全盲の人と音楽(世界編)――ルイ・ブライユからマーカス・ロバーツ 2
全盲のジャズ・ピアニストには、名だたる演奏家を数え挙げることができます。イギリスにはジョージ・シアリングが、アメリカではアート・テイタム(片目全盲、もう片方が最重度の弱視)、レニー・トリスターノ、レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーと、まさに名手がそろっていますね。これらとは別に、ラテン・ポップの領域には、ギタリストで歌手でもあるホセ・フェリシアーノも全盲です。
これらのアーティストに共通するのは、音楽のジャンルを超えて高い評価を受けていることです。これらの演奏家はいずれも、聴覚だけですべての音とリズムを拾うことのできる達人の域に達していたでしょうが、そこに至るまでの過程に点字楽譜が寄与しているとすれば、ルイ・ブライユの功績はやはり偉大なものと言えるでしょう。
これらの名手と同様に、ピアノ演奏とインプロビゼーション(ジャズの即興演奏)のすばらしい音楽性に高い評価を受けているのがマーカス・ロバーツです。
私がマーカス・ロバーツとその演奏を知ったのは、まったくの偶然でした。
今から5~6年前のお正月のことです。就寝間際のひと時を過ごすため、深夜に何気なくテレビをつけてみると、NHK教育テレビジョンで、小澤征爾が指揮するベルリン・フィルハーモニーのピクニック・コンサート(録画)が放映されていました。
曲はガーシュインのピアノ協奏曲で、ピアニストは黒人です。聴き進むうちに、ピアノ演奏のあまりのすばらしさに食い入るように画面を観るようになっていました。すると、ほどなくこのピアニストの演奏法にいささか特異な部分を感じたのです。演奏はすばらしいの一言なのですが、演奏法については私がこれまで経験したものとは異なるものでした。
まず、体軸がほとんど左右にぶれない。コンサート用のグランドピアノを演奏するには、室内のアップライトのピアノを弾くのとは異なり、指先から鍵盤に載せる力のコントロールに全身を使います。そうしなければ、フル・オーケストラにピアノ1台で臨むピアノ協奏曲のような演奏では、ピアノの音色がくすんでしまうからです。そのとき、とくに体躯の小さい弾き手は、低音部(鍵盤に向かって左側)を弾くには体軸が左に傾斜し、高音部を引くときには体軸が右に傾斜しがちです。ところが、マーカス・ロバーツの演奏法は、体躯が全体に大柄ではありますが、どこの鍵盤を叩いているかに関わらず、体軸が殆どまったく左右にぶれません。
「ひょっとすると、このピアニストは全盲ではないのか?」
私がこのように思いついたのは、この方がもし全盲であれば、体軸を左右に動かさないことによってすべての鍵盤を体軸との距離で定位でき、それによって正確な鍵盤タッチが可能になると考えたからです。すぐにPCを立ち上げて、インターネット検索で調べてみると、「全盲のジャズ・ピアニスト―マーカス・ロバーツ」が見つかりました。
(次回に続く)
コメント
先日は素敵な講義をありがとうございました。
新年になり、宗澤先生の講義において辻井伸行さんやマーカス・ロバーツさんの演奏を聴かせていただけた事は、自分の内の様々な問題を考えるとても良い契機になりましたし、先生の仰った「晴眼者であることはむしろピアノ演奏の障害ではないか」というお言葉には衝撃を受けるとともに、私自身も3歳からピアノを習っていますので体軸の事や舟歌のすばらしさには心打たれました。
4日、5日の二日間で、音楽や蝉丸の話を通して先生が私たちに伝えたかった事を考えてみると、「共に生きる」地域社会の実現へ向けて、その人だからこそ!そのことができるという風に理解をしていくことが大事だと私は考えました。ジャズ喫茶店のことやパン屋さんのこと、メール便宅配事業では障害を持つ方もその方だからそのことができるのだと思っていただけるようにサポートをしていく事がなによりだと思います。
様々な出会いを提供していただき本当にありがとうございました。
今日の講義では、盲目の人があんなに素晴らし演奏をしていることに驚き、そして感動しました。彼らの演奏は、人一倍の努力と周りの人のサポートのおかげだと思う。
前回の講義で初めて全盲のピアニストの演奏を聴き、とても感銘を受けました。
普通は視覚から多くの情報を得ていますが、全盲の人はそれを聴覚で補っているので音に敏感であり、音楽という分野では全盲でない人よりも優れている部分があるのではないかと思いました。
新年明けましておめでとうございます。前回の講義の素敵なクリスマスプレゼントありがとうございました。
辻井さんのことは前々から知っており、演奏も聴いたことがあったのですが、マーカス・ロバーツは聞いたことがありませんでした。
全盲の方や身体のどこかに障害を持っている方はあることにおいて素晴らしい才能を発揮していることが多いようです。私には突飛でた才能が無いので彼らをとても羨ましく思ってしまいますが、これは贅沢な考えなのだなとも思います。
ニュースで辻井さんが取り上げられてから、全盲の方の演奏を聴いたことは多少あったものの、しっかりと曲を聴いたのは初めてでした。
私もピアノ経験がありますが、たしかに上達してくると聴覚の情報に頼ることもできるようになり、多くなってきますが、そこに辿りつくまではどうしてもほとんど視覚の情報に頼ってしまいます。ですので、全盲の方がピアノを始めて初期のころは多大な苦労があったのであろうと思います。
また、全盲のピアニストの方は、聴覚に頼ることが多いと思うので、そのぶん目が見える人よりも、おそらく音楽に関して耳が良いのだろうと思います。
障害など関係なく、自分のできるやり方で頑張っているというのは、とても素晴らしいことだと思いました。
辻井さんが賞をとってから気になって以前演奏を聴いたが、全盲とは思えないほどの演奏で感動したが、演奏自体には全盲であることは関係がないのにも関わらず「全盲」であることを気にしてしまっている自分がいることが気になってしまった。
マーカス・ロバーツのことを講義で初めて知ったが、演奏を聴いていて純粋に格好がいいと感じ、演奏に集中して聴くことができた。
全盲であることによって注目されるのではなく、演奏技術によって注目されるようになってくれば、全盲などの障害を持った人の世間での扱いも変わってくると思いました。
音楽においては、全盲であるということは全く障害にならないと思います。むしろ目が見えないことによって聴覚が研ぎ澄まされているのならば、これは音楽を演奏する上で大きな武器になると思うのです。
しかし、彼らが「全盲のピアニスト」として、障害があるのにすごいといった意味で注目されている気がします。ベートーベンが現在も素晴らしい作曲家として言われているのは、彼が耳が聞こえないのにあのような大曲を作ったからではありません。それと同じように、障害のある音楽家たちも自身の才能のみによって注目されるべきだと思いました。
先日の講義で、わたしは初めて全盲のピアニストの方の演奏を1曲全部聴きました。素晴らしい演奏で心惹かれました。
わたしは8年間ピアノをやっていました。慣れてくるまでは視覚に頼りっぱなしで、聴覚はあまり使ってなかったように思います。8年という期間ピアノをやっていても、鍵盤を見ずには弾けません。鍵盤の間隔を覚えているということがどんなに大変なことかがわかるので、本当に尊敬しています。
障害があることで、聴覚が人より優れ、秀でた才能をもつということが神様からの贈り物ではないのかなあと思いました。
辻井さんの存在をニュースや新聞で知ったとき、どの記事でも目が見えないことを強調していたのを覚えています。私自身、全く障害のことを意識せず評価できるか、と聞かれたら正直無理だと思います。将来、障害があることを理由にされないのが当然であるような世の中になってほしいなと感じました。
ラプソディーやアイゴット・リズムなどマーカス・ロバーツの演奏は遊び心があって本当に聴いていて楽しかったです。(私もジャズをやっています!)素敵なクリスマス・プレゼントをありがとうございました。
全盲の方がピアノを演奏しているのを初めてちゃんと聴きました。わたしもピアノを習っていたのですが、もし自分の目がみえなくなったら上手く弾けなくなると思います。目がみえる側からすれば、目がみえないのにすごい!と思うけど、本人からすればみえないのが普通なのだからすごいことをしているとは全然思っていない感じがしました。むしろ純粋に演奏を楽しんでいる感じしかしませんでした。
とても素敵な演奏で、聴いていて楽しかったです。機会があったらまた聴いてみたいと思いました。
クリスマスプレゼントとして聞かせていただいた、障害を持つ人によるオーケストラ演奏はとても心に響きました。
私たちは何かハンディキャップを背負うとすぐに自分の可能性を狭めてしまいますが、この方たちの演奏を聴いて、そんなのは自分次第だと励まされた気がします。
音楽の素晴らしさに触れられて良かったです。
辻本さんは知っていましたが、演奏を聴いたのは初めてでした。全盲であることがどうこうというより、ただただ純粋にピアノによって奏でられたメロディに鳥肌が立ちました。
先日の講義が初めて全盲のピアニストの方の演奏を聞く機会となりました。勝手な思い込みですが、目が見えないということはハンディキャップとなるのでは?と認識していた自分が恥ずかしくなるくらい素晴らしい演奏でした。非常に前向きな姿勢・努力があれば誰でも才能を開花させられるのだなと改めて気付かされました。
辻井さんの存在を知ってはいましたが、全盲の方の曲をしっかり聴いたことがなかったのでいい機会になりました。演奏はとてもすごいもので聴いててとてもここちよかったです。
自分はピアノについては詳しくないのでよくわかりませんが、全盲だからという理由で注目されるのはちょっと不思議ですよね。全盲でない人だってピアノがうまかったら同じくらい注目されていいはずですからね。
ただ障害の壁を越えて優劣を競える競技があること、またそういう競技があることが広くみんなに知れ渡ったことがすばらしいことだと感じました。
先日の講義で、初めて通して全盲の音楽家の演奏を観させていただきました。
それは、普通の名のあるピアニストの演奏よりも、鬼気迫るというか、見入ってしまうものでした。
視覚情報を失ったがゆえの、天才。だとしたら、それは皮肉なものだなと思いました。
今まで、気になってはいたけれど、しっかりと観たことはなかったので、とても貴重な体験をさせていただけて、良かったと思います。
先日、辻井伸行さんやマーカス・ロバーツの演奏を聴いて、とても感動しました。二人とも心の奥を揺さぶるような、そんな演奏でした。私は普段ロック音楽をよく聴くのですが、クラシックやジャズも聴いてみたいと思いました。
盲目であるがゆえに音楽の才能に秀でていたということを聞いて、障害を持った人々が決して健常者より劣っているわけではないことを改めて実感しました。むしろ障害をもった人々の方が生きる希望に満ち溢れた人が多いのかなとも思いました。
この講義は自分の中でとても印象深い講義だった。はじめ講義でマーカス・ロバーツの演奏を聞いた時、とても全盲の人が演奏しているとは思えなかった。目が見えないことで、他の感覚が研ぎ澄まされて、あそこまで完成度の高い演奏が出来るのだと思う。目が見えないことで、あの演奏が出来るかどうかは定かではないが、少なくとも自分には真似できないことだと思った。
全盲のピアスニトである人たちは自分の生き方を音楽で表現するまさに一流の音楽家だと思った。
講義を受講しているものです。
中学校の授業で目が見えない状況を体感しようというのがあったのを思い出します。
目隠しをして歩こうとしたときにものすごい恐怖感を感じたのを今でも覚えています。
それをふまえて年末の講義でみた辻井さんのピアノ演奏にはとても驚きました。
先日講義で聞いた辻井伸行さんやマーカス・ロバーツさんの演奏がとても心に残りました。全盲という障害があるにもかかわらず、あれほどの素敵な演奏をするのはすごいと思います。
また、以前テレビドラマで聴覚に障害をもちながらも演奏を楽しむ人がいたことを思い出しました。それは作り話ではありますが、音楽などの芸術は障害などほとんど関係なく楽しむことができるのだなと感じました。
先日の講義は自分にとってとても印象深いものでした。全盲のピアニストが奏でる音楽に圧倒され、すっかり魅了されてしまいました。誰でも努力をすれば報われるということがはっきりと理解できた瞬間となりました。
年末に先生がクリスマスプレゼントとして見せてくださった、辻井さんやマーカス・ロバーツの演奏がとても印象に残っていたので書き込みします。
目がまったく見えないのにあそこまで素晴らしい演奏ができるのは、二人の多大な努力の賜物だと思いました。
演奏が終わった後に、教室で思わず拍手しそうになりました。
昨年12月の講義でお二方の演奏を初めて目にし、改めて全盲である事が楽器を演奏する上でなんのハンデにもなりえない事を実感致しました。
辻井さんの演奏はたまにCDなどで聴いていたのですが、実際にピアノを弾いている映像を見て、素晴らしい演奏に深く感銘を受けました。
マーカス・ロバーツさんは今回初めて知りましたが、他の演奏者の方々と何も変わらずにアンサンブルする様子は見ていてとても心地好いものでした。
やはり普段は、どうしても障害を持っている方を見ると、「自分達と違う」という目で見てしまいがちです。
しかし、この様な映像を見る機会を与えて頂ける事で、そういった意識を少しでも取り払い、同じ人間として互いを尊重し合えるような心が持てる様になる事はとても喜ばしい事だと思いました。
クリスマスプレゼントとして拝見させていただいたマーカス・ロバーツと小澤征爾の共演の動画は、ネット上の動画投稿サイトで一度見たことがありました。その時の感動は今でも忘れられません。
あの大きな手で、時には繊細で時には軽やかな曲調をうまくこなしていたのが本当に感動的でした。
僕は音楽は作曲者と演奏者の心がうまくマッチングした時に最高の演奏会になると思っていますが、あのベルリン・フィルの演奏は歴史に刻まれるべき名演だったなと感じています。
とくにラプソディー・イン・ブルーの演奏は素晴らしいものだったと思います。
マーカスのピアノがなければ、この曲はただ明るい曲となっていました。
しかし、マーカスは本人の人生の陰を彷彿させるような演奏をアドリブによってうまく表現していました。リズムを変え、まずは落ち着かせ、会場の人たちさらにその他の演奏者さえも自分の世界に入り込ませていました。そして音の強弱、鍵盤のタッチの強さ、音の形、長さ、余韻によって自分の感情を余すことなく表現していました。そしてそれがジャズという新しいリズムによって喜劇的に描かれていた素晴らしい演奏だったなと思います。
「盲目のピアニスト」という代名詞だけではかたずけられないほどの才能があると思います。たとえ視力が他の人よりも衰えていたとしても他の人が視力で使う分を聴力やその他の機能で健常者以上の才能を手にすることができるということを感じさせてくれる演奏でした。
辻井伸行さんの演奏を聴いたとき、とても感動しました。盲目なのに何であんなに素晴らしい演奏ができるのか、と思いました。私もピアノを習っていて、いろんな人の演奏を聴きましたが、あれほど心に残った演奏を聴いたのは初めてでした。講義であのDVDを見せてくれてありがとうございました。
『範間刃牙』という漫画で片腕を失った武道家が「失ったと考えるな、寧ろ手に入れたと考えろ。隻腕というオリジナルを」と述べています。
確かにその通りで、全盲に対して僕たちはどうしても『なにか必要なものが欠けている』と考えが先行しがちです。しかし辻井さんやロバーツのように華やかな才能を魅せる全盲の方々もいます。
もちろん全盲の人が全員、彼らのようにピアノのプロというわけではないです。だけれども、たとえば全盲の人は晴眼者よりも聴覚に優れている傾向がありますし、その他でも晴眼者より勝っている部分が多々あります。
そこを考えると、全盲の人に対して「視力という大事なものが欠けているからなにもできないで可哀相だ」などという短絡的な思考をせぬようにしなければ、と思わされました。
辻井伸之さんとマーカス・ロバーツさんの演奏を聞いてとても素晴らしい演奏と思ったとともに、驚きました。
その理由としては、私もピアノを趣味でやっていますが、鍵盤を見ないで弾くということがどれだけ困難なことであるかということを身をもって感じるからです。ただ練習を何度も繰り返し行うことによって見ないに近い状態で弾くことはできるので、訓練を繰り返し行うことによって鍵盤を見ないでも弾けるのだと思います。
以前に辻井さんを取り上げていた番組を見たときに、『展覧会の絵』という曲を練習しているシーンがありました。その練習法は変わっていて、実際に片手ずつ弾いたものを聞いた後に、自分も弾いてみるというものでした。また辻井さんの近くにはいつも母親がついていて、その曲のイメージなどを一緒に想像するなどいつも練習に付き添っていました。
一般的には全盲の人がピアノを弾くということはとても難しいことだと思いますが、健全者とは違う練習法や指導法によって、全ての人において能力を向上させるチャンスがあり、またそれを障害者であるなどの理由から始めからその可能性を閉ざされてしまっていたら、今の辻井さんの演奏はないと思います。
どんな人にも能力を伸ばしていけるようなチャンスを見つけ、与えることがことが大切なのではないかと考えます。
先日の講義で辻井伸行さんとマーカス・ロバーツさんの演奏をDVDで拝見させていただきました。辻井さん、マーカス・ロバーツさんの演奏映像を見ていると彼らは本当に楽しそうに見えました。
私はピアノ演奏のことは詳しくはわかりません。しかし、そのような私でも目が離せない状態でした。人間の体は欠損した部分をその他の機能を伸ばすことで、欠損部分を補うといいますが、彼らに至ってはその部分を補って余りある能力を身に着けています。ただ、それだけではなく彼ら自身の血の滲むような努力があってこそのあの演奏だったのだと思います。
演奏DVDを見てなんらかの障害を持つ人も健常者も、「努力は必ず報われる」ということは共通しているということを改めて思いました。
僕はエレクトーンという鍵盤楽器を弾いています。演奏者の立場からみても、マーカスロバーツさんの演奏方法は独特なものだなと感じます。僕は以前、全盲の人のように自分で目をつむった状態でエレクトーンを弾いたことがあるのですが、全く弾けず、改めて全盲のピアニストのすごさを思い知らされました。自分が目が見えるということに感謝して、今後さらに音楽を楽しんでいきたいと思いました。
辻井伸行とマーカスロバーツの天才的なピアノ演奏をDVDで鑑賞して感動しました。多くの人を感動させる演奏をするには、周囲にある自然体の協力の結果でしょう。協力無しに日常の生活から、ピアノの練習に至るまで健常者と同じ状態にもって行くには無理でしょう。
だが、健常者に限りなく近づけることは、周囲の力によってできることです。それは、彼らをフォローする大勢の人々の存在が極めて重要な要素です。彼らに寄り添うことは、ノーマル化の実践です。彼らが、箱モノの施設に隔離されていては出来ないことです。
真のノーマライゼーションですね。大勢の人々に感動を与える演奏は、健常者に近い扱いをしようとする大勢の人々に、恵まれていて始めて出来ることです。例えば、良き理解者としての親をはじめ、兄弟や親戚、音楽の指導者、学校の教師など。
今回のDVDを観賞しながら、周囲にいる人たちの存在に注目しました。マーカスロバーツが、会場を去る時にトリオの一人が、そっと肩を差し出しました。その肩に自然に手を当てて、退場する風景が清々しい限りでした。障害者の傍にも、気軽にそっと肩を貸す人が多くいれば、障害者の才能発掘に資するでしょう。
障害を持った人々の中にも素晴らしい才能を持った人々はたくさんいます。講義の中で、盲目のピアニストに関するDVDを見て、そのことを強く実感しました。その演奏は、周囲の人々の助けを借りながらも、障害など感じられないくらい、素晴らしい演奏でした。障害を持った人でも、私たちと同じように生活し、才能を生かせるような社会にしたいです。
先日の講義で視聴したマーカス・ロバーツの演奏は素晴らしいものでした。それは盲目であるということを抜きにしてです。盲目“なのに”すごい!とは言いたくありません。彼自身の人並み外れた技術、センスというものをみて素晴らしいといいたいのです。
メディアなどが障害を持った方が素晴らしい功績をあげたとき、「~が不自由な…さん」という形で取り上げることが多々あると思います。そこには、障碍者は健常者よりも能力的に劣るという意識が少なからずあるのだと思います。
マーカス・ロバーツや辻井さんの演奏を見たら誰しもが驚き拍手を送るでしょう。そして、盲目であるということを知ったらさらに驚愕し感心することでしょう。しかし、このとき、やはり心の中で「障碍者なのに……」という前置きがなされているのではないでしょうか?
辻井伸行さんのことはコンクールで日本人初の優勝をしたときに初めて知りました。演奏を聴いて、まさかこれを演奏している人が全盲だとはこれっぽっちも思えない、迫力があってとても素敵な演奏でした。
協奏曲はオーケストラと息を合わせることがとても大事になると思うが、息遣いであわせあんなに素敵な演奏がつくられていてただただすごいと思いました。心を動かされました。
人間形成と教育を受けている者です。
7月11日の講義で全盲ピアニストの方々の演奏を見て、「全盲でもこんなにうまく弾けるのか、すごいな」という感想を持ちました。こう思った学生もいたと思います。これを宗澤先生は晴眼者の思い上がりだとおっしゃるのではないでしょうか。しかし、このように考えるのは人間のある意味、優しさなのではないかと思いました。全盲であることのハンディキャップに対する、かわいそうだと思う気持ちから来ると思うので、決して悪いことではないと思います。しかし、逆の立場であればいらない心配と思うのでしょう。ハンディキャップを持った方々を身近な存在として考えられるきっかけになりました。
あと、プリウスの件でも、あの静かさは大問題だと思います。ハイブリットなど普及していますが、いわゆる科学の進歩、というものは環境問題のことばかり目がいってしまっている。しかしまず、人間が生きる場でその科学が問題なく活躍することが第一である。その場で人間に問題が起きれば、自然に環境も放置されていくことになってしまうのだから、人間の受け入れも考える必要があると思いました。
前回の授業で聴いた辻井さんとマーカス・ロバーツの演奏にはとても感銘を受けました。また、その演奏を聴いた後の先生の講義で、私の全盲の方々の見方がただの偏見であったことに気づかされました。今までは辻井さんの演奏を聞いても目が見えないのにすごいなとしか思っていませんでしたが、目が見えない代わりに聞くことへの感性が全盲の方々の方が優れていると知り、だからこんなに素晴らしいピアノを弾くことができるのだと納得することができました。一方で、このような事実を知らない方々も多いと思うので、是非この事実を知らせ、全盲の方々への偏見を取り除けるように行動していきたいです。
7月11日の講義で、辻井伸行さんとマーカス・ロバーツさんのDVDを見ました。私たち健常者は確かに「障害者なのにすごい」という考えを持ってしまうと思います。しかし、その分聴覚が優れているなど、あれだけ人を感動させる演奏ができて、ハンデなどは感じさせないものだと考えました。私たち健常者は「障害者はかわいそうだ」という考えを捨てて生きていくべきだと感じます。「全盲なのにすごい」という考えではなく、このような素晴らしい才能があるということに目を向けていきたいです。
右手が奏でるメロディーの巧みさもさることながら、ジャズピアノでは何よりも左手のバッキング、いわゆる「合いの手」の位置の正確さが求められます。また、バッキングは裏拍にいれることが多くリズム感が難しいのですが、彼はそれを完璧にこなしつつ、何より全盲でありながら、コードを見ずに流れるメロディーにあわせてジャジーな和音を弾いている姿は驚きでした。目が見えない=何かができない、と考えるのではなく、目が見えないからこそ彼は人より聴覚が秀でているのであり、そういった何かその人の長所に気づく力が私たちには求められているように思います。
全盲のピアニストの方については、辻井さんの活躍により自分の中で最近注目しつつある話題でした。マーカス・ロバーツという方の演奏は今までに聞いたことはなかったのですが、とても素晴らしいセンスを持っている方だと感じました。目が見えないということがハンデとなり、よい演奏をするというのは現実的に難しいことなのではないかという考えが以前自分にはあったのですが、それはむしろ逆で、目が見えないことによって他の感覚がとぎすまされ、より深みのある演奏をすることができるのだろうと思います。
私は全盲の方の演奏を聴いてとても心にしみました。しかし、世間一般人は、やはりまだ「目が見えないのに」すごい、という考えを持っていると思います。先生も仰っていたように、目が見えないと、耳で聞き取る能力が一般の人よりも優れる可能性もあると思うし、そもそもまず「目が見えない」ことを、一つの「個性」として私たちが認識すれば、上記のような偏見的な態度も変わってくるのではないでしょうか。
自分はこれまで全盲であることに対してあらゆる面におけるマイナスの側面ばかりを見ていましたが、全盲のピアニストであるマーカス・ロバーツの演奏を聞いていると、全盲であることに決して臆することなく、それを自分の個性であるようにして活躍していていて、尊敬しなくてはいけない面が多いと感じました。
目の前の困難に屈することなく打ち勝つ気持ちを持つことが重要だと改めた強く思いました。また、このような全盲の方のあらゆる面における活躍が、ハンデという偏見を、個性とい見方へと変えていくのではないかと考えました。
私は全盲だけではなく、障害ということばにプラスのイメージを持ったことはほとんどなく、苦労ばかりであると考えていました。しかし、素晴らしい演奏をし、たくさんの歓声中にいたマーカス・ロバーツさんはとても輝いていました。私自身も演奏を聴いて、とても心に響くと同時に自分の考えが違うのではないかと考えるようになりました。障碍者ということばだけで苦労ばかりするというのは私の思い込みに過ぎないことだと気づかされました。
素晴らしいクリスマスプレゼントありがとうございます。以前ニュースで辻井さんの演奏を聴く機会があり、その時はただ単純に本当に素晴らしいピアノの演奏だと思いました。だけれども心のどこかで演奏をすごいと思っているのではなく、全盲なのにピアノが弾けていることに驚いていただけかもしれません。人の意識とはそう簡単に変わるものではなく、どうしても障害者を奇異の目で見てしまいます。その理由にはメディアが大きく関わっていると私は考えます。メディアが障害者の障害者たる部分を大々的に取り上げることで、私たちは自分と障害者は違うんだと強く意識してしまいます。メディアは事実を伝えることは重要だが、伝え方をもっと考えなければならないのではないかと思いました。
私は、自分自身が音楽系のサークルに所属していることもあり、このテーマの講義は特に心に残りました。目の見えないピアニストがオーケストラと息を合わせて演奏しているというところが、私には興味深く感じられました。やはり、周りの奏者の動きや呼吸を感じ取ることであの様な演奏が可能になるのでしょうか。
全盲のピアニスト・・それは私の中で驚きでしかありませんでした。私はピアノが弾けません。音楽とは縁のない生活をおくってきました。ですからなおさら、全盲でピアノを弾くなど考えられないと思っていました。しかし、宗澤先生のお話を聞き、自分の間違いに気づきました。障害は決してハンディキャップではない、それはあらゆる才能に繋がり得る試金石なのだと思いました。
以前講義で辻井さんの演奏を聴きました。4年間楽器と触れ合ってきたので全盲での演奏というのはとても難しいことだとわかります。でもその難しさを感じさせない、プロの、それ以上の感動を頂きました。高校生のころにお邪魔させて頂いたあるオーケストラで全盲のホルン奏者と一緒に演奏しました。その人は幼いころからホルンをやっていて、絶対音感を持っていたのかは分かりませんが何度か曲を聴けばある程度演奏できることができるそうです。技術も音も感情が込められていて、敵わないな、と思いました。代償はあれどすごく楽しんでいる様子が伝わりました。音楽というのは全世界、どんな人でも楽しめるそんな嗜好です。不自由な人でももっと音楽の世界で活躍していってほしいです。
私は全盲の音楽家といえば、辻井伸之さん、スティービー・ワンダーさんしか知らなかったのですが、以前の講義でマーカス・ロバーツさんの演奏を聴いて、また映像でみて、衝撃を受けました。演奏はもちろん、なぜあんな正確に、なぜあんなアドリブが奏でられるのだろうというのもありますが、何より演奏を聴く、観る人を引き付ける力に驚きました。印象的だったのが彼の演奏を聴いて、後ろに座っているオケの人たちです。彼のアドリブが始まると笑顔になり彼をみる。彼の演奏は本当に人の心を動かすのだなと感じました。全盲などの障害はハンディという言葉で片づけるのは軽率で、むしろそれは彼らの魅力なんだと思いました。
先日の授業で素晴らしい演奏を聴かせていただき、感激したのと同時に、レジュメの一番上に書かれていた「障害があるのに○○ができるなんてすごい」という気持ちが自分の中に無意識のうちにあることを実感した。
テレビ番組などで、障害者が何かに挑戦する様子をやたら大きく取り上げるものがあるが、それは視聴者の多くに上記のような感情があるからではないかと考える。もちろん社会的弱者に対する心遣いは大切なものであるが、「弱者なのにこんなことができる、すごい」という心遣いを通り過ぎた、神聖化のようなものは多くの人の関心を集めるかもしれないが、本当に目を向けるべきところからは遠ざかってしまうのではないかと考える。今回、自分の中にもそういった気持ちがあることがわかったのでそこから目を背けずに向き合っていきたい。
私はレイチャールズが好きです。初めて聞いたとき目が見えないなどということは思いもしませんでした。
事実を知って私が考えたことは、音楽が生まれるとき大切なものもは感覚ではなくて感情、感性であるということでした。
つまり音楽においては、目に映る景色と、耳から聞こえる言葉や音が同じ意味を持つことになるということです。そして全盲のピアニストと目の見えるヴァイオリニストの胸の高まりとその終着点はどちらもある一点を目指しているはずだと思います。
そうであるから私は彼らの音楽に本当に感動しているのだと思うようになりました。
先日の講義でマーカス・ロバーツが演奏している映像を見ました。その演奏を聴いた瞬間、私は鳥肌が立ちました。私もピアノを約10年間習っていましたが、私とは比べ物にならないくらい上手にピアノを弾いていました。
正直、今までは「目が見えないのにこんなに上手に演奏できるなんてすごい」という風に考えていましたが、そもそもそういう考え方自体が間違っているのだということを講義で気づきました。障害を持つ人と持たない人を分けて考えるのはおかしいと思いました。
これからは自分の中に知らない間にできていた考え方を自覚し、障害のあるなしで物事を区別してきた自分を見つめ直していきたいです。
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