地域コミュニティの再生と福祉の課題 3
私の娘は、3歳になる頃まで重度のアトピーに悩んでいました。
当時はまだ、小児のアレルギー外来を設けている医療機関は少なく、バスと電車を乗り継いで1時間半はかかる病院に通っていました。検査の結果、ハウスダストの除去と食事療法をしながら、皮膚患部には塗り薬で対症療法を続ける毎日でした。
毎朝、念入りにカビ取りをした洗濯機を回しながら、布団を干して、家中の隅々にまで掃除機を走らせます。アレルギー用の粉ミルクを使い、離乳食が始まると卵・鶏肉・トマトなどを避けたメニューを続けました。朝の出勤前にさまざまな家事をしなければならなかったことは、当時相当の負担になっていたようで、2か月ほど針灸師に通う羽目にもなりました。
地域コミュニティの再生と福祉の課題 2
障害のある人が地域で暮らす「自立と共生」の社会を実現する取り組みは、コウノトリや朱鷺の舞う里山や森を取り戻す壮大な営みに近似したものだと考えています。
コウノトリと朱鷺は、明治時代まで全国いたるところの里山で飛翔する姿を見ることができました。これらの鳥たちに「生きること」の困難をもたらした原因は、農薬散布や地域開発による環境破壊でした。コウノトリや朱鷺が激減していく時代にとられた当初の対策は、生き残りの鳥たちを捕獲してはケージに保護し、人工孵化を試みて個体数を増やすことでした。
しかしこれらの取り組みは、人間の一方的な想いに反し、すべて失敗に終わったのです。
地域コミュニティの再生と福祉の課題 1
宮崎勤の連続幼女殺害事件は、1988~89年のバブル経済の真っただ中で起きました。以来、今回の秋葉原通り魔殺人事件までの20年間ほどの間に、日本の地域社会は根底から変貌してきました。
実際、私が暮らし、自治体の地域福祉計画や障害者・障害福祉計画等の策定に携わる埼玉県南部は、住民が地域生活をともにすることも少なく、そのイメージや目標を共有することも大変困難な地域であると感じてきました。
秋葉原の事件から2 孤立と地域
前回ご紹介したNHKの番組は、キーワードの一つに「孤立」を置いていました。
秋葉原事件の犯人が、携帯電話の掲示板に最後まで書き込んでいた記事は、耐えがたい「閉塞感」と「孤立感」の中で、誰かに自分を受けとめてもらいたい気持ちから発した「叫び」のように思えます。
「明日から来なくていいよ」の一言だけで社会的な立場を失う「日雇い派遣」の不安を抱え、人との支えあいの世界から遠ざけられていたとすれば、一度足を踏み入れたら二度と這い出ることのできない「底なし沼」でもがくような絶望感に、誰しも襲われます。