ともにみんなの「夜明け」を-社会開発とノーマライゼーション その2
新年を迎えました。明けましておめでとうございます。
今年は、さいたま市の条例づくりの真価が問われる一年となりそうです。この条例づくりによって、「障害のあるすべての人によるすべての人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し及び確保すること」と「障害のある人の固有の尊厳の尊重を促進すること」(「障害者の権利条約」第1条-川島聡・長瀬修仮訳による、以下同様)の実質的な前進をはかることができればと願っています。それは、みなさんの知恵と力を合わせて、新しい時代の「夜明け」をともに迎えることを意味します。
写真1 2010年元旦の御来光。左の高層ビル群はさいたま新都心
写真2 元旦の御来光に映える富士山
障害者の権利条約は「すべての人権及び基本的自由」について、「普遍性、不可分性、相互依存性及び相互関連性」があることを明示し(前文(c))、「持続可能な開発の関連戦略の不可分の一部として障害問題の主流化が重要である」(同(g))と、「社会への完全かつ効果的な参加及びインクルージョン」(第3条一般原則(c))や「個人のインテグリティの保護」(第17条)等を謳っています。「インテグリティ」とは、個人の尊厳に関する不可侵性を意味します。
(もちろん、障害者の権利条約に含まれる内容はこれだけではありません。それは、自由権と社会権に関する包括的で実効的な保障を指し示すものですから、詳細については次の書籍をご参照ください。長瀬修他編『障害者の権利条約と日本』生活書院、2008年)
この人権条約には、「障害者や高齢者などの社会的に不利を負う人々を当然に包含するのが通常の社会である」という考え方、すなわち「障害者の権利宣言」(1975年)の底流をなすノーマライゼーションの思想や、国際障害者年(1981年)のテーマ「完全参加と平等」を引き継ぎ発展させた性格を確認できます。
条約に関するいささか面倒でわかりづらい言葉を脇に置いて、飲水の問題を例に引っ張ってみると、この条約の指示するところは次のようになるでしょう。
飲料水の保障は人間の生存と生活に必要不可欠です。絶やすことなく供給され、飲料水資源に対するアクセスビリティも確保されていなければなりません。飲水の保障は、まさに人権の課題ということができます。
ところが、わが国の水道水や井戸水の水質汚染は、硝酸態窒素・亜硝酸態窒素の問題など、まことに深刻化しています。井戸の深さが10m以下の場合、それらの80%ほどは飲み水には適さなくなっているという指摘さえあります。某大手食肉加工メーカーがハムの製造に用いていた東京の地下水には、シアン化合物まで含まれていたという問題も発生しました。さらに山形県酒田市では、特産品のメロン栽培に使われる過剰な化学肥料によって、水道水の硝酸態窒素汚染が深刻な問題となってきました。
ちなみに、硝酸態窒素・亜硝酸態窒素はガン・糖尿病・高血圧症等の疾患原因でもあるうえに、市販の浄水器ではまったく除去できない成分だそうです。水質汚染にともなうこれらの疾患が「生活習慣病」と称されることには憤りを覚えます。
さて、このような深刻な問題を前に、「ミネラル・ウォーター」を購入するという「自己決定・自己選択」をしたとしましょう。しかしこれでは、水道水や地下水の汚染が進行すればするほどミネラル・ウォーターの値段が跳ね上がり、懐具合のゆたかな人しか飲水にありつけない事態を招いてしまいます。実は今でも、市販のミネラル・ウォーターは川越市の水道料金と対比すれば約800倍の値段になりますし、ミネラル・ウォーターが硝酸態窒素等を含まないわけではありません。
自分以外の人が飲水に困っていようが、そんなことにはおかまいなく「自己決定」によって自分の飲水を確保するというのは、消費者主権主義にもとづく「自己決定還元主義」です。ここにつけ入って大儲けしようとする強欲資本主義が「ウォーター・ビジネス」の世界でしょう(中村靖彦著『ウォーター・ビジネス』岩波新書、2004年)。このような「自己決定・自己選択」は、「飲水の公共性」についてまるで考慮することができないのです。
写真3 安全な水はみんなのもの
それでは、「みんなの飲水」が人権として保障されるためには、どうすればよいのか。
森の自然を守り、化学肥料や産業廃棄物による地下水汚染をなくし、水道と地下水の水質保全のための協働を組織しなければならないでしょう。これまでの産業活動と生活様式のあり方に由来する、社会開発の全体的で構造的な問題が「みんなの飲水」の持続可能性を剥奪したことに対しては、水道局を管轄する自治体に「文句を突きつける」ことはむろん、行政対抗型の運動だけでは、もはや問題の克服を見通すことは困難です。
ここでは、「みんなの飲水」を守るための行政機関の責任を柱に据えつつ、水に関するステークホルダーの相対立する利害を調整・克服するための自治と協働が必要となります。たとえば、日本の厳しい農業経営の下で、特産品のメロン栽培には相当量の化学肥料が必要不可欠だとする農家の方々と、安全な飲水を必要とする地域住民の声は、ともに暮らす地域住民の問題として現われるからです。
このようにして、喉に渇きを覚えたとき、「自己決定」によって誰もが水道の蛇口をひねって水を飲むことができるという日常の実現には、あらゆる社会開発と施策の意志決定過程に、何人も排除されることもなく等しく参画できるという「協働決定」がしっかり据わっていなければならないのです。それは、私人や民間企業の開発に対しても担保されなければなりませんし(第4条一般的義務(e)等)、実効的な「協働決定」はすぐれて戦略的なものとなるでしょう。
多くの人たちが「ミネラル・ウォーターを飲むようになった」から、障害のある人や高齢者にも「ミネラル・ウォーターを保障する」というのは、ノーマライゼーションの考え方ではありません。すべての人たちの「最適な飲料水保障」の課題性の中に、障害のある人や高齢者の飲水保障の課題を位置づけることがノーマライゼーション思想の核心です。
だからこそ障害者の権利条約は、人権の「相互依存性」を明示し、「社会への完全かつ効果的な参加及びインクルージョン」を重要な内容として指示するのです。「参画とインクルージョン」の分かちがたい実行が、「誰もがともに生きる」ノーマライゼーション理念を現実のものとするのです。
コメント
明けましておめでとうございます。先日、北九大で先生の講義を聞いたものです。
バリアフリーとユニバーサルデザインの二つの言葉があることは知っていたけれど、今まで同じような意味だと思っていました。全然違う意味だったのですね。
バリアフリーは、障害がある人や高齢者や社会的な弱い立場にある人が生活するうえで出てくる支障や困難を取り除くために後から取り付けた設備などのことしか意味しないと知って驚きました。バリアフリーだけでは本当にすべての人が幸せに暮らせるとは限らないのですね。
また、エレベーターの中に閉じ込められた右手に麻痺がある人のお話には心が痛みました。今まではあまり気にしたことがなかったけれど、今度からは注意深く周りを見ていって、本当にすべての人が満足に使える設備なのかどうかを見ていきたいと思いました。
すべての人が幸せに暮らせるようなユニバーサルデザインの考え方が大事なのだなと思いました。
こんにちは。北九州市在住の者です。ブログ読ませていただきました。
自分は北九州市に来て、ほとんどの人が水道水を飲まずミネラルウォーターを飲用していることにとても驚きました。ミネラルウォーターを飲用している人に水道水を飲まない理由を聞いてみると「水道水は汚くて匂いがあるから飲めない。」と言われました。
よく考えてみると、人間が生きていくのに最低限必要な水なのにもかかわらず、裕福な人は安全でおいしい水を飲むことができて、金銭面で余裕のない人は生きるために、高いお金をだしてまで水を購入し飲まなくてはいけない状況はおかしいですね。
やはり人権の問題を語る際にはノーマライゼーションの考え方が必要不可欠なことがわかりました。生きるために必要な水くらいはだれもが不平等なく飲めることが当たり前な世の中にしていくのと同じように、障害のある人も不平等なく生活していけるように我々が障害のある人たちの立場になり意見をだしていく必要があると実感しました。
私自身福祉の現場で働いてきて、福祉と市場原理とはなじまないとジレンマに悩み続けてきました。支援を必要としても国や自治体の規制に縛られて利用できなかったり、利用料が高かったりして諦めざるえない場面を多く見てきました。現場では採算の取れるサービスの提供が重視され、マニュアル化されて一人一人にフィットしたサービスとはいえませんでした。人件費は最低基準が最高基準となり、職員は肉体的にも精神的にも疲れ果てていました。このような環境ではより良い福祉は望めません。ノーマライゼイション理念に基づき、必要なサービスが必要なときに提供され、誰もが安心して自分らしい生活がおくれる社会のためには、宗澤先生のおっしゃるように国の責任の下、それぞれの立場の利害を超えた自治と協働が必要だと思います。
利益の追求より何を優先するべきか私も考えて行動をおこしたいと思います。
新年あけましておめでとうございます。去年は貴重なお話をありがとうございました。
2回の講義でしたが、まだまだ私の知らない事実がたくさんありました。特に印象に残っているのは、1回目の講義の虐待についてのお話でした。私は身近に障がい者の方がいないため、こういう事実は詳しく知りませんでした。また、障がい者の方の日常生活などまだまだ知らないことがたくさんです。だから今、大学で福祉の勉強をしていることをいかしつつ、障がい者の方ともっと触れ合う機会をもちたいなと考えています。
それはこれから、ボランティア活動や、日常生活を通して機会を見つけ、そこで多くのことを学んでいきたいと考えています。また機会がありましたら、ぜひ先生の講義をききたいです。
先日、先生の講義を受けさせて頂いた者です。様々なことを改めて考えさせられた講義内容でした。ありがとうございました。
私が初めて障がい者について考えたのは中学生の時でした。私の近所の方の息子さんは知能に障害をもつ子どもでした。その息子さんが中学に進学するときに、その親御さんは「小学校は地域の公立校に通わせていたので、中学校にも公立校に通わせたいが、いじめにあってしまうのが恐い。かと言って、養護学校は非常に家からも遠いため悩んでいる。」ということでした。この件については多くの問題が関与していると当時思いました。
義務教育の段階で障がい者に対する教育の徹底がなされていないことや、養護学校の少なさなどです。いかに、社会が真剣にまた真正面から障がい者問題に取り組んでいない結果が明らかだと中学生ながら考えたことがありました。
最後に記事中にもありましたように、「自分だけよければよい。障がい者が苦しんでいようと自分には関係ない。」という風潮が社会にあります。そのような風潮を失くすために私たち一人一人が障がい者問題に取り組むことが重要になると考えます。
以前、宗澤先生の講義を受講しました北九州市立大学の学生です。とても興味深い講義ありがとうございました。
講義のなかでは、国民一人ひとりの身体に障害を持った方や高齢者の方に対しての関心が薄い現状にあると考えました。点字ブロックの上に自転車が無造作に放置されているということや、マンホールの設置状況などの写真を見て、自分の身の回りでも多く起こっており、すべての人が地域社会のなかで共に生きていくために改善しなくてはならない問題だと考えました。
これらの問題に対して、すべての人々が社会問題として捉えていくことが大切だと思います。
そのような中で、誰もが地域の中で、自分らしく生きる暮らしを共にできる地域社会の実現を目的としているという、さいたま市の「ノーマライゼーション条例」のような取り組みはとても重要なものであり、すべての国民が関心を抱くことで意識を高めるということに繋がる良い取り組みではないかと考えました。
明けましておめでとうございます。昨年、北九大で先生の講義を受けさせて頂きました。
先生のお話を聞き、まず自分の福祉に対する知識のなさにショックを受けました。正直、先生のお話を聞くまでは福祉のことを深く考えたことはなかったし、自分には関係のない話だとどこかで考えていたところもありました。
しかし先生のお話はすごく自分たちの身近に感じられ、いい意味で生々しく思いました。また、この記事に書かれている水についてのお話も自分にとって大変興味深い内容です。水道水が汚いからミネラルウォーターを飲めばよい、という考え方は、何の解決にもならないですよね。
裕福な人はミネラルウォーターを飲むことができるけども、そうでない人は汚染されたままの水を飲まなくてはいけない状況があってはならないのだと感じました。
貴重なお話をありがとうございました。先生のお話が聞けて本当によかったです。
宗澤先生、こんにちは。4日・5日の北九大での講義、本当にありがとうございました。ユニバーサルデザインという言葉は、あまりなじみのない言葉なのでどういうものかイマイチピンときませんでしたが、先生の講義を聞いて、ユニバーサルデザインとは老若男女・障害があるなしかかわらず、誰もが安全に利用できるデザインのことだということが分かりました。ユニバーサルデザインが社会に浸透していくということが、ノーマライゼーション実現の第一歩だと思います。
この記事を読んで、人間の生きる源のひとつである水にこんなに大きな問題があることを知って驚きました。人間にとって最低限必要なものが誰にでも簡単に提供されるということが、ノーマライゼーションに必要不可欠な要素なのですね。
こんにちは。先日北九州市立大学で講義を受けさせていただいたものです。
講義の内容で特に印象に残っていることが企業が障害者に対して心理的に追い込み、自主退職へと向かわせるということです。
これはミネラルウォーターと同じなのではないでしょうか。自己決定によって仕事をするのであればそこには障害者も健常者の壁はなく、誰も排除されることのない「協働決定」があるのです。障害者だけがはじき出され、健常者だけが定職につけるということがあっていい訳がありません。
しかしこれは制度や条例で解決するのでしょうか。この問題は人間の倫理的な面の問題であるので雇い主を集めて今の障害者の方が直面している多くの厳しい現状を理解してもらうために、講演会などを開く必要があるのではないでしょうか。
こんにちは。現代社会と福祉2で宗澤先生の講義を受講した北九州市立大学の学生です。
私たちの身の回りでは、たくさんのバリアフリーがあるということにきがつきました。バリアフリーがなされているのにも関わらず障害者用のトイレが「物置き化」してしまっていることには非常に驚きました。障害者用のトイレは、車いすが360度回転することが前提なのに、あれではなんのため障害者用のトイレを設置しているか分からない状態だと思います。
バリアフリーには管理というものが非常に大事ということを学びました。バリアフリーは管理をしなければ意味を喪失してしまうということにきづきました。管理しない、物置き化するという悪循環は結局、障害者のある人を含めて誰も使えなくなるということを学びました。
今後、障害者だけではなく誰でもが使用できるバリアフリーを構築していく必要があると思いました。
こんにちは。私は先日、宗澤先生の講義を受けさせて頂いた、
北九州市立大学の学生です。
日本の福祉制度の落とし穴、本当に誰もが暮らしやすい社会ではないという現実に、私はショックを受けました。
先生がこの記事で書かれている飲料水についてもそうです。
民主主義社会と言われていても、制度をつくる一部の人間の欲によって、水道からの飲料水が保障されない人がいる、という現状。
普段気付かないところでこうした不条理が罷り通っていることを知り、あまりに無知な自分が恥ずかしくなりました。
誰もが共に生きることが出来る社会の実現には、障害の有無関係なく、住民がもっと積極的に政策に参加し、意見が反映されるような仕組みが、全国規模で必要だと感じました。
貴重な講演、ありがとうございました。
宗澤先生、こんにちは。先日の講義では、福祉に対して改めて考えさせられた講義でした。誰もが安全に利用することができるユニバーサルデザインというものは、現代にとって、とても必要なものであり、すべての人々が意識すべき問題であると考えます。
今日では、健常者に多く目を向けた社会が構築されているように思えます。しかし、目を向けるべき点は、全ての国民が安心して暮らしていけるような社会を構築することであり、社会の中で、共に生きるということではないかと考えました。
今回の記事の中でも、飲料水という人々が生きていくために欠かすことができないものを、共有するということができていない現状にあると感じました。このような事態を防ぐためには、記事の中でもあるように、森の自然を守ったり地下汚染をなくしたりするための協働を組織するなどの、社会全体での取り組みが必要となってくることが大切であると考えます。
社会一体となった取り組みが、国民全体の社会的認識を強めていくのではないかと考えました。
こんにちわ。先日に宗澤先生の講義を受けた北九州市立大学の学生です。
先生の講義はとても興味深く、自分にはあまり関係のないと感じていた「福祉」をより身近に感じさせてくれました。その際、自分を含め障害のある人や高齢者の方々への配慮や理解がまだまだ社会に浸透していないと思いました。一人一人が福祉に対して関心を高めていかなければならないと痛感しました。そのために、先生のように講義を行ったりして福祉を広めようとしてくれる人達がもっと増えてほしいです。
そして、学校教育にもより障害者に対する教育をしていくべきだと思います。今の社会は根本的に個人の福祉への関心が薄すぎるような気がします。小さな頃から福祉を身近に接して、理解が深まればユニバーサルデザインを実現することも可能になっていくと思います。
こんにちは。先日は、北九大の特別講義をしていただき、ありがとうございました。
飲料水に例えたノーマライゼーションのお話、身近でとても分かりやすくて納得できました。確かに水道水が汚いからといって、裕福な人だけがミネラルウォーターを手に入れられるなんて、おかしいですよね。
だからといって、ただ単にミネラルウォーターを高齢者や障害のある人にミネラルウォーターを確保できるようにすればいい、ということではなく、「その人に最適な飲料水」を保障すること、それがノーマライゼーションの思想に基づいた行動だということが分かりました。
周囲のことを気に掛けることなく、自己中心的な「自己決定」から、何人も排除されることなく等しく参画できる「協同決定」に基づく『自己決定』が出来る世の中になればいいなと思います。
こんにちは。前回のコメントでは先生のブログに対するコメントでなく講義の感想のみになってしまい失礼しました。
今の社会では水でさえも貧富の差が出るということにショックを覚えました。
4日の授業でノーマライゼーションのお話を聞いて、この内容をより深く考えることができました。健康な人を基準に考え、社会的弱者を二の次にするのはやはり間違っていますよね。どのような人でも誰もが同じサービスを受けることができる社会にすることが大事だと思います。
こんにちは、先日の北九大での講義、ありがとうございました。
障害者のためのユニバーサルデザインといった日常生活の配慮も、健常者が意識していないために、機能しない例が多くあったことに驚きました。健常者からの視点では、まわり階段は少ないスペースで上り下りが可能な便利なデザインというイメージなのに、目が不自由な人の視点では、踏面の大きさが異なるためにまわり階段の曲線が恐怖を感じるというように、現代社会は決してバリアフリーではないのだということを知りました。
今回の飲料水についての記事でも、水道水が飲めないからミネラルウォーターを買って飲むという考えは、買える人買えない人の格差を生んでしまうのだと思います。「誰もが飲める安全な飲み水にする」という考えが、ノーマライゼーションにつながるのだと感じました。
障害者の権利条約に「障害者や高齢者などの社会的に不利を負う人々を当然に包含するのが通常の社会である」とあるが、残念ながら現在の日本の社会は、まだこの通常の社会から、かけ離れていると思う。弱い人を守るどころか、自分のことしか考えず、強欲な人だけがぬくぬくと生きている気がする。
1月始めの講義で、辻井伸行氏、マーカスロバーツ氏のDVDを鑑賞後、宗澤先生がおっしゃった「この光景が地域に広がることを願っている。」という言葉が心に響いた。DVDのなかでは、目が見えない人も、見える人も一体となっていた。私達が暮らす社会も、障がいを持っている人も、そうでない人も、分け隔てなく一緒に生きていける、それがごく普通であるような社会になる必要があると強く思う。
しかし、現在、この社会の障がいを持った人が抱える問題を、認識している人が、まだまだ少ないのではないだろうか。まず、誰もが、ノーマライゼーション理念を認識し、それから問題解決を行っていく必要があると思う。
あけましておめでとうございます。先日先生の講義を受けた者です。
バリアフリーやユニバーサルデザインといった言葉は、今までに何度も聞いたことがあったので、とても興味深いお話でした。実際に私は小学生や中学生の時に、体に重りをつけて階段の上り下りをしたり、車椅子に乗って段差のあるところを移動したりして、バリアフリーという言葉への意識が高まりました。しかし、ユニバーサルデザインという言葉についてはただ口頭で意味を説明されるだけで、実際にそのものを見たり体験したりしたことがないので、あまり馴染みがありません。
自分でバリアを体験したときは、私たちにとって普段は何でも無いような場所が、高齢者や障害者の人たちにとってはバリアになっているということを理解できました。ユニバーサルデザインについても、実際に体験することによってもっと人々の意識が高まると思います。
先日、宗澤先生の講義を受けさせていただきました、北九州市立大学の学生です。 お忙しいなか12月の講義、そして新年早々からも遠方から来ていただき、本当にありがとうございました。
1月の2回の講義のなかで辻井伸行さんとマーカスロバーツさんのコンサートのDVDをみさせていただきました。 マーカスロバーツさんのDVDの最後に先生が「私がイメージしているインクルージョンというのは、こういう光景が地域社会の中、全体に広がっていくことです」とおっしゃっていたのがこの講義のなかで私にとってもっとも心に残っています。
視覚障害をもつジャズピアニストのマーカスロバーツさんがベースとドラムの二人を先導し、日本人指揮者の小澤さんを指揮に招いたベルリンフィルのクラシックオーケストラと、互いのジャンル(ジャズとクラシック)の音楽性を尊重し、協調し合いながら演奏を行い、観客は好きな服装で自由に飲み食べしながら、柵のない草原で座ったり寝転がったり自由に鑑賞していました。
フィナーレの曲では観客が演奏に合わせ口笛を吹き鳴らしたり、踊る人もいたり、小さな手持ち花火を振る人もいて、演奏者と観客が一体となっていました。 そこには障害をもつ人も、音楽のジャンルも人種、国境も感じさせず、ただシンプルに[ともに音楽を楽しむ人々のすがた]がありました。
私は初めて「共生」という言葉の実体、その縮図をみることができたように思います。
はじめまして。先日北九州市立大学で先生の講義を受けさせていただいた者です。
講義のなかで、耳の聞こえない方は筆談を避けることがある、ということについてのお話がありましたが、これには驚きました。私たちが思いもよらないところで苦労されている方がいるということに、ほんの一部であるとは思いますが、気がつくことができてよかったと思います。
また、私たちはもっともっと、障害のある方やご高齢の方などに対し、理解・配慮していくべきだと感じました。自分にとって何の問題もないことだからといって、「私は知らない、関係ない」というのは、なんだかおかしいですよね。
大変ためになるお話をしていただき、本当にありがとうございました。
こんばんは。水は現代の私達にとってすごく身近で必要不可欠な存在ですね。昔だと自ら水をみつけ、必要なだけ運び利用していたと思います。
近代化になるにつれて人々は知恵を絞り出し、技術も発達してきたところで蛇口をひねれば水がすぐ出てくるような時代にまでなりました。しかし先生がおっしゃてるようにミネラル・ウォーターの値段が高くなれば安全な水を口にできる人々は減少します。そう考えると昔で自分達で探して運んで水を利用していた時代の方が人々は自由で現代でいうある意味自己決定に値するんではないかと思いました。前よりもよくしようとする社会になっているようだけど、前の方がよかった社会だったなという場合もあったと今回考えさせられました。
授業の一環でしたけどブログを拝見させていただいていろんな観点からの福祉、いろんな意味の福祉を見ることが出来ました。また覗きにきたいと思います。今年も目標に向かって頑張ってください。
こんばんは。私は先日宗澤先生の講演会に参加させていただいたものです。日頃聞くことのできないような貴重なお話をどうもありがとうございました。
先生の講演を聞いて、障がいに対する考え方や感じ方がこれまでと少し変わってきたように思います。世界各国多くの人々が、障がいと上手に向き合い、支えあい助け合っていくことができるようになれば、本当に素敵な世の中になるのではないかと思います。
この記事に書かれているものもわかりやすく、これからの時代、本当に飲水の需要をうまく利用することで、ビジネスを形成していく人々が多くあらわれるようになるかもしれないと、私も感じます。そんな中で“水を飲む行為の格差”を絶対に作り出さないような、行政の取り組み、また一人ひとりが高いアイデンティティーを待っていくことが、これから必要となってくるのではないかと思います。もちろん水に関してのお話は、ある種の比喩表現にすぎないが、障がいに関する議題についても同じようなことが言えるだろうと、私も思います。
障害に関して、さまざまなことを考える機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。いつかまた会える日を楽しみにしています。
こんにちは、北九州市立大学の学生のものです。
はっきり言って、私は福祉や、ノーマライゼーションについてほとんど知識がありませんでした。なので、先生の記述されている内容に対し、ミネラルウォーターを飲めばいいではないか。とすぐに思ってしまいました。
しかし、それではなんの解決にも結び付かず、自分勝手な判断であったと気付かされ、恥ずかしくなりました。
しかし今の社会の現状では、私みたいな意識の低い人は少なくないと思います。身近に起こっている問題は、自分が気づいていないだけで、深く広く起こっているものなのですね。こういう状態から、先進していくには、もっと知識を培う機会や、知る場が必要だと強く感じました。考える機会をありがとうございました。
こんにちは。先日、宗澤先生の講義を受講させていただきました北九州市立大学の学生です。
今まで、バリアフリーはすべての人が生活しやすい環境を生み出すためのものだと思っていましたが、実際はそうはでないということを知りとても驚きました。物置状態の障害者用トイレや、足拭きマットで隠されてしまっている点字ブロックなど、私たちのとても身近なところにも大きな問題が潜んでいることに気づかされました。バリアフリーがあらゆるところに活用されていても、きちんと機能することができなければ、何のいみもないのだと思いました。
このミネラルウォーターのお話でも、限られた人だけがきれいで安全な水を飲むことができるというシステムは、良くないと思います。
ユニバーサルデザインの必要性と重要性を深く感じました。
貴重な講義をどうもありがとうございました。
こんにちは。昨年の12月に宗澤先生の講義を受けました北九州市立大学の学生です。
宗澤先生の講義は非常に分かりやすく、「福祉」に関する知識がとても身に付きました。今の日本は、高齢社会であるので、もっと福祉について考えていく必要があると強く感じました。
特に、1回目の講義の虐待についてのお話が印象に残りました。私は身近に障がい者の方がいないのもあって、先生がお話しされた事について詳しく知りませんでした。より詳しく知るためには、やはり、実際に出会ってみることではないかと思いました。ボランティアなどの活動を通して、障がい者の方と触れ合う機会を多く作っていきたいです。
貴重な講義を本当にありがとうございました。
明けましておめでとうございます。
先日は年明けからの講義をありがとうございました。
私も、ユニバーサルデザインと聞いてもそれも障害のある人対象だと勘違いしていました。
なので、今回の講義を聞いて私自身もその対象なんだ、と気づけました。
また、日ごろ何気なく使っている場所やものでも、自分の状況が変われば使いづらくなったりすることもあるということも気づかされました。
だからこそ、万人のためのユニバーサルデザインというものは私たちが思っている以上にいろいろと難しいのだろうな、と思いました。
わたしも身の回りの環境をもう少し注意深く観察してみることで新しい発見があるかもしれないなと思いました。
こんにちは。以前、北九州市立大学で講義をしていただいた時に受講した者です。お忙しいなか講義をしていただきありがとうございました。
飲料水を例にした権利条約の説明は、とてもわかりやすかったです。「誰もがともに生きる」というノーマライゼーションの理念を実現する難しさが少しわかった気がします。ユニバーサルデザインやバリアフリーに関しても、ただ整備や設置をするだけでは意味がなく、それを障害者や高齢者以外の人も考えていかなければならないことがよくわかりました。障害者や高齢者のためだけでなく、みんなのための設備であることを理解することが大切であるのだと思いました。
ノーマライゼーションの理念を実現していくためにも、自分ひとりだけがよければいいと思わずに、みんなとともに生きることをもう一度考えていくことが必要だと考えました。
こんにちは。先日、宗澤先生の講義を受講しました。北九州市立大学の学生です。
バリアフリーとユニバーサルデザインの大きな違いを、高校生時に受けていた、現代社会の授業で知りましたが、宗澤先生のお話を聞いてより多くの知識が身に付いたと思います。
色んなところに足を運ぶと、未だに、バリアフリーの存在が大きいのではと感じることがよくあります。高齢社会ということもあるので、誰もが安全に使えるユニバーサルデザインがありふれているのが当たり前な社会になることでノーマライゼーション実現につながるのではないかと思いました。これからの若者が小さい頃から福祉についてよく考えていけば、ユニバーサルデザインの実現も可能になってくると思います。
とても貴重なお話を本当にありがとうございました。また機会があれば宗澤先生の講義をお聞きしたいです。
あけましておめでとうございます。講義を受けさせていただきました北九大の学生です。新年早々講義をしてくださりありがとうございました。
私は南の方の県の出身ですが、地元にいるときは水道水を飲むことに抵抗はありませんでした。しかし、北九州にきて水道水は飲まずにミネラルウォーターを飲んでいます。このことが福祉に関わることだということに驚きました。「みんなの飲水」は確かに保障されるべきだと思います。
すべての人たちの「最適な飲料水保障」の課題とともに、高齢者たちの飲水保障の課題があることがノーマライゼーション思想の核心であるということが勉強になった。バリアフリーなどだけでなくノーマライゼーションというものをもっと考えていきたいと思いました。
あけましておめでとうございます。講義を受けさせていただきました北九大の学生です。新年早々講義をしてくださりありがとうございました。
私は南の方の県の出身ですが、地元にいるときは水道水を飲むことに抵抗はありませんでした。しかし、北九州にきて水道水は飲まずにミネラルウォーターを飲んでいます。このことが福祉に関わることだということに驚きました。「みんなの飲水」は確かに保障されるべきだと思います。
すべての人たちの「最適な飲料水保障」の課題とともに、高齢者たちの飲水保障の課題があることがノーマライゼーション思想の核心であるということが勉強になった。バリアフリーなどだけでなくノーマライゼーションというものをもっと考えていきたいと思いました。
1月4日、5日に北九州市立大学で現代社会と福祉2の講義を受けました。
この講義のなかで、バリアフリーやユニバーサルデザインについての話を聞いて、今までわかっていると思っていたものが実は間違っていたりということがたくさんありました。ピクトグラムやイデオグラムは、見たことはありましたが、その名前ははじめて知りました。
4つのバリアの話の中で、物的バリア・制度的バリア・情報のバリア・心理的バリアのなかで一番重要なのは物的バリアであるというところが特に印象的でした。心理的バリアをなくすことももちろん大切ですが、それだけでは実際に生活しやすくなるわけではないんだということにあらためて気付かされました。
私は、これらの知識がただあるだけではだめなんだと思いました。その知識を生かして何か行動に出ないと何も変えられないからです。私たち1人1人がちょっとずつでも行動をおこすことができたらいいなと思います。
こんにちは。昨年の12月に宗澤先生の講義を受けました北九州市立大学の学生です。
宗澤先生の講義は非常に分かりやすく、「福祉」に関する知識がとても身に付きました。今の日本は、高齢社会であるので、もっと福祉について考えていく必要があると強く感じました。
特に、1回目の講義の虐待についてのお話が印象に残りました。私は身近に障がい者の方がいないのもあって、先生がお話しされた事について詳しく知りませんでした。より詳しく知るためには、やはり、実際に出会ってみることではないかと思いました。ボランティアなどの活動を通して、障がい者の方と触れ合う機会を多く作っていきたいです。
貴重な講義を本当にありがとうございました。
こんにちは。先日、宗澤先生の講義を受講しました。北九州市立大学の学生です。
バリアフリーとユニバーサルデザインの大きな違いを、高校生時に受けていた、現代社会の授業で知りましたが、宗澤先生のお話を聞いてより多くの知識が身に付いたと思います。
色んなところに足を運ぶと、未だに、バリアフリーの存在が大きいのではと感じることがよくあります。高齢社会ということもあるので、誰もが安全に使えるユニバーサルデザインがありふれているのが当たり前な社会になることでノーマライゼーション実現につながるのではないかと思いました。これからの若者が小さい頃から福祉についてよく考えていけば、ユニバーサルデザインの実現も可能になってくると思います。
とても貴重なお話を本当にありがとうございました。また機会があれば宗澤先生の講義をお聞きしたいです。
あけましておめでとうございます。講義を受けさせていただきました北九大の学生です。新年早々講義をしてくださりありがとうございました。
私は南の方の県の出身ですが、地元にいるときは水道水を飲むことに抵抗はありませんでした。しかし、北九州にきて水道水は飲まずにミネラルウォーターを飲んでいます。このことが福祉に関わることだということに驚きました。「みんなの飲水」は確かに保障されるべきだと思います。すべての人たちの「最適な飲料水保障」の課題とともに、高齢者たちの飲水保障の課題があることがノーマライゼーション思想の核心であるということが勉強になった。バリアフリーなどだけでなくノーマライゼーションというものをもっと考えていきたいと思いました。
あけましておめでとうございます。
先日は北九大での講演、ありがとうございました。
ノーマライゼーションの考え方は、私は障害者の方や、高齢者の方にもれなく様々なことを保障することだと考えていました。しかし、この記事のミネラルウォーターの話から、ノーマライゼーションの考え方とは、地域に住む人々との共存をテーマにどのような保障ができるのかを考えることが本質だったのだなと知ることができました。近代以降、一貫して障害のある人が排除されやすい地域社会をつくってきたというお話がありましたが、社会のコミュニティに参加することが難しいといった現代の状況の中で双方が互いの必要性を理解しあっていくことが今後のノーマライゼーションの幅広い理解とこの社会に必要なことではないか思います。
先日、北九州市立大学で講義を受けた者です。講義を受けて、今の社会は障害のない人にはとても暮らしやすい社会なのかもしれないけど、障害を持った人にはとても不便な社会なのだと感じました。
バリアにも4つの種類があり、私は心理的バリアが最も重要だと思っていましたが、物的バリアをなくすことが一番大切なのだと知りました。また国際シンボルマークのことも初めて知りました。私はこのマークは、車いす障害者専用のものだと思っていましたが、「専用」ではないのですね。
いろいろと知らないことばかりで、先生の話を聞いて改めて身の回りに障害者のことを考えて作られた物があることを知りました。しかし今回の講義で思ったのは、やはり私のように理解をしてない人や考えてない人達が多いと思います。このような講義を受けたからこそ、私達は真面目に考えていくべきだし、ボランティアなどを通して、接することも必要なのではないかと思いました。
こんにちは。北九州市立大学での4回もの講義、ありがとうございました。
宗澤先生の授業で、“障害”に対する意識が低い国民が多すぎるのではないかということを考えさせられ、同時に自分のそのうちの一人なのではないかと恥ずかしくなりました。先生の講義以降、今まで以上に点字ブロックや国際シンボルマークに目がいくようになりました。その際に点字ブロックの上に自転車があるだけではなく、ブロックが大幅にずれていて利用できる状況ではないと判断できるものを見つけることがありました。思い返せば私も自分の目で障害者用トイレが荷物置き場になっている状況を見たことがあります。
この記事にも述べられているように、多くの人たちが自分に都合よく生活しようとしている中で、障害があるないに限らず“全ての人”にとって生活しやすい課題を位置づけ、より良いノーマライゼーションを確立できればいいなと思います。
こんにちは。先日先生の講義を聞かせていただいた北九大の者です。
さいたま市の「ノーマライゼーション条例」本当に素晴らしいものだと感動しました。前回の授業で先生がおっしゃっていたように、現代では障害をもっている人が自分の人権が侵害されていることに気づきにくい社会になっています。私たちが普段普通に生活している社会は障害のある人を無視した上に成り立っているということが多いのが現状です。
だからこの条例が掲げている「誰もが共に過ごしやすいさいたま市を目指して」という言葉に感動し、とても心を引きつけられました。今後のさいたま市がどう変わっていくのかとても関心があります。
今回の飲料水の話を聞いてノーマライゼーションとは障がいのある人に私たちと同じような生活を強引にさせるのではなく、障のある人もない人も同じ地域で共に生活していけるような社会のことなのだと改めて感じました。
先日は、大変貴重な講義ありがとうございました。
今回の2回の講義では、「ノーマライゼーション」「バリアフリー」について深く考えることができました。
また、ブログの記事での飲料水の例を読んで、私は今まで、ミネラルウォーターを飲むのが当たり前であり、なので、障害者、高齢者の方もミネラルウォーターを飲むのが当たり前だというように考えていたことに気づきました。しかし、これは大きな間違えでした。障害者、高齢者の方に関わらず、すべての人がミネラルウォーターを飲むのが当たり前であるのです。
このことで、自分が、まだ障害者、高齢者の方の立場に立って物事を考えることができていないことに気づきました。また、ノーマライゼーションの本当の意味についても理解していませんでした。なので、先生の講義、ブログを通して、とても得ることが多かったです。
このことから、ノーマライゼーションを実現するためには、すべての人が「誰もが共に生きる」ことを考えることが必要なのだと感じることができました。
あけましておめでとうございます。
この間、北九州市立大学での先生の講義を受けたものです。
生きていくうえで人権を保障されるのはどんな人にもあてはまるはずなのに、介護が必要な人の生活を守るための福祉、介護サービスが不完全であることがよくわりました。
「障害のある人を人権の主体としとらえる」と言う言葉をきいて、ノーマライゼーションは容易でなくても、不可能ではないのだなと思いました。
ご教示いただきありがとうございました。
新年早々の講義ありがとうございました。
北九州市立大学のものです。
私は今までにユニバーサルデザインの商品をいくつか見てきましたが、ただユニークな形のペンがあるな、程度の感慨しか持ち合わせておりませんでした。
しかし講義を受けて、その重大さを理解できました。
ただ、どんなユニバーサルデザイン、またはバリアフリーの型をとっても、それにさえ適合できない人は出てくるだろうから、双方ともマニュアルのない複雑なものになるのだと思いました。
先生の飲み水のコラムを読むまで、平気で水道水を飲んでいたので、今後は控えるようにします。
先日は北九州までお越しいただき、貴重なお話をありがとうございました。
飲料水の例はとてもわかりやすくて、すごく納得しました。講義で知ったまわり段や紙幣の幅の違いが障害のある人にとってとても暮らしにくいということも、言われてやっと気付きました。
しかし、考えてみるとまわり段は障害のない健康な人でも危なかったり、怖いと感じたりするのに、それでも利用しなくてはいけない場合は危険を冒さなければならない、そんな社会なのにバリアフリーを訴える企業があっていいものか、とても疑問に思います。
社会的に弱い立場の人を差し置いてでも利益を優先するような世の中のままでは、どんどん格差が広がるばかりです。そのこと忘れずに、もっと人のことを考えられるようになろうと思います。
以前北九州市立大学での講義を受講しました。
最近、ユニバーサル・デザインを取り入れた製品、環境、計画などが急激に普及しているように感じます。私の幼少期は障害をもった方々が使いにくいようなデザインが多くありました。ユニバーサル・デザインは障害をもった方々にとっての4つのバリアを取り除くことを手助けする画期的なものだと思います。この普及を通じて、まだ根深く残っている市民の偏見を取り払うことができるのでしょうか。
私は、市民の偏見というものは情報量不足が原因のような気がします。ユニバーサル・デザインの普及によって、バリアフリーの現状を多く目にすることにより、障がい者がどのような風に困っているのかを知ることができると私は思います。またホンダ・フランツ・システムはサリドマイド薬害がきっかけということを知って驚きました。
こんにちは。先日、先生の講義を受けさせていただいた北九州市立大学の学生です。
先日、モノレールに乗ろうと歩いていた時に目にしたのですが、目の不自由な方のために道路に点字の線をひいてあるのですが、その道の上に自転車が止められていました。私たちにとって見れば簡単にかわせるものですが、目の不自由な方にはとても危険なものだろうと恐ろしくなりました。
私たちの何気ない行動の一つを取ってみても、障害者の方の人権を大きく傷つけてしまうのですね。自分の手の届く範囲だけでも、障害者の方がより住みやすいよう気をつけていこうと思わされました。
あけましておめでとうございます。この間は講義をしていただいてありがとうございました。北九州市立大学の生徒です。
先生の講義を聞いて、自分の身近には多くのバリアフリーが設置されていることを改めて知ることができました。また、ユニバーサルデザインについて私は、間違った解釈をしていました。障がい者の方々限定のものではなく、障害の有無に関わらないものであることをはじめて知り、驚きました。また、水の話など分りやすく説明していただき、障害のことにも、あてはまると知りました。
自分自身も、地域創生学群に所属しているので、福祉については知識があると思っていましたが、先生の講義を聞いて、自分はまだまだ知識が足りないことを知ったのと同時に、新たな知識を増やすことができました。
このたびは、貴重な時間を割いて講義をしていただきありがとうございました。
あけましておめでとうございます。この間は講義をしていただいてありがとうございました。北九州市立大学の生徒です。
先生の講義を聞いて、自分の身近には多くのバリアフリーが設置されていることを改めて知ることができました。また、ユニバーサルデザインについて私は、間違った解釈をしていました。障がい者の方々限定のものではなく、障害の有無に関わらないものであることをはじめて知り、驚きました。また、水の話など分りやすく説明していただき、障害のことにも、あてはまると知りました。
自分自身も、地域創生学群に所属しているので、福祉については知識があると思っていましたが、先生の講義を聞いて、自分はまだまだ知識が足りないことを知ったのと同時に、新たな知識を増やすことができました。
このたびは、貴重な時間を割いて講義をしていただきありがとうございました。
宗澤先生、こんにちは。
先日は北九州市立大学での講義、本当にありがとうございました。
講義を通して、ユニバーサルデザインという言葉をより身近に感じることができるようになりました。そして、もっと社会においてユニバーサルデザインが認識されることがノーマライゼーションの理念を理解することにつながるのではないかと考えました。
また、飲料水についての記事を読んで、自分自身の身近なところにノーマライゼーションを考えるための材料があることに気づかされました。これからは、私自身もこれまでとは少し違う視点から日常のあらゆるものを見ていきたいと思います。
一日でも早く、自分だけのことを考えるのではなく、「誰もがともに生きている」という意識を持った社会が実現してほしいです。
こんにちわ。先日は北九大での特別講義ありがとうございました。
私は今までノーマライゼーションについて深く考えたことがありませんでした。しかし、先生の講義を受け、私もノーマライゼーションに関わる一員だと知ることができました。また、「誰もがともに生きる」ノーマライゼーション理念は本当に大事なことだとこの記事を読んで思いました。障害者、高齢者、健全者、全ての人が平等になるのは難しいかもしれませんが、だからといってそれを見ない振りしてはいけません。だからこそ「協働決定」が必要なんだと思います。ユニバーサルデザインにおいても、健全者の人たちが思っていることと障害者の人たちが思っていることに、多くの違いがあると思います。なのでこちらの意見を一方的に押し付けるのではなく、両者の意見を取り入れることで、みんなが暮らしやすくなるのだと思います。
これからは、自分にとって当たり前のことでも、みんなにとってどうなのか、障害者、高齢者にとってどうなのかを考え、行動したいと思います。
宗澤先生、こんにちは。先日の北九州市立大学での講義、本当にありがとうございました。
ノーマライゼーション。知っているつもりでいましたが、この機会に少し調べてみました。それと合わせて、記事の飲料水の例のように、全体がそうであるから周りも合わせなければならない。ではなく、すべての人たちが最適な手段で得て、隔離せず、一緒に助け合いながら暮らしていくという、ノーマライゼーションのあり方を改めて学ぶことができました。
“自己決定には、協働決定が据わっていなければならない”という宗澤先生のお言葉に、大きな問題だけでなく、私たちの日々の生活にもとても関わる考えだと感じました。
そのように、ノーマライゼーションは“自分さえ”の考えでなく、すべての人が関心をもって取り組まなければならない問題であると感じました。
こんにちは。遅くなりましたが明けましておめでとうございます。北九州市立大学で先生の講義を聴いたものです。
先生の授業では始めて聞く、驚くような事実をたくさん知ることができて、楽しく講義を聴くことができました。
驚いたことなのですが、先天性で耳の不自由な方と筆談でコミュニケーションをとろうとすることは場合によっては失礼にあたること。それは助詞の感覚が理解できないから。ということや、日本で障害者用の優れた住宅は海外(どこの国か忘れてしまいました!)では普通の住宅とされている。などといったことです。私は福祉に関して知識が浅いので先生の一つ一つの知識に感心しました。
ブログの内容の、多くの人たちが「ミネラルウォーターを飲むようになった」から障害のある人や高齢者にも「ミネラルウォーターを保障する」はたしかに障害のある人や高齢者にたいして上目線で「保障してあげる」といった風に感じます。 ノーマライゼーションについてまだまだ難しいと思うことはたくさんありますが、先生の講義やブログを通して「知りたい」というきっかけができてよかったなと思いました。
こんにちは、北九州市立大学の者です。
私が、北九州市に引っ越してきてまず思ったことは、水が汚いということでした。そのため、市販の浄水器を取り付けていたのですが、この記事を読んで、硝酸態窒素・亜硝酸態窒素は除去できないと知りショックでした。また、こっちにきてからミネラルウォーターを買うようになっていたことに気付かされました。
「自己決定」ということは大切なことですが、それを振りかざして他者を無視したり、無関心になるのは絶対にいけないことです。「自己決定」と「協働決定」は、時に一緒に考えなくてはいけないことなのだと思いました。
この記事にある、農作物を栽培するのに相当量の化学肥料が必要不可欠だと考えている農家と安全な飲水を必要とする地域住民のように、多様な利害を一致させることは大変なことですが、「協働決定」による参画をもとに、「誰もがともに生きる」ノーマライゼーションの実現が大切だと思いました。
こんにちは。先日、北九大で先生の講義を受講させていただきました。
私は、バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉の意味自体は知っていたのですが、実際にはどういったことなのかという実感がありませんでした。また、悪いことではあるのですが、そういった事にあまり関心がなく、どこか他人事のような気さえしていました。
しかし、先生の講義を聞いて、そのような気持ちを変えなければならないと実感しました。私のような意識の低い人間がいるから問題がなくならないのではないかと、恥ずかしい思いをしながらも、考えさせられました。バリアフリーやユニバーサルデザインを実現するためには、まず、それらを求めている人以外の人間の協力が不可欠だと思います。そして、それらがあって当たり前、助けることが特別だと思わないくらいに自然に行動できるような社会にしていかなければならないと思いました。
貴重なお話ありがとうございました。先生のおかげで、私自身の意識が変わったと思います。もっと福祉に関して勉強しなければならないと感じました。
こんちには。先日、講義を聞かせてもらいました北九州市立大学の学生です。
講義を聞かせてもらい、障がいのある人だけでなく、すべての人が同じように生活し、活動できる社会づくりこそがノーマライゼーションの目的であることを、深く理解することができました。
講義の中で1番印象的だったのは、マンホールの上の点字ブロックがきちんとはめられていない写真を見せてもらったことです。ノーマライゼーションが実現された社会をつくるためには、建築物や通路、交通機関などをユニバーサル・デザインにするだけでなく、私たち健常者のノーマライゼーションに対する意識がもっと必要であるのだと思いました。
また、4つのバリアのなかで1番重要なのが、物的バリアであるということを知り、驚きました。心理的バリアをなくせば、障がいのある人にとっても過ごしやすい社会になると勝手に思っていました。障がいのある人の立場にたって考えていかなければならないのだと実感しました。
こんにちは。先日、北九州市立大学で講義を受けさせて頂いた者です。
今回の飲料水の問題で例えた話は分かりやすく、とても魅力的でした。今日の私たちは、水道水や井戸水が汚染されていると分かったら、汚染のことにはあまり心配をかけず、きれいな水を買えばいいと考えるようです。そのような考えではなく、今必要とされているのは誰もが安心して不便なく生活できる環境を作り上げることです。そうすれば私たちが目指しているノーマライゼーションという社会理念を達成できるでしょう。
そしてユニバーサル・デザインは障害者の便利を対象に作られたのではないことも知りました。人と人との隔たりをなくし、より多くの人が簡単に利用できるようにいろいろなものを改善して、進化させることが大切です。
そのために社会状況や困っている人の意見などを幅広く聞くことが必要だと考えました。
あけましておめでとうございます。新年早々の講義、ありがとうございました。
バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉は、障害者や高齢者のためにあって自分には関係ないものだと思っていました。しかし、ノーマライゼーションという考え方を学び、そういった区別した考え方や自分本位の考え方を持っている限り、理解も協力もできないものなんだと思いました。その結果、点字ブロックを隠したり、車椅子も使えるトイレが物置になっていたりするのだと思います。
ブログの飲料水の話もとても分かりやすく、改めて、ノーマライゼーションが社会に深く浸透していくといいなと思いました。すべての人がともに暮らしやすい社会を創っていくことは、とても難しいことだと思いますが、すべての人がそれを願い、実現していこうとする力があれば、可能なことだと思います。私もこれをきっかけに、さまざまなものの見方を変えていきたいです。
昨年の講義では貴重なお話を聞くことができました。
障害者の方の、施設や家庭内などにおける虐待の実態の事例。言葉をストレートにぶつけることができない、自分を守ることが困難な人たちが、さらに虐待されているなんてそれほど悲しいことはありません。より詳しく理解させていただいたのと同時にショックを受けました。それも私が深く知らなかったからであり、相手の立場を考えていなかったのだと思い知りました。こういう無関心が歩道での点字ブロック隠しなどの不謹慎な行為を産むことになっていると感じました。
先生のこの記事の飲み水に関するお話と同じく、自分ができることがすべての人にできるわけではない。その当たり前の意識を再確認し、実際の条例作りなり、一般のマナー改善をしていくべきと考えました。
こんばんは。
先日、北九大で講義を受けたものです。
福祉のことは、去年から小賀先生の授業を取っていたので、ある程度はわかっていたつもりでした。しかし、宗澤先生の講義を聴いて自分はまだまだほんの少ししか分かっていないことに気づきました。
障害者の人たちが、サービス・普段の生活・差別などで苦しんでいることは分かりましたが、まさか私たちに身近な飲料水でも問題が起こるなんて、この記事を閲覧するまで全く知りませんでした。
私の祖母の家の近くには、湧き水があり、今でもそのまま飲むことができます。しかし、「昔に比べて水が汚くなってきている。飲み水を買うなんてことはなかった。この水もいずれ汚されるのだろうか・・・」と言っていました。
時代が進むにつれて、発展していき、しかし環境は汚染されていく・・・ということは、もう今では一般的に知られていることだと思います。けれど、その問題の背景で障害者の人たちまでにも実は差別が行われていた・・・なんて、あってはならないことだと思います。障害者の人・健常者の人、みんなが安心して飲み水を平等に手に入れられる環境がいいと思いました。
長々と失礼しました。
こんにちは。先日はとても貴重なお話をありがとうございました。
この記事にあるミネラルウォーターの例はとてもわかりやすかったです。私たちにとってこんなにも身近な例に例えることが出来るのに、現代社会における福祉の実態は私たちの生活からとても遠いものと認識されていると感じます。日本では、障害の判断基準が医療的かつ制度的であるため、ニーズにあった支援が出来ていないと講義の中で学びました。支援においても、法律をつくってただ安心している段階で止まっているのではないかと思います。法律の名前と内容を知っていても、それが現場できちんと機能しているのか、身体的な面だけでなく、精神的な面でも負担を軽減できているのかは実際に自分の目を向け、声を聞き、その人の立場にたって考えないとわからないのだと思います。ノーマライゼーションの対象者に自分がいること、それが実現した社会を作るのも自分だという意識をもって生活すると、ニーズにあっているところも、問題点も見えてくると思います。また、システム化された社会の中で、障害を持つ人々の人権までもが侵害されている場面が当たり前のようにあることにも気付かされました。強いものがより便利さを追求するのではなく、全ての人が、不自由の無い生活を送ることが出来る社会の実現が真の共生なのだと思います。
こんにちは。先日北九州市立大学で先生の講義を聞いたものです。先生の講義のなかで、ヒイラギがあるせいで施設のスロープの手すりが使えないことや、足ふきマットで点ブロックが覆われていること、点ブロックは直線で敷設することが原則であるのに曲線で敷設してあったりという現状があることを聞いて驚きました。それらは必要なものであるのに、障がい者の方々がどのように利用するかを考えないで設置したために、その機能が全く発揮できていないという残念な状態になっていることに大変遺憾に思いました。私たちの身近なところにも、障がい者の方々にとって不便になっているものがたくさんあるのだと思いました。また、昔の紙幣は横幅と縦幅の長さの違いで識別が可能であったが、現在の紙幣は縦幅、横幅ともにほぼ同じ長さであるので識別が難しいと聞いて、私たちにとっては便利になったことが、障がい者の方々にとっては不便となってしまうことがあるのだと改めて意識しました。何が障がい者の方たちにとってよりよく過ごせるのかを考えることが重要であると私は考えます。
こんにちは。先日現代社会と福祉2の授業で、宗澤先生の講義を受けさせていただいた北九州市立大学の学生です。
先生の講義の中で、点字ブロックの上に自転車が置かれていることや、マンホールの蓋がずれた状態で置かれていることなど、何が人権侵害か気付いていない人が多いこと、また、本人も人権侵害されているということを自覚できていないということが多いと聞いてとても納得し、このような現状にとても悲しくなりました。そして、私たちは、ノーマライゼーションについてもっと考えて行動するべきだと感じました。
このミネラルウォーターについても同じことが言えると思います。そして、問題を回避するだけの策ではなく、根本的な問題の解決が必要だと感じました。
こんにちは。北九州市立大学での講義を受けたものです。先日は貴重なお話ありがとうございました
このノーマライゼーションの基盤の理念となる、「障害者や高齢者などの社会的に不利を負う人々を当然に包含するのが通常の社会である」というのは簡単なことではないなあと思いました。普段障害者(と呼ばれる人)の方と生活を送っているのは、極一部です。私たちが暮らしていく中で、「障害者」というのはやはりまだ特別な存在なのが事実です。
大切なのはその特別であるということを認めた上で、尊重しあい、限りなくノーマルに近い生活をしていくことだと思いました。
こんにちは。
宗澤先生のご講義とブログを見て、中学時代に街中で車椅子での生活を体験した授業を思い出しました。私の地元は山奥の田舎で、過疎化が進んで税収も少なく、バリアフリーやノーマライゼーションについての観念とは程遠いところで、坂道と階段と段差ばかりで、非常に苦労した記憶があります。そこでふと今住んでいる北九州市について考えてみると、私の地元に比べれば、歩道はあるし、点字ブロックまであります。でもその上には自転車などもたくさんあって、本当にもったいないと感じると同時に、こんな道しかないのはかわいそうだと、人事のように捉えていました。
ただ、私が勘違いしていたのは、車椅子の人が通りやすくするのがバリアフリーではなく、みんなが最も住みやすい環境を作り上げることがバリアフリーなのだということです。今後、誰もが使用できるバリアフリーを構築していく必要があると思いました。
島国で森林が豊かな日本は、水がとても豊かであると思っていました。
TVでは、高度経済成長期の日本と現代の日本を比べて、「河川がとてもきれいになってきた」や、「魚たちが川に戻ってくるようになった」という情報が多いような気がします。
また、都市の水道水を販売しているという内容も流れていたので、私は、良い側面しか見ていなかったことに気付かされた気分です。
海外で安心して水道水が飲める国は珍しいと耳にしたことがありますが、日本の水道水にも危険が潜んでいるならこれからの課題の一つだと思いました。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
埼玉大学で先生の授業を受けている者です。
今回の記事を読んで感じたことは、日本は民主主義で誰もが平等な権利をもっているという理想の裏に隠されている現実でした。「水」という空気と同じように人間の生活に欠かせないものが、商品化されることによって弱者の生命を危険にさらす現実をどうにかするために、社会は「消費者還元主義」を考え直さなくてはいけないと、真剣に考えさせられました。
誰もが喉に渇きを感じるし、安全な水の確保は健全者障害者関係なく必要なことだし、お金儲けだけを考えた利己主義に社会は振り回されてはいけない。そんな先生の気持ちが伝わってきた気がします。
ノーマライゼーションという福祉の基本的な考えを皆がもっと共有し、発展させていくためにも、身近でとても大切な「水」の問題はまず解決bしなくてはいけませんね。
水問題にたとえての強欲資本主義の内容では、確かに自己の利益しか考えていない人がいつなんどきでも現れてしまうものだと思った。このような人たちを止めるためには明確なルールを設定しないと不可能なのではないかと思う。そしてそれはそのときの状況によって変わってしまうものなのでとても難しいことなのではないか。私たち一人一人が他の人のことを考えるのは当然だが、すべての人が完全に安心できる社会を作るのは並大抵のことではない。しかしそれぞれの人がモチベーションを高めていけば、「みんなが安心できる社会」に近づくことはきっとできるだろう。
埼玉大学で先生の講義を受けている者です。
私の実家があるところは、ほとんど消毒しないでも飲めるような水を水道水として使っているようなところでした。だから実家暮らしのときはミネラルウォーターをかうようなことは考えもしなかったのですが、今ではミネラルウォーターを買う人の気持ちがわかるような気がします。水の味なんてそんなに違いがわかりはしないだろうと思っていたのですが、予想以上に違いは気になるものでした。だから、少しの汚染でも、それを飲む人々は敏感に違いに気付き、水道水から離れていってしまうのではないかと思います。
最近では浄水技術もあがり、以前ほど不味い水道水は無くなってきているようですが、安心して飲める水というのは浄水前の状態も気になるものだと思います。より安全な水のためには誰か一人が努力するのではなく、たくさんの人が相互に協力しあっていかなければなりません。
先生のブログを拝見していると、福祉について様々な視点から見ているので、福祉について今までとは違った見方が出来るようになりました。福祉というのは、つねに日常とともにあるということを感じました。
こんばんわ。北九州市立大学の学生です。
先生のブログを拝見させていただくと、自分の知らないことを知ることができ、とても勉強になります。
今回のミネラルウォーターお話についてですが、私は今まで水道水を平気で口にしてきました。水道水は身体にあまりよくないという程度の認識で、なにかあったとしてもお腹を下すぐらいだと思っていました。アフリカなど発展途上国の井戸水が濁っているのをテレビ等メディアでよく目にします。
世界には安全な水を飲むことができない国があり、日本では蛇口を捻れば安全な水が出るので日本国民は幸せ者だと思っていました。しかし、日本の水道水や井戸水は地域によって差はあるが、見た目は透明で安全そうに思えるが、硝酸態窒素・亜硝酸態窒素が含まれており、ガン・糖尿病・高血圧症等の疾患の原因になるということを知りとても驚きました。
生きるうえで必要不可欠な水の安全性は必ず確保しなければならないと思います。水道水や井戸水が安全でない場合、裕福な人はミネラルウォーター等安全と思われる水を購入したら済む話だが、そうでない人は危険な水を飲む破目になってしまいます。これは人権侵害といってもいいと思います。
裕福であろうがなかろうが、ライフラインは確保されなければなりません。誰もが安全な水をも飲めるように、行政だけでなく私たちひとりひとりが努力しなければならないと思いました。
こんばんわ。埼玉大学で先生の講義を受講している者です。
私の実家は湧水で有名な町で、わざわざ遠くから水を汲みに来る人もいるくらいでした。私の家にも地下水を直接くみ上げる水道があり、水道水=飲用水というのが当たり前の環境でした。ですから、つい習慣的にこっちの水道水を飲んだときは、あまりの薬臭さにおどろきました。有害物質を大量の薬品でごまかしているからなのでしょうが、それでも除去できない有害物質がいくつもあるというのには、今まで日本が水に恵まれた国だと思っていたばかりに、ショックでした。
さすがにこんなプール水のような水道水を飲む気にはなれないので、仕方なくミネラルウォーターを買っているのですが、実家だと蛇口ひねればいくらでも出てきたようなものを、たった1.5ℓに200円も払うのは馬鹿馬鹿しい気がします。水道水に発がん性物質なんかが含まれていると知ってる人はあまりいないでしょうから、お金がなくて、有害な水道水を飲み水にしてる人もいると思います。
安全な飲み水という、健康に生きていくうえで最低限必要な要素が、商品として売り買いされ、それが満たされない人もいるという状況は、一刻も早く是正すべきだと思います。
こんにちは。
先生の記事を見て、今まで知っていたようで知らなかったことがたくさんあり驚きました。正直障害者について改めて考えさせられると共に、あまり理解できない部分があり、もやもやしていましたが、水の例をあげてくださったので、理解しやすかったです。
それぞれ都道府県によっても水の味や成分は違うことは当たり前のように知っていましたが、今でも化学物質の影響を受けているところがあるとは知りませんでした。それでも日本では水道から比較的安全な水が流れていて、普通に口にすることができます。しかしあるところでは危険を冒してでも、安全ではない水を飲まなければならないところもあります。貧富の差や身分の差を感じざるを得ませんが、それはおかしいことであり、同様に障害者や高齢者とそうでない人たちの間にも差が生じるのは、やはり違うと思います。
「みんなの飲水」のように、「みんな」という言葉を大切に、障害者・高齢者だから特別扱いするのではなく、みんな同じように暮らしていける社会にすべきだと思います。
こんにちは
自分は先日成人式を迎えました。成人式には障害者の方も来ていて非常に移動などがたいへんそうだなと思っていました。
20歳になったのでこれからは選挙に投票することができます。今まで政治のことを真剣に考えたことがありませんでしたが、今回身近に障害者を見て、もっと障害者の人が過ごしやすい社会になればいいと思いました。
先生のブログを読んだのをきっかけにして障害者にとってどのようにしたら住みやすい社会になるか考えていきたいと思います。
こんにちは。埼玉大学で先生の講義を受講しているものです。
ブログを読んでいて、改めて人権とはなんだろうか、と考えさせられました。高校の政治経済等の時間で憲法上の人権については少しは学びました。しかし、ブログを読むと、憲法上の人権を学ぶだけでは全く理解が足りないことに気づきました。健全者(こう書いていいのかわかりませんが)と障害者とでは一口に人権と言っても同じ内容であっていいとは思えません。
水の問題もそうですが、人それぞれおかれる立場・状況が異なります。だからこそ、お互い譲歩し合ってお互いが納得できる形で解決しなければならないと思います。これから一つ一つの場面でこれらについて考えたいと思っています。将来、障害者だからとかいう括りなく、人が人を思いやれる社会になってほしいと願っています。
これからも頑張ってください。
人権の問題にも環境面での問題が絡んでいるのですね。考えてみれば当然のことのようですが、このブログを読むまでそのように考えたことがありませんでした。先生のお話、ブログにはいつも勉強させていただいております。
現在の社会はノーマライゼーションという言葉を使ってはいるものの、依然として健常者中心の社会であるとつくづく思いました。
今回の飲料水の件でも、多くの人たちが「ミネラル・ウォーターを飲むようになった」から、障害のある人や高齢者にも「ミネラル・ウォーターを保障する」という考え方が根本的に間違っていると思います。まず健常者に対するサービスがつくられ、その後余裕があれば障害者の人たちにも・・・という形のノーマライゼーションが行われている気がします。これはそもそもノーマライゼーションとはいえません。あらかじめあらゆる障害を持った人のことを想定していなければならないと思います。
本当のノーマライゼーションの実現には、もっとノーマライゼーションや障害者に対する理解が必要であると感じました。
昨年の北九州市立大学での講義、とても参考になり考えさせられるものでした。私は「バリアフリー」というのは高齢者が住みやすい環境を構築するものだと思っていました。しかし実際には高齢者だけでなく、障害をもった方や子ども、また健常者にも適した環境を整えることだということを知りました。
ミネラルウォーターの自己決定・自己選択の件ですが、自分の住む北九州市の八幡西区には浄水場があり小学校の時に見学に行きましたが、自分たちの生活に供給されている水がこれだけの浄化を経てもまだ水道水を直接飲むことはできません。
本当の意味でのノーマライゼーションを実現するために私たち健常者たちにも意識付けし、共通理解が必要だと思いました。
この記事を読むまで、自分のノーマライゼーションの認識は間違っていた。全ての人に同じような環境を与えることだけがノーマライゼーションだと思っていた。ミネラルウォーターの例にもあったように、障害者の方々にミネラルウォーターを与えるのではなく、すべての人が安全でおいしい水を飲めるようにするという考えがノーマライゼーションにつながると感じた。水を飲むにあたって、所得などによって格差が生まれないような社会をつくるためにも、今以上に公共サービスの充実が必要になってくると思った。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。