「ノーマライゼーション条例」づくりスタート-さいたま市
去る11月10日、清水勇人さいたま市長はさいたま市障害者施策推進協議会に諮問し、「ノーマライゼーション条例」づくりがスタートしました。
この条例は、障害の有無に関わらず、誰もが地域の中で、自分らしく生きる暮らしを共にできる地域社会の実現を目的としています。障害者の権利条約の批准に向けた政令指定都市の取り組みとして、大変重要な意味をもつ取り組みといえるでしょう。
写真1 諮問する清水勇人さいたま市長
今回の条例でもっとも大切なことは、当事者・市民による当事者・市民のための条例づくりであるという点です。条例づくりに当たって諮問を受けたのは、「さいたま市障害者施策推進協議会」という市の附属機関(地方自治法第138条の4第3項)ですから、形式的な手続きとしてはこの協議会が議論をまとめ意見具申することになります。しかし、この条例は、地域の広範囲な当事者・市民の参画にもとづく過程と内容をもち、このプロセス全体を共生社会の実現に向けた市民のエンパワメントにしていくことが必要不可欠です。高い理想に向けた前進をみんなで一歩共にすることさえできないのであれば、高い理想を掲げる条文をつくることはできたとしても、その後はそれぞれがバラバラの方向に歩き出すだけで終わるからです。
そこで、今回の条例づくりの主役は、いうまでもなく地域に暮らす当事者・市民の皆さんです。皆さんが地域社会の中で困っていること、暮らしづらさを感じていること、人権侵害だと憤ったこと、それでいて我慢やあきらめを強いられたこと… これらすべてのご意見や体験がもととなって条例が育まれ、世に送り出されるのです。
この条例づくりにあっては、さいたま市障害者施策推進協議会の中に、「検討専門委員会」を設置しましたが、この委員会は地域の当事者・市民の皆さんに育んでいただいた「条例の胎児」を世に送り出すために「産婆役として産湯を司る」ための、実務作業委員会に過ぎません。さいたま市という地域の胎内に赤ちゃんを宿し、育んでいくのはあくまでも当事者・市民の手にかかっています。「当事者・市民に開かれた条例づくり」という意味にとどまるのではなく、「当事者・市民が主役の条例づくり」を担保する参画です。
図1 条例づくり広報ビラ第1号
第1号の広報ビラを作成しました。このビラにあるように、2010年2月11日のシンポジウムを皮切りに、市内の取り組みが本格化します。条例づくりの主役である地域の当事者・市民の広範囲な参画の核を担っていただくために、当事者を中心とする「100人委員会」(ここでいう「100人」とは「多くの」という意味で、「定員100人」という意味ではありません)を公募を含めて設け、ここが主体となって市内各所でミニ集会(いわゆる「タウンミーティング」、ただし「やらせ」は一切ありません)を開催しながら、皆さんの体験やご意見を集約していきます。
集会やヒアリングの輪に加わることによって、「自分が悪い、いたらない」と思い込まされてきたことが、実は社会の側が改善を引き受けるべき問題であるとはじめて分かるようなこともあるでしょう。
また、わが国においては制度上の「障害」範囲が狭く規定されてきましたから、自分と「障害のある人」との間に距離を感じる人もいるかも知れません。しかし、「産休解雇」というような女性に対する社会的抑圧は、今日においても深刻な社会問題です。新しい命を育むために必要な女性の身体的・生理的・精神的必要を「弱点のある労働力」という観点から捉えてはばからないような風潮は、「障害のある人」の人権侵害を産みだす職場や地域社会の問題構造と限りなくダブるところがあるのではないでしょうか?
このようにして、今回の条例づくりは「誰もが自分らしく生きる暮らしを共にすることのできる地域社会の実現」が目標であり、その実現のためには多くの幅広い当事者・市民の皆さんの参画による力が必要です。条例づくりをゆたかにするための提案や意見も受けつけていますし、ミニ集会の設営・運営等への限られたご協力でも結構です。
この条例づくりにおいて、すべての市民の皆さんがどこかに参画し、共に生きる輪を広め、絆を強めることができた時、この条例は「市民がみんなでつくったんだね」と元気な産声をあげて成立する運びとなるでしょう。
コメント
このような「生の声」を聞くことによって障害をもつ方々がより暮らしやすい社会になることはとても望ましいことであるが、時にはそれはただ「意見」として軽視され自治体の都合がいいように扱われることもあります。ぜひ、条例づくりに関係する方々には一度は現場を訪れ、声の重みを再認識して頂きたいです。
こんにちは。北九州市立大学の学生です。
先日は講義をして頂きありがとうございました。
友だちのつくれるまち、安心して地域で暮らせるまち、安心して子育てできるまち。一見当たり前のことのようですが、実際に出来ているのかどうか考えてみるとわかりません。
今までは、ノーマライゼーションという言葉について深く考えたことはありませんでした。障害のある人は多くの不便なことがあったり、差別を受けたり、条例が出来ても簡単に改善できるものばかりではありません。社会が発展することによってますます障害のある人が除外され、権利が保証されなくなってしまうなどの問題もあります。
それらの点を考慮して、よく話し合いを重ね、良い条例をつくってほしいです。障害のある人の気持ちはその人本人しかわからないことなので、意見を聞く人数は多ければ多いほど良いと思います。
ノーマライゼーション条例は非常によく出来た仕組みの中で作られるようで、すごくいい条例だなと思いました。
ノーマライゼーションとは元々「共生社会」を意味するものですよね。みんなが共に生きていける理想の社会づくりは、当事者が意見を出さないと理想の社会は実現できるものではないと思います。まさに“Nothing about us without us!”(引用:障害者権利条約発行時の発表声明)の考えですよね。
また100人委員会も市民の方々の意見を取り入れる良い場だと思います。意見をまとめるということは、難しいことです。少人数のほうが意見はまとまりやすいので、話し合いの場は人数を少なくしがちですが、100人の委員で話し合おうという考えは素晴らしいと思います。
この条例づくりに、市民の方々の声がより多く反映されることを願っています。
こんにちは。私は、北九州市立大学で宗澤先生の講義を受けた者です。
先生の講義を聞いて、日本はいまだに障害のある人に対して関心の無い社会であることが分かりました。関心が無いからこそ、点字ブロックがグチャグチャな状態のまま放置されていたり、障害のある人がなかなか職に就けないような社会になっているのだと思いました。
社会で生きている人々(健常者も障害のある人もみんな)が、安心して暮らすことのできる社会を目指すこのノーマライゼーション条例の取り組みはとても良いことだと思います。
このような取り組みの中で、障害のある人の気持ちに対して少しでも関心を持てる人が増えていけばいいなと思いました。
ノーマライゼーション条例が、地域の人々みんなが納得できる形で成立する日を心から願っています。
北九州市立大学での講義、本当にありがとうございました。
ノーマライゼーションを唱えるだけでなく、実際に条例を制定すべく動き出している地域、また、当事者・市民参画で条例づくりが行われている現状を先生の講義で知ることができました。
現社会の発展に対して、極端な言い方にはなりますが障害のある方や高齢者を社会から排除して考えている地域・人々が多すぎると私は感じました。講義の中で社会権(生存権)を保障するかわりに自由権を剥奪しているとありましたが、まさにその通りだと思います。
市民や当事者の声を取り入れる「さいたま市の条例づくり」の取り組みがより多くの地域に波及し、1人ひとりが社会福祉について考え日常生活での些細な障害に気づき解消していけるような社会になることを願うばかりです。
条約や条例を作る人はたいてい健常者だと思います。しかし、この条例づくりの主役は、地域に暮らす当事者・市民の皆さんだと言うことで、すごくいいなぁと感じました。
”誰もが共に暮らしやすい”というのは、一見当たり前で簡単そうに見えるし、普通に暮らしやすく生活している人もいると思います。
しかし現実として、障害のある人にとっては健常者が気づかない事が障害であったり、その逆があったりと、まだまだ完璧な社会ではないのだなぁとこの議論がされる度に思います。
暮らしやすさを完全に実現することは困難なのかもしれませんが、少しづつでも、公言だけでなく実行する必要があると感じました。そのためにもみんなの協力が必要だと考えました。
このノーマライゼーション条例でもっとも重要視された『当事者・市民による当事者・市民のための条例づくりである』という点に、私は驚きでした。そこには「市民」という言葉が入っているからです。
私はいままで、町でもいろいろなバリアフリーを見かけ、高校の現代社会の授業でいろんな条約が出来ていると学びました。しかし、あまり身近に感じることができませんでした。
また、これらはただの見せかけに過ぎず、その決まりで、いかに障害のある人たちの生活しやすい環境を作ることが出来るかが重要だと感じました。
ただバリアフリーを置けばいい、条約をつくればいいと思うのではなく、どこにどのようなバリアフリーを置けばいいのか、そのようなことを、利用者だけではなく市民の目も取り入れて考えることができたらどんなにいいでしょうか。
この条例作りをきっかけに、市民の皆さん一人一人の距離が縮み、絆が深まることを強く願っています。
この記事を読んで、条例づくりに障害のある人本人や市民が主体となって取り組むことはとても大きな意味を持つのだと感じました。先生がおっしゃるように、高い理想を掲げる条文をつくっても、それに当事者や市民の思いが反映されていなければ「絵に描いた餅」になってしまうと思います。
特に、当事者の意見を聴くことはとても重要だと感じます。現在の日本では障害のある人とない人との関わりが少なすぎて、障害のある人がどのようなことに困っているのかが理解されにくく、ノーマライゼーションの実現が困難になっているのではないでしょうか。当事者の意見を聴くことで、このような状況は大きく改善されると思います。
また、市民と当事者が共に条例づくりに参画することで、「障害のある人」との間に距離を感じる市民が減ることも期待できると思います。可能な限り多くの人の意見を取り入れることが、よい条例の成立につながると思います。
こんにちは。北九州市立大学で先生の講義を受けた者です。
この記事に関する講義を先生がして下さった時、国は障害による結果の違いを「いたしかたないもの」とし、特定の能力を「あたりまえ」とする社会をつくりだした、とおっしゃいました。私はその言葉を聞くまで、国は障害を持つ人に対して最善をつくしているのだと勘違いしていたのです。先生の出された例やお話を聞いているうちに、日本の現状がありありと感じられました。
こうした中で、今やっと「ノーマライゼーション条例」づくりが開始されたことは非常に大きな一歩だと思います。市民・当事者の双方が自分ではない他者をも守ろうとするような社会の実現にむけて、さらなる意見交換や共通する課題認識の理解が必要だと思います。そして日本がひとつの国全体でこういった取り組みをしなければならないのではと思いました。
こんにちは。先日は北九州市立大学での二週に渡る講義をしていただきありがとうございました。
先生の講義では、事例や統計を使って説明して下さりとても理解しやすく、興味深いもので、障害者虐待防止のためには法整備や被虐待者・虐待行為者へのケアといった環境作りが大変重要であると感じました。
この記事で紹介されているノーマライゼーション条例もその環境作りの一環で、障害者でも、健常者であっても同じ条件で生活できる社会のためには大変重要であり、当事者・市民が条例作りに参加するという点も、とても評価できるものでこうした取り組みはどんどん増えていって欲しいと思いました。
ただ一点、かわいそうだからと言って、声の大きい少数派の過大な権利を求めるままに、条例を作ったりしないで欲しいと思います。障害者・健常者双方にとって理想的な社会にするための条例作りをしていただきたいです。
先日は北九州市立大学での講義をありがとうございました。
ノーマライゼーション条例はすばらしい条例だと思いました。
しかし日本は誰もが地域で自分らしく生きるということができない国だと自分たちで言っているようで、寂しい気持ちと恥ずかしさを覚えました。
ある知り合いの女性は熱心に仕事をしています。先日妊娠をしました。しかしその会社では産休はたったの二ヶ月ないので、その女性は仕事を辞めざるを得なくなりました。
おそらく私たちの知らないところで障害を持った方は日々そのような思いをしていると思うと胸が痛みます。
条例をきっかけに市民も行政も社会的弱者に対する意識をもってほしいです。
ノーマライゼーションの考えはとてもすばらしいと思います。しかし、その実現はとても難しいものであるとも思います。
障がいのある人もそうでない人も分け隔てなく暮らせる社会作りをするには、お互いの理解が必要であると考える。お互いの望む形には必ずしもなるとは限らないため、最も近い形にしていく必要がある。この記事のさいたま市の条例はその点で理想的なものであると思う。
上に立つ人間が会議をして決めていくのではなく、条例を作り上げていくのが当事者達であるというのがお互いにとって良い意味での妥協点を見出す事へ繋がるのではないだろうか、という考えが頭をよぎりました。
そういえば私の地元はいまだに歩道の段差が高かったりと、さまざまな点でバリアフリーも行き届いていません。早いうちに本腰を入れてほしいものです。
北九州市立大学4回生の者です。先日は私たち北九大生のために遠方はるばるお越し頂きありがとうございました。
今回の記事の内容は講義中でも取り上げていただいた「ノーマライゼーション条例」についてでした。私はこの条例作成にあたって、間接民主制と直接民主制の双方を取り入れたツートラック制を導入した点に非常に重要な意味があると思います。選挙で市民が選んだ代表者(市議)とはいえ、その人達で構成された市議会で作成される条例には限界があり記事中にもあったように独り歩きしてしまう傾向がある。そこで、市民・当事者が同じ議題を取り扱い、共に条例をつくり上げていこうとするシステムは効果的かつ画期的だと感じました。
今後としては市民の方々がその条例づくりに積極的に参加できるように、障がい者の人々についての理解を深め、何より市民自らが「まち」をつくるということを考えさせることが必要になってくると私は考えます。
こんにちは。私は、北九州市立大学で特別講演を受けた学生です。
現在の政策や条例の多くは、マジョリティ、つまり健常者が基準として施行されています。
当たり前すぎて気がつかないけれど、知らず知らずのうちに、障害のある人達が排除されるような社会が作られてきたという現状があることを、講演から学びました。
民主主義国ならば、もっと国民、住民の声を聞き、反映させる義務がある。
講演を聞き、私はそう感じるようになりました。
障害を持つ人、高齢者の意見こそが誰もが自分らしく生きる社会を作る上で、重要な役割を担っています。
その点で、このさいたま市の取り組みは理想的だと思います。
それぞれ生活の中で、不便に感じることや改善してほしいと思うことは異なるので、そう簡単なことではないけれども、1人でも多くの住民の声が反映された社会づくりが今後も必要だと感じました。
計4回の特別講演、ありがとうございました。
先日は、北九州市立大学で貴重な講義をしていただきありがとうございました。
今回の記事を読んで、さいたま市の「ノーマライゼーション条例」が障がいを持つ人々の暮らしに少しでも良くなるものだと期待したいです。
当事者や地域の人々で協力して条例を作り上げていくのはとても素晴らしいものだと思います。現状をよく知らない人が集まって作った条例では当事者の方に満足できない部分が出てきてしまうと思うからです。
ただ、心の中ではもっと障がい者の方に暮らしやすい街づくりをしたほうが良いと思いはするが、思うだけで、他人事に考えていた部分がありました。しかし、今回のように地域の住民が関わることができるのであれば、私も少しでも貢献することができればと思います。
こんにちは。北九州市立大学の学生です。
この記事を読ませていただき、改めて「ノーマライゼーション」について考えることができました。
私はノーマライゼーション(条例)の“障害の有無に関わらず”という言葉に重要性を感じます。記事にも述べられているように、この条例づくりの主役は地域住民であり、障害を持つ人だけの話ではないはずです。誰もが一市民として自分たちの生活をゆたかにするために、普段の生活で感じた暮らしづらさ、人権侵害等に対する意見をどんどん送り出すことがカギとなってくると思います。
自分に障害はなくとも、社会の中で“もっとこうしたら住みやすくなるのに!”という思いを感じることもあるだろうし、人権を侵害された、ということもあるかもしれません。障害を持っている人はそれ以上に様々なお思いを感じているでしょう。
ノーマライゼーション条例は自分たちの地域を自分たちでよりよいものにするためのきっかけにもなると考えます。“障害の有無に関わらず”という考え方を多くの人が持てるような未来になればと思いました。
北九州市立大学で先生の講義を受けた者です。貴重なお話ありがとうございました。
さいたま市という大きな都市がノーマライゼーション条例づくりに取り組んだことは、とても大きな一歩であると思います。これを機に誰もが暮らしやすい共生社会を築ければと思いますが、実現には多くの人理解を得ることこそが重要であると考えています。少数の意見こそ大事に、という民主主義の考え方は素晴らしいですが、やはり理解してもらえる人々は多ければ多いほど良いものです。
私は大学にて講義を受けるまで、ノーマライゼーションというものを全く意識していませんでした。全ての人がそうであるとは考えませんが、おそらく殆どの方々はこの言葉の意味を知らなかったことでしょう。広報活動を行っているようですが、それでもどこまで結果が出ていることか……。より広く広報すべきであることは確かですが、やはり義務教育のときから徹底した教育を施していれば、より社会はノーマライゼーションの実現をしやすくなると思います。
こんにちは。先日、北九州市立大学で講義を受けさせていただきました。
貴重なお話をしていただき、ありがとうございます。
現代の社会や福祉と言われているさまざまな仕組みが、実際には障害をもった人々の自由を剥奪し、「自分には障害があるから悪いのだ」と思い込ませるような仕組みでしかなかったことに非常に驚きました。
また現在の医療や福祉、社会サービスがそれぞれに問題を抱えていても、制度としてはある程度充実したものではないかと考えていたことが情けなくなりました。
かつては、琵琶法師が非常に広い地域を徒歩で移動していたというお話を聞き、このことこそまさに、今の社会がいかに障害を持った人を排除し押し込めるものであるかを現し手いるように思えます。
たとえば視覚障害者に対するサービスといえば、点字表示や盲導犬などがあるかと思います。これらのサービスそのものはとても良いものだとは思いますが、視覚に障害がある=点字・盲導犬といった先入観があるために、自分の力だけで歩こうと思えず、また周囲の人からも歩くことを止められるような状況が起こりえるのではないかと思いました。
本人の意思ではなく周りの環境によって、その人の生き方が決定されるような社会の仕組みを変えていくことがノーマライゼーションに繋がるのではないかと考えます。
先生の講義の中で、ノーマライゼーションについて考えていかないといけない課題がたくさんあると私は思いました。
講義を聞きブログを拝見すると、政府が考えている理論と当事者が考えていることには差があると感じました。障害者の権利条約では、社会権を保障するかわりに自由権を剥奪するとありました。だから、障害のある人を人権の「主体」として捉えるということは簡単なようで難しいと実感しました。
障害のある人にとって暮らしやすい社会は、社会自体が変わっていかなければならないと考えました。
条件づくりに必要不可欠な要件として先生がお話されていた中で、とても印象に残ったのは包括的な障害概論という制度の谷間を作らないということでした。私は、ノーマライゼーションという言葉だけでなく、意味はもちろん陰に隠れている背景などもたくさんの人に知ってほしいと思いました。
北九州市立大学で宗澤先生の講義を受けた者です。貴重なお話をして下さりありがとうございました!!
さいたま市のノーマライゼーション条例作りについての話を聞き、同じ政令指定都市として、北九州市も「当事者・市民による当事者・市民のための条例づくり」を行ってくれればどんなにいいだろうと感じました。
私は現在障害を抱える子の日中一時支援をする所でパートとして働かせて頂いております。そこで一人の身体障害を抱える小学生の女の子と結婚についての話になり、その時女の子が「私は結婚できんもん」と言っていたのが、なんだかとてもショックでした。なんとなく言った言葉だったとしても、「どこかで何かをあきらめなきゃいけない」と思いながら生きてるのでは?と考えてしまったからです。
障害があろうがなかろうが、幸せに生きていくということをあきらめないでいれる世の中を、市民みんなで作っていくということは、とても大事なことだし、それが実現できるよう自分もやらなきゃいけないことは沢山あると考えています。
ノーマライゼーション条例作りの発展を心より願っております。
こんにちは。先日先生の講義をうけた北九州市立大学の者です。興味深い講義ありがとうございました。
今までノーマライゼーションという言葉は知ってはいたけれど本当の意味は理解できていなかったと思います。近代では社会開発が進み、ハンディキャップをもった人が生活しにくい社会になっています。障害のある人、そうでない人、高齢者や妊婦、子どもなど誰もがすべて同じ人間として不平等に扱われることなく平等に共に生きていくことができる社会になればいいと思います。
さいたま市の「ノーマライゼーション条例づくり」において当事者である地域住民の意見が取り入れられることでより実用的で効率的な条例が出来上がると考えます。誰もが変わりなく平等に暮らせる社会の創造につながる条例の完成が楽しみです。
障害のある人に対して「理論」上では人権を保障しているかもしれないけれど、実際には社会で排除され人権を侵害されている人達がたくさんいるというのが今の日本の現状であるということを講義を聞いて知りました。
そんな中、このさいたま市の「ノーマライゼーション条約」は大きな意味をもつと私も考えます。ノーマライゼーションの実現は大変なことかもしれないけれど、地域の住民一人一人が自分たちの町を誰もが住みやすい地域にするために、障害のある人のことを実際に考えたりもっと理解を深めながら意見を出し合い、町を改善していくことはとても重要なことだと思います。
また自分たちの条例を作っただけで満足するのではなくて、自分たちで管理運営することが権利でもあり義務でもあるのだということを知りました。このような動きが人権を「現実」に保障するということなのだと思いました。
こんにちは、北九州市立大学の学生のものです。
先生の記事を読んで、さいたま市がこのような取り組みを行っているとしりました。ノーマライゼーションを提唱していくことも大事ですが、実際に行動に移せているのか、そこが一番重要なのだと、さいたま市の行動を見て思いました。
現在何気なく生活している社会(市町村)の中で、立場や環境が違えば、感じることや思うこと、様々な意見があるとおもいます。それらのすべてが改善されより良いものになるとは断言できないですし、ましてそれが、ほんとに市民のためのものになるとも限りませんが、市民みんなが参加して作るこらこそ意味のある条例になっていくのであり、これからの社会の進み方に影響を与えていくことは間違いないとおもいます。
これからのさいたま市の動向がとても楽しみです。
条例をつくるのが市民自身の手に委ねられるというのは、当たり前かもしれないけど、大事なことだと感じました。市民の意見が直接反映されることで、形骸化したものではなく、一人ひとりが安心して自分らしく生きるために必要不可欠な条例になるのでしょう。この条例で、ノーマライゼーションの考え方が多くの市民に浸透して、誰もが暮らしやすいまちになることを期待します。
このような取り組みを全国でも進めていけばいいのに、と思いますが、自分の住む地域や障害者に対して、あまり関心を持ってない人が多い今の日本では、難しい地域もあるのかもしれません。しかし、日常生活を送る中で、困ったことや人権を侵害されたと感じる経験のある人は必ずいるはずです。
このようなことを自分たちの手で解決できるのだということを教えて、多くの人の意識を変えさせるためにも、さいたま市の取り組みが広く知れ渡ってほしいと思いました。
宗澤先生、こんにちは。先日、北九州市立大学で先生の講義を受けたものです。
ノーマライゼーション条例というのは、素晴らしいものだと思いました。さいたまは大きい都市でもあるのでたくさんの異なった考え方を持った人がいます。障害を持った方もおられると思います。その中で、誰もが地域の中で自分らしく生きるというのは、すごく難しいことだと思います。ですが、それを市の条例にしようというさいたま市の姿勢にも感動しました。
私は、ノーマライゼーションという言葉は知っていましたが、意味はほとんど知りませんでした。先生の講義で言葉を聞いて、意味を知り、世界全体がこの理念を実行することができたら、と思いました。北九州市でもさいたま市同様ノーマライゼーション条例のような条例ができるといいなと思いました。
宗澤先生、こんにちは。
先日、北九州市立大学で先生の講義を聴いたものです。
先生のおっしゃっていた「『子育て疲れ』で疲れないことはない」というのがとても印象的でした。普通に暮らしているひとでも暮らしにくい街づくりがされているんだろうなというのを感じました。これを解決するためには、もっと住民の意見を反映させた決まりを作るということが大事になってくるのだと思いました。
さいたま市の「ノーマライゼーション条約」づくりはまさに画期的な作り方だと思います。「100人委員会」というのが設置されていて、そこから生の市民の声を反映できるからです。このような取組が街づくりに必要なんだなと思いました。また、ノーマライゼーション条例を作ろうとするさいたま市もすごいなと思いました。ノーマライゼーションを実現することは難しいことだとは思いますが、実現出来たらとてもいい街になると思います。
講義ありがとうございました。
ノーマライゼーションやバリアフリーという言葉がよく掲げられていますが、実際のところまだまだ不便さは山ほどあって、誰もが地域で自分らしく生きていける社会には程遠いという現状に先日の講義で気づきました。
しかし、そういう社会から脱却していくには、私たち健常者、そして障がいを持っている人が「当事者意識」を持って自ら変えようとしなければならない、そしてすでに動いている人々がいる、ということがわかりました。ホンダのフランツシステムの開発者が、自ら立ち上がって研究の功績を顕したように、健常者だと気づきにくいシステムの欠陥をぜひ訴え、健常者は「普通は」という偏った感覚を一新していく動きが第一歩なのですね。
“誰かが勝手に決めている”条例とするのではなく、自分たちのシステムは自分たちが運営・管理することは可能である、とさいたま市の例から学びました。
普通こういった条例をつくったりする際には、上に立つ人間の考えや価値観ばかりが導入されているように感じます。しかし、このさいたま市の「ノーマライゼーション条例」の場合は、条例づくりの主役が地域に暮らす当事者や市民ということで、実際の経験や意見が活かされるし、本来やるべき条例のつくり方だと思いました。
講義の中でもありましたが、今までの社会は障がい者が自責の念を抱きながら、思うように生活することをあきらめるしかない社会でした。障がい者は自分の人権を侵害されていることに気付くこともなく、今日までの生活を送ってきたのでしょう。そのような障がい者の思い込みをなくし、障がいのある人もない人も、積極的にまちづくりに意見を出せるような社会にしていくことがこれからの課題であると感じました。
先日、北九州市立大学で先生の講義を受けたものです。今回の講義で、ノーマライゼーションの大切さを実感することが出来ました。
その地域に住む人たちの意見を聞くことで、本当の暮らしやすい地域が作れるのだと感じました。きっと地域の人たちの意見を聞いたとしても、それぞれの意見が合わなかったり、予算の都合が合わなかったりしてすべてを実現することは難しいのだろうと思います。
しかし、集会のときに全員が納得していけるような話し合いが大切になるのではないかと思いました。このような取り組みについて今回改めて知ることが出来てよかったです。あまり今まで自分の暮らす地域について考えたことがなかったけど、これからはもっと興味を持って考えることが出来そうだと思いました。
宗澤先生の北九大での講義の中で特に印象に残った言葉の一つは、「本人が、人権侵害されてることに気付かない社会」です。
障がいがあるなどして、社会生活の中で何か不便が生じても、仕方のないことだと諦めてしまう人は少なくありません。しかしそれは、ただ社会が配慮すべきことを怠っているせいである場合もあるのだと、この言葉で気づかされました。社会とは、私たち自身のことでもあります。社会を変えるには、まず私たち自身の意識変革が必要です。自分と違う障がいをもった人と同じ目線で考えることは難しいかもしれません。
しかし、少なくとも、自分が少しでも疑問に感じたことやおかしいと思ったことは、周囲に訴えていくことが大切だと感じました。同情だけでは、いつまでたっても権利が守られる社会にはならないのです。私たち一人一人の自主性が、人権が守られる社会をつくる鍵だと思います。
こんにちは。先日は大変貴重な講義をありがとうございました。
私は、幼稚園児の頃から中学校を卒業するまで、障害を持った方々と同じ敷地で生活をするという経験をしています。
だから、私なりに彼らの生活のことを分かっているつもりでした。
なので、現代の社会や福祉と言われているさまざまな仕組みが、実は障害をもった方々に、「自分には障害があるから悪いのだ」と思い込ませるような仕組みをしていたということを聞いた時には、驚きが隠せませんでした。
彼ら障害者やご年配の方々などの生活を、これから良くしていくためにも私たちができることは、国や地方自治体に頼らずともやっていきたいと感じました。
しかし、私たちの力にも限界はあります。そこは行政に条例等で、手助けしてもらえればうれしいです。
私は以前福岡の宗像市の条例づくりについて勉強したことがあります。この時も当事者・市民の意見や体験を聞き、そして取り入れた条例づくりがなされていました。
ノーマライゼーションの実現という点において当事者・市民からの提案という「生の声」は軽視できるものではありません。市民による市民のためのその地域に合った形の条例というものがあまり全国の地域に広まっているかというとそうではないと思います。
さいたま市という政令指定都市が共生社会の実現に向けたこういった取り組みを成功させることによりこの取り組みが全国に広がり、その地域の人たちが当たり前に住みやすいという状況が達成されることを願っています。
先日の講義ありがとうございました。
先日は、北九州私立大学での講義ありがとうございました。
障害のある人に限ったことでなく、「誰もが自分らしく生きる暮らしを共にすることのできる地域社会の実現」というこの条例作りの目標にハッとさせられました。障害のある人に限ったことでなく、障害のある人も障害のない人も、自分らしく生きたいという願いは同じなのだと気づきました。またこの気づきから、私自身が無意識のうちに「障害のある人」と自分の間に距離を感じていたこともわかりました。
障害を持つ人を特別な存在として見るのではなく、障害のある人、ない人が自分らしく共に生きる社会がノーマルだという考え方ができていなかったと思います。障害を持つ人をノーマルにするのではなく、生活の環境をノーマルにすることが、ノーマライゼーションなのではないかと思いました。そのためには、個別のニーズの細やかな把握が必要だと思います。
こんにちは、北九州市立大学の者です。
12月11日の授業で、障害のある人に対して社会権(生存権)を保障するかわりに、自由権を剥奪しているとき聞き、はっとさせられました。私たちは、命があればいいじゃないかと考えてしまいがちですが、様々な権利を迫害されて生きていくことは本当にいいことだと言えるのかと考えさせられました。そして、“どちらかを”ではなく“どちらも”保障していく必要があるのだと思いました。
また、記事の中で「産休解雇」についての話を読み、私たちも様々なところで権利を迫害されており、決して障害のある人は遠い存在ではないんだと気付かされました。
さいたま市の「ノーマライゼーション条例」づくりは、市民の声が反映されるなどの点でとても良いものだと思います。
これから、「ノーマライゼーション条例」づくりが各地に広がるために何が自分にできるのか考えていきたいです。
こんにちは。北九大の学生です。今回の記事で、ノーマライゼーションが「すべて」の人にとってのものだと改めて感じました。すべての人にとってであるノーマライゼーションという考えは、実現はなかなか難しいですが、大切な考え方だと思います。
実際に市民が意見を出し、反映されることは、重要だけどなかなか無かったことだと思います。こういった活動が講義だったり、ブログからでも伝わっていくとよいですよね。
こんにちは。私は北九大の学生です。
今回の記事や、先日の講義で取り上げていただいた、「ノーマライゼーション条例」は、とても興味深いものでした。中学、高校の授業でも、「ノーマライゼーション」と言う言葉はよく耳にしてきましたが、それは漠然とした概念の話で、実際には身近に感じることもありませんでした。
しかし、このような、当事者、市民による、当事者、市民のための条例は、健常者では気がつきにくい問題にも気づくことができ、また、その地域に住む人々も、「ノーマライゼーション」を身近に感じることができると思います。そして、このような条例を知って、もっと他の市町村でも実施していくべきではないでしょうか。
もちろん、問題も出で来るかもしれません。しかし、そのような問題もその地域の人、みんなで解決していくことによって、より良い社会ができると思います。
ノーマライゼーションがいかに大事であるかというのは、先生の講義で知ることができましたが、実際にその問題に取り組んでいるさいたま市は凄いと思いました。みんなから意見を聞けばいいという人もいますが、実際そのような機会はあまりありません。そのために、先生の講義であったように点字ブロックがずれていたり、とても歩きにくい状態だったり、暮らしやすいようにしているものでも独りよがりになってしまいます。だからこそ、さいたま市が行っている当事者・市民による当事者・市民のための条例づくりは本当に大切なことだと思います。
このさいたま市のノーマライゼーション条約がさきがけとなって全国に広まればいいと思います。そして、全ての人が暮らしやすくなればいいと思います。
私は、講義の中で先生が、近代開発によって、障害のある人は使いにくくなり排除され、能力のある人は、便利で多くの自由を手に入れるような世の中になったと述べられたことが印象に残っています。
確かに、障害者は社会によって、努力の問題ではないのに努力不足だなどと言われ片づけられ、排除され、やりたいことを諦めたことが多くあったと思います。
先生がおっしゃったように、私達は気付いていないことが多いと思います。私は、ATMや切符売り場などのタッチパネルは、実際は障害者の排除を促進しているものだと考えたことがありませんでした。
地域の広範囲な当事者・市民が参画し創られている「ノーマライゼーション条例」は、障害の有無に関わらず、誰もが地域の中で、平等に人権が保障され、自分らしく、互い尊重し合い、安心して暮らせる地域社会の実現と、今まで障害者を排除してきた社会に対し、「共に生きる」ということを考えることに繋がると考えます。
このノーマライゼーション条例を制定するに当たって大切にされた、「市民のための、当事者・市民による条例作り」という点は、ノーマライゼーションを実現するに当たって最重要であると私は考えます。
実際、少し街に目を向けてみると、障害者のために設置されている点字ブロックなど、その上にはたくさんの自転車が放置され、本来点字ブロックを頼って歩く歩行者の助けになるどころか、逆に歩行の妨げになってしまっていることがあります。このように町の中での問題点や改善点に気づくことができるのは、その町に暮らす市民自身しかいません。
その市民が主役になって条例作りをすることで、よりノーマライゼーションされた街づくりの手助けになるのだと実感します。市民一人一人が町全体に目を向け、同じ町に住む市民みんなのために動けるような町こそ、福祉に対する意識が高い街となり、それが町のノーマライゼーション化につながっていくのだと思います。
こんにちは。北九州市立大の学生です。
先日は講義をしていただきありがとうございました。
私はノーマライゼーションという言葉は知っていましたが、どのような意味なのかを考えたことはありませんでした。ですから何かについて「これはノーマライゼーションに基づいて…」と言われてしまうとそれだけで納得していた自分がいました。しかし実際にノーマライゼーションな社会を実現するためには、考え方だけでは実現できないことを知りました。ですので実際にノーマライゼーションに向けて行動を起こしているというこの記事の内容に私は興味を持ちました。特に、民間ではなく公共の機関が動き出していることに注目しました。
小さな動きでは周りを刺激することはできないかもしれませんが、このような大きな動きであれば他の市町村にも広がっていき、いずれは皆がともに暮らしていける社会を実現できるのではないかと思いました。今後の各市町村の動向が気になります。
こんにちは、北九大の学生です。
恥ずかしながら、初めて「ノーマライゼーション条例」づくりを知りました。
「障害」という言葉は、身体障害や知的障害等の狭義の意味のものが連想されがちです。そのため、「障害のある人」との間に距離を感じるのは、自然な流れかもしれません。しかし、広義に考えると、身近に様々な障害があり、自身にも障害が及んでいる可能性もあると、改めて感じました。国が定める法では、広義の障害に目を向ければ、きりがないでしょう。だからこそ、国よりも県、県よりも市と、規模を狭めた集団における条例は、その地の人々にとって、よりよい環境を作る点からも必要であると思います。
ただ、非常に難しい取り組みであると感じます。
関心を持つのは、狭義の「障害」のある人が身近である人々が多いと思います。結果、偏った意見収集とならないか。課題もありますが、ぜひ、多数の意見から実現し、他市の参考となっていってほしいです。
北九州市立大学の学生です。先日は貴重なお話ありがとうございました。
ノーマライゼーションと一言に言っても、「ノーマルな生活」というのはかなり広義であると感じました。先生か述べられたように、国や市が条例や制度をいくら整備しても、大切なのは個人レベルの理解や意識です。障害者や社会的弱者(とみなされている人たち)が互いに尊重しあい、限りなく「ノーマル」な暮らしをしていくというのは、簡単なことではないと思います。
実際、このノーマライゼーション条例づくりがスタートしたことも、一部の関心のある人を除いて、どれだけの人が知っているでしょうか。もっと各個人が意識や関心を示すことが、課題だと思いました。
自分らしく生きることのできる社会をつくるには、地域に暮らす当事者や市民の参加無しにはできない、ということをこの記事を読んで感じました。
一方で、他者との関係の希薄化が進んでいる現在で、どのように市民同士の関係をつくり、一人一人が、地域の問題を自分の問題として考えていけるようにしていくかが課題なのではないか、とも思いました。
そのためには、さいたま市のように積極的に当事者や市民に働きかけていくことの重要さを感じ、また、働きかけが上手くいくことで、障害のある人の家族のように、閉鎖性の中で苦しんでいる人たちが楽になるのでは、と考えました。
一つの問題を解決していくことで、他の問題にも解決の光が見えてくるのでは、ということを考えさせられた記事でした。
こんばんは。北九州市立大学の者です。先日は講義していただきありがとうございました。とても興味深かったです。
今まで私は「ノーマライゼーション」という言葉を知ってはいても、あまりきちんと理解はしておらず、またそのような考えがどのように現代の社会に浸透しているか知りませんでした。なのでノーマライゼーションというものが「考え」だけで終わらず、地域によっては条例となっているという事実に驚きました。またそのようなことを知り、とても素晴らしいことだと思いました。
頭で考えるということは、何時でもだれでもできます。それを行動にできるかどうかが大きな違いでと思います。なのでこのように、より多くの地域や団体がより早く行動に移すことを願います。そして私も、自分にできることは行動に移せるようにしていきたいです。
現代社会と福祉2で先生の講義を受けさせて頂いた北九州市立大学の学生です。
ノーマライゼーションに関する記事を読ませていただきました。
今まで私はノーマライゼーションという言葉を聞いてもピンとこなかったのですが、さいたま市での取り組みや飲料水の問題などを知り、私達の日々の生活のすぐ側にある言葉なのだと感じました。
1人1人が違う目線で生活しているからこそ、「誰もがともに生きる」ことができる社会を作っていくことは難しいと思いました。自分が自分自身の目線を持っているように、他者も他者の目線を持っているということを知るためにも、ミニ集会は大切な場だと思います。今後、さいたま市に注目していきたいと思いました。
こんにちは、埼玉大学で先生の授業を受講しているものです。
先日、ユニバーサルデザインの授業で埼玉新都心はバリアフリーデザインだが、点字ブロックがばらばらであるということをおっしゃいました。マンホール上の点字ブロックをちゃんともとに戻さない、しかも毎年見ても正しい位置にあったことは一度もないとおっしゃいました。いくらバリアフリーデザインにしても一人一人のバリアフリーに対する思いやりがなくては意味がないと思います。
また私が小学校のころは知的障害の子は何もしていないのにいじめられていました。小さい子供でも知的障害者に対する偏見(心理的バリア)があります。社会全体で心理的バリアを取り除く必要があります。もし自分の身近な人が障害者だったらどのような態度で接するかをよく考えて行動するべきだと思います。
ノーマライゼーションという考え方がとても注目されているということは知っていましたが、私自身その考え方を日々の生活の中で強く意識したことがあまりないなと思いました。「障害のある人」が暮らしづらい社会になっていても、産休解雇のような問題があってもやはりどこか他人事のように感じてしまいがちです。
私が今回思ったのは、いくら条約やたとえばバリアフリーの環境づくりなどといった形(見かけ)が出来上がったとしてもそこに人の意識(中身)がないとそれは無意味なものとなってしまうということです。私自身の生活を振り返るとそう思ってしまいます。
したがって、当事者・市民による当事者・市民のための条約づくりであるという点が最も大きな意味をもつと思います。とくに条約みたいなものはボトムアップの形が望ましいですし、市民の意見を取り入れることがとても重要だと思います。そして私も意識してそういった社会づくりに参画しなければならないと思いました。
こんばんは、埼玉大学で先生の講義を受講させていただいているものです。
僕は埼玉県民ではないのですが、さいたま市が取り組もうとしている障害の有無にとらわれない自分らしく生きるための地域社会づくり、とても案だと思います。
僕の住んでいる地域では昨年前市長の収賄容疑で市長が変わり、市政はやや不安定な気がします。
主役となる地域市民が出来るだけ多く参加して、みんなが互いに納得し、安心して暮らせるような条例を是非実現していただいて、僕の市でも見習ってもらいたいと思います。
これからも定期的にブログ拝見したいと思います。
様々な問題が起きてきて地域社会では人間同士の関係性が希薄となっている現在、ノーマライゼーションはみんなで考えるべきことだと思います。
また、条例を制定、施行するだけでなく、どう運営していくのかというのも大切だと思います。他人事に考えがちですが、そうなってしまってはノーマライゼーションの意味が根本から崩れてしまうので、さいたま市に住む者として、協力していけたらと思いました。
私は埼玉県の出身でさいたま市にも近い所に住んでいるのですが最近ハード面ではだいぶ障害者の人々がすごしやすくなってきたと思います。しかしまだまだ障害者が困っているときに手を貸すなど人の心つまりソフト面でのケアが足りないように感じる。ソフト面の改善は一長一短ではできないけれど改善されるように努力していきたい。
ノーマライゼーション条例づくりが始まったことは評価すべきことだと思います。しかも、行政が本当に真剣に取り組んでいる点が特に評価できると思います。
ただ、先生が仰っている通り、問題なのは条例の対象である市民や当事者がどれだけ参画できるか、ということだと思います。何も知らずに、ただ生活しているだけでは条例の真価が発揮できませんし、行政のせっかくの努力が水の泡です。そして何より、その怠慢な考え方こそがノーマライゼーションの浸透を妨げているのではないかと思います。行政が務めている分、条例を受ける当事者も真摯に取り組んでいく必要が必須であると思いました。
条例が作られたとしても、人々がそれに対してどれほどの関心を持っているのかが重要なのだなと思いました。障害を持つ人の中には、特別扱いというものを嫌う人もいるのかもしれませんが、障害のない人だって、自分の力だけで生きていくのは不可能だと思います。支える側が、いかに自然に押し付けるようにではなく、手を貸してあげるのかが大事だと私は思います。
最近は学校やその他公共の場所で、バリアフリーが促進されていることに気付きました。階段の横のスロープ、低い位置で全てのボタンが押せるように作られた自動販売機など。
しかし、外見で判断できる障害には理解が増えてきたような気がしますが、精神的な障害には理解が少ないと思います。私もその一人です。完全な理解なんていうものはできませんが、私は今回講義をうけて、私が今までにとった行動でそのような障害を持つ人たちをどれほど傷つけたのだろうと気付かされました。
すこしずつ、変わりたいと思いました。
ノーマライゼーション条例を作るにあたって、地域に暮らす市民や当事者が主役となって参加するというのは非常に素晴らしいことだと感じました。
障害の有無にかかわらず、多くの幅広い当事者や市民の意見を反映してこそノーマライゼーションは実現すると思うし、誰もが暮らしやすい社会を作るためには幅広い当事者・市民の参加が必要不可欠だと思います。私はこのような市民参加こそ住民自治のあるべき姿ではないかと思います。
今の日本ではノーマライゼーションという言葉を知っていても本当に理解している人は少ないと思います。しかし、幅広い当事者や市民がこのような条例づくりに参加することにより、自然とノーマライゼーションの考え方を理解できるようになると思います。このように、さいたま市のような当事者や市民が主役となった条例づくりが、多くの市で行われ、多くの都市でノーマライゼーションな社会が実現してほしいと思います。
ノーマライゼーションについてまだ知られてないことがたくさんあると思うので、まずはみんなが知ることから始めて実現に向け一人一人が意識していくことが大切なのではないかとおもいます。
誰もが暮らしやすい社会の実現は簡単なものではない、けれどもきっとみんながきちんと意識して実現にむかえば、こんなに素晴らしいことはないと思います。広報のビラにあるように市民による市民のためのという考えは、条例がきっかけとなるが実現に重要なものだと思う。
こんにちは
現在さいたま市に住んでいるものです。ノーマライゼーションとは初耳でした。もちろん、障がい者と共生できるなんて考えたことは一回もありませんでした。
しかし、ノーマライゼーションに関連するブログの記事を拝見した後、より利便性が高いまちづくり等は我々(一般人)のために過ぎませんでした。障がい者と共生に暮らすどころか、全部切り捨てたのではないでしょか。ですので、地域の広範囲な当事者・市民の参画にもとづく過程と内容という今回の運動宗旨は自分自身が自らの望み、要求を果たして行くことだと考えています。
従い、さいたま市の成功を実験したいと共に、より多くの町の方々と障がい者が共生できますように祈ります。
こんにちは
現在さいたま市に住んでいるものです。ノーマライゼーションとは初耳でした。もちろん、障がい者と共生できるなんて考えたことは一回もありませんでした。
しかし、ノーマライゼーションに関連するブログの記事を拝見した後、より利便性が高いまちづくり等は我々(一般人)のために過ぎませんでした。障がい者と共生に暮らすどころか、全部切り捨てたのではないでしょか。ですので、地域の広範囲な当事者・市民の参画にもとづく過程と内容という今回の運動宗旨は自分自身が自らの望み、要求を果たして行くことだと考えています。
従い、さいたま市の成功を実験したいと共に、より多くの町の方々と障がい者が共生できますように祈ります。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。