だったので、もっと大きな病院に行って診断してもらうとすぐに入院するように言われ、結局手術をしました。
これを経験してからは簡単に医者の言葉を鵜呑みしないように心がけるようになりました。
医者も人間なので間違えることはあると思います。しかし、医者という高位な職業に就いているためにプライドが高いのか、わからないことを知ったかぶりして全く異なった処方をしたり、間違いを簡単には認めなかったりすることは、罪だと思います。
命を守るはずの医者がこのようなことでは良くないと思うので、少しでもなくしていってほしいです。
このブログを読んで、はじめてドクターショッピングという言葉を知りました。医療機関を他へ移すという同じ行為でも、その行為が持つ性格によってドクターショッピングとセカンドオピニオンは区別されることがわかりました。
私の経験上、ほとんど病院にお世話になったことがないので、ドクターショッピングもセカンドオピニオンもしたことがありません。
私がドクターショッピングを知るまでは、もし大きなけがや深刻な病気にかかっても、医師の言うことを一度も疑わずに簡単に信じることができたと思うのですが、ドクターショッピングを知ってしまったので、これから病院にお世話になることがあれば多少なりとも医師の言うことに不安を抱きそうな気がします。でも、医師の言うことをそのまま信じて後悔するより、少しでも疑問があればドクターショッピングをすることも大切であると思いました。
教授、心中お察し申し上げます。大変でしたね。
今、医療の現場では何が起きているのでしょうか。医師不足による疲弊。医療技術の進歩に伴い専門分野が細分化され、横の連携が取りにくくなっている、というところまでは想像に難しくありません。
しかしそれ以外に、何か医療機関側にも大きな「ひずみ」が生じてきているのでしょうか。
先日、国からの通達で病院内に「患者様と呼びましょう」というポスターが貼られることになったという話を耳にしました。医者を何だと思っているのか、と憤りを感じました。医療を市場の原理に完全にゆだねてしまおうとする、国の意向、その臭いがしないでもありません。
医療を市場の原理に乗せる、これは言い換えれば、低コストでハイパフォーマンスを提供する医者を、消費者が選びとっていく、ということです。
ドクターショッピングという現象は、こういった動向を象徴しているということができるのではないでしょうか。
「セカンド・オピニオン」という言葉は知っていたのですが、「ドクター・ショッピング」という言葉や意味はこの記事を読んで初めて知りました。宗澤さんの体験談が書かれていましたが、いい加減な診断や説明をする医師に憤りを感じます。一体どういうつもりなんでしょうね。こちらは真剣に病気ではないか、治療方法はないかと探しているのに…。
医師だからと言って、全てを信用してはいけませんね。疑いすぎてもいけませんが、少しでも引っかかりを感じたら他の医師に相談するべきだと学びました。医師の診断に納得が出来て、信頼できる方に出会うことが必要ですね。
ただ、自分に医療の知識がないので、「あぁ、そういうものなのかな?」と受け入れるしかない状況になってしまいそうです。なるべく鵜呑みにせず、自身でも少しは調べたりすることも必要だなと感じました。
私はドクターショッピングという言葉を初めて聞きました。意味をこのブログで読んで納得しました。
現在はインターネットなどもかなり普及していて、自分の該当しそうな症状なども簡単に知ることができ、また、その病名などもわかります。だからこそ、医師の下した判断と自分が思っていた病気と違えばなかなか納得できず、違う病院に行き、違う医師に診てもらうといったことが多発してしまうのでしょう。自分も体に不安を抱えていて病院に行きましたが、結局症状は改善されずそのままです。その場では納得してしまうのですが、たいてい、後々後悔してしまうのです。
やはり、医師は知識を持っているのでいろいろな可能性を考えたうえで診断するのでしょうが、ひとつに絞るのではなく様々な可能性を提示してほしいものです。
私はドクターショッピングという言葉を初めて聞きました。意味は明快でよくある話ではないかと思いました。私は、小学校のころから野球をやっています。スポーツには怪我がつきものですから、何かあったときには病院にいくことがあります。そこで診断を受け、安静にしておけとか湿布をもらったりしますが、あまり回復が見られずほかに当たることがよくあります。
また、最近は接骨院や整体が多くありますがどれが自分に合った治療をされているのかはわかりません。一回の治療で治るわけではありませんが、良くならないこともよくあります。
私の高校の同級生には医者希望の人も多く、医学部に進み、医師を目指す人もたくさんいます。ぜひ、藪医者ではなく、多くの人に信頼される医師になって欲しいです。
ドクターショッピングというという言葉は初めて知りましたが自分にも似たような経験があったことを思い出しました。
幼児期に地方の小病院において風邪と診断されたものが実は肺炎だったという際の経験です。
確かに医療従事者の供給する医療サービスは患者の求める医療サービス基準に達していないことは否定できない事実であるとは思います。しかし、元来医療とは医療従事者に放り投げられるものではないと私は思うのです。
これだけ情報の簡単に得られる時代になれば病について治療はできなくともある程度の知識を得ることはできます。
昔は各々の判断・伝統によって治療されてきた側面もあるのですから、患者の意識の低下と言うものもあるのではないかと思います。
ドクター・ショッピングというこの問題を解決するためには医療従事者と患者の両方の意識向上が必要なのではと私は考えます。
自分の身体を大切に思う気持ちから、納得のいく診断を受けるまでドクターショッピングをすることは自然なことだと思います。しかし、医師の診断が事前に調べたインターネットの情報と違うからといって病院を変える行為は信頼すべきものの判断を誤っていると思います。ですから医師は患者に信頼してもらえるような丁寧な医療サービスをしていかなければならないと感じました。
このドクターショッピングという現象が起きるのは仕方のないことであると思います。私たちが病院に行くのは、自分の体に異変が起き、それに対する知識がなく、その原因や対処法が分からないためであるからです。この現象を解消するためには、医者が病気の症状だけでなく、どれだけ患者の気持ちを理解し、その苦しみを和らげてあげられるかが重要だと思います。適切な処置と、思いやりのある診療を行うことができる人間だけが医者になれるべきだと思います。
私は昔から肌が弱く、いきなり鼻の周りが赤くなったりすることもありました。その際、病院から貰った薬をつけたのですが、親に「さらに悪化しているんじゃない?顔全体が腫れているよ」と言われました。その当時私は中学生だったのですが「医者がくれた薬をつけて症状が悪化する訳ない。一時的なものだ。」と思い、薬をつけ続けました。結局は快復しなかったので、ほかの病院にいくことになりました。その病院の医者に「完全に薬負けしているよ」と言われ、ショックを受けたことを覚えています。
この経験から、医者の言うことはなんでも鵜呑みにするものではないと学びました。だから、もし医者の診断に疑問・不安があるのなら、ドクターショッピングを行うのもありだと思います。自分のことだから自分から積極的に行動する必要があると思いました。
ドクターショッピングのような行動を患者がとる理由は、医師から患者への説明が不足していることが最も大きいのではないかと考えます。なぜならば、患者は自分の苦しみの原因を明確にしてもらいたいわけですから、「おそらく」や「でしょう」だけで具体的な数値や前例が示されない推測では納得できるわけもなく医師への不信感が増すのだと思います。これからの医療にはカルテではなく患者と向き合った診察を期待したいです。
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