ユニバーサルデザイン
写真1は、埼玉県障害者交流センターの中にある自動販売機です。この3台の自販機のうち、真ん中の自動販売機には、1990年にこのセンターが開設されるまでの経緯にあった、次のようなエピソードが残されています。
写真1 埼玉県障害者交流センターの自動販売機
当時、県内の障害当事者団体は、新設されるセンターの施設設備について、可能な限り障害のある人の利用と使い勝手に資するあり方を追求していました。そのことの一環として、飲み物の自動販売機は、車椅子使用者の操作性や腰を曲げにくい障害のある人等の利便性を考慮し、コインの挿入口に工夫が施され、飲み物の選択ボタンと取り出し口がほどよい高さに設定された自販機の設置を県に求めたのです。
このタイプの自販機は日本製ですが、当時は海外に輸出されているものの、日本の販売ルートではまったく取り扱われていませんでした。そこで、県は致し方なく「逆輸入する」形でようやくこの型の自販機設置にこぎつけたそうです。大型オートバイじゃあるまいし、日本国内で作られているユニバーサルデザイン型自販機をわざわざ逆輸入しなければならなかったこのエピソードに、どうもわが国のもつ根深い問題が象徴されているように思えます。
次の画像は、スウェーデンのグループホーム(知的障害のある人たちの住まう社会資源)に設置されたPC(パーソナル・コンピュータ)です。グループホームのみんなで楽しんだ旅行写真を、職員が居住者ごとのアルバムに編集し、それぞれのPCにデータを入れてあるところです。
写真2 スウェーデンのグループホームにあるPC
スウェーデンでは、すべての国民に通信・情報を保障する見地から、障害のある人(障害種別は問わない)にはPCが1台ずつ制度的に無償貸与されています。このPCは、モニター画面がタッチパネル方式になっている仕様で、知的障害のある人が画面をタッチするだけで必要な操作のできるソフトがインストールされています。スウェーデンでは、このソフトについても、日常生活に必要な機材を提供するセンター(わが国のように身体障害を主たる対象とする日常生活用具ではありません)が、一人ひとりの知的障害と学習の程度にふさわしいソフトを個別に組み込む支援を行ないます。
写真3は、車椅子を使う方のPCで、PCを立ち上げるときに電源ボタンを押すのではなく、車椅子の側に設置されたボタン操作によって机上のパソコンに電源が入り立ち上がるような無線装置がついています。
写真3 スウェーデンで身体障害者に無償貸与されるPC
次の写真は、スウェーデンの知的障害のある人たちの働くレストランの画像です。大勢の日本人見学者に囲まれて、知的障害のある人がレジ操作の実際を見せているところです。
写真4 ストックホルムのレストランのレジで働く、知的障害のある人
写真5 レジスターのタッチパネル
このレジもタッチパネルが採用されています。レジではまず、お客さんの食したものがコーヒーなら、コーヒーカップの画像(またはピクトグラム)をタッチします。仮にその料金が450円で、お客さんが千円札を出してお釣りを求めたとしましょう。
すると、画面にはお札の画像が出てきて、千円札と同じ図柄の画像をタッチすると画面が変わり、500円玉と50円玉がそれぞれ1枚ずつの画像が現われ、レジ担当の知的障害のある人はその画像にあるとおりの硬貨を組み合わせてお客さんに釣銭を支払う仕組みです。
お客さんの出したお札が1万円札であれば、1万円札の画像をタッチした後に現われる画面表示は、5千円札1枚と千円札4枚に、500円玉と50円玉が1枚ずつということになります。
このようにして、お金の計算ができないから「レジの仕事はできない」というのではなく、タッチパネルの簡単な操作だけで事足りるレジスターを環境整備することによって「知的障害のある人もレジの仕事ができる」という就労保障を実現していくのです。大切なことは、現在のICTの技術水準で達成可能な地域生活保障をちゃんとした仕組みに取り入れていることです。
そして、このPC・レジスターに入っているソフトは、何と日本製だそうです。このようなソフトが日本国内で必要となった場合、またぞろ「逆輸入」して文字表記も日本語に「翻訳する」のでしょうかね。
障害のある人にも開かれたユビキタス社会の実現には、新たな技術開発だけでなく、現行のICT技術に関する利用上の制約の克服と、最大限活用の方策に力を入れるべきではないでしょうか。
追記
今回、北欧の情報を画像とともに詳しくご教示いただいたのは、小賀久先生(北九州市立大学)です。北欧に短期間滞在しただけで、まるで北欧のことを熟知しているかのような「研究者」もいる中で、小賀先生は長期・短期の留学を重ねながら、詳細で丁寧な実態把握を積み、北欧の地域福祉サービスを地方自治と生活文化を踏まえて明らかにする研究課題を追究しておられます。小賀先生はいずれ、詳細な実情把握に基づく北欧研究の書を著される予定ですので、どうかご期待ください。
コメント
日本では障害者に対してあまり関心がないように思われる。理由としては道路の点字ブロックを見ていてもわかるように点字ブロックの上には自転車やオートバイなどが多く見受けられる。
このことは視覚障害者にとっては大きな障害になってしまうだろう。
この日本を障害者にとって住みやすい国にするには、まず国が国民にはたらきかけることが重要だと思われる。
スウェーデンで使われているレジスターに入っているソフトは日本製であるにもかかわらず日本で使われていないのはおかしいと思います。
日本でユニバーサルデザインの製品が浸透していかないのは日本人の障害者に対する理解が低いからだと感じます。個人の障害者についての意識が高めることが障害者も暮らしやすい環境を整えるひとつの方法だと思います。
日本製の機械が海外で作られてるのに日本では販売されてないのでは障害者の為にそれらを作った人たちの気持ちが空回りしてるような気がします。
障害者の人たちのことを考える人々の気持ちをしっかり受け止めることが今の日本には大切なのではないかと思いました。
私は、今、福祉について学んでいますが、日本の福祉の現状を聞くたびに不自然さを感じます。
この自動販売機、PC、レジスターについての文章を読んだときも、日本の社会って「変だな」と感じました。開発した日本になぜ、このすばらしい発明品が無いのでしょうか。これらの商品が、街のあちらこちらにあるのが、自然の風景だと思うのです。
日本には、障がいのある人が生活していないと思われているのでしょうか。せっかく技術があるのに、実にもったいないことだと思います。日本の技術を生かして、世界に誇れるくらい、障がいのある人たちにも住みやすい社会になって欲しいと思います。
障がいを持つ人にとって必要なものが、逆輸入によってようやく手に入るというおかしなことがおこるのはなぜなのでしょうか?
日本の卓越した技術の製品は、日本では商売として成り立たないのか、それとも必要としている人がどうせ無駄だと声を上げないのか、声を上げてもそれが取り上げられないのか、それは業者なのか、行政なのか。考えてみるとどれも否定できない気がします。
自分の生活を快適に豊かにするために声を上げることは当然の権利であり、その声に応えていくことは社会全体にとって有益であるという考え方が日本にはまだ足りないのだと思います。
友人に車いすを使っている人がいますが、好きなアーティストのコンサートに行くのに、会場のこと、交通機関のことを遠慮深く問い合わせている姿に、問い合わせの必要なく当たり前にどこにでも出かけられる社会になるまで声を上げていかなければ、と強く思いました。
日本人の作ったものが日本人のために活用されないのはおかしいと思います。日本は外国に輸出できるほどの進んだ技術を持っていて、求めている人が少ないとは思えないのに、日本ではその技術を活用することがないのは、やはり求める声が取り上げられないからでしょうか。
日本では障害をもつ人に対して、できないと決めてかかる人が多いが、少しの工夫をすることにより障害を持つ人でももっと社会で活躍することができることを知らせたいと思いました。
ブログ拝見させて頂きました。スウェーデンの社会保障に代表される様な、一人の人間として生きていくために必要な物質的・人的資源や機会を保障している制度に対して素晴らしいと感じるのと同時に、それを支えている日本の福祉の現状にもどかしさを感じます。
日本は経済的な利益という観点からしか福祉サービスを捉えていないのでしょうか。ブログの中の自販機やPCのソフト等を作る技術から利益を生み、自国の福祉サービスには予算に合うサービスのみを提供する。技術そのものは、大変価値のあるものにも関わらず、わが国の福祉にはそれが充分に還元されていないと感じます。
そしてその事実が日本ではあまり知られていないという事から、日本の抱える問題の重大さを改めて感じました。この先、どんなに優れた技術が開発されようと、日本には逆輸入という形でしかその素晴らしさを感じ、生活を保障されることはないのでしょうか。
肩身の狭い想いで生活する、日本の障がいをもつ人々が、人間らしく生活していると誇りをもてる環境を作ることが、わが国の重大な課題だと考えます。
日本で作ったものなのに、日本で利用するためには逆輸入しなければならない、非常に違和感を覚える話です。せっかくの良い技術が活かされていない気がします。
日本社会は障害者に対する意識が低いから、このような事態が起こるのではないでしょうか。
確かに技術開発も必要だと思います。しかし、その技術をどう使うかについても考えないと、結局私たちにとって何の意味も持たないもので終わってしまうのではないかと思います。
日本に足りないのは技術力ではなく、障害者に対する理解と、バリアフリーの考えを実行できる仕組みだと思いました。
バリアフリーを浸透させるために、まず、もっと障害者に対する理解を深めたいと思います。
日本が作った技術を日本で使うには逆輸入しなければならないというのは、皮肉なものですね。
こういうことが起きているというのは、その技術が作られた時点で日本がその技術を必要と考えなかったということでしょう。それだけ技術は進んでいるのに障害を持つ人に対しての理解が遅れているのは悲しいことだと思います。技術はあるのにそれを自分の国で使わないのではもったいないです。
開発した技術を日本が必要とするまでのタイムラグをなくしていくには、障害を持つ人への関心を深め、福祉を充実させて、いい技術をどんどん使える環境にしていくことが大事だと私は思います。
タッチパネル式のレジスターなど、生産国である日本に販売されていないの日本の身体障害者の方に対する対応の仕方によるものであるのではないかと思います。
知的障害者は働くことが困難である。と思い込み、誰もが働くことのできる現場を実現しようとしてないと思います。
技術的にはタッチパネル式のレジスターが作ることができたりして、進んでいるのだからそれをまず我が国に多く普及させ、身体障害者や知的障害者、健常者にとらわれることのない社会を作ろうと考えられるようになるべきだと思います。
日本の障害者支援はまだまだ表面的なものなのだと感じる。
日本では、最近バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉をよく聞くようになったが、それは個人ではなく集団のニーズに答えるものである。きっと日本では、この記事のスウェーデンのグループホームのような、利用者一人一人に対する細やかな対処は出来ていないだろう。
また、障害者がこのレストランのようなところで働いているということもあまり聞かない。そもそも、日本にはこのレストランのような場所があるのだろうか。働く場所を求めている障害者はたくさんいると思うが、そのような場所が全然なく、ニーズにこたえることが出来ていないように感じた。やはり日本は、北欧に比べ福祉の面ではまだ発展途上なのだ。
それに、日本国内で作られているユニバーサル型自動販売機やPC・レジスターに入っているソフトを、日本では使わず逆輸入する形になっているのはおかしな話だと思った。
ユニバーサルデザインの自動販売機・障がい者の方の為のタッチパネルのソフト。どちらも日本製なのに、海外で使われている、もしくは逆輸入しなければならない。なぜ、このようなことが起こるのかが分からない。わが国が使うために、わが国で生産するのではないのか?
先進国として、さまざまな産業が発達していく中で、なぜ国内の福祉の方は遅れをとっているのだろうか?障がい者だって、私たちだって同じ人間。それは変わらないことだ。同じように人間らしく生きていくことが普通ではないか。しかし、障がい者の人には、少し困難なこともある。それを、少しだけ手助けすることも今のわが国はできないのか。スウェーデンといえど同じ人・同じ障がい者の人がいて、これだけの福祉の差が出ていることは、なんとも恥ずかしいことだと思う。同じ立場に立つ・理解すること、これが非常に欠けていると感じる。
福祉のことが昔に比べれば発達してきたといわれているが、世界とくらべると、現実はそうでもないことを思い知った。
今まで、点字ブロックやスロープなどのバリアーフリーについて深く考えたことはありあせんでした。
しかし、日本製のバリアフリーを目的とした商品が直接手に入らないというのはいささか疑問が残ります。
また、点字ブロックやスロープの設置場所に問題があるということが公共施設でも行われて、そのまま改善されずにいるということを聞き非常に驚きました。
さらに、バリアフリーを利用しない私たちの行為でも(自転車やバイクなど駐輪)その機能を失わせてしまうことがあるということに気付きました。
ここから、バリアフリーを設置する人も利用しない私たちも利用する人の気持ちを考えて行動する必要があると思います。
また、バリアフリーを取り巻く環境も改善することも必要だと考えました。
今回のブログを読んで、日本は優れた技術力を持っているのにそれを自国のために使わないのはもったいないように感じました。日本の技術力ならば、福祉のほうに目を向ければもっと素晴らしい開発が生まれると思います。
日本ではまだまだ障がいのある人たちにとって住みやすい環境とは言えないと思うので、今回の例など、他国を参考にしながら世界の福祉を見る必要があると思います。
日本では元々障がい者の事について考えること自体がタブーになっているような所があると思います。
この自販機の例のように対処しようと思えばできるものをやらないで海外向けには売っているのも「触らぬ神に祟りなし」で、あまり関わりたくないという思いが売り手側にあったのではないでしょうか?
この様な状況下でこの問題にしっかりと目を向けろと急に進めても反発を招いてしまうのではないかと思います。
ゆっくりと、しかし着実にこの手の問題は進めていくべきではないでしょうか…
福祉と聞くと一番初めに思いつくのがスウェーデンです。やはり世界一の福祉大国ですし、日本に比べると政策や設備はかなり充実したものだと聞いています。日本もバリアフリーなど障害者に優しい取り組みをやっていますが、まだまだ十分ではなく公共施設など障害者の方が便利に使えないものが沢山あります。最近も奈良の女子小学生が公立中学校への入学を拒否するということがありましたが、設備もそうですが、障害者福祉に対する人々の意識も低いのだなと感じました。
日本では障害者に優しい設備を作っているのに、逆輸入をしなければ使うことが出来なかったりと、本末転倒だなと思いました。やはり障害者福祉に対する意識が低いから社会も変わらないのでしょうか。今回の記事に載っていたように北欧では障害者の方用のレジがあるなど障害者が社会に合わせるのではなく社会が障害者に合わせているというのが感じ取れました。日本もはやくこのような社会になってほしいです。
スウェーデンの障がい者に対する温かい援助の在り方に感銘を受けました。日本の社会福祉は北欧の障がい者に対する援助の仕方や理解をもっと深め、見習うべきではないかと思いました。
日本人の在り方について深く考えさせられるのですが、日本は技術力においては誇れるのかも知れませんが、それが精神的な豊かさをももたらいてしているのかいえば、疑問に感じます。
本当の意味での人間の豊かさとは何だろう、と問い直したとき、スウェーデンのように困っている方の視点に立って、当たり前のように配慮し、支援するというような姿勢をもつことが人としての精神的豊かさをもたらしてくれるのではないだろうか、と考えさせられます。
今の日本には、スウェーデンのように障がいを持った方たちが誇りを持って生きていけるような社会に近づくようにしなければならないと感じます。
スウェーデンは高齢化社会のために社会保障制度が進んでいるという話は聞きますが、知的障害がある人のための制度があるのは初めて知ったので驚きました。
スウェーデンのように日本も、障害がある人のための制度や支援をより進めてほしいと思います。
また、わたしは障害者が社会に出て働けないという固定観念のようなものが日本にはあるのではないかと思います。
それを払拭していくのも今後の課題だと思います。
日本でせっかく全世界に利用できる機械を作ったが、本国で販売されていないことは、それらの機械の販売商に対して、自分の利益は大切なのか、本当に障害者たちに使われることは大切なのかと考えさせた。
日本の先進的な技術は世界人に認められないわけがないが、いつも利益を第一にする販売商たちにもう少し人性化してほしいと思う。
わざわざ障害者たちに新しく開発しなくても、現有の公共施設や身近の利用品を少し改善しても、障害者たちに対して、住みやすくなるのではないかなあと考えている。もちろんこの点で、日本が少しずつ変わっている。その変化はみんなが見えると思う。例えば、モノレールや電車の改札口で車椅子の通過のために、一つの広い入り口がある。
どんな変化でも時間がかかるので、国や専門家たちに時間をあげて、よりよく出来ると思う。
現代の日本人の障害者に対する配慮が不十分な点が非常に納得がいきません。
日本の業者は、日本製の自動販売機などを表面上は障害者に対応した商品として、本質は利益を目的としての輸出をしているのだと私は考えます。この行動にどれだけ道徳意識の欠乏が見られるか言うまでもありません。
また、弱視の方や網膜剥離の方などが街の歩道を歩く際に障害となってしまわれる建造物の設置や、街灯が未だに普及していない道路などが多すぎると思います。自分たちが健常者だからといって、障害を抱えている方々を蔑ろにして良いのでしょうか。もっと個々人がきちんと考えていくべきだと思います。
一番上の自動販売機の画像を見て、まず初めに便利そうと思いました。町や学校にある自動販売機では、健常者の私でさえ「取り出しにくい」と常に思っています。日本製のものなのに日本では取り扱われてないのですね。
お金の計算ができないから、レジの仕事はできない。
いかにも日本で使われていそうな言葉です。技術や、生み出そうとする技術者のやさしい心はもっているのに、権力をもつ人間がおそらくバリアフリーのことをなにも考えてないのでしょうね。
この状況を改善することが今の日本には必要だと思います。
日本という国は、やろうと思えば、一通りのことが、日本の自前の技術で実現することができるのに、福祉の分野に関しては、それがまったく広まらない。
普通に考えれば、先端的な技術を持っている分野ならそのことを強みに、国内でも使用が奨励されて広まっていてもおかしくないはずなのに、それが行われない。
やはり、日本という国には何か根深いものが、あるのでしょうか?
ユニバーサルデザインの自販機を、今まで何気なく見てきましたがそれを逆輸入していたことに驚きました。
日本の優れた技術を、逆輸入でない形でバリアフリーに生かすためには、やはり多くの国民が今の現状と障害のある人に対する理解を深めることが必要だと思います。
このブログを読んで、まず日本の福祉を整備するために、日本の技術が生み出したユニバーサルデザインの製品を逆輸入せざるを得なかった状況を残念に思った。
その原因として、僕はスウェーデンと日本を比べて、障害に対する考え方が違うのではないかと考えた。
確かに、障害者に障害のない人と同じ生活や仕事内容を強いるのは酷であると思う。
しかし、スウェーデンでは障害者ができる範囲で仕事をし、社会参加できるようにユニバーサルデザインの物が導入されている。
一方、以前の日本では、ユニバーサルデザインの商品を作る技術はあるものの、それを自国の福祉に導入しようとする発想がなかった。
そしてその結果、ユニバーサルデザインの製品を逆輸入せざるを得ない状況になった。
仮にスウェーデンのような福祉先進国がなかったとしたら、日本のユニバーサルデザインの製品を作る技術は発達しなかったわけであるし、日本社会の福祉の発達は今よりもっと遅くなっていただろうと思う。
今の日本に足りないのは、社会の福祉を整えることというより、日本人一人一人の心の福祉を整えることではないだろうか。障害に対する考え方を変えれば、日本の高い技術力をもって、日本の福祉はもっと発達していただろうし、日本製品を逆輸入するというゆゆしき事態には陥ってなかったはずである、と思った。
スウェーデンに比べると、日本の障害者に対する考え方は、まだまだ甘いと思った。
本来、障害者にやさしい製品というのは、利益ではなく、その製品によって障害者の生活がどれだけ楽になるのかを第一に考え作られるべきだと思う。逆輸入しなければならないのは、利益を優先しているからではないだろうか。
確かに、町はバリアフリー化されてきて、一見したところ、障害者にとって住みやすい国になってきたのかもしれない。しかし、もっと一人一人が障害者に対する考えを変えていかないと、本当の意味でのバリアフリーは実現できないと思う。
日本はまだ障害者に対しての意識が低いと思う。
この記事の自販機やレジスターのような、障害者にとって役に立つものが街中で日常の光景の一部として見受けられるのが理想のように感じる。
しかし、現実は障害者というだけで学校への入学を拒否されたり、就職が厳しくなるというのは否めない。私自身も障害のある人にどう対応していいかわからない。
これから福祉に対する意識から改善を行い、すべての人にとって住みやすい国になることを願っている。
スウェーデンの福祉の発達は耳にしていたけれど、実際にどのようなことが行われているのか詳しく知ることがなかったので、この記事を読んではじめて知りました。
障害があるからといって、出来ないままにするのではなく、どうしたら出来るようになるかという発想で色々な工夫をしているのだと思いました。
私は機械を作ることはできないけれど、障害がある人と接するときには、同じような考え方で、どうしたら困難なことが可能になるかということを考え、自分なりに工夫をすることを第一にしていきたいと思います。
日本にもまだまだ工夫すべき点、最大限活用できる点があるように感じます。
日本人が発明したにもかかわらず、PC・レジスターが日本国内で浸透していないことは、とても残念に思った。
スウェーデンでこの装置が取り入れられているのは、国全体でこの装置が必要だと強く思ったからだと考えられる。
日本も、障害を持っている人とともに協力しあえるような社会を作りあげていこうとする意識を高めることができたら、今の状況は改善するのではないかと思う。
こういった海外の、障害者への理解の深さ、交流の深さを目の当たりにすると、日本の障害者への関心の低さがまじまじと感じられる。
障害者のことを配慮してつくられた自動販売機は、自分も何度か街でみかけることはあったが、そういったいきさつの末にようやく設置されたものであると知ると、やはり複雑な心境になる。
今現在必要なものが日本には存在しないか、数がとても少ない。その理由は、それらの必要な器具などを作る技術がないのではなく、日本という国全体がその導入などをあまり必要ではないと考えているからに思えます。
狭く見ると、移動などのバリアフリーは進んでいる。しかし、広く見るとどうだろうか、国や企業、そして私たちはもっと勢威的に行動をしていかなければならないと考えさせられました。
この記事の自動販売機の例や7月22日の授業であげられていたホンダの自動車の例を見てもわかるように、日本の技術は素晴らしいものだと思う。
確かにマイノリティーに対する商品では利益が上がりにくいと思うが、もっと日本の技術者や企業は技術立国としての誇りを持って積極的に障害を持った人に対してアプローチしていくべきだと思う。
せっかく日本の技術が生かされているのに、それが日本人に還元されていない事実に驚きました。
もっと私たちの日常にユニバーサルデザインが広く浸透し、わけ隔てなく利用できる施設・設備であふれる日本になってほしいなと思いました。
僕は機械工学科に所属しているのですが、自分も将来、障害を持った人たちのための機械を作ることに携わることがあるかもしれません。
僕が製作に携わった機械が日本で使われていなかったらと考えると、やはりおかしな感じがします。
世界に伝わっていくことはもちろん大事なことですが、まずは自分の国で使ってほしいなと思います。
今現在、そういった機械はたくさん生産されているものと考えます。それを生かすことができるような社会体制を築いていってほしいと思います。
現代の日本では、福祉関係に熱心に取り組んでいる方々がたくさんいる中で、国の方針・考え方・政策がそれに追いついていないのは大変憤慨なことであり、残念でなりません。
日本が先進国であり、先を求めるあまりにそういった障がい者の方々への配慮が足りないと思われます。ノーマライゼーションの考え方に則り、障がい者の方々が窮屈な生活をせずに、気持ちにゆとりをもった生活ができるように早急に改善してほしいものです。
また、一人ひとりの心がけは言うまでもなく必要であり、少しでも多くの人が優しい心を持てるような時代が来ることも願うばかりです。
日本は障害を持った方に対しての意識が薄いのではないかと感じさせられる。
テレビなどで,たまに話題にされることはあるけれども、実際にそれを見て真剣に気にする人はまだ少ないんじゃないかと思う。意識の改善をすることから日本は変わらなければいけないのではと思う。
スウェーデンではPCの起動ボタンが車いすの側にあったりと障害のある人に対してのケアが充実しているのに、日本では自販機1つ設置するのにごたごたしていて、日本の意識の低さに驚かされた。
国民一人一人が高い意識を持つためには、国が呼び掛ける必要を感じた。
この記事を読んで、日本の障害者福祉の現状を目の当たりにし、とても残念に思いました。日々、障害者がこの住みにくい街で困っている場面を誰もが必ずしも見かけているはずなのに、ユニバーサルデザインの商品が日本に普及しないのはなぜなのか、と疑問におもいます。ユニバーサルデザインの製品のを作る技術、能力、資金は他の国に比べ圧倒的に勝っているはずです。やはり、障害者に対する日本の意識の低さが、問題なのではないかと思います。それが、日本の福祉にあてる国家予算とも関係し、ユニバーサルデザインが浸透しない原因になっているのでしょう。ユニバーサルデザイン製品の開発とともに、日本人一人一人の障害者に対する意識を向上させていくことが求められていると感じました。
障害者を障害者として、社会から疎外するのではなく、いるのは当たり前なんだという意識を持つことが大事だと思った。
バリアフリー化やユニバーサルデザインの商品を作るのには多くのコストがかかる場合もあるが、牛乳パックのへこみやシャンプーについている凸凹などアイディアがあれば少しのコストだけで万人が使える商品を作ることができる。
企業は利益だけを優先させるのではなくそのような当り前の気配り・配慮を怠ってはいけないと思う。
一方で、公的機関はバリアフリー化が進んでいるようにみえるが、形だけのものや意味をなしていないものがたくさんある。自治体などはそれをそこになぜつけるのか、どのように設置すればよいかということを考えなくては、ただの税金の無駄遣いになってしまうと思う。
日本は外国に様々な製品を輸出するほど、高度な技術力を持っている。障害者だけではなく、さまざまな場面を想定して、万人が使いやすい商品を作るべきだと思う。
自動販売機のエピソードには、正直なところ驚かされました。
なぜ、日本の製品を逆輸入しなければならないのか、障害者をとりまく日本の現状に少なからず違和感を覚えます。
それに対し、スウェーデンの体制には感銘を受けました。福祉の体制が進んでいるという話は聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。しかし、このブログを拝見したことで福祉に関する先進的な制度を知ることができ、またそれと同時に日本との間にある大きなギャップの存在を痛感しました。
スウェーデンの人々は、障害と福祉の存在を身近なものであると認識しているのではないでしょうか。おそらく日本ではそういった認識が薄く、身近に感じていないため、障害のある人々にとって住みにくい社会になっているのだと思います。日本の現状を改善するには日本人の意識改革が必要なのではないでしょうか。
確かに日本人は障害者に対して多少、というかかなり冷たい目を向ける傾向がありますね。
この授業を受けてから、少し街に出てみるとバリアがたくさんあることに気付きます。これは障害者に普段向けている目をそのまま表しているのでしょうか。
スウェーデンは福祉が充実しているとは少し聞いたことがありますが、まさかここまでとは思いませんでした。
そして、そこで使っている障害者用の機械が日本製と知って日本の技術に驚嘆する気持ちと、なぜそれを日本にも導入しないのか、という気持ちが入り交ざった複雑な気持ちになりました。
スウェーデンは福祉国家だと知ってはいたけれど、こんなに障害のある人に対する設備が良いとは知りませんでした。
PCの無償貸与や、その使用に関する工夫、そして環境整備することによって知的障害のある人もレジの仕事ができるということに感動しました。
それにひきかえ日本は自国で作った製品にも関わらず逆輸入をしなければ手に入らない。これは非常にショックでした。
日本人は障害のある人に対する意識が薄いのでこういったことが起こるのだと思います。
だから障害のある人が住みやすいと感じられる社会を作るには私たち1人、1人が障害についてきちんと理解することが大切だと思います。
日本には障害者のことを考えた施設や道具を作り出す技術があることにはとても誇りに思いましたが、それを積極的に取り入れない日本の実情に失望しました。タッチパネルのレジスターは画期的で日本にもどんどん導入していくべきだと思います。
日本は、スウェーデンと比べて障害者に対するサポートが非常に甘いのではないでしょうか。単に障害者に有利になるように法律を変えるだけでなく、利益だけを追求せずにユニバーサルデザインを導入しやすい環境を国民一人一人の意識によって作り出すことが必要なのだと思います。
このブログを通じて今の日本の弱者に対するひどさを改めて感じました。なぜこれだけの素晴らしい商品を作りあげる技術を持ちながら自国でいかさないのでしょうか。悲しいことですが障害者の方を完全に邪魔者としてみているようにしか見えません。確かに自分にも障害者の方に対する偏見はないとはいえません。
しかしそれを解消するためには自分自身もそうですが、まず外国に目を向ける前に日本政府が率先してユニバーサルデザインを駆使した商品を使い、障害者の積極的な雇用を進め障害者があたり前にいる生活を作りあげねばいけないと思います。
埼大の近くに「にじ屋」という障害者の方がやっているリサイクルショップがあるのでぜひ一度行ってみてください。今の障害者雇用のあるべき姿が垣間見えると思います。
日本には素晴らしい技術があるにもかかわらず、国内でその技術を生かそうとしていない現状が残念に思えました。世界の障害を持つ人々を援助しようとすることはもちろん大切ですが、日本国内で障害を持つ方に対しての整備が整っていないことを考えると、なぜ国内にこのような設備が無いのだろうと疑問に思いました。
もちろんもっと障害を持つ方が住みやすい社会をつくろうとしている人はたくさんいると思いますが、その意識が一般の人々に浸透していないことが問題なのかなと思いました。
たとえ直接行動に移さなかったとしても意識の中に思いやる気持ちがあれば、自然と社会の傾向が障害者のことを考えたものになると思うし、政府や自治体、企業が何らかの行動を起こすと思います。
そう考えると、一人ひとりの意識を変えるだけでも障害を持つ方が生活しやすい環境をつくるのに近づくことができるのではないかと思いました。
このブログを読んで、タッチパネル式のPCやレジスターがあること、それが日本製であることに驚きました。なぜなら、国内で全くその姿を目にしないからです。このような素晴らしい技術を持っているのに、なぜ自国に使わないのか、不思議に思いました。
この技術の存在を知らないという人もきっと多いと思います。それは日本の国民一人一人の意識が低いためです。これは国も同じで、障害のある方に対する支援が行き届いていないと思います。自動販売機のように、普段の何気ない生活を振り返って考えてみると、障害者にとっては不自由なことがたくさんあることに気付きました。
先進国である日本が、バリアフリーに関しては発展途上国であることはとても恥ずかしいことではないかと思います。北欧のように、障害のある方でも生活しやすい環境の整った国に、日本もなってほしいです。
宗澤先生のブログを読んで、日本の障害者に対する意識の低さというものを考えさせられました。またそれとは逆に、スウェーデンの障害者に対する対応の良さに驚かされました。
一人ひとりにPCを貸与したり、知的障害の人がレジすらもできるように工夫された機械を利用するなど、すべて国民を平等に考える政策は日本には全く見られないことだと感じました。
しかし、そのようなユニバーサルデザインの典型である自動販売機や、タッチパネルのレジスターなどが日本製のものであるという事実、このことにいちばん驚かされました。こういうモノを作れる技術をもつ日本は、なぜその技術を生かすアタマを持っていないのだろうと感じました。
スウェーデンのレジの話を読み、そんなことができるなんてすごいと思ってしまいました。
本来ならば障害者でも健常者と同じように働くことが当たり前になっていなければならないことだと思います。
ユニバーサルデザインとは障害者だけでなく全ての人々が能力などによらず快適に使えるようにすることだと思うので、障害者に固執するのではなく日本に住むすべての人がどうしたらもっと住みやすい国になるのかを考えていかなくてはならないと思います。
障害者でも利用できる自動販売機や知的障害者でも扱えるレジスターがあることを知って驚いた。またそれと同時に、これらの障害者にも配慮された優れた機器が日本で作られているのにもかかわらず、これらの機器を逆輸入しなくてはならないのか憤りを感じた。
これを開発した人はどのような気持ちでいるのだろうか。はたして本当に、障害者に目線を合わせて作ったのか。それとも単に利益を求めて作ったのか。おそらく設置コストや維持費など複雑な事情が関わっているのかもしれないが、開発者側も障害者に配慮したこれらの機器を日本でも逆輸入しないでも済むように尽力してもらいたいと思う。
自分自身も障害者の目線に合わせて生活を心がけていきたい。
中学生の時に盲学校に行って交流をしたり話をきいたことがあります。点字の体験もしましたが、とても難しかった覚えがあります。点字以外にもたくさんのユニバーサルデザインを知り、日本でもまだまだですが、障害者にやさしい環境が整ってきているんだなと思います。
タッチパネル式のレジスターを知って、大変素晴らしい製品だと感じました。消費者のことだけを考えるのでなく、働き手の労働環境を整えています。店は利益を追求するだけでなく、労働者の利便性も合わせて経営方針を考えるべきです。もちろん、”労働者”の中に障害のある人も含まれています。
ブログを読んで再認識しましたが、日本では働く人≠障害のある人、の考えが強いように感じます。この考えを変えるよう努力しないと、本当の福祉的な社会を作ることができないでしょう。
そのためには新しい制度を設けるなど政府の活動と、障害のある人と共に生きるには何が必要かを考え、具体化するなど個人や地域の活動が大切です。障害のある人でも働ける人であり、身近な存在であると誰もが普通に思える社会になってほしいと望みます。
日本の技術により作られたものがなぜ日本でも障害者の人たちのために使われてないのかが疑問です。このように多くの人を助けられる技術が日本にはあるのに、日本の福祉に対しての理解の低さがとても残念に思いました。
スウェーデンなど世界中の障害者を助けることも大切ですが、日本国内の障害を持つ方たちに対しての意識をもっと強めて、全ての人が住みやすい社会になって欲しいと願います。
スェーデンで障害者でも使えるレジがあるいうことに驚きました。やはり、福祉国家であるスウェーデンは福祉に対しての意識の高さ、取り組みが日本とは大いに違うと感じました。
しかし、実際にレジを作っているのは日本であり、作る技術はあるのだから、日本も意識の向上、開発における多大な投資によって、スウェーデンのように福祉に対して、手厚く取り組んでいかなければいけないと思います。
初めてブログを拝見させていただきました。
わが国には素晴らしい物を作れる技術やそれの良さを社会に広めようとする心があっても、国での政策やメディアがうまく機能していないのではないかと感じました。
時代が変化する中で、本当に誰もが住みやすい社会を作れるような働きが小さなことでもいいので1人1人意識していくことが大事であると思いました。
埼玉県障害者交流センターが開設されたのは私が生まれたのと同じ年です。20年程前から日本にはバリアフリーの自動販売機の技術があったにも関わらず、それが国内に生かされていなかった。海外に比べると、日本はこんなにも社会福祉に対する意識が低いのかと残念に感じました。
それと同時に、自分自身も障害を持った人たちやお年寄り、妊婦さんなどが暮らしやすい社会ということへの考えが甘かったなと思いました。
私の最寄り駅には最近になってホームと改札口をつなぐエレベーターが設置されました。市民公園は階段がスロープに変わりました。そんな風に街が変わっていくことを私はただ良いこととしかとらえていませんでした。
確かに良いことではあるけれど、遅すぎるくらいの変化なのだと感じました。スウェーデンのように障害の有無に関わらず、人々が共存している社会というのは日本も目指すべき姿だと思います。
私もまずはまだ街に残されているであろう、身体の不自由な方々にとっての不便に気づき、手を差し伸べられる人間になりたいと思いました。
昨日と今日の2日間にわたり、北九州市立大学で講義をしていただきありがとうございました。
先生の講義を拝聴させていただき、先進国といわれている日本も、福祉の面から見ると、まだまだ発展途上にあると感じました。中でも、薬には点字表記がされているものがとても少ないということを知り、場合によっては命に関わる問題であるため、早急に点字の普及をすべきだと強く思いました。
日本で開発した技術などを、国内ではあまり活用されていないということから、日本は宝の持ち腐れ状態にあるとも思いました。せっかくの素晴らしい技術をもっと利用し、万人が住みやすい国にこれからしていかなければならないと思います。
点字表記のシャンプーや食品がある事は知っていましたが、まだまだ追いついていない現状に驚きました。講義を受けるまで、「ユニバーサルデザイン」についての知識が、殆ど無かったと思います。当たり前すぎて、生活の中で気にかけない事が、障害者にとっては大変重要な事であると言う事を改めて気付く良い機会になりました。
特に、盲人の薬についての話は大変驚きました。現在は翻訳ソフトが開発されたと言う事でしたが、地方の医療機関や個人の医院などの現状はどうなっているのでしょうか。
また、薬を服用する際、使用説明書を読み薬の種類を確認する時に、表記している文字が小さく、私自身は老眼鏡が手放せません。それ以上に視覚障害者や白内障、緑内障などの老人は、さぞ不便であろうと想像できます。
何事も現状を変える為には、我々が声を挙げなければ始まりはありません。声が大きくなれば、良い方向に変わる事もあります。我々全体での問題の共有が大切です。些細な事からでも実行する事が肝要であると考えます。
最近このような押しやすいボタン、入れやすい硬貨口、出しやすい取り出し口の自動販売機を良く見かけるようになったと思います。ボタンや取り出し口はあまり関係ないのですが、広い硬貨口は特に不自由のない私にとっても便利でよいものに感じます。
上記のタッチパネル式のレジには感心させられました。これまでの、お金の計算ができないからレジは無理、という考えを真っ向否定して計算ができなくても大丈夫なレジを作るという発想。このような発想ができる人がいれば、今後ノーマラーイゼーションもいい感じに進むと思います。
そういえばレジといえばお金を入れたら勝手にお釣りの計算までしてくれるものもありますが、やはり扱いが単純なタッチパネル式の法がよいのだろうか。
先日は北九州市立大学での講義、
お疲れ様でした。
スウェーデンがすばらしい介護大国なのは
よく知られていますが、
その介護大国たる理由の一つが、
「税金の高さ」であると思います。
福祉、介護などのサービスにおいて、
「これで完璧だ」ということはないと
私は思っていますが、
それでもある程度やらないといけない基準が
あるとも思います。
その基準を高くするためには、
やはり多くの資金が必要となるはずです。
その資金の充実は、
現在、健康に働いている人たちからの
援助なしではありえません。
「福祉・介護のサービスを向上させろ」と
言うのは簡単ではありますが、
私たちは何かしているでしょうか。
無駄遣いをされることもあるでしょうが、
高い税金を払うリスクぐらいは
私たちも負わなければ、
質の高いサービスは期待できないのでは
ないでしょうか。
先日、先生の講義を受けた北九州市立大学の学生です。
この記事を読んで、特にストックホルムのレストランのタッチパネルは、画期的だと思いました。計算が出来ないから障害者を省くのではなく、障害者が出来ることに目を向けるという考え方は、日本にも広まってほしいです。
ユニバーサルデザインは、年齢や性別、障害問わず、万人が使いやすく設計することです。しかし、最近では、高齢者や障害者に限定され、本来の意味をねじ曲げられていしまっています。また、障害者を取り巻く「バリア」として、「情報伝達のバリア」、「心理的バリア」、「制度的バリア」、「物的バリア」が挙げられます。特に、「物的バリア」に関しては、そもそも初めから万人が使えるように設計すべきであり、ここに、歪んだ日本の福祉が垣間見えます。
講義を受けて、自分が思っていた以上に、福祉に関する知識が乏しいと思い知りました。また、自分の周りには、福祉に関して浅はかな情報、考え方が多いと相対化するきっかけになりました。
北九州市立大学で先生の講義を受けたものです。
ユニバーサルデザインがいかに日本に浸透していないものなのか、先生の講義を受けてから思うようになりました。
私は以前ユニバーサルデザインの商品を目にしたことがあったのを思い出しました。それは量販店にあるというわけではなく、特別に設けられた場所にユニバーサルデザインの商品のみが並んでいるだけでした。ユニバーサルデザインは「誰もがともにできる環境」と先生は言っていましたが、特別に設けられた場所にあるユニバーサルデザインの商品であっては「誰もがともにできる環境」は実現できないのではないのかと今は疑問に思います。
また、日本の技術が他国の福祉に貢献しているのは日本の誇りだと思いましたが、その日本の技術が自国である日本の福祉に貢献されていないというのは驚きました。日本の技術を逆輸入していかなきゃいけないというのはおかしいなと思いました。
こんにちは。先日、先生の講義を受けさせていただいた北九州市立大学の学生です。
ユニバーサルデザインについての講義を受けて、自分の認識が間違っていたことがよくわかりました。また、自分の知らなかったことも多く、大変有意義な講義でした。
ユニバーサルデザインとは、「障害のある人が使うもの」ではなく、「誰もが使えるもの」で、車椅子に乗った人のシンボルも、車椅子障がい者のための駐車場やトイレを表したものではないなど、多くのことを学ぶことができました。
上記の自動販売機の例もそうですが、日本は、北欧諸国のようには、まだ福祉やバリアフリーのような意識に欠けているし、知らないと思います。だからこそ私たちは、このような意識を高めていかなければいけないと思いました。
北九州市立大学の学生です。先日の講義ありがとうございました。
「ユニバーサルデザイン」ということでしたが、自動販売機の話が不思議でした。日本で作っているものを、直接日本に回さずに、逆輸入になる。こんなにも北欧と日本では福祉に対する考え方が違うものかと痛感させられました。
また、聴覚障害の方は筆談を嫌う人が多いということも知らなかったというより正直意外でした。マンホールの点字ブロックがずれているという話も私自身意識してなかったことなので身近なことにもバリアが本当に多いのだと感じました。
日本で作られている技術が日本で使われていないことがおかしいことだと知ることが大事なことだと思いました。管理運営ということが簡単なことではないとは思うが、少しでも意識を変えていくことが必要だと思いました
先日は素敵な講義をありがとうございました。
このタッチパネル式のレジスターには、目から鱗が落ちるという感じがしました。普通に考えてタッチパネル式の物は増えているので、タッチパネル式のレジスターなんてあっても不思議ではないのですが、私自身が軽度の知的障害を持った方の家庭教師をしていた経験があり、その際、自分でノートに硬貨の絵などを書いて足し算の計算を一緒に頑張っていたのを思い出し、環境整備によってこのように知的障害を持つ方も働けるのだなと知りとても嬉しく思いました。
私が受け持っていた子は、バスがとても好きで、いつも私に大好きなバスの時刻表をくれる優しい子でした。その子の夢はバスの運転手です。昔では考えられなかった事が実現している現在、日本の技術力がより進歩し私たちも様々なことを受け入れながら、その子やみんなの夢が叶う世の中になることを願ってやみません。
自販機の逆輸入はいったいどういうことなのでしょうか。
日本は技術力が高いと諸外国から高評価を受けていますが、その技術を自国のために生かし切れていないのですから、お粗末な話です。
日本にはいたるところに点字ブロックがあり、エレベーターがあり、優先席があります。それなのに、障害を持つ人はまったく暮らしやすくないことを今回初めて知りました。
設計などにかかわる一部の人たちだけが努力をし、改善をしても、興味・関心を抱かない多くの民衆によってバリアフリーは壊されているのだと思うと悲しくなります。
現代日本人は他人に無関心であるとよく言われます。
これを黙殺せず、高い技術を生かし、日本がユニバーサルデザインがあふれる暮らしやすい社会になればいいと思いました。
こんにちは。
このお話は講義で聞いた時も衝撃的でしたが、また読み直してみて再度、日本という国を悲しく思いました。
日本は良い技術をもっていることは確かだと思います。
しかし、この技術を使うことなく海外に輸出するのみということは、あまりにも効率性や利益を重視しすぎている日本の悪いところだと思います。
障害のある方のすることを勝手に決めつけ、可能性を断ち切るこうなことはなくなるべきだと思いました。
先日、近くの図書館にいったらこのタイプの自動販売機が置いてあったので思わず使ってみました。取り出し口が勝手に開いたときはびっくりしました!またこの図書館の公衆電話は車いすが入れる仕様になっていました。今まで全く気が付きもしなかったけどなんだか感心させられました。
ユニバーサルデザインの自販機の逆輸入、というところに日本の認識の甘さを垣間見た気がしました。わたしがデパートにユニバーサルデザイン商品の有無を尋ねたところ、『ああ、障害者用のですね』といった返答があったことがありました。万人が使いやすい、というコンセプトが婉曲し何処か遠いもののように認識している現状を認識せざるを得ません
レジの話にもあったように『~だからできない』などということを『~でもできる』とすることにこそ、最先端技術の応用が期待されると思います
日本は、あらゆる面で技術が進んでいる国であるのに、障害者へ意識は、遅れをとっている国であることを、授業やこのブログの記事を読んで改めて実感し、悲しい気分になりました。
日本で作ったものを日本では使わずに外国に輸出、日本へは逆輸入・・この事実がいかに障害者に対して無関心な国であるかがうかがえます。
スウェーデンで知的障害者がレジ打ちをしている人がいるように、日本でも、障害のある人が社会に貢献できるような制度は整っているのでしょうか?
一人一人がもっとこのような事実に目を向け、そして社会全体で障害者の方も住みやすい環境を作っていかなければならないと思います。
日本人の障害者に対する考え方にはまだまだ壁があると思いました。
お金を入れる位置と取り出し口とボタンの位置が同じところにある自動販売機には、車いすや、かがみにくい人のためにあることを知らなかった私も、そのうちの一人だなと恥ずかしく思いました。
日本では、知覚障害者が働くなんて考えられないし、どっちかというと病院や家の中で隔離されているイメージがあります。
まずそのイメージから取り払っていく必要があると思います。
日本の先進技術が外国の障害者の役に立っているのはとても嬉しいことだけれど、日本自国に生かされてないことはすごく残念です。
ユニバーサルデザインが街にあるのが当たり前の世の中になれば、障害者の人々にとって、より社会に出ていけるようになれるのになあと思いました。
健常者のための技術ではなく、万人のために使われる技術でありたいと思いました。
地元の駅近くのビルで写真のような自動販売機を見たことがあります。最初見たときは変な自動販売機だなぁくらいにしか思いませんでしたが、車いす使用者を考慮したものだと知ったときは合点がいきました。着実に日本にもユニバーサルデザインが普及してきていると思います。ただ、逆輸入しなきゃいけないものがあるのは残念です。ユニバーサルデザインを作り出す技術があるのだから、日本人の意識さえ変われば、日本はとても暮らしやすい国になると思います。
日本でユニバーサルデザインの自動販売機や障害者の方のためのパソコンソフトなどを作っているにも関わらず、日本ではそういうものを使わないなんて不思議だと思いました。これは、日本人の意識の低さを表していると思います。どうすれば、障害を持つ方やお年寄りの方が、安全で快適に生活できるか、ということを考えるべきだと思います。スウェーデンでは、知的障害者の方が社会で働けるように、タッチパネルを導入したり、計算できなくてもレジ係ができるように視覚で判断できるシステムを採用していて素晴らしいなと思いました。しかし、その一方で、日本は障害者の方あ社会に進出しにくい、もはやできない状況にあると思います。法律で障害者の方を雇用する基準が定められているにも関わらず、その基準を満たしていない会社がたくさんあるようですし、設備の整っていないようです。もっと意識を高めて、設備を整え障害を持つ方が快適に働けるような社会を作っていきたいです。
『知的障害のある人にレジの操作が出来るとは思えない。』と多くの日本人は考えるともいます。それと同時にその先の事を考える事をやめてしまうと思います。スウェーデンという国がどれだけ人権について考えているのかが感じられます。それと同時に日本では需要のなさそうな製品を作ってしまう日本人の技術力に感心しました。技術はあるのだからそれを生かす方法を考える人さえいれば、日本は障害のある人にとっても暮らしやすい国になると思います。
日本では障害者に対して、まだまだ考え方が甘い思いました。知的障害者がレジで働くという発想は今の日本にはほとんどないのに、スウェーデンではすでに機械を導入して実際に障害を持つ方が働いてる、ということから、日本はかなり遅れているなと感じました。障害者に向けた製品を作る技術があるにもかかわらず、逆輸入しなくてはその製品が使えないということが起きてしまうのは残念なことだと思います。今の日本に必要なことは、まず障害者に対する意識の改善だと思いました。
スウェーデンが世界一の福祉国家だということは知っていたが、日本との違いの大きさに驚いた。外国では障害のある方が日本製の機械を使用して働いているという。しかし、日本では日本製の機械なのにもかかわらず、あまり浸透していない。日本は世界と比べて、障害のある方が社会へ進出しにくい社会だと感じた。私は今健常者として生活しているが、もしかしたら今後何らかの障害を抱えることがあるかもしれない。そうなってから困らないように、私たちは今できることを行っていかなければいけないと思った。
日本はこんなにも技術が発達しているのに、まだまだ障害のある方の住みやすい環境になっていないことに疑問を持ちました。スウェーデンは障害のある方にタッチパネルのパソコンを無償貸与したり、障害があるから働くことはできないというようなことがないように、障害がある方でも働けるように環境を整備していてとても良いことだと思いました。日本はまだまだすべての人が住みやすい環境になっていないと思います。日本はこんなにも技術が発達しているのだから、もっと障害のある方のことも考え、すべての人が住みやすい環境にしていくべきだと思います。
日本で技術を持ってみんなの利用できる自動販売機などを作っていたにも関わらず逆輸入でしか手に入れられないという事例を見ても、日本が北欧諸国などと比べて障害への関心が薄いことが見て取れると思います。
やはり日本の人にとって障害を持つ人がレジ打ちなどをすることに嫌悪感を抱く人間はスウェーデンなどの国々と比べて非常に多いと思う。北欧諸国を見習い、すべての人にとって無理のないような環境が日本でも広まる事が急務だと思いました。
すごい工夫だと思います
埼玉大学の学生です。先週の「人間形成と教育」の講義では、ユニバーサルデザインについてのお話とても勉強になりました。いままで「車いすの国際シンボルマーク」を見ると、体の不自由な方々だけのためのものだと思っていましたが、それが誤解なのだと知ったときは驚きました。「誰でも使いやすい!」そういう設計という意味だったんですね!
「ユニバーサルデザインは今のままではユニバーサルに使えないものだ」、「管理も含めてのユニバーサルデザインなんだ」というのもとても納得できました。
調べてみると、ユニバーサルデザインは身のまわりにとてもたくさんあるのですね。もはや、誰でも使いやすく、安全であるということは現在のモノづくりの基本なのかとも感じました。
だれでも使いやすいユニバーサルデザインを広げていくことで、私たちの毎日の生活が豊かになっていくのだと思います。
これからは周りの人たちに気を配りながらもユニバーサルデザインを有効に使えるようになっていってほしいと思いました。
近年、特に障害のある人たちや高齢者向けのユニバーサルデザインと言われる様々なものが紹介されている。私の母親も、お茶は湯呑みでなくてはと拘っていたが、最近取っ手のついたカップに換えた。
確かに日本にも障害のある人や高齢者にとって便利なものもある。しかしここで紹介されているスウェーデンの様子に驚いた。特に知的障害のある人が使用するレジスターは衝撃であった。障害をもっている人や高齢者、小さな子どもたちは能力がないから、できないことが多いので我々健常者やおとなが助言を与え、サポートしていかねばならないと考えている人が少なくない。その発想から抜け出さない限り、日本がスウェーデンに追いつくことはあり得ない。
北九州市がゴミ袋の有料化をする時に、プラスチック容器包装用の袋を25リットル用しか作らず、大ブーイングを受けてあわてて45リットル用を製造したエピソードがある。これは家事に携わったことの無い人たちが、台所から出るプラスチック容器包装がいかに多く嵩張る物ということをイメージできなかったことが原因である。障害のある人や高齢者そして子どもたちが何をどれだけ、どうすれば活用できるかを、イメージできるようにならねばならないと思う。
ユニバーサルデザインの中で講義で紹介されていた、車に興味を持ちました。上半身が使えない人のための車を開発し、街中で利用できるようにするために様々な分野の人々が協力した話を聞いて感動しました。
同級生が脊髄損傷して障害を持っていますが、今度免許を取ると言っていたので、その車も障害者が使えるように改造された車なのだろうかなと考え、その人が車を運転できるのも開発や憲法改正に携わった様々な協力があったからこそできるものなのかなと思いました。
1番最初の写真の自動販売機は、私も利用したことがあります。小銭を入れるところも広く入れやすいようになっていて、これは使いやすいだろうなと思いました。しかし、その自動販売機は街中でみかけたことはなく、すべて病院の中にあった気がします。
また、タッチパネルで操作できるレジの存在を、この記事を読んで初めて知りとても感動しました。レジスターの機能を向上すれば、お金の計算が出来なくてもレジの仕事はできるのですね。画像選択という方法はとても分かりやすく簡単だと思います。
挙げた2点は両方とも日本製だということで、日本の技術を誇りに思った一方で、なぜ生産国の日本に設することに苦労したり、使用されていなかったりするのでしょうと、疑問に、また悲しく感じます。技術があってもそれが利用されなければ!!先生のおっしゃるように「最大限活用」されている生活を近い将来日本でみられることができればいいなと思います。
後期で先生の講義を履修しています。
『ユニバーサルデザイン』という言葉を聞くと、『段差が少ない道路』や『階段の代わりに緩やかな坂を採用する』といった物的バリアを取り除いたものしか知らなかったのですが、この講義で制度や情報のバリアもあるのだと知りました。このブログにあった仕事に関するバリアの項目はとても印象に残りました。私が普通に出来ると思っていたことが、みんなが当たり前に出来ることではないという事実に衝撃を受けました。
このブログに上がっていたものは日本製のものが多いようで、日本にはこんな素敵なアイディアをもった人がいるのだと感動しました。しかし、日本ではあまり実用化されていないのが残念です。ぜひ、自分の国で発明したものは自分の国から実践し、発信していってほしいと思いました。今後、日本がユニバーサルデザインの溢れる国になってほしいなと思います!
自動販売機にそんな経緯があったとは初めて知りました。日本で生産してるのに海外から輸入するのは問題があると思います。
それにしても、さすがは福祉大国スウェーデンですね。今後日本もそんな風になってくれることに期待したいです。
日本において世間一般で障害者の暮らしやすい空間を作る動きが重要視されたのはほんとについ最近だと思います。しかしいまでもニュースなどでバリアフリー施設の特集などをやっています。
私が思うにバリアフリーは特別視することではなく当たり前になっていかないといけないと思います。そのような面から見るとスウェーデンではこの記事が書かれた頃にはその当たり前が当たり前になっていると思いました。
近年では写真のような自販機もよく見かけるようになり、お金を入れるだけの全自動のレジも導入されています。また人々の障害者や高齢者に対する意識にも変化があるように思われ、いろいろな人とって日本も住みやすくなってきているのではないかと思います。
自分の大学でも最近自販機が新しくなったり新たに設置されたりしました。車椅子の人にも優しい位置にもう一か所ボタンがあるようなタイプのものです。
バリアフリー、ユニバーサルデザインというものは、道路や建物に限らず情報、仕組み、制度にまで及ぶものだということをこれからもっと考えなければならないと思いました。
日本の最先端の技術、そして慎重に考慮し吟味する精神が、新しいものを生み出すだけでなく、今あるものをよりみんなにとって使いやすく身近なものに改良することに、ほんの少し使われるだけで、バリアフリーやユニバーサルデザインが当たり前のように浸透していくはずだと思いました。
障害のある人がそれをハンデだと思わずに済む社会には必須であるものだと思うので、自分たちの周りにあるユニバーサルなもの、制度について障害のない私たちも知っていこうと考えました。
日本は素晴らしい技術を持っているのだから、それを単純な商売道具として使うのではなく、国民の生活を良くするために使ってほしいです。
一応日本は先進国として位置づけられているが、先進しているのは技術面だけで福祉面や教育面では先進国とは程遠いように思えてしまうのが残念でなりません。
日本の技術を駆使すれば、国民全員が暮らしやすい環境を作ることは可能でしょう。
たとえ多くの時間や費用がかかるとしても、これを行わない限り胸を張って「日本は先進国だ」と言える日は来ないと思います。
日本においては、障がいを持つ人に対する見方、考え方、接し方といった面での教育が不足しているのではないかと思います。
「障がいのある人もない人も平等に扱いましょう」というある種固定化された考え方を幼いころから教わってきましたが、健常者が自動販売機の飲み物の取出口が下にある従来の型のものを置き続けて「平等だよ、差別してないからいいじゃないか」とする考えが蔓延しているために逆輸入しなくてはならないなどというゆゆしき事態になっているのだと思います。
障がい者にも使いやすく、かつ健常者が快適に使えるように、という考え方が共存の上でいいことですし、平等に扱うという捉え方がそのように変わっていけばいいと思います。
最近ではあちらこちらに写真1にような障がいを抱えた人向けの自販機が増えてきたように感じる。しかし、日本企業がせっかくユニバーサルデザインの製品を開発しても自国内に設置せず、海外への販売を優先してしまってはいけないと考える。ましてや逆輸入して設置するなど、だったら最初から国内に設置すべきである。『あの人は障がい者だから○○はできないだろう』、そんな偏見意識ある社会では障がい者向けの法整備やバリアフリー化、ユニバーサルデザイン製品の開発などは進まないであろう。かつての日本はそんな社会ではなかっただろうか?現在の日本ではようやく法制度が整うなど、障がいを抱えた人に対する配慮が浸透してきたようである。これからの日本は福祉大国と呼ばれるスウェーデンなどを目標により高齢者や障がい者に対してやさしい国を目指すべきではないだろうかと私は考える。
障害を持った方々のために工夫を凝らすことができるのに、それを実際に活かすことかできないのはとてももったいないです。障害を持った方々が他の人と同じように生活したいと思っていることも、そのための助けを必要としていることも分かっているはずなのに、なぜあと一歩が踏み出せないのだろうかと思いました。
また、スウェーデンではユニバーサルデザインが導入されていることを知り、日本と他国の意識の高さの違いを感じました。「バリアフリー」を目指し、障害を持った方々に対して徐々に優しくなっている日本ですが、まだまだ克服すべきバリアは多いのだと気付かされました。
障害があるからあれはできないこれはできないと、我々は考えがちであると思う。できないのならばできるように環境を変えてやればよい、という考え方は強く同意できる。できないことをできるようにするために人間は技術を発展させてきたのだ。これを活かさない手はないだろう。
しかし、ユビキタスな社会を実現できる技術はあるのに、日本では障碍者の就労状況などはよくないという。これは健常者側の意識に問題があるだろう。
日本でも障害者に対する理解が進み、「障害者であるからといって出来ないことばかりではない。」ということを健常者である私たちが学ぶ機会が増えてきました。
しかし、スウェーデンのレジスターを見て、私たち日本人の障害者のことを理解した気になっていただけではないか、と感じました。私たち日本人はどこか「障害者にこんな難しいことはできないだろう。」という偏った見方をしていて、その上、障害者に手を差し伸べようともしていないのだと思いました。なぜなら、いくら制度の上で就労を保障しても、スウェーデンのレジスターのような、実際の労働を助けてくれる仕組みがなければ就労は難しいからです。
障害者に手を差し伸べようとするなら、具体的なことをしなければ意味がありません。せっかく日本製の障害者のためのソフトがあるのだから、その存在を日本国内で知らしめて活用し、障害者を具体的な形で支援するべきです。
障がい者の仕事についてはじめて考えたのは、小学生の頃でした。近所に住んでいる障がいをもった女性を見て、何をしているんだろう、そんな疑問がずっと頭の中を渦巻いていました。
しかし、実際に知ってみると意外と私たちとあまり変わらない仕事をしていることがわかりました。今まで同情の目で見ていたことが恥ずかしくなっただけでなく、こんなに近くにいたのに気付かなかった視野の狭さを痛感しました。
そこで、来年、介護実習に行くにあたり、きちんと下調べをし、視野を広くもち、もっと障がい者について知って、考えて行きたいと思います。
日本にスウェーデンと同じものを導入していけというのは多少無理が生じるとは思うが、出来るだけ近いものは導入するほうがいいとは思う。健常者と障害者がそのものを使う確率から言えばそれは健常者のほうが使う確率が高いのは当たり前で、でもそれだからと言ってめったに使わない人を除外して考えるのは良くないことであり、少しでも誰かが使いにくいかもと常に考えるのが大事であると考える。
ユニバーサルデザインについて、日本が自動販売機を逆輸入したのは、効率が悪いことであると思いました。
しかし大切なことは、日本には技術があるということだと思います。
講義を受けて、日本の障がい者に対する支援はまだまだ不十分であると思いました。
私は、今後必要になる自動販売機を逆輸入すべきだったと思います。
そして、これからはこのようなことは起こらないように手立てを作られていくでしょう。
日本には、障害を持っていてもそれをカバー出来るような器具や技術を輸出するほどあるにも関わらず、それを自分たちの国で利用しようとしないような風潮があるように思うのです。ここまで自分たちの国に反映されていない現状を見ると、せっかくの人を「活かす」アイデアが「資本を得るための考え」に思えてしまって悲しく思えてきてしまいます。人を活かす素晴らしいアイデアを生むだけでなく、それを上手く使用できる環境と人々の理解が大切なのではないでしょうか。
日本が作った製品なのに、日本で使われていないというのはおかしいと思います。日本人のために使われないというのは、日本が障害者の人々に関心が低いからでしょうか。せっかくこのような技術があるのにも関わらず、日本が利用しないという現状はとてもはがゆいです。もっと日本がユニバーサルデザインについて考え、全員が住みやすい社会になっていくように考えていくべきです。
便利なものが世界にあるのだなと思ってみると、日本製であった。意外なことでした。自動販売機について言えば、逆輸入をしなければならない状況にあるということは、業者が日本に向けて作ろうとしていなかったのではないかと思いました。業者が日本の市場をターゲットにしていない。日本においてこのような商品が売られていないことをみても、日本はユニバーサルデザインにおいて遅れているなと思いました。
講義で日本で作られているユニバーサルデザインの自販機が外国から逆輸入されて使われていることを知りショックでした。日本は技術は進んでいるが、ユニバーサルデザインへの理解が遅れていると思いました。ぼくは高校生のとき大きな怪我をして、しゃがむことができない時期があったのですが、ユニバーサルデザインの自販機を見つけたとき、これなら飲み物が買えると思いうれしかったことを覚えています。ユニバーサルデザインはみんなが使いやすいものなのでしっかり理解され、普及されるべきだと思います。
ユニバーサルデザイン型の自動販売機が日本製にもかかわらず、日本で普及していなかったことは意味が分かりません。私自身もそうですが日本はこのような考えがとぼしいのです。このような自動販売機を初めて見たとき、使用法が分かりませんでした。便利だと思いますが、ただ設置するのではなく、しっかりと社会の認知を広げていくこともとても重要なことだと思います。
日本の技術を駆使して製造された、障害者にも使用しやすい自動販売機、レジスターなどがおもに国内でなく海外で使われていることに衝撃を受けたと同時に、国内の障害者に対する考えの甘さが感じ取れた。これらの機械を逆輸入することで、やっと日本の障害者の生活を豊かにできる、というのは残念なことに思える。やはりこれを改善するには、国民全員が生活しやすい社会を手に入れるべきだと考える人間が増え、それを実現できるような法の制定など、行動を起こすことが必要であると思う。
「ユニバーサルデザイン」や「バリア・フリー」について、なんとなく知っている気でいましたが、講義で大学構内にも基準を満たさないスロープがあることや、段差があって車椅子や目が不自由な方が通るには困難な道があることを知り、ただ知識を持つだけではなく、障がいを持った方の目線に立つことが重要であることに気付きました。私だけではなく、日本の社会全体でこのような目線が欠落しているのではないでしょうか。せっかく日本製の良いユニバーサルデザインの商品があるのだから、それをもっと生かし、物理的バリアを取り除くのと同時に、一人一人が周囲に障がい者にとって不便なところがないか意識することで、心理的バリアも取り除いていくべきだと思います。
世界でもトップクラスの技術を持つ日本で、ユニバーサルデザインが浸透していないことに驚きました。言われてみれば、今までユニバーサルデザインという単語を学校では聞いても、実際に目にすることは少なかったように思います。最近でこそ、持ちやすいように工夫されたスプーンやフォークなどといったものを見かけるようになりましたが、もっと早くにこういった動きを始めるべきだったと思います。また、それだけの技術とアイデアの可能性を日本は秘めていると思うので、すべての人が利用しやすい、快適な生活ができる社会になることを望んでいます。
ユニバーサルデザインについて、これまで思っていたことは、自分は特にこれといった障害なしに生活することができているために、どのようなことが実際、障害になってるのか気づきにくいということです。そして今回このブログを読んで、意外と自分にとっては些細な身近のことが障害になっているとわかり、それはほんの少しの工夫で変えることができると感じました。自分には関係ないからと言って考えるのをやめず、もし仮に障害があったらと考えることが重要と感じました。またそれが自分が年をとり、体が今のように思い通りに動かなくなった時の助けになるのではないかと思います。
何年も前から、PCの液晶をタッチで操作やユニバーサルデザイン型のレジスターなど工夫したアイディアとそれを実現することができる高度な技術を持っているのにもかかわらず、自分の国の身体障害者に目を向けなかったことに疑問を感じた。日本の小さい市場に販売するくらいなら、福祉に重点を置くスウェーデンなど外国の市場に販売したほうが良いと企業が考えたのだとしたら、利潤を追求しすぎて人として大切なものが欠落していると感じた。
日本ではまだまだ身障者への配慮がたりない。電車にしても車椅子の人は絶対に一人では乗れないような仕組みになっているし、学校にしても身障者でも普通に通えるような学校は少ない。だから結局通えるところが限られてくるというのが現状である。それに対して海外ではやはり日本よりも進んでいてこのブログで見たような身障者でも働いたり、満足な生活ができるような仕組みはすごくいいと思う。日本ももっとユニバーサルデザインが進んでいる海外に学んで身障者が社会進出できるようなそういう社会を創っていってほしい。
日本の技術が日本で生きていないというのは非常にもったいない話である。日本でも、万人に使いやすいもの(スロープからインテリアまで)が多く存在してはいるが、万人がそのありがたみを心から実感しているわけではないからだろうか。
スウェーデンのレジスターのタッチパネルは、知的障害のある人の雇用のチャンスを広げるものとしてぜひスウェーデンだけでなく日本、さらに多くの国で導入されてほしいものだと思う。知的障害のある人が街中で活躍するのを目にする機会が増えれば、健常者に、ユニバーサルデザインにありがたみを感じる意識が生まれると思う。
私は現在、大学で家政学を学んでいます。以前、授業の中で衣服のユニバーサルデザインについて調べたことがありました。車いすに座ってもかたちのくずれない衣服や、片手で着脱のできる衣服など、障害のある方に合った衣服がたくさんあることを知りました。しかし、まだまだ種類も少なく、値段も高いです。
私は衣服は生活の中で重要な役割をもつと思っています。寒さや暑さへの対策だけではなく、おしゃれをするだけで元気になったりと、気持ちの面でも大切な役割を果たします。障害のある方でも気楽におしゃれを楽しめる環境になればと思います。
私は大学の学生寮に住んでいるのですが、寮に設置してある自動販売機も写真1と同じようなユニバーサルデザインのものでした。最近では障害者のためのユニバーサルデザインのものも増えてきたように感じますが、それでもまだ日本の意識レベルは低いと思いました。
私は小学生の頃に怪我のため車イスで一年間程生活していた時期がありました。当時はまだバリアフリーやユニバーサルデザインのようなものはなく、大変な毎日を送っていました。先生や友達に助けられてもらえたため乗り越えることができましたが、社会のなかで、それも一人だけでは普通の生活を送ることは困難だと思います。
同じ立場にならないとわからないことかもしれませんし、障害者は少数であることは確かなことですが、そこに壁をつくらず、だれもが快適に生活できるよりよい社会にするためにも、日本という国の障害者に対する意識を高めてほしいと思います。
日本で生産されている自販機なのにわざわざ逆輸入という形で購入したという話から障害者に優しい製品がいかに日本で浸透していないのかということがわかります。そのような製品を作る技術をもっているのだからこのような製品は日本国内でもっと利用されていくべきです。社会保障などの制度設定とともにこうした技術も積極的に取り入れていくことが障害のある人にとってより暮らしやすい社会にしていくことにつながっていくと思います。
日本でつくられた障害者の生活を支援するような製品が海外には輸出されているのに、日本ではあまり使われていないということに驚きました。日本にもそれを必要としている人がいるはずです。
また、日本では障害者が職を探すのは大変だと聞きます。それは、スウェーデンのような働きやすい環境を整えるような支援が日本には足りないからでしょう。日本ではまだまだ障害者の生活への関心が低く、理解が足りないようです。もっと福祉の進んだ国の取り組みを参考にしつつ、生活しやすい環境づくりに取り組んでいくべきです。
「知的障害のある人もレジの仕事ができる」ということを目的としたPC・レジスターに入っているソフトは、日本製であるのに、もし自動販売機のように「逆輸入」、文字表記も「翻訳」するとなったとしたらすばらしいユニバーサルデザインのものであっても完全に商業目的として割り切って生産されているのだとしたら、なんだかとても寂しい気持ちになる気がします。
日本では、ユニバーサルデザインという考え方は提唱されていても、実際にはユニバーサルデザインの商品があまり人々に知られていないのではないかというのが、私が感じたことです。中学や高校の授業で、ユニバーサルデザインの考えは勉強したけれど、具体的な商品にどういったものがあるのかは、教科書には載っていませんでした。そのため、ついこの間、テレビで右手でも左手でも使えるハサミを見たときはとても驚きました。ユニバーサルデザインの考え方はすばらしいと思うので、もっと世の中の人に、その商品を広めるべきだと思います。
ユニバーサルデザインについて深い知識のない私でも、日本の技術が海外の障害者の生活に役立っているということに誇りを覚えるとともに、その技術が日本国内では浸透していないという事実に憤りを感じました。逆輸入でもいいから日本の障害者の支援をもっと積極的に行う必要があると思います。私は、技術ばかりが一人歩きして現実に国民の生活には生かされない今の日本の状況に疑問を覚えます。日本は、国をあげてユニバーサルデザインの重要性を広め、その対策に一刻も早く取り組むべきだと考えます。
この記事を読んで私自身ユニバーサルデザインについて今まで知ろうとしていなかったために知識がないことが良く分かりました。しかしそれでも、この記事を読んで一番感じたことは、日本全体が障害者に対しての理解や配慮などに欠けているのではないのかということです。技術があるのに活用しないというのは利益のことだけ考えているからだとしか感じられませんでした。これからは、日本に住んでいるどんな人でも快適で安心して生活できる国にしていければいいなぁと強く思いました。技術が発達している日本では一人一人の関心を高め、何か変えていかなければと思う人が増えれば今後、より良い環境を作っていけるのではないかと思います。私もそうなのですが、第一歩として関心を持つことが本当に大切なことなのだと思います。
自動販売機の逆輸入の話はあまりにもおろかすぎると思った。日本の技術が台無しであるがこの技術は世界に誇れるものである。
日本にはユニバーサルデザインの優れたものを作る技術があるのに、あまりにも普及率が低いと思う。ユニバーサルデザインのものがあったとしても駅前くらいで、少し離れると無くなってしまう。どこでもいつでも必要としている人が使えてこそ本当のユニバーサルデザインなのではないだろうか。もっと暮らしやすい社会を作っていきたいものである。
日本製の素晴らしいユニバーサルデザインの製品が海外には輸出されているのに国内の販売ルートには流れていないという現実に素直に驚きました。
そのことは当時買い手(ユニバーサルデザインを導入しようとする場所)が日本に少ないということ示しているので、日本という国のユニバーサルデザインについての関心のなさが見えてしまって残念でした。
国内にももちろん必要としている方々も多いので、販売ルートを国内にも広げるとともに、ユニバーサルデザインが日本にもっと普及していき障害者の方々も住みやすくなることを願います。
この記事を読んで、「誰かの役に立てたい」という気持ちがこもっているはずならまずは身近なところに手を差し伸べるべきでは、と思ってしまいました。日本の企業が作った日本製の製品を日本の市場には流通させず、海外へ積極的に輸出することのメリットとはなんでしょうか。金儲けができるのでしょうか。バリアフリー機能は人のためであって、利益の追求のための機能ではないと思います。
それと、私の大学の校舎のほとんどにはエレベーターがありません。足を怪我してしまった友人が、けんけんで階段を上る姿をみて、心が痛みました。私の大学はまるで、「身体に不自由がある人はお断り」というかのようにバリアフリー機能がありません。強制力のなくとも、立派な障がい者差別であり、門前払いであると思います。このような状態が早く改善されれば、と思わずにはいられません。
この自動販売機に興味をもち身の回りにあるか調べてみた。自分の住んでいる自治体の役所、スポーツセンター、大型ショッピングモールや家電量販店ではこの自動販売機を確認することができた。インターネットでも調べてみたがこの自動販売機はハーティ機というようだ(http://www.fujielectric.co.jp/products/vending_machine/c02_6.html / ハーティシリーズ - 製品情報 - 富士電機)。ハーティ(hearty)とは心の温かい、親切ななどといった意味だ。この自動販売機がより普及し、障害者の方々にとって過ごしやすい環境が整っていくことを願う。
日本のユニバーサルデザインに関しての教育とはなんだったのであろうか。日本でユニバーサルデザインの商品が作られているにもかかわらず国内流通はしないというこの現状は、このままにしていてはいけないと感じました。
私自身ユニバーサルデザインと聞いて思い浮かぶものははさみやシャンプーぐらいしかなかった。シャンプーはともかく、日本で販売されている商品のほとんどは健常者のことのみを考えた商品だと思います。
日本にはユニバーサルデザインの商品を作るだけの技術はある。その技術をいかしてみんなが住みやすい国になっていないのが残念です。都会は整備されているが田舎に行けばそのような環境はありません。人口の多い年に集中してユニバーサルデザインの設計で建築するのではなく、全国的に建築してほしいです。むしろ地方のほうが高齢者は多く需要あるはずだと思います。
ユニバーサルデザインに対して国の補助金を出すようにすればより一層すべての人がより快適に過ごせる社会になるのではないかと思います。
私は、日本もスウェーデンのようなユニバーサルデザインのパソコンを導入すべきだと考えます。
理由として、現代の社会では一人一台何かしらの情報端末を持つのがあたりまえの時代になっています。しかしその情報端末の多くが障害のある人にとって使いやすい形であるとは思えません。その点で障害を持つ人は一般の人よりも苦痛を強いられていると思います。なのでそれを改善するためにも、スウェーデンのように一人ひとりの障害にふさわしいパソコンを導入すべきだと思います。
スウェーデンの社会保障が行き届いていることを改めて感じました。当時からタッチパネル式のPCやレジが投入され、バリアフリーを積極的に進めています。
これらの製品が日本製であることに誇りを感じる一方で、当時日本では全く使われていなかったことに私は悲しみや空しさを感じます。日本は技術が高い反面、社会保障の低さに驚きます。日本は障害を抱える人々に不親切で、思いやりのある国と象徴されていることが恥ずかしいです。福祉の重要性を見直す必要があると思います。
周りにこんなにもユニバーサルデザインのものがあるとは驚きでした。
それでも、障害のある方が何不自由なく暮らすには十分とは言えません。
ひとりひとりが少しだけでも障害のある方の生活について考える・知るということをすれば、より生活しやすい社会を作っていけるのではないでしょうか。
また、今の日本では無理ですが、北欧のように障害を持った方も仕事に参加できるような工夫を考えられるといいなと思います。
先日の講義でも感じたのですが、やはり福祉先進国であるスウェーデンの福祉制度は素晴らしいです。特に、障害者の方々のための就労保障がしっかりしていることに日本との違いを感じました。このような制度に対する国民の関心が薄いのでしょうか。
日本には障害者のための給付金がありますが、やはり自立のための足掛かりとして、可能な限り就労制度とその環境を整える必要があると思います。ユニバーサルデザインは、様々な人が(仕事も含め)生活するための環境づくりに非常に役立つでしょう。しかし、記事にもあったように日本では必要な技術はあるのにそれが活用されていません。そのような現状がもどかしく感じられます。
私は、ユニバーサルデザインの普及は、ユニバーサルデザインの広い認知と国民の障害者への関心にかかっていると思います。ユニバーサルデザインの普及によって、障害者であっても就労機会を得やすくなるということを、私たちは深く考える必要があります。
日本では障害のある人を健常者よりも何もかも劣っている人だと決めつけていることが多いと思います。障害者の人たちも適切な条件と環境がそろっていれば健常者と同じように社会に参加していけるのだということを自分も含めて学んでいかなければならないと感じました。また、そのために日本が持っている技術を最大限に活かしてすべての人が暮らしやすく、働きやすい社会をつくっていかなければならないと思いました。
ユニバーサルデザインという言葉をはじめて聞いたのは私が小学生の時でした。「障害のある人がより暮らしやすくなるように」と習ったのですが、教科書に載っているもので実際に見たことのあるものはほとんどなく本当にこれで障害のある方にとって住みよい環境になっているのかと疑問に思ったのを覚えています。日本にはデザインとそれを実現する力はあるのに設置する力がないように感じます。ユニバーサルデザインを実際に使うことがこれからの課題であると考えます。
日本製の機械が海外で使われついるのに日本では販売されてないという点が仰天でした。やはり福祉先進国であるスウェーデンの福祉制度は素晴らしいと思います。障害者達にとって何不自由もなく日々を送れるのが羨ましいです。
講義を聞いた後、少し帰り道の点字ブロックに目を配るようになりましたが、まさに指摘したように、目に不自由の人々にちっとも配慮していないのです。この事に関してはやはり私たちが誰でも動きやしい社会を作らなければならないと感じました。
ユニバーサルデザインは、障害をもった方を特別扱いするものではなく、すべての人が使いやすいものであるべきです。
自動販売機もパソコンもレジスターも、使いにくいと感じる人がいるならば、よりわかりやすく、便利にかえていくのが良いのではないでしょうか。日本にはそれができる知識と技術があるのですから、誰もがストレスを感じることなく暮らせる世界にすることができると思います。
日本では多くのものが健常者の目線で作られているように思います。急な階段があっても手すりがついていない上に近くにエレベーターがない、点字ブロックが路上にとめられた自転車にふさがれていたり途中で切れている、などといった状況をしばしば目にします。
私は中学校のときに授業の一環で、耳が聞こえず目も見えない状態で、ペアになった人の補助のみで校内を一周するという体験をしたことがあるのですが、そのときに多くのものが健常者の目線で作られているということを思い知りました。日本はまだユニバーサルデザインの普及が遅れていると思いますが、ユニバーサルデザインは多くの人にとって使いやすいものとされています。健常者にとっても、障害を持つ人にとっても暮らしやすい社会を目指して、ユニバーサルデザインがもっとひろく浸透するべきだと思います。
障害というテーマに関して、私はあまり国際的に考えるということを今までしてこなかったのですが、この記事を見て、世界中にこのユニバーサルデザインを使ったモノを必要としている人がいるのだと感じました。日本は技術力に長けた国です。その技術を海外へ発信し、また日本国内で実用化されることももちろん必要だと思います。
日本には、障害のある人にも活躍の場を与えるような機械、製品を発明するだけの技術はあるはずなのに、行動に移そうとしていないように思う。障害者だからこれが出来ないのは仕方ない、という言葉で片付けてしまっているように感じる。
スウェーデンがここまで進んでいるのに、日本は同じ先進国として少し情けない。早く日本にも、障害者のことを考えた機械、製品がもっと導入されるべきだと思った。
ユニバーサルデザインというものについて日本製のものを逆輸入するという矛盾が生じているのは不自然なことであり、大きな問題のように思えた。スウェーデンの福祉政策のように障害者が普通の人と同じように働いたりすることを可能にするということは大切なことだと思う。日本においても同様な支援をする技術はあるのだから、行うべきだと思う。
バリアフリーを導入している施設は、街を歩いていてよく見かけることがありますが、ユニバーサルデザインのものはあまり見かけません。どうして街中で見られないのでしょうか?
私の見解としては、高く売られているからだと思います。それを購入して導入しようと取り組む企業が少ないことにも問題はあると思います。しかし、手の届きやすい値段にしたほうが企業側も「導入してみよう」という気もおきると思います。製作費等に莫大なお金がかかっているのかもしれませんが、一般に普及させるには値段を安くしてみるのも良いかもしれません。
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