メリー・クリスマス
インターネットの中では「クリスマス中止運動」が一部で盛り上がっているそうです。
「クリスマス」に名を借りた年末商戦は、「強迫的な消費」に人びとを誘うための豪華なイルミネーションと賛美歌のBGMを、信仰の問題とは無関係のまま街に溢れさせています。その上、12月24日のクリスマス・イヴに「メリー・クリスマス!!」と声をかけてくる「究極のKY」も普通にいますから、うんざりすることもしばしばです。当たり前のことで恐縮ですが、「メリー・クリスマス」とはイエスの誕生日を祝う言葉ですから、12月25日にしか使うことはありません。
しかし、多くの日本人になじみ深いお正月の初詣にしても、屋台が賑やかに並ぶ参道にほろ酔い気分で繰り出し、年一回の「縁起かつぎ」か「願掛け」をする慣わしかもしれません。日本のクリスマスはそれと同じようなものですから、世間がクリスマスに騒々しくなるからといっていちいち目くじらを立てるような気持ちは、個人的にはまったくありません。
毎年国際サンタクロース会議が開かれるコペンハーゲンは、ノーマライゼーション思想の母国デンマークにあります。この国では、勤労者が自家用車をもつことは難しく、昼や夜の食事に外食や買い食いをすることは例外的です。昼食などは家から持参のサンドイッチがほとんどで、家にパンを切らした場合には、昼にパンだけを購入して家から持参した具を挟んで食べるそうです。これまでのアメリカや日本のように、あふれるような物資を買い漁ることのできる消費文化的な豊かさや金融価値を追い求めるのではなく、人間の豊かさの証としての安心の保障を優先する社会になりつつあるのでしょう。
日本ではこの2008年、世の中の矛盾が噴き出しました。
まず、無差別な殺人事件の頻発です。犯行の理由はにわかには理解できないものが多く、犠牲になった方たちの被害の大きさだけが突出して見えがちですが、犯人の著しい社会的孤立に共通項がありました。
次に、さまざまなセーフティネットの破綻や機能不全です。ネットカフェ難民、年金問題と社会保険庁、後期高齢者の医療制度、救急医療の「たらいまわし」、医師不足に公立病院の閉鎖、医療保険証のない子どもたち、介護職員の待遇問題、障害者自立支援法の見直し… まさに枚挙に暇がありません。
そして、何よりもアメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界同時不況です。「雇い止め」「派遣切り」「赤字への業績修正」などの見出しが新聞に氾濫するようになりました。サブプライムローンの問題は、金融界に門外漢の私でさえ、3年近く前から「いずれは破綻する」と金融機関に勤める連中から聞いていましたから、名だたる経営者の方々が「降って湧いたような災難」であるかのようにおっしゃるのはいささか不思議に思えます。
肝心なことは、これらの矛盾の表れが深く関連したものであり、その克服には予断を許さない困難があるという点です。
1929年の世界大恐慌はアメリカのニューディール政策で克服されたかのような論調が一部にありますが、それは事実ではありません。アメリカをはじめとする世界各国は、第二次世界大戦に向けた戦時体制に突入した時にはじめて、大量の失業者を吸収することができました。このような歴史を繰り返さない責任は、今に生きる私たちにあります。
その後に発展する20世紀の福祉国家には、経済成長の所産としてのゆたかさという一面がありました。それは、経済発展に従属した人間のゆたかさでしかない点に、取り返しのつかないほどの犠牲と限界を現すものだったのでしょう。つまり、人間の豊かさの証としての社会保障・社会福祉ではなく、経済的な豊かさの「コスト」か「分け前」としての社会保障・社会福祉に過ぎない性格を色濃くもちました。
すべての高齢者に医療と介護が保障され、障害のある人の人間としてのゆたかさの証としての就労が進むからこそ、経済と安心のある落ち着いた暮らしに豊かさが育まれるのだという方向への転換が、今日ほど求められている時代はありません。
来年は、経済のために人間を犠牲にしない社会づくりに向けた覚悟と具体策が問われるでしょう。
みなさん、メリー・クリスマス! そして良いお年を!。
コメント
クリスマスと経済、福祉を比較するというとても面白いブログでした。
確かに日本のクリスマスはおかしいと思います。もともとクリスマスは、キリストの聖誕祭であり、現在の日本で行われるようなものではないですよね。現在のクリスマスといえばカップルのお祭りのようなものに感じてしまいます。
宗澤先生のおっしゃるとおり、年末商戦は「強迫的な消費」に人びとを誘うための豪華なイルミネーションと賛美歌のBGMを、信仰の問題とは無関係のまま街に溢れさせています。しかも、本場のコペンハーゲンのひと達は、日本のような祝い方を全くしていないというのだから、いったいどこでこのようなクリスマスが生まれたのでしょうか。
こんな日本だから、先生がおっしゃるような問題が山積みなのでしょうか。福祉問題などは、いつ解決されるのでしょうか。
2009年がすべての高齢者に医療と介護が保障され、障害のある人の人間としてのゆたかさの証としての就労が進むからこそ、経済と安心のある落ち着いた暮らしに豊かさが育まれるのだという方向への転換の年になることを願っています。
ブログの中で上げられている、福祉の充実は人間の豊かさとしての証ではなく、経済的な豊かさとしての分け前、コストにすぎないとの言葉に共感すると共に自分の中でもその考えをどうしても拭いきれないことを痛感しました。
人間としての豊かさは非常に魅力的な言葉です。ですが私はデンマークの生活に違和感を覚え、不況の中で更に福祉に力を注ぐことに首を傾げてしまいます。そこまでしなくてもとか不況なのだからまずはその回復に向けてほしいと思ってしまいます。
クリスマスのお話の通り今の日本は消費が全てでそこに住む人たちもそれを容認していると感じます。ですがもし、生まれた時すでに日本がデンマークのようだったらどうなっていくでしょうか。首を傾げること自体をなくしてしまえば人間としての豊かさを追求できるような気がします。それに向けて頑張れる生き方をしていきたいと思いました。
日本にとってのクリスマスは「メリー」だけに重きを置いているのですね。
楽しければそれでいい、と。
現代の日本という社会は平和ですね。
平和というか「平和ボケ」といった感じでしょうか。
現代社会に生きる日本人は周りのことに無頓着なケースが多いですね。
自分のことだけで精一杯になってしまいます。
だからこそまったく意図のわからない犯罪行為やたらいまわしなどが頻発してきているのではないでしょうか。
自分のことだけにとらわれない、それこそサンタさんのような徳のある人間になりたいものですね。
確かにクリスマスは本来の意味とは関係なくなってしまっていますね。
企業の儲け時とでもいいましょうか。
無宗教の日本だからキリスト教がどうのって関係ないんでしょうね。
日本人は基本的に周りで起きていることに無頓着であるように思えます。さまざまな問題に真剣に考えている人がどれだけいるのでしょうか。
もうすぐ成人を迎える今、自分ももっと真剣に周りのことを考えたいと思います。
宗澤先生がクリスマス中止運動をご存じだったことに驚きました。
かくいう私もクリスマス中止運動の参加者の一人です(特にこれといった活動はしていないので、”クリスマス中止運動支持者”ですが・・・)
この運動の内容はモテない男女がカップル達を僻んで行っているだけでこれといった活動は行っていないのですが、中には「カップルが闊歩しフライドチキンが売れる、間違ったクリスマスを正してやる」といった過激な考えを持っている人も極一部ですが居るようです。
日本には件のクリスマスやチョコを贈るバレンタインのように、行事を拡大解釈して無理やり消費拡大のイベントに仕立ててしまうおかしな傾向があるように感じます。
サブプライムローンの破たんや年金問題の浮上といった不況の波が押し寄せる今の時代にはそのように小さなイベントに無理やりにでも商品の販売に結び付けるくらいの貪欲さが大切なのかもしれないなと感じました。
宗澤先生のおっしゃる通り、日本におけるクリスマスは、本来のクリスマスの意義から逸脱しているように思います。
ほとんどの企業からしてみれば、クリスマスは自社の経済効果をいかに上昇させるかというのが狙いで、そのために様々な工夫をしています。消費者はそのようなイベントで企業側に転がされ、消費活動を行っているのですね。
また先生がおっしゃるように現在の福祉は、人間の豊かさに対して行われているのではなく、経済的な豊かさを保つための社会福祉になっています。
本来、社会福祉というものは、高齢者や障害をもつ人々が不自由ない生活を保障するためのものなのに、経済的に効率がでなければコスト削減を容易に行って、国民すべてに保護が行きとどいていないのが現状です。先進国がこのような状況ではいけません。国民は税金を払っているのだからもっと国民に還元できるような福祉の形態を確立していかなければならないのではないでしょうか。
クリスマスから大みそか、元日にかけての期間、どうしても周囲の浮かれた気分につられてしまいがちです。気づけば1年も終わり、その年を振り返ろうにも次に来る新しい年に目が行きがちです。キリスト教徒であるわけでもなく、海外から入ってきた文化にいつの間にかなじんでしまった日本人。けれど私はそんな日本が好きだとも感じます。よく言われるように、「宗教がなくなれば戦争がなくなる」という言葉は事実だと考えます。生まれてからずっとその宗教の中で生き、その神を信じ生きてきた人にとって、周囲から間違っているとされるその行いも信仰心から生まれたものでしかなく、決して間違った行いではないのです。世界に数多く存在する宗教、それが悪いというわけではありません。ただ宗教によっては互いに相いれないものや受け入れることのできないものも存在するのです。つまりは価値観の違いともいえるのですが、小さな争いが大きな戦争へと発展していくのです。日本独自の宗教は神道と言われていますが日本人の大半はそれを意識することなく生きています。文化を大切にしていない、自分の国について知らなさすぎる、日本人が海外の人からよく言われることかもしれませんが、いろいろな国の文化を取り入れ自分たちのものにしていく日本人は、寛容な心を持った戦争を知らない人間になっていくのかもしれません。
2012年、不景気だとか、年金問題のような暗い話題が多かったように思います。しかしクリスマスになれば街はちゃんとイルミネーションに彩られました。不景気だと言ってもクリスマスができている!まだまだ日本の未来は明るいと思います。こんな時代でも俯いて暗いことばかり言っていられない、この時代だからこそ個人が各々の道で前向きに努力し助け合いながらも明るく生きていくことが必要だと思います。
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