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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

自立への回り道

 知的障害のある青年のAさんは、子どもの頃「虐待」を受けた経験をもちます。私が出会った当初は、他害行為と自傷行為が頻発し、感情の波も激しく、他者との穏やかなコミュニケーションの運びに著しい困難がみられました。
 それから7年が経った今、チームを組んで支援を行なってきた私や関係者からはもはや別人と見違えるほど、人間としての逞しさや自立心をもつ青年に成長しました。現在、Aさんは考えと感情の運びの穏やかさを取り戻し、一般就労に向けた実習に励んでいます。支援関係者は、Aさんとこれまでと現在を共有してきたことに大きな喜びを感じています。

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 Aさんとの出会いは、ある障害者支援施設から電話を受けたことにはじまります。曰く「これまでに経験したことのない状況に直面し対応に困っている」と。
 最初その施設は、Aさんについて知的障害は比較的軽く作業能力も高いとアセスメントし、一般就労に向けた個別支援計画を立てて実施していました。ところが、実習先で窃盗行為をはたらく、施設では職員の眼を盗んで他害行為に及ぶ、特定の職員にストーカー行為をはたらく等の問題が頻繁に生じました。そこで、Aさんとじっくり話し合って反省する機会を設けてみたり、Aさん自身の生活自立への希望をより明確にする支援を強めたりしましたが、一向に埒があきません。それどころか、「問題行動」はますますエスカレートしていきました。

 依頼を受けた私は、まず観察を重ねた上で、知的障害に由来する困難ではないとの見立てをもちました。そこで、精神科の受診と生育歴の徹底した調査を依頼することにし、はじめてAさんの過去に受けた虐待経験とそれに由来する困難の詳細が明らかになっていったのです。それは次のようなものでした。

 Aさんが小学校に入る頃、母親は離婚して家を出ており、それ以降祖父から「しつけ」と称した暴力を日常的に振るわれていたこと(皮膚には傷跡や火傷の跡があります)、中学生の頃には、Aさんのきょうだいとその友だちから性的虐待を被ったことなどの事実が分かりました。このような経緯から、心の荒んだ中学生のAさんは街角で万引きを繰りかえし、警察の補導から児童相談所を経由して、児童自立支援施設に入ることになりました。この成り行きからは、児童相談所が「非行ケース」として受け止めたことがうかがえます。
 したがって、Aさんの受けた虐待経験が明らかになるのは、児童相談所ではなく、児童自立支援施設に入ってからのことでした。夫婦小舎制である施設は、Aさんにとって生まて初めての落ち着きのある暮らしがあり、安心できる大人との親密な関係を結ぶことのできる生活の場だったのです。そうして、Aさんは自分の過去の経験をはじめて開示することができました。

 私は、このような事実が明らかになった段階で、Aさんの支援計画を、まずは自分を取り戻し、虐待に由来する人格機能の困難を軽減または克服することに主眼を置いたものに変更しました。知的障害があるために、過去の経験を繰り返し言葉に出すことによって振り返り、落ち着きを取り戻すことには著しい困難がありますから、創作活動を重ねることによって自分を確かめ修正するような日中活動を柱に据えました。そして、暮らしの場面では、性的な緊張感を伴わない年配者と同世代の同性者を担当者として配置し、寄り添うだけの関係性ではなく、一定の対人距離を保ちながら親密な間柄の築くことのできるような関係性を育むことに支援目標を堅持することに留意しました。

 そうしてさまざまな紆余曲折を経た今、安定した自分をようやく取り戻し、潜在的な能力を拓き、自立生活に向けて努力しているAさんの姿を前にしたとき、私はAさんと支援関係者全体の回復力にはかりしれない信頼をもつのです。
 この支援に着手した当時は、まだ障害程度区分判定とサービス支給決定などという代物は存在しませんでしたから、特別な包括的支援を組み立てることが可能でした。Aさんのような「虐待」に由来する特別の実情に対して、必要十分な包括的支援をもれなく実施できる制度的保障が、「障害者虐待防止法」には必要であると考えます。このように「回り道を惜しまない取り組み」は、かつてとは見違えるような「自立への近道」となるのですから。


コメント


 僕がこのブログを読んでみて一番印象に残った所は「Aさんにとって生まれて初めての落ち着きのある暮らしがあり、安心できる大人との親密な関係を結ぶことのできる生活の場だったのです。」という所です。
 普通の子供が普通に育てば普通にあるもの。それがないというのは、すごくつらいことだと思います。宗澤先生をはじめとする人達のおかげで、そういう場所を得られたことが、Aさんにとって立ち直るための大きな出来事だったと思いました。


投稿者: @千住 r.y | 2009年06月22日 12:15

 宗澤先生は、Aさんの支援計画として「自分を取り戻し、虐待に由来する人格機能の困難を軽減、または克服することに主眼を置いたもの」とした。
 実際言葉でいうのは簡単だが、自分を取り戻させるというのはとても困難で苦労したことだと思う。
 だからAさん自身を取り戻させた宗澤先生はすごい先生だなと感じました。


投稿者: 拓 | 2009年06月24日 21:50

 ビデオを見たり、先生の授業を受けたり、虐待についてもっと深く認知しました。こういく人間があるかと感じました。自分の子供、10か月自分の体に生きていたものを虐待させるのは信じられなかった。あの子たちを守りたい、応援したい、けれども、言葉で言うのは簡単ですか。
 自分の回りはこういう人間がないから、どうしてもあの子たちの気持ちを深く理解できないかもしれない。同情というよりも、彼らに自信を持って人生を回復するのがとても重要だと思います。


投稿者: kaede | 2009年07月01日 00:14

昔は虐待ではなくしつけという考えが周りにも認識されていたので、その当時は十分な対処がなされなかった子どもが多いのではないかと思います。それで素行が悪くなった理由を単なる非行ケースとして受け止めただけでは、立ち直させることはできないと思います。

加えて、Aさんのような障害者であるゆえに、虐待を受けたという過去から抜け出す自立を手助けする方法に困難があったり、また一般の障害者と違いどのようなケアを行うべきか理解するのに回り道が必要だと思います。

しかし今、安定した生活を送ることができるようにするためにも、先生のような関係者の的確な支援目標を作る努力や周りの人の理解、特別した包括的支援を行えるように従来の制度を見直したり、法設備が重要になっていくと考えることができました。


投稿者: 松幹 | 2009年07月08日 13:17

 私は、Aさんが過去に虐待という心の傷を抱えたまま施設で生活していることに衝撃を受けました。知的障害による困難さに加え、家族の愛情が十分に得られない環境で育つのは、更に辛いことです。今まで、Aさんがどのような困難のなかで生きてこられたのか…。
 私は、問題行動の背景には、必ず理由があると考えています。Aさんの場合も、宗澤先生のお見立てどおり、知的障害に由来する困難さではなく、子どもの頃の虐待という辛い体験が、心の傷として未処理のままだったため、問題行動として表現されたのだと思います。
 現在まで7年間、Aさんの人間関係づくりに重点をおき、先生方が支援されてきたことが、本来のAさん自身を取り戻し、自立へ向かうという結果に繋がってきていることに安堵の気持ちでいっぱいです。


投稿者: ミュウミュウ | 2009年07月12日 09:15

 いつの時代にあっても、虐待というのは発覚されにくいし、発覚したときにはすでに大問題になっている、というケースが多いと感じます。
 この記事のケースでも、Aさんは、虐待に起因する問題行動に相当長く苦しめられたように見受けられます。周囲からは恐らく、知的障害に起因する問題行動と捉えられていたのでしょう。Aさんにとっても周囲の方々にとっても、マイナスだったと思います。Aさんと向き合い、問題行動は虐待に依るものであると突き止めたことは、Aさんも周囲の方々もこれまでの認識が変わり、大きく問題解決の希望が持てたことでしょう。個人とまっすぐ向き合い、様々な視点をもつ大切さを感じました。原因を突き止めた後のケアも非常によかったのだと思います。
 しかし、虐待がなければこのような事態にはならなかったはずです。親の勝手な都合で、生涯に渡って心身ともに大きな傷を受けかねない虐待をすることに憤りを感じます。罪を憎んで人を憎まず、とは言ってられないのではないでしょうか。


投稿者: ぽつねん | 2009年07月14日 15:25

 はっきり言うと、私は虐待についての現状がどのようなものだかほとんど知りませんでした。今回のAさんの話のように、幼いころに虐待を受けた影響で非行に走ってしまうということには衝撃でした。
 しかしこのような行動をとるのは誰かにかまってほしいという気持ちが少なからず心の中に存在しているからだと私は思います。親、そして祖父などの家族から全く愛情を受けていないAさんはどうにかして家族の関心を自分に向けたいと考えた結果が悪いように働き、非行に走ってしまったと考えます。
 実際その後、施設に入って、周りの人たちから愛情を受けながら生活してきたことで非行をすることはなくなり、むしろ自立した人間となれたのですから。
 Aさんの例を読んで、私は今までの人生を普通に歩んできたと思っていたが、その後ろ側には親の愛情があったのだと実感しました。しかし当たり前すぎて気づけずにいたことを反省したいと感じました。
 そして最後に先生の意見のように虐待に関する保障についての法律を充実させることもまた、虐待を受けた人々を支援するためには重要だと感じました。


投稿者: k-w27 | 2009年07月15日 00:42

 『創作活動を重ねることによって自分を確かめ修正するような活動』
 これこそがAさんを本当の意味で助けるのに必要な活動だと思います。
 なぜなら、自分(Aさん自身)というものを知って,自分を認めてあげなければ、いつもどこか心に不安があり,周りの環境の変化やその日の気分・状態などによって、簡単に負の状態に陥ってしまうのではないかと思うからです。
 自分が安定して初めて他者を受け入れることができるのではないでしょうか。
 また、この活動のためには障害者一人一人に異なった対応が必要であり、活動自体も非常に根気のいる大変なものであると考えられます。
 しかし、Aさんのように安定したあとは自立できることを思えば、先生のおっしゃるとおり,これは決して遠回りではないように感じます。
 一人でも多くの人がこのことを理解することで、制度の改正につながるなど、この分野の前進となるのではないでしょうか。


投稿者: しょう | 2009年07月15日 02:31

 Aさんはこれまでずっと自分の居場所を見つけられずにいたのだと思いました。
 虐待によって周りに信頼できる人がおらず、孤独をかかえてこられたのではないでしょうか。落ち着いて暮らせる場所があることが人間にとってどれだけ重要なことであるのか、Aさんの話で考えさせられました。
 Aさんが他害行為や自傷行為から抜け出すことができたのは、支援関係者の方々が少しずつ信頼関係を築きAさんに自分を取り戻してほしいという強い思いで努力をされてこられたからだと思います。
 Aさんと同じような状況にある方々にとって、現在そのように一人に時間や労力をかけることができない環境にあることを、これから課題として考えていく必要があると思いました。


投稿者: Rai | 2009年07月15日 21:12

 この記事を読んで、障害をもつ人の抱える、個人的な問題に目を向けることの大切さを改めて感じました。もし虐待を受けていた事実を誰にも知られずにいたら…
 実際、障害者支援施設に入るまでの間ものすごく辛かったことでしょう。
 その解決ルートをないがしろにしていたら、個人の傷を癒し自立への道を本当にサポートしてあげられることにはならないだろうと思います。Aさんが今、身近な大人たちといい信頼関係を築けていること、素晴らしいと思いました。


投稿者: コキン | 2009年07月20日 14:21

 このAさんのようなケースの場合は、障害に関する知識のある福祉関係の人と虐待経験のある人に対して知識のある精神医学関係の人が必要になると思いました
 。宗澤先生とAさんとの出会いのきっかけである、ある障害者支援施設からの「これまでに経験したことのない状況に直面し対応に困っている」という電話は、福祉だけの知識では対応できなかったことによるものだと思います。
 ただでさえ虐待による心の傷を癒すためには長い時間が必要となるものですが、知的障害に配慮しながらではアプローチの方法も少し制限を受け、より時間が必要となってしまうと思います。
 福祉とはその障害に必要なものを考えるのではなくて、その人その人それぞれに必要なものを考えるものだということを改めて考えさせられました。


投稿者: たあ | 2009年07月21日 02:30

 障害を抱える者がなにか問題を起こすと、その原因を障害に焦点をあててしまいがちです。なので知的障害に由来する困難ではないとの見立てをもたれた宗澤先生のご判断はすごく正当なものだなと思いました。
 問題行動を起こしてしまう児童は、このように必ずといっていいほど家庭での何らかの問題を抱えていると思います。周囲は問題行動を表面だけしかみておらず、その行動にはしってしまった児童の抱えている生きづらさを軽視してしまいがちです。そんな中、児童の抱えている生きづらさを的確に捉え、支援を行われた宗澤先生の対応に出会えたAさんは本当によかったなと思います。
 信頼関係は、人を良い方に変えていくためには欠かせないものだと私も思っています。法整備とともに、宗澤先生のようにこういった信頼関係をつくっていくことが、施設での支援において最も求められているものではないかなと思いました。


投稿者: ポン | 2009年07月21日 09:46

 このブログを読んで、自分が最も安心できる居場所であるはずの家族に虐待を受け、拠りどころがないというのは、どれだけつらく、不安なことだろうと思いました。
 自分がもしそんな扱いを受けていたらと思うととても心が痛みます。それと同時に自分は家族の愛情を受け、今まで生きてくることができたんだなということを実感しました。
 そんな日々を送っていたら、心が荒み、問題行動を起こすようになるのも頷けます。また、数々の問題行動はきっと知的障害に起因しているものなのだろうと思われていたということにも考えさせられました。
 しかし、そんな状況から7年かけて安定した自分を取り戻すことができたAさんの精神力や、まわりでAさんを全力でサポートしてきた宗澤先生を含む多くの人たちの努力には、人間の強さ、暖かさを感じるとともに、障害者福祉の分野にはこのような取り組みこそが大切だと強く感じました。


投稿者: ずーすー | 2009年07月21日 11:35

 Aさんの問題行動をとったのは誰かに気付いてほしい…心のSOSだったのだと思います。Aさんの場合、家族から全く愛情の受けていなかったため自分の存在に気付いてほしかったために非行に走ったのだと思います。その後、施設で落ち着ける場所を得たAさんは非行をやめたのですから。

 Aさんの例を読んで、落ち着ける場所があるということがどれだけその人の生活に関係するのかということ。また、今の私がいるのは両親が私の後ろにつねにいてくれたからこその自分なのだと改めて気付かされました。


投稿者: さ+たん | 2009年07月21日 23:35

 ゆっくりと、でも確実に自立への道を歩んでいるAさんの姿を想像すると、嬉しくなりました。
 Aさんが自立できつつあるのは、周りの人があきらめずに支えているからだと思います。Aさんのお話を伺うと、もしAさんが今の人たちと出会わなかったら、もっと非行に走ってしまって、取り返しのつかないことになっていたかもしれないです。
 Aさんは中学校までは、家族の愛にふれることができなかったかもしれないですが、そのあとに施設の人と落ち着きのある生活ができて、心から安らいだと思います。
 私は、そんな安心できる環境があることを当たり前と思っていました。でも、世の中には、いろんな生い立ちの人がいて、なかなかそのような場所が見つけられない人がいるのです。これからのAさんの自立を願っています。


投稿者: コマッキー | 2009年07月22日 10:08

 Aさんが1番欲しかったものは就職先やお金、愛情ではなく自分の居場所だったのだ、と感じました。窃盗やストーカー行為をするということに私を含めた第3者はただ単にその原因を「知的障害者だから」ということにしてしまいがちであった。宗澤先生はAさんのことを「知的障害者」ではなく「1人の人間」として接した結果、Aさんの過去が原因であることにたどり着いた。
 僕のような素人にとって考えさせられる宗澤先生の体験であったと思う。


投稿者: BC | 2009年07月23日 12:23

 知的障害者の自立支援は、私にとって昔から身近にあるものでした。私が小学校低学年の時、父の知人が「知的障害者の支援団体を設立したい」との話を父に持ちかけたのがきっかけです。最初は知的障害とはどのようなものかを知るために、交流会やビデオ上映会などに父と一緒に参加しました。初めて彼らと接したとき、私何も話をすることができませんでした。しかしクリスマス会、正月のもちつき、お祭りの屋台など様々な活動することで、徐々に慣れてきました。
 実際に建物ができ、支援団体が運営ができるようになったのは、私が中学校三年生になった頃でした。当時は、知的障害者は世間に浸透しておらず、資金集めに苦労したり、行政からの援助も少なく、知的障害の認知がされていないだなと感じました。現在、知的障害は以前よりは浸透していると思いますが、まだまだだと思います。授業を聞いて知的障害は、いろいろな切り口で見ることができると感じました。知的障害を知るきっかけとして、様々な面を用意しておくことが、世間に浸透していく一歩だと思います。


投稿者: 抹茶 | 2009年07月27日 17:18

 最近、ニュースでも『虐待』により子供が命を落とすという内容のものが多く見られる。なぜ、そのようなことが出来るのか本当に不思議でならない。
 『子供を育てる』ことは、想像以上に大変で責任のあることだとは思う。しかし、それを子供に暴力という形でぶつけるのはよくない。子供に悪い所はない。「泣きやまなくて殴った」「言うことを聞かなくて…」など、泣くことが赤ちゃんの仕事であったり、言うことを聞かないのは頼み方を工夫したり出来るだろう。そのような環境に追い込んでしまった周りの人達も原因と言える。
 私はこのブログを読んで、もしAさんが宗澤先生を含めた支援チームに出会えていなっかたらどうなっていたのかと考えると、出会えてよかったと感じた。支援の方向性の変換は、人の一生がかかっており、重大な決断だったと思う。
 また、「生まれて初めて落ち着きのある暮らしがあり、安心できる大人との親密な関係を結ぶことが出来る生活の場」をAさんが手に入れることができたという言葉が印象的だった。世の中には、まだまだAさんのような人々がいるだろう。
 そのような人々に対して、社会はどんなことが出来るのか?そして、私には何が出来るのか考え小さなことでも、何か手伝うことが出来たらいいと思う。


投稿者: TIARA | 2009年08月04日 23:01

 障がいのある人々の自立ということですが、私のアルバイト先にも社員として働いている障がいのある女性がいます。
 本人に聞くわけにはいかないので、どのくらいの障がいであるのかはわからないのですが、Aさんのように、「問題行動」と呼べるかはわからないがよくパートのおばちゃんと口論をしています。感情の起伏が激しく笑っていたと思うと、突然泣き出したりと困惑する場面も多々あります。
 その女性は虐待を受けたりしているわけではないのですが、パートの中には少なからず良くない感情を抱いている人もいます。このような感情がエスカレートしていくと職場でのいじめ、虐待に繋がるのであろうと考えさせられ、同時に法整備だけでなく障がいに対して誤解や偏見を持っている人の意識改革も必要不可欠だと思いました。


投稿者: かるね | 2010年01月09日 05:18

 宗澤先生の講義を受けて障がいのある人への虐待について考えるようになりました。
 虐待というと、今までの私では児童虐待や高齢者虐待という考えしかもっていませんでした。しかし、障がいのある人への虐待の講義を受講し悲しくなると同時に胸が痛みました。この記事を拝見し、虐待の与えるダメージは人格や精神を傷つけ、更に受けた傷は長い時間をかけないと修復できない、それほどまでに虐待は恐ろしいものであることを再認識しました。
 宗澤先生の支援計画には目から鱗です。観察から始まり、Aさん自身が自分を取り戻し一定の対人距離を保ちながら親密な間柄を築くことのできる関係性を育む、つまりAさんと周囲の人々とのネットワークをつなげていくことだと考えました。自立という言葉を履き違えずに、周囲の人々や地域のなかで互いに協力し障がいの有無関係なく地域でその人らしい生活を営むような支援こそが本当に必要な支援であると思いました。


投稿者: しょこら | 2010年01月09日 14:21

 先日は北九州市立大学での講義ありがとうございました。
 Aさんが現在は安定した自分を取り戻し、自立生活に向けて努力しているということに本当に嬉しく思います。どんなに回り道で時間をかけても、支援者は表面上の問題を見るだけでなく、信頼関係を築き、よく観察して、その裏に隠された原因に気づき、そこから支援をすることが大切で、それが「自立への近道」になることを学びました。
 現在、障がい者とその家族は社会の受け入れ体制が十分に整っていないため、社会から孤立しがちで、それが虐待や、虐待発見・支援の遅れの原因の一つではないかと思います。だから障がい者とその家族を支援する体制が必要だと考えています。
 先日の講義で拝見した野外演奏の映像では、演奏者の障がいを気にせず、会場の全員が一つになってコンサートを楽しんでおり、社会でもこのように障がい者が一人の人間として受け入れられ、能力を発揮することができたら良いと思います。


投稿者: 空 | 2010年01月11日 18:08

 こんにちは、お忙しいところ講義をしてくださってありがとうございます。 
  このブログを読んで「Aさんは考えと感情の運びの穏やかさを取り戻し、一般就労に向けた実習に励んでいます」ここまで頑張ってきたのAさんすごうと思います。子供のごろから暴力を日常的に振るわれていたことがあって、また友だちから性的虐待を被ったことなど、Aさんには虐待と共に暮らしてきました。Aさんが被虐待者としても、虐待者になる可能性が高いです。だから虐待者自身でも要支援者である。虐待による心の傷を癒すためには家族や地方支援が必要と思います。
 障害者の支援には、障害者自分の努力もあるし、周りの人たちの支援も大事と思います。
 
 


投稿者: yuki | 2010年01月15日 14:44

 先日の北九大での講義、大変勉強になりました。この記事を読んで改めて、宗澤先生の、人や事柄に対する姿勢が大変真っ直ぐであることを実感しました。
 先生の講義を聴きながら、最初のうちは正直なところ先生のおっしゃることは綺麗すぎる、と感じていました。障害者と障害の無い人たちの間にある壁や溝はもっと大きいと思っていたからです。講義を受ける中で、その考え方の間違いに気付かされました。
 おそらく障害者と障害をもたない人との間に溝があると感じているのは私だけでないはずですが、この考えこそが埋まる可能性のある、埋めるべき溝を埋まらないものとしている原因であることを、もっと多くの人が気付くべきだと思います。
 障害者だから、という固定されたイメージをまず払拭し、まっさらな状態から傾聴、観察するということの大切さを知ることができました。


投稿者: APL | 2010年01月15日 20:49

 安心できる人間関係の構築が、人格形成にこれほどまでに大きく関わっていることが印象的でした。
 過去に虐待されたことで、対人関係に恐怖を抱くようになっていたのでしょうか。
 安心できる人間関係が、この過去の恐怖を拭い去ったのでしょうか。
 人との関係とはかけがえのない物で、それは知的障害などの有無などは関係のない物であると再確認した思いです。
 また、支援関係者の方々も多くの努力を必要であったこともうかがえました。
 支援関係者を支援していくことも必要なのではないだろうかとも考えました。


投稿者: アルトリア | 2010年01月20日 12:36

 虐待を受けた子供に必要なものは自分の居場所、信頼できる周りの人間、そして記事にあるような支援が自立には必要だとこの記事を読んで痛感しました。記事にあるように自立を促す法整備、支援方法が必要だと思いました。
 このような社会復帰はとても喜ばしいことだと思います。だけど現実には同じような場合で、救いの手が差し伸べられていない場合がたくさん、今もあると思います。支援団体のこうした活動がもっと大きくなることを心から願います。


投稿者: かさ | 2010年01月23日 23:02

 このブログは非常に重要で大切な内容だと思う。宗澤さんたちのように振舞える人はどれだけいるでしょうか。もしAさんが宗澤さんたちに出会ってなかったら、今のAさんはないでしょう。
 プロともいえる障害者支援施設の人でさえ見抜けない。これは大きなテーマであろう。障害者だけでなく、犯罪者などの心に問題を抱えた人々が求めているものを察知することはとても困難であり、個々人によって抱えているものが異なるためにパターンというに当てはめづらいでしょう。
 ゆえに施設の人材を育成するという対策案に期待は薄いだろう。敏感に感じ取る感覚と、あらゆる可能性に目を向けて考察する力が必要ではないでしょうか。


投稿者: リクルート | 2010年07月28日 04:24

 私がまず、宗澤先生がAさんの問題行動を知的障害からの原因でなく、精神的になんらかの問題があったからだと見分けた点に感心しました。
 子どものころから受けていた虐待にAさんの精神状態はまさに不安定で、児童自立支援施設に入ってやっと”生まて初めての落ち着きのある暮らしがあり、安心できる大人との親密な関係を結ぶことのできる生活の場”を見つけることができ、安定したAさん自身がこれからも仕事をやりこなせますようにと思いました。
 一言でいう、支援関係者という響きは少々お堅いですが、親身になって支援してくれる人の存在の大切さを感じました。


投稿者: えみぴそ | 2010年08月02日 22:56

 北九州大学での講義ありがとうございました。先生の熱意を凄く感じました。
 今回のブログを読んで、時間をかけてしっかりと向き合うことの大切さを知りました。問題行動をとる子どもたちの中には、今回のように知的障害を持っている、過去に虐待を受けたなど、見えない闇を持っている子どもたちが沢山いるように思えます。しかし、そういった闇はなかなか見つけてもらえなかったりします。
 人は、結構複雑なつくりをしているのに、他人に目を向けるとなるとそれをつい忘れてしまいます。非行に走ると不良だと思い、問題行動をとると上から押さえつけるようなことをします。
 でも、大事なのは問題を起こした本人としっかりと向き合うこと。今見えている行動から過去までをさかのぼることは大変だし、非常に遠回りな方法に見えますが、これが一番大切なことで人を形成していく上での近道なのだと思いました。Aさんは、先生に出会えてよかったと思います。


投稿者: あさがお | 2011年01月20日 01:08

 このブログを拝見し、講義中に宗澤先生がおっしゃっていた障がい者の方々に対して行われている虐待の現状を思い出しました。
 経済的虐待・ネグレクトなどはよくメディアで取り上げられているため、今まで考える機会が何度かありました。しかし、性的虐待についてのお話を聞き、私たちの知らないところで、人権を無視するような残酷なことが行われていることを知り、そのような現状を知らなかった自分が情けないと思いました。
 Aさんは、宗澤先生を始めとする、理解のある人たちが周りにいたからこそ、長い年月をかけて自立への道を歩みだせましたが、Aさんのような境遇にいて、助けを求められずに、傷つき、悩んでいる人もいるはずです。自分も、そういった境遇に立っている人と、信頼関係を築きあげながら、自立を支援することのできる仕事に就けたらいいなと考えています。


投稿者: istm | 2011年01月21日 13:52

 参考文献の虐待に関するブログの掲載を見、興味を持ったので拝見させていただきました。私は“落ち着きのある暮らし”“安心できる大人との親密な関係を結ぶことのできる生活”の下で育ってきました。そのような環境で育ってきた私は、今まで辛い過去と知的障害をもつ方と真剣に向き合ったことがないように思います。
 私は中学生のときに、辛い過去ゆえに教室に来れずに保健室登校をしている子に、給食やプリントを届けに行ったり話を聞いたりしていましたが、今思えばそのときも一歩引いて相手を見ていなかっただろうかと思わずにはいられません。この記事から、虐待の過去を持つ人が自分を取り戻すための並みならぬ努力、支援の大切さを感じました。同時に、孤独を叫ぶ彼らが、一人でも多く救われることを切に願います。


投稿者: ゆーな | 2011年01月25日 17:12

 急がば回れと言いますが、まさにそうなんではないかと思います。
 また、信頼できる人の存在がどれだけ尊いものなのかと感じました。
 人は信じる対象がなくなるととても不安定な状態になり、このAさんの場合にもあるように問題行動を起こしてしまうのだと思います。
 私自身も高校生の時に、ずっと仲良くしていて、優しかった友人に、恋愛絡みで裏切られた時には、すぐ周りにイラ立ってしまい、迷惑をかけていた記憶があります。
 誰かに、その苦しさを打ち明けたい…安心の場所がほしいのです。助けてほしいのです。
 Aさんに安心できる場所、信頼できる人が出来て本当に良かったと思います。今、苦しんでいる人にも出来るだけ早くそんな場所、人が出来ればと思いました。


投稿者: かいな | 2011年01月26日 15:05

 私児童保護措置に関してあまり詳しくないですが、一回ある児童保護施設に行ったことがあります。凄く大きいな建物の中に、子どもたちがみんな同じ白い服を着ていて、外出禁止、勉強しなく、一日中遊ぶだけです。あの時、ちょっとだけ子どもたちが着ている白い服に震えました。(一瞬監獄を連想したのです。)


投稿者: XING YING | 2011年02月02日 02:08

 「虐待」が絡んでいたともしあの場面で気づかなかったら、Aさんは今どうなっていただろうかと震えます。
 人を「自立」あるいは「自律」へ向かわせることは難しすぎることであり、それらへのルートをつくるきっかけを与える制度、取り組みが重要なことなのだなと思いました。


投稿者: MAX | 2011年02月02日 10:18

虐待から非行へとつながることは多いと思います。虐待は身体や心を傷つけるだけではなく、虐待を受けた人の将来までも傷つけてしまうということが改めてわかりました。
もし、Aさんが虐待をうけず家族みんなで幸せに過ごしていれば、非行などにはしらなかったはずです。知的障害ということもあり、虐待ということに周りの人も気づきにくかったかもしれませんが、もしもっと早くAさんが虐待から守られていたら、もう少し早く問題も解決できたのかなと思いました。
Aさんが宗澤さんにより救われて本当に良かったです。


投稿者: kym | 2011年05月31日 10:48

> 最初その施設は、Aさんについて知的障害は比較的軽く作業能力も高いとアセスメントし、一般就労に向けた個別支援計画を立てて実施していました。

 個別支援計画のはずが「個別」として十分に機能しなかった。Aさんにとっては障害者支援施設での始めの期間までもがつらい経験になってしまっているのではないでしょうか。虐待はもちろん、その後の施設生活までもがAさんの人間形成において負の影響を与えているよう感じました。
 本件に関しては宗澤さんにより問題の本質が見抜かれたから良かったものの、
>「これまでに経験したことのない状況に直面し対応に困っている」
 とあり、原則に従って対応しようとしている施設の方針に少し違和感を覚えました。すべての問題が原則に従い解決できるわけではないのは当然だと思いますので、支援団体の限界を知り、本件のように他者との協力が重要になってくると考えます。


投稿者: 向日葵 | 2011年06月08日 13:26

Aさんは、周囲の関心を引きたい、そして自分の苦しみに気付いてほしいという思いで様々な問題行動を起こしてしまったのだと思います。しかし周囲はその苦しみに気づいてくれない、自分からは打ち明けることもできない・・・そんな周囲や自分に対する苛立ちが更に問題行動をエスカレートさせてしまったのだと思います。
 児童相談所がAさんを「非行ケース」として捉えてしまったこと、障害者支援施設がAさんに十分対処できなかったこと、これらは重大な問題です。Aさんのように知的障害などを抱えていて、虐待という事実が特に気づかれにくいケースは他にも多数あるでしょう。
 こうしたケースに対して、支援団体が十分に対処できない場合は、宗澤先生のような存在や精神科医の協力など、周囲のサポートを得られる制度をきちんと整えるべきだと思いまました。


投稿者: しろ | 2011年06月10日 14:52

 このブログを読んで、改めて虐待というものが人の人生に与える影響が大きいことや、非行を犯した子供を単に「悪い子」という言葉で片付けてはいけないということを感じました。非行を犯す子供にはそれぞれ心に闇があると思います。その闇に苦しみ続ける人を減らすためにも、周りの人が気付き配慮することや落ち着いて安心して過ごせる空間を作ってあげることはとても大切だなと思いました。


投稿者: きなこ | 2011年06月11日 15:22

 虐待は被害者にとって思い出したくない辛い経験であり、人に話したくないものであるので、発見が難しいのだと思う。Aさんは実習先で、虐待を思い出してしまうような出来事や緊張感などがあり、問題がエスカレートしてしまったのではないかと考える。
 非行をはたらいてしまうことを、“知的障害だから”などという理由で片付けるのではなく、きちんと一人ひとりに向き合うことが大切だと思った。このことはみんなで理解していくべきだ。


投稿者: きゃらめる | 2011年06月14日 10:08

 虐待というものがどれだけ人の一生に影響を与えるかということを再度認識しました。
 このブログを読んで、どれだけ安心できる親密な関係を築くことが大切かを学びました。自分が当たり前すぎて意識していないものを持てない人がいると思うと、すごく悲しくなります。
 このような関係を築くには、地域社会の密接な関わり合いが大切だと思います。人々の深い付き合いがあれば、虐待に気づいてあげられたり、心の支えになってあげられたりできます。そもそも虐待が起こるのは親の問題もありますが、以前にはあった人々との関わりが希薄になってしまったことが関係していると思います。地域社会の中で人々が再び親密な関係を築いていけたらいいと思いました。


投稿者: ピンフ | 2011年06月14日 13:21

 Aさんを一番苦しめたことは、虐待やいじめに加え、周りの理解の浅さであったのだと思う。
 Aさんが中学生の時に万引きをしてしまった時に、児童相談所が「非行ケース」として受け取ったように、Aさんの場合は、軽度な知的障害のために、周りが障害を持った者であるということをあまり重視しなかったのだと思う。障害を持った人だとして区別してしまうことは好ましいことではないが、時には“障害”ということを考慮に入れて、対応することも大切である。さらに、Aさんを苦しめたことは、「問題行動」を起こした際に、根本的な原因に「虐待」が関係している、ということに周りが気付くことが出来なかったことである。これを見抜くことは難しいことであると思う。しかし、今回のような場合は、「障害者であるから問題行動を起こしてしまう」という考えが邪魔をしてしまったのだと思う。
 また、虐待を受けたことがある、という事実を念頭におくだけで、対処の仕方が変わって、それによってAさんの状況がよくなった、ということに対して私は、やはり虐待を受けた人は、虐待に特有の深い傷を負うのだ、ということに改めて気付かされた。


投稿者: グリーウーマン | 2011年06月15日 12:29

 虐待を受けた人々をサポートする際、一度に複数の子どもをサポートすれば、効率よく自立への道をつくってあげられるというわけではありません。虐待の背景や、それによってできた心の傷について丁寧かつ詳細に調べ、対策を講ずることが虐待を受けた子どもたちの自立への一番の近道だと思いました。
 確かに、全国には虐待を受けたことによって自立への道を閉ざされそうになっている子どもたちが数えきれないほどいます。そして一度にたくさんの子どもを救えたら最高です。しかし、無理に一度に多くの子どもを自立させようとするのではなく、一人ひとりと向き合って、一時的な自立ではなく、持続する安定した自立ができるようなサポートをすべきなのだと思いました。


投稿者: りらっくす | 2011年06月16日 12:06

 『子ども虐待』(西澤哲、講談社現代新書、2010年)において西澤は、「虐待を受けた子どもが問題行動を起こすのは虐待により親への基本的安心感が蝕まれているためであり、本来の自分を取り戻すためには安心感及び被保護感を形成することが必要」だと述べています。今回のブログで取り上げられているAさんも、一定の距離を保ちつつ親密な関係を築くことで安定した自分を取り戻したとあります。
 しかし今の日本の社会は子どもの内面や将来よりも、親の過ちや責任ばかりに目を向けています。ニュースなどを見ても親や行政への非難の声はたくさんありますが、子どものケアについてのコメントはほとんどありません。このように支援の現状もわからない社会では子どもは救われないのではないのでしょうか。虐待は誰が悪いと犯人を探すのではなく、子どもには何が必要なのかを考えるべきだと思います。


投稿者: 柴犬 | 2011年06月16日 15:20

 親子は深いところで愛し合っている。心の奥底で繋がっている。このような言葉を耳にすることがあるが、このような言葉も日本の親子の抱える息苦しい関係を示しているのかもしれない。そして、このような「親は子供を愛していて当然である」という世間の目は、いわゆる理想的な親子像を世間に見せようと力む母親たちを苦しませているのだ。そして、このように世間に対して見栄を張っていることでストレスがたまってしまうのだろう。
 この問題を解決するためには、まず、世間の「親は子供を愛していて当然である」という目を変えることや、もっと家族が殻にこもらずに、地域と触れ合うことも必要となってくると思うが、それ以上に親が、周りの目などを気にせずに純粋に子供と向き合うということも大切であると思う。そうすれば、子供たちの親へ向けられたまっすぐな愛情が見えてくると思う。


投稿者: グリーウーマン | 2011年06月17日 17:00

 このブログを読んで改めて虐待が人に与える影響の大きさを感じた。
 Aさんは祖父や兄弟やその友達から虐待をうけていて、心に大きな傷を抱えていた。その経験が原因で非行を繰り返してしまったのは、やはり心のどこかに誰かに気にかけてもらいたいという気持ちがあったからだと思う。
 児童自立支援施設に入って、Aさんにとって生まれて初めての落ち着きのある暮らしがあり、安心できる大人との親密な関係を結ぶことのできる生活が送れる場所があって本当によかったと思った。
 虐待は見えないところで身近に起こっているのだと思う。そしてそれを自分で訴えることのできない子供たちをはやく救い出すことが本当に大切なのだと思った。
 なぜ自分のおなかを痛めて生んだ子供を虐待するのか理解できないが、虐待する側にも子供のころにうけた虐待などのつらい経験が関係していると聞いたことがある。虐待する側とされる側、両方のケアが必要なのだと思う。虐待をうけて悲しい思いをした子が大人になって自分の子供に同じことをするというのはとても悲しいことだ。


投稿者: ぽむ | 2011年06月17日 17:21

 Aさんのかつての問題行動は祖父から受けた虐待が起因しているにもかかわらず、児童相談所は「非行」とだけ認識し、本質を見抜くことができなかった。しかし徐々に原因を突き止めていくことで、本人の意識も周囲の認識も変わっていった。上辺だけをみて策を講じるよりも、地道に紆余曲折しながら遠回りしてでも支援していくことが大事である。そして持続した自立を促すことができるケアも必要であるし、虐待した側にも何らかの周囲のサポートが必要なのではないか。


投稿者: たまぞう | 2011年06月19日 20:17

 今回このブログを読ませていただいて、世の中には「虐待」を受けている知的障害者の方はほんとうにいるんだなぁ、と実感しました。
 本や先生のお話では聞いたことがありましたが、実際に私たちの身の回りでは聞いたことがありません。しかし、「しつけ」という名の「虐待」は、とても本人の心に傷をつけ、大人になってもそれが傷として残るので本当にいけないことだと思います。いち早く「しつけ」という名の「虐待」を見つけ出し、見つけ出した人は解決するために行動しなくてはいけないと思います。
 これは決して、知的障害者の方にだけ言えることではありません。弱い立場にある人を支える周囲の目が、その人を救えるのだと改めて実感しました。


投稿者: ピッピ | 2011年06月30日 13:35

 最初、施設ではAさんが問題行動を起こすのは知的障害によるものだと判断して支援していたが、実際には問題行動を起こすのは幼いころの虐待に由来するものだということでした。
 このように、誤った判断がされ虐待について見逃されている人はこの世の中にたくさんいると考えられます。回り道になろうともじっくりと個人と向き合って支援していくことでもっとたくさんの人が自立に向けて歩んでいくことが出来るのではないだろうかと考えさせられた。


投稿者: tyu | 2011年07月03日 17:10

自分は今回このブログを読んで、虐待によって心に深い傷を負い、もう自立心を持つことは困難であるとされたAさんほどの人物に、自立心を持たせる場合でも、宗澤先生が支援関係者とともに行った支援活動のような、時間や労力を必要とした地道な支援活動を行なえば自立生活が出来るまでに回復するのだな、と思いました。

このことから、一人ひとりの障害者の方に適した包括的な支援を行える法整備の充実、そして、宗澤先生のような周りの人からの援助が障害者支援の重要な要素であると考えます。


投稿者: BANKYO | 2011年07月06日 02:48

私は、北九州市立大学で宗澤先生の講義を受けました。最近、虐待といえばDV、高齢者(介護を受けている人)という印象を持っていました。しかし、先生の講義を受け、虐待が長期間にわたり続く可能性があるのは障害を持っている人たちであると知り、なるほどと感じながらも衝撃を受けました。
 障害の状況については、重度だからといって虐待を受けているとは限らないと聞き、ある程度コミュニケーションの自立、話し言葉ができ動ける人のほうが被害を受けやすいのだと知りました。私が、親の立場や兄弟の立場で考えるとイラついてしまい怒りを向けてしまいそうになるかもしれないと感じました。
 私が重要だと感じているのは、虐待という自覚が支援者にないことです。意識されていないところが、虐待を増やすことになり改善されない要因になると思います。被害を受けている人たちに支援していくとともに行為者への支援が必要ですが、施設に入った場合二次被害を受けないために支援職員の研修強化も重要だと講義の中で強く思いました。なによりも支援者の虐待についての意識を高めていく必要があると考えます。


投稿者: E.t. | 2011年07月10日 09:07

ブログを読んで幼いころに受ける虐待は大人によって「しつけ」と称され行なわれ、発覚されることが困難であると思います。
幼いころに受けた虐待はその後の人格にも大きく影響されて現れ、それは回りに原因がよく理解されずに、表面だけの認識で非行で片付けられる悲しい現実になってしまっている。
人格困難を克服するには、その人のことを理解し、その人に合った周囲の人の特別なサポートが必要だなと感じました。


投稿者: あり | 2011年07月12日 02:10

Aさんの行動から児童相談所は非行ケースとして受け止めたのだと思いますが、行動だけでなく、その人の過去のことを知っていくことが、適切な対応につながるのだと思いました。そのためには、先生のようにAさんにじっくり向き合ってサポートしなければいけないと思いますし、それが自立につながるのだと思いました。
また、自立することにつなげるためには、環境や周りの人との関係など、留意する点が多いのだと改めてわかりました。


投稿者: らっきー | 2012年01月02日 00:56

 虐待は主に家庭などの密室状態で行われることが多いといった趣旨の話を聞いたことがありますが、このAさんの場合もそれに当てはまるように思います。小学校に入るころから中学校までの間、性的な暴力も含め多くの虐待を被ったAさんの傷は計り知れないものであると思います。
 単に「非行行為」としてとらえることにも問題があると思います。おそらくAさんが経験してきたことを考え、多少の有識者ならもっと早い段階で気づけたかもしれません。虐待を発見することは難しそうですが、周りの人間が小さい変化を読み取ってあげられることがその人を助ける一歩につながると思います。


投稿者: Rila | 2012年01月09日 14:00

 Aさんのような比較的軽度な知的障害を持っている人は「問題行動」を起こしたときに、そもそも障害者だとは思われずに、親のしつけや環境、性格、性癖のせいにされがちだと思います。それに加え、Aさんの場合は過去に「虐待」というつらい経験をしてきました。障害の有る無しに関わらず、よほど気を許した相手でなければ、話したくない内容です。それだけに、長い間「困った人」というレッテルを貼られ、二重の意味で誤解されてしまっている人が多くいるのではないかと思います。
 今まで「虐待」と聞くと「児童虐待」を真っ先に思い浮かべていましたが、これからは「高齢者虐待防止」や「障害者虐待防止」にも、社会全体で取り組んでいくべきだと思いました。


投稿者: まめちゃ | 2012年01月11日 15:55

私の身近な人には虐待を受けたとかいう人は聞いたことがないので、Aさんみたいに虐待を受けて、精神を崩してしまう人がいるということにすごく驚愕しました。小さいころに、ついた傷というものはなかなか消えないものであり、忘れないものであると私は思っていました。しかし、創作活動を重ねることによって自分を確かめ修正するような日中活動を柱に据えることで、そういうことを乗り越えられるということを知りました。


投稿者: くーみん | 2012年01月19日 22:55

文章から、Aさんが自立していくその姿を見た宗澤先生の喜びが伝わってくるようでした。
Aさんにとって良かったことは、やはり宗澤先生のように「虐待」を受けたAさんが起こした行動の本当の原因を探ろうとし、そして見抜いた大人に出会えたことだと思います。
しかし果たしてそういった見識を持った大人、或いは資格を持った大人は足りているのでしょうか?チームを組んで支援を行っていたということですから、やはり人手は足りていないのではないでしょうか。
国や自治体が一丸となって、障害者や虐待を受けた子供の自立を支援していく体制をこの国はより確たるものとして作っていくべきだと思います。


投稿者: Y.K | 2012年01月23日 20:39

一見、知的障害に由来する問題行動に見えてしまう中、虐待という過去からの傷によるものであるという事実には少し意外に思えてしまった。
この記事から感じたことは、今までのAさんの受けてきた虐待の実態を理解することで今Aさんが何を必要としていて、どう接すればよいかが見えてくるのではないか、ということである。
児童相談所がAさんの問題行為を、非行ケースとしてとらえてしまったことも、これまでのAさんの過去を理解せずに、”なぜ非行に走ってしまったのか”に焦点を当てず、十分に検討していなかったからではないだろうか。
ただ表面的に考えるのではなく、内容を掘り下げる事、つまりこの記事で説かれているそれこそ地道な「回り道」が一番の近道で、確実性に勝り、最も適切な対応が分かる方法なのではないかと考えた。


投稿者: 茶畑ジャンプ | 2012年01月24日 00:05

 一見、知的障害があり本人に問題があるように思えた問題も、実際に紐解いてみれば虐待の由来する症状だったということにとても驚いた。また、虐待に対して底の見えない恐怖を感じた。幼いころに受けた虐待は精神衛生に甚大な被害を及ぼすことは授業で多重人格のビデオを見て知っていたが、この記事を読んで虐待で現れる症状も多様にあることを知った。虐待をする親は子どものころに虐待されていたケースが多いとはよく聞くが、子どもに虐待してしまうことも、そういった症状の一つの形なのではないかと感じた。


投稿者: からから | 2012年01月24日 19:23

学校のクラスにおいても、何度も指導を行なっても非行をやめなかったり、一時的に反省しても、時間が経つと再度同じことをくりかえしてしまう人は少なからずいると思う。

教師は、こうった生徒を頭ごなしに批判したり、その行為が悪いことであるという指導をしたりするだけ、というのは間違っていると思う。本人は、その行為が社会的に間違っているということはわかっている。その行為をした生徒の生活背景を理解しようとしなければ、『生徒を理解する』ことにはならないと思う。生徒指導には、そのようなデリケートな部分に触れることに十分に注意して、慎重な対応をとるべきだ。

Aさんは、非行を指導された時に、悪いことはしてはいけないということを散々言われたのだろうと思う。表面上の問題しか見ないような指導は、生徒の心には響かない。


投稿者: 豆 | 2012年01月25日 14:21

親が離婚して、父親に暴力を振るわれるという虐待を受けて、兄弟やその友達からも性的な虐待を受けた。Aさんはとてもとても辛かったと思います。
そのようなことから、成長しても心の傷は癒えず、飛行を繰り返してしまう。どうして誰もAさんの心に寄り添うことができなかったのだろうと悲しくなります。しかし、児童自立支援施設に入って、やっとAさんは心を安らげることができた。生まて初めての落ち着きのある暮らしが、児童自立支援施設でできたのはAさんにとってかけがえのないことだっただろうけど、その時まで心を安らげる場所がなかったことが、大きな問題だと思います。でもそういう場所に出会えない人もまだまだたくさんいるのだろうと思います。(虐待やいじめを受けていて。)Aさんが心を安らげることのできる場所に出会い、自分の過去の経験をはじめて開示することができたように、このような場所に出会うことで改善されていく問題がたくさんあると思います。
このように、虐待などを受けている状況にいる人々とちゃんと向き合って、それぞれの人の実情に対して、必要十分な包括的支援を実施できるようにしていくべきだと私も思います。
このような問題は回り道を惜しんで取り組んではいけない。そのような取り組みでは決して解決には結びつかないと思います。


投稿者: こぶにい | 2012年06月07日 13:34

この記事を読んで、虐待はいつになったらなくなるのだろうと思いました。
Aさんは、親が離婚して、父親に暴力を振るわれるという虐待を受け、とてもとても辛かったと思います。私は、児童相談所がAさんの問題行為を、非行ケースとしてとらえてしまったことも、これまでのAさんの過去を理解せず、「なぜ非行に走ってしまったのか」を考えなかったからではないかと疑問に思いました。
Aさんにとって、児童虐待支援施設は安心を与えてくれる大きな存在になっていると思いました。Aさんのように虐待を受けている児童はたくさんいるが、Aさんにとって児童虐待支援施設のように安心感をあたえてくれる場所に出会えない人もまだまだたくさんいるのだろうと思います。
このような虐待問題は回り道を惜しんで取り組んではいけないと私も思います。
虐待問題には、社会問題として社会がしっかりと向き合わないことには、なくなることはないと思いました。虐待問題について考えるのは、難しく思った。


投稿者: seikai | 2012年11月29日 11:06

初めてコメントさせて頂きます。
先日は、北九州市立大学での講義ありがうございました。宗澤先生の講義では、虐待を自分の身近な問題として考えさせられ、新たな視点で講義を受けることが出来ました。講義はあのような形になってしまいましたが、宗澤先生の講義が受けられて本当に良かったです。また機会があれば、宜しくお願い致します。

 さて、宗澤先生のブログを初めて拝見させて頂き、Aさんの知的な障害についてのみ着目していたから、それまでの支援は意味をなさずに問題行動はエスカレートしていったのだろうと私は感じました。Aさんを自立させよう、させようと、目の前にある問題のみに着目して近道をしたかのような支援をしても、Aさんにとって何が必要なのか、総合的にみて判断しなければならない必要があるのだな、と思いました。
Aさんの事例から、もし、はじめの段階で「非行ケース」として受け止められていなかったら……と考えると、支援者の対応ひとつで支援を受ける人の人生は大きく左右されるんだと、支援者の立場の重大さを実感しました。
またこれらのことから、法律や支援者の姿勢などの回り道を惜しまない取り組みによって、自立の道へ近づくことは、Aさんのケースだけではなく他の事例にも通じることじゃないかな……と思いましたが、いかがでしょうか。


投稿者: つくね | 2012年11月30日 15:04

初めてコメントさせて頂きます。
先日は、北九州市立大学での講義ありがうございました。宗澤先生の講義では、虐待を自分の身近な問題として考えさせられ、新たな視点で講義を受けることが出来ました。講義はあのような形になってしまいましたが、宗澤先生の講義が受けられて本当に良かったです。また機会があれば、宜しくお願い致します。

 さて、宗澤先生のブログを初めて拝見させて頂き、Aさんの知的な障害についてのみ着目していたから、それまでの支援は意味をなさずに問題行動はエスカレートしていったのだろうと私は感じました。Aさんを自立させよう、させようと、目の前にある問題のみに着目して近道をしたかのような支援をしても、Aさんにとって何が必要なのか、総合的にみて判断しなければならない必要があるのだな、と思いました。
Aさんの事例から、もし、はじめの段階で「非行ケース」として受け止められていなかったら……と考えると、支援者の対応ひとつで支援を受ける人の人生は大きく左右されるんだと、支援者の立場の重大さを実感しました。
またこれらのことから、法律や支援者の姿勢などの回り道を惜しまない取り組みによって、自立の道へ近づくことは、Aさんのケースだけではなく他の事例にも通じることじゃないかな……と思いましたが、いかがでしょうか。


投稿者: つくね | 2012年11月30日 15:04

初めてコメントさせて頂きます。
先日は、北九州市立大学での講義ありがうございました。宗澤先生の講義では、虐待を自分の身近な問題として考えさせられ、新たな視点で講義を受けることが出来ました。講義はあのような形になってしまいましたが、宗澤先生の講義が受けられて本当に良かったです。また機会があれば、宜しくお願い致します。

 さて、宗澤先生のブログを初めて拝見させて頂き、Aさんの知的な障害についてのみ着目していたから、それまでの支援は意味をなさずに問題行動はエスカレートしていったのだろうと私は感じました。Aさんを自立させよう、させようと、目の前にある問題のみに着目して近道をしたかのような支援をしても、Aさんにとって何が必要なのか、総合的にみて判断しなければならない必要があるのだな、と思いました。
Aさんの事例から、もし、はじめの段階で「非行ケース」として受け止められていなかったら……と考えると、支援者の対応ひとつで支援を受ける人の人生は大きく左右されるんだと、支援者の立場の重大さを実感しました。
またこれらのことから、法律や支援者の姿勢などの回り道を惜しまない取り組みによって、自立の道へ近づくことは、Aさんのケースだけではなく他の事例にも通じることじゃないかな……と思いましたが、いかがでしょうか。


投稿者: しらたまこ | 2012年11月30日 15:11

先日は、北九州市立大学での講義ありがとうございました。
今回、初めてブログ拝見させていただきました。

ブログ中の「Aさんの問題行動を知的障害に由来する困難ではないという見立てを持ちました。」という文を読み、新たな発見といいますか、先生の考えはすごいなと感じました。
私達は普通、表に現れている問題行動やAさんの知的障害ばかりに目がいってしまいがちです。しかし、先生の見立てにより、Aさんの問題行動の根本的原因は、過去の虐待にあったということが分かり、支援の方法も周囲のAさんの見方も変わったと思います。
Aさんと同じようなケースの方が今までにもいたと思うし、これから現れた時、よりスムーズに対応ができるようになったと思います。
このブログを読んで、先入観で物事を決めつけ、一つの方向から考えるのではなく、多面的に考える、相手の気持ちに寄り添うことが大事であることを改めて感じました。
また、「回り道を惜しまない取り組み」はかつてと見違えるような「自立への近道」という言葉を聞き、今、私がボランティア等で関わっている子供たちの支援においてこの言葉のように支援をしていきたいと思ったとともに、障害者福祉の現場等でも回り道を惜しまない取り組みが活発になればよいと思います。


投稿者: ジャブ | 2012年12月07日 21:54

虐待を受けた後のケアや支援がとても大切で、それが将来を大きく左右すると感じました。
非行に走った理由やその人の過去を詳しく知ることは、回復そして自立へと導くためには必要不可欠なことだと思いました。
一見回り道にみえることも、実は近道である。これは障害者支援のみならずさまざまな事に言えると思うので、頭に入れておきたいです。
また障害者福祉の現場などにボランティアに行った際は、自分はそこにいる方々の過去や経験を知らないのだ、ということをしっかり頭に入れた上で活動しようと思いました。
虐待問題は永遠の課題であり、これからも注目していかなければならないと思いました。


投稿者: ひこうき雲 | 2013年01月01日 16:45

私がこの記事からから感じたことは、障碍者の方を支援する際のその方法や方針、計画は非常に重要でありよく吟味されなければならないものである、ということです。記事の中で当初Aさんに対して障碍者支援施設はAさんに合っていない個別支援計画を立てており問題が頻発していたところ、Aさんのことを徹底的に調査した上で支援計画を一般就労に向けたものからAさんの人格形成にシフトなさっています。もしこの方向転換がなければ改善にもう少し時間がかかっていたかもしれませんし、もしかするとより悪化していたかもしれません。私は、これは決して回り道などではないように思います。ですから「自立への近道」という言葉は非常に適切であるように思います。
そしてもう一つこの記事から障碍者支援施設等の支援施設がうまく機能していないのが現状なのだなと思いました。まだまだこれらには改善の余地がありそうです。


投稿者: ymst | 2013年07月06日 15:57

このお話で、自立に向けて時間がかかってしまった問題点は、障害者支援施設の方の一種の偏見のようなものがあったことにあるのではないかと考えます。問題行動がエスカレートしている時点で、自分の処置が誤っているかもしれないという疑問を持つことができる必要があり、実際に先生が多角的な視点から観察を重ねることによってAさんの困難の詳細を明らかに出来、それに見合った処置によって自立へと向かうことができています。支援施設の職員さんにも、想定外の事案に立ち会ったときに、様々な視点から患者さんの困難の由来、詳細を考えることができるよう指導もしていかなければ、今回のような事例を解決することは出来ず、救われない方もでてきてしまうのではないでしょうか。


投稿者: すっち | 2013年07月09日 15:36

先日、北九大で講義を受けた者です。
私も知的障害をもった弟がいるのでこの記事に興味を持ちました。
弟もAさんと同じように軽度の障害です。
基本的な日常生活には支障をきたしませんが、
小さい頃から周りとはちょっと変わった子でした。
小学校高学年頃から不登校になり、中学校もろくに行かなくなりました。
両親は、このまま普通の中学に行かせることはできないと判断し、
特別支援学校に転校させ、高校も様々な事情を抱えた子が集まる単位制の学校へ進学しました。
不登校になった頃からカウンセリングに通うようになり、
高校へ進学した頃には障害のない人と同じように
生活できるようになりました。
私は、障害を持った弟がいたことで苦労をしましたが、
同時に障害について学ぶことが出来ました。
現代には知的障害に限らず、様々な障害に対する支援施設があり、
そのおかげで自立出来た障害者も少なくはないはずです。
Aさんも弟もその一人だと思います。
しかし問題なのはAさんが虐待を受けていたということです。
私の弟は軽度の障害がありますが、その困難を家族とともに乗り越えてきました。
ところがAさんは障害という困難に加え、家族の愛情が十分に得られない環境で育つのは、更に辛いことです。
Aさんはこの苦しみを誰かに気付いてもらいたいという思いから
非行に走ったのではないかと思います。
最近のニュースでは16歳の女子が友達を殺害するという事件が起きましたが、
この事件の加害者の女子にもAさんと同じように心の闇があったのではないかと思いました。
障害は目に見えて分かりますが、虐待などで負った心の傷は
なかなか見えにくいものです。
これからはそのような見えないものに対しての支援や取り組みが
活発に行われるようになれば良いなと感じました。


投稿者: ナイツ | 2013年07月19日 23:26

 このブログを読んで、Aさんを見放すことなく、Aさんの問題行動ときちんと向き合って自立へと導いていった先生や支援者の人々の取り組みがとても印象に残りました。問題行動の原因は知的障害ではないと考え、徹底した生育歴の調査を依頼したという点から、やはり問題行動の背景には「虐待の経験」が関わっているというケースが多いのだと考えさせられました。幼いころの経験でも成長していくにあたってその人の人格形成に大きく影響してくるのだと思うと虐待は本当に恐ろしい行為だと思います。先日の講義で虐待を防止するには第三者の支援が必要だと知りました。二者関係が確立してしまうと、障害者が養護者にとっての生きがいとなり、援助者が一人で追い詰められてしまうからだと解釈しました。第三者も障害のある人のことを受け止め、みんなで支援していくことが大切なのだと感じました。また、このブログから児童自立支援施設がどのような役割を果たしていたのかということが以前よりも理解できました。Aさんに知的障害があることを考慮して過去の経験を言葉ではなく創作活動によって振りかえるようにしたという活動には驚かされました。これに加えて、その人のことをよく理解し、その人に会った取り組みをするだけではなく、一定の距離を保ったまま親密な関係が築けるように担当者までもその人に適した人をあてるというところもすごいと思いました。一人一人のことをしっかりと受け止め、その人の潜在能力を引き出していくことは簡単なことではありません。回り道の支援はとても根気や時間を必要とする支援だと思います。しかし、回り道を選んで着実に自立をめざしていくことが近道になるのだと心にとどめて、支援していく必要があるのだと改めて感じました。まずは、「この問題行動はなぜ起きているのか」と考えその人の背景を知っていくことから始めていくことが大切なのだと思いました。
 


投稿者: ゆずアイス | 2013年07月22日 08:29

先日大学で先生の講義を受講させていただきました。この記事を読んで、私は障がいを持つ子どもへの支援はもちろんだが、それと同時にきょうだいへの支援が必要だと考えた。障がいをもつ子どものきょうだいは、家庭の中で父親の代替役割を課せられる、または、母親の配下となることがあると講義で学んだ。私はもし障がいをもつ子どものきょうだいに支援が行き届かなければ、家庭の中で障がいを持つ子どもに親の手がかかるため、きょうだいはあまり手をかけてもらえずに、親からの愛情を感じることができず、障がいをもつきょうだいを恨んだり、抵抗できないからとAさんのきょうだいのように虐待をしたり、または親との仲が不和になることがあるのではないかと思った。また、きょうだい間で起きる虐待は、親が外出しているときに子ども部屋で起きるなど、親が子どもにする虐待よりももっと閉ざされた環境で起きる可能性が高いので、虐待を受けた本人がSOSを出さない限りは、一生誰にも気づかれないままということもあり得ると思う。なので、私は例えば、きょうだいが親と時間を共有するために、障がいをもつ子どもが何日間かだけキャンプやグループホームでお泊りをするなどをして、きょうだいと親が時間を共有できる機会を与えることが大切だと思う。そうすれば、きょうだいが親と一緒に過ごすことができるだけでなく、障がいをもつ子どもも、普段は家庭という閉ざされた環境ばかりで過ごしがちだが、家族以外の人や自分と同じ境遇の人たちと交流することで、また違った世界を知ることができるだけでなく、自立にもつながっていくと考える。また、大切なのは、普段からきょうだいの気持ちを聞いてあげ、相談に乗るなどの心理的ケアを行うことだ。もちろんそのような機関を作ることも大切だとは思うが、例えば、障がいをもつきょうだいが通う施設の職員や学校や地域住民は障がいをもつ子や親に目がいきがちであるが、きょうだいにも目を向けて、親にきょうだいの様子を伺うことや、きょうだい本人の話し相手や遊び相手になる、地域の中で遊び相手を探してあげる、児童館など遊び場所を紹介するなど、親だけでは手がまわらないこともあると思うので、施設や学校が連携して地域住民にも連携を頼み、ネットワークを作り、皆で障がいをもつ子どもの家族全員を支えていくことが、これから大切なのではないかと考える。


投稿者: ぱるむ | 2013年07月22日 23:12

私はこの記事を読み、自立をすることは早々簡単なことではないものであると感じました。自立というのは毎日の積み重ねが習慣となっていき、結果として自立へつながっていくものであると思います。そのためには、周りの環境が自立の手助けをするものでなければいけないと考えます。このブログでは、Aさんは落ち着いた場を持ち、気持ちも安定してきて、そこからだんだんと自立へ向かっていくことが出来ました。このような支援をすることは障害のある方にとって重要なことであると感じました。
特別支援教育は障害の有無に関わらず、個々のニーズに応じた教育を目指しています。教師の立場から虐待を受けた児童に対する支援や配慮などをこれからどうするべきなのか、考えることも必要となってくると感じました。


投稿者: さくら | 2013年07月23日 23:28

先日は北九大での講義ありがとうございます。

このAさんの件を始めとして、障がい者を取り巻く問題のとして偏見やそれによる発見・支援の遅れが挙げられます。何か障がい者が問題を起こしても、原因を表面にみえる障がいのみで片づけられ、過去などそれ以上に触れようとせず、浅はかな理解しかしようとしない。そのような件が多いなか、Aさんは宗澤先生のような、障がいを原因と考えず他に焦点をあててくれる人に出会えて良かったと思います。虐待はトラウマを植え付け、なかなか本人の口から聞くのは難しく、発見が遅れてしまいます。重要なことは、相手をもっと知ろうという気持ちではないでしょうか。私達がいち早く気づくことが大切であり、それが早期発見に繋がると考えます。Aさんは軽度の障がいをもっている故になかなか自身を理解してくれる人がいなく、自分を見てほしいという思いから非行にはしったものの、それでも誰にも自身を深く見てもらえず、私達が思う以上の辛さや悲しさを抱いていたと思います。そこに、自身を知りたいという人が現れたおかげで、Aさんは徐々に変われたのだと思います。周囲の気遣い、助け、そして信頼できる環境があって初めて自立できるのだと今回の件で考えました。また、自立の援助も先入観から援助するのではなく、何がその人にとって最良かを考え、たとえ時間のかかることだとしても丁寧に行うのが必要なのだと感じました。最近はとにかく即断性に重点を置き早く解決すべきという風潮がありますが、それは果たして本当に障がい者のためになっているのでしょうか。宗澤先生のように、偏見にとらわれない柔和な考えをもって、障がい者に対して真摯に向き合う人や空間が今後更に求められ、そのようなサポートを得られる制度をより整えるべきだと思いました。


投稿者: でゅう | 2013年07月24日 00:15

私は、今回のような支援の仕方がもっと一般に広まってほしいと思います。児童相談所や児童自立支援施設、障害者自立支援施設では「非行」という点だけ、また「障害」という点だけを見てステレオタイプな支援を行っていました。しかし個人の生い立ちや背景を考慮する支援によってAさんは穏やかさを取り戻すことが出来ました。だから私は「個人をよく見た支援」をどこの施設でも行われるようになってほしいです。


投稿者: tbs | 2013年07月24日 09:09

「わが子を愛することはたやすいことではない」子どもの立場からこのことについて考えると「そんなことは当たり前だ」という風に考えてしまいますが今日のニュースを見ると児童虐待という言葉をよく見ます。私は今日では近所のつきあい少なくなり相談など助けを求めることができないどころか近所に迷惑をかけられないというような状態になってしまいそのことがストレスになって児童虐待がおこってしますのではないかと考えます。
児童虐待をなくしわが子を愛することをたやすくするには親と子の関係だけではなく周りにいる人と親子の関係をよくすることが一番なのではないかと考えます。


投稿者: イーブイ | 2013年07月24日 12:13

知的障害のある人が虐待を受けて非行にはしってしまうというのにすごく衝撃をうけました。しかしよく考えてみると知的障害のある人のほうが自分の過去のいやなことをためこんでしまうのではないかなと考えました。このような生活が送れるように助けてあげるにはまず信頼関係を構築することが重要ではないかと思います。そしてその人その人にあった回復するためのアプローチを型にはまることなく考えてあげることによってAさんのように自立することが可能になるのではと考えます。


投稿者: ちび | 2013年07月24日 12:20

この記事を読んで虐待を受けた子供たちを支援する人達の重要性を知りました。世界から虐待がなくなることは残念ながらないのかもしれませんが、支援をしっかりと行うことで虐待の被害を最小限に抑えられる可能性があるのではないでしょうか。また、支援によってAさんのように就労活動が行えるほど自立できるようになることにとても驚きました。虐待をうけた子供たちがAさんのように自立することは大変困難なことであると思いますが、根気強い支援と支援者の方々の努力によってAさんはここまで回復できたのだと思います。虐待の件数はこれからも増加してしまうかもしれませんが、支援を充実させていくことで少しでも子供たちをすくうことができるのだと思います。


投稿者: すどぅ | 2013年12月24日 14:48

最近、虐待による死亡事件が目立つようになってきました。それによって私たち一般人の虐待に対する意識は変わったと思います。しかしそれでもまだ虐待による悲惨な事件を見かける機会はあります。個人にとって一番のプライベートであるはずの家族で起きていることなので発見は難しく、被害者に与えるダメージは相当なものだと思います。先生の記事を読んで、アフターケアの重要性を感じると同時に、世の中の虐待によって心に傷を負った人たちに十分なケアを行える体制を整えて欲しいと思いました。


投稿者: 優しいレモン | 2013年12月27日 15:36

今も昔も、大小はあれど世間の差別の目は消えることはなく今後もそれは続くと私は思う。本文にもあった通り、このような包括的支援を行っていくことは回り道ではあるが近道であるというのをとても感じさせられた。少し変わるが、今回のAさんの過去の経緯にしろ、きっかけや理由はどうであれそれを見て感じるのは周囲であり世論だと考える。私はそういった行為などを表面的にしか見ず、それを頭ごなしに嫌ってしまうこともある私たちの意識や考えを、本心から変えずとも最低限彼等とどう接するべきか、どうやって向き合っていくべきかというのを機会を設け教えていく必要があると考える。


投稿者: まりもP | 2014年01月03日 01:18

この記事を読んで、虐待がのちに虐待を受けた者にどれほど多くの障害を残してしまうことがわかりました。父親はしつけと称してAさんに暴力をふるっており、きっと虐待という意識は薄かったと思います。しかし、その虐待が原因で、Aさんは万引きなどの非行を繰り返し行ってしまいました。ここからの自立というのは非常に難しいことだったと思います。信頼関係を築くこともなかなか出来ないでしょうし、Aさんの心の闇を理解してあげることは簡単ではありません。しかし、宗澤先生や担当者の協力によって安定した自分を取り戻すことが出来ました。時間は長くかかってしまったけれども、ちゃんとAさんを立ち直らせることができ、自立に向けて努力し続けています。かつてのAさんの姿からは想像できないほどなのだろうと勝手に思っていますが、このような取り組みがより多くの人の助けになってほしいです。


投稿者: わたあめ | 2014年01月06日 11:22

変わらないもの、変えられないものがあるとしたら、それは「過去」だろう。Aさんは決して素晴らしいとは言えない過去を持つ。しかし先生たちの支援もあり、「現在」に光が差し込み、「未来」への道を照らしている。今回のお話は回り道の大切さと、変えることのできる現在と未来への希望を教えてくれた。たとえ目を瞑りたくなるような過去を保持していたとしても、受け止めて、呑み込むことが出来れば、自分を否定することなく新たな人生へ踏み出せるだろう。しかしそこには並大抵の努力では補いきれない苦悩が存在する。支援者の方々は、障害者の現在や未来を良くすることだけを考えるのではなく、過去を清算する支援も必要だと思われる。


投稿者: でんか | 2014年01月07日 11:47

両親の離婚、祖父からの暴力、きょうだいとその友達からの性的虐待と、Aさんが経験されたことは本当に辛く、悲しいものであったのだろうと胸が痛みました。それと同時に、虐待がその人に与える影響というのがいかに大きいものであるかということを改めて認識しました。Aさんは、虐待などの辛い経験から万引きや窃盗行為、他害行為、ストーカー行為に走ってしまったのかもしれないと思いました。障害者支援施設の職員の方はそのような「問題行為」をやめさせようと努力されていたのだなと思いましたが、宗澤先生が「問題行動」の背景に目を向け、原因を見つけようとされたことで、解決に向かったのだと感じました。「問題行動」と思われることが起きたら、その背景となっていることに目を向け、なぜその行動をしてしまうのか探ることが大切なのだなと改めて考えさせられました。


投稿者: さち | 2014年01月19日 15:57

小さい頃から親の離婚を経験し、祖父から「しつけ」という名の虐待を受け、中学時代には性的虐待を受けたAさんは幼少期から耐え難い苦しみ、困難を経験しており、人格機能が正常でなくなってしまうのも理解できるような気がします。その後もAさんは知的障害という困難によって発生する他害障害、自傷行為に及んでいますが、児童支援施設がAさんの幼少の頃の経緯をしっかりと把握して、それに対する策をとり、再び安定した環境を取り戻すことができたことは本当に良かったと思います。そして暴力や虐待を法の保障で充実させることは重要なことだとは思いますが、それ以前にそのようなことは決してあってはならないことです。


投稿者: Maryは次期カノ~一夜限りの物語~ | 2014年01月20日 13:49

私は、過去に虐待経験をもっていたり、障害をもつ子どもの支援には必ずグループで対応するということの重要性を強く感じた。これはなぜなら、子どもの孤独感を取り除くことができたり、また一人の支援者に対して依存しすぎないようにすることができるからである。また支援者側の視点で言えば、子どもの支援についていきずまったとき、一人で抱え込んでしまい支援者自身がうつ病になったりして子どもの支援を継続しておこなえないようになるということを防ぐ役割もあると考えるからである。


投稿者: すぃんご | 2014年01月22日 08:41

正直なことを言うと、これを読んだとき「虐待」が知的障害を生んでしまったことに驚きました。先生のおっしゃるように、まず、人と何かしらの問題を解決するには、その人の話を聞くことから始まると思います。そして、可能な限り、いやな過去を思い出させないような取り組みをすることが必要です。ですから、先生の行ったAさんへの創作活動はとてもいい影響を及ぼしたと思います。虐待という問題は、これからも取り組んでいかないといけない問題なので、解決できるようなボランティアにも参加できればなと思いました。出来るのであれば、Aさんの今を知りたいなと思います。


投稿者: クロスワード | 2014年01月22日 10:50

このブログを読んで、問題行動をする背景には、過去に辛い体験をしている場合があると改めて分かった。問題行動をしている子供に対して自立を助ける場合には、その子の過去を知り理解してあげことがやはり大切なことだと思った。今の現状を見るだけではなく、過去も見てあげる回り道が、結果として近道になることをたくさんの人が知ってほしいものである。


投稿者: CJ | 2014年01月29日 01:39

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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