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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

去りゆく秋とともに悩み深し

 師走の時節となると、街の光景も仕事の世界も、何もかもが慌しくなります。四季に彩られる一年単位に稲作を続けてきた日本人にとっては、大晦日か年度末のどちらかで節目を設け、物事に決着をつけたい習性でもあるのでしょうか。行政の予算案が大詰めを迎える時期と重なることも手伝って、無理をしてでも何事をも「仕上げなければならない」というノルマの加重と強迫性の強まりに、私は閉口してしまいます。最近は、正月にも仕事をする羽目に陥っているにも関わらず、このご時勢のせいなのでしょうか、「仕事があるだけましでしょ」なんて言われる始末です。
 しかし、今年は特に、去りゆく秋を惜しむような紅葉の色づきを眺めながら、例年になく悩ましい思いを重ねていることがあります。
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写真 埼玉大学キャンパスの紅葉

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 先週のブログでお伝えしたさいたま市の条例づくりについて、多くの市民の参画が大切であることを記しました。そこで、悩みを深めてしまうのです。私に限らず多くの市民にとって、さいたま市という都市の性格や文化性がはっきりしないために、多くの市民の参画を促進するための文化的な共通基盤を見定めることに著しい困難を感じます。

 さいたま市は2001年5月、浦和市・大宮市・与野市の合併によって誕生し、03年に政令指定都市への移行を経て、05年にはさらに岩槻市と合併を重ねたところです。これは「平成の大合併」による寄せ合わせ的な性格を一面にもちますから、住民の地域的アイデンティティとは必ずしも一致するところではありません。

 例えば、さいたま市は「サッカーのまち」といわれますが、旧浦和市に「浦和レッズ」の熱狂的なサポーターがいる一方で、旧大宮市には「大宮アルディージャ」のサポーターがいます。このように、旧市の単位であれば、何がしかの文化的な共通基盤を見出すことができますが、「さいたま市」という単位になると不明瞭になってしまうのです。

 戦後第1世代の政令指定都市は、市民のほとんどが納得できる(少なくとも文句をいわない)共通のシンボルのようなものがあるでしょう。札幌市-「雪祭り」、福岡市-「博多どんたく」、神戸市・横浜市-「港」、京都市-「御所に神社・仏閣」と。
 私は大阪市の出身ですから、仮にこの条例づくりを大阪市で手がけるとすれば、さまざまなアイデアが湧いてくるのです。もし、ご家族に障害のある人がいる阪神タイガースの選手がいれば参加のご協力をいただけるといいな、夜のタウン・ミーティングの開催には夕食抜きでも参加しやすいように会場には「たこ焼き」の屋台を引っ張ってくればいいだろう、桂三枝かオール阪神・巨人に「ノーマライゼーション」ネタでお笑いを一席ぶってもらうとどうだろうか等、「これから大阪で新しい条例をつくりまっせ」というような気分にみんなが心を寄り合わせていく工夫を考えていくことができます。

 ところがさいたま市となると、どこを手がかりに大勢の市民の参画につなげていけるのかが、率直に言ってよく分かりません。何も奇をてらうような仕掛けを狙っているわけではなく、「暮らしを共にこの地域社会にみんなで生きる」ことをみんなで考えていくとっかかりが市民の多くにとって納得できる分かりやすいものである必要性を思案しているのです。

 読者の皆さん、何かいい案はありませんか? 遠慮なく提案をお寄せください。

(来週のブログは、出張のためお休みです)


コメント


 先生、こんばんは。ご無沙汰してます。大宮公園で春には花見、秋には紅葉狩り的な催し物はどうですか?
 話は変わりますが、最近テレビ等で事業仕訳けが騒がれていますが、福祉関係で何か見直しや予算削減等はありますか?
 それと厚生労働省が以前、障害者基本法を無くすとか言っていたと思いますが、その後どうなりましたか? 簡単で良いので教えて下さい。お願いします。


投稿者: @千住 t,k | 2009年12月05日 17:25

宗澤先生へ

こんばんは、北九州大学で障害者福祉論2の特別講義を受講させて頂いた者です。
こちらへのコメントでよろしかったでしょうか。

12月4、11日と二週続けての講義ありがとうございました。
私は法学部に所属しているため、福祉についての知識はまだまだで講義を通して色々と勉強させて頂いているところですが、今回の宗澤先生による講義は様々な調査や統計に基づいたものであったためとても分りやすく、また実際の現場で起こっている事例なども取り上げて頂いた事で、障害をもたれた方やその周りでサポートする人間が抱える様々な問題を具体的に知ることができました。

障害者の方への虐待が発生する背景にも、各々に様々な要因があるのだということも理解することができ、またそれらの問題に取り組んでいくことの難しさも感じる機会となりました。
複数の要因が重なり合うことで起こる困難な状況を改善していくには小さなことを一つ一つクリアしていくしかないとは思いますが、一日でも早くより良いサポート体制が確立できるようになればいいと思います。
私自身にとっても人事ではない問題となる可能性だってあるので、今後もこれらの問題に対して関心をもって生活していこうと思っています。

今回の講義では有意義な時間を本当にありがとうございました。


投稿者: アップルパイ★ | 2009年12月11日 22:34

 さいたま市民の方々に、さいたま市の人々に共通して馴染みあるの事物を募るというのはどうでしょうか。
 また、さいたま市民全員に古くから共通して親しみ深いものというと難しいかもしれませんが、今からさいたま市の人々に新たなシンボルとなるようなものを提案してもらうというのもありかと思います。


投稿者: ささみ | 2009年12月17日 13:46

 私もいい案が思いつきません。さいたま市民ではないせいでしょうか。さいたま市をよく知らないせいでしょうか。わかりませんが。

 紅葉の写真とてもきれいです。つい最近まで綺麗だった葉もだいぶ落ち、寒さも本格的になり季節の移り変わりのはやさを実感します。


投稿者: デール | 2009年12月17日 21:43

 私の住んでいる市も2005年にA市B町C町(仮)の3つが合併し、結果唯一“市”であったAの名に統一されました。合併から数年経ちましたが、未だに現A市民同士では、「旧B/C町民です」と紹介をしあう事が多々あります(私もA市民というよりB町民と云った方がしっくりきます)。
 やはり物心がついた頃から住んでいては、名前が変わっても、新A市民になったという意識を持つのには時間がかかると思います。
 当の私の住む市では合併化した後、地域行事としては例えば比較的大きい祭りだったB町の秋の農業祭が改名され、新A市の祭りとして行われていますが、やはりA市全体でのものとしては意識されていないようです。
 以前からA市で行われている花火大会も、旧B/C町民の多くは「Aの祭り」と実際他人(地域)事です。
 私の市の例では既存の行事を利用した事が理由かも知れませんが、新しい行事を作ったからといってる市民に受け入れられると云う事でもないと思います。元々別だったものがひとつに纏められたからといってすぐに市民全体の意識も繋がる事はできません。
 多少楽観論ですが、直ぐには困難でも、時を経て行くうちに共同の意識は自然と既成概念として定着して行くのではないかと思います。とはいえ何もせず放っておけばいいという訳ではありません。先生の仰る様な、新たな共通のシンボルの様なものを作って置いて、それが徐々に市民の意識の中で熟成していく事が出来れば、いいのでしょうが…。


投稿者: 水 | 2009年12月19日 15:43

 こんばんは。北九州市立大学の学生です。
 先日は、講義をしてくださりありがとうございました。
 福祉に興味がない人たちにノーマライゼーションについて考えてもらうのは、難しいことですね。
 私自身も、大学に入学して福祉の授業を受けるまで、ノーマライゼーションのはっきりとした意味を理解していませんでした。
さいたま市は、サッカーが有名ですよね!特に浦和レッズは、年代を問わず多くのサポーターがいるということでよく知られていますよね。
 そう考えると、さいたま市の人たちにとって影響がある人というのは、やはりサッカー選手なのではないでしょうか…?
 サッカー選手の方たちがノーマライゼーションについて理解し、市民の方に広めてくだされば良いかもしれませんね。


投稿者: R・K | 2009年12月19日 22:26

 私は浦和市で生まれ、越谷市で育ちました。さいたま市に限らず埼玉県には、共通のシンボルのようなものがあまりないように感じています。
 しかし、やはりサッカーは誇れるものです。浦和レッズも大宮アルディージャも好きなチームです。さらに、さいたま市には埼玉スタジアムという素敵なサッカー専用スタジアムがあります。ここは合併後に完成しました。
 旧浦和市や旧大宮市、浦和レッズや大宮アルディージャの枠を超え、大きくサッカーとして捉え、日本最大・アジア最大級の埼玉スタジアムをもっと利用して何かできたらと私は思います。


投稿者: ちびしお | 2009年12月27日 00:51

 私は生まれてからずっと旧浦和市に住んでいます。ですからやはり旧浦和市に偏った視点になってしまうかもしれません。
 でもやはり、レッズとアルディージャがさいたま市としての共通基盤になりうるのではないでしょうか。
 また、本拠地は違いますが、埼玉西武ライオンズにはさいたま市出身の選手も多いかと思います。千葉ロッテマリーンズの二軍球場もさいたま市内にあります。
 スポーツ好きなので偏っているかもしれませんが、これらは共通基盤になりうるのではないかと思います。
 わずかでも参考になれば幸いです。


投稿者: かんとく | 2010年01月02日 09:31

 あけましておめでとうございます。
 私は去年の4月に静岡から埼玉に越してきて8ヶ月になります。地元の地域の性格というと富士山とその観光、お茶など自然の恵みによって発達した文化を生かした性格だと感じていましたが、確かにさいたま市の性格というのは(まだ長く住んでいないからかもしれませんが)いまいちこれといったものが見当たらないように思います。
 先生はサッカーのまちさいたま市という点で旧市によってサポーターが分かれてしまうことをさいたま市として不明瞭だとおっしゃっていますが、「サッカー」というスポーツひとくくりで考えれば問題はないのではないでしょうか。
 また、さいたま市を単一とみるのではなく、もともとあった旧市の性格をそれぞれに引き出し合い、認め合い、交流できるような三食パン的な考え方はいかがでしょうか。


投稿者: BB | 2010年01月04日 16:48

 こんばんは。北九大の者です。

 障害者差別の講義を先日聞いて簡単に解決できる問題ではないと感じました。 
 現在の日本は、障害者に対して不自由のないようバリアフリーや点字ブロックを配置するなどして対応していますが、先生が言っていた点字ブロックのあるマンホールをてきとうにはめたり、点字ブロックの上に自転車を停めたりしてあまり意味をなしてないように思えます。障害をもっていない人々の障害者に対する無関心さがこのようなことを引き起こしているのではないでしょうか。
 法律上ではいいことを書いているがそれが実際に行われているかといえば私からすれば違うと思います。なぜなら上記のような細かなところに気を配ることができていなからです。私たちが意識することで少しずつ改善されるのではないでしょうか。


投稿者: みやび | 2010年01月05日 01:57

 先日、北九州市立大学での講義を受けさせていただきました。
障害者の虐待について様々な事例を元に、実態を知ることができました。
 アンケート調査を見ていた際、「これは虐待だ」と断言できるものから、「これはどうなのだろう」と判断に戸惑う内容もあり、実際にアンケートの回答も徐々に「虐待ではない」という回答の占めるパーセンテージが高くなってきていましたが、先生は「これは全て虐待行為にあたる」とおっしゃっており、私の見方も変わりました。
 これはどうなのだろうと思った時点で、故意ではなくてもそのような対応をしてしまう可能性がまったく無くはないのだと思います。
 虐待される側、する側それぞれをサポートできる体制がしっかり整えば虐待は減ると思います。虐待の定義を決めるのは難しいですが、より身近な問題としてとらえていく必要があると気付かされました。
 これからもこのような機会で得た様々な視点をもとに学んでいきたいと思いました。ありがとうございました。


投稿者: dym | 2010年01月05日 21:55

 私はさいたま市(旧浦和市)住民です。
 昨年の4月に大学に入ってから、「さいたま市って何が有名なの?」と聞かれることが増えました。が、いつもうまく答えられません。先生のおっしゃる通り、浦和・与野・大宮・岩槻と個々に分けると特色が上げやすいのですが、「さいたま市」として考えると困ってしまいます。
 私には、未だに旧市それぞれの枠がしっかりと残っているように感じられます。合併したと言えども、私たち住民の生活に大きな変化があったわけではありません。岩槻市も合併していたということを知らない人も少なくないと思います。
 
 ここはひとつ、新しいイベントを打ち出してみてはいかがでしょう。市が生まれてまだ間もないのですから、さいたま市の行事として定着させていくことができるかもしれません。
 埼玉県はケーキの消費量が日本一だと聞いたことがあります。スイーツ関係のイベントはどうでしょうか?完全に個人的な提案ですが(笑)。


投稿者: こうし | 2010年01月06日 00:09

 こんにちは。先日講義をしていただいた、北九州市立大学の学生です。
 私は、やはり「さいたま市」はサッカーが市民の文化的な共通基盤になるのではないかと思いました。
 スポーツは世代関係なく盛り上がれるものだと思っています。地域のチームを応援しサポートしていくというのは、地元にサッカーチームがある所でしか出来ないことだと思います。具体的な案は思いつきませんが、スポーツというのは取っ掛かりやすいので、サッカーを通じて市を盛り上げていくことができるのではないかと思いました。
 旧市の文化的な共通基盤だったかもしれませんが、今後サッカー自体がさいたま市のシンボルとして浸透していけば、すごく活気づくのではないかなと思います。


投稿者: UVLA | 2010年01月07日 15:16

 宗澤先生、こんにちは。先生の講義を受けた北九州市立大学の者です。
 12月4日と11日の講義のなかで、特に街のあり方について考えさせられた2回でした。
 共生の街づくりのためには、小さなことから関心をもち、少数者の問題であっても理解を寄せ合うような地域社会をつくることが大切であると分かりました。しかし、介護サービスを受けたいのに、困窮であるがために、満足のいくサービスを受けられず、限られたものしか受けられないという事実を知り、とても残念に思いました。
 その中で、佐賀の「地域共生ステーション」では、急な場合でも、食事も入浴も宿泊も受け入れられる体制が整っており、暮らしの基礎を重要視していて、このような施設がもっと増えたらいいなと思いました。
 さいたま市の目指す「友達のつくれるまち・安心して地域で暮らせるまち・安心して子育てできるまち」のような街がどんどん増えていって欲しいです。


投稿者: ホームパイ | 2010年01月08日 02:14

 こんにちは。先日の北九州市立大学での講義ありがとうございました。
 私は県外の出身なので先生が大勢の市民を集めることに悩む気持ちがわかるような気がします。私が北九州に来て感じたことは、田舎に比べマンションや団地の多い大都市では人のつながり、特に近所付き合いが希薄だと感じます。
 そこで、私はまず大勢の人を集めるのではなく近所の関係を綿密にする必要があると思います。人の関係が濃くなれば助け合いの心が生まれるはずです。それは福祉の制度が不十分な日本においてはヘルパーに頼るより圧倒的な効果を発揮すると思います。
 それがメディアでピックアップされれば少しずつですが大きなつながりへと発展するのではないでしょうか。
 そのためにもまずは自治会やマンションの住民といった小さな組織の繋がりを綿密にするためにも花見やもちつき大会といったイベントから始めることがよいのではないでしょうか。


投稿者: カーチス | 2010年01月10日 00:03

 12月4日、11日に北九州市立大学で現代社会と福祉2の講義を受講しました。
 その講義の中で1番印象に残っているのは、点字ブロックのあるマンホールがてきとうにはめられている写真でした。誰かがせっかくマンホールにも点字ブロックを作っても、ほかの誰かがそれを台無しにするのでは全く意味がないと思いました。
 私は、小学校でも中学校でも、障害のある人たちと交流する機会がたくさんありました。小学校では、それぞれの学年に障害のある子どもたちのクラスがあり、一緒に遊んだり、授業を受けたり、給食を食べたりしました。また、中学校では、中学校から歩いてすぐのところに盲学校があり、文化祭や体育大会など、いろいろな行事を一緒にやっていました。
 私は、障害のある人たちとたくさんかかわってきているはずなのに、公共の道路で歩きにくい道があるとは知らず、普通にあるいていました。でも、それでは障害者の人々が快適にすごせるようにはならないのだと思いました。自分が普通に歩いているこの道を、不便だと感じる人がもしかしたらいるかもしれない。いつもそのように意識して、自分のことだけではなく、他人のことまで注意を払って生活しなければならないと思いました。


投稿者: びすけっと | 2010年01月11日 10:58

 先日、北九州市立大学にて講義を受けさせていただいた者です。
 その時の授業では、辻井伸行さんとジャズピアニストの方のコンサートを見せていただきました。辻井さんのことは、ニュースなどの報道で少し見たことがある程度でしたが、今回の授業で実際に辻井さんのピアノを聞いて、とても引き込まれました。
 全盲でピアノがうまいということで、単に「全盲なのにすごい」が先行してしまいがちであると先生がおっしゃったのを聞いて、自分はまだまだ理解が足りないなと思いました。辻井さんのピアノを見て圧倒され、障害とは何なのだろうと考えさせられました。音楽を通すことによって、普段の講義よりも受講しやすかったです。ありがとうございました。


投稿者: dym | 2010年01月12日 00:06

 こんにちは。先日は北九州市立大学での講義ありがとうございました。大変興味深いお話を聞かせていただきました。

 その中でも、点字ブロックについてのお話は印象的でした。
 街を歩く際、自転車が点字ブロックの上に並んでいる光景は残念ながらよく見る光景です。これは、地域社会が障害を持っている人に対して無関心であるからだと思います。

 ブログの記事についても同じようなことを考えました。合併してできた政令指定都市には、都市開発が進む地域と中心部から外れている田舎の地域が混在するという特徴があると思います。そのため、共に地域全体を考えるということに対して、あまり関心がないのではないでしょうか。

 このような状況の中でも、何らかのきっかけを通して地域社会に関心を持つ人が少しでも増えていくと良い方向に向かうと思います。何らかのきっかけでさいたま市のまちづくりも市民参画が進むことを願っています。

 本当に有意義な授業をありがとうございました。


投稿者: ☆T.N☆ | 2010年01月12日 10:45

 こんにちは。先日北九州市立大学で宗澤先生の講義を受けさせていただいた者です。障害を持った人の人権について様々な面から考えることが出来ました。

 その中で私が印象に残ったフレーズは、「障害のある人を人権の『主体』としてとらえる」というところです。障害を持った人の目線で物事を考えることで誰もが暮らしやすい世の中になるのだと実感しました。また、それは障害があるなしに関わらず、お年寄りや子供、女性などにも当てはまることなのだと、広がりを持って考えることができました。

 掲載されている紅葉の写真ですが、とても綺麗ですね。仕事に追われ鬱状態になってしまう人をテレビで見たことがあります。忙しいといわれる世の中を生きていく中でも、余裕を持ち、美しいものに目を向けていきたいものです。

 合併したことで起こる障害ですが、住民がもっと地域のことを考え、活発な意見交換の必要性を感じます。また、その場を作っていくことも必要だと考えます。

 色々と考えさせられた講義でした。有難うございました。


投稿者: KPKのK | 2010年01月13日 11:42

 明けましておめでとうございます。先日北九州市立大学で宗澤先生の講義を受けさせていただいたものです。

 講義を受けて思ったのは、バリアフリーなど障害者のための設備を整えるだけではあまり意味がないということです。講義の中で写真もでていましたが、点字ブロックのあるマンホールが適当にはめられていたり、点字ブロックの上に自転車がとまってたり、これではせっかくの設備も台無しです。このようなことにならないためには障害者以外の人が社会福祉に関心を持ち、多くの人が小さなことから意識を変えていくべきだと思います。

 しかし、社会福祉に関心を持っている人は少ないのが現状であり、実際自分も真剣に考えたことはほとんどありませんでした。しかし先生の講義を受けて知識も深まり全く関係ない問題だとは思わなくなりました。多くの人がこのような講義を受けられればいいのですが、そのような環境ではないのが現状です。なので埼玉での浦和レッズのような多くの人が参画でき、きっかけとなる共通の媒体を通して福祉への関心を広めていくべきではなかと思いました。


投稿者: どっく | 2010年01月13日 18:59

 昨年、北九州市立大学で講義を受講した者です。

 講義を受けて、最も考えさせられたことは障害を持つ方々への配慮が少々足りないのでは、ということです。
 
 障害者権利条約には「すべての人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有」とあり、法律などでは障害を持つ人が過ごしやすい環境を作ろうと試みています。
 確かに公共の施設には、バリアフリーなど増えてきていると思います。しかし、日常生活で通る歩道などでは、駐輪の仕方ひとつを取ってみても、障害のある人を配慮しているようには思えません。

 このようなことは、都会になればなるだけ著しくなっているように思えます。それは田舎の方のように、人々のつながりや地域社会における親密さが足りないからなのでしょうか。

 個人個人がもっと障害を持つ人たちに関心を持つことができたら一番良いのでしょうが、それは難しいと思うので、地域ごとでの取り組みなどが増えていくことで、個人の障害をもつ方々への関心が増えていくのではないかと私は思います。


投稿者: S.T | 2010年01月13日 19:53

 先日、北九大で講義を受けさせていただいた者です。先日の講義で挙げられた数多くの事例から、障害者や児童の虐待についての現状と実態を知る事ができました。一口に虐待と言っても様々なケースがありましたが、その中には私の想像の範疇だったものもあれば、想像を超えていたものもあり、まだまだ自分の見解が狭かったことを思い知らされました。
 ブログの内容にあったさいたま市の条例作りについてですが、私自身もさいたま市を深く知っているわけではないのですが、やはり広く知れ渡っているサッカーを取り上げていくことが大勢の市民の参画につなげやすいと感じます。それぞれ応援しているチームは別かもしれませんが、市全体がサッカーというスポーツで盛り上げられていることは事実だと思います。サッカー選手を通じてノーマライゼーションへと話を広げていくことで市民の参画が得られると私は考えています。


投稿者: うたかた | 2010年01月13日 20:07

 遠方から北九州市立大学へお越しいただき誠にありがとうございました。
 ノーマライゼーション条例についての授業で、障がいのない人の基準で技術が発達している事実に気づかされてどきっとしました。技術の発達が障がいのある人を住みにくくしているなんて考えたことありませんでした。この環境が当たり前として育ってきたからです。
 環境について広い視野を持ち、誰もが意見を言える社会にするには、やはり教育の中に自治の意識を取り入れるべきだと思います。そうすることで大人だけでなく今から成長する子どもたちにノーマライゼーションについて考えてほしいです。


投稿者: SHOKOランタン | 2010年01月14日 12:12

 こんにちは。北九州市立大学の者です。2回目のコメント失礼します。
 福岡にもアビスパ福岡というJリーグチームがあり、私はそのサポーターです。
 アビスパというよりもこれは多分Jリーグ全体の活動だと思うのですが、毎年数回、視聴覚障害者サッカーチャリティーイベントで「音サッカー」というのを行います。これは、鉛の鈴が入ったボールの音と、コーラーと言われるプレーヤーやボールの動きを指示する人の声だけを頼りに動くサッカーです。コーラーとキーパーだけ健常者で、中のプレーヤーは視覚障害者とアイマスクをした健常者になります。
 私はこのイベントを知るまで『障害者にはできないことが多い』という偏見的な認識がありました。しかし、実際は誰かの支え、地域の協力があれば不可能なことは少なくなるのだと実感しました。変な偏見や固定観念を持たず、視点を変えて障害者と接すること、これが地域に根付けばもっと障害者が暮らしやすい社会になると思いました。
 そのためにはやはり、地域で障害者と健常者がふれあう場を増やしたり、イベントなどを頻繁に行う必要があると思います。


投稿者: なかあゆ | 2010年01月14日 15:43

 こんにちは。
 以前、北九州市立大学で先生のお話を聴講いたしたものです。

 私の地元の老人ホームでお年寄りにご飯を与えないなどの虐待を行った全国紙で大きく取り上げられた事件がありました。その事件以来、老人の虐待はテレビの世界だけの話ではないと、身近なだけに恐怖を感じるようになりました。
 結局は老人ホームは儲かって何ぼの営利目的であるから虐待や帳尻をあわせ赤字を出さないために食事を与えなかったりするのではないのかと思います。やはり、投資の対象となる営利セクターは見直されるべきなのではないでしょうか。
 授業で拝聴した富山方式・佐賀の「地域共生ステーション」には非常に驚きと感銘を覚えました。顔見知りの関係を土台にすることは大事だと思います。それが無きゆえに赤の他人としてしか介護者が思わなくなるときがあり、込みあがる怒りをぶつけるのではないのかと授業を通して思いました。


投稿者: ギバチャン | 2010年01月14日 16:15

 こんにちは、北九州市立大学で先生の講義を拝聴致しました。先日は、お忙しい中私たちに講義をして頂きありがとうございます。

 合併は、その地域に住んでいる方にとっては、とても抵抗があるものだと思います。私の住んでいる地域の近くでも、合併により、町の名前が変わりました。そのことで、長くその地域に住んでいる人は、自分が生まれ育った地域の町の名前が変わってしまったことに少なからずショックを受けているようでした。また、先生が述べられているように、地域によって文化や風習が異なる場合、どうそれを合致させるのか非常に困惑すると思います。うまく妥協や、共存することが出来れば良いですが、それが原因で住民に亀裂が入ってしまう可能性もないとはいえません。政策を行う際にも、同じ町になったとしても、住んでいる地域によって、求められる政策も違うと思います。もしも、合併する際には、そのような事を考えた上で、慎重に事を進めなければならないと思いました。


投稿者: 曉 | 2010年01月14日 17:35

こんにちは。先日、宗澤先生の講義を聞かせていただいた北九州市立大学の学生です。

さいたま市の「ノーマライゼーション条例」づくりの講義を聞かせていただきました。
その中で、佐賀県の地域共生ステーションの施策のところに興味を持ちました。
福祉・介護サービスの拡充が地域社会の親密な関係に繋がるようにすることや、暮らしの隅々に世代横断型の活動があふれるようにすることで共生の街づくりに取り組むことは、ノーマライゼーション条例づくりに必要不可欠なことではないかと思いました。ケア・支援サービスは人とのつながりを強めゆたかにするものとおっしゃっていたように、地域社会のつながりを軸に考えていけば、すばらしいノーマライゼーション条例ができるのだと思います。


投稿者: ぶどう糖 | 2010年01月14日 21:03

先日、講義を受けさせていただいた北九州市立大学の者です。
 さいたま市で、共通のものを探すのは、すんだことのない私にはわからないでが、応援するのは違うチームでもサッカーという点だけで盛り上げることもできるかもしれないです。
 私の姉が福祉の仕事をしていますが、やはりよく聞くのが虐待の痕のある老人や、さらには、介護師から虐待を受けている老人が、姉の仕事場にはいないそうですが、いるそうです。
 地域で一体感がないと介護などでも、孤独が生まれ一人で抱え込み、正常ではなくなり虐待が行われるのだと思います。やはり、佐賀県地域共生ステーションのように、地域の一体感を作り、介護などの関心を強めることが大事だと思います。
 


投稿者: みい | 2010年01月14日 23:14

 こんにちは。埼玉大学で講義を受けさせていただいている者です。
 私が今住んでいる所も、2007年に某市に吸収合併されてしまいました。住民投票で「合併しない」という結果が出てからわずか1年ほどで、今度は住民投票もなしに合併が決められてしまいました。財源の関係などで仕方のないことだとはわかっていても、自分の育った町の名前が住所から消えるということに悲しみがこみ上げてきました。
 合併先の某市には有名なお祭りがありますが、それは某市だけのものであり、合併された地域では自分の市のお祭りだと思っていない人がほとんどです。また、合併された地域の特産品を某市の特産品のように言うことに何だか違和感を覚えることもあります。
 某市に様々な地域が合併した後に、某市が新たなアピールポイントを作りました。気温が暑いという、誇っていいのかわからないものです。このアピールポイントには、昔から某市民の人々も苦笑いでした。
 昔からのシンボルでは合併された側は馴染めず、新しいシンボルを作ってもそれが定着するとは限りません。さらに、シンボルとして人々の中に定着するものとは、小さい頃からそれを身近に感じたり、身近な人がそれについて話してくれたりといった条件を満たすものが多いのではないかと思います。
 いっそのこと「○○が有名なA市、●●が特産のB市…それらが集まってZ市!」のように、合併前の地域の特色はそのままその地域の特色として活かすのはどうでしょうか。地域同士の特産を知り、そこから共通点が見いだせればそれをシンボルとすることも可能だと思います。共通点が見いだせなかったとしても、相互理解を深めることで何らかの発展が見られるのではないかと考えます。


投稿者: へい | 2010年01月17日 14:53

こんばんは。埼玉大学で先生の講義を受講しているものです。
先生のどの記事にコメントを投稿しようか考えていた時にこの記事を読み、私自身もとても深く悩みました。というのも、まさに私は現在のさいたま市に生まれてから現在まで暮らしてきているからです。確かに、浦和であればサッカー、大宮であれば鉄道、岩槻であれば人形などさいたま市を細かく見てみればシンボルになるようなものが見当たりますが、さいたま市全体となると少々考えさせられてしまいます。
不況のせいなのか、さいたま市と同様に町や村、市が合併するという話をよく耳にします。合併して政令指定都市になることによるメリットも多々あると思いますが、忘れてはいけないのが合併をしたそこの住民がその地域とどう密接に関わっていくのかだということだと思います。実際に私は旧大宮市に住んでいるわけなのですが、さいたま市になったからといってあまり変わり映えがしないのです。
私は無理にさいたま市は××が有名で、などとする必要はないのではないかと思います。もともと4つもの市を1つにして構成された市なのですから、戦後第1世代の政令指定都市と比べてその引き出しは多いはずなのです。ですから、さいたま市にはあれもこれもあるんだぞ、ということを全面に打ち出していけば良いのではないかと思います。そのためには、私たち住民もさらに地域のことを知る必要があると思うし、それが住民と地域社会の共生につながっていくのではないかと思います。具体的に言えば、それぞれの地域も特産物などを紹介したりするイベントなどを開いてみてはどうでしょう?


投稿者: るーぱー | 2010年01月20日 02:28

 私の住んでいる所も6市町村が合併して一つの市になりました。
 合併しても小規模な市ですが、市民みんなで何かをするというのは、難しいように思われます。
 ただ、町であった地区には某温泉街があり、また、旧市村にはそれぞれに温泉施設があることから、市では温泉を使って盛り上げようとしているようです。
 新しいことを始めて、成功させることはそれなりの労力や費用、時間がかかってしまうので、今あるものを最大限利用することの方が良いと思います。
 その点では、さいたま市はサッカーの街ということは絶好の材料ではないでしょうか。
 二つのチームが存在することは、さいたま市の良いところとも捉えられるし、チームの枠を取り払ってみることもひとつの考え方だと思います。


投稿者: はる | 2010年01月20日 18:19

 こんにちは。埼玉大学で講義を受講している学生です。
 たしかにさいたま市というと関東の首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)の主要な街の中でいまいちぱっとしないイメージはあります。記事にも書かれていた通り他の都県にはなにか共通したイメージがあったりしますが、これといってさいたま市にはなし…。
 私的なことなのですが、私はサッカーが好きで浦和レッズのサポーターなのですが、やはりライバル大宮アルディージャは敵対視してるためあんまりいいイメージがないです。。。
 サポーターの分布としても、同じさいたま市内でも旧浦和区を中心にレッズ、大宮を中心にアルディージャのサポーターがいるわけですからそこで仲良くというのは難しいことなのかもしれません。
 しかしそこの二つのチームのサポーター同士うまくやっていけたら話は別で、さいたま市をサッカーのまちにでき、町のシンボルとすることも可能なのではないでしょうか?


投稿者: がちゃぴん | 2010年01月23日 14:53

 こんにちわ。北九州市立大学の学生です。
 私は、今住んでいるA市が隣の有名なB市と合併したらいいのにとずっと思ってきました。私の住んでいるA市は、私が知らないだけかもしれませんが、これと言った特産物もありませんし、夏のお祭りも小規模で市外から人を集めるほどのものではありません。人口も50000人程度で全国的に認知度の低い市です。それに比べB市は全国的に知られた市で、私は出身地を聞かれたとき「B市の隣の市です」と、答えます。
 そう答えるたびに、いっそうのことB市と合併してB市出身と名乗りたいなと思います。A市に愛着がないわけではありません。しかし、特産物や有名なものが見当たらないため合併してもいいんじゃないかと思うのです。
 さいたま市は私の住んでいるA市とは違い、旧浦和市にはサッカーチームの浦和レッズがあり、旧大宮市には大宮アルディージャと全国的に認知されたものがあります。(さいたま市に詳しくないので旧与野市と旧岩槻市のことはよく分かりません。)全国に誇れるものがあることはとても羨ましいことです。
 しかし、そういう市同士が合併した場合、新しい市としてお互い共通基盤を見出すのはとても難しいことだと思います。さいたま市に詳しくないので、何を共通のシンボルにしたらいいかよい案が浮かびません。
 先生が関わっておられるので、さいたま市を全国で1番福祉の整った市を目指すというのはいかがでしょうか。市民全体で誰もが住みよい町を造っていってほしいです。


投稿者: takulaw | 2010年01月25日 17:54

 埼玉大学で講義を受講している者です。
 わたしは長野県の出身で、山に囲まれた田舎から埼玉に来ました。正直センター試験の点数で志望校を決めたので、さいたま市って何があるのと親戚などに聞かれて困ることが多く、こちらに来てから友人に聞いてみても、釈然としない答えと苦笑が返ってきます。
 わたしの地元でも町村合併があり、四町村が合併しました。しかし合併とはいえ名ばかりで、住民の意識はほとんど変わっていません。わたしの住んでいた町はその中には入っておらず、森林浴や木材、中山道の名所・難所といわれた自然の風景など、町民の誇れる名物もあるので、やはりその町というくくりに強い愛着を感じます。
 さいたま市も、これまで過ごしてきた人たちにはその人たちの旧市への思い入れがあるでしょうから、同じ一つのものを全域のシンボルとして掲げるには複雑な思いが伴いそうです。

 ところで先日、サークル活動の一環として、大宮のソニックシティで行われた「咲いたまつり」というイベントに参加しました。これはさいたま市として市民が集まって交流し、一体感を育むことが目的にあるということです。わたしたちのサークルは、桜区といえば埼玉大学ということで声をかけていただき、市内十区の出し物を発表するイベントに出演しました。
 このように各地域で名物の分かれた地域ですから、「競い合う」ことでお互い知りあい、認め合うことが、内外にさいたま市の同一性を示し、育むのに有効なのではないかと感じました。サッカーチームの関係性には詳しくないですが、せっかくレッズとアルディージャがあるのですから、交流試合を持ってファン同士応援合戦もして、「レッズ vs アルディージャ」の試合がさいたま名物、というのもいいのではないでしょうか。

 わたしの地元でも、さいたま市でも、今はそれぞれの誇る名物を再確認し、合併後の姿に抵抗感を持たない人が未来に一つにしていく、それには時間がかかることを実感しています。


投稿者: time | 2010年01月27日 06:08

 宗澤先生こんにちは
 私がさいたまに越してくるまえまでに住んでいたところも私が高校生のころに合併しました。でもいまいちなぜ合併したのか分かりません。合併したことによって何かがぱっと変わったわけではないからかもしれません。
 私が越してきたときにはすでにさいたま市だったので、合併までにどんな経緯を経たかは分かりません。しかしなんらかのメリットがあっての合併だったのだろうから、もっとさいたま市全体が画期に満ちればいいと思う反面、さいたま市を活性化するようなこれといった案が浮かんでこないのが残念です。しかしサッカーと密接に関わっている市なので、サッカーの要素を取り入れた方法が一番かなと思いました。


投稿者: jjcm | 2010年01月27日 15:05

 こんにちは。初めて書き込みをさせていただきます。
 この文章ですについてですが、僕は先生と同じことを考えています。「さいたま市」、または市に関わらず埼玉県全体において、その地域性や市民の意識など疑問に思うことが多いです。
 僕は神奈川県小田原市の出身のものですが、「小田原のここが好きだ。」「あそこの景色が大好きだ。」というような地域を愛する心というものがあります。僕のみならず普通その地域に住んでいる人間ならば、地域愛なるものがあるように思えるのです。
 しかし、僕の周りにいるさいたま市出身の友人や、さいたま市に長く住んでいる人に、さいたま市が好きかと尋ねると「別に普通です。」とか「あんまり好きじゃない。」などと言われます。自分もさいたま市に住んでいますが、さいたま市について感じることは正直、大きなベッドタウンというような感想です。地域ならではの文化や行事なんてあまりないような気がするのです。
 やはり先生がおっしゃるように何か住民が意識のようなものを同じくできるような、なにかが必要だと思います。さいたま名物の食べ物を作るとか、荒川をもっと押していくとか考えましたが、このようなことで何をアピールすべきなのかがわからないのが「さいたま市」なのだと思います。 さいたまの悪口みたいになってしまいましたがさいたま市に住んで2年。少しずつさいたまが好きになってきました。東京が近いですしね(笑)


投稿者: あばば | 2010年02月02日 16:37

 こんにちは。
 旧浦和市、旧大宮市など旧市としては共通基盤があるが、「さいたま市」としての単位が不明瞭とありますが、これはさいたま市民の意識が少なからず関係してるのではないでしょうか。
 というのも、今のさいたま市民には、自分がさいたま市民であるという自覚よりは、旧市の市民であるという自覚のほうが強いのではないかと考えるからです。さいたま市民のさいたま市民であるという自覚が強くなれば自然と「さいたま市」としての共通基盤ができるのではないでしょうか。
 実際、自分の生まれ育った市も自分が生まれる前に合併によってできましたが、いまでは1つのしとしての共通基盤が出来上がっているような気がします。


投稿者: たっちゃ | 2010年02月02日 19:55

 私の住んでいた地域も合併によって4つの町が1つの市となりました。フェリーでしか移動することのできない島までもが1つの同じ市となりました。もともと4つの町だったものが1つになったため、かなり広範囲にわたる市となり合併から5年経ちますが、同じ市民である、という意識はかなり低いと思います。もともと各町で行われていた祭りは残っていますが、お互い(旧町)が勝手に行っているというような意識で、市全体で関わろうというような意識は働いていないように感じられます。
 もともと1つの市でなかったものがいきなり広範囲に拡大されても、やはり別々の地域であるという意識は残ると思います。「暮らしを共にこの地域社会にみんなで生きる」ことをみんなで考えていくには、同じ市民であるという意識が根付くのを待つしかないと思います。おそらく、下手にシンボルを作り上げようとしても『みんな』の中には定着しないと思います。逆にいえば、時間が解決してくれる問題であると思います。


投稿者: さき.H | 2011年01月20日 01:12

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
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