世代間継承における「希望」と「絶望」
秋から冬にかけて毎年、埼玉大学キャンパスを訪れる鳥たちがいます。彼らは、悠久の時を超えて、北部アジアと日本の間を渡り続けてきました。
しかし、現代の人間は悲しいことにそのように生きることができません。私は今埼玉県に居住して大学に勤めていますが、父は大阪に生まれ育った商社マンで、祖父はといえば、大阪の谷町(相撲界にいう「タニマチ」の語源です)に居を構える生粋の大阪商人でした。「宗澤家の人々」はわが国の近代化において、共通項のほとんどない生き方をしているといえそうです。すると社会変容のスピードがはやくなればなるほど、親や先行世代から何を継承しているのか、戸惑いや「絶望」のようなものが先に立つような気がしてならないのです。
(画像はすべて、埼玉大学キャンパスにて1月17日撮影)
写真1 ジョウビタキ♂
写真2 ジョウビタキ♀
写真3 ツグミ
たとえば、子ども虐待には世代間継承という現象のあることが確認されています。これはまさに「絶望」の世代間連鎖です。大平健氏がペルー社会におけるマチスタの分析を通じて、生活の貧しさと精神病理の世代間継承を論じているように(大平健『貧困の精神病理』岩波書店、1996年)、ネガティヴな事柄の世代間継承はおそらく普遍的な現象なのでしょう。しかし、ネガティヴなものの世代間継承があるのなら、ポジティヴなものの世代間継承も間違いなく普遍的な現象としてあるはずです。たとえば「心根の暖かい両親」とか「コミュニケーション能力の高い両親」の下で育まれた子どもたちが、そのような資質を引き継いでいくようなこともまた広く認められるからです。
それでも、現代は何かにつけてネガティヴなことがらの世代間継承が目立つように思います。このあたりの問題構造について、どのように考えればいいのでしょうか。
社会構造が大きな変化を見せず、安定した平和な状況が続く時代には、世代間継承は先行世代のあり方(社会的役割、家族内部の役割、能力、性格、立ち振る舞い、整容、衣装…)を、次世代が同一視のメカニズムを基軸にして継承していきます。モデリングを基軸にすると言い換えてもいいでしょう。われわれが通念としてもっている、あるいはもちたいと願いがちな家族モデルは、このような世代間継承のメカニズムが発揮されるところです。平たく言えば、「お父さんのような人になりたい」「お母さんのような人になりたい」という願いが子どもたちのスタンダードになりうる時代状況です。
ところが、大きな時代の節目にあって社会が大きく変容する時代には、同一視のメカニズムを中心にするだけでは次世代が育まれることはありません。社会的役割や家族内部の役割、能力や性格等々についても、生まれ育った時代状況の違いについても、それぞれの世代が相対化した上で相互理解を深める必要に迫られます。いうなれば、それぞれの「立ち位置」の違いをわきまえた上での親密な間柄として家族を構成しなければならないことになります。簡単にいえば、家族の構成原理を変えなければならないということであり、ここに「親密圏」という概念が提起されるようになった重要な視点と背景があると考えています。
ここで、時代の大きな変わり目にありながら、従来の家族モデルにしがみつくような場合、次のような問題状況が発生するのではないでしょうか。
1 このような家族モデルの中では、次世代を育むことはできませんから、家族全体が社会の変容についていくことができなくなり、社会からの孤立が進行する<親密圏と公共圏の断裂>
2 家族が外の世界から隔絶することによって、家族内部の情緒的な密度だけが高まり、それが家族愛幻想の肥大化、共依存、強迫的な愛情、高い葛藤感情、見限り等々に帰結する<親密圏の自己崩壊>
このように考えてくると、ネガティヴなものの世代間継承とポジティヴなそれとの分起点となるのは、次の2つでしょう。家族構成員の主体的側面については、「立ち位置の違い」をわきまえて親密な間柄をつくるという視点と能力の必要性であり、社会的な施策面では、家族が孤立せず、親密圏と公共圏のつながりを保つ双方向の、風通しの良いチャネルをさまざまに保障することです。そして、この2点を担保するには、すべての人たちに現代の社会変容の方向や帰着点についてのコンセンサスをはかることが大切になるでしょう。
つまり、新しい時代に向かう社会の方向性と帰着点に合意がほとんどないか不明確であることと、旧い安定した時代の家族原理のまま家族を構成しようとすることが、「絶望の世代間継承」を際立たせているのです。社会変容だけが一人歩きし、家族のあり方がそれについていっていないという摩訶不思議な現象が生じるのは、現在の社会変化に必要な参画とインクルージョンが絶望的なまでに放置されてきたということの証左に過ぎません。
コメント
私も昭和元年生まれの祖父と話す機会がありますが、生まれ育った時代による価値観の違いをよく実感します。
そういうときに、「近頃の若いもんは・・」とか「年寄りは説教臭くて困る・・」とかお互いを否定するのではなく、自分の価値観を相対化し、相手の立場に立って考えることが大切になってくるのでしょうね。
埼玉大学で講義を受けている者です。
先生がおっしゃるように、近年家庭間の虐待や殺人などマイナスな事件ばかりが目立ち、報道でも取り上げられています。私自身、後の絶えない暗い事件を耳にするばかりで非常に寂しい気持ちです。そのようなマイナスな事件が世代世代に反映してしまうという現実が世の中に存在していることも受けとつつも、決してそんなことない温かい家庭があることも忘れてはいけません。
「子は親の背中を見て育つ」と言いますが、本当に深い愛情を注がれた子供が、きっと親を将来尊敬の対象として見るのではないでしょうか。悪さを知らない人間が人の痛みや本当の優しさを知るはずがないとも思います。
世の中にはびこる悪さ・犯罪…その愚かさと事の重大さを伝えられる大人が今特に求められているのではないでしょうか。
埼玉大学で講義を受けています。
まず、今回のブログを見て第一に思ったことは、埼玉大学にもこんなに多くの種類の野鳥がいたんだということです。驚くとともに、自分の視野がとても狭く、周りが全然見えていないということを痛感しました。自分の興味あることだけを見ていたら今回のように気付かないことも多いのだろうし、今までにも、野鳥に関してもそうですが、福祉に関しても気づかず素通りしてしまったことがたくさんあったのだろうと反省しました。
そして、世代間継承についてですが、ブログにもある通りポジティブな面よりもネガティブな面が目立ってしまっています。家庭崩壊が騒がれ始めたことがつい最近と感じていたころからだいぶ長い月日が経ってしまいました。寂しい家庭で幼少期を過ごした人がまた寂しい家庭を築いてしまう…。何ともせつない限りです。
はるか遠く手の届かないような目標ではなく、少しずつでも寂しい世代間継承を食い止めるよう努力していかなければと思います。
そして、もっと視野を広く、様々な分野に関与していきたいと思います。
埼玉大学で受講している者です。この記事を読んで、社会が変容を続けている今、家族の中でも「立ち位置の違い」を踏まえて相互理解を深めていかなければ、家族関係というのはどんどん薄いものとなってしまうような気がしました。
話がそれてしまうかもしれませんが、私は母と就職の話をするときに、時代の違いに困惑することがあります。母が学生の時代は就職に苦労をすることもなく、労働条件や給料も良かったという自慢話のようなことを聞くと、母は自分たちがこれから直面しようとしている就職の問題を本当に分かってはくれないんだろうと思ってしまいます。
親のようになりたくてもなることができない現状を嘆いて事件を起こしてしまう若者もいますし、この「世代間継承」というのは、色々と複雑な面を持っているなぁと感じました。
私自身、様々な世代の人の目線から物事を考えることができるように日々意識して生活しようと思います。
埼玉大学で講義を受けている者です。
24日、「ご飯を食べるのが遅い」などの理由から7歳の長男が両親に暴行され死亡する、というニュースを見ました。このような虐待の事件も最近は増えてきて、報道される度に胸が締め付けられる思いです。ブログにもあるように、現代はネガティヴな事件ばかりが目立っているように思えます。子ども虐待の世代間継承を食い止めるには、虐待を受けた人が、自分の子供には自分と同じ辛い思いをさせたくない、という強い意志を持つことが大切なのではないでしょうか。
少し話がそれてしまいますが、近年では親の威厳が失われつつある家庭も多いと聞きます。いくら親密な関係が良いとは言っても、多少の上下関係は必要だと思います。やはり、「立ち位置の違い」をわきまえた上での親密な関係を築くことは重要なことだと思います。
現代社会における貧困や家庭内暴力などの問題は認めたくないけどやはり強く影響するみたいですね。家庭内暴力をあげてみても常習的なものではなくても親のしつけや体罰が適切ではなかったことにより親に心を傷つけられたり憎んだりするケースがあると思います。特に家庭内虐待の場合はその子供が親になって同じ過ちを繰り返す可能性が高いということがとても悲しい限りです。
人って普段仲が良くてもたった一回のミスで関係が遠ざかったりする場合も多いと思います。肯定的に考えるよりはネガティヴになりがちでそういうのが人間の本質ではないかと思います。人間性悪説、性善説どちが正しいか分かりませんが世代間継承における希望と絶望も同じく共存するものではないかと思います。
埼玉大学で先生の講義を受けています。
自分の子どもへの虐待のニュース、将来を悲観して家族を殺してしまった事件など家族を巻き込む事件が本当に多いなと毎日ニュースを見るたびに感じます。
虐待にあった子どもは「絶対に自分の子どもには同じことはしたくない」と心から思うようですが、結局自分が受けた虐待を自分の子どもへも行ってしまうと知り、そのようなネガティブな連鎖をどうしたら断ち切ることが出来るのだろうかと思いました。
私自身もいずれ母親になるのだと思います。
しかし「虐待を絶対にしない」と言い切れる自信は正直ありません。
だからこそネガティブな連鎖は世代を超えて継承されてしまうのだと自分に言い聞かせて生きていこうと思います。
埼玉大学で講義を受けているものです。
写真に載っている種類とはおそらくまた違うものだと思いますが、私も先日きれいな色のかわいい鳥を見つけました。たとえ忙しくても、そのような美しいものを見て美しいと思う余裕は常に持って生活したいなぁと感じました。
世代間継承についてですが、私は昔から、将来自分の母親のような「母」になりたいと思ってきました。もちろん言い争いをしたこともたくさんありますし、母がすべてにおいて正しいと思っているわけではありません。
ですが、親元を離れて一人暮らしをしてみると家事の大変さも感じましたが、特に、思い悩んだ時に昔母に言われた教訓(教え?)を思い出している自分に気がつきました。何度も救われましたし、やはり母には敵わないなと。ですがいずれ自分が母の立場になるときがくるかもしれませんし、その時に今のように親に依存した生活をしているわけにはいかないと思います。確かに"今"はこれでもいいかもしれませんが、いつ親が倒れるかもしれません。
変わっていく時代の流れを感じながら、"母のように"ではなく、母を超えた母親(大人)になれるように、少しずつでも努力をしていきたいと思いました。
まず初めに、埼玉にもこんなに可愛らしい鳥が居る、ということに驚きました。
小さいことですが、彼らも生きていると思うと、なんだか、少し嬉しい気持ちになれます。
私は、小さい頃から、お母さんに憧れを抱いてきました。今も尚、お母さんみたいになりたい、と思えるのは、ある意味幸せなことなんだな、と切実に感じました。
私は、居酒屋さんで、バイトをさせて貰ってるのですが、其処にくるお客さんで、かなり小さい子供を連れてくるお客さんもいらっしゃいます。「お母さん、早く帰ろう」と言っているのに、ラストオーダーぎりぎりまで居座るお客さんを見ていると、その子の行く末が気になって仕方がありません。
私だって、もうすぐそんな大人たちと同じ歳になってしまいますが、年齢ばかりの「大人」ではなく、良識のある「大人」にならなければいけませんね。ただ、見本が見つけにくいこの世の中に、不安を感じずにはいられません。
私は母のようになりたいと思う時もあれば、絶対にいやだと思う時もあります。なぜだろうと理由を考えるとそれは、時代のギャップに関係していることに気がつきました。時代は変動するものなので、考えが合わないことは仕方ないことなのかなと思います。
しかし、相手を思いやる気持ちなど不変なものもあります。そのようなものは、母から受け継いだように、私も将来受け継いでいかなければいけないと感じました。
埼玉大学で講義を受けている者です。
ブログを読み、改めて家族の在り方について考えることができました。
子供の虐待が世代継承されることには正直驚きました。
人間、自分が嫌なことをされたら、自分より弱い者が現れた時に同じことをしてしまうことは、しばしばあると思います。例えば、自分の経験から言うと、部活で先輩から説教され、後輩が入ってきたら同じことをその後輩にもしてしまったことがありました。また、部活などでいう「伝統」もネガティブな面とポジティブな面があり、後輩への暴力と子供の虐待は似通った部分があるのではないかと思いました。
このようなネガティブな連鎖がなくなるのは難しいと思います。しかし、少しずつでもなくす努力をすることが大切だと思います。
将来自分の家庭を持つようになったら、社会との繋がりを感じて、社会と歩み寄りながら家族の構成を考えていきたいです。
埼玉大学で講義を受けている者です。
記事にも書いてある通り、日本社会全体、ひいては世界全体で現在、景気や治安、国家間の競争・紛争などネガティブな出来事が数多く起こっていることも、「絶望」の世代間連鎖に大きく関係していると思います。
先の見えない社会の中で日々募っていく不安は、いつどこでいかなるかたちで爆発するか分かりません。それが虐待や家庭崩壊に繋がってしまうのではないでしょうか。そう考えると、虐待などを防ぐためにも不安や悩みを打ち明けられる地域の繋がりは大きいと思います。
子どもは親を選べませんので、次世代へのネガティブな世代継承を極力減らすために、そのような社会のつくり、そして個人の心構えが必要だとと思います。
社会の変容に家族の在り方が付いていっていないのはやはり親世代の社会に対する認識に問題があると思います。家族の在り方に大きな影響をを持つ大人の、社会に対する認識が甘いからこその問題であり、親世代が社会の変化を学ぶために、親世代に再教育の場を設けること、生涯教育をさせることがこれからの社会に必要になってくるのではないでしょうか。
埼玉大学で講義を受講しているものです。
最近のニュースを見ると確かに世代間継承や家庭内においてネガティブな面が要因となっている事件や出来事が多く起きていると感じます。
子供虐待をした親は過去に同じような経験をしている。一方で愛情を注ぎすぎてモンスターペアレント化してしまったり過度の期待に応えられず子供が自殺してしまう。もしくはその反動で自分の親に危害を加えてしまう。
親は子の一番の見本になる。しかし、子も加えて広い視野で物事を見ることも大事です。
家族内での関係や立ち位置に個人個人で責任を持つことが必要であると思います。
埼玉大学で先生の講義を受講させて頂いています。
日々の自分の生活の中で、家族の影響を大きく受けていると感じる時が多々あります。そういった中にもネガティブなものの世代継承がもしかして含まれているのかもしれないと考えさせられました。
今後は、自分と家族との関係を考えていくうえで、親しい中にも立ち位置の違いがあるのだという意識をしっかりと持っていきたいと思いました。
また、虐待をしてしまう大人たちが子供との立ち位置の違いがあるのだ、ということに気づくことの大切さを教えられる人が、その大人たちの周りには必要なのだと思いました。
専業主婦で幼児を育てていますが、ポジティブな世代間継承を目指して日々育児をしていても、この子が大人になった時に果たしてこの価値観(我々親が現在よいと思っている事)が通用するのだろうかと思うことがあります。それだけ社会変容のスピードは速く、我が子が大人になった時の社会がどうなっているのか想像がつきません。
また我が家は核家族で夫の帰りも遅く、通常一人で子育てしているのですが、最初の頃はもう閉塞感に押しつぶされそうでした。そんな中で子育て支援のサービスを利用し、公共圏とつながっていることはずいぶんと救いになっています。よく利用している未就園児の集まる広場(公的なサービス)では、職員の方は「昔は○○だった」等の価値観を押しつけるような助言は行わず、現在の孤立しがちな親子の状況をよくわかって話を聞き、遊びの中で子どもの成長を一緒に喜んでくれます。社会変容に即した対応(サービス)には本当に感謝しています。
(子どもが昼寝中に書き込んでいるので文章がまとまらず、すみません)
虐待を受けた子供は大人になってから、自分がされたことを自分の子供にも虐待をしてしまう。こんなにマイナスな世代間継承が最近目立ってきていることは、すごく悲しいことだと思います。
現代では核家族が多くを占め、家族間での親密性も薄れてきていると思います。しかし、ブログの内容でも言っているように、家族間での親密を深めることで、家族内部だけの情緒的密度が高まり社会から孤立してしまうことが考えられます。
どのような時代にも虐待などの問題はあったと思いますが、それが今日目立ってきている原因を考えることが大事だと思いました。
私は、社会の変化と家族のあり方の相違が原因だと思います。
埼玉大学で講義を受けている者です。
確かに社会が変容している今日、ネガティブなことの世代間継承や事件というものが目につくことが多くなっていると思います。子どもの虐待の世代間継承が今も続いている中で、私たちはポジティブな世代間継承をもっと考えていかなければならないと思います。そのためには、親と子どもとの間に親密な関係をつくり、相手のことを考えるという態度を育てていく必要があるのだと思います。片方がもう片方のことを拒絶したり否定することから始めるのではなく、両者が相手の価値観を認めた上で接していくことが、良い世代間継承を生むための第一歩だと思います。そして、それが「立ち位置の違い」をわきまえた親密な関係につながるのではないかと思います。
子どもの虐待の世代間継承のような問題は、簡単に解決できる問題ではないと思いますが、自分が気づいたことやできることから一歩を踏み出すことがポジティブな世代間継承には大切なことではないかと思います。
埼玉大学で講義を受講させていただいています。
ブログの中の、「立ち位置の違いをわきまえた上での親密な関係」という部分が印象に残りました。家族って何だろう、とじっくりと考えさせられました。
大学に入学してから、改めて自分の家族について考えることが増えました。はたして私は家族とお互いの立ち位置をわきまえ、相互理解をしているかどうか、正直なところ自分でもわかりません。しかし、ブログを読んで、そのことを振り返ったり意識したりすることが大切なのだと感じました。
世間で話題になることや、一見難しいテーマも、自分自身の身近なことに結び付けて考えていきたいと思いました。
こんにちは。埼玉大学で講義を受けているものです。
わたしは虐待の世代間継承には驚きました。子ども時代に虐待を受けていた親が自分の子供に虐待をしてしまうというのは虐待を受けてこなかった私にはなかなか受け入れられない事実です。
これでは負の連鎖はどんどん続き、これからも苦しむ子どもがたくさん出て来てしまいます。子どもに罪はないと思います。
こうしたネガティブな世代間継承を縮小することはとても難しいことだとは思います。しかし、私もそうであるようにこうした問題を知っているのと知らないのとでは自分が子を育てる立場になったときに心情が全然違うと思います。まずは多くの人がこうした問題点を認識することが大切だと思います。
埼玉大学で先生の講義を受講している者です。
このブログを見て、埼玉大学にはこんなにいろんな種類の鳥がいるんだということにまず驚きました。普段の生活の中で鳥を見かけても、『あっ、鳥だ!』くらいに思う程度で、その種類まで気にしたことはなかったし、近くで見ることもなかったので、(写真ではありますが)こうやって間近で見ることができて、とても新鮮でした。
この記事の主題についてですが、虐待を受けて育った子供は大人(親)になると自分も子供に対して同じことをしてしまう…というような、ネガティブな世代間継承ばかりが近年目立ってきています。私はそれが悲しくて仕方ありません。そう思うと同時に、目立ってきている今だからこそ、それを改善していくべきだと思います。今まで長いこと続いてきた世代間継承ですから、虐待等ネガティブなものだけを完全になくすのは容易ではないでしょうが、改善の余地はあるはずです。社会的、制度的な改善には国や自治体等の協力が不可欠ですが、私たちにも何かできることがあると思います。ひとりひとり自分なりにできることを見つけて実行していくことが、改善への第一歩となるのではないでしょうか。
私は今まで両親のことを誇りにはできず、模範にしたいとも思えませんでした。昨年4月から一人暮らしを始めてから、やっと家族のありがたみを知ることができました。
もしこのことに気がつけなかったら、私は「ネガティブな継承」をしてしまっただろう、と思います。両親のことを大切に思っていない人を誇りに思い、模範になどとはできないと思うからです。
社会や家族の在り方の変容の中で、虐待やモンスターペアレントなどが問題として取り上げられる時代ですが、私の両親は素晴らしい人たちなのだと思います。
この記事を読んで、「ネガティブな継承」を断ち切るためには、その継承の受け手である「子」にとって人生がそこからがらっと変わってしまうような社会的・精神的な激変が必要なのだと思いました。また、それには一個人の力だけでは足りないと思います。周囲の環境や人が大きな影響を与えるものなのだと感じました。
埼玉大学で受講している者です。
「子供は親の背中を見て育つ」とよく言われます。確かに、両親の良いところ・悪いところを意識せずとも真似てしまう部分は多いでしょう。しかし、両親の悪い部分を見て「こうはなりたくない」と思ったこともあると思います。そのような部分を子供は直していけると思っています。
虐待を受けていた子供が受けた心の傷というものは簡単には癒せないのでしょう。だからこそ、子供が悩みを相談できる環境が必要であり、虐待をしてしまう親の悩みを解消できるような環境が必要であると思っています。人は困った時には、人を意固地にならずに人を頼っていいと考えています。
家族とも社会ともつながりを保つとは簡単そうに難しいことです。このような心が関わる問題を制度で解決することもまた難しいことだと思っています。国や自治体任せにするのではなく、何か小さなこと、例えば、私たちにも話を聞いてあげるくらいなどのことはくらいは出来るでしょう。このような社会と家族の関わりについては、これからも学んでいきたいです。
埼玉大学にこのようなかわいらしい鳥がいることに驚きました。
確かに、木もたくさんあるので、住みやすいのでしょうか。
私は教育学部の生徒なのですが、親子間の世代連鎖について、様々な教育の勉強をするうちに深く考えるようになりました。
自分自身の経験からいっても、親子間での影響というのは、良くも悪くも強いと思います。
また、先生がおっしゃっていたように、悪い影響が目立っているように思われます。
地域コミュニケーションの希薄化に伴い、ますます「親の役割」というのは増加しているように思われます。
私も、親からの悪い影響を受けてしまったな、と思うところがあるので、自分の子供にはこういった思いをさせないよう、しっかりと勉強していきたいなと思っています。
埼玉大学で講義を受けています。
自分自身が虐待を受けていたのなら尚更、その苦しみはわかっているはずなのに、負の連鎖が起こってしまうのは、虐待が修復できないほどの深い傷を残すことを物語っていると思います。
家族に対して「立ち位置の違い」をわきまえることは、甘えの出る部分もあり難しいように思いますが、産まれた年代も育った環境も違うのだから゛わきまえる゛ことは必要であると改めて感じました。
埼玉大学で先生の講義を受講しています。
突然ですが、私は母が小さい時に離婚したため、母子家庭で育ちました。離婚の直接な原因は母と自分たちに対する父の暴力でした。そのような経験から、私は子どもへの虐待などを人一倍憎んでいます。そのため、ネガティブな事柄の世代間継承というものがとても恐ろしいです。自分も子供に対して父親と同じことをしてしまうのではないか、父親と同じに存在になってしまうのではないかと絶望してしまいます。
もちろん、自分が親から継承するポジティブな事柄、希望もあるでしょう。しかし、人が恐れるのはネガティブな事柄の世代間継承、絶望です。私の考えですが、そういうこともあり、世代間継承という現象のあることが確認されてから取り立ててネガティブな面ばかりが取り上げられてしまうのではないでしょうか。
自分が親となったとき、その過ちを繰り返したら我が子にこれを継承してしまうかもしれません。だから、何としても食い止めたいです。この絶望の連鎖を断ち切るのは社会の変化が必要かもしれませんが、絶対あんな風になりたくないなど強く言い聞かせるなど自分なりにできることをしていきたいです。また、そうなってしまっても親のせいにしたくありません。
今回このようなことを考える機会ができて本当に良かったです。ありがとうございました。
埼玉大学で先生の講義を受けている者です。
私は子どものころ父を超えたい、見返してやりたいと思いながら生活していました。
その中ではいいことも悪いこともありますがすべてがよい経験だったなとこのブログを読んで感じました。
しかし、昨今では虐待や親を殺害するなどといった事件が多発しています。
私はブログにもあったように、家庭と外環境、両方の生活圏で暮らしていかなければ有らないと思いました。
それもただ暮らすのではなく、家族といった親密な環境の中で学んだこと、教えられたことをもって他人の集まりからなる外の 世界で、失敗したり、仲間と絆を築いたりしながら自分という自己を形成、人間という生物を理解していかなければないのではと考えました。
私自身、中学や高校と家庭と離れた場所でいろんな人に接し、何がよくて何がいけないのか。自分は周りから見てどんな人間か。何をしたいのか。を考えることができるようになりました。
これができたのも親のおかげであり、親の使命なんだなと思いました。
「自分で考えろ!」よく親に言われたことです。私も自分の子どもが、大切なことを自ら学んでいけるように両親のような尊敬される親になりたいと思いました。
こんにちは。埼玉大学で講義を受けているものです。
子供は親の背中を見て育つとよく言いますが、私も両親の良い面も悪い面も受け継いでると感じています。しかし、現代においては児童虐待に代表されているように、ネガティブな世代間継承が本当に目立っていると感じています。
もちろん、ポジティブな世代間継承もあるはずなのですが、社会構造が昔とは大きく変化している現代においては、家族間の関係についても柔軟な考え方が必要になってきていると感じます。
また、よく地方の伝統工芸や農業などを継承する若者がいないお年寄りの方がやっているのをテレビなどでよく見ますが、これも社会構造の変化や社会の在り方に関連する問題なのではないかなと感じます。
ネガティブな世代間継承に関する問題は簡単に解決できるものではないとは思います。しかし無理に自分の考えを押し付けるのではなく、ひとりひとりが「立ち位置の違い」をわきまえて家族と接していくことが大事なのではないかなと思います。
ネガティブな面の継承が目立つとおっしゃってますが、ポジティブな面の継承が目立つなんてことがあるのでしょうか?
虐待などわかりやすいネガティブな面がありますがポジティブな面の代表は明確なものがないのではないでしょうか。私の両親は客観的に評価して尊敬できる人たちなので、その精神を継承していきたいと思います。
埼玉大学で先生の講義を受講しているものです。
「立ち位置の違い」をわきまえて親密な間柄を作る視点と能力というのは、世代間継承だけではなく、あらゆる他者にも拡大して役立てることができそうですね。
自分は、他者を尊重するということは、相手の価値観を理解することだと考えています。たとえ何か意見の相違があったとしても、お互いの価値観を理解し合っていれば決して言い争いや暴力には発展しないと思うのです。だからこそ自分は出来るだけ多くの価値観をかき集めて、できるだけ多くの人を尊重できるようになりたいと思っています。そして相手の価値観を理解する力は、『「立ち位置の違い」をわきまえて親密な間柄を作る視点と能力』とほとんど同じであるように感じられます。
だからこそ、この能力を育む意味でも世代間継承というものは重要なものと思います。
このブログを見て、改めて教育の難しさ、子育ての難しさというのを感じました。親も人間であり、個性というものを持っています。明るく社交性がある親もいれば、物静かで少し人づきあいが苦手な親もいます。子供は親の背中を見て育つといいますが、まさにその通りだと感じました。親が暴力的だった場合、子供にその行為が間違っていると認識させるには第三者、特に教師の存在が大きく関係すると思います。私は教師を目指すにあたり、子供とどのように接し、どのようなことを教えていくかというのを今後の大学生活の課題としていきたいと思います。
埼玉大学で講義を受けている者です。
他の方のコメントにもありましたが、近年の児童虐待事件には本当に心が痛みます。私は埼玉大学で福祉に関する講義を受ける機会があり、児童虐待について少しですが学びました。その講義の中で、児童虐待の加害者の多くが過去に虐待を受けた経験があるという事を知りました。
そのようなネガティブな世代間継承を断ち切るためにはやはり社会の変化が必要になってくると私は思います。それぞれのニーズに合わせた福祉が積極的に行われていく事を願います。
そして、野鳥の写真素敵ですね。鳥をあまり気にした事が無かったので、こんな鳥がいるのかと少し驚きました。何だか構内を散歩したくなりました。
埼玉大学には色々な種類の鳥がいるのですね。毎日通っているにもかかわらず、気付くことがありませんでした。広い視野を心掛けたいです。
世代間継承を、子どもはそれと知らないままに、また良いか悪いか判断をするまえに受け継ぎます。このことに親(大人)が自覚的でなければならないと思います。親になることはある意味では簡単ですが、「良い」親になることは、能動的にそれを目指さなければ得られない、とても難しいことです。
現代は、子どもだけでなく子どもの指針となるべき大人も迷っている時代であるということがよく言われます。私はこのような「現代」しか知らない世代ですが、理想像から随分と遠い状態なのだということはわかります。ここからの変化が重要であることを強く感じました。
埼玉大学で先生の講義を受けさせていただいています。
今回この記事を読んで、なるほどなるほどと思いながら読んでいました。私の家では、お父さんがとても古風な考えをしていて、大学受験のときたいへん苦労したことを覚えています。私は埼玉大学をどうしても受けたかったのですが、お父さんは”女は若くないと誰にも相手にされなくなるんだから、短大に行きなさい!”と言われたりしました。
女は家にいて家事ができればいいと考えているので、勉強なんかする必要はないとまで言われました。私の家には、私が大学に入るまでパソコンもなく、今でも黒電話を使っているほどです。おばあちゃんと一緒に住んでいるということもあるので私の考えを家族に伝えるのは困難な状況です。
以前から私の家は時代、社会から取り残されてしまっているのではないかと思っていたところだたので、先生の記事を読んで改めて私の家の問題とも向きあっていこうと思いました。
埼玉大学で先生の講義を受けています。埼玉大学にはこんなにかわいい野鳥がいるのですね。この写真を見てから野鳥たちにも目を向けるようになりました。こういった些細なことから視野を広げていけるといいなあと思います。
世代間継承ですが、子どもは親のよいところも悪いところも見て育ちます。その結果、虐待などの負の連鎖も続くとも考えられます。家族のイメージがネガティブなものになりつつある今、家族の在り方を見直すことも大切なのではないでしょうか。親は親で自分の時代、価値観に固執するのではなく、柔軟な思考をもって行動したり、子どもと接する必要があります。子どもについても同じようなことが言えると思います。両者ともに相手の価値観、考えを理解しあうことが大切なのだと思います。
ところで、私もかわいい野鳥の写真を撮ろうと挑戦してみたのですが、なかなか先生のように上手に撮れません。何か撮るコツがあるのでしょうね。
埼玉大学で講義を受けているものです。
埼玉大学にはたくさんの鳥がいるというイメージを入学当初にありましたが、この季節になると、数だけでえなく種類も増えるのですね。
今度チェックしてみます。
先生の授業でもありましたが、やはり子供の時に虐待された経験を持つ人は、親になって、自分の子供ができても虐待してしまうことが多いのですね・・・。
たぶんネガティブな継承以外にもポジティブな継承も必ずしているはずなのですが、やはり社会にとり立たされるのはネガティブの方が断然多いですよね。
この虐待などの問題が貧困などの問題からくるものならば、もはや家族単位ではなく、地域範囲や国単位で改善しなければならない課題だと思います。
虐待の加害者の多くは、かつての被害者であったということがとても驚きです。
虐待の痛みを知っているにもかかわらず、それをまた人にしてしまう。虐待の連鎖の中で生まれた以上それが続いてしまうのだとしたら、とても悲しいことです。
貧しさ然り、連鎖から解き放たれることが無いとしたら、なんて理不尽な世の中なんでしょう。
連鎖を断つのに社会の変化や理解や公共圏とのつながりが必要なら、それをはたらきかけて手を差し伸べる人もまた必要なのだと思います。
世の中は理不尽なことも多いですが、それを自分で断ち切ることも、救いの手を差し伸べてくれる人もいることも忘れないでいたいです。
埼玉大学で講義を受けている者です。
私の家は曽祖父の時から地元で個人商店を経営しています。それが学校の帰り道だったので祖父母と触れ合う機会も多いのです。そのためか現代における家族が抱える問題というものに実際に遭遇したことはほとんどありませんでした。
しかし商店を訪ねてくる高齢者の話を聞くと、何年も息子や孫の顔を見ていないという人もいて、高齢者の孤独化は確実に進行していることがわかりました。
近くに行ったらほんのちょっと顔を出す。今そういう当たり前が必要なのだと思います。
現実(変容していく社会)と理想(更新されない家族観)の間の摩擦がネガティヴな世代間継承の原因ということでしょうか。
虐待も、それ自体が世代間連鎖するというより、社会と継承された家族観それぞれの在り方の間のギャップによって起こるのでは、と考えました。
家族という関係性に縋れば縋るほど自分の首を絞めるなんて皮肉な話です。
打開するには価値観の方向転換が必要で、そのために学校教育は何ができるのか、と、教員志望なので考えてしまいますが、そもそも個人の価値観形成にどこまで関わっていいのかが問題ですね。
埼玉大学で講義を受けているものです。
先生が上のブログでおっしゃっておられる「2」の部分ですが、私もかなり恐ろしいと思います。家族内での依存やある種の共有の高まりはもとより、家族内でしか社交性がはぐくまれないことの脅威も見過ごせないのではないでしょうか。閉じた世界でしか生きていないことは、その世界で死んでしまうことの意義が通常よりも大きいと思うのです。
今でさえ児童虐待によって救えない小さい命がありますが、閉鎖された環境の中では助けを求める声さえ虚空へ消えていくだけになるでしょう。多方面へ悪影響を及ぼす家族の孤立・隔離について、今こそ私たちは本気で取り組まねばならないのではないでしょうか。……私にもできるでしょうか。
埼玉大学で先生の講義を受けているものです。
大学内にもたくさんの鳥がいて、それらがまた自然を作っていく・・・。今までの自然連鎖って素晴らしいものだと思います。
が、人間の家族の形成はそうもいかないのが現実です。虐待を受けた人は、その自分の子孫にも受け継いでいく・・・・。そういった負の連鎖はよくないと思います。どこかでとめないと、やはりこの風潮が広がることが明白です。
また、世間的にも地域とのつながりというものが、都市部でも消えかかっています。これから地域で子供の成長を見守るという動きが必要不可欠であると思います。
それには、やはり一人ひとりの意識改革が必須ですが、今の情報社会でそれが、可能なのでしょうか・・・・。でも、何か始めないと世の中はもっと閉鎖的になるのは確実なので、そういった運動を出来ればと思いました。
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