中心性網膜症って何だ?
今年の2月中旬から私の左眼は中心性網膜症を患っています(3月4日ブログ参照)。疾患の「正式名称」は「中心性漿液性網脈絡膜症」と言うそうで、簡単に言えば、眼底の中心部に水脹れができたことによって、焦点があわない、像が歪む、そして色が滲むなどという視覚の困難をもちます。
格子上の私の実際の見え方をあらわすと、次の図2のようになるのです。
図1 正常な像 図2 現在の私の左の像
しっかりとした医学的検査によって、この疾患であると確定診断が下された場合には、失明の恐れもなく「さほど心配は要らない」「3~6ヶ月くらいで治癒することが多い」という医学的な解説が目立つように思います。
しかし、生活の側から疾患を捉えた記述がほとんどないことには憤りを覚えます。つまり、この疾患のもたらす生活上の不自由・不利益・困難、つまり障害についての理解があるのかどうかが疑わしい。世の中の「くたびれたオジサン」を代表して(?)、ここは健康で文化的な暮らしを守り発展させる立場から一言、私の体験している事実とそれにもとづく主張を発言すべきであると考えました。
次の写真をご覧下さい。言うまでもなく写真2が私の現在の左眼の見え方です。実際は、通常は両目で見るのですが、たまたま私の利き目は右眼であるため、右眼で見ている通常の像が優位に頭で認識されています。とくに距離のある対象を眺める分には、左眼が頭の中では「ぼやっ」と死んだような像である苛立ちを覚えはしますが、さほど実用上の困難はありません。
写真1 正常な見え方
写真2 現在の左眼の見え方
生活の実用上で最も困難を感じるのは、近距離の対象で、細かい視覚的識別を必要とする場合です。 それは、(1)紙媒体の文書・資料を読むとき、(2)本棚の図書・資料を探すとき、(3)スーパーやドラッグストアで買物をするとき、(4)パソコンでクリック操作が必要なとき、(5)一眼レフカメラのファインダーを覗いたとき、(6)車の運転中の道路標識の識別、(7)暗がりで階段の縁がしっかりと分からない等がそれです。
このうち(1)と(4)については、左眼を手の平で覆ってしまい、右眼だけで識別する方が時間・労力の効率と、イライラしない点でもっともいいようです。しかし、これはこれで夕方辺りから右眼の眼精疲労が溜まり、ジーンとした鈍痛におそわれることになります。
(2)と(3)については最悪です。右眼だけで対処しようとすると、視野の範囲が限られるためイライラし、両目を開けると歪み切ったムンクの「叫び」のような左眼の像が邪魔になってさらにイライラしてしまい、何ともしようがありません。本棚やスーパーのディスプレイの前に立つと悪酔いしたような気分になります。
(6)と(7)については、通常よりも安全に十分注意するくらいしか手はありません。
これらは明白に疾患による生活上の不自由・不利益・困難です。自分一人の自己管理や自己努力で克服しようなどと考えるほど、私は19世紀的で野蛮な人間ではありません。仮に半年間の不自由に限られるにせよ、私の現在の困難にふさわしい支援を実施するヘルパー派遣とタクシー券が公的に給付保障されて然るべきでしょう。
さて、大学の廊下でY先生とすれ違いざまに「僕は中心性網膜症にかかりましたね」と声をかけると、「実は僕もそうなんだよ」とおっしゃるのです。私は、このような疾患を聞いたこともなかったし、周囲にこの疾患の患者がいることも全く知らなかったため、一瞬「当事者」に出会えた喜びに打たれました。
Y先生は次のように続けました。
「はじめはびっくりしたでしょ。僕なんか、色の滲みがひどかったから10円玉と100円玉の区別さえつかなかったくらいでしたね。キャンパス内に患者さんはいっぱい居るらしいよ。A先生もそうだっていうし、あっそうそうB先生もそうだっていってたかな」
「僕なんか、かかってから5年間たっているけれどずっと治らなかったからね。疲労とストレスが原因なんだから、俺たちみたいな仕事している限り結局直らないんだよ。宗澤さんも早いことあきらめた方がいいよ。五線譜(楽譜のこと)なんかみたら、もうぐしゃぐしゃだからね」
(なお、Y先生は、音楽がご専門で、学部の要職についておられる多忙な方です)
このとき私は、「当事者に出会えた喜び」を通り越して、「障害の受容」における「否認の段階」、つまり「俺はYさんと違って治してみせるからね、安易に同類にされちゃ迷惑なんですよ」と見苦しくもじたばたしてしまいました。嗚呼。
このY先生の話を大学病院の医師にぶつけてみると、「まあ、1年以上慢性化してしまうとか、一度治ったかと思えば再発してまた数ヶ月という患者さんも珍しくありませんね」とこれまた涼しげにおっしゃいます。それだったら、わが国の悪しき伝統である「病状の固定化を要件」とする障害概念にもきっちりとおさまるじゃないか!
賃金・賞与の10割支給を前提条件とする半年間程度の療養休暇と、実情にふさわしいホームヘルパー・ガイドヘルパー・タクシー券等がそれぞれ制度的に保障されるというのが、不況といいながらGDPをここ10年間500兆円で維持してきた経済大国の責任ではないですか。
コメント
僕は今まで中心性網膜症にかかったことどころか、聞いたことすらなかったので正確にはつらさを理解できないと思います。しかし、片目だけの不自由というのは、少しわかります。
僕は両目ともコンタクトをしているんですが、たまに片方だけポロッと落としてしまうことがあり、もうそうなってしまうと距離感もうまくつかめないし、視界が狭くなり、そしてなにより目が激しく疲れます。
僕は大体家に替えがあるので数時間で済みますが、何ヶ月も続けていかないのはかなり大変だと思います。 月並みのことしかいえないんですが、治るまでの数ヶ月間がんばってください。
同じ視覚疾患の斜視の観点からお話しします。
私は幼少時より軽度の斜視を患わっていますが、斜視は手術によって治り、重度でなければ生活に支障はないといわれている疾患です。
しかし、この生活に支障がないという医者の考えに大きな疑問があります。
私は体育の授業などでボールが飛んできたとき、その方向に手を伸ばしてもボールに触れられません。距離によって異なりますが実物の位置が見えている位置とテニスボール一個分ほど右にずれているそうです。
これでは何か飛んできたときにとっさの対処によっては大怪我をするかもしれません。
いったい何を根拠に支障がないと言うのか私には理解できないのです。
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