安心は永遠の彼方に?
前回ご紹介したNHKスペシャル「介護保険が『使えない』~10年目の検証~」をご覧になった方は、どのような感想をおもちになったでしょうか。
介護保険制度が発足して以来、介護サービスの利用が定着したようにみえる一方で、制度から漏れ落ちる層を生み出している現状についてすぐれたドキュメンタリーだったと思います。番組のキャスターが最後に「制度が始まったとき、当時の(厚生省の)幹部は『走りながら考える』という言葉をよく口にしました。しかし、今なおどこに向かって走っているのか分かりません」と締めくくった言葉は、糸を引くように耳に残りました。
番組では、高齢化の進む新宿区戸山団地の全世帯にアンケートを実施し、〈老老介護ケース〉〈介護離職ケース〉〈認知症独居ケース〉という3つのルポを通じて、介護の必要な人にサービスが行き届いていない深刻な現実を掘り下げていました。これらはいずれも、日々の暮らしに痛々しいまでの努力をしているご家族や近隣関係者の姿を描き出しています。
〈老老介護ケース〉では、パーキンソン病で筋力低下の進む夫を10年間介護してきた妻が、介護疲れから転倒して腰を骨折して車椅子使用者になってもなお、ショートステイさえ使えない深刻なサービスの不足を指摘していました。登場したケアマネジャーは「2か月待ちで、さらに抽選です」と言います。さらに驚いた点は、新宿区の平成12年から同16年の間の老人保健福祉計画・介護保険業務計画におけるショートステイの数値目標が288床であるにもかかわらず、21年の時点で138床しか達成していない(計画期間を越えて10年経っても半分以下の達成率?!)という現状があることです。このような状況は、今後の障害領域でも起こりそうな懸念が胸をよぎります。
〈介護離職ケース〉は、86歳になる認知症の母親を介護するために離職を余儀なくされた娘さんの事例でした。仕事を続けるとすると、介護保険の上限を超えるサービス量が必要となり、収入を上回る利用料負担が重くのしかかるために、母親の年金収入に自分の蓄えを切り崩しながら最低限度のサービス利用で忍んでいる暮らしでした。今回の介護報酬の改正が利用料負担にはね返るために、ギリギリのサービス量をさらに減らさざるを得ず、また、ご自身のこれからの暮らしへの不安もこうじるためか、精神安定剤を服用されている姿が映されていました。
介護保険がなかった頃、友人の精神科医から介護者のうつ病ケースについてよく聞かされました。厳しい介護負担の現実に由来する精神症状だとすれば、精神科医の治療の手立てに決め手となるものはなかなかありません。そこで、あるとき致し方なく、患者さんの耳元で「もうちょっとの辛抱ですよ」と囁くと、一瞬患者さんの表情が「パッと和らいだ」というのです。このような決して笑えない現実が今でも続いているのです。
〈認知症独居ケース〉は、認知症の進行によって申請ができず、必要なサービス利用につながらない問題を明らかにしていました。番組の中では取り上げていませんでしたが、背後には福祉サービス利用援助事業や成年後見制度の活用が現実に追いついていない問題もあるでしょう。このようなケースに必要な役割を果たすことが期待される新宿区大久保地域包括支援センターは、5人の職員で6000人の高齢者を担当しているというのですから、首が回らないのは当然です。新宿区は区単独事業で職員を倍に増員するとリポートしていましたが、全国ではサービスの実施体制にみる自治体間格差が著しいものと予想されます。
私の自宅の近所にも、いくつかの介護保険施設があります。デイサービスに向かうワンボックスカーに車椅子のお年寄りを載せる場面や、グループホームのお年寄りの皆さんがゆったりと散歩されている光景は、確かに日常のものになりました。このような番組をはじめとして、さまざまな経済誌でさえ介護保険問題を報道するようになった現実からは、介護保険という「普遍的な制度」がつくられたことによってはじめて、介護問題が国民的課題として議論できるようになったということもできるでしょう。
それでも、「底支えの機能」を欠いた制度サービスは社会保障とは言い難いものです。富める者も貧しきものも「介護保険があるから安心だ」と納得できるものでなければ制度への信頼は崩壊し、国民医療保険の二の舞になりかねないでしょう。子育て支援サービスや障害者自立支援法にも共通して、「今ここでの安心」をセーフティネットとして保障する機能の実現が急務だと考えます。
もし、このまま「サービスの使えない」現状が続くのであれば、民衆の生活苦の鬱積は、ルサンチマン(仏ressentiment、強者に対する弱者の恨み・怨嗟の念の意)の渦巻く混沌とした社会・時代状況へと帰結する心配すらあると思います。
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