地域コミュニティの再生と福祉の課題 1
宮崎勤の連続幼女殺害事件は、1988~89年のバブル経済の真っただ中で起きました。以来、今回の秋葉原通り魔殺人事件までの20年間ほどの間に、日本の地域社会は根底から変貌してきました。
実際、私が暮らし、自治体の地域福祉計画や障害者・障害福祉計画等の策定に携わる埼玉県南部は、住民が地域生活をともにすることも少なく、そのイメージや目標を共有することも大変困難な地域であると感じてきました。
この地域には、ウィークデーを東京の職場で過ごす「埼玉都民」が多くいる一方で、古くからこの地域に住まう住民もいます。ここでは、地域のお祭りのような伝統行事でさえ、「新旧住民」が協働することはめったにありません。埼玉県南部は日本全国から人口流入が続いてきた地域ですから、それぞれの住民の生まれ育った地域は全国に拡散しており、生活文化の素性もさまざまです。たとえば大阪出身の私は、正月のお雑煮のために、埼玉県で「白味噌と丸餅」を探し回っています。
午前0時をまわった深夜の時間帯に、ディスカウント・ストアやラーメン店で、ときには居酒屋でさえ、ベビーカーに乗る赤ちゃん連れの若い夫婦の姿をみることは、まったく珍しい光景ではなくなりました。福祉関係の自治体職員や障害者支援に携わる職員の多くも、夜遅くまでの残業を強いられがちですから、他の多くの地域住民と同様、「職場と住まいの往復」という「地域生活抜きの暮らし」を余儀なくされているのかもしれません。
これでは、独身者はもちろんのこと、子育てには関与しない所帯持ちの人たちにとって、地域とは「買い物をするところ」程度の位置にまで引き下げられていきます。
バブル期をはさんだ日本経済の構造変化は、格差を拡大しながら就業構造の変化と就業形態の多様化をもたらすものでしたから、地域で働き暮らすことを共有するのはますます難しくなってきました。それぞれの地域生活のイメージが拡散しているだけでなく、「住居と職場の往復だけ」という暮らし方に由来して、地域生活の希薄化と透明化が進行したのです。それは、地域の人たちが「共存する」条件を限りなく剥奪された深刻な事態にあると思えるのですが、このような現実が地域福祉計画や障害者計画の策定に関連して「語られる」ことが少ないことには、もどかしい思いとともに、まことに奇異に感じてきました。
2002年1月に社会保障審議会福祉部会が明らかにした「市町村地域福祉計画及び都道府県地域福祉計画策定指針の在り方について(一人ひとりの地域住民への訴え)」と題する文書の中では、わが国の深刻な地域社会の現状を憂慮する問題意識が貫かれています。
「我が国においては、かつての伝統的な家庭や地域の相互扶助機能は弱体化し、地域住民相互の社会的なつながりも希薄化するなど地域社会は変容しつつある。少子高齢社会の到来、成長型社会の終焉、産業の空洞化、そして近年の深刻な経済不況がこれに追い打ちをかけている。このため、高齢者、障害者などの生活上の支援を要する人々は一層厳しい状況におかれている。また、青少年や中年層においても生活不安とストレスが増大し、時差やホームレス、家庭内暴力、虐待、ひきこもりなどが新たな社会問題となっている。」
私は、この問題意識を全面的に共有することができます。しかし地域福祉計画は、地域生活の基盤となりうる地域社会を前提にして策定することができるものです。ここまで地域社会が生活基盤として崩壊した現状からは、地域社会全体の再生の中に、地域福祉を位置づけなおす施策の枠組みを設定するしか、有効な手立てはなくなりつつあると思わざるを得ません。
実際、私は現在、さいたま市の障害者計画・障害福祉計画の策定に携わっていますが、地域生活移行やサービスの目標数値を明らかにするだけでは解決のしようのない、深刻な地域社会そのものの問題に直面するのです。
街に出れば、突然ナイフで刺されてしまうかもしれないと感じるような不安な地域社会の現実があります。そのような不安を背景にして、知的障害のある青年が下校途中の小学生に声をかけただけで110番通報されることが起きています。障害者のグループホームでは、ホーム利用者とのトラブルから管理人が放火するという痛ましい事件さえ起きました。「居宅介護」というサービスのメニューがあり、それを拡充する計画も自治体で策定されているのに、ホームヘルパーの数が減っていくのです。地震国の日本で、しかも岩手・宮城内陸地震の直後であるにも拘らず、個人情報の保護も絡んで、高齢者・障害者を含む万全な防災体制さえ、計画策定の中で頓挫することを余儀なくされています。
これでは、何を基盤に暮らしを考え、どこに地域相互の信頼や親密性の手がかりを見出せばよいのか、皆目検討がつかないのです。そして、このような地域社会の現実を前に、障害のある人の地域生活保障をどのように考えればよいのでしょうか。
(次回に続く)
コメント
いま本当に地域住民同士の付き合いが希薄になっていると思います。自分の隣人でさえ、顔くらいしかわからないという場合がおおにしてあると思います。
実際、私の地域でも、神社のお祭りがおこなわれているとき、私たちのように長年この場所に住んでる人々だけで、楽しんでいて、新しく来た人々がお祭りにはいづらい雰囲気があります。このような状況を打開するためにも、様々な人との会話が必要だと思いました。
先日の北九州市立大学での宗澤先生の講義を受けた者です。
私は福岡に住んでいました。私が小さいころは、地域のイベントや子ども会なんかにもよく参加していました。
しかし私が大きくなり、両親が共働きになり忙しくなると、危ないからという理由で家に留守番することが多くなりました。その頃は生活が厳しかったようで、両親も毎日喧嘩ばかりで、一人でいることがほとんどでした。その時は両親のがんばりと、近所のおばちゃんの助けもあり、なんとかなりました。
でも、もし自分が高齢者や障害のある人で、周りの助けが全くなかったとしたら、両親は体を壊したり、精神的にもたなかったのではと考えてしまいました。
高齢者や障害のある人たちの虐待のケースもこのような状況が起因していることが多いことを聞いて、他人事には思えませんでした。
しかし、北九州で一人暮らしをしてみて、近所との付き合いはほぼないといっていいくらいです。
地域のつながりが様々な社会問題を防ぐ手立てになるとう意識を常に持つ必要があると感じました。
一昔前の地域の結びつきがどれだけ強かったかは分かりませんが、自分が幼い頃と比べても近所との結びつきなんかは薄れてしまったと思います。
自分は今マンションに住んでますが、以前住んでいたマンションでは自分と同世代の子供を持つ家庭が多かったためか付き合いも多かったですが、今いるマンションにはどんな人が住んでるのか全く把握できてません。たまにすれ違う時に挨拶はするものの、プライベートでは一切絡みがありません。
この地域との結びつきの希薄化が現在の社会問題とリンクしているのは大変共感するところです。たとえばもし近所の人達が普段からよく顔を合わせコミュニケーションが絶えない地域であったら、犯罪をおかしてしまう者、不登校になってしまう学生、家庭内暴力のある家庭、これら全ての問題が起こる前に誰かしらが微妙な変化に気づけていたかもしれない。問題を起こしてしまうほど心が病む前に地域の人に相談できたかもしれない。人間関係が人を追い込んでしまうこともあるが、人間関係が人を救うこともあると信じています。
しかしこれだけ物騒な時代で、近所だからという理由で簡単に他人に心をひらけない人も多いと思います。こうした疑心暗鬼な時代にこそ、もう一度人とのつながりを大事にする想いが必要だと思いました。
自分がまだ小さかったころは近所の奥様方が立ち話をしていることが多々見受けられていたのに、今はまったくと言っていいほどそのような場面に遭遇しなくなりました。地域における活動はどうしてもその地域に住む人たちの信頼関係が前提になるという事を埼玉大学の斉藤教授の地域システム設計論の講義を受けたことでとても理解しました。そして、人間同士、地域同士、国の3つの関係が成り立つ中で問題が解決を図るにもかかわらず地域における信頼の欠如が存在します。それは人の道徳ばかりか政治の展開をも滞らせてしまっているようにも私には見えます。
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