クレパスでの条例づくり学習会
この2月19日、さいたま市中央区にあるNPO法人自立生活センタークレパスで「誰もがともに地域で暮していけるノーマライゼーション条例(仮称)」に関する学習会が催されました。ご多忙な中、学習会を開催し、私を講師にお招きいただいたことに深くお礼申し上げます。
写真1 クレパスでの学習会の様子
さいたま市の条例づくりは、ようやく街の中で多くの当事者・市民のみなさんとともにつくっていく段階に入っています。さいたま市の条例づくりは、千葉県が2007年に施行した「障害のある人もない人もともに暮しやすい千葉県づくり条例」の先例を踏まえ、かつ障害者の権利条約のわが国における批准と障害者自立支援法の廃止から新法制定への動向を見据えて行なわれているものです。
しかし、「誰もがともに地域で暮らす」ことを目指す条例といわれても、それだけでは抽象的でピンと来ないのは当然かもしれません。その上、「ノーマライゼーション」という言葉は、政策側から運動サイドまでが多義的に(場合によっては恣意的に)使われてきた経緯がありますから、なおのこと分かり辛い点があると思います。
写真2 熱心に聴き入る皆さん(中央は、見方さん)
そこで、これまでの条例制定検討専門委員会の議論やシンポジウムの内容を総括しながら、条例のめざすもの、条例のフレームワーク、そして条例づくりの手順等についての学習会をクレパスのみなさんとともに持ちました。
私がお話した主な内容は、末尾にある資料どおりです。
学習会に参加された方々は、難病を含む多様な障害のある方に加え、NPOぴあ・ぱれっとの職員でした。みなさん真剣に私の話に聴き入っていただき、質疑応答にも熱がこもりました。
「条例のことと条例づくりの体制のことがよく分かった」、「制度の狭間を生んでいる障害規定の問題を何とか改善したい」、「条例づくりの100人委員会にぜひとも参加しようと思った」などの感想を頂戴しました。
この条例は、一部の人の熱意からつくることのできるようなものではありません。ましてや、特定の人たちの手柄に帰結にするような形でつくるものでもありません。できるだけ大勢の地域の人たちが、「歩調を合わせて」議論を重ね、市民の力で、市民の手柄としてつくる以外に手立てがないと言い切ってよい条例です。
写真3 真剣な学びが
すでに条例の必要を自覚されている方たちは、すでに熱く声も出されています。それと同時に、権利侵害の只中に身を置いてなかなか声を出せない人たちもたくさんおみえになることと考えています。そこで、すべての意見表明権の行使に資する支援の一環として、学習会のご要望があれば、ただちにお応えする用意がありますので、遠慮なくお申し出下さることを願っています。とくに、知的障害のある人たち等の意見表明を支援する取り組みは、今後、市の組織的な取り組みとしても用意していきたいと考えています。
また、3月26日には、クレパスの見方さんたちが障害当事者のみなさんのための学習会を与野コミュニティセンターで企画されており、私が講師をつとめますからふるってご参加下さい!!!
さて、この学習会が終わった直後の雑談で「宗澤さんの単位認定はめちゃ厳しいことで有名でしたよ」と声がかかりました。ぴあ・ぱれっとの職員に埼玉大学の卒業生がお二人おられて、学習会に参加されていたのです。
現在は単位認定に関する「仏の宗澤」を固く自認する私としては、「そんな時代があったっけ」と首をかしげることしきり。
そうです、このような感じで、「昔のさいたま市は暮らすことがめちゃ厳しかった」けれども、しばらくの歳月が経った後に「そんな時代があったっけ」とみんなが思えるようになるための条例をつくっているのですよ。
コメント
3月26日のノーマライゼーション条例学習会に参加致しました朝霧 裕と申します。
15年前、アメリカのバークレイを訪れ、「施し」ではなく「人権」としての障害者の権利を明文化したADA法に感銘し、日本にも、差別禁止法の制定を待ち望んでいるひとりです。
100人委員会や自立支援法廃止後に向けての動向、障害当事者として、声を出すひとりでありたいと思っています。
ご講演、「もっと聞きたい!!」と、感動致しました。
「障害福祉のことを心の底から真剣に考えている人もいるし、上辺だけ考えているフリをしているだけなのに、見識者を名乗っているような人もいる」
など、歯に衣着せぬ軽快なトーク☆
素敵でした。(^▽^)
またお会いできます際には是非ご挨拶をさせてください。
大変貴重なお話をありがとうございました。
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