全盲の人と音楽(世界編)――ルイ・ブライユからマーカス・ロバーツ 2
全盲のジャズ・ピアニストには、名だたる演奏家を数え挙げることができます。イギリスにはジョージ・シアリングが、アメリカではアート・テイタム(片目全盲、もう片方が最重度の弱視)、レニー・トリスターノ、レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーと、まさに名手がそろっていますね。これらとは別に、ラテン・ポップの領域には、ギタリストで歌手でもあるホセ・フェリシアーノも全盲です。
これらのアーティストに共通するのは、音楽のジャンルを超えて高い評価を受けていることです。これらの演奏家はいずれも、聴覚だけですべての音とリズムを拾うことのできる達人の域に達していたでしょうが、そこに至るまでの過程に点字楽譜が寄与しているとすれば、ルイ・ブライユの功績はやはり偉大なものと言えるでしょう。
全盲の人と音楽(世界編)――ルイ・ブライユからマーカス・ロバーツ 1
ルイ・ブライユといえば、六点法の点字発明者として知られています。世界最初の盲学校であるパリ盲学校に1819年、生徒として入学したブライユは、後にこの盲学校の教師になります。1852年に結核のため43歳で亡くなるまでの短い生涯の間に、ブライユは世界の盲人に文字の光を与える点字を発明しました。
19世紀初頭のフランスでは、無線や電話などの遠距離の通信手段はまだなかった時代ですから、軍隊の夜間通信をどのように確保するかが問題になっていました。そこで、砲兵仕官だったバルビエは、複雑な点字表記の方法による軍事用夜間文字を編み出し、それをさらに盲人用点字に転用しようとしていました。しかしバルビエ式点字は、盲人の実際の使用には難点の高いものだったため、ルイ・ブライユはそこから着想を得て、アルファベットに対応する実用的な六点法点字を発明したのです(ピエール・アンリ著、奥寺百合子訳『点字発明者の生涯』朝日新聞社、1984年)。
全盲の人と音楽(日本編)――琵琶法師から演歌・テノール歌手へ
前回のブログに記した「日本的な旋律」は、どのようにして庶民に広まっていったのか?
主な日本の旋律には、雅楽の流れを汲む別の音階がありますが、庶民に親しまれた旋律は、前回のブログでご紹介した「五音長・短音階」でした。貴族の音楽を奏でる旋律とは異なる庶民の音楽を全国に広めていった起源は、全盲の僧であり芸能者でもあった琵琶法師だといわれています。
視覚障害を聴覚の鋭敏さで補う力は、古来から音楽の世界に生きる力として発揮されていたのです。
日本的な旋律
老若男女を問わず、誰もが小学校で一度は歌ったことのあるのは、作者不詳の日本古謡『さくら さくら』です。この曲は日本を代表する歌の一つとして、内外の公式なセレモニーなどでもよく使われるようです。
◇『さくら さくら』(作者不詳)
さくら さくら やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる いざやいざや 見にゆかん
さくら さくら 野山も里も 見わたす限り
かすみか雲か 朝日に匂う さくらさくら 花ざかり
古謡であるこの曲の歌詞には、どこにも「散る美学」などは見当たりませんね。ひょっとしたら、もともとの庶民にとっての桜の花は、長い冬を凌いだあとに訪れる春の喜びを象徴するものだったのかも知れません。とくに農民にとっては、稲作の作業に入りゆく季節の到来を告げる、愛でたい花だったのではないのでしょうか。
桜と日本人
桜は日本人にとって、なじみの深い花です。
桜の花の咲き乱れる様は、春のお花見に大勢の人たちを魅了してきましたし、プロかアマチュアかを問わず、桜の花をテーマに撮り続けている写真家もたくさんおられます。また、桜の花の「華やかに咲いて、パッと散る」様は、日本人のメンタリティに込められた潔さや引き際の美学の象徴にされてきました。
昨今は、ある国のトップに「短く散る政治哲学」が流行っているようですが、これはまったく美しく感じられません。