姫崎由美展「gifted-誰かが誰かを思うこと-」から
先日、新宿ニコンサロンの作品展を見てきました。第15回酒田市土門拳文化賞に輝いた姫崎由美展「gifted-誰かが誰かを思うこと-」です。NHKのニュースでは、ご本人をまじえた紹介もされていましたから、ご存じの方も多いでしょう。
姫崎さんは松本路子主催の写真ワークショップ「エムズ・ワークショップ」に参加された後、現在、東京都渋谷区にある知的障害者のグループホーム職員をされている方です。
何年かかけてお仕事の傍らシャッターを切り続けてたまった、障害のある人のポートレート数百枚の中から、モノクロ30枚の組写真にまとめられた作品です。実に素敵なポートレートです。ここでお見せできないのは残念ですが、酒田市土門拳記念館のホームページから「土門拳文化賞」のページに入っていただければ、この中の3枚だけは観ることができますので、まずはぜひそれをご覧になってくださればと思います。
http://www.domonken-kinenkan.jp/
できるだけ正直に
今回は、前回のブログに書き込みを入れてくださった「@千住t.k」さんの「?」に対して、私なりに考えるところを率直にお応えしたいと思います。
まず正直にお断りしなければならないことは、「t.k」さんの疑問にお応えするのは、私にとって実に悩ましい課題だという点です。私には、資格制度や福祉職場について、簡単には明るい未来を語ることはできないからです。
「夢がない」時代と福祉サービス
介護保険サービスの使いづらさと、子育て期にあるローストゼネレーション世代の失業・格差拡大などについて、この間さまざまな報道が続いてきました。そのような報道の一端に触発されて記した私のブログを読んだ20~30歳代前半の複数の人から、次のような感想をぶつけられました。
「結婚して親(相手の親であれ自分の親であれ)と同居するのは恐ろしい」
「子どもをつくっても育て上げる自信がない、そもそも自分のことだけで精いっぱいなのに子どもに夢をもたせることなんて無理」
「連休中に小さい子どもの面倒を見るだけでも疲労困憊なのに、将来の親の介護を想像するとぞっとする」
どれもこれも、生活実感としては昨今の社会状況を反映しており、社会的なサービスは庶民の生活現実に追いついていないことを雄弁に物語っているように思います。でも私は、どうしても一つ違和感を覚えます。私たちみんなが考え直さなければならない何か奥深い問題が残っているような気がしてならないのです。
安心は永遠の彼方に?
前回ご紹介したNHKスペシャル「介護保険が『使えない』~10年目の検証~」をご覧になった方は、どのような感想をおもちになったでしょうか。
介護保険制度が発足して以来、介護サービスの利用が定着したようにみえる一方で、制度から漏れ落ちる層を生み出している現状についてすぐれたドキュメンタリーだったと思います。番組のキャスターが最後に「制度が始まったとき、当時の(厚生省の)幹部は『走りながら考える』という言葉をよく口にしました。しかし、今なおどこに向かって走っているのか分かりません」と締めくくった言葉は、糸を引くように耳に残りました。