地域社会の一員として1-佐賀県地域共生ステーション その3
私が足を運んだ佐賀の地域共生ステーションでは、利用者だけでなく、支援者の皆さんもとても活きいきされていました。それは、「私たちは頑張っています」というような気負いによるのではなく、「地域社会の一員として根を張っている」事実に由来するものと感じます。つまり、ここの支援は「ヨコ・ナナメ」の関係性を基軸として展開されているものであり、そのことが利用者だけでなく支援者にとっても、風通しのよい安心感とやりがいをもたらしていると考えることができます。
それでは、地域共生ステーションが「第2の家」と呼ぶにふさわしく、「地域に根を張る」取り組みの要点とは、どのようなものなのでしょうか。今回と次回の2回に分けてご紹介しましょう。
写真1 NPO法人のんびらあと代表の江里口尚子さん(右)と息子の翼さん
写真2 ぬくもいホーム太陽では、猫までのんびりとお出迎え
まず、支援者の服装が普段着であることです。もちろん、仕事の利便性がそれぞれ考慮されてはいるでしょうが、社会福祉施設にありがちな、職場ごとに統一されたユニフォームやジャージ姿は全くみられません。生活支援といいながら、本来は看護やスポーツのためのコスチュームを身にまとうのは、利用者の「暮らしの場」であるという基本から遠ざかることになるでしょう。ここでは、普段着の支援者が見慣れた民家で、暮らしの中の支援を展開しているのです。
次に、食事(配食サービスを含む)・入浴・泊まり・滞在という暮らしの基礎的な部分を大切にして、切れ目のない、柔軟なサービスを提供している点です。リハビリテーションや就労自立に向けた訓練系サービスを実施するにしても、このような暮らしの土台に不安が高いままでは、まさに「台無し」です。食事の時間が近づくに連れて、包丁で野菜をきざむまな板の音が聞こえ、汁物や煮物のだしや味噌の香が漂ってくる「期待の間」があればこそ、日々の暮らしのゆたかさをつくることができます。
写真3 利用者の眼の届くところに食事づくりの光景が〈ほのぼの長屋〉
写真4 「ほのぼの長屋」のお風呂の鉱泉分析書。井戸を掘ろうとしたら何と温泉が出てきた!!
都市部においても高齢者介護の領域では、中学校区単位でサービスの組み立てが考えられるでしょうが、障害のある子ども・成人の領域は広域対応の現実が「切れ目だらけの、柔軟さに欠いたサービス」の問題を放置しています。たとえば、障害のある子どもを育てておられる父母には、子どもの発育に伴って身体が大きくなり家風呂で入浴するのにとてつもない苦労を抱えているのに、車で片道小1時間かけないと入浴することさえままならない実態が都市部では決して珍しくありません。
また、西田京子さんたちのNPO法人たすけあい佐賀は、訪問系サービスの一つである家事援助を通じて、父子家庭の食事づくり支援を実施していました。このようなところにも、「利用対象を限定しない」で暮らしの基礎を大切にする地域共生ステーションの真骨頂をうかがうことができます。
写真5 ぬくもいホーム太陽のキッズルーム
三つ目に、「利用対象を限定しない」サービスの提供とは、さまざまな世代の人を障害の有無に関わらず、単純に混ぜ合わせて支援することではないという点です。〈お年寄り→孫のような子どもが大好き〉というような図式に当てはめるのではなく、あくまでもそれぞれの利用者の個別具体的なニーズと状況に応じた支援が大切にされていました。
障害のある子どもには、必要に応じて療育的対応が可能なキッズルームを備えているところもあります。私が視察に行った折にも、一方では障害のある子どもが個別に支援されているかと思えば、聾と知的障害を併せ持つ青年がお年寄りと一緒にデイサービスでくつろいでおられる光景を眼にしました。
このように地域共生ステーションは、利用対象に制約を設けることなく、暮らしに必要不可欠な基礎的な部分のサービスを提供しています。こうして、広範囲な地域住民とってはなくてはならない社会資源として「地域に根を張って」いるのです。
障害領域では施設やグループホームの設置をめぐり、ときとして地域住民から反対運動が起きることがしばしば見受けられました。ここに、障害者施設を「迷惑施設」とするような地域住民の無理解や「ともに生きる」精神の欠如があることは言うまでもないにしても、障害者支援事業者の側にも地域を必ずしも重視してこなかったうらみがあるのではないでしょうか。
たとえば、施設建設に必要な資金づくりや授産製品の販売に「協力してもらう」対象として地域が浮上することはあっても、様々な地域のニーズに積極的に応えていく構えが希薄な点などです。行政から「地域交流スペース」をつくる補助金をもらっておきながら、日常的には「町内会の集まりには無料で貸し出す」程度のものにとどまっていたりするなど、実質的な地域に向けた取り組みはなきに等しい施設さえみかけます。
これからのすべての社会福祉事業は、「地域社会の一員として歩もうとする営み」を見失ったとき、ともに生きる魂と事業そのものの存在意義を喪失していくでしょう。
(次回に続く)
コメント
福祉2でのご講義ありがとうございました。
障がい者施設に入ると自由が制約されるというお話を聞きながら、昔自由に電話も出来ない、携帯もてない、おこずかいも自由に使えない、すべてが職員のペースで振り回されてる、苦情ポストがありながら入れたところでチェックしてはいけない人が出して読んでいる実態にうんざりしたことを思い出しました。まさしく、生存権は保障するが自由権は剥奪されています。
健常者と呼ばれる職員の脳に、この人たちは何も分からないと考えている結果です。。差異の尊重、人間の多様性、障がいのある人の受容、機会の平等は絶対必要だと思います。
その上でも、ノーマライゼーションの確立は机上だけでなく実際に行使できる条例は必要だと感じます。ぜひ先生の提案されている、さいたま市での取り組みが成功されますことを祈るばかりです。
そして、今の自分に何が出来るのか真剣に考える貴重な時間になりましたし、この取り組みが全国に広まっていきますよう願っています。
この前は、講義をして頂きありがとうございました。
いままで、福祉の授業をしてくださった先生方や、障害者の施設に就職された先輩たちは、必ず「施設の中身は酷いもので、裏では普通に利用者の悪口や酷い対応をしている。」とよく話されます。
しかしこの講義を聞いて、施設としての存在の意義を貫いているところがあることを知り、またそれが、私の出身地である佐賀だったので、誇らしく、嬉しくもありました。
施設の中で最も大切なことは、利用者だけでなく、支援者の皆さんもとても生き生きしていることなのだと、強く感じました。
また、食事や入浴など、暮らしの基礎的な部分を大切にして、障害者ではなく一人の人間として尊重すること、すごく当たり前のことでも、実際に実行することは、忍耐力や、心のゆとり、さらには周りの環境も大きく関わっているのだと感じ、私たちが出来ることは、その環境作りなのだと気づかされました。
人間は本来支えあいながら生きていくもので、ノーマライゼーションやインクルージョンの考え方も結局はそこに結びつくと思っています。
今回の、佐賀地域共生ステーションはまさにその縮図であると思います。この人は障害があるからこう、この人はお年寄りだからこう、と分ける前に皆同じ人間なのです。高齢者の入浴サービスはある程度あっても、障害がある子供たちの入浴サービスは不足している、このような私たちの生活の基本的な行動に関するサービスが不足しているのはとてもおかしいと思います。
衣食住の基本的なサービスを中心に個々の異なるニーズにも対応を、これが社会福祉サービスのあるべき姿だと思います。必要な時に必要なサービスが気軽に受けられる、なおかつ地域一体となったこのようなステーションがもっと増えるといいと思います。
北九州市立大学の学生です。先日は特別講義、ありがとうございました。
私は福祉関係の仕事に就きたいと考えています。まだ迷っているのですが、なぜ迷っているのかを考えてみると“大変そう”という気持ちが自分の中で1番強いからだと思いました。
地域共生ステーションでは支援者の方々も活き活きしている様子が伝わってきました。“福祉”を“仕事”として捉えてしまっていた私は驚いたと同時に、こんなにも暖かい場所があるのかと心うたれました。
地域福祉のよいところは柔軟かつ安定しているところであると思います。利用者を制約していない点で、多くの人が親しみやすい雰囲気があるのではないでしょうか。また地域に根ざしていて力強く安定しているイメージが持たれるし、利用者の生活に近い支援ができますよね。
今の私には大きなことはできませんが、「誰もが共に生きる」街づくりについて、いろいろな方面から近付いていけたらいいなと思います。
「通う、訪ねる、泊まる、送る、集う」ことができ、誰もが利用できる施設の実現。これには、支援者が「無理をしていない」ということも大きいのだろうと感じました。
人が人の力になるということは、力を貸す方が無理をしがちなように思います。しかし、この地域共生ステーションでは、支援者の方々にとっての「居場所」にもなれたのだと思います。
「自分が地域の一員である」というような所属感は、人間が活き活きと生活していく上でとても重要なことだと私は思います。そんな感覚を、地域に住まうさまざまな状況にある人たちに(猫にまで!)与えることのできるこの施設に、私は感銘を受けました。デイサービスなどが、幼稚園児たちを呼んだ「交流会」を催していることが多々ありますが、この施設ではそんなことをする必要もなく、自然とさまざまな世代の人々が関わりを持てるのですから、一石二鳥どころではありませんね。
こんにちは、北九州市立大学の学生のものです。先日の講義ありがとうございました。
佐賀県地共生ステーションのお話がとても印象に残っています。共生ステーションは地域みんなのものという考えで、誰もが利用することができることも素晴らしいと思います。またそこで働く人も笑顔で働いていることも素晴らしいことだと思います。
私は田舎出身なので、隣近所の人と話したりする機会が多かったと思います。最近では隣に誰が住んでいるのか分からない。こういうことが孤独死などにもつながっているだろうから、「誰もが安心して気軽に利用できる」こういった共生ステーションが地域の住民を親密な関係へと繋がっていき、よりよい福祉につながると思いました。隣近所の人との付き合いはとても大事なことだと気づかされました。
こんにちは、北九州市立大学の学生のものです。先日の講義ありがとうございました。
佐賀県地共生ステーションのお話がとても印象に残っています。共生ステーションは地域みんなのものという考えで、誰もが利用することができることも素晴らしいと思います。またそこで働く人も笑顔で働いていることも素晴らしいことだと思います。
私は田舎出身なので、隣近所の人と話したりする機会が多かったと思います。最近では隣に誰が住んでいるのか分からない。こういうことが孤独死などにもつながっているだろうから、「誰もが安心して気軽に利用できる」こういった共生ステーションが地域の住民を親密な関係へと繋がっていき、よりよい福祉につながると思いました。隣近所の人との付き合いはとても大事なことだと気づかされました。
こんにちは。北九州市立大学の者です。先日は貴重な講義をありがとうございました。
私の地元では少子化が進み、私の通っていた中学校では空き教室が増加し、数年前にその一室に小規模の養護学校ができました。勿論隔離なんてことは一切なく、生徒たちと頻繁に交流を行います。私の母は、タクシー会社に勤務していますが、会社のワゴンタクシーで毎日生徒たちを送り迎えしていました。会社の負担が重くならないように送迎は1年単位で別のタクシー会社に委託する形をとっているようです。
母は、最初はなかなか心を開かない生徒に戸惑いながらも、次第に毎日生徒たちとの交流が楽しくなったようで、夕飯時にはニコニコしながらその日あった出来事を話してくれました。
そういう母の姿を見てきて、支援者と利用者が活き活きできるのはやはり地域の方々の積極的な活動と理解があってこそだと実感しました。
私は理解はできても行動に移すことに消極的になってしまうので、今後地元で障害者も交えたイベント等があれば参加してみようと思います。
地域の中で、支援者は普段着で働き、見慣れた民家を利用している佐賀県地域共生ステーションからは、活き活きとした、温かい家庭的な雰囲気や人のぬくもりが感じられます。
利用者を限定せず、利用者の個別具体的なニーズと状況に応じた支援が大切にされていて、急にショートステイが必要になった場合でも、柔軟なサービスを提供ができるなど、とても魅力的な施設だと思います。
ぬくもりホームのような、みんなが地域社会の中で安心して暮らせるような施設になったのも、住民が地域社会みんなのものだという認識を持ち、住民が地域の特性を活かし、利用者目線で人・地域の温かさを感じられる、場所創りを行ったからだと思います。
利用する側も、支援者の側も地域社会の一員だという意識を持ち、地域社会で互いに支え合い、みんなで創り、守ることで、障害の有無、年齢に関わらず共生でき、安心して、自分らしく生きることができるのだとぬくもりホームから感じました。
支援者の方々が、肩に力を入れず自然体でいられることがこの地域共生ステーションのやすらぎを作っているのではないかと感じました。利用者もいやいやお世話されたのではいい気はしないでしょう。また、生活に基づく柔軟なサービスはやさしさを感じました。
地域共生ステーションが利用者を限定しないということは、住民が福祉の場をより身近に感じられる機会が増えるということだと思います。集まった性別も年代も様々な人々の接触によって、ここから新たに地域の輪が広がることもあるでしょう。
地域社会の一員である利用者同士の接触を促す、地域共生ステーションは単なる福祉サービスにとどまらず、まさに地域に根を張り、地域社会を作ってゆくものだと思いました。
現在、1人暮らしの人も多く、人とのかかわりを求めている人は多いと思います。その中でこのような地域共生ステーションは大きな役目を果たすのではないでしょうか。私も地域社会の一員として積極的に地域とかかわっていきたいと思いました。
地域社会の一員として――この地域共生ステーションのはたらきはとてもあたたかいなと思いました。
私の祖母は、いま、グループホームで生活をしています。そこでは、一人暮らしを続けたいという祖母のようなご老人の願いがかなうようにと、それぞれのお部屋に番地が書かれています。また、職員の方が、私服でいつもにこにこお話をしているのが印象的でした。
しかし、利用者が限定されているため、子どもや中年層との関わりはほとんどなく祖母はさみしいと言っていました。それぞれの利用者の個別具体的なニーズと状況に応じた支援はとても難しいと思います。
今、私たちが抱いている固定観念を壊し、それを社会にとり入れていかなければ達成できないと思うからです。ですが、少しずつ職員の方と利用者、地域のあ人々が大きな家族になれるような社会になったらいいなと思います。
このブログを読んで、私の祖母が、毎日の生活が楽しい!と思えるように孫としてどうしたらよいか考えて一緒にいるよりも、今は、一緒にいれる時間を純粋に楽しもう!と思えました。
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