歌と暮らし
今から20年以上前、東京の下町にある施設で知的障害のある人たちに生活史のヒアリングをさせていただいたことがあります。そのときに協力してくださった方の中に、中学の特殊学級を出てから、建設現場で20年間ほど勤め続け、加齢とともに体が思うように動かなくなって施設利用に至った経緯をもつ人がおられました。
生活史をヒアリングするといっても、知的障害の特質に由来して、私に正確な事実に即した聞き取りができるのか覚束ない気持ちでした。ヒアリングのテーマは、職歴を軸にした生活史でした。
たこ焼きとノーマライゼーション
昔ながらの大阪のたこ焼きになじんできた私には、昨今のたこ焼きにはいささか不満が募ります。
まず、表面をカリッと焼きあげるためなのでしょうか、たこ焼きが焼き上がる直前の段階に、食用油をまぶすように垂らしかけ、まるで「たこ焼きのから揚げ」のように仕上げるものがありますね。私の知るたこ焼きは、こんな油まみれのものではありません。
次に、「たこ焼き」というのに「タコ」を入れず、お好みに応じてチーズや餅、チョコレートなどを入れ込んだ、たこ焼きのオールド・ファンからすれば邪道であり、「たこ焼きの名を汚すふとどき者」と叫びたくなる代物があります。まあ、各人の好みの問題ですから、しつこく非難するつもりはありませんが、これは「たこ焼きもどき」というべきものです。
たこ焼きと働く者の魂
たこ焼きは、大阪を代表する食べ物の一つです。出自が大阪の私には、たこ焼きについて数え切れないほどの思い出があります。
子どもの頃は、昼下がりのたこ焼き屋の前にできる子どもたちの行列によく並びました。そろばん塾帰りの子ども、バットやグラブをもつ野球帰りの子どもなど、一つのお店の前に10人くらいは並んでいて、ソースの匂いに胸を躍らせ、青海苔がふりかかるたこ焼きの姿に生唾を呑み、自分のたこ焼きが焼きあがるのを待つ間のわくわくした心持ちは、子どもたちの贅沢なひと時だったと思います。